2019/08/22

世にはびこる「信用創造モデル」を切る!

前回信用創造について説明しました(預金準備制度と信用創造の本質)。基本的に借金(シャッキン)をするとき、その貸し出されるおカネというのは「銀行預金」であること、その銀行預金は誰かの銀行預金を拝借するのではなく、銀行が新規に発行していること借金(シャッキン)を正しく理解すること!)、そして、この銀行による新規銀行預金の発行を信用創造というわけですが、この銀行による新規の銀行預金発行の根拠が、準備預金制度という話でした。

しかし、世間一般、例えば高校の教科書とか?大学の経済学の教科書とか?(見たことないので知りませんが)はっきりお示しできるのはWikipediaの信用創造のページ、その他多くの識者の説明、動画、などでは別の説明がされています。Wikipedia的に言うと、私的な説明は、異説、とされるようです。通説が正しいか、異説が正しいか、皆様よくよく考えてください。と言いつつなんですが、これこそ典型的経済学の右回り左回り(完全な誤りとは言えないが、本質が見えなくなり、誤解を与える)だと考えています。

世間一般の信用創造のモデルは、非常にややこしいので図を見ながら、一つ一つたどってみてください。下の図は、それでも登場人物を減らした簡単バージョンです。また、多くの信用創造モデルは、基本的に準備率をわかりやすく10%としていることが多いので、今回のエントリーは準備率10%で統一します。また準備金というのは、日銀に預ければ日銀当座預金と同義です。あと、下記説明は、誤りや誤解を招きやすいように、わざと言葉を選んでいます。そんなことは書いていないとかのご指摘はご容赦願います。このモデルは、貸し出しを現金で行うのが特徴です。

①山田さんが根源的資金、現金100万円をA銀行に預金する。

A銀行は、現金100万円のうち10%の現金10万円を準備金として残し、残りの現金90万円を貸し出すことができる。

③田中さんが現金90万円を借金して借りる。田中さんはとりあえず手にした現金90万円をB銀行に預金する。

B銀行は、現金90万円のうち10%の現金9万円を準備金として残し、残りの現金81万円を貸し出すことができる。

⑤佐藤さんが。現金81万円を借金して借りる。佐藤さんはとりあえず手にした現金81万円をC銀行に預ける。

⑥図には書いていませんが、以後、準備率10%分の現金を残して残りを貸し出すことを繰り返す。

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上記のモデルで説明したいのは、おカネが増えていく仕組みです。最初は山田さんの現金100万円だけだったのですが(根源的資金)、いつの間にか貸し出しを繰り返すことにより、山田さん、田中さん、佐藤さんの3人の預金通帳には、それぞれ100万円、90万円、81万円=271万円の預金があることになります。あら不思議、100万円が勝手に増えました!!!というお話です。この“いつの間にかおカネが増えている感”がこのモデルの最大の特徴でしょう。ちなみに、このまま永遠貸し出しを繰り返すと、最大でいくらまでおカネが増えるのかを計算することができます。ご興味があれば計算していただきたいのですが、結果的に根源的資金を準備率で除した額に膨れ上がることになります。準備率が10%であれば10倍、1%であれば100倍となります。

まずは上記世間バージョンモデル(又貸しモデルというらしい)を十分理解してください。そのうえで、私がこのモデルの批判を始めたいと思います。批判というか、誤解されやすいことを列挙してみます。

①準備率に伴う準備金は、一体何の準備なのか、この説明では、残りを貸し出すための準備であると勘違いする可能性がある。あくまで、準備金とは発行した銀行預金の準備である。例えばA銀行の準備金10万円は、山田さんに発行した銀行預金100万円に対する準備であって、90万円の貸し出しのための準備ではない。

②信用創造の説明のはずなのに、信用創造されている瞬間が一体いつなのか全く分からない。まさに“いつの間に感”が強く、信用創造(おカネが増える)とは、現金のやりとりで自然に知らない間に起きるものだと勘違いする。あえて言えば、田中さんと佐藤さんが、現金を銀行に預けたときに銀行預金が生まれるため、この瞬間が信用創造と勘違いする可能性がある。

③②に関連して、銀行預金とは、あくまで現金のやりとりの結果であると勘違いする可能性がある。(現金がないと銀行預金は生まれないと信じている人を見たことがある・・・。)

信用創造の瞬間は、貸し出しの瞬間です。貸し出しの瞬間に「銀行預金を新規に発行する」のが信用創造なのですが、直接現金を渡してしまっているため、その瞬間がこのモデルでは出てこないのです。しかし、本来、銀行手持ちの現金は直接貸し出しには使えません(銀行に預けられた現金の秘密)。正確には、A銀行の田中さんに対する貸し出しは、90万円の銀行預金の新規発行であり、その上で、A銀行の田中さんに今発行された銀行預金をおろす形で(交換する形で)90万円の現金が山田さんの手元に届くわけです。ものすごく細かい話をすると、一瞬田中さんに90万円の銀行預金を発行しているため、準備金9万円を日銀に預けた上で、すぐにそれをおろして、90万円の現金を渡していることになります(そこまではいいか・・)。結果、田中さんのA銀行の預金残高はゼロになるので、そのまま現金を手渡ししているのと同じ事なのですが、この手順の省略について説明をしている解説を見たことがありません。

何が言いたいのかというと、信用創造による銀行預金の増加は、“いつの間にか”増えたのではなく、貸し出しの時に銀行預金を新規に発行しているから増えているのです。実に当たり前の話です。それがこの又貸しモデルではわざと分からないようにしているとしか思えません。

④この又貸しモデルは、最初に導入された根源的資金(山田さんの100万円)の現金をつかってしか貸し出せないことを前提とした特殊モデルである。

そもそも根源的資金の現金を使ってしか貸し出せないという、非常に特殊な条件を入れている理由が分かりません。上にも書きましたが、おかげで、世の中のおカネ=現金だと思っている方が少なくありません。最大どれくらい貸し出せるかということを理解するためには、下記の図のような説明で十分です。山田さんが現金100万円をA銀行に預け、100万円の銀行預金を発行してもらった後、A銀行は、手にした現金100万円をすべて準備金として日銀に預ければいいのです。すると、A銀行が扱える銀行預金の額は、100万円を準備率10%で除した額(つまり10倍)である、1000万円となります。すでに山田さんに100万円の銀行預金を発行しているため、A銀行が田中さんへの貸し出しに使える最大の金額は900万円(の銀行預金)ということになります。貸し出しを繰り返す必要は全くありません。

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という上の図の説明をすると、田中さんが現金で900万円借りたいと言ったらその現金がないじゃないか!!というお叱りを受けるかもしれません。その通り、この説明では現金による貸し出しはできません。そもそも、根源的100万円の現金があったら、最大いくらの銀行預金を信用創造できるかというモデルですから、はなから、現金による貸し出しを想定していないだけの話です。しかし、良く考えてみてください。世間一般にでまわる又貸しモデルも実は全く同じです。佐藤さんまで貸し出しが終わったところで、最初に100万円を銀行に預金した山田さんが、現金100万円を下ろしに来たらどうするのですか。A銀行には10万円しかありませんよ。もちろん、田中さんも、現金を引き出せません。つまりこの又貸しモデルは、預金した人は現金をおろさないことを条件に、さらに根源的100万円の現金しか貸し出しに使えないということを条件とし、最大いくらの銀行預金を信用創造できるのかというモデルと言うだけのことです。

ということで、世間的な教科書的事項に喧嘩を売ってみました。ただおカネの仕組みをもう一段理解するためには、日銀当座預金に関する理解と、マネタリーベース、マネーストックを正しく把握する必要があります。次回以降、そのあたりを一緒に勉強しましょう。

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2019/08/17

預金準備制度と信用創造の本質

経済学用語に「信用創造」という言葉があります。前回の借金(シャッキン)を正しく理解すること!で説明したように、我々が借金(シャッキン)する時、銀行は銀行預金というおカネを新規に発行して我々に貸してくれるのですが、このおカネを新規に発行することを信用創造と言います。我々の借用証書という信用のおけない紙切れを、銀行預金という信用があって誰もが交換価値を認める信用のおけるものに生まれ変わらせてくれるというイメージでしょうか。

と言うことで、信用創造の説明は下記の図以外の何者でもありません。貸し出しの時に銀行が行う、新たな銀行預金(預金通貨)の発行です。

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ところで、銀行は、我々の銀行預金を管理しているわけですが、この各銀行の管理しうる銀行預金の額は、準備預金制度(準備預金制度に関する法律)で制限されています。現金の引き出しに備えるためとのことですが、日本銀行のホームページ(教えて!にちぎん)に書いてあるこの制度の説明を下にコピペしておきます。

準備預金制度とは、対象となる金融機関に対して、「受け入れている預金等の一定比率(これを「準備率」といいます)以上の金額を日本銀行に預け入れること」を義務付ける制度です。このようにして日本銀行に当座預金または準備預り金として預け入れなければならない最低金額を、「法定準備預金額」(または所要準備額)といいます。

この日銀の説明は、微妙に説明不足なのですが、それはおいておいて・・・。準備率の具体的な数字は、準備預金制度における準備率というページがありますので参照してください。0.05%~1.3%(預金の種類、額によって違う)ですので、まあ、1%位と考えていいでしょうか。具体的にどういうことかというと、この準備率を1%と仮定して、例えば私が100万円の現金を銀行に預金したとします。すると、銀行は、私に銀行預金100万円を発行し、現金は銀行のものにすると説明しました(銀行預金とは何だろう?)。この時、銀行は、私に銀行預金100万円を発行したので、その1%にあたる準備金を、日本銀行に預けなくてはならないということです。すなわち、銀行が手にした現金100万円のうち、1%の1万円を日銀に預ける必要があるのです。日銀には、各銀行の口座があり、その口座にあるおカネのことを、日銀当座預金と言いますが、銀行は現金1万円を日銀に持ち込むことによって、日銀当座預金1万円を発行してもらうわけです。準備預金制度の要求する1%の1万円の日銀当座預金があることで、私の銀行預金100万円を銀行が扱うことが合法化されます。

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この預金準備制度を別の見方で考えてみましょう。上記も下記もあくまで説明のためのモデルですので、実務では矛盾が生じる可能性がありますが、余り深く考えないでください。日銀当座預金に1万円があることで、私の100万円の銀行預金の存在が合法化されると言いました。であれば、日銀当座預金を2万円にしたらどうでしょうか。私から預かった100万円の現金(銀行のもの)のうち、1%の1万円ではなく、2万円を日銀に預け、日銀当座預金残高を2万円にするのです。すると、この銀行は、あと100万円の銀行預金を扱えるようなると考えることができます。そう、この銀行はこの状態で、例えばAさんが100万円の借金(シャッキン)を申し出て来たら、100万円の銀行預金を新規発行(信用創造)して貸し出すことができるのです。私の銀行預金が100万円、Aさんに貸し出した新規発行した銀行預金が100万円、併せて200万円の銀行預金をこの銀行は扱っており、日銀当座預金はその1%の2万円がちゃんと積んであるので、準備預金制度に合致している、ということで問題ありません。もちろん、もう1万円の現金を日銀当座預金に預けて、日銀当座預金残高を3万円にすれば、さらに100万円の銀行預金を新規発行(信用創造)できるので、別のBさんに100万円の銀行預金を貸し出すことができるという具合で、貸し出しによりどんどん銀行預金を(この世のおカネを)増やすことができるのです。ちなみにおおよそですが、このようにおカネが増えるということは、=経済成長を意味すると考えていいでしょう。

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ということで、私が何を説明したかったかと言うと、借金(シャッキン)=信用創造=おカネの創造=この世のおカネが増える・・・という相対性理論もびっくりのこの現実を、市中銀行が行っている法的根拠がこの預金準備制度に他ならないということです。

ただ、この信用創造の説明は、世間で普通に教えられている信用創造の説明とは全く違うと思われます。教科書的な信用創造の説明を次回お示ししますが、これがとても恣意的に、信用創造を誤解させるよう誘導しています。なんて、素人に言われていていいのでしょうか。それとも私が間違っている??とは絶対に思っていませんが、教科書が間違っているのか、私が間違っているのか、皆様さらにお勉強して判断してみてください。

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2019/08/13

借金(シャッキン)を正しく理解すること!

相対性理論を聞かされて、それが理解できる人はほとんどいないでしょう。時間が短くなる?空間がゆがむ??、何それ?、空間はゆがんでも空間では??とか素人の枠から出ることはたやすくありません。しかしある意味、借金(シャッキン)の仕組みを理解することは、それ以上に覚悟がいることかもしれません。とにかく常識から抜け出ないと理解できませんが、その常識を覆すことはたやすいことではないのです。何しろ、結構な経済の専門家も、大事なところで間違えていますから・・。

借金(シャッキン)の仕組み、特にたいした秘密はないような気がしますが、そんなことはありません。通常我々は、下の図のような理解をしていると思います。銀行が預金を集めて、その預金(現金)を我々が借りる。以上終了という感じでしょうか。まあこの説明、経済学の右回り左回りで間違いとは言えませんが、この理解では肝心なことが分かりませんし、誤りにも気づきません。

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まず、基本的なことをおさらいしましょう。我々が現金を銀行に預けた場合、我々には銀行預金というデジタルなおカネが発行され、現金そのものは銀行のものになるということでした(銀行預金とは何だろう?)。ですから、我々の銀行預金の額はそのままに、銀行の手持ちの現金を他人へ貸すことは可能です。が、銀行手持ちの現金は、そのままでは外に出してはいけないものでした(銀行に預けられた現金の秘密)。必ず、銀行預金の残高を減らす形で世に出る(現金をおろす)必要があるわけです。

と言うことで、私が例えば住宅ローンなどでおカネを借りる(借金シャッキンをする)時の仕組みをお話しします。といいつつ、実際の業務は知りませんので、多少の手順の違いはご了承ください。最も大事な事項、それは銀行が我々に貸してくれるおカネ、それが「銀行預金」であることです。住宅ローンで1000万円銀行から貸してもらえるとしたら、銀行預金を1000万円貸してもらえるのです。つまり、私の通帳に1000万円の印字がされ、銀行預金というデジタルなおカネが私に発行されるのです。決して、現金を直接借りているわけではありません。

そして、銀行はただで我々にお金を貸してくれるのかというともちろんそうではありません。担保などと言い出すとまた話がややこしくなりますが、基本的には私たちが書く、「必ず利息何%、月々何万円ずつ返済します」という借用証書という約束と引き換えに銀行預金を貸してもらえるということになります。ちなみにとっつきにくい話かもしれませんが、この借用証書は銀行にとって、資産となります。何しろその紙切れを持っていると、おカネが振り込まれてきますからね。

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ところで、よく世の中の借金(シャッキン)の解説をみていると、その貸し出しはほとんど現金を使って説明されています。貸し出されるおカネは銀行預金であるため、なぜ現金で説明されるのか不明ですし、むしろ理解を妨げています。あくまで現金で支払いが必要だということであれば、ただただ、借りた銀行預金を現金化(銀行預金残高をゼロにして銀行手持ちの現金を受け取る、いわゆる現金をおろす行為、または銀行預金と銀行手持ちの現金を交換する)するだけの話です。

さて問題は、私に発行された住宅ローンの1000万円の銀行預金ですが、一体どこから来たかということです。誰か他人の銀行預金を借りたのでしょうか。いやいや、もし誰かの銀行預金を借りたのであれば、その人の銀行預金が減ってしまうはずです。通常、「誰かに貸したので、あなたの預金は減りました」なんていうアナウンスを聞いたことがありませんし、実際に通帳の残高が減っていたなんていう経験はしていません。現実にこのおカネは誰からも借りていないのです。ではどこから来たのか。答えは、銀行が、新たに銀行預金を発行したのです。ありていの言葉で言えば、銀行が銀行預金というおカネを作り出して貸してくれるのです。わかります?。我々が銀行で借金(シャッキン)すると、銀行がこの世の「銀行預金」というおカネを増やして、我々に貸してくれるのです。こうして借金(シャッキン)によって銀行が銀行預金を増やすことを「信用創造」と呼びますが、英語ではmoney creation まさに貨幣創造と言うのです。

この信用創造については、また詳しくお話しするとして、借金(シャッキン)=おカネの創造、借金=おカネが増える、市中銀行がおカネを作って増やしている、ということを皆様ご存じだったでしょうか。ちなみに、借金の返済というのは、貸してくれていた人にお返しするイメージですが、実際は誰からも借りず、作り出されたものなので、返すわけではないのです。ただ単に、増やした銀行預金の残高を減らすだけです。借金を完済すると言うことは、借りたときに増えた銀行預金が、ゼロに減ると言うことです。借金の返済=おカネが減るってことも、皆様ご存じだったでしょうか。

借金(シャッキン)の仕組みをご理解いただけましたでしょうか。この銀行がかってにおカネを作り出す仕組みを信じることは、私的に、相対性理論の時間が短くなるなどという話よりも信じがたいというイメージでしたが、皆様はいかがでしょう。この仕組みを知っていない方が、全く嘘の情報を垂れ流していることがあるので、注意が必要です。ちなみに、政府が国債を発行して借金(シャッキン)をしても銀行預金は増えます。「家計の預金額を超えると、国債をこれ以上借りられないので破綻する」なんて良く聞きますが、別に家計の預金を借りているわけではなく、新規銀行預金の発行ですから関係ありませんし、国債発行でむしろ預金額は増えるので、家計の預金がどんどん減っていく事なんてあり得ないのです。

ということで、今後も信用創造の話、マネタリーベース、マネーストックの話などいっしょに勉強していきましょう。

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2019/08/06

銀行に預けられた現金の秘密

表題に掲げたような話は全く世の中に出てこないので、ここで書いておきます。世の中に出ないどころか、経済学の右回り左回りで、いかようにも説明できるため、経済を勉強している方でも勘違いされている方が少なくないお話です。

前回の「銀行預金とは何だろう?」を復習してみましょう。我々が現金を銀行に持ち込んだ場合、「現金を預かってもらう」というイメージですが、実際は違うという話でした。我々は「銀行預金」というデジタルな数字のおカネを発行してもらい(あえて言えば通帳への印字)、その代わり現金自体は銀行のものになるということでしたね。

非常に頭のいい方は、まるで現金が「銀行預金」と「現金」の2倍になったかのような話に聞こえるかもしれませんが、そうではありません。これは非常に難しく、この話こそ専門家でも勘違いしていることが多い事象です。別の機会にも話すと思いますが、今回はさわりを説明します。

ここで、大事なことを一つ説明し忘れていました。銀行預金というデジタルなおカネというのは、銀行が管理はしていますが、間違いなく我々のもの(資産)だと言うことです。決して銀行のものではありません。銀行にとっては、我々の銀行預金に利息を払わなければならないため、銀行のものどころか銀行にとっては「負債」となります。その代わり、預かった現金は「銀行のもの(資産)」と言うわけです。ですから、銀行にとって銀行預金を発行し現金を金庫にしまうというのは、ただただプラスマイナスゼロと言うだけで、決しておカネが2倍になった訳ではないのです(注1)。

さて、そこで表題の、銀行の「金庫の中の現金」ですが、これは絶対に銀行のものと言いきりました。であれば、銀行はこのおカネを自由に使うことができるのでしょうか。特に問題無く自由に使えそうですが、実はこれが全く自由には使えません。「金庫の中の現金」というのは、勝手に世に出して使ってはいけないおカネなのです。

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使えないお金である銀行の「金庫の中の現金」を、世間一般で使えるお金にするにはどうしたらいいのか。それは、我々が現金の預け入れをする行程と全く逆のことをすればいいのです。難しく考える必要はありません。我々が日常普通に行っている、「現金をおろす」行為を行えばいいのです。つまり、銀行の窓口でも、ATMでもいいですが、例えば、10万円の現金をおろすのです。そうすると、何かが変わっていませんか?。そう、例えば私が10万円をおろしたとしたら、私の銀行預金の残高が必ず10万円減っています。銀行の「金庫の中の現金」が世の中に出るためには、必ず誰かの銀行預金の残高を減らす、別のいい方をすれば、銀行預金との交換をする必要があるわけです。

先ほどの話と同じなのですが、銀行預金は銀行の負債、金庫の中の現金は銀行の資産ですから、銀行の資産の現金が外に出てしまう(銀行のものではなくなってしまう)代わりに、負債の銀行預金が減ってくれるので、銀行にとってはプラスマイナスゼロで損得ありません。どうしても銀行のおカネだからといって、銀行の支店長がそのお金を使いたくても、ちゃんと支店長の預金残高を減らさなくては、たばこもアイスも買いには行けないということです。

ちなみに、銀行は、金庫の中に現金をたくさん持っていると、銀行強盗などのリスクがあるからでしょう、あまり現金は持ちたくないようで、銀行の銀行と言える日本銀行(日銀)に現金を預けます。日本銀行には、各銀行の口座があり、その預金のことを日銀当座預金と言います。我々が銀行へ現金を預金し、現金を下ろすように、銀行は日本銀行に現金を預け、日銀当座預金をおろす形で、現金を調達するわけです。繰り返しますが、こうして調達した銀行手持ちの現金は、世間で使えませんからね。誰かが、銀行預金を減らす形でおろさないと、世に出ませんよ。

と、銀行手持ちの現金について書いてきたのですが、一般に、我々が銀行からおカネを借りる事を説明する場合、ごく普通に銀行から現金が貸し出されるモデルで説明されます。典型的な経済学の右回り左回りですが、銀行から直接現金は借りられません。なぜなら、誰かの銀行預金を減らさなければ現金は世の中から出てこないからですが、そのあたりの説明は次回です。そしてこれが、おカネのシステムの山ですが、ご興味のある方は、引き続き私と勉強しましょう。

(注1)若干説明不足の可能性がありますが、おいおいご理解いただけると思います。

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2019/07/29

「銀行預金」とは何だろう?

前回、一緒に「おカネ」の仕組みを勉強しましょうと投げかけさせていただきました。ということで、今回は「銀行預金」についてのお勉強です。現在、銀行に口座を持っていない人はほとんどいないと思いますが、さてさて、その仕組みについて正確な知識をお持ちでしょうか。

銀行預金?、そんなの、お金を銀行に預かってもらうこと・・・と漠然と思っているそこのあなた、私と一緒に勉強しましょう。仮に、私が100万円の現金を持っているとして、それを銀行に預かってもらいましょう。手順的には難しくないと思いますが、100万円の現金を銀行の窓口に持ち込みます。すると、預金通帳にお預かり金額として、1000000円の印字がされ、渡した現金は銀行の金庫に入れられます。まあ、実際の銀行の業務を知りませんので、本当に金庫があるのか?支店長の引き出しにでも現金を入れているのか?そのあたりはわかりませんが。ということで以上終わりです。

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そこで、皆様に質問です。この、金庫の中に入れられた、私が持ち込んだ100万円の現金は、一体誰のものでしょうか。

どうでしょう。我々の常識としては、「やっぱり100万円返してください。私が100万円を預けたことは、この預金通帳が証明しています」といえば、普通に100万円の現金を返してもらうことができるので、その現金は私のものと考えるのではないでしょうか。あくまで、預かってもらっているというイメージです。しかし、残念ながらこのイメージは完全に間違いです。

実は、銀行の金庫の中にある現金は、「銀行のもの」です。我々の常識として、銀行の窓口だろうが、ATMだろうが、間違いなく預けた額の現金を下ろすことができますから、間違いなく自分のものと考えてしまいますが、誰が何と言おうと、絶対に「銀行のもの」です。そんなこと言ったら、私の100万円は銀行に奪われたのか??と思ってしまいますが、もちろん、奪われたわけではありません。

銀行に現金を持ち込んだ時、現金を「銀行のもの」とする代わりに、我々は別のものを銀行からもらっています。・・・・?、いや、何ももらっていませんが・・・と思うのも無理ありませんが、実はもらっているのです。上記例なら、私の預金通帳への、お預かり金1000000円の印字です。えっ~!!印字!!!という叫び声が聞こえたような聞こえないような気がしますが、そういうことなのです。まあ、印字というと何ですが、銀行からもらったこの印字の数字そのものを「銀行預金」と呼ぶわけです。銀行は、我々が現金を持ち込んだ際、同額の銀行預金を発行しそれを預金通帳に印字します。その代わり、現金は銀行の資産とするわけです。そう、銀行預金とは、デジタルな「数字」のおカネにすぎません。

現在、クレジットカードでも、インターネットでの取引でも、この銀行預金のやり取りだけで、特に現金を介さなくても物を買うことができます。従って、銀行預金は通貨のようにふるまうので、「預金通貨」と呼ぶ場合もあります。

しかし、疑問がわいてくる方もいるでしょう。結局のところ、我々が銀行から発行された「銀行預金」の金額と、銀行の金庫にしまわれた「現金」の金額は同じになるわけだから、その金庫の現金は、やっぱり「自分のもの」と考えてもいいのではないか?と。しかし、残念ながらこれも間違いです。実は、銀行の金庫にある「現金(注1)」よりも「銀行預金(預金通貨)」の方が何倍も多いのです。何倍も多い以上、自分のものと主張することはできません。

なぜ、銀行の金庫にある「現金(注1)」よりも「銀行預金(預金通貨)」の方が何倍も多いのか?。「あっ、そうか。銀行は、集めた現金を貸し出しに使っているから減るんだ・・・」なんて考えられた方は、素晴らしい発想、お考えですが、これがまた、全くの「大大大大大勘違い」で、この勘違いが「おカネの仕組み」を根本から理解しにくくしてしまっている・・・・というような話は次回以降に。

(注1:実際はマネタリーベースと定義されるおカネであり、預かった現金だけではありませんが、説明はおいおい。)

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2019/07/25

経済学の右回り左回り

非常に不思議なことだと思うのですが、経済のシステムを作り出したのは間違いなく人間なのに、そのシステムを人間は正確に説明できないのです。その証拠に、ノーベル経済学賞なるものがあり、なんだか難しいそのシステムの一部を解明すると世間から褒め称えられるという具合です。私なんかは素人ですから、経済学なんて難しいことは勉強しようせず、我々に身近な、「おカネ」の仕組みぐらいは理解してやろうと思って日々精進しておりました。しかし、それこそ「おカネ」のシステムなんて、間違いなく人間が作ったに決まっているのに、意外とその説明は専門家によってバラバラです。ましてや我々素人が、当たり前のように日々銀行と関わったり、店で買い物をしたりしているにもかかわらず、「おカネ」のことを何も理解していないのは言うに及びません。

そこで、誤ってこのブログに迷い込んでしまった方々、私と一緒に「おカネ」のシステムを勉強しましょう。一応スタイルとしては私が学んだことをセンセーショナルに??、要するに、我々の常識と対比させる形で説明します。

ただ、上で書いたように、我々素人の発想はともかく、勉強を進めてみると、専門家の中にも微妙な説明をしている方々が少なくありません。専門家、それは普通に経済学を学んだ人という普通の人に近い人だけでなく、エコノミスト、経済評論家、大学教授という専門職の方々も実に微妙です。微妙というのは経済学的な事象を説明するのに、通常その筋道は1本のはずですが、Aという説明とBという説明、全く違いそうな2通りの説明が存在し、素人的には入り口が違うためにかなりの混乱をきたしてしまう羽目に陥ります。私はそれを、「経済学の右回り左回り」と呼んである意味経済学を揶揄しています。つまり、右に行くか左に行くかで結論が全く違うところに行ってしまいそうですが、結果、説明のゴールは同じということですね。

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しかし、経済学的な説明のゴールは同じであったとしても、往々にして、「手順や概要に大きな間違いはないが、その説明だと大事なことを見落としたり理解できなかったりする」という説明が少なくありません。さらにそんな微妙を通り越えて、「明確な誤り」も素人の私が言うのもなんですがいくつも存在します。一見すると、右回りの説明は、理にかなっていて正しゴールにたどり着けそう、左回りの説明は、トンデモで崖から落ちそうと思われる論争が、実は全く逆ということがあるのです。これらはもともとゴールの違う説明なのですけど、こういう事象も「経済学の右回り左回り」と呼ぶことにしましょう。

なぜこの「経済学の右回り左回り」を最初に強調するかというと、経済学が科学なのであれば、誤りは正されなくてはなりませんが、これが経済学には特に多いのが不思議ですが、そうそうたやすく「誤り」が正されないという面が強いからです。経済は、我々の生活に直結するにも関わらずです。恐ろしいですね。

最後に、経済学の右回りでも左回りとも言えない、ただの典型例な誤りの例を挙げておきましょう。下の文章は、財務省の政治家に対するご説明のようです。日本で一番頭の良い方々であらしゃります財務官僚の方々のご説明ですからね。

「政府は国債発行で国民の預金を借りている。高齢化で国民が預金を取り崩すと、借りるおカネが無くなり破綻する」

国債云々や破綻の話も間違いかと思われますが、素人にもわかりそうな明らかな間違いを一つ指摘しておきます。高齢化で、ある国民が預金を取り崩して何かに使ってしまったとしても、そのお金は消えるわけでなく、別の誰かの預金になるだけです。お金は無くなりません。以上。興味を持たれた方、一緒に勉強しましょう。

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2019/07/23

ブログ開設15周年!!

 毎度おなじみ、最近は全く更新もしておりませんが、この記事だけは書かねばなりません、開設記念シリーズの季節が参りました。7/25で、当ブログ「彰の介の証言」は15周年を迎えます。

 過去、この何周年シリーズや、年末年始のご挨拶記事で、今年こそはこれを書くぞ!的な記事を何度も上げてきましたが、すべて実行には移されませんでした(大笑)。ということで、今年こそは、ちょいと新たなシリーズものを書こうかと考えております(本当か?)。書こうとしているのは、「経済学シリーズ」。といっても、私も専門ではないので、主に「おカネの仕組み」について勉強したことをまとめる形で書いていこうと思っています。その目的は、ずばり、「日本経済を立て直す」ため。その大障害、まさに中山の大竹柵、大生垣のごとき、「財政破綻論」を打破するために正しい知識を持ちましょうというのが最大の狙い。といっても、このブログはほぼ誰も見られないので、影響は限りなくゼロであることは十分わかっておりますが、もう、何もせずではおられません。

 緊縮財政批判という意味では、山本太郎氏が出現しましたが、しかし、その支持層が明確におカネの仕組みを理解しているとは思えません。彼自身もおそらく積極財政するための財源は国債発行でいいということを理解しているにも関わらず、選挙でそれを前面に押し出したわけではなく、法人税増税、所得税累進強化を強調しました。それ自体は私も賛同しますが、その殻からもう一歩出ないと大きな波にはなりずらいと考えるところです。

 ということで、誤ってこのページを見てしまった方、ちょいと一緒に経済の勉強をしてみませんか。上記の通り、本当にそれが実行されるのか、極めて不透明ではありますが・・・・。始めてみてすぐ更新が滞ったり・・・。ありそうですなあ・・・。やるやる詐欺・・・・。

 でも、これだけははっきり宣言しておきます。

 閉鎖しないよ。

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2019/01/02

平成に無くなったもの

本年も絶滅危惧種の彰の介の証言よろしくお願いいたします。
と、長く記事を書いていないことをしら~と無視して、早速本文へ。

平成に無くなってしまったと感じる2つのことを書いておきます。

一つは、いわゆる「結婚式」。
もちろん、結婚式は無くなっていないと思いますが、その形態は大きく様変わりしていませんか?
ほんの少し前は、ちゃんと仲人(なこうど)を立てていたと思いますが、間違いなくこの仲人は絶滅。
しかも、我々の時代、職場の上司を呼ぶのが当然だったわけですが、私の周りでは、ほぼ消滅。
気心の知れた仲間内のみ呼ばれるとか、披露宴自体堅苦しくない1.5次会的なものに変わってきている感じでしょうか。そもそも、身内だけというのも少なくないのかな?
というか、というか、その、どうも邪魔にされている、上司的な地位になって、ほとんど結婚式に呼ばれない・・のが悲しくてつまらないと感じる今日この頃でございます。

もう一つが、いわゆる「お葬式」。
現在、ほぼ、家族葬ではありませんか?
私の田舎では、そもそも葬式は一大イベントであり、
近所中の人が集まって食事を作り、振る舞うのが慣習となっていました。
そんなことも含めて、ほぼ大きく行う葬式は消滅傾向であり、
人を呼ばない葬式が普通になってきている様な気がします。

いずれも、なんとなく、人と人との関わり合いの煩わしさからきているのかなあと思わなくもなく、
いいんだか悪いんだか、
はっきりいって、楽でいいような、
つながりがどんどん希薄になってよくないような、
なんとなく複雑な気持ちの私でございます。

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2018/08/21

(再)メジャーマイナー論

 私立の地元色の薄い学校が活躍することの多い昨今の高校野球で、公立の農業高校、金足農業が大活躍しています。無論、頑張っているのはみな同じで、地元も、他県も、私立も、公立もないわけですが、火が付くと、そこだけを応援してしまう報道姿勢にはいい加減辟易です。
 ということで、全く検索もできなくなっているので、このえこひいき報道への批判?考え方?屁理屈?である、私のものすごく古い記事をここに(少し改変して:古い部分は注を入れました)再掲します。今も昔も全く変わっていないのがよくわかりますねえ。


 メジャーマイナー論 2004/11/27の記事
 
 メジャーマイナー論とは何か。簡単に言うと、多くの人から応援されたり勝って欲しいと思われる人やチームをメジャー、逆にメジャーの引き立て役になったり、負けて欲しいと思われる人をマイナーと呼ぶ私の造語です。時にマイナーというのは不当に悪役にされたり、報道されたりするので、その救済っていうのがメジャーマイナー論の1つの主旨であり、また、人間というものは常にマイナーへ落とされる可能性があり、その精神論を唱えるのも、メジャーマイナー論です。
 
 具体的な例を1つ。ただいま、女子プロゴルフの賞金王争いが熾烈になっています(注:当時の話です)。女王不動(ふどう)か、新生宮里(みやさと)か、明日のリコー杯の結果にかかっています。この二人の真剣勝負・・・、と言いたいところですが、どうも世間では、どちらかというと宮里藍に逆転で賞金女王になってもらいたいと言う雰囲気が強いように思われます。この、賞金女王になってもらいたいという立場にたった宮里のことをメジャーと呼んで、逆に負けて欲しいと思われている不動の立場をマイナーと呼んでいるわけです。これが如実に現れているのがテレビやら、新聞などの報道です。とても平等にどちらが勝つかなんて感じではありません。逆転賞金女王誕生といわんばかりの雰囲気でニュースで紹介され、新聞に書かれています。一見すると、「そんなに偏った報道ではないのでは?」と思うかもしれませんが、それは気持ちの上で宮里が勝ったらいいなって思いつつ新聞なんかを見れば偏りは感じないかもしれません。おそらく不動ファンの立場から見ると失礼なって感じがするのではないでしょうか。ちなみに私は宮里藍と結婚したいぐらいの宮里ファンなんですが(本気!)、残念ながら私の性分なんでしょうか、このメジャーマイナー論が染み付いている私は、このようなメジャーマイナー化が起きてしまった時点で賞金女王は不動さんになってもらいたいと思ってしまうんですね。そうでなくても、もう少し報道は世間受けではなくて、メジャーマイナー論的な意味で平等に扱えないものかと怒りを覚えるわけです。これは判官びいきではありません。判官びいきは、判官びいきされている人がメジャーですから、ちょっと違います。
 
 こんなメジャーマイナー論的な例はスポーツ等勝負の世界でよくみられます。相撲の世界でいうと、「小錦(注:ハワイ出身の巨漢力士)」、今風に言うとKONISIKI?なんかはマイナーの典型だったでしょう。とにかく彼が勝つと場内にため息が漏れ、負けると割れんばかりの拍手で包まれる。あんな状況でよく戦っていたものだと感心したくなります。しかし、皮肉なことに、彼は大関を陥落し、負けがこむようになったら半メジャー化し、全く逆の状況になりました。つまり、弱い小錦なら受け入れるってことですから世間は厳しいものです。
 
 私の大好きな将棋の世界でもありました。羽生善治が前人未踏の7冠(注:永世7冠ではない)達成目前のとき、羽生君がメジャー化、相手の谷川浩司がマイナー化しました。将棋なんて全く知らない世間の人が、なんかかわいらしい天才が偉業を達成しそうだぐらいのノリで羽生君を応援し、戦っている最中なのにもう7冠達成みたいな報道がされました。谷川浩司って知らない人が多いかもしれませんが、十七世名人の称号を持っているえらい棋士なんです。ちなみに羽生君は永世名人の称号は持っていません。どちらかと言えばメジャーな道を歩んできたはずの谷川浩司が突然世間から仇役にされたときはどんな気持ちだったんでしょうか。自分が負けたほうが世間は喜ぶんですから・・・。
 
 もしかすると、皆さんの中には、「勝負の世界であれば、世間からどう言われようと、どう思われようと、勝てばいいじゃないか」と思われたかもしれません。それはそれでおっしゃるとおりです。そんな逆境の中で負けたとき、世間が冷たくて・・・なんて言い訳にもなりませんし、勝負自体には何も不正やハンディはないのですから。また、応援するのにも、「宮里と結婚したいんだったら、普通に宮里を応援すればいいじゃん」と思われたかもしれません。それもまたおっしゃるとおり。ファンなのに応援しない方がおかしいといわれれば確かにそのとおりです。それを、全く否定するつもりはありません。それはそれ、そんな状況に遭遇すると、いつもの私の屁理屈的な思考が動き出してしまうのです。私は、マイナー落ちした人を応援したいんです。不当な報道に物が言いたいんです。世間の向いてる方向の逆を向きたいんです。なぜって、それは、「そこにマイナー落ちした人がいるから」としか言いようがありません・・・。

 追記:コメント欄より
 (上記記事の主旨は)主に報道に対する不満ですね。あるいはそんな報道に乗せられるのではなく、純粋に勝負として、勝負している当人の背景をよく知ろうよ、という訴えです。それを大げさに、極端に、「マイナー落ちした人を応援」としました。

 メジャーマイナー論と報道のセンス 2006/8/25の記事

  「時を考える」さんが何で勝った人を褒めないの?という記事をアップされています。先日の高校総体で、卓球の愛ちゃんが負けちゃったという報道がされたのですが(注:愛ちゃん=福原愛 当時高校生)、勝った相手の宇土さんが全く相手にされていないと言う話です。これは、私が勝手に提唱するメジャーマイナー論の一端と考えていいでしょうか?(注:上記記事)。

 メジャーマイナー論の説明を、前の記事から簡単に抜粋して整理すると、

多くの人から応援されたり勝って欲しいと思われる人やチームをメジャー、逆にメジャーの引き立て役になったり、負けて欲しいと思われる人やチームをマイナーと呼ぶ。時にマイナーというのは不当に悪役にされたり、報道されたりするので、その救済がメジャーマイナー論の1つの主旨であり、また、人間というものは常にマイナーへ落とされる可能性があり、その精神論を唱えるのも、メジャーマイナー論である。(マイナーへの考え方であり、メジャーにケチをつけるのが主旨ではない)
 
 ちょっとパターンは違うかもしれませんが、上記愛ちゃんのニュースで言えば、愛ちゃんがメジャー、宇土さんがマイナーであり、愛ちゃんに勝ってみごと優勝したのにもかかわらず、愛ちゃんが負けたことをより強調するための引き立て役にされただけで、たたえられるわけでもなんでもないということです。勝手に想像するに、次回この両者が対戦すれば、より愛ちゃんがメジャー、宇土さんがマイナー化されて報道されるでしょう。リベンジして愛ちゃんが勝ったりすれば、まさに仇を討ったような話になってしまうことは想像に難くありません。勝っても負けても、引き立て役に過ぎない、そんな役柄を作り出してしまう報道というのはどうなんでしょうね。それとも、報道が悪いというより、メジャーをより引きたてる報道を欲している、我々の側に問題があるのでしょうか。

 ところで、先日の高校野球(注:2006年当時です)では、日本中に大ブームを起こした?人物が現れました。もちろんその人は、ハンカチ王子こと早実の斎藤佑樹投手です。その端正なマスクに溢れる汗を、ハンカチで拭う姿がとてもかわいいという話ばかりでなく、歴代の大投手ともひけをとらないその活躍に、彼は連日ワイドショーで取り上げられることになりました。
 
 その活躍や、彼の甘いマスクを嫉妬こそすれ(笑)、否定するつもりは全くありませんが、メジャーマイナー論的には、彼への報道というものは、実に危ういものだったと感じています。要するに、彼は事実上メジャー化してしまったわけですが、彼の人気をあおればあおるほど、相手の駒大苫小牧高校や、そのエース田中投手がマイナー化するという現実があったということです。まあ、双方の活躍をたたえるということで、ぎりぎり、ひどいメジャーマイナー化は抑えられたかも・・とは思っていますが、そんな危機感が報道にあったかどうかは疑問の残るところです。特に、斎藤投手がワイドショーに取り上げられたのが、決勝戦当日の朝、さらに、引き分け再試合となったその当日の朝であったことは、その危機感のなさ報道のセンスのなさを非常によく表していると考えます。互いに全力を尽くして戦おうとしているその当日に、斎藤投手のいとこからハンカチの出所を聞き出したり、同級生に斎藤投手がどんな少年だったかを聞き出すインタビューを報道するなんて、危機感もセンスも何もないと考えるのは私だけなのでしょうか。いずれにしても、駒大苫小牧高校および田中投手が、早実および斎藤投手の引き立て役になりかけた事実は、メジャーマイナー論的に見逃すわけにはいかないのです。

 しかし恐ろしいのは、ハンカチ王子というメジャーが現れたからこそ駒大がマイナー化したわけですが、一歩間違えば、駒大がメジャー化し、相手チームがマイナー化したかもしれないということを考えなくてはなりません。特に今大会では、駒大が「甲子園夏三連覇」という大偉業を抱えていましたし、さらに春の選抜を不祥事で辞退していましたから、「そのつらさを乗り越えた」な~んてことを大々的に報道すれば、優勝してもしなくても、相手チームがただの引き立て役につくりあげられた可能性は十分にあったと考えられます。
 
 まあ、偏屈な私が、そんななかったことまで心配してしまって、報道の皆さんには申し訳ありませんが(笑)、残念ながら、現在の報道にメジャーマイナー論的視点はほとんどなく、話題性や視聴率が上がればいいというのが現実でしょう。「自分が負けると、世間が喜ぶ」というマイナー化は、勝負師であれば乗り越えなくてはならないものかもしれませんが、しかし、自分達がメジャーやマイナーを創り出しているという危機感を、報道には常に持ち続けていただきたいと考えている、偏屈男の彰の介でした。

 追記:マイナー化されかけた、田中投手は、その後メジャーに行ってしまいました(失笑)。
おあとがよろしいようで・・・・。

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2018/08/07

ブログ開設14周年!!

 全然更新していない状況で、しら~っとこの記事を立ち上げている私をお許しください。まあ、許すも許さないも、ネットの片隅で全く見られていないブログですので、問題ないと思うのですが。と言うことで、誰に向かって書いているか不明ですが、今年も7月25日をもちまして、ブログ開設記念日、今年で第14回目を迎えることができました。

 再度、全く記事を書いていないことは知らんぷりをしながら、近況を書きますと、仕事がなかなかに大変で、時間がないのが実情です。勿論ネットは見ていますし、いろんな意見を見聞きしています。どちらかというと最近は、活字よりも動画サイトの方に意見発信が多いのでしょうか。いずれにしても、日本国内の言論空間で、様々なねじれ現象が起きていると感じています。マスコミやら世間一般の表面に出てきている意見と、実際の多くの人々の意見が決して一致していない。自分の意見=正義という考え方(それ自体は当然も、それによって盲目になる考え方)が強すぎて議論にならない。で、よ~く見ていると、対立する意見の人たちが、互いに罵り合いながら、180度回って同じことを言っていたりする・・・・そんなのを見ると本当に笑えます(むむむ?180度?それぞれ90度か。どうでもいい・・・)。14年前に我々が書き始めた、マスコミの問題や、言論の在り方の問題は、正直何一つ変わっていないと言ってもいいのかな。

 まあ、それでもいいのか、やっぱり悪いのかよくわかりません。だって、民主主義を前提とするのであれば、少数意見は、ひたすら我慢が正しい姿であり、それでいて、多数を取るための手段は、どんな汚い手をつかってもある程度許されるはずです。そんなある種の矛盾に、人は苦悩するはずなのに、私もよくわからないのに、そんな苦悩を感じないで、言いっぱなしの方々のなんと多いこと。そのあたり、言論の前提の前提に立ち返って考える必要性はないのかな?と思わずにはおれません。

 あれ?私に時間ないはずの割には、人の意見は見聞きしていると気づいた方、なんか久しぶりにべらべらと書き綴っているやないかとお感じの方、見逃してください。それでは次がいつになるかわかりませんが、本日はここまで。さようなら!! 

 でも閉鎖しないよ。

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2017/08/07

ブログ開設13周年!!

 まあ、とにかく、お久しぶりでございます。が、7月25日をもちまして、当ブログは、閉鎖されました・・・・、じゃなくて、開設13年を迎えました。最近全く記事を書いておりませんで、重病説も流れましたが??、私は健在でございます。

 毎年、この、開設記念日記事だけは、おちゃらけつつも書きつづけておりますが、本当は、いろいろと書きたいこともあるのです。素人は素人なりに、屁理屈屋は屁理屈屋なりにいろいろと考えております。なんとなく、ふつふつと書きたいという気持ちがわき上がってきましたので、次の記事は・・・・・、年末年始の挨拶記事・・・・、じゃないつもりとだけ書いておきます。

 と言うことで、引き続きの閉店セールにご期待ください。

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2017/01/03

平成29年明けましておめでとうございます

皆様、新年明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。
なんと、前回の記事が、ブログ開設12周年の記事。
以来、一切記事無しでございました。
事実上、半年間記事無し、閉店セールもびっくりでございます。

忘れた頃に記事を書こうと思っていたら、記事を書くことを忘れておりました・・・。
最近物忘れがひどくて困っております。
今年こそは、忘れた頃に記事を書いていこうと思っておりますが、
そう書いたことを忘れて、毎日記事書いていたらどうしよう・・・・・、
な~んて、あり得ませんが、
まあ、ここ数年間続けている、閉店セールをさらに継続していこうと考えております。
それでは皆様、この一年もよろしくお願いいたします。

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2016/09/18

ブログ開設12周年!!

7月25日で、本ブログ「彰の介の証言」は12周年を迎えることができました。
 
 恒例の一言・・・、12年の長きにわたりこのブログを続けてこられたのは、すべて、私、彰の介自身の頑張りがすべてでございます。

 といいつつ最近ではほぼ閉店セールとなっております。というか、そもそも、開設記念記事を書くのを2ヶ月放置するという前代未聞の状態でございます。

 これまた、毎回恒例の今後の抱負(実行されたためしなし)ですが、さらに磨きをかけた屁理屈を、時間があれば書いていきたいと思っています。正直言うと、相当に時間がない状態で、正規の仕事もためているというありさま。人生の引退が近いのかと思ったりもします。

 ということで、この記事そのものも誰も見ていないと思いますが、今後の彰の介の証言にこうご期待でございます。

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2016/05/03

多文化共生社会のウソと日本人の心

 多文化共生社会・・・いい言葉ですね。国際化、グローバル化などという言葉と同意語的に使われているような気がしますが、ともかくも、多くの外国人、多くの異文化の人々とそれぞれの文化を認め合い、幅広く交流が持てることはいいことですね。と、言いたいところですが、私の屁理屈的には日本人の多くが、これら、いい言葉を間違って理解しているような気がします。私のただの屁理屈で、杞憂であればいいのですが。

 同じではありませんが、文化の交流という意味で、「郷に入れば郷に従え」という言葉で考えてみましょう。わかりやすく、日本人が外国に行った場合を考えると、日本人の常識やルールで行動せず、その外国の習慣や文化、法律などに従って行動しろということになりましょうか。服装や、挨拶、マナー、食や宗教的タブーなど、気を付けなければいけないことは多々あると思います。

 日本人の誤った理解、それは、上記、日本人が外国に行った時に、いろいろと気を付けようと考えるのにもかかわらず、逆に外国人が日本に来た時にも、その外国人をおもんばかって対応しようと考えることです。「郷に入れば郷に従え」ですよ、日本に来た外国人は日本のルール、習慣に従わなければならないはずで、なんで日本に来た外国人をおもんばかって、その国のルールや習慣に合わせなければならないのですか?。

 私がその典型と考えるのが挨拶です。基本的に日本人は頭を下げて言葉で挨拶を交わします。決して、体が触れ合うような挨拶をしません。最もポピュラーな、肌と肌が触れ合う挨拶(表現が微妙ですが)といえば、握手ということになりますが、政治家や、芸能人?、大会社のビジネス的な場面??など特殊な場合を除いて、日本人に握手の習慣はありません。ましてや、初対面の女性に対して、私が握手を求めたとすれば、それをセクハラという人はいないとしても、なんとなく気持ち悪いと考えるのが普通ではないでしょうか。女性の手を握りたかったのか?と勘違いされるだけでしょうし、私に握手された女性は、トイレでしっかり手を洗うことになるのでしょう。

 ところが、握手どころか、国によっては、ハグをして顔をくっつけてチュッチュする挨拶(これも表現がなんですが)もあります。テレビなどで、外国の有名俳優などが来日した際、日本の女性にあの挨拶をしているのを時々見るのですが(一般に有名人にハグされて、女性は喜んでいる風ですが・・・)、本来、日本人に、特に男性が女性にそのような挨拶をすることは、上記の通り日本ではタブーなはずです。私はそんな場面を見るたびに、「強制わいせつ罪で逮捕しろ!」と叫んでいるのですが、残念ながら、その国の文化だからと漠然と受け入れてしまっており、日本の、日本人のタブーとして、日本人が外国人にアピールするなんてことは微塵もありませんね。

 要するに、日本人は、「郷に入れば郷に従え」ではないのです。とにかく、自国の文化は心の底に抑えこんで、他国の文化に合わせることしかしないのです。日本人が唯一、外国人に強制する日本の文化、それは、「玄関先で靴を脱がせる」、これだけです。まあ超屁理屈的には、「とにかく外国の文化に合わせる」という、相手に合わせるということが日本人の文化、日本人の心だと言ってしまえば終わりですが、外国人の考える国際化、グローバル化、多文化共生と、日本人の考える国際化、グローバル化、多文化共生には大きな隔たりがあるのは間違いないでしょう。

 そんな認識の違いがあることを全く考えずに、多文化共生がその言葉のイメージだけで、いいことだと考えるのは問題ではありませんか。昨今のヨーロッパ、そして、今後の日本における移民問題を考える前に、認識しなければいけないことだと思うのですがいかがでしょうか。

 たぶん、この話もう少し続けます。

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2016/04/13

目的と手段の混同とガソリンの燃費の話

 言論とは何のためにあるのかと言われれば、より良い目標・目的に向かっていく手段の選択のためという部分があります。しかし、往々にして議論が激しくなると、目標・目的を忘れ、手段のための手段が議論されることもあります。言論をふくめて、我々の個人、社会すべての行動は、常に「目的は何だったのか」というところへ立ち戻る必要があるのかもしれません。

 ちょっと屁理屈的な例を出してみましょう。表題のガソリンの燃費です。どうしても自動車を使わなくてはならない家庭において、少しでも家計を楽にするために、ガソリンの燃費をよくするということは当然考えることでしょう。昨今の自動車には、画面に燃費が表示されるものも少なくありません。ガソリン1リットル当たり何Km走ることができたかが、一目でわかるようになっています。

 一般に、ガソリンの燃費をよくするためにはどうしたらよいかといえば、急発進をしない、無駄に加速しない、できるだけ惰性で走るなどがあげられるでしょうか。私の乗っている自動車も燃費が表示されるため、燃費の上下に一喜一憂している自分に気が付きました。

 そして、ごく当たり前のことなのですが、この燃費を上げるためには、信号のできるだけ少ない大きな道を使うということがあります。裏道のような細かい道を、止まり止まりしながらこちょこちょと運転するよりも、高速道路のような、あるいは高架された国道のような大きな道の方がはるかに燃費の数値は良くなります。ということで、私は無意識のうちに高速道路の無料区間を通勤に使うようになり、行先によっては、200円ほどかかる有料区間を使うようになりました。そして、表示される燃費が上昇するたびに、「家計にやさしいし、エコだなあ・・・」と悦に入っていたのです。

 しかし、ある時、はたと我に返りました。この高速の無料区間、少し通常の通勤道路よりも離れているのです。つまり、大回りしているのです。従って、この道路を使うことで、間違いなく燃費は上がりますが、大回りしている分、実際のガソリンの使用量が減っているのかどうかは全く分からないのです(細かく計算したり、統計を出したりすればわかるのでしょうが)。

 そう、今回の屁理屈的お話において、目的はガソリンの使用量を減らして、ガソリン代を減らすことであったはずなのに、私はその一指標である、燃費を上昇させることに一生懸命だったわけです。燃費がいい=ガソリンの使用量が少ないとは言えません。ましてや、有料区間を使ってしまったら、家計にやさしいも何もあったものではありません。

 もし、ガソリン代を少しでも減らすというということこそが目的であるということをしっかりわかっていれば、近くへの買い物は歩いていくなど、無駄に自動車は使わないという手段も出てきます。燃費というのはあくまで一指標であり、それが目的にかなっているかどうかは、ちゃんと計算して、数字を解釈しないといけないというお話です。

 まあ、屁理屈話といったのは、もっと大きな目的と現実も考えなくてはならないという話です。そもそも、自動車という大きな買い物をした時点で、よほどの長距離を運転しない限り、ガソリン代云々というのは誤差範囲かもしれません。自動車は100万円~するわけですし、さらに燃費をよくするためにハイブリット車を買ったとすると、普通のガソリン車より数十万円くらい高いでしょうか。それをガソリンで元を取ろうとするのは無理があります。また、生活の質を上げるために自動車を買うわけですから、今度はガソリン代に固執して、それこそ重い荷物を抱えて、ある程度の距離を歩き、大変な思いをしながら買い物をすることに意味があるのかないのかも考えなければなりません。そういう意味では、常に目的と手段を総合的に見直す必要性があるという話です。

 人間というものは、しょっちゅう目的と手段を混同してしまいます。そしていつの間にか手段のために意味のない行動をとっていることもあります。小さい話であれば、上記のようなガソリン代と燃費の話、大きな話であれば、世界大戦のような戦争(一体何のために戦っているのかわからなくなっているのに総力戦になってしまう)まであります。そして、言論というのも同じ状況に陥っているのを非常によく見かけます。相手の手段を否定することだけに固執して、肝心の目的の達成のための議論が全く進まない。無理に批判し合うから、それぞれ相手をバカだ、嘘つきだとやり合う・・・。

 そのあたりは、過去に書いてきたとおり、どこまで行っても正しいか間違っているかわからない曖昧論の世界であり、言論の自由の下では、究極的には何でもありというのが私の立場ですが、意見を発信する以上、目的を見失わないようにしましょうというのが本日のまとめになりますか。

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«民意とエリートと衆愚政治