2008/05/04

神頼みと宗教観(3)

 それで、続きの「非科学的」なお話。
 書きながら、私は基本的に科学者の範疇に入る「医師なのか」ということを自問自答しております。おっと、科学的思考のできない、やぶ医者だということを今更ながら思い出しました・・・。

 妻の病気に関して、まるでそれを予言するかのようなことがいくつかあったわけですが(前回)、その他にも、それほど連絡を取っていなかったような妻の友達から突然電話が入るなど、なんかいろいろと不思議なことはありました。

 私にとっての究極の「非科学的」な話といえば、実家にかえって、父の遺影に向き合ったときのことです。遺影ですから、父の晴れ姿の時の、何とも言えないいい表情をしている写真が使われているわけですが、妻の無事を祈ろうとしたとき、何となくその写真の表情が変わったように感じられたのです。それはもう優しい表情で私に語りかけてきました。といって、なにか聞こえてきたわけでもなく、実際に写真の口が動いたわけでもないのですが、「心配するな、大丈夫だ」というメッセージを間違いなく感じ取りました。

 まあ、究極の非科学ではありますが、妻にはそのまま報告しました。当たり前の話ですが、父からのメッセージを受け取ったからと言って、妻の病気に関して私が全く安心しきってしまったかと言えば、もちろんそんなことはありません。実際手術が終わり、病理所見の報告が終わってやっと安心したのは当然のことです。しかし、重くどんよりとした気持ちの中で、少し晴れ間が差したような気分になり、大変気持ちが楽になったことを思い出します。

 ということで、やっとスピリチュアル番組の非科学性を理由とした批判の話になるわけですが、前回も書いたように、上記のような私の気持ちを、わざわざ「非科学的だ」と批判されることは、本当に大きなお世話です。
 「あんた、そんなこと本気で思っていると、霊感商法にひっかかっちゃうよ」と言われるかもしれません。しかし、だとすると、ひっかからないようにするためには、父が死んだら、もう霊とか千の風にもならず、存在しないのだから、墓参りも不要、仏壇も不要、そもそも先祖を敬う心があるから、霊感商法にひっかかるという理屈になってしまいます。しかし、一般の日本人の宗教観は当然ながらそこまでドライではありません。

 日本人にとって最大の問題は、あの程度のスピリチュアル番組で、霊感商法が成立するような、軟弱な宗教しか世間に存在しないこと、そして、個人個人が、霊感商法を跳ね返すだけの宗教観を持ち合わせていないことでしょう。まさに私もそういう典型的な日本人です。本来、迷いが生じたとき、相談すべき寺の住職は、お酒に高級車、何かといえば寄付のお話しばかりで、全く頼りにもなりません。まさに葬式と法事のためだけの存在です。個人的には、強い信仰心も宗教心もありません。まさに、上記のような非科学的話をかぎつけられれば、霊感商法の餌食になる下地は十分に持ち合わせているといえるでしょう。
 
 しかし、信仰心が少ないとはいえ、先祖の霊は我々を見守ってくれていると漠然と感じていますし、一般的宗教的慣習を、しなくていいとは思いません。その昔、上岡龍太郎が、葬式やお墓は無駄だとして、「私が死んだら、遺骸をゴミ出しに出してくれればいい」なんて冗談を言っていましたが、さすがに法律的に問題がないと仮定しても、私にそこまでできるドライさはありませんね。
 つまり、「非科学的」だとする批判は、日本人の基本的宗教心の批判につながるわけで、理論的におかしいと感じますし、スピリチュアル番組をやめれば霊感商法が無くなるかと言えば、まったく根本的解決にならないことは明らかだと感じるわけです。

 ということで、私が一体、何が言いたいのか、さっぱりわからないあなた、本日から「彰の介教」に入ることをおすすめします。入会金は、一口10万円、何口でもいいのですが、多ければ多いほど、神のご加護が得られると思いますよ・・・・。壺も販売中・・・。

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2008/05/03

神頼みと宗教観(2)

 前回に引き続き、「非科学的」なお話です。私の妻が病気で手術することになったのですが、何となくそれを予言するような、警告するような・・・、と勝手に考えている出来事がいくつかありました。

 一つは、亡くなった父から譲り受けていた、自動車のお話。とある日に、運転席側の窓ガラスを下げたら、上がらなくなってしまう故障に見舞われました。ボタンを何度操作しても何ともいうことをききません。それが夜だったので、とりあえず、その上がらなくなった窓をあげてもらおうと、近くの修理工場でみてもらったのですが、コレがまたびくともしません。結論的には、ベルトが何かに引っかかっているという話になり、正規の工場でみてもらうと言う話になり、その晩は、開いた窓にゴミ袋を覆って雨風を防ぐという、何ともみすぼらしい状態になってしまいました。
 
 ところが、これがまた、翌日、何気なく窓ガラスをあげるボタンを操作すると何事もなかったかのように、ヒューッと窓が上がるではありませんか。昨日は一体何だったのだろう・・・。

 その後、窓を決して下げないようにしていたので何事もなかったのですが、今度は、冷却水減少の警告ランプが頻回につくようになりました。これまた近くの工場で、冷却水を入れてもらったのですが、あっという間にまた警告ランプが点灯しました。さすがに観念して、正規工場に修理を依頼したところ、どこかよくわかりませんが、水漏れしていることが判明しました。正直、故障の連続に、そのまま下取りしてもらって、新車を買おうかなんて話まで出たのですが・・・。

 結局その車を修理してもらい、その車を取りに行ったときのこと、なぜか、「数珠」が座席においてあります。「コレなんですか?」と車屋に聞いても、「もともとこの車の中にあったものではないのですか?」といわれるだけです。明らかに私の知らない数珠なので、不思議に思ったのですが、おそらく、運転席のドアの窓を修理したとき、座席下のもの入れの中にでも入っていて埋もれていた、もともと父の使っていた数珠だったでしょう。
 雰囲気が伝わらないかもしれませんが、父の使っていたと思われる数珠が突然出てくるというのは、それが数珠なだけに、なーんとなく引っかかるものを感じました。
 
 勝手な想像ではありますが、今から思うと、変な車の故障や、突然のこの数珠の出現は、天国の父が、妻の病気を警告していたような、そんな気がしてなりません。

 その後、もう一つ、振り返ってみてもしかしてと思った出来事が、幸福の木の開花です。偶然といえば偶然、考えすぎといえば考えすぎ、しかし、妻の病気が発見されるまさにそのとき、10年に一度とも言われる花が咲いたのです。何となく警告、何となくちゃんと治療すれば大丈夫だよということを、木自身が全エネルギーを使って教えてくれていたのではないのかと、勝手に想像しています。

 なーんて、極めて「非科学的」な想像で、全く根拠のない、上記のようなことを書くと、霊感商法の手助けになるからいかんとしかられるのでしょうか。
 「おいおい、ただ車が故障して、木に花が咲いただけだろう」と言われればそれまでの話です。それまでですが、上記のような想像をするのは、私の基本的な宗教心に基づく、私自身の勝手な想像であり、もし「非科学的だ」と、わざわざ非難されるようなら、正直大きなお世話だと言いたくなります。

 まあ、こういう私の勝手な話題を書くのもご迷惑かと思いますが、もう少し引っ張らせてもらいます。もう一点、私の感じた、「非科学的」事実を書かせていただき、やっと結論にいけるかどうか・・・。

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2008/05/01

神頼みと宗教観

 昨今、エハラー等の出演に代表されるいわゆるスピリチュアル番組が人気でしたが(今も人気あるかも)、番組そのものの行き過ぎた演出、非科学性を批判されることがありました。さらには、ああいう番組そのものが、霊感商法などに利用されることもあり、放送すべきでないという意見もあったようです。私も、行き過ぎや決めつけはいけないとは思っていますが、「非科学的」ということを理由にした批判には、もの申したい年頃です(笑)。中年・・。おじさん・・・。

 またしても、個人情報に触れますが、昨年後半に、私は父を亡くしたのですが(前回記事)、さらに今年に入って私の身辺に激震が走りました。前々回記事に書きかけたのですが、実は妻の体にガンが見つかり、手術することになったのです。一応、医師であるところの私は、へいぜいを装っていたつもりでしたが、周りから診れば、目がつり上がってしまっていたかもしれません。

 家族を含めた周囲の人間が浮き足立ってしまっていたのですから、当の本人の心境は推測すらできません。が、とにかく、彼女の口から出てきたのは、私の実家に帰り、墓参りをして、さらに父の遺影にも手を合わせたいということでした。墓参りすることや、仏壇に手を合わせることは、常識的に言って別に悪いことではありません。私も協力して、墓掃除をし、妻と一緒に手術の成功をご先祖様に祈りました。
 
 さらに、彼女は、家族からもらったガン封じのお守りと、私が近くの神社で買い求めた、身代わり人形のお守りを、肌身離さず、手術前も手術後も、持っていました。今でも大事にしています。決して特別な信仰心があったとは思われない、普通の日本人である私の妻ですが、極限とも思われる状況の中で、神頼みして自分に降りかかった災難と闘っていこうとするその気持ちは、ごくごく当たり前のものだと思うのです。

 まあ、こんな話とごちゃごちゃにするのは、ある意味極めて不謹慎ではあるのですが、冒頭に書いた、「非科学的」な事に対する批判こそ、行き過ぎるのは問題があると考えるわけです。「先祖の霊にお祈りする」という、極めて普通の行動も、考えようによっては、極めて「非科学的」なことです。ましてや、神社のお守りというものが、科学的に病気を治す効力があると証明されているものでないことは明らかです。

 ご批判覚悟で言うならば、正直、霊感商法で売られる壺も、神社のお守りも、「科学」的見知から言えば同じたぐいのものでしょう。「江原さんは何も見えていないから騙されるな」と批判するのであれば、「先祖の霊なんていないのだから、先祖に手を合わせるなんてナンセンスだ」としっかり訴えるべきです。一般の、普通の日本人が持ち合わせる宗教心の上に、霊感商法のあくどい連中の口説き文句があり、江原さんの透視の言葉があるのですから、「非科学」を強調した批判は、イコール、日本人の普通の宗教心に対する批判そのものだと考えるのです。

 で、結論が「霊感商法の正当化」でも、「江原さんはちゃんと見えている」ということでもないことだけは強調しておきます。結論にいく前に、いろいろと非科学的な出来事を次回にも書かせていただき、非科学批判に反論していきたいと思っています。ちなみに、私の妻の手術は順調に終わりました。極めて非科学的なことではありますが、「天国の父が助けてくれた」と、私は本気で信じています。

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2008/04/29

アテにならない病院ランキング

 私は、職業柄やぶ医者をやっている関係で、書店に並んでいる「病院ランキング」や「名医紹介」のたぐいの書籍を見つけると、一通り目を通す癖がついています。むろん、若輩の私がそんな書籍で紹介されるわけもないわけですが、特に自分が専門としている分野のランキングや、勤めている病院、出身の大学病院の評価などは気になるものです。しかし、この病院ランキングほどアテにならないものも無いのです。

 あまり個人情報的なことは、書くべきでないと思いつつ、書いてしましますが、昨年後半から、私の身辺にいろいろなことが起きたということを、前回の幸福の木の花で書きました。その最大の出来事が、父の死でした。私の父は、肝臓が悪く、肝硬変、肝臓癌となり、体力が衰えたとが原因となり、別の病気で亡くなったのですが、この肝臓の治療を、まあ、その地方ではかなり肝ガンの症例をこなしている先生に診てもらっていたのです。

 しかし、その別の病気にかかり、別の医療機関で治療することになったとき、改めて肝臓の評価をしてもらったのですが、その父のかかりつけの先生が「肝臓癌はよく診ていてくれたが、肝臓そのものはあまり診てくれていなかった」ということに気づきました。肝臓癌の兆候はないか、再発していないかということは非常に慎重に検査をしてくれていましたが、肝臓そのものの機能の衰えに対する評価が全く甘く、ほぼ無治療だったのです。

 我々医者の世界は、専門分化が進み、よく言えばスペシャリストといえますが、悪く言えば専門バカがたくさん存在しています。そんな状況で、「お腹は診ていたが、肺は診ていなかった」とか、「心臓は診ていたが、糖尿病は診ていなかった」といった、科を越えた専門バカ的問題が残念ながら存在するわけですが(私を含めて)、肝臓の専門家の中で、肝臓癌だけ診ていて、肝臓の評価が甘いなんて普通あり得ない話です。炊き込みご飯は上手に炊けるが、基本の白ご飯が炊けないみたいな話で、後からびっくりしてしまったという話です。

 しかし、先日、とある病院ランキング本をみていると、そんな先生がしっかり載っていたりするわけです。まあ、その道で、数はこなし、論文を書いて、評価されるべき先生であるということは間違いありませんが・・・。まあ、極めて複雑な心境です。というか、ランキング本そのものの性質が、そういった評価しかできないわけですから、やむを得ないと言えましょうか。

 その他にも、(半分内部告発になりますが)、全く臨床のできない先生が、ランキングに入っていたこともあります。その本は、患者さんがランキングに参加するといった内容のものでしたが、要するに、外来での患者さんに対する対応は非常にいいのでしょう。その点は否定しませんが、うむむむ・・・。これ以上お話しできません・・・。

 私がこの世界で出会った、もっとも腹が立つ医者も、とあるランキングに載っていました(怒)。その医者の性格の悪さといったら無く、その医師の周りで働く若手医師が2人も3人も、去っていきましたし、私も被害を被ったので、さっさとその病院を出て行ったのですが、そんな医師も患者さんにとってはいい人なのでしょうか。まあ、これは単なる私の個人的恨みの話ですが(笑)、そんなことはもちろんランキングには影響しないわけですから、怒ってもしょうがないか・・・。

 まあ、ランキング本が、一つの指標、目安として使われるならいいとは思いますが、過信や絶対視は全くできないと言う話です。どちらかといえば、「医師がこっそり教える、あの医者にはかかるな!ランキング」の方が、えげつない医師の裏側が垣間見えて、おもしろいと思いますが・・・。

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2008/04/28

幸福の木の花

 ご無沙汰をしております。彰の介です。
 一応、仕事が一段落したので、ぼちぼち再開・・・といきますか。
 広大なネットの世界の片隅で、独りごちるページ「彰の介の証言」、今年度も、いろいろとごちていこうと思います。

 といいつつ、再開最初は、ごちることなく美しい花の写真でお楽しみください。少し前になるのですが、十年に一度くらいしか咲かないとも言われる、幸福の木に花が咲きました。Dsc01540


 幸福の木に花が咲いたのですから、なにかいいことがあるかなあ?と期待していたのですが、残念ながら、我が家に一つの不幸が訪れるとは思ってもいませんでした。いや、実は不幸が、何とか不幸中の幸いとなりましたので、むしろいいことだったのかもしれませんが。また、おいおい、昨年後半から私の身に降りかかったいろいろな出来事を語っていこうと思います。個人情報無視で・・・。

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2008/03/27

人生の岐路

 うむむ、人生36年、もしかして、今私は人生の岐路に立たされている・・・らしい・・・。
 大事な仕事をやり遂げなければならないにもかかわらず、なぜか気合いが入らず・・・・、いや、現実逃避ばかり・・・。
 いかん、いかん、この峠をこえないと、いや、越えさえすれば人生が開けるのでは・・・。

 何のことはありません、人生に関わる大仕事に取り組むため、しばらくこのブログの更新をお休みするというお知らせです。最近、そうでなくても私自身にいろいろな事件があり、更新は渋っておりました。とりあえず一ヶ月ほどお休みします。何かしらの成果があれば、個人情報の範囲外でお知らせします。

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2008/03/17

裏帳簿

 とある報道番組を見ていると、自治体のお役人による裏金問題を特集していました。裏金が裏金たるゆえん、その動かぬ証拠が「裏帳簿」な訳ですが、事細かに書かれている裏帳簿を見ると、その丁寧さにお役人仕事がにじみ出ています(笑)。

 時代劇でも、裏帳簿が動かぬ証拠となるお話があります。義に硬い侍が、お代官様?あたりの不正に気づき、藩主に訴え出ようとするところを、お代官様一党がその侍を闇討ちする、そんな侍の意志を受け継ぐ友がなんとか仇討ちしようと、その不正をあばこうとする、そんな友たちの行動をご隠居様が助けようとし、矢七か由美かおるあたりが、代官のもっている裏帳簿を盗み出して、(途中略)印籠だして、めでたしめでたし・・・・・。

 しかし、どうも私が不思議に思っていたことは、なんでそんな危険な裏帳簿を、お代官様は後生大事に残しておいたのだろうという疑問です。どうせ不正に手に入れたお金なのですから、闇から闇へ持ち逃げすればいいわけで、わざわざ裏帳簿をつけておく必要があったのでしょうか。ましてや、誰かが不正を暴こうとしていることがわかっているのに、第一級の資料である裏帳簿を、由美かおるに簡単に盗まれるとは、あまりにも納得できない話ではあります(笑)。

 まあ、だからといって、自治体の裏金に関する帳簿を、捨てればいいのにと思っているわけはありません。そもそも、何で裏帳簿をつけなければならないのかというのが私の疑問です。何しろ裏の金なのですから、その証拠となるものを残すべきなのでしょうか?。

 裏帳簿をつける理由、それは、裏金が代々受け継がれているものであり、誰かに持ち逃げされないようにするためかもしれません。入りと、出をはっきりさせておけば、裏の会計担当者によるちょろまかし(ごまかしてお金をいただいちゃうこと)はできません。前任者と、後任者に疑われてしまいます。ただし、仮にちょろまかしが判明したとしても、横領で訴えられるかというと、もちろん訴えられないわけす(当たり前!)。それとも裏には裏の警察官みたいなのがあるのでしょうか?。仕事人みたいな人に、それこそ闇討ちされたりして・・・。

 裏帳簿をつける理由、もしかすると、「それがお役人だから」かもしれません。もう、帳簿をつけないといられない性分なのかもしれません(笑)。裏帳簿の丁寧さは、普通の人間ではまねできません。ある意味、律儀、ある意味、丁寧、ある意味、会計は表も裏もうっかりつける・・・。まあ、表と裏の区別もつかないとなると、相当に重症と言わざるを得ないわけですが・・・。

 残念ながら、大昔から裏金みたいなものは存在したのでしょう。それに疑問を抱かない人たちもいたでしょうが、当然、悪いことをしていることに気づき、胸を痛めていた人たちも大勢いたに違いありません。不正に声を上げなかった事は悪いことではありますが、実際そんな集団の中で声を上げることは、たやすいことではないでしょう。ある意味、きっちり証拠となる裏帳簿を丁寧につけていたことが、ささやかな抵抗であったのかもしれません。

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2008/03/12

責任論だけが問題?

 さんざん、責任者が責任をとらないのが問題だと言うことをこのブログで言い続けてきてなんなのですが・・・、ただ責任論を追求するだけの、昨今の政治的な話題は、それはそれで本質論ではないような気がします。

 石原都知事の、銀行問題。現在都民ではないので関係ないような気もしますが、それにしても、あの、あの、人を罵倒するのが趣味の石原都知事が、言い訳と責任転嫁をくりかえしている姿を見ると、まあ、滑稽以外の何ものでもありません。さんざん責任論には厳しい発言をしてきたのですから、最低限、「銀行の経営に関する指示を与える権限はない」等という発言はすべきではなかったでしょう。

 テレビで編集された画面しか見ていませんので、何とも言えないのですが、都議会をみていると、石原都知事の責任論の事ばかりが質問されています。石原都知事に責任があることは間違いなく、それをとろうとしていないことは確かに問題だとは思うのですが、しかし、現実にはその責任をとったところで、何の解決にもならないような気がします。

 素人の私が言うのも何ですが、問題の本質は、「新銀行東京に、400億円の追加支援を行えば、それで銀行の経営が成り立っていくかどうか」ではないのでしょうか。つまり、追加支援を行っておきながら、やっぱりだめでした、場合によってはさらに追加支援が必要なんて言う話にならないのかどうかを見極めることが大事でしょう。責任論と言う言葉を使えば、「400億円の追加支援が、責任論の先延ばしに過ぎないのではないか」という見極めをしなければならないということです。
 この銀行に現在損失が出ていることは疑いようもない事実ですが、しかし、再生すれば元が取れるという話になれば、一応、一応、都知事や銀行に関わっている人たちのメンツも保たれるというものです。しかし、つぶしてしまったら、その時点で損失確定ですから、責任論から逃れることはできません。したがって、そんな責任論から逃れたいがための、ただの延命策なのか、根本治療になっているのか、さらにその責任を都知事が自覚しているのかどうかということを、我々に聞こえるように議論をしてもらいたいものだと感じているのです。

 日本という国は、伝統的に「問題の先送り大国」ではないかと感じています。なぜ、問題を先送りにするかと言えば、それは責任者が責任を先送りにするためであり、その結果、問題がさらに悪化するのは言うまでもありません。責任の追求は、問題の本質を論議することであり、形だけ、うわべだけの責任論追求は、結局問題の先送りに手を貸しているに過ぎない面もあるのではないでしょうか。

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2008/02/29

ロス疑惑

 「ロス疑惑」、懐かしいですね(世代がばれる・・・)。
 今回、三浦和義がロス市警に逮捕されて大ニュースになっているわけですが、どうもこの「ロス疑惑」には昔から不思議に思っていることがあります。

 今回の逮捕について、日本、アメリカの違いはあるにしても、「日本で無罪となった人間を逮捕するか?」というアメリカへの非難の声があります。そのこと自体の問題点は置いておいて、一般人の私から言わせると、完全な「白」での無罪ならともかくも、いわゆる「灰色」というか「疑わしきは罰せず」というか、そういう状況での無罪であるだけに、逮捕されてもあまり同情できない面がどうしてもあります。

 「灰色だ、疑わしきは罰せず、とか言ってるけど、無罪は無罪でしょうが!!」というご批判があるかもしれません。確かに、無罪である以上、蒸し返して「灰色だ、クロだ」というのは問題があるでしょう。しかし、このロス疑惑に限っていえば、「無罪=白」とは言えず、残念ながら「灰色」と言わざるを得ません。なにしろ、「一美さん殴打事件」で彼は有罪になって、服役していたのですから。

 1981年8月31日に起きた「殴打事件」。愛人に妻を殺そうとさせた殺人未遂で、彼は懲役6年の実刑判決が出ています。そして「疑惑の銃弾」事件が起きたのが、1981年11月18日。いくら「一美、一美」と何度も叫んだと言われても、残念ながら3ヶ月前には殺そうとしている人ですから、この灰色具合はいかんともしがたいものがあります。

 「殴打事件がいくら有罪だといっても、銃撃事件は無罪なのだから、やっぱり灰色じゃなくて白でしょ!!」とまたしてもしかられそうですが、何も私は銃撃事件の判決に問題があると言っているわけではありません。無罪になったにも関わらず、「灰色だ」と言うことが問題であるのと同様、殴打事件で「有罪」となっている人間を、罪のない人間のように扱うのには無理があると言っているのです。銃撃事件の無罪は、殴打事件の冤罪を意味しません。銃撃事件の「無罪」を強調するのであれば、当然殴打事件の「有罪」も強調されなければならないと思うのです。

 ロス疑惑の不思議さ、それは、彼が無罪を勝ち取った瞬間、「有罪」の部分が社会から忘れ去られたことでしょうか。

 まあ、戦前の「疑わしきは罰する」が決して復活してもらっては困るわけですが、社会が彼に許した寛容というのも問題ではなかったのかなあと思った次第です。むろん、そのことと、銃撃事件の無罪、今回のアメリカでの裁判の行方とは、関係のない次元の話ですが・・・。

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2008/02/08

新・警察の怠慢

 以前「警察の怠慢」という記事を書いたのですが、またしても警察に怠慢な対応があったので、密かにネット上でチクらせていただきます。

 私は職業柄やぶ医者をやっているわけですが、先日病院に運ばれてきた患者のお話です。その患者さん、誰かにある飲み物(ペットボトル)をもらったらしいのですが、その飲み物を飲んだ後(2口ほど)、吐き気をもよおしたというのです。近医にいって治療を受けたようですが、吐き気が止まらず、血圧まで低下してきたとのことで、救急車で私のつとめている病院へ搬送となりました(細かいところまでは当然ながら書けませんのでご容赦を)。ちなみにその飲み物、異臭がして泡立っていたようです。

 他人から飲み物をもらい、飲んだら調子を崩したわけですから、なんか事件臭い話のように感じませんか。もちろん、事件かどうかは全くわかりません。患者さん本人の言っていることも全て鵜呑みにはできません。とにかく、捜査しなければならないでしょう。しかし、この件で近医から通報を受けた警察の対応はこれまた極めて怠慢なものでした。

 警察がとった行動は、「患者本人の容態がよくなったら話を聞きに行く」とそれだけだったといいます。担当した当直医が、当然のごとく「飲んだペットボトルを本人が持ってきているが、どうすればいいのか」と尋ねたところ、なんと

捨ててください
と答えたらしいのです。最大の物証である、このペットボトルを捨てるよう指示するのは信じられません。
 
 さらに翌日、担当医が再度警察に連絡を入れたのですが、逆に警察の方から、その患者に自殺企図があったのではないかということを聞かれたようです。つまり、他人から飲み物をもらったのではなく、本人が自殺しようとして、何らかの物質を飲み物に混ぜて飲んだのではないか?というんですね。まあ、何も捜査していないくせに、勝手な作り話をするなという話ですが、むろんその患者に自殺企図は無く、むしろ、そんな話をでっち上げようとしている警察の豊かな想像力には感心せざるを得ません。自殺でも何でもいいのでしょうが、とにかく事件にはしたくないという、警察の意図をまざまざとみせられている感じです。

 そのときの電話でも、結局その飲み物の回収の話にはならず(当然ながら、捨てずに残しておいた)、そんな状況のままでいいのかということを担当医から相談され、とにかくその飲み物だけは、警察に回収してもらうことになったというのが、今回のお話の顛末です。その後音沙汰もなく、飲み物の検査が行われたかどうかは全くわかりません。まあ、患者さんは快方に向かっていますから、適当に処理して事件にだけはしないでしょう。

 しかし、それにしても世間で毒餃子が大問題になり、毒物に関する関心が高まっているこの時期に、また、相撲部屋での力士死亡事件で、警察の初動に問題があった(事件性はないと判断した)とされているこの時期に、まあ、何もしないを絵に描いたような行動をとる警察にはびっくりです。何もしないなら何もしないで、せめて、飲み物だけでも回収しておけばよかったのにと思うのは私だけでしょうか。こちらは治療に当たっている立場なので、捜査上のことをねほりはほりすることはないわけですから、飲み物だけ回収して、警察の方で捨てればよかったと思うのです。

 結局のところ、どれほどに警察がたたかれようとも、その場で反省したとしても、末端レベルでの体質というのは全く変わっていないということでしょう。人間の本質、それは楽がしたいということで、ある意味、けなげな努力を惜しまず、仕事量を少なくしようとするその本能は、いかんともしがたいということなのでしょうか。

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2008/02/05

コレラと毒餃子と役人の能力

 毒餃子。世間はその話題で沸騰しています。
 本当は一ヶ月も前に、毒餃子が蔓延しているかもしれないということがわかっていたようですが、情報がお役所の方に上がっていなかったようです。それで、厚生労働省というか、舛添大臣が情報をあげることの徹底を指示したようですが、まあ、ことはそんなに簡単なことかどうか、ちょっと疑問を感じています。

 情報を、お役所に報告するということに関し、私の経験を2つほど。
 一つは典型的な食中毒。これは、団体で旅館に泊まっていた集団に、下痢嘔吐が大発生して病院に次から次へと運ばれたという例です。たまたま当直だった私のところに、ざっと30名ほど運ばれ、とんでもない忙しさになってしまったわけですが、これは明らかに食中毒が疑われるということで、翌日保健所に連絡しました。

 もう一つは、食中毒ではなく伝染病がらみのもので、はっきり言ってしまうと、コレラってやつです。下痢を主訴に病院を訪れた患者ですが、私は便の培養をとり、点滴をし、整腸剤等を処方して帰宅としました。しかし、二日後(だったと思います)に培養からコレラと判明してしまったのです。

 さ~て、街にコレラが出たということで、その地方の議員さんから、病院へ怒りの詰問状が届きました。「どうして、コレラの患者を、隔離せずに家へ帰したのか!」っていうんですね。まあ、確かに帰してしまったわけですが、それには理由があります。まず、症状的に重症ではなく、十分外来通院で対応できる状態だったこと、そして、コレラだという特有の症状は何もなかったこと(下痢だけ)、そして何よりも、便培養をして、それがコレラだと当日にはわからないということです。

 便培養というのは、培地と呼ばれるものに便をくっつけて、生えてくる菌を調べるものですが、それが生えてくるのに一日、さらにそれがコレラであると判定するのに、一日かかります(細かいこと忘れましたが、もう一日必要だったかもしれません)。したがって、「下痢」というだけでコレラ疑いとしていたら、毎日毎日10人も20人も隔離しなければならなくなってしまうわけです。

 コレラと判明したからには、伝染病予防法にのっとって対応しましたが、それまでの対応に不備はなかったと確信しております。たぶん。
 しかし、コレラが出たというだけで、行政も、議員さんも浮き足だって、さて誰が悪い、病院が悪い、なんで隔離しなかったんだという話になってしまうんですから、大変です。ちなみに、ご家族から病院に、容態はどうかの確認の電話がありました。そのときわかったことなのですが、患者さんが隔離されているだけでなく、実は(おそらく行政処置として感染の確認が済むまで?)家族も家から一歩も出られない軟禁状態だったようです。つまり、伝染病予防法の発動は、それ自体、大きな社会的責任を伴うものであり、ろくに知識もない、浮き足だった議員がごたごた言ってるレベルの問題ではないのです。

 たとえば、今回の毒餃子でいえば、確かに最初の患者が餃子を食べて臭かったなど、怪しいことを訴えていたとのことですが、さてそれだけで毒餃子と判断できていたのでしょうか。むろん、その機会を逃したことは、後になってみれば明らかですが、その現場の担当が私だったら、いちいち届け出ていたかどうか・・・。正直、今年の冬は下痢嘔吐が非常にはやっており、「餃子を食べたら」という言葉を重く受け取らないかもしれません。

 さらに、仮にここで毒餃子ということが判明していたとして、厚生労働省に全国規模の中毒問題をちゃんと情報を収集し、分析する能力があったのでしょうか。また、最大の問題は、安易な情報の開示は、「風評被害」になる可能性もあるわけで、その責任を、いや、そのリスクを役人がかぶる勇気があるのでしょうか。その勇気がなければ、結局情報があげられたとしても、「そんなの関係ねー」で終わりかもしれません。

 結果がわかってしまえば、それがコレラだと、それが毒餃子だとわかってしまえば、あとから鬼の首を取ったように、何やってるんだ的な文句も言えるわけですが、現実にはリアルタイムで進行する結果のわからないことに対し、早急に対応が必要なことが多いのではないでしょうか。
 上にも書いたように、今度は安易な情報開示による、風評被害が起きないことを祈るばかりです。

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2008/01/29

憧れのノーワーキングリッチ?

 「名ばかり管理職」そんな言葉が報道されています(マクドナルド訴訟 店長は非管理職 東京地裁が残業代認定)。そういえば最近、飲食チェーン店などに行くと、店長にしては随分若いなあと思う人が働いていました。やり手なのだろうと漠然と思っていましたが、あの方々も、実際には経費きりつめのための犠牲者だったのでしょうか。

 管理職は残業代がつかないのに目をつけて、一般の仕事をさせておいて管理職に就けるなんてよく考えたものです。素人的には、だったら残業せず、実際お店の方がどうなってしまうのか、本社の本当の管理職の皆さんに見せつけたらどうかとも思ったりもします。店がおかしなことになって、店長失格ということになれば、めでたく管理職からはずされて、残業代がもらえる・・・・、まあよくわからない、私の作り話ですが。現実には、こんな社員は即刻「クビ」ということでしょうね。そういう職を失うかもしれないというリスクを考えれば、裁判にせよ何にせよ、この店長の行動に出たという勇気には、脱帽という思いです。

 こういうワーキングプアー系の管理職がいる一方で、肩書きだけで全く働かず、高~い給金もらっている連中もこの世には存在しています。まあ、ノーワーキングリッチ??とでも言うのでしょうか。この手の人たちは、最終的な仕事である「責任をとる」ことさえしません。なにしろ働かないから、責任の取りようも無いわけです(でもやっぱり、責任は現場が取らされる)。しかし、こう書くと、そんなノーワーキングリッチ系の人間にはなるまいぞと思うのですが、実際我々が真にうらやましいなあと思っているのがまさにこのノーワーキングリッチではありませんか。なってしまえば、そんな罪悪感はどこかに消えて、ノーワーキングを享受するため、いかに下っ端を働かせるかということしか考えなくなってしまう・・・。「そうだ、店長っていう肩書き与えれば、やる気出して働いてくれるだろう!」・・・、本当に名案中の名案です。

 少し年をとってきて、徐々に管理職的地位になった私の反省も含んでいます。一応気持ちとしては、「働かざるもの食うべからず」、「現場を知らずしてものを語らず」、とは思っていますが、時々こうして反省しないと、堕落してしまうので、自虐ネタは今後も欠かせません(笑)。

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2008/01/22

高齢者虐待防止法

 高齢者虐待防止法、この法律で初めての逮捕者が出たようです(「高齢者虐待防止法」違反で初逮捕、調査に抵抗の43歳女)。実を言うと、私こんな法律があることを全く知りませんでした(恥)。しかし、法律の概要を読んでみると、当たり前の話ですが、医師(やぶ医者も含む)は虐待の可能性を知る立場にありますから、協力しなくてはならないとなっています。それを知らなかったというのは、全くもって、言い訳にもなりません(恥)。

 なんでそんな事を言い出したかといえば、正直以前から特に老人に対する虐待を問題だと思っていたからです。近年、子供に対する虐待は大変問題になっており、社会問題化し、報道などでも大きく取り上げられています。しかし、残念ながら、限りない未来がある子供たちとは対照的に、老人が厄介者扱いされても、家族的にも社会的にもあまり問題にされないことが多いと感じていたのです。

 明らかに暴力を振るっていると思われる介護者、床ずれでボロボロになるまで放っておく家族・・・、そんな老人虐待の現実を、医療現場で見ることが希にあります。今までは何もしようがなかった(と思っていた)のですが、ちゃんと報告しなければならない立場にあることがわかりました。が、今回の逮捕者のような、極端な放置や虐待ではなく、プチ虐待は残念ながら世の中に山のようにあるでしょう。

 問題点は2つ。子供ではなく老人だから問題視しない、あるいは、されてこなかったことは、今後十分啓蒙し解決していかなければならないこと、そしてもう1つは、老人介護の過酷さが、この虐待を生んでいる可能性があることでしょう。この問題、子供の虐待と同じように、問題視し、報道されることを望みます。

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2008/01/09

木陰の警察に意味はあるのか?

 朝、私の通勤途中(私は歩き通勤)の信号のある、まあまあ大きな道路の交差点を過ぎたあたりの木陰に、警察の皆様が隠れています(笑)。おそらくシートベルト着用の有無などの取締りをするために、交差点からは見えにくい木陰に隠れていると思われるのですが、毎朝その様子を見るたびに、意味無いなあと感じています。

 私が今住んでいるところはちょっとした田舎で、私の言う道路の交差点に関して言えば、北に抜ける道が、交差点を過ぎたところで曲がりながら細くなります。この曲がっているところがミソで、左手にちょうど木が何本か生えているために、ちょっとした死角になっているのです。ここに交番があるのですが、交差点からは50m程度にもかかわらず、この交番は全く見えません。そして、ここに、くもの巣を張るように警察が目を光らせているわけです。

 冒頭にも書いたように、私はこの「隠れて取り締まる」ということに何の意味があるのか、全く理解できません。実はこの交差点、90°に交わっておらず、さらに南東の角が小高い岡の端に当たる関係で、非常に見通しが悪く、自動車が歩行者無視(あるいは気付かず)で右折、左折することがよくあります。また、正直言うと、田舎にありがちな信号無視の類も少なからずあるので、歩行者である私は、場合によって命がけの道路横断になるのです(やや大げさですが・・・)。
 
 それを考えると、もし、警察の取り締まりの理由が、「交通事故の予防」にあるとしたら、当然、この交差点に立って交通整理をしてもらいたいのです。交差点に警察が立ったからといって、シートベルトの取締りができないわけではありません。交差点に立つ警察を見て、あわててシートベルトをしたり、携帯電話の通話をやめるドライバーもいるのでしょうが、それはそれで、十分抑止効果が出ているわけですから、十分目的にかなっています。ついでに我々歩行者も安全に道が渡れるので、その効果たるや木陰に隠れる取締りの何十倍にもなるでしょう。

 飲酒運転の取り締まりも、抜き打ち的に行う位なら、居酒屋等の飲食店の駐車場の前で、「お酒飲んでいませんよね?」と声かけしつつ、啓蒙した方がいいのではないかと思いますが、そういうことはあまり行われていませんね。本当か嘘か知りませんが、俗に、「警察には罰金のノルマがある」と揶揄され、その取締りに意地の悪さを感じることが多々ありますが、真の目的が何なのかをはっきりさせ、その目的に沿った方法を取ってもらいたいものです。
 おっと、真の目的が「交通事故の予防」ではなく、「罰金徴収」だから、木陰に隠れるのか・・・・、ここまで書いてやっと気付いた・・・(笑)。

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2008/01/04

高齢者は「お餅禁止」を

 新年明けましておめでとうございます。
 本年もやぶ医者の屁理屈、遠吠え、嫌味、わがまま、しょうも無い話など、要するにどうでもいい記事にお付き合いください。

 ところで、正月(元日)を久しぶりに(約10年ぶり)実家で過ごし、雑煮を食べた私が、新年早々こういう話題もなんなのですが、今年もまたこんな記事が新年の風物詩かのように載っています( <餅の事故>のどに詰まらせ都内などで5人死亡)。

東京都内などで1日から2日にかけて、お年寄りらが餅をのどに詰まらせる事故が相次いだ。都内では59~92歳の男女計13人が病院に運ばれ、2人が死亡した。 東京消防庁は「お茶や汁物と一緒に食べたり、小さく切って食べるようにしてほしい」と注意を呼びかけている。
 新年の病院の当直をやっていると、一人や二人は「もち誤飲」の患者が運ばれるもので、全国で調べたら、一体何件の事故があるのか見当もつきません。

 「餅が食べられないくらいなら死んだ方がいい」と言われるかもしれませんが、正直、この誤飲の事故の多さを考えると、高齢者のお餅は正直禁止してもいいくらいではないかと感じているのは私だけでしょうか。一般の方まではともかく、脳梗塞などをわずらい飲み込みの悪い方、障害などがあって施設におられる方などは、考慮してもいいのではないかと感じています。特に老人保健施設などでは、スタッフの数と、入所している方の数に開きがあるわけですから、目が届かない事態が起きることも多いと思われます。それを考えると、せめて、老健などの施設では、禁止すべきと考えますが・・・。

 まあ、正月ぐらいは、正月らしくというのもわかるのですが、餅の誤飲は最初に書いたように、新年の風物詩ではありません。小さく切って食べろというのが、根本的な解決策とは、到底思えません。

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