2009/11/26

エコバックはエコなのか?

 先日、近所のスーパーでちょっとした買い物をしました。ちょっとしたと言っても、そのまま手に持って出るには、食品でもあり厳いのですが、会計する前に、エコバックを持ってくるのを忘れてしまったことに気づいてしまいました。そのスーパーは、いわゆるスーパーのレジ袋に5円の徴収をしていますので、もったいないなあと思ったのですが、まあ、お金持ちの私ですから、5円くらいはいいかと思い(笑)、会計を済ませました。

 私自身、5円の徴収は覚悟していたので、レジのおばさんに「袋は・・・?」と言われたときに、「持っていませんので」と暗に、レジ袋がほしいと頼んだわけですが、そのおばさん何を血迷ったのか、

「これだったら、袋はいりませんよね」

といって、商品をそのまま渡すではないですか・・・。いや~、袋ほしいんですけど・・・と頼んでみると、じゃあ、小さい袋をと言って、いわゆる、お豆腐とか、野菜とかを入れる、”無料の”簡易袋の中に商品を入れてくれて(商品の大きさ的に無理があり、結構パンパンの状態で)、渡してくれました。まあ、体裁的には、何とかなっていますが、取っ手?もないので抱えることになり、ちょっとこっぱずかしい状況でした。

 おばさんは、私に嫌がらせをしたわけではなく、わざわざ5円払う必要はないと、親切心からのようでした。気の小さい私は、「5円払うから、ちゃんとした袋をください」とは言い直せず、そうなってしまったわけです。確かに、たかが5円、されど5円であって、あのレジ袋に5円を払うのはもったいないでしょうね。正確な原価は知りませんが、5円よりは安いでしょう。でも、5円くらい取らないと、エコバックへの移行が進まないかもしれません。

 しかし、それとは逆に昨今思うのは、エコバックの値段の高さです。エコはおいておいて、値段だけ考えれば、レジ袋が100枚も200枚も買える値段です。使い続ければ、エコ袋も汚れたり、穴が開いたりして、耐久性に疑問がありますから、値段的に回収できているのかどうか、全くわかりません。ましてや、レジ袋を5円と計算せず、原価で考えたら、途方もない枚数のレジ袋が使えるはずです。

 考えてみれば、買い物のときの運搬用の入れ物は何でも良いわけで、わざわざ「エコバック」なる商品を買う必要はありません。しかし、なんとなく、携帯でき小さく折りたためるものを「エコバック」と定義されているような感じがしていて、それで買い物しないといけないような気分にさせられてしまっています(私だけ?)。要するに、エコバックは「エコバック」という市場を作っただけで、真にエコかどうかは疑問というのが私の見解です。以前、エコバックを買ったら、レジ袋に入れてくれたこともあり、何がなんだかよくわかません。
 
 エコバックが真のエコになるためには、とにかく、エコバックを大事に、長く使うことでしょう。穴が開いたくらいで捨てていたら、ダメです。汚れは洗えばいいんです。1年や2年で新しいのを買ってはいけません。エコバック市場がなくなって、業者が相次いで撤退するくらいでないとエコではないでしょう。自動車も、電気製品も同じです。ガソリンが少なくて済むから、電気代がかからないからエコではありません。その自動車や、電化製品を何十年も使うからエコなわけで、新しい商品に飛びついたら、市場のための「エコ」に過ぎないということになってしまいます。(エコ・幻想シリーズもどうぞ。エコ・幻想エコ・幻想(2)エコ・幻想(3)エコ・幻想(4)エコ・幻想(5)

 そんなことで、またしてもエコに文句を言ってみました。いやいや、私は文句だけを言いたいわけではありません。ただただ、物は大切に使いましょうと言いたいだけです。本当です。

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2009/11/05

美容整形というかブサイク整形というか

 英国人女性殺人事件で指名手配中の市橋容疑者の整形後の顔写真が公開されました(市橋容疑者 先月撮影の写真公開 複数回整形か…千葉県警)。顔写真が公開されたということは、この整形後の人物が間違いなく市橋容疑者であるという証拠をつかんでいるのでしょう。指紋か?DNAか?わかりませんが、本人が「市橋です」と名乗るはずはなく、まあよく市橋容疑者だとわかったなあと不思議に思うくらい顔は・・・・ブサイクに変わっています。そう思いませんか?

 その昔の江戸時代、蛮社の獄でつかまった高野長英も、脱獄後、薬品で顔を焼いて、人相を変えて潜伏していたといいます。本当かうそか知りませんが、オランダ語の翻訳があまりにもうまいので高野長英とバレてしまったとか・・・。いずれにしても逃げる場合、以前の自分とは違う自分にしなくてはならず、基本的にブサイクにする必要があるでしょう。

 市橋容疑者は、どうも何回も整形を繰り返したようです。一応、美容整形なんですから、どんどん美男子になっていってもいいような気がしますが、結果はアレですか・・・。それとも高野長英のように意図的にブサイクにしたのでしょうか。美容整形のプロも、頼まれればブサイクにするのでしょうか。
 
 以前、テレビ番組で、ある女性の整形の様子を流していたのですが、その女性、もともと十分に美人でした。それは私が美人だと思っただけではなく、番組の意図も、整形なんて全くいらないと思う人も、整形していますという内容だったわけです。本人は真剣に「あごのラインが・・・」なんてかなり気にしていて、整形後には、自分の思うような顔になり満足そうでした。でも、でも、あくまで個人的な意見ですが、その女性、とてもきれいになったとは思えないんですね。はっきり言って以前のほうが(もともとの顔のほうが)ぜんぜん美人でした。

 そんなことを考えると、ただ顔を変えたいと思っていたであろう市橋容疑者の考えとは関係なく、整形を繰り返すうちに、幸か不幸か自然にあんな顔になってしまっただけかもしれません。美容形成の医師にプロ意識がなかったのかどうかはわかりませんが、結果がどうであれ、本人が納得いけばそれでいいというのが美容整形の世界なのでしょう。

 それにしても、あそこまで顔が変わって、市橋容疑者だと疑うのもすごいのですが(警察が狙いを定めていた可能性はありますが)、一番最初の整形をした形成外科医は一体何をやっていたのでしょうか。美容整形でもっとも大事な、個人情報保護の一環なんでしょうか。それとも、市橋容疑者逃亡援助団のいちみか、ブラックジャック的裏形成外科医にでも頼んだのでしょうか。まあとにかく早く捕まってもらいたいと思うばかりです。

 おちとして、「公開写真は市橋容疑者とは別人」となったら大変ですね。でも、私がこの写真の人物だったら、恥ずかしくて世に出ることができずに、美容整形で顔を変えてもらいますが・・・。

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2009/10/29

無駄論的中日ドラゴンズ反省会

 久々に、我が中日ドラゴンズネタです。
 しっかり、CSに負け、今更ながらではありますが、中日ドラゴンズネタです。はっきり言って、反省会です。

 今年のプロ野球は、WBCの日本二連覇から始まったわけですが、我が中日ドラゴンズは全くこのWBCに選手を出しませんでした。もちろん、選手が勝手に決めたことなのか、或いは監督、球団の意向なのかは知りません。しかし、この選手を出さなかったことについて、私は「今年は優勝しても意義がない」と力説?しておりました(WBC、私の選ぶMVP)。

 結果的に、シーズンも、CSも、私が大評価した「原監督」率いる巨人に完敗という結果になりました。まあ、結果論的評論ですが、当然でしょう。「優勝しても意義がない」というか、「当然の報い」であったと考えます。
 
 おそらく、球団?落合監督?は、WBC参加を無駄?、或いはただのリスクと考えたのでしょう。確かに、試合でけが人が何人も出て、シーズンを通して、或いはシーズンの一時期を棒に振った選手は何人かいます。したがって、中日の選手が、WBCに出ていれば、誰かが怪我をして、戦力がダウンし、2位すら確保できない状況になったかもしれません。が、逆に言うと、今年の中日は、そんなリスクを完全排除したにもかかわらず、優勝を逃したことをどう考えたらいいのでしょうか?

 私はず~とこのブログで「無駄論」を唱えているわけですが(笑)、まさに、今年の中日は、この「無駄論の精神」が欠如していたと思われます。無駄なことを無駄だと言っている人たちは、決して成長しません。なぜなら、そういう人たちは、成長や成功を計算できると勘違いしているからです。つまり成功は「うんがよかった」、失敗は「努力が足りなかった」という謙虚さが生まれないわけです。成功は「自分の努力のおかげ」、失敗は「うんが悪かった」となるわけですから、成長しないわけです。まさに、今年の中日は、WBC不参加により、大事な何か、大きな成長のチャンスを自ら放棄してしまったのではないか?と思わずにはおれません。

 私は、以前から落合監督を相当に評価していますが、どうもここ数年は冴えませんね。はっきり言って、最近の中日は弱い!でしょう。なんとなく、与えられた大鑑巨砲・外人部隊の体制を、見事にチェンジさせた原巨人とは、随分差ができてしまったような気がしてなりません。さてさて、来年の中日やいかに・・・・。

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2009/10/15

「国益」と「地方益」と「地方エゴ」

 「地方分権」というのは、なんとなくいいことだと漠然と感じているような気がしますが、実際にはどうなのでしょうか。国益に対して、「地方益」なる言葉があるとするならば、地方分権は、その地方益を守る主体となるのでしょうね。国からの無駄な圧力や干渉がなくなる分、地方分権化は、より十分に、柔軟に地方益を守ることができるのでしょうが、地方益を守ることが目的となってしまえば、ただの「地方エゴ」になってしまいます。

 実は、以前からこの「地方分権」、あるいは、「地方への税源・財源移譲」というのが話題にのぼるたびに、私が考えていたことと言えば、

「そんなことしたら、余計に無駄な箱物ができたり、道路の掘り返しが繰り返されたりするんじゃないの??」

という疑問でした。もちろん、有効にお金が使われることを望んでいるわけですが、地方というのは、よりその地方の声が強く聞こえてくるわけですから、誰かが「工事しようよ、道つくろうよ!」と叫びだしたら、無視するのは相当に大変でしょう。ましてや、有力者なる人たちが、叫びだしたら、ひとたまりもありません。形の上では、そうやってお金を使うことが「地方益」なのかもしれませんが、他地方の人間から見れば、ただの「地方のための地方エゴ」としか思えませんね。

 地方分権とは別問題かとは思うのですが、以前から有力政治家による「地方エゴ」は山ほどあったと思われます。私は岐阜の出身ですが、岐阜と言えば悪名高き、東海道新幹線の「岐阜羽島駅」が地方エゴの代表例と言えましょう(こういう発言は売国奴?売県奴?的ですが・・・)。毎年冬になると、関ヶ原付近の雪のため、運転を見合わせたり、遅れが出たりすることがあり、それを「岐阜羽島駅」のせいにされるわけです。この岐阜羽島駅誘致を成し遂げた政治家は、夫婦そろって銅像となり、岐阜県人にたたえられているわけですが、この岐阜羽島駅を利用しない他県の皆様にとっては、何のメリットもないでしょう。「岐阜益」=「非国益」です。ちなみに岐阜市からこの岐阜羽島駅へのアクセスは、お世辞にもいいとは言えず、岐阜県人にとっても真のメリットがあったかどうか、怪しいものがあります。羽島ではなく、岐阜か大垣であれば、それなりにメリットがあったと思うのですが・・・。おっと、地元批判をすると怒られるのでこのあたりに・・・・。

 まあ、そんなことを、「八ッ場ダム」のことや(八ッ場ダム問題は新政権の試金石かも? )、羽田のハブ化問題のことで考えていたわけです。
 国交相による羽田のハブ化発言は、大阪・千葉両知事の怒りの発言につながったわけですが、地方益を考えれば、両知事の発言は当然と言えば当然でしょうか。しかし、過去の経緯を全く無視し、国益というレベルでのみ考えた場合、極論すれば両知事の発言は、残念ながら地方エゴに近いかもしれません。専門的なことはわかりませんが、羽田のハブ化が、日本の国益ということであれば、運用しだいで、それは千葉益でもあり大阪益でもあるはずです。ところが、両知事の発言が、千葉益や大阪益のみを見据えたものであるとするならば、まさにそれこそが「非国益」=「地方エゴ」ということになってしまうわけです。

 リニア中央新幹線構想の、長野県内の駅誘致合戦も、地方の中の地方エゴのぶつかり合いと言えましょうか。国益、国策的に(リニアはJR東海が自前で作るとのことで、国策ではないか・・・まあ公共交通ということで・・・)、ルートは南アルプスを貫通する直線的なルートしか考えられないわけですが、ゲリマンダー的な??迂回ルートの計画もあるようです。残念ながら、これも「地方益」=「地方エゴ」=「非国益」でしょう。一昔前なら、東海道新幹線のように線路を捻じ曲げられたかもしれませんが(おっと、また地元批判を・・・)、現代ではどうなんでしょうか。そもそも、各県一駅という話そのものが、「地方エゴ」であり、リニアの駅は東京(品川?)、名古屋だけでもいいのかもしれませんが。

 ということで、「地方の時代」が「地方エゴの時代」になってしまうことを憂慮している私彰の介でございます。まあ、あまり言い過ぎると、「人口の多い地域のための政策」=「国益」となりかねないので、そのあたりは難しいものがありますが、地方さえよければいいのが地方自治というのも考え物だと考えています。

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2009/10/08

生キャラメルのパクリ天国と花畑牧場

 生キャラメルなるものが昔からあったかどうか私は全く知りません。なにしろ、私にとってキャラメルと言えば、森永のミルクキャラメルしか知りませんから。

 それにしても、花畑牧場の大ヒット商品「生キャラメル」の売れ行きは、今でもすごいようですね。まあ、ミルクキャラメルと比べると、口どけと歯へのくっつき具合?が全く違います。ある意味、口どけがよすぎて、あっという間になくなってしまいますから、ちょっと損した気分になるようなならないような・・・。

 正直言うと、私はあまりいろいろな種類(味)を食べたことがないので、よくわからないのですが、先日の九州旅行では、マンゴー味の生キャラメル(宮崎そのまんま知事とのコラボでしょうか)が空港に売っており、なかなかの美味でした。嫁がここぞとばかりに大量購入(お一人様何箱までと決められていたようですが)してお土産にしていました。温度が上がるととけてしまうので、そこのところは、やっかいですが、まあ、おおよそお土産としての評判は上々というところでしょうか。

 ところで、以前、パクリは文化?なるエントリーをしておりますが、この花畑牧場の生キャラメルに関する、パクリというのも相当なものがありますね。もちろん、花畑牧場の生キャラメルが、真のオリジナルかどうかは全く知りませんが、それを模したと思われる、パクリキャラメルが巷にあふれています。キャラメルの形、大きさ、その包み方、包んでいる紙などは、ほとんど同じですし、そして何と言っても、商品の箱が、あのまるい”まげわっぱ”?風の10cmほどの箱で、見た目はそっくりです。パクリ商品を食べたことはないので、おいしいのかまずいのかわかりませんが、花畑牧場と書いてあるのかないのかの違いで、産地偽装の一歩手前といえましょうか。

 こういった、パクリが増えたり、それこそ、おいしいパクリ商品が巷にあふれれば、花畑牧場のブランド力もなくなってしまうのでしょうか。今のところ、そのブランド力は衰えを知らずという感じですが、これが未来永劫かどうかは全くわかりませんね。というのも、パクリのことだけでなく、ちょっと気になることがあったからです。
 
 現在、私は某田舎に住んでいますが、先日東京に行ったとき、銀座近辺の花畑牧場の支店?花畑カフェ?に寄ってきました。まあ、ここも入るのに行列なわけですが、実はここに、九州限定発売だと思っていた、生キャラメルマンゴー味もしっかり売られていたのです。まあ、別に売るのが悪いわけはありませんし、東京は特別かとも思いますが、田舎者の単純な発想から言うと、それが限定発売と思っていただけに、あまりに簡単に買えてしまって実にむなしい感情に襲われたわけです。
 そもそも、生キャラメル自体、北海道に行かなければ買えないものであれば、その希少性が魅力になるわけですが、東京では簡単に買えるとなると、残念ながら、その魅力は徐々に薄れてしまうような気がしてなりません。

 そもそも、なぜこの生キャラメルが人気になったかということについて、義剛氏自身がよく語っていたことは

「一つ一つ手作業で、品質に妥協がなく、大量生産できないから大手には真似できない」

というものでした。しかし、大ヒットして、大量に売れるようになってしまえば、結局のところ大手化してしまっているということになります。おそらくもうすでに、一つ一つの工場に、社長の目は行き届かなくなってしまっているでしょう。そうなれば、残念ながら品質は落ち、希少性はなくなり、そのうち飽きられたり、パクられたりすることになっていくのでしょう。「なんだ、ここにも売っているんだ」とがっかりした私や嫁以外にも、がっかりした方は少なくないかもしれません。

 もちろん、一企業が大手化して悪いことはありません。義剛氏の創業の考えかたと、現在が違ってきただけで、花畑牧場が大手酪農メーカーになるだけのことです。
 ただ残念なのは、現在、地方の疲弊が言われている中、超北海道ブランドになった花畑牧場が、超北海道ローカルに徹していたとしたら、北海道地方の活性化に相当に、しかも長く、貢献しただろうと思うことです。なにしろタレント社長ですし、創業の考え方が上記のようなものでしたから、私もそういうマイナー的な方向に向かうんだろうなと思っていましたし、そんなマイナー思考に魅力を感じていたのですが・・・。
 まあ、今でも十分に北海道地方の経済に貢献しているとは思いますが、これから長期的に考えるとどうなんでしょう。東京進出してメジャー化すれば、相当に儲かるのでしょうが、北海道まで行こうと思う気持ちにはつながりませんね。商品の魅力も一般化されてしまうような気がして、そのあたりが残念なんですね。

 一ボケ医者が、もとい、やぶ医者が、企業の方針にとやかく言う資格はありませんが、なんとなく、栄枯盛衰のモデルケースのような気がしてならないので、ここに書きとめておきます。一応、花畑牧場の今後のますますの発展を祈ってはおります・・・が・・・。

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2009/09/26

ホテルでいつも思うこと

 旅行やら出張やらで、ホテルに宿泊することが何度もありますが、毎度毎度、疑問に思うことや、ついついやってしまうことがあります。日本式?の旅館などであれば問題ないのですが、洋風はダメですね。私が生粋の日本人ということでしょうか。

 洋風の(という表現が適切かどうかは問題がありますが・・・)ホテルで、まず疑問に思うことといえば、とにかく、部屋が暗いことでしょうか。部屋に入ったときに、部屋中の電気という電気をつけますが(フットランプも含めて)パーっと明るくはなりませんね。天井に蛍光灯をつければ済みそうですが、いわゆる白熱灯系?のランプがちょっとと、ベットのところの明かりくらいですから、勘弁なりません。明かり代わりにテレビをつけるはめになりますね。

 テレビと言えば、都内の有名ホテルでも、いまだにデジダル化していないところが結構あるのはびっくりします。先日泊まった、某外資系乗っ取りホテルでは、テレビがブラウン管、アナログであったのはもちろん、タンスのような箱にテレビが入れられており(おしゃれのつもりだと思われますが)、テレビ正面からしか見れませんでした。が、そのテレビ正面というのが、ベットの端くらいであり、床に座らないと見れません。ベットで寝転んでみるにはちょっと無理でした。外資イコール立派なホテルと思ったら大間違いですね。

 床と言えば、ホテルの床はじゅうたんが敷かれていますね。和風旅館であればもちろん畳なわけで、畳に上がる前に、当然靴を脱いでしまうわけですが、ホテルの部屋のじゅうたんは、当然ながら土足用?ですよね。しかし、残念ながら生粋の日本人の私は、じゅうたんと言えば裸足・・・、しっかり靴を脱いでしまい、スリッパを履くのは面倒くさくてやってられません。だいたい、シャワーなどを浴びたあと、あの簡易のスリッパなんて履いていられません。裸足です。汚いですかね。まあ土足用?であることはわかっているのですが・・・。

 シャワーといえば、ホテルで最も納得いかないのが、トイレつき浴室ですね。ついでに、洗面台も同室のことが多いでしょうか。まあ、狭いホテルのシングルであれば、仕方ないかとも思うのですが、それなりのホテルで、つまり十分トイレを別にできるスペースがあるにもかかわらず、しかもツインなど複数人泊まる部屋でのあのトイレつき浴室には疑問符を付けざるを得ません。日本人的には、シャワーではなく、お湯を張ったお風呂に入りたいのですが、洗い場に当たる部分に、便器があっては、それはかないません。それだけでも納得いきませんが、それ以外にも・・・・。

 例えば、たとえ夫婦でツインに泊まっていたとしても、一人がシャワーを浴びている隣で、用をたすのはちょっと無理ですよね。ましてや、”大”おやです。シャワー中はもちろん、例えば、嫁が洗面台で長い化粧タイムに入った場合、その間、大であろうが小であろうが、我慢するしかありませんね。においも気になります。私的には、何をどう考えても、スペースがあるのであれば、当然トイレは分けるべきだと考えますがいかがでしょうか。いっしょというのは何かと不便さを感じますね。外人は平気なんでしょうか・・・。

 あと、今だにどうしていいのかわからないことがあります。それは、ホテルのベットで「さあ寝よう」と思ったとき、あのキューっときつくマットの下に食い込ませてある、布団風の?布団の代わりの??ぺらぺらの毛布andシーツ??をどう扱ったらいいのか?という疑問です。昔、気の小さかった私は、あの毛布andシーツをマットの下から引っ張り出していいものなのか、それはマナー違反なのか(笑)を、迷いに迷った挙句、結局引っ張り出さずに、ちょうど張り詰めたジーンズのポケットの中に物を入れたときのような感じでキューと締め付けられた状態で寝ていました・・・。その後、さすがにそれは寝苦しいと感じ、ベットの横に食い込ませてある部分は引っ張り出して寝るようになりましたが、私の場合、足が自由に布団の外に出ないとダメなんですね。結局全部ひっぺがえして寝るようになりましたが、朝起きると毛布andシーツが、くっちゃくちゃもいいとこです。あれが日本人の美学に合わないんですね(大笑)。最近は、また横だけひっぺがえすようになり、体を斜めにして足を出しながら寝るというスタイルに落ち着きました・・・。ということで、どなたか、正式な扱い方を教えてください・・・。

 もう一つ、ホテルのいやなところがあります。朝ゆっくり起きだし、朝食時間ぎりぎりに部屋を出て、朝食会場に行こうとすると、廊下に嫌というほど、部屋掃除の用のコンテナ?が出動しており、部屋の掃除を始めていることです。早くチェックアウトして出て行けといわんばかりじゃないですか、そうは思いませんか?(被害妄想ですけど・・)。できれば、宿泊客には見えないように掃除をしてもらいたいものですが、なかなかそうはいきませんかね。

 ということで、田舎者の戯れ言でした。「いなかっぺ大将」が、トイレを風呂と間違え、浴室に用を足していたシーンを思い出しますが、私も五十歩百歩かもしれません・・・。

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2009/09/24

八ッ場ダム問題は新政権の試金石かも?

 新政権になったばかりですが、さっそく、八ツ場ダム建設中止の問題が、マスコミをにぎわせています。
 もともと八ツ場ダムの問題は、新政権が発足する前から「住民に反対者はいない」等の報道がされていましたから、これは新政権の試金石的問題になると感じていました。
 ダム建設が必要なのか不必要なのか、実質的な答えを私は持ち合わせませんが、まあ、なんと言うのでしょう、報道各社の対応は、私の予想したとおりの方向へ進んだことは間違いありません。

 私が予想したとおりと言いながら、その予想を私はどこにも書いていませんので、これを結果論的評論と言うわけですが(笑)、要するに、ダム建設推進派の意見をふんだんに報道して、新政権に突きつけるのだろうなあと感じていたわけです。それは、政権が建設反対だから、報道は建設推進を報道するだろうという、ごく単純な構図で、特に陰謀論でも何でもありません。

 私の意見を先に書いてしまいますと、お金が余計にかかろうと、かかるまいと、建設がかなり進んでしまっていようとも、そうでなかろうとも、ダムの建設が必要と判断すれば建設すればいいと思いますし、ダムが必要ないのであれば、やはり中止すべきだと感じます。建設が計画されてから、長い年月がたち、当初の目的がどこかに行ってしまったり、建設費がどんどん増大したり、別の方法が生まれているにもかかわらず、一度決めた計画は元に戻すことができないというのが、旧自民党政権への批判の一つだったわけで、今回の政権交代により、そんな硬直化した決定方法が変更されるのであれば、私はそちらに期待をしたいと感じます。ですから、本当にダム建設が無駄だということであれば、そう新政権が考えているのであれば、中止に踏み切るべきでしょう。残念ながら、建設推進住民の皆さんの「国が一度決めたことだから守るべきことだ」という反論は、上記理由で私は賛成できません。もう一つ屁理屈を言えば、「国交相は、建設の是非を白紙にすべきで、建設中止ありきは問題」なる反論もちょっと理屈に合いません。ならば、住民の皆さんも「方針を白紙にして、建設続行ありきではない」ということになってしまいますが、そうではないでしょう。
 
 ただ問題なのは、住民の皆さんは当事者であり、所詮私は第三者であるということはあります。私の意見の逆を言えば、建設されようと、されまいと、被害者は翻弄され続けた地元住民のみということになりましょうか。その気持ちが私にわかるかと言われると、なんとも答えようがありません。間に挟まれるつらさが容易に想像できますから、私は政治家なんかに絶対なりたくないわけですが、そんなしょうもない私の変わりに、新政権の政治家の皆さんには、それを乗り越えていただけなければならないわけです。それが野党にはけっしてない、与党としての責任と言えるのではないでしょうか。まさに与党としての、責任政党としての試金石と言ったのはこのことです。

 ただ、毎度のこととして報道はいただけません。建設反対派はいないとまでされていますが、これは本当でしょうか。過去のダム建設の経緯を知りませんが、反対派はもともといなかったのでしょうか。現在建設に反対している人はいないのでしょうか。また、根本的な問題として、このダムは必要なのでしょうか。我々一般の人間は、ダムの必要性がわからないからその情報を待っているのであって(私だけかもしれませんが・・・)、本当にダム建設が必要であれば、民主党が反対のための反対をしていたというだけのことですし、そんなことのために建設中止するのも許せません。
 そういう意味でも、新政権には、国民にもう一度建設中止の理由をはっきり伝える義務があると思いますし、報道も客観的にそれを伝えるべきだと思います。

 再度繰り返しますが、結局のところ、建設がされようがされまいが、被害者は翻弄され続けた地元の方々ということになると思います。ただ、それは過去を踏襲しない新政権が悪いという理屈にはならず、別問題だとは思います。これを乗り越えることができるかできないか、どのような過程を踏むのか、建設の有無にかかわらず、新政権の力量が試されていると思います。

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2009/09/17

無駄論的柳川立花藩

 先週、やっと夏休みが取れたため、夫婦で九州へ行ってきました。昨年が、鹿児島から熊本、今年は、熊本から柳川を通って福岡という旅程となりました。
 基本的に、我々夫婦の行くところ、ほとんどが”雨”なわけですが(雨男・雨女)、今年は、晴男に晴子で大変暑い思いをしました。今後何か天変地異が起きないことを祈るばかりです。

 私は、戦国時代マニアのつもりですが、あまり九州の戦国時代については詳しくありません。それは、私が特に戦国時代にはまったきっかけとなる、「信長の野望、戦国群雄伝」に九州地方がなかったからだと感じています(笑)。もう一つ詳しくない理由が、九州の戦国武将の名前の漢字がなかなか読めないことにあります。大友宗麟は読めますが、大友義鎮は読めません。よしちん??。息子の義統も読めません。よしとう??。高橋鎮種って何者?ちんたね??。戸次鑑連なんて絶対読めません。とつぎかんれん??。だれそれ??。最近の信長の野望を島津でやったときは、全く漢字が読めないので、適当にニックネームのように「よしちん」とか、「かんれん」とか呼びながらやっていましたが、おかげでまったく理解が深まりませんでした・・・。

 実は、今回、柳川での舟遊びが旅程に組まれたため、この柳川について下調べをしていました。柳川は、江戸時代、立花藩であったとのことで、藩祖立花宗茂について調べだしたら、戦国マニアの本能に火がついて、よしちんやら、、かんれんやら、ちんたねのことを調べる羽目になりました。まあ、マニアですから、楽しいんですけどね。 
 調べるうちにわかったことは、鎮は「しげ」、鑑は「あき」、統は「むね」と読むらしいことです。この3つの字が読めると、結構慣れてきて、九州のいろいろな武将の名前を読むことができるようになりました。宗麟の義鎮は「よししげ」、息子義統は「よしむね」、戸次は「べっき」(戸次川は「へつぎがわ」と読むらしいのですが・・)って覚えるしかありませんが、鑑連は「あきつら」、鎮種は「しげたね」・・・、こういうのが読めると、なんとなくマニアっぽくて良いですね。ちなみに高橋鎮種の父は吉弘鑑理・・・ってやっぱり読めないんですが、「あき」は読めるようになりましたから、理を「ただ」と読むと覚えればいいだけですね。「よしひろあきただ」・・・まあ、名前か苗字かよくわからない名前です。高橋鎮種の初名が、吉弘鎮理とWikipediaに書いてありますが、おそらく、「ちんり」とは読まず(笑)、「しげただ」と読むのでしょう。

 そういう意味では、立花宗茂というのは、「むねしげ」と実に読みやすいのですが、残念ながらこれは最後の名前らしく、若い頃の呼び名のなかには、「統虎」やら「鎮虎」やら書いてありますから、これだと読めませんね。ふりがながなければ「とうとら」に「ちんとら」です。父の「ちんたね」は、「高橋紹運」の呼び名のほうが有名ですね。養父の「かんれん」も、「立花道雪」のほうが断然有名です。ともに猛将であり、息子の宗茂もそんな環境で鍛え上げられ、鎮西一とも呼ばれる武将に成長したのでしょう。

 ただ、私のいい加減な理解では、立花宗茂は関ヶ原の戦いのとき、西軍について大津城攻めをし、改易されたと思っていたのですが、改易後に再び柳川に立花藩が成立したのですね。調べてびっくりですが、関ヶ原の戦いで改易された大名の中で、大名として返り咲いたのは立花宗茂ただ一人のようです。しかも、全くの旧領にです。敵ながら、家康には相当に気に入られていたのでしょう。

 まあ、そんなこんなを調べていて、だいぶ九州の戦国にも明るくなりました。旅も下調べがあるかないかで、思いが変わってきますね。マニア的にたいへん有意義な旅になりました。立花を調べすぎて、福岡黒田藩のことをあまり調べられなかったのは残念ですが、まあ、また今度の機会にでも・・・。

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2009/09/03

二大政党制に埋もれる政治家

 テレビに出ている政治家の発言を聞いていると、不思議に思うことがあります。それは、その政治家の発言が、個人的な発言なのか、それとも政党を代表しての発言なのか、どちらかはっきりしないまま、無責任に発言していることです。

 無責任に発言している人もいますが、自分の意見と、党の意見が違っていて、苦しそうに発言している人もいます。無責任ではありませんが、つらそうですね。民主党の岡田さんなんかは、苦しそうなのが伝わってきて、正直かわいそうです。民主党なんかは、イデオロギー的に右から左まで、多数のバリエーションをそろえていますから、党の方針と全く違ったイデオロギーを持った方々は、どう考えているのでしょうか。苦しそうに、自分を捨てて党の方針通りに発言するのか、のらりくらりかわしながらごまかすのか、いずれにしても可哀相な現場ではあります。

 世の中が、二大政党制になりつつあるわけですが、二大政党制の一つの問題点が、この政治家と政党の関係ということになりましょうか。今回の総選挙のように、政権交代が問題となれば、有権者は、個々の政治家の考え方や意見や人柄を判断するのではなく、どの政党に属しているのかということだけが問題となります。そういう意味では、ここ二回の衆議院総選挙は、政治家ではなく政党を選ぶ選挙であったわけで、すべて比例代表でもよかったかもしれません。
 そんなことを考えると、今の世の中において、政治家個人の存在とは、どうあるべきなのか?、別に私が悩むことではありませんが、政治家の皆さんはどう考えているのか知りたいですね。

 はっきり言ってしまうと、自民党と民主党のことを二大政党と呼ぶより、二大派閥と言ったほうが良いのではないかと考えたりもします。二つの派閥は、それぞれ、ただの仲良し集団であり、単に政権交代のために二つあるだけという感じでしょうか。そこに、個々の政治家がそれぞれの色を出せる場所というのは、それほど多くは無いように思います。二大政党ということは、考え方は多くてもざっくり二つしかないのですから、個々の考え方が政党の方針に埋もれてしまうのは当然かもしれません。
 
 前回の郵政選挙後あたりでしょうか、四大政党論という駄文を書いたことがありますが、基本的に今も私の考える理想の政治体系は、イデオロギーと保守革新で区切った、四大政党なんですね(最低三大政党)。二大政党のような、仲良し集団的では、個人政治家の色がうずもれてしまって、何をどう考えているのかまったくわからなくなってしまうわけですが、これが四集団に分割されれば、その政治家の立ち位置がはっきりし、しかも三つ巴や四つ巴(そんな言葉無いか・・・)の小選挙区の争いになれば、所属政党だけでは勝ち抜けません。やはり政治家個人の色がでるかなあと期待できるわけです。
 
 民主党も300議席もとってしまうと、下々の新人議員などは発言もできず、個人の掲げる政策実行もできず、一握りの執行部が決めた方針を、自分の方針として受け止めなければならないのでしょうね。全くもって無駄というのか、可哀想というのか・・・。

 私の座右の銘は、「鶏口牛後」、勝ち組といえども、大集団の尻尾にはなりたくないですね。マイナー路線の目立ちたがり屋とでも言えばいいのでしょうか。

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2009/08/27

無駄論的「幸村と信繁と小十郎」

 以前、戦国武将のソムリエなるマニア文を書いたことがありますが、最近、「歴女」なる言葉も一般化され、さらに女性に戦国武将ブームが起きていることは、私のようなマニアにとって大変うれしい限りです。

 先日、朝の番組で歴女の特集?をやっていましたが、この時人気の武将として「片倉小十郎」の名前が挙がっていました。NHK大河ドラマの「伊達政宗」では、たしか西郷輝彦さんが演じていたと記憶しますが、伊達政宗、一の家臣とはいえ、歴女の人気武将になるとはびっくりです。武将的には、伊達成実の方がかっこいい気がしますが(私見・・・)。どちらかと言うと一門武将よりは、忠臣のほうが、”はやり”という事なのでしょう。

 ところで、片倉小十郎よりは明らかにメジャーで、イメージ的にもかっこよく、そして最後は意地を貫いた武将と言えば、「真田幸村」の名前が挙がると思います。当然、歴女にも人気であることは想像に硬くありません。そして、昨日のNHK歴史秘話ヒストリアで、「ザ・ラスト戦国ヒーロー~伝説に秘められた誇り~」として、この真田幸村が取り上げられていました。

 マニア的には、真田幸村という名前は誤りで、「真田信繁」というのが正しいわけですが、このNHKの番組は、当然そのことを知りながら(だと思いますが)、あまりこだわりなく、名が通っている「幸村」で通していました。この「信繁」という名前は、おそらく、武田信玄の弟、「武田信繁」からつけられたのではないかと想像するわけですが、歴女の方、ぜひこの武田信繁にもご注目ください。なかなかにすばらしい人物です。うむむ、また一門武将だから、はやらないか・・・。

 私は、武田家の家督争いの中で、武田信繁が信玄に殺されずに、重臣として武田家を支えたことは、「戦国七不思議」の一つだと考えています。ちなみに七不思議のその他六不思議は、全く考えていませんが・・・。信玄の父、武田信虎は、武田家の家督を、長男の信玄ではなく、弟の信繁にと考えていたらしく、それが父、信虎追放の原因の一つであったと考えられるわけですが、そうだとすると、信繁はみすみす当主の座を逃したことになります。信繁を取り巻く家臣団もさぞがっかりしたに違いありません。当然のことながら、当の信繁やその家臣団に、それなりの色気があり、不満を抱えていたとしたら、親兄弟、殺しあっても当たり前の戦国時代、家督争いや、暗殺沙汰が当然起きたに違いありません。そう考えると、信玄が信繁を殺さなかったのが非常に不思議なわけですが、おそらく、信繁が相当にできた”弟”であり、そのあたりの雰囲気を敏感に感じとり行動し、乗り切っていったに違いありません。

 そして、武田信繁の最後は、かの「第四回川中島の合戦」。おそらく、武田信玄にとって、この信繁の戦死は相当につらく、武田家にとって相当なダメージだったに違いありません。信玄の身代わりになって死んだと言ってもいいようなこの信繁の死はなんともいえませんね。歴女の皆様、もっともっと武田信繁に注目してください!!。

 ところで、本題の?真田幸村の話ですが、NHK歴史秘話ヒストリアによれば、大阪夏の陣で最後を迎える前日、自分の子供たちを、敵将である伊達政宗の家臣「片倉小十郎」に預けたというのですね。ついでに、この小十郎に預けた幸村の娘を、小十郎が正室(後室)に迎えたというのです。ということで、真田幸村を冒頭の歴女注目の片倉小十郎につなげてみました・・・と言いたいところですが・・・。

 そんな、真田幸村と片倉小十郎の関係を全く知らなかった私は、なんとなくおかしいなあ??とテレビを見ながら感じていました。真田幸村の娘を片倉小十郎の正室??にするには、年齢的にどうか?、小十郎はそろそろ死ぬんじゃなかったか?と感じたわけです。

 そんな疑問を感じたため、いつもどおり手っ取り早くWikipediaで調べたわけですが、私のかすかな記憶の通り、「片倉小十郎」は病床に臥して大阪の陣には参戦しておらず、夏の陣の翌年には死んでいるんですね。で、調べた結果、幸村の子供たちを預かったのは、小十郎の息子の「片倉重長」であり、冒頭歴女に人気の片倉小十郎ではなかったわけです。
 Wikipediaによれば、「「小十郎」は代々の当主が踏襲して名乗るようになった」とのことで、NHKの番組の中で重長のことを「片倉小十郎」としてしまったようですが、全くの説明不足としか言いようがありません。当然「片倉小十郎」といえば、片倉家初代の、歴女に人気の「片倉小十郎景綱」と考えるのが普通ですから、NHKの凡ミス?(本気で知らなかったのかも・・・)でしょう。マニアはそういうところを見ているのですから、NHKの気の緩み方が気に入りませんね。
 
 と言うことで、全く持って取り留めのない話に終始してみました。まもなく、新しい「信長の野望」が発売されるとのこと、改めて、ゲームを通して、歴史を勉強しようと考えている私、彰の介でございます。

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2009/08/20

塞翁が馬の選挙戦

 選挙戦が始まり、日本中選挙一色(覚せい剤と二色??)の今日この頃です。
 しかし、よく考えてみれば、4年前には自民党の歴史に残る大勝利であったにもかかわらず、この選挙は敗色濃厚と言われていますね。勝ちすぎることが良いとは限らないと言うことでしょうか。

 今回、政権交代し、自民党が野に下れば、細川連立内閣以来ということになりましょうか。あの時はあの時で熱狂したような気もしますが、実際政権についてみれば、あれよあれよと言う間にボロが見え始め、実績もないまま終了した感じでした。あれは、日本の歴史にとって、大変痛い出来事だったかもしれません。やっぱり自民党でないとダメか??という雰囲気となり、自民党も巧みな連衡策で政権に立ち戻りました。あれから15年以上がたつのですね・・・。

 自民党にとって今回の総選挙は、大勝利の後、大敗(あくまで予想ですが)かもしれませんが、しかし、順番からいくと次の次はまた勝利かもしれません。民主党を中心とする与党が、全く実行力を持たないか、しょうもない政策ばかり実行したとすれば、次の参議院選挙で、自民大勝の可能性もあり、再び日本はねじれの時代を迎える可能性があります。つまり、民主党にとっては、今回の選挙で大勝することが大事なのではなく、政権をとったその時から、いかにまともな政治をするかどうかが問題であることは言うまでもないわけです。

 自民党にとっても大敗によって(あくまで予想ですが)人身が一掃され、今よりは、かなりまともな政党に脱皮できるかもしれません。そのあたり歴史はまさに「塞翁が馬」です。
 
 私の指摘したように、民主党が先の先まで読んでいたとすれば、野党時代から、いい加減な反対のための反対はできません。今回政権をもち、マニュフェストについつい書いてしまった反対党時代の政策を、結局実行できないとか、実行して大失敗するとかすれば、大やけどを負うことになるでしょう。今回が大勝であれば大勝であるほど、やけどは大きくなりそうです。
 
 私の思いは、民主党政権(あくまで予想ですが)があまりにも早く、細川連立政権のように退陣となりませんようにという切なる願いです。それは、日本にとって、またしても政治的停滞をうみ、不幸の歴史になるに違いないのですから・・・。
 でも、はとぽっぽでは厳しいか・・・。ポッポ、ポッポ・・・。

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2009/08/11

地震発生!

 私は現在静岡県某所に住んでいますが、ご存知のように、本日朝5時ごろ地震が発生し、大変な揺れで目を覚まし、飛び起きました。私自身全く被害はありませんでしたが、怪我をされた方も多数おられるとのこと、お見舞い申し上げます。
 我が家の場合、大きな物が落ちたり、本棚が倒れたりするような、大きな被害はほとんどありませんでしたが、よくよく地震後の部屋を見てみると、テレビをのせていたテレビ台が、テレビごと10cmくらい動いていたり(幸いテレビは倒れませんでした)、小物がいくつか倒れていたり、ケロロ軍曹の置物が倒れていたりしていました。

 正直、人生四捨五入すれば40年、部屋の小物が倒れるほどの、身の危険を感じるほどの地震は今回が初めてです。ちなみにこの地震発生当時、外はものすごい豪雨と落雷で、その恐怖が倍増されました。
 
 すぐさま、テレビをつけて情報を収集しましたが、やはり東海地震との関連が一番気になりました。規模的には東海地震にははるかに及ばないようですが、となると、本物の東海地震がおきたときは、一体全体どうなることやら・・・、考えただけでもぞっとします。

 私の場合、いろいろ言われながら結局のところ、自然災害用の準備は皆無でした。いかに日ごろ、他地方で起きている地震を他人事と考えていたかがよくわかりました。さすがに今回は肝を冷やしたこともあり、遅ればせながらいざというときの準備しなくてはならないと考えた次第です。
 また、大地震発生時、今日のように天候が豪雨だったら、火災の危険は少ないかもしれませんが、ものすごいパニック状態になることが予想されます。地震と天候と発生時間は、基本的に無関係ですから、最悪の状況の組み合わせも想定しないといけないと感じます。

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2009/08/06

原爆の日 オバマジョリティー 

 本日は64回目の、原爆の日です。
 本日は少し時間があったため、朝8時10分頃から式典の中継を見はじめ、8時15分から一分間の黙祷をし、秋葉市長の平和宣言、小学生2人による平和への誓いを聞きました。

 ノリピー失踪を相当に心配し、8時からのテレビのワイドショーに釘付けの妻に、「NHKに変えてほしいんだけど、原爆の日だから・・」と言ってみると「そうね」と言って、すぐにチャンネルを変えてくれたことは、正直、うれしかったですね。それで、夫婦そろって黙祷しました。2年前の原爆の日にも短いエントリーをしたのですが(原爆の日)、象徴としての「原爆の日」も、各テレビですべて中継し、国民を上げて黙祷すべきだと考えますが、どうでしょうか。

 昨今、日本にも北朝鮮の影響もあり、核武装論が強くなってきました。何の不安もない状況であればともかく、実際核爆弾が飛んでくるかもしれないとなれば、核保有論もありか・・・と考えなくもなかった私ですが、本日の原爆の日に黙祷し、改めて考えを元に戻し、核武装論などありえないという結論に至りました。核廃絶を世界で最も訴えるべき日本が核武装するということは、世界中の核拡散を認めることに他なりません。

 「Obamajority (オバマジョリティー)」、秋葉市長の平和宣言に出てきた言葉です。アメリカのオバマ大統領の、「核兵器を使った唯一の国として、核兵器のない世界の実現のために努力をする道義的責任がある」という内容の発言を支持し、我々は核廃絶のための活動をする責任があるとしています。この点を強調するため、世界の多数派である我々自身を「オバマジョリティー」と呼び、2020年までの核廃絶の実現を世界に訴えるというのです。オバマ大統領が、真の核廃絶論者であるかどうかは、不透明な部分がありますが、こうして、核大国アメリカの大統領を、核廃絶を願う多数派(Majority)の中に引き込むことこそ、核廃絶の活動そのものということになりましょうか。

 私は、私自身が、日本人として、オバマジョリティーの一員でありたい、一員でなければならないと考えました。心強いのは、それが多数派(Majority)であることであり、少数派(Minority)ではないということです。少数派たる核武装論者の方々は、N-Armainority (N(核)-アーマイノリティー、つづりは微妙ですが)とでも名づけましょうか。日本での、N-アーマイノリティーの方々は、非常に声が大きく、とてもMinorityとは感じないわけで、私も核武装論を考えなくもなかったことは上記の通りです。しかし、世界で唯一の被爆国である日本人の我々が、核のない世界を自ら放棄するという考え方には、やはり賛同できません。北の核武装にも文句が言えません。
 
 無論、オバマジョリティー、N-アーマイノリティー、ともに現実と理想のはざまで、それぞれに矛盾を抱えていることは事実だと思われます。そこに、真の答えを持つほど、私は考えがまとまっていません。しかし、総論は、オバマジョリティーです。1945年8月6日、原爆で亡くなった方々の願いは、核のない世界であると信じています。

 (原爆関連の広島長崎を南京にするな!もぜひ参照ください。)

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2009/08/01

録画三昧の日々

 先日、薄型テレビを購入し、アナログ時代に終止符を打った我が家ですが(大型薄型テレビ購入顛末)、この新しいテレビには録画機能がついており、現在録画三昧の日々になっております。と言っても、ほとんど妻が占拠しておりますが・・・。

 今更の話ですが、デジタル世界のテレビ録画はいいものですね。何しろ画質がよすぎます。ビデオテープ時代はとっくに終わっており、こんな話を出すのも恥ずかしいですが、巻き戻しとか、頭だしとか全く不要で、ありがたい限りです(本当に今更の話で申し訳ありません)。そしてなんといってもうれしいのが、さっと、CMをとばせることでしょうか。あれは便利すぎて涙がちょちょ切れます。

 以前、CMとばして山場見られずという記事を書いたのですが、この苦痛が消えました。リモコンに30秒とばすというボタンがあり、これを使えば、あっという間にCMをとばして山場を見ることができます。あまりにも便利すぎて、録画していない、正規の番組を見ているときでも、ついついCMが入るとこの30秒飛ばしボタンを押してしまうくらいです。何しろ画質に差がないので、録画を見ているのか、正規の番組を見ているのかよくわかりませんから・・・。

 また、日曜の朝7時に番組が移動してしまった「ヤッターマン」を見るのも、早起きする必要がなくなりました。余裕で10時ごろ起き出して、録画を見ればいいのですから感激です。よーく番組表を見てみると、朝早い時間に子供向け番組が集中しているような気がしますが、これは録画を前提にした配置なんでしょうか。これも、とっくにデジタル化されたご家庭では、当たり前のことなんでしょうけど、浦島系の私にとっては何もかもが新鮮です。

 ということで、何度も言いますが、今更のお話申し訳ありませんでした。新型のテレビのCMもとばしていますので、自分で自分の首を絞めている電機メーカーの方々が、本当にお気の毒です。CMとばし、やめませんけど・・・。

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2009/07/30

パクリは文化?

 先日、「学べる!!ニュースショー」なる番組で、「中国ってこんな国」なる内容の放送がされていました。
中国といえば、著作権なる概念はなく、パクリ王国の印象がありますが、そこのところを、ジャーナリストの池上彰氏がうまく解説していました。まあ、うまく解説されても、中国のパクリ王国の地位が揺らぐものではありませんが・・・。

 中国のパクリ体質のひどさに関する質問に対して池上氏は、
 

「歴史的に、経済が次第次第に豊かになってきて、「「自分の国で作ったものを他の国にまねをされると困るよね」」と言う状態になって、初めて、そういう著作権の意識って生まれるんですよ。日本もあまりえらそうなことは言えなくて、昔は、他の国で作ったものをそっくり物まねをして、輸出していたという時代がありました。」

と解説していました。中国はまだ発展途上ということで、別に中国の擁護発言ではありません。著作権やオリジナルに対する思いというものが、どのような過程で生まれてくるのかをうまく解説されたなあと感じました。中国も自国発の確固たる製品を作り上げ、思いっきり真似されれば、著作権をうるさく言いはじめるのでしょう。まあ、過去の自分たちの姿を反省するかどうかはわかりませんが・・・。

 と言って、日本ではすでに「パクリ文化」や「便乗文化」なるものが絶滅したかと言えば、決してそんなことはないと思われます。
 その昔、アサヒスーパードライが人気を博したときは、巷に「ドライ○○」というわけのわからない商品があふれました。スーパードライつながりでビールのことを言えば、缶の包装、ネーミングなど、「パクリ商品」が山のようにあります。電化製品など、以前「ファジイ」「マイナスイオン」なるキーワードで、同じような商品が店頭に並び、現在「エコ」なる非エコ商品?が多数売られています。アップルのiMac?でしたか、そっくりのコンピューターを売り出したメーカーもありました。便乗と言う意味では、昨今の「産地偽装」も同じ類でしょう。「まねをすれば売れる」が、「国産と書けば売れる」に変わっただけですから。

 私は、オリジナル商品を生み出そうとせず、パクったり、便乗したりして、「楽して儲けよう」という考え方は好きにはなれません。しかし、一般に世間では、あからさまな「パクリ」はまずいとしながらも、あれが売れるならうちもちょっとまねして・・・的な考えは、少なからず許されてきたような気もします。それはパクリではなく、競争の中でやむを得ずという部分もあったかもしれません。

 先日、そんな「パクリ文化」の偉大さに気づいたのが、各地方にある「ご当地グルメ」です。歴史的に名物料理というのは、その土地でしか取れないもの、その土地でよく取れるものがベースになっているとは思いますが、それだけではありません。
 例えば、現在「名古屋めし」の一つとされている「あんかけスパゲッティ」は、あんかけの具や、パスタが名古屋名産というわけではありません。おそらく、どこかのお店でこの「あんかけスパゲティ」が考案され(とある資料ではヨコイということになっていましたが)、多くの店がパクったに違いありません。そのように、どこかで「元祖」のオリジナル商品が作られ、その地方の店が徐々にパクることで「ご当地グルメ」が誕生したのではないかと考えたりするわけです。

 昨今、地方の戦略として「ご当地グルメ」を創出する動きもあるようですが、いわゆる昔からあるB級グルメ的なものには、「パクリ文化」は必要不可欠だったに違いありません。「あの店であんなのが売れているからうちでも出そう」ってな感じでしょう。
 
 これはいいことなのでしょうか、悪いことなのでしょうか?。私は上で書いたとおり、基本的にオリジナルを作り出さず、パクって儲けようとする考え方はあまり好きにはなりません。現在の著作権や特許的な考え方からすれば、「元祖」の利益が確保されなかったと言うことになるでしょう。
 ただ、例えば「あんかけスパ」であれば、ある一軒の店に行かなくても多くの店で食べられるという客としてのメリットがあります。また、逆にやっぱり「ヨコイのソースしかいや」的な元祖帰りも見られます。あんかけスパと言えども、まずいものはまずいわけで、パクリと言えども手抜きは許されないわけです。そういう意味で、広まったあとにオリジナルが際立つという現象もおきてきて、それはそれでいいことのようにも感じられます。

 そんなことを考えると、パクリ文化もまんざらではない?かもしれず、パクリ文化の良し悪しに関する結論は今のところ出せません。ある意味、世間においしいものや便利なものが広がると考えれば、著作権だ特許だなんて考えはちっぽけな考え方かもしれません。
 最終的には、「職人のうでこそ特許」であって、「まねできるものならまねしてみろ!」というのが、健全な姿のような気がしてきました。

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«借金は財源の根拠か?