2009/07/09

エクスプレス予約で自由席

 私はよく東海道新幹線を使うため、JR東海のエクスプレスカードの会員になっており、携帯電話でピピっと予約をして新幹線に乗っています。最近では、EX-ICなるカードがあり、あらかじめ予約をしておけば、新幹線も切符がいらない、チケットレス乗車となりました。正直、非常に便利になったものです。便利といえば、直前まで予約を変更できることもありがたいですね。自由席料金で指定席が乗れるというのもうれしいものです。ポイントが貯まれば、グリーン車にもポイントで乗れるという特典もあり、何度か贅沢気分を楽しみました。

 しかし、残念ながら、最近では、乗りたい電車がなかなか予約できない事態になっています。直前ならいざ知らず、随分前(数日から場合によっては数週間前)から予約を入れているのに、「満席です」なんて表示が出るんですね。これでは全くメリッとが感じられなくなりました。もしかすると、私が乗降している駅が、地方駅であるため、2時間に一本しかない「ひかり」号に、予約が殺到していることが背景にあるのかもしれません。そんなとき、ついつい「この前タダでグリーンに乗ったから、今回もグリーンでいいか・・・」な~んて考えてしまいそうになるのですが、それはJR東海の思う壺なんでしょうね、たぶん。大阪、名古屋、東京の「のぞみ」であれば、さほど混んではいないのでしょうか。

 そんなわけで、時間の巡り合わせによっては、各駅停車の「こだま」に乗らざるを得ない場合もあるわけですが、これがまた不思議な現象が起こっています。「こだま」はもともとお客が少ないせいか、自由席が多く、指定席が「ひかり」や「のぞみ」より少ないわけですが、最近やたらとこの「こだま」の指定席が混んでいるのです。エクスプレス予約のせいなのでしょうか。

 先日「こだま」の指定席に予約を入れたときもかなり混んでいましたが、実は隣の自由席はガラガラだったのです。静かに寝ていきたい私は、迷わず自由席へ直行して席を確保しました。実は自由席には2つのメリットがあります。1つは、ガラガラだったらの話ですが、自由席は自由席だけに、うるさい子供を連れた家族とか、臭い足を窓に押し上げているオヤジとか、飲んだくれの集団とかを避けて乗ることができます。もう1つのメリットは、あのイマイマシイ、車掌による「切符拝見」がほとんど無いことです。

 指定席の場合、あのイマイマシイ切符拝見が必ずやってきます。皆様も経験があると思いますが、丁度寝入った頃を見計らってやって来ますよね。チケットレス時代になんであの切符拝見が必要なのか全く意味不明ですが、あそこで睡眠を妨害されるとなんともやりきれない気持ちになりませんか・・・、私だけですか?・・・。
 
 ただし、残念ながら、先日自由席でも切符拝見がありました。切符の確認はないと決め込み、気を緩めて寝入っていた私は、目の前に車掌が直立不動で立っているのに気づいた時、思わず「わ~~!」とびっくりして大声出しちゃいました。車掌は何食わぬ顔で「切符の拝見です」とくるもんだから、腹が立ちますね。まあ、本気で寝ているとやり過ごしてくれるようですが、あの切符拝見だけは何とかならないものでしょうか。

 ところで、別の日のことですが、喫煙席しか予約できなかったのに、これまた自由席が(もちろん禁煙席が)ガラガラということもありました。最近ではさすがに慣れてきて、「こだま」に乗る場合は、自由席の前で並ぶようになりました。もし自由席が混んでいたら、取ってある予約席に行けばいいのです。
 
 今後、このサービスを使う人が増えたらますます予約が取りにくくなると思うのですが、そろそろ会員募集を打ち止めにしてもらえないでしょうか。それでこの会員権を譲渡可としてもらえれば、ちょっとした財産になったりして・・・。まあ、たいていこういうバカなことを考えるような人間は、寝込みに切符拝見される程度の人間なんでしょうけどね。

 というわけで、皆様も、「こだま」の旅を楽しんでみませんか。ゆったりと駅に止まっている時、隣を猛スピードで「ひかり」や「のぞみ」が何台も追い越していきます。そしてこれが何とも言えない屈辱なわけですが、その屈辱に耐えうる忍耐力が徐々に備わりつつあることを実感している、私彰の介なのでした。
 
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2009/07/02

大型薄型テレビ購入顛末

 ついに我が家のテレビが、アナログからデジタル化されました。ついでに今流行の「エコ」の象徴たる、液晶テレビの購入により、南極の氷も解けなくてすむのでしょうか(そんなわけなし!)。

 今まで我が家にあったテレビは、1992年生のSHARPのブラウン管テレビです。ちなみに音声はステレオではありません。大きさは、正確に表現できませんが、20インチくらいでしょうか。さすがに古くなってしまったのか、最近、画面の上1/5位が急に収縮するような画像になり、人の顔で言えばちょうど”おでこ”のない人物であふれるという怪奇現象が続いていました。エコポイントのこともあり、この際新しいテレビを買おうということになり、何度も量販店に通うことになりました。

 そこで考えさせられたのが、メーカーや、量販店の購買意欲増進策の数々です。結局のところ、私はその策略にはまってテレビを買うことになるわけですが、「人はこうやって騙されて物を購入するのか・・・」ということをいろいろ経験するこのになったというのが本日のお話です。

 我が家には一応ビデオデッキがあったのですが、これをテレビにつなげると、ただでさえ悪い画面が、相当に悪く見るに絶えない状態であったためつなげておらず、録画というものがずーっとできない状態でした。そこで、今回、録画のための道具も買おうとしていたのですが、そんなおり、目に飛び込んできたのが「ハードディスク内蔵型テレビ」です。ある日の量販店でのテレビの物色の際、店員に、「録画も簡単ですよ」という話をされたため、かなり候補の上位になったのですが、別の日に同じ量販店に行ったときの店員の説明は、全く逆になっていました。

 私「ハードディスク内蔵型はいいですね」
 店員「いやー、本当に操作が苦手なご年配の方しかお勧めしません。やはり、別にレコーダーをご購入いただくことをお勧めします。」
 私「内蔵型は何かまずいのですか?」
 店員「ハードディスクが故障しますと、テレビ本体を修理に出すことになってしまいます。ハードディスクも寿命がありますし・・・」
 私「寿命??、どのくらいなのですか?」
 店員「まあ、3年くらいで壊れますね・・・

 「お宅の店の商品、3年で壊れるようなもの売ってるんですか!」と突っ込みをいれようかと思ったのですが、まあ明らかに別にレコーダー購入へ誘導されているなあと感じ、その店員からは離れました。確かに、コンピューターのハードディスクもある日突然ということがあるわけですが、3年で故障を宣言する店員も店員です。そんなこといったら、レコーダーのハードディスクの寿命はどうなんでしょうか。よくわからんですね。少し時が過ぎ、現在、内蔵型テレビの録画部分は、テレビ本体からはずせるような仕組みになってきているようですが、あの店員はまた別の手段で、レコーダーを売ろうと策を練っているに違いありません。

 我が家は、テレビが置けるスペースの関係で、32型を考えていたのですが、量販店に行くと、とんでもない大きな画面のテレビがたくさん置いてあり、32型が随分小さく見えました。しかし、32型はざっと新聞紙を広げた大きさであり、間違いなく小さくはありません。我が家の古いテレビに比べれば、馬鹿でかいテレビです。
 しかし、この32型テレビの説明に書かれている、大きさの目安にはびっくりしました。

~4.5畳の部屋用

 おいおい、4.5畳はないでしょう。広げた新聞紙の大きさですよ。4.5畳の部屋においてもそれはその人の勝手ですが、6畳だろうが8畳だろうが、10畳だろうが、十分な大きさでしょう。そもそも4.5畳と書いてある前の「~」はなんですか?。ドラえもんの寝床の押入れにも32型を置きますか??。ちょっと考えるに、4.5畳用はあまりにひどいうたい文句だと感じるのは私だけでしょうか。

 いろいろとテレビの機能、グレードを調べてみますと、今のはやり文句は「倍速」「フルハイビジョン」あたりのようです。最近ソニーが「4倍速」をテレビCMでアピールしていますね。まあ、そんなことを言われたり知ってしまったりすると、少しでもハイグレードのいい物をと思うわけですが、ここでも、しっかり心をくじかれました。

 私「32型で、倍速、フルハイビジョンってないんですか?」
 店員「基本的に、37型以上を大型テレビと言いまして、32型は小型のテレビになります。37型以上であれば、たいてい倍速、フルハイビジョンとなっておりますが、32型は一部の機種のみですね。スペース的に問題がなければ37型以上をお勧めしますが。この40型はいかがでしょうか・・・」

 だ、か、ら、新聞紙を広げた大きさは、十分大型テレビでしょ!!。小型のテレビとは何事ぞ!!。要するに、目を凝らしてみれば、倍速フルハイビジョンの方が画像がいいのでしょうが(それ自体、或いはその技術自体を否定しませんが)、32型くらいであれば、さほど問題がないということでしょう(地デジレベルなら。こだわり派の方を否定しているのではありませんのであしからず)。最低限、1992年製のブラウン管テレビの画像よりは、いいに決まっています。
 
 これまたその説明を、「大型」「小型」という言葉で表現するのはいかがなものなんでしょうか。なんか、かなり馬鹿にされてるみたいでいやですね。四畳半の古アパートにお住みの方は、小型テレビでもどうぞってな感じですか。それでいて、しっかり新聞紙広げたサイズで、店員の言われるがままレコーダーと一緒に買えば下手したら20万くらいかかりますよ。これは、高利貸し並みの悪徳商法ですね。

 結局、我が家は、嫁と相談の上、半年型落ちの(在庫処分セールだったのか??)BD内臓亀山モデル32型に落ち着きました。四畳半の部屋ではありませんが、32型です。くどいですが、新聞紙を広げた大きさがあり、決して小型テレビではありません。なんとなく、慣れるともう少し大きい型でもいい?と思うような気がするのが一抹の不安ですが、録画編集なんて全く考えていない(見れない番組を撮っておければいい)我々には十分すぎる買い物でした。

 ということで、家電を買うにも、随分いろいろな仕掛けがあるものです。これを私は霊感商法と同じと考えているわけですが、このあたりの記事(霊感商法とエコ商法)もご参照の程。

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2009/06/25

東国原騒動とみっともない鳩兄民主

 世間では「東国原騒動」が話題になっていますね。
 
 自民党として、次期衆議院選挙に出馬する条件として、「総裁候補に」??って言ったようですが、意味がよくわかりません。「総裁にしろ」ならわかりやすいのですが、「総裁候補」ってなんですか?。総裁選に出たいのであれば、出ればいいだけだと思うのですが。「総裁候補として衆議院選挙を戦う」??ってそんな肩書きありですか?。言われたほうの古賀さんも、どうぞご自由に出馬してくださいと言えばよかったんじゃないですかね。

 まあ、東国原さんが、国政に色気たっぷりという雰囲気は伝わってきました。それくらい興味があるのであれば、最初から知事にならなければよかったのにと思うくらいです。宮崎県民は、あまり望んでいないことような気がしますが、どうなんでしょう。

 それにしても、自民党内の麻生叩き、および東国原知事への衆議員選挙出馬要請に対する、民主党代表、はとっぽっぽ兄のコメントはいただけません。
 民主党にとって、麻生総理が衆議員選挙前に総理総裁をやめてしまう(あるいはやめさせられる?)ことは、極めてマイナス要素でしょう。また、大人気の東国原知事が、自民党から出馬するのであれば、それも当然民主党にとっては痛手となるでしょう。

 しかしだからと言って、 

「次期衆議員選挙は、麻生総理で戦われるべきだ」
「東国原知事は県政を投げ出されるのか」

などの発言は、実にみっともないと思いませんか。相手の自民党の総裁が誰であろうが、民主党がとやかく言うことではないでしょう。誰に代わろうが、正々堂々戦うしかないわけですし、総裁が変わったくらいで民主党が負けるのであれば、民主党に力がないからに他なりません。東国原知事についても、出馬されると痛いだけであって、「県政云々・・」がいいわけであるのは明らかです。当然民主党から出ると言い出したら、喜んで公認するでしょうし・・・。まあ、民主党でも、「次期代表候補」を肩書きにすると言い出すかもしれませんが。

 私は、そんな代表の発言から、民主党への期待度がどんどん低下しています。党内に小沢爆弾を抱えたままで、また、あまり実行可能ではない政策の数々から、政権をとっても、自民党と五十歩百歩かなあという評価です。うむむ、次期総選挙は、どうしよう・・・。

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2009/06/23

示談成立で不起訴?

 この記事ですが・・・、「京都教育大生の集団準強姦、逮捕の6人釈放…示談成立で」・・・、なんとなく釈然としません。抜粋しますと、

京都教育大の男子学生6人が集団準強姦容疑で逮捕された事件で、京都地検は22日、全員を処分保留で釈放した。被害者の女子大生との間で、示談が成立し、女子大生が告訴を取り下げた。集団準強姦罪は告訴が必要な親告罪ではないが、地検は「処罰感情が緩んでおり、起訴する必要がない」と判断した。6人は、不起訴(起訴猶予)となる見通し。

 以前に、集団の場合は、親告罪ではないという話を聞いたことがあったため、おかしいなあと思ったのですが、その通りの説明がしてあります。変だと思うのは、処罰感情が緩んでいる??って、当然被害者側の話なのでしょうが、被害者の処罰感情が緩めば、世の犯罪は不起訴になるということですか・・・??。現実どうなっているのかわかりませんが、例えば、金庫を盗んだ犯人が、被害者に金庫を返し、被害者が「戻ってきたからいいや」と思えば、不起訴ですか?。人殺しをしても、家族とお金などで示談??が成立し、被害者家族が、「まあいいか」と思えば不起訴ですか??、よくわかりませんね。
 
 まあ、裁判などで、被害者がいやな思いをするということで、被害者配慮から不起訴としたとしても、記事中の地検次席検事なる方の次の発言は全く理解できません。

西浦久子・地検次席検事は「示談の動きがなければ公判請求する方針だったので、強制捜査に問題はなかった。むしろ捜査で事実を解明したことで、示談という双方に良い形で終結できたと思う」と話した。

 被害者にとっていい方向かもしれませんが、加害者にいい方向???ってどういう意味か全くわかりません。単純に、不起訴でよかったねという意味ですか??。罪はどこへ行ったのだろう・・・。

 すべてをひっくるめて、結果的に、この事件自体、事件といえるほどのことではなかった??という意味であるとするならば、警察の捜査にいきすぎがあったことと、マスコミの騒ぎすぎが問題ということになりますね。記事中、ドサクサ紛れに検察が言い訳めいたことを言っており、少し怪しい気がしますが、ここまで明るみになってしまってからではなんともなりません。
 まあ、いろいろな意味で、こういうのを、「ちゃんちゃん」というのでしょう。

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2009/06/18

快気祝いと快気内祝い

 あるマナーに関する本を読んでいて、疑問に思うことがありました。マナーというものは、基本的に普遍的でなければならないと思うわけですが、いろんなところで「最近ではこの方式でも許される」なんて書いてあるわけです。何が疑問かといえば、一体全体誰が新しいマナー?やり方?を許しているかという問題です。一般市民が許しているなら、「正しいマナー」なるものは存在しないことになりますし、「日本マナー標準化協会(仮名)」なるものでもあるんですか?。
 
 ということで、マナーは私のような屁理屈屋の格好の餌食になることに気づいてしまったため、今後いろいろと記事にするかもしれません。というか、正しいマナーなるものをいかにもそれらしく語っている方々に対する屁理屈なのですが・・・。

 ところで、その昔、妻が病気で入院後、退院したときに、お見舞いをもらった方々にお返しをしなければならないということになりました。しかし、お恥ずかしながら、そんなお返しのマナーを、私は全く知りませんでした。妻や身内から、或いは自分で調べ、お返しは「快気祝い」ということ、ただし妻の場合は全快ではなく通院が必要なため「快気内祝い」とするべきこと、お返しの品は、病気が消える、或いは流れるを連想させる、食べ物や洗剤類がいいことと知り、そのような形でお返しをしました。

 そんなことから1年以上がたち、たまたま読んだのが前段のマナーに関する本です。この本の「快気祝い」と「快気内祝い」の違いに関する記述が、上記と異なる内容であったため、あれっと思ったわけです。ということで、このお見舞いのお返しをする場合、のしの表書きをどうすべきなのか、いろいろと調べてみました。すると、これがまた、(ネットで調べただけですが)、まあ、いろいろな”説”があることがわかりました。全くこのマナー?に関し、普遍化はされていないようです。ちなみに、Yahoo!知恵袋も見てみましたが、まあ、質問ごとに答えが違うありさまで、全く信頼できません。一応、このお返しに関して、共通した見解としては、「水引は結びきりにすること」「食べ物や調味料、石鹸や洗剤など後に残らないものがいいこと」「額はお見舞いの1/2から1/3程度」ということでした。

 ちなみに、(ネットの)辞書で「快気祝い」を調べてみると、「病気の全快を祝うこと、病中に見舞ってくれた人に贈り物等をしてお礼の気持ちを表すこと」となっています。「快気内祝い」は掲載されていません。「内祝い」は、「近親者だけでする祝い、自分の家の祝いの記念に、親しい人に贈り物をすること、あるいはその品」となっています。それを踏まえ、私が調べた限りの「快気祝いと快気内祝いの違い」に関する数々の「お説」を披露します。お説の内容には私の考察も含まれるため、私が誤って理解している可能性があります。また、細かいことははぶきましたので、ご了承ください。

 説1、調べてみて最も多い説ですが、上記私が聞いた内容通り、全快の場合は「快気祝い」、通院が必要な場合は「快気内祝い」とする説。これは「内祝い」という言葉にとりあえずのお返しという意味があるという解釈で、全快してないけどとりあえず・・・ということから、全快していなければ「快気内祝い」とするという考え方のようです。

 説2、内祝いだろうがなんだろうが、「快気」=「全快」とする説。すなわち、「快気祝い」も「快気内祝い」も、どちらでも同じ(どちらを使ってもいい)という考え方です。ただし、あくまで全快の場合であって、通院が必要な場合は「退院祝い」さらに病気が長引くことが考えられる場合は「お見舞御礼」とする説です。

 説3、説2同様、「快気祝い」「快気内祝い」のどちらも同じとする説ですが、全快の場合は「全快祝い」とし、通院が必要な場合は「快気祝い」か「快気内祝い」のどちらかにするという説。

 説4、「内祝い」という言葉は、お返しの品という意味があり、お返しの品物を送る以上、その品物につける、のしは「快気内祝い」であるとする説。

 説5、そもそも快気祝いとは他人が病気をした方にするお祝いであって、病気をした人からお返しをする場合は、「快気内祝い」とするべきとする説。

 ざっと5説あげさせてもらいましたが、当然ほかにもいろいろな考え方や、やり方があるに違いありません。ちなみに、三越で買うとなぜか「快気祝」の一本のようです(たぶん・・)。上記が、地域差なのか、時代差なのか全くわかりません。同じ地方と思われるギフト業者の記載内容にも違いがありましたから、地域差だけとも言えないようです。これほどの違いがあるにもかかわらず、これを「マナー」として良いものかどうかは正直疑問です。

 私はどう考えるかですが・・・、まず第一に、説5ではありませんが、全快した祝いを、本人がするのは本来おかしな話で、身内や近親者がお祝いするのが普通でしょう。したがって、たとえ全快であっても「快気祝い」という言葉はどうも変な気がします。ただ、だからといって、「快気内祝い」がいいかというと、快気という言葉からは、やはり全快というイメージがありますから、全快していない人が「快気内祝い」とするのもどもうしっくりきません。ですから、私の説は、全快者が「快気内祝い」、全快していないひとは「お見舞御礼」とするのがいいかなあとも思いますが、現代の常識、マナーなるものからは「快気内祝い」「お見舞御礼」では思ったより病体が悪いととられる可能性もあり、この説を実行されないことを希望いたします(笑)。当たり前か・・・。
 
 もし私がマナー標準化協会(仮名)の会長であれば(笑)、現代日本語として、もっとも意味がわかりやすいのは「お見舞御礼」であり、全快かどうかは、あいさつ文を同封することで表すというのが良いのではないかと考え、普及に努めますね。全快かどうかを、わかりにくい暗号のような言葉で表そうとするから、上記のような混乱につながると思うからです。
 皆様はどのようにお感じになりましたでしょうか。まあ、どうでもいいといえばどうでもいいことです・・・けど。

 ということで、意外にマナーには普遍性がないことを書かせていただきました。地域、時代で常識は変わりますから当たり前かもしれませんが。となると、したり顔でマナーを解説するやからは、一体何を根拠にマナーといってるのやら、実に疑問ですね。

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2009/06/11

霊感商法とエコ商法

 霊感商法で印鑑を売っていた業者が逮捕されるという事件があったようですが、この霊感商法というのは非常に厄介なものだと感じます。どこまでが宗教的で、どこからが犯罪なのか、その線引きは非常に難しいような気がするからです。もちろん、非常に難しいということで、霊感商法を擁護するつもりは毛頭ありませんので、最初に断っておきます。

 例えば、印鑑というものを考えてみると、ただの印としての役割ではなく、縁起物?というのでしょうか、商売繁盛を祈念して、或いは個人の幸福を祈って、印の材質やら何やらを考えて購入される方も多いと思います。上記書いたように、だからといって、「これを買わないと不幸になる」と脅し、高額なものを売りつける行為が良いわけがありませんが、しかし、「あなたの生まれ年であれば、象牙が一番良いと思います」位のことを言う業者はいるでしょう。象牙が一番幸福を呼ぶと言われていたとしても、その科学的根拠がないのはもちろん、この売り文句にはたぶんに宗教的なニュアンスが含まれ、不幸になるという脅しと内容は大きく変わりません。要するに程度問題であって、線引きが難しいと思うのはこのあたりのことが関係しています。

 以前にも書いたのですが、日本の古来からの宗教にも程度の軽い霊感商法はいくらでもあります。
 戒名なんていうのはその代表でしょう。「生前の彼の偉大な功績を考えますと院号を・・・」って、私は、はっきりこの場で言わせていただきますが、これは霊感商法です!(断言)。大体、親族が勢ぞろいしているところで、「院号を・・」なんて言われて、「ああ、いりません」ってなかなか言えるものではありませんよ。親戚の長老クラスが「そうですね・・」なんて坊さんに相槌を打ったら一巻の終わりです。しかも、常識的な5千円、1万円というレベルの金額ではないのですから・・・。これは霊感and集団催眠商法と言ったほうが良いでしょうか。

 細かいことを言えば、神社の各種お守りや、合格祈願などの絵馬などはどうなんでしょう。その効果の科学的根拠はもちろんありません。神社批判は、以前、初詣CMに異議ありという記事に書いたことがあります。神社側がお守りや絵馬の効能について検証を行うことはないでしょうから、根拠のないものを宗教的に売っている時点で霊感商法です。
 まあ、犯罪かどうかはただの程度問題(線引きの問題)で中身はそれほど変わらないと思っているわけです。 

 そして、昨今の「エコ商法」も霊感商法の親戚みたいなものでしょう。エコ商法に限らず、電化製品でいえば一昔前の「ファジー商法」ちょっと前の「マイナスイオン商法」もまさに霊感商法みたいなものです。アサヒのスーパードライが売れ出した頃には、ちまたに「ドライ商法」?(やたらにドライと名のつくわけのわからない商品があふれた・・・)ました。まあ、昨今の「産地偽装」こそ犯罪とされていますが、これらの商法と根本は変わりません。

 「電気代節約」「CO2削減」という言葉と、「あなたは不幸になりますよ・・・」という脅しと、騙している点でなんら変わるものではありません。もちろん、上っ面の「電気代節約」「CO2削減」という言葉にうそはないのでしょうが、実質、購買意欲をあおり、買い替えを促す時点で「エコ」ではありませんし、電気代の差額の回収や実質的CO2の回収にいったい何十年の月日が必要か、全く説明してないところは、騙しですね。まさに霊感商法です。

 ということで、かきなぐってしまったので、そのうち関連記事を書きたいと思っています。あまり説明しすぎて、どつぼにはまるのも困りますか・・・。

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2009/06/09

グリーンピースの謎

 お恥ずかしい話ですが、私はグリーンピースが何豆なのかを知りませんでした。
 ちなみにここでお話しするグリーンピースとは、環境保護団体の方ではなく、食べる豆のグリーンピースです。共通するのは、あまり好きではない・・・というところでしょうか。

 少し前になりますが、うちの嫁が、さや付きのグリーンピースを買ってきて、煎って食べさせてくれました。基本的にグリーンピースといえば、あまり好きではなく、シュウマイの上にのっているグリーンピースも取り除くぐらいだったのですが、この嫁がつくってくれたグリーンピースは非常においしいものでした。全くあの豆臭さがないんですね。嫁曰く、さや付きで、しかも新鮮でないとダメだそうで、豆を取り出した状態、要するに豆だけにして売っているものでは残念ながら臭いらしいのです。
 
 この大変癖のあるグリーンピース、好き嫌いがはっきり分かれる代表的な食べ物ですが、以前から漠然と疑問に思うことがありました。それは、グリーンピースのことを日本語で「○○豆」と呼ばずに、なぜ、横文字でグリーンピースと言うのだろうというものです。おそらく日本名があるはずなのに、グリーンピースはグリーンピースですよね。そこには何か秘密があるのではないかと考えたわけです。

 といって、図書館に行って調べるわけでもなく、手っ取り早く、Wikipediaでグリーンピースを調べてみたのですが・・・、いやはや、私は何も知らないことに気づいてしまいました。グリーンピースって、要するにエンドウ豆だったのですね・・・、全く知りませんでした。私にとって「エンドウ豆」とは、大洋ホエールズの遠藤投手のことであり(笑)、ナゴヤ球場で観戦中、彼が投げると「エンドウ豆!エンドウ豆!」とよくヤジを飛ばしたものです。まあ、決まって我がドラゴンズが押さえられるので、悔しい思い出しかありませんが・・・。

 このエンドウ豆の若いうち、まだ、さやが柔らかいうちに豆をさやごと食べるのが「さやエンドウ」、まだ熟していない未熟な種子が「グリーンピース」、成熟した豆を甘く調理したものが「ウグイス豆」だそうですね。詳しくは書いてありませんでしたが、おそらく今は、さやエンドウを採るための、或はグリーンピースを採るための、それぞれ適した品種というものがあるのでしょう。スナップエンドウもエンドウ豆の改良品種なんでしょうね。

 それにしても、さやエンドウならいくらでも食べられるのですが、やっぱりグリーンピースはおいしいものに当たった覚えがありません。上記、シュウマイのトッピングしかり、ミックスベジタブルしかり、豆ご飯しかり・・・。グリーンピースを「好き嫌いがはっきり分かれる」と書いたのですが、半数の方はおいしいですか?。まあ、食べられないわけではありませんが、好きこのんでは食べませんね。だから、新鮮なグリーンピースを料理してもらって、食べたときのおいしさには、正直たまげたというお話しです。

 ということで、結局の所、このエンドウ豆の未熟な種子であるグリーンピースをなぜ横文字でグリーンピースと呼ぶのかはわかりませんでした。単純に「みどり豆」ではダメなんですかね。「におい豆」とか「くさ豆」でも良さそうですが・・・。何となく、豆じゃなくて、カメみたいですが・・・。
 もう完全な季節外れになってしまいましたが、あの新鮮なグリーンピースだったら、来年も食べてみたいと思っている、彰の介でした。

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2009/06/04

ツバメの巣の今昔

 ツバメの巣といって、中華の高級食材を思い出しているあなた、不況の折、そちらの話ではありません。春先にわたってくる、日本のツバメの、巣の話です。当然ですが、日本のツバメの巣は、泥でできているので、中華の食材にはなりません。もちろん、和食料理店でも出されません。

 日本人にとって、軒先などにツバメが巣をつくり子育てすることは、縁起がいいもの(子孫繁栄、商売繁盛でしょうか)とされているようで、古来より大切にされてきたようです。私の実家でも、新しい家を立てる前の、古い家に住んでいた頃は、毎年のようにやってきて子育てしていました。そのため、私にとってツバメは非常に身近な存在です。

 昔の私の家の場合、玄関を入った土間の天井に巣を作っていました。したがって、ツバメは玄関を入らないと巣にたどり着くことができないのです。基本的に玄関は閉めますよね。我が家の場合、昔の家ですから引き戸なわけですが、ツバメの来る季節は必ず玄関を10cmくらい開けっ放しにしていたのです。たった10cmですが、猛スピードでツバメは玄関を入って、巣に飛んでいきます。そして、夜になると、親ツバメがいることを確認して玄関を閉め、朝早くおばあちゃんが玄関を開けた時、親ツバメがえさ探しに出かけるというサイクルが成り立っていました(夜、親ツバメがいないこともあったかも・・・)。

 まあ、なんと言ってもツバメのかわいいところと言えば、えさを持って飛んできた親ツバメに、兄弟そろって大きな口をあけ、ピーチクパーチクいいながらえさをねだるところでしょう。ツバメのえさは飛んでいる昆虫のようで、食べ損ねた大きな蝶やトンボがよく下に落ちていました。夜いたずらで、懐中電灯の光をツバメの巣に向けると、驚くのか、何かと勘違いするのか、いっせいにピーチクパーチクするのが楽しくて、よくからかっていました。
 残念ながら人がすまなくなったその家の巣に、ツバメが戻ってくることはありませんでしたが、新しい家に巣をかけてくれないものかと何度も思ったものです。

 ツバメという鳥を考えると、他の鳥と比べ非常に不思議なことは、私の家の例でも明らかなように、人間の生活に密着していると言うことです。基本的に人間の家か人工の建物以外には巣を作りませんね。しかも、目立たない家の裏側や人通りの少ないところに巣を作るというのもあまり聞いたことがありません。わざわざ玄関付近に、有名どころでは駅など人通りの激しいところで子育てしますよね。実に不思議な限りです。
 それだけ人間を信用しているということなのでしょうが、残念ながら昨今はそういうわけにはいかないようです。

 先日、近くのスーパーにツバメの巣が作られたようなのですが、店の人が撤去してしまったようです。そのスーパーの「お客様のご意見」なる投書を読んでいたところ、「なぜツバメの巣を壊してしまったのか!」と言う怒りの意見が張り出してあり、「食品を扱う以上衛生面の問題がありやむを得ず撤去しました」なる返事が書かれていました。
 私の場合、上記の通りツバメ大好きで、このお客様と同じ意見なわけですが、良いか悪いかは別にして、昨今、ツバメを衛生上汚いものとして(糞が降ってくる)考える人も決して少なくないようです。つまり、このスーパーで、このツバメの巣をそのままにしておいたらおいたで、「食品を売る店で、ツバメを野放しにしているのは衛生上問題ないのか!」なる投書もされたであろうことは想像に難くないという話です。

 実を言うと、このところ私が見ている近所のツバメの巣で、まともに雛が巣立っているのをあまり見ないのです。原因その1はカラスですが(襲っているのを目撃しました)、その2は、作りかけのツバメの巣がいつの間にか撤去されていることが非常に多いように思われるのです。
 
 撤去といっても、ツバメ嫌いではなさそうな例もあります。ある家では、駐車場の屋根のど真ん中に巣を作られ撤去(そのままだと、車の中央部屋根にツバメの糞が・・・)。端っこに巣箱をかけて誘導したようですが、残念ながら親ツバメは戻ってこず・・・。ある家では、軒先の巣を撤去。ところがこのツバメは執念深く、全く同じ場所にまた巣をかけました。ご主人も観念して巣の下に糞受けの板を取り付けますが、この作業が影響してか親ツバメ戻ってこず。
 それなら私も理解したいのですが、私にとって残念ながら、「汚い、不衛生」が理由と思われる撤去も何件か認められました。残念ながら今年は、近所中のツバメの巣が、撤去か親ツバメの放棄で壊滅してしまいました。ある日いきなり巣がないのですから、ツバメ派の私にとってはがっかりなのです。

 ツバメの巣が汚いかそれとも汚くないかと言えば、糞が落ちてきますから汚いでしょう。昔の我が家でも、新聞紙や広告の紙を下にひいて、毎日取り替えていたことを思い出します。不衛生かどうかと言えば、それは野生動物ですし、糞のこともありますし、衛生的とは言い難いでしょう。ただ、個人的に私の経験を言うと、ツバメが原因で何か病気にかかった覚えはありません。日本中探せば重大な感染症にかかった人がいるかもしれませんが、昔から人々の近くにいて病気云々ということが問題になったのでしょうか。これは、大丈夫だ、衛生上問題ない、と言っているわけではなく、全く知識がないのでわからないという話です。

 あと、残念ながら泥やら、糞やら、昆虫やらが空から降ってくることを含め、生理的に野鳥を受け付けないという人もいるでしょう。かわいいというだけなら誰でもできますが、実際家の軒先で毎日糞爆弾をお見舞いされれば、いやになる方もいるでしょう。おこがましくも私の立場で、ツバメのために我慢しろとはなかなか言えません。巣の撤去を残念とは思っていますが、批判まではできないかなあ・・・。

 ということで、また我が家にツバメが戻ってくることを楽しみにしている私です。今のところ近所のツバメは全滅で、雛を見ることができないのですが、どこかで元気にピーチクパーチクやってる兄弟が、来年」、この近所に戻ってきてくれることを願うばかりです。

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2009/05/28

マスコミによる「第1号叩き」の罪

 なんとなく、今回のインフルエンザ騒動は、マスコミの報道を見る限り収束向かっているようです。というか、マスコミの報道が下火になってきたから、インフルエンザが収束してきているともいえますが・・・。

 ところで、今回の騒動で、マスコミの患者叩き?というか「第1号叩き」は度を越えていたと思います。報道することはともかく、叩く必要はありません。もちろん、あおりも必要ありません(「あおる」?「過対策」?どっちなの?インフル報道)。

 そんな中、我々・・と言うと語弊があるので、医療関係者たる私が考えたことと言えば、「地域における第1号患者が来ませんように・・」という切なる思いです。まだ私の場合、病院の勤務医ですからいいほうかもしれませんが、開業医の先生の中に、相当に風評被害というのを意識した方は多かったのではないでしょうか。また、今のところ聞いていませんが、医師の中で「感染第1号」にでもなったら、ものすごい吊るし上げを食うことになるでしょう。これは想像を絶するバッシングの嵐になると思われます。
 
 そこで、全くの創造的ファンタジーな話ですが、そのあたりのマスコミ対策を想定し、危機管理体制をとった医療関係者、医療機関、場合によっては自治体?がおそらくあっただろうということです。
 まあ、その一つの手段が、発熱患者の診療拒否なわけですが(発熱で診療拒否)、そこまでしなくても、怪しい患者に、インフルエンザの検査をしなければいいだけの話です。インフルエンザの検査さえしなければ、新型インフルエンザは発生しません。発生さえしなければ、吊るし上げや、風評被害は出ないわけです。特に弱毒とわかってからを考えれば、人命にかかわる話でもありません。ほんの数年前まで、インフルエンザの薬なんてなかったわけですし、まじめに対応すれば損をしそうだと考えることは想像に硬くありません。

 さらにファンタジーな話を考えれば、自治体レベルで新型陽性を握りつぶしたところはなかったのでしょうか。都市部はもちろん、田舎でも観光地などで発生すれば、その風評被害ははかりしれませんから。握りつぶしはひどい想像かもしれませんが、まじめに検査し検体を送ってくる普通の医師を、煙たく思っていた自治体はあったかもしれません。上でも書いたとおり、検査さえしなければ、新型は発生しないのですから・・・。
 まあ、日本はともかく、隣の大国あたりは、握りつぶしているか、あるいは途中で検査をやめてしまったのではないかと考えている、私、彰の介でございます。

 上記の話は、私の勝手な想像で、なんの根拠もありませんが、マスコミの報道のあり方への警告とだけ受け取っていただければ幸いです。とにかく、第1号はごめんこうむりたいというのは、私の中では本音中の本音です。残念ながら、私の勤める病院では、今回のインフル対策がマニュアル化されているため、なかなか自分だけの一存で逃げ切れるものではありませんが、まあ運が悪かったと考えるしかありませんか。

 今後、強毒で伝染力の強い病原体が発生したとき、今回のような報道の問題ごときで、対策が後手後手に回りでもしたら最悪と言わねばなりません。というか、今回弱毒で、政府の初期対応がやりすぎとの批判もあり、「まじめな対応は損するだけだ」というのが今回の教訓だとすれば、これまた最悪です。
 そしてこの秋、街中で何かが起きていても、誰も何も言い出さないかもしれません。そして、誰かが「第1号」のリスクをとって語り始めたとき、すでに日本中で新・新型が蔓延していたとしても、不思議ではありません・・・。

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2009/05/21

「あおる」?「過対策」?どっちなの?インフル報道

 一応私は「マスコミ派」でないことをアピールしておかないといけないと思い、本日のエントリーです。
 
 日本中、新型インフルで大変なことになっていますが、マスコミ報道の一貫性のなさにはびっくりです。今回のインフルエンザに対して警戒するよう注意を呼びかけているのか、別に普通でいいのか?、政府、地方の対策が生ぬるかったのか、厳しすぎるのか?、一体全体どっちだと言いたいのかさっぱりわかりません。実際の所、注意を呼びかけるどころか、あおりにあおったあげくに、政府の対策はやり過ぎだ!!と批判する・・・、まあ、マスコミとはそんなものですか。

 だいたい腹が立つのは、関西圏でのインフル大発生を、まるで外国の出来事のように報道していた在京テレビ局が、いざ首都圏に発生となれば、過剰の5乗くらいの「あおり、つるし上げ報道」をしてしまっていることで、全く納得がいきません。別に首都圏だからといって何も特別なことはないのですから。
 だいたい、首都圏第一号の女子高生の通っていた高校の校長先生を、泣かせるまで責め立てる必要はあったのでしょうか??。

 第一号が出たからと言って、その女子高生の乗っていた飛行機の席から、乗っていた電車から、そんなに細かく報道する意味はあるのでしょうか。そして、降りた駅や、通っていた高校からの中継は必要なのでしょうか。そこだけ、その駅や学校だけが危険地帯なのでしょうか?。

 もし、そこまで報道するのなら、すなわち、感染地帯だったアメリカへの渡航を許した学校長がそんなに悪いのであれば、また、第一号患者の足取りがそれほどに問題であるのであれば、それら報道が「あおり」ではなく「注意喚起」なのであれば、もっと別のことを訴える必要もあると思われます。
 たとえば、関西に向かう、そして関西からやってくる人間のシャットアウトが絶対に必要ですから、東海道新幹線をストップさせるべきだと報道すべきです。だって、感染地帯へ行ったり行かせたりしたらつるし上げするんでしょ?、当然ですよね。首都圏の電車もストップ、羽田の閉鎖も当然のはずです。つまり、私は今回の報道そのものが、やり過ぎだと感じているわけです。

 さらに問題なのは、これらの報道が関西での大発生を受けてからの報道だと言うことです。すなわち、徐々に、今回の新型インフルが、弱毒であるという認識が広まりつつあるなかで、「首都圏」というお膝元でおこったことで、あわてふためいて「あおる」のもどうかと思うわけです。しかも、こういう過剰と思われる第一号叩きをしている同じ報道番組の中で、解説委員なる人たちが

「弱毒なのに今回のような厳しい対策が必要だったのか?。市民生活を混乱させ、経済的打撃を負わせた政府の対応を厳しく追及すべき!!」

なんて発言しているのですから、あまりにもおかしすぎます。具体的に私が見たのは、辛坊さんであり三反園さんなのですが、おいおい、そんな発言するなら、あなた方が今出ている、その番組のインフル発生に対する「あおり」報道をまずやめましょうよ、と言いたいですね。なにしろ弱毒なのですから。校長のつるし上げも、女子高生の飛行機の席も、学校の校門や駅からの中継も、何も必要ないではありませんか。
 一体全体、テレビの報道は、現在のインフル対策を行き過ぎと見ているのか、甘すぎるとみているのか全くわかりません。その場その場で、それらしい批判を繰り返しているに過ぎないようにも感じます。とにかく一貫性は全くありません。まあ、はっきり言って経済的損失の大部分は、マスコミによる風評被害だと思うのですが、どうでしょうか。

 そのあたり、今回の新型インフルに対する、政府、地方の対応に関し、私自身がどう評価しているかといえば、結果論として反省点は当然あるにしろ、総論的な対策はおおよそ妥当だったと考えています。結果論として弱毒だからというのは、今だから言えることで、メキシコではかなりの人が亡くなっているとされていた時に、弱毒と判断するのは不可能だったと思われます。そう考えれば、当初強毒として対策の手を打ったのは至極当然ではないでしょうか。そして現在、弱毒というデータがそろってきた時点で、対策を切り替えるという方向で進んでいるわけで、特に問題ないと思われます。また、弱毒だからといって、無策に蔓延させていいとも思えません。通常の季節性と同様の対応をとりつつも、きっちり検査をし、集団発生の情報をしっかり把握し、適当な対策を打っていくべきと思います。

 ついでに言うと、今回のインフル騒動では、マスコミの対応が医療機関にある問題を引きおこしていると考えます。まったくの想像の世界ではありますが、その当たりは次回に・・・。

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2009/05/14

学生帽と安全タスキ

 現在、中学や高校の校則、服装の指導というのはどの程度厳しいのでしょうか。まあ、昔よりは自由な方向に進んでいるのでしょうか。
 
 私の若かりし高校時代、あれこれ20年近くも前の話になってしまいましたが、まだまだ「校則」なるものが生徒と教師との軋轢を生んでいる時代でした。

 例えば学生帽。まあこの時代、この年頃、この学生帽は正直かっこう悪いものとされていました。ですから、誰もかぶっていませんでしたが、かぶっていないと先生にしかられるので、学校の校門が近くなったらかぶる、学校から帰るときだけかぶる(離れれば脱ぐ)というのが常でした。

 しかし、そんなことは先生方に当然ながらバレバレです。生徒指導などの先生が何とかして生徒に学生帽をかぶらせようとするのですが、ますますかぶらなくなるばかりです。そんなおりもおり、全校集会の場で、生徒指導の先生が、ついに禁じ手の一手を繰り出してしまいました。

「ちゃんと学生帽をかぶらなければダメだ!!。かぶっていれば、転んだ時に少しでも頭にケガをしなくてすむんだから!!」

 あーあ、言っちゃった!。全校集会大爆笑で、生徒指導の先生が赤っ恥をかいたのは言うまでもありません。学生帽はヘルメット代わりですか・・・、だったら普通にヘルメットのほうが理にかなってますね。もちろんヘルメットを強制されても、誰もかぶらなかったと思いますが。まあ、先生も学生帽をかぶらなければいけない正当な理由を持ち合わせていなかったことがはっきりしてしまった瞬間でした。使い古された言葉ですが、「高校生らしく・・・」なんて言葉の方が、まだよかったかもしれません。もちろん、学生を納得させる言葉でないことは明らかですが。

 時代はもう少しさかのぼって、私の中学時代。あれこれ20数年前のお話。私の通っていた中学は、いわゆる普通の学生服登校だったわけですが、なぜか、学生服に、蛍光の布が縫い付けてある、黄色い安全タスキを肩からかけることが義務化されていました。
 当時、大変まじめで、先生の言うことは絶対であった私は、ちゃんとこの安全タスキをかけて登校していたわけですが、ちょっと大人びるこの頃、このタスキがかっこ悪くて、かけていない生徒は結構いました。これも、先生の目が届く範囲内のみかけて後ははずすというパターンだったと思います。

 これもまた、生徒指導なる先生が生徒に注意するわけですが、この安全タスキは学生帽のケガ防止とは比ぶべくもない重要な機能があり、かけることの正当化はたやすいものでした。すなわち、学生服は黒いため、日が暮れれば真っ暗で、自動車などから発見されにくく大変危険であり、蛍光が反射するこの黄色いタスキをかけていれば安全であるという大義名分です。全校集会などで、それらの説明がされたかどうか忘れましたが、「タスキをしなければ危険で、交通事故に巻き込まれかねない」ということは繰り返し聞かされていたと思います。

 しかし、しかしです。当時は、このタスキに全く疑問を持ちませんでしたが、今更のように20数年の月日がたった今になって、ふつふつとある疑問が沸きあがってきました。あの頃に戻れるのなら、先生たちにその疑問をぶつけてみたかったですね。実に残念です。 

「学生服は真っ黒だから、夜は危険なんですよね。だから安全のために黄色いタスキをかけろと言われるのですよね・・・・、おや??、だとしたら、先生方は、なぜそんなに危険な、真っ黒の学生服を我々生徒に着させるのですか??」

 多分私の疑問は正論だと思われます(笑)。本気で生徒を守りたいのであれば、タスキではなく、真っ黒の学生服を蛍光色に変えるとか(大笑)、この危険を作り出す元凶を何とかしなければならないと考えるべきでしょう。タスキをしろしろと注意するわけですが、ちょっと視点を変えて考えてみれば、このいかにもありそうな大義名分も、実に怪しいものだと感じざるを得ませんね。
 
 時々地元に帰り、私たちの後輩たちの登下校の様子を見ると、学生服ではない子供たちをよく見ます。体育の授業用のジャージ姿が多いようです。いつの間にか学生服の登下校、ましてやタスキの義務化はなくなってしまったのでしょう。まあ、ただ単に時代が変わってしまっただけなのでしょうが、まさかこれが、学生服の危険性に気づいた先生方の考えだったら、拍手喝さいといきたいところですが・・・。ありえませんね。

 と言うことで、前回のエントリーで、「駐禁症候群」なる言葉を勝手に作ってしまいましたが、今回の逸話になぞらえて「安全タスキ症候群」なる言葉もできそうです。いかにもありそうな大義名分も視点を変えれば、全く名分の体をなしていない・・・まあそんな感じでしょうか。いずれ使うかも・・・。ということで、懐かしき学生時代を思い出してみました。

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2009/05/12

派閥論と駐禁症候群

 正直、最近、ネットメディアに疑問を感じている、私彰の介でございます。
 はっきり言って、最近というか、今頃でもあるわけですが、何事も一長一短と言うことを、肝に銘ずべきという心境です。

 先々回、発熱で診療拒否という記事を書いたのですが、あの元になっているマスコミ情報に、噛みついている記事などを見て、その一方的な視点が気になっていたことが(しかも、おもに身内擁護のためにしかなっていない)書いた理由の1つです。
 世の中、どんなことも、一方的な視点で片付くことは少ないと感じます。こっちも悪いし、あっちも悪い、こちら側も改善すべきで、あちら側も改善すべき・・・、ただ、ネットではなかなかそう言う議論にたどり着くことがないなあと感じているわけです。

  医療批判で言えば、昨今の「救急車のたらい回し報道」が問題になりました。当初のマスコミからの一方的な医師批判報道姿勢に対して、医療関係者側から「たらい回しではなく、受け入れできない状況、疲弊しきっている状況」等の情報が出されたのは、大変意味があったと思われます。私も医者の端くれとして、当然同様の意見を持っていたわけですが、過去、マスコミから医療批判はされるものの、医療側擁護の報道はありませんでしたから、大変な進歩と考えていました。

 この医療側からの意見を世に出す、1つの窓口になっていたと考えられるのがネット情報でしょう。医師の現実が、現場の医師から語られ始めたのですからこれ以上の情報はありません。
 
 ただし、以前の私の記事でも書いたのですが、世の中には裏の裏があり、疲弊しきっている医師がいる裏では、残念ながら疲弊を加速させ「援護狙撃」している、おさぼり医師も存在しているわけです。したがって、医療側の医療側のための情報公開は、実は、医療側の堕落のお手伝いもしているという側面もあるわけです。

 しかも、なぜかネット関係者??というのは、マスコミを仮想敵国としてしまっています。私も半分そうですが・・・。したがって、昨今、医療批判をマスコミが流せば、早速にマスコミ批判がネット上で展開されます。今回の発熱で診療拒否しかりです。

 私は、医療側の人間として、当然ながら医療側の擁護がしたいわけですが、一点の曇りもなく、正々堂々擁護ができるのであればともかく、そうでない時、気になることがあるときには、医療側の人間である以上、医療側を批判する立場で意見発信をしようと考えていますし、今まではそうしてきたと考えています。これを俗に、売国奴(笑)というわけですが、私は甘んじて売国奴と言われることを選びます。

 なぜならば、上記どおり、世の中の出来事は、一方的な視点で片付くことは、あまりないと考えているからです。医療側だから、医療の擁護しかしていけない、ネット人だからマスコミ批判しかしていけないというのは、私の言うところの本質論を見失った「派閥争い」にしか過ぎないと思うからです(本質論と派閥争い)。
 
 これを、勝手に、派閥論的議論とでも呼びましょうか。たとえば、医療派とマスコミ派といった派閥論的議論の問題点は、属する派閥の悪い点を、覆い隠してしまうことにあるでしょう。いや、無意識のうちに、覆い隠すことを目的としてしまっているというのが真実かもしれません。
 これを達成するためによく使われるテクニックが、「駐禁症候群」と私が勝手に今、命名したテクニックです。批判テクニックを論破するという記事に書いたのですが、駐車違反をしてしまったとき、切符を切ったお巡りさんに「もっと悪質な、スピード違反や飲酒運転をちゃんと取り締まったらどうだ!!、三億円事件の犯人捕まえるのが先と違うのか!!」と悪態をつくあの行為です。確かに、駐禁より悪い行為はたくさんありそうですが、要するに、無意識のうちに、駐禁という悪い行為を覆い隠そうとしているに過ぎない行為で、駐禁が免罪されるわけではないことは言うまでもありません。

 医療批判の批判も、マスコミをたたくことで、この駐禁症候群的行為を行っている場合が目につくので、どうかな?と、疑問がわいてきているのです。「マスコミが騒ぎよって!」というのはわかりますし、世間受けをねらった適当な報道であることも否定しません(私こそ、マスコミ肯定派ではないことをはっきり言っておかないと、マスコミ派にされてしまいますか?)。そこを批判するのはともかく、派閥論的になり、駐禁症候群的な批判を続ければ、現実には自己派閥擁護にしかならないということもしっかり考えるべきではないでしょうか。自己派閥擁護は、決して問題解決になりません。問題解決どころか、問題点を覆い隠す行為でもあるのですから・・・。

 書きなぐってしまったので、説明不足な文章になってしまいました。また改めて書き直します。矛盾点などあるかもしれませんが、ご容赦ください。

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2009/05/07

発熱で診療拒否

 新型インフルエンザの影響で、「発熱」患者の診療拒否が報道されています(新型インフル 診療拒否相次ぐ…都内で92件)。
 まあ、はっきり言って、私は絶対におきると思っていましたが、まさかこんなにも早く、しかもマスコミに嗅ぎつけられるとは思ってもいませんでした。水面下で起きることは目に見えていましたが。

 当然ですが、発熱患者が「新型インフルエンザ」か「その他の疾患」か、発熱という現象だけではもちろんわからないわけです。万が一、新型インフルエンザであればえらいことなので、発熱と聞いただけで体よく断る病院が出てくるというのは全く私の予想の範囲内でした。

 問題なのは、今のところ、あくまで今のところですが、大半の発熱患者は「新型インフルエンザ」ではないことでしょう。ちなみにこの記事を書いている時点で、日本の新型発生は報告されていません。したがって、上記、新型インフルエンザであればえらいことになるというのは、あくまで言い訳に過ぎません。断るのが先で、言い訳が新型インフルエンザということになりますか。

 その大半の、非新型インフル発熱患者は、診療を拒否されたらどうするのでしょうね。発熱外来はあくまで新型インフルを想定した外来ですから、おそらくパンクします。したがって、発熱患者で、明らかに渡航暦などリスクがない患者は、診療拒否する理由がないと思うのですが(あくまで今のところです)どうでしょう。さっそくにも、これら報道のいきすぎを指摘する意見も出ているようですが、私はそうは思いません。
 
 ただ、日本で感染の確認がされるのは時間の問題でしょうし、さらに国内での感染が広がった場合、発熱外来だけではパンクすると思われますが、そのときの対応が今のところ示されていません。現状の対応は、私の勤める病院も決まっていますが、感染が広がった場合の対応は全くわかりません。できればこれ以上感染が広がらないことを祈るばかりですが。

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2009/04/30

洗濯物が透明になる日

 洗濯洗剤のコマーシャルというと、真っ白なTシャツが空いっぱいに干してある、あの風景?を思い出します。
 それにしても、私が生まれてから三十数年、四捨五入すると四十年、洗濯洗剤のコマーシャルは常に以前より白くなる、当社比何%きれいになるとやり続けてきているのですから、そろそろ、最新の洗濯洗剤を使えば洗濯すると洗濯物も透明になっちゃうのではないでしょうか(大笑)。
 うむむ?、透明じゃなくて、究極の白か・・・、といっても実際のところそれほど真っ白になるのかどうか?まあ、コマーシャルでやってるほど白くはなりませんね。
 我々はどこかでだまされているとしか言いようがありません。

 話は変わりますが、私はひげそりにブラウン社製の物を使っています(深剃りの名はブラウン)。このブラウンのコマーシャルも、深剃り深剃りといい続けていますから、そろそろ剃ったら血だらけになってもよさそうなものです(笑)。おっと、肌には傷をつけずにひげを剃るんでした。
 しかし、最新のものでも、やっぱりつるつるにはなりませんね。音波??を使った振動で、細かなひげが毛穴から出るのを助けるそうですが、全く名ばかりの最新兵器です。毛穴から出す前に、毛穴からとっくに出ているひげを何とかしてもらいたいのですが・・・。これもなんとなくよさそうだとだまされているといってもいいでしょうか。

 全く話は変わりますが、昨今各社の「エコ」なるキャンペーンも、怪しいものばかりです。基本的に、エコを考えるなら、現在あるものを長く大事に使う方がよっぽどいいとのことです([ゴ―ログ] プリウスよりも中古車がエコ?「エコ」なのか「エゴ」なのか?)。これも何かだまされているのですね。
 
 車の話をすると、私が今乗っている「非エコ車」の燃費は、せいぜい7km/l、最新のプリウスが30km/l以上ですか。ざっと5倍近い燃費です。私は月5000円程度をガソリン代に使っていますが、これがプリウスなら1000円以下ですむことになります。すると年間5万円近くガソリン代がお得になります・・・・・が、が、が、これをプリウスの購入代金200万円ほどと比べれば、回収にざっと40年かかる計算になります。ガソリン代が安くつくからといって、生活が楽になるかのような錯覚をおこさせるのは、だましですね。もちろんコマーシャルでそんなことは言ってませんが。ガソリンを5分の1に減らせるのはエコでしょうが、その車を作るのには大量のCO2が排出されているらしいですし・・・。一番のエコは、ガソリン税の増税と高速道路料金の値上げでしょうか。まあ車に乗らないのが一番のエコですよね。 

 ついでに言えば、テレビでエコを訴えるのも本来おかしなことです。以前、エコ幻想というシリーズ記事を書いたのですが、この記事の一部を再掲しておきます。 
 

「エコ」をテレビ番組で強く言うのはどうなんでしょうね。何しろ、その番組作りに一体どれだけのCO2を排出し、テレビを見ることで一体どれだけのエネルギーを使っていることか・・・。

「明日のエコでは間に合わないから、テレビの電源をお切りください」

的な放送がされるのを楽しみに待っています。
 

 どれもこれもだましばかり、姑息なだましにはどう対抗しましょうか。そういえば、この「彰の介の証言」は、だましに近い記事ばかり・・・、ささやかな抵抗、すでにしていました。

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2009/04/23

臓器移植法改正の是非

 臓器移植法改正の議論が国会でされているようです。
 ただ、聞こえてくる議論は、昨今このブログで言うところの派閥争い的議論が多く、各論の投げ合いのような気がしてなりません。そこで、総論的な私の意見をここに書きたいと思います。

 主に議論になっているのが次の2点だと思われます。
 

1.本人の意思が確認できない場合、家族の同意があれば臓器移植できるかどうか。
2.小児の場合、家族の同意があれば臓器移植できるかどうか。

 簡単にいうとこういう感じでしょうか。
 
 私の考えの根本は、本人の意思を最優先すべきということです。次に家族の意思でしょうか。したがって、大原則として、本人が「臓器移植拒否」の意思をドナーカードなどで明示している場合は、家族がなんと言おうが当然のことながら移植できないと考えます。
 
 本人が臓器移植可の意思表示をしている場合は、家族の意思を尊重すべきでしょう。家族が同意すれば移植へ、反対すれば移植はしないということでいいと思われます。

 問題は、本人の意思がわからない場合ですが、これは本人の移植に対する考えを表示する権利の放棄であると考えます。基本的にドナーカードを携帯するべきと考えますが、それとともに、常に家族に意思を明確に話しておくことも重要であると思います。したがって、意思表示がない場合は、家族の考えで移植に同意するかしないかを判断すればいいと思います。本来、移植されるのがいやなら、生前にはっきりいやだと明示しておくべきです。

 脳死を一律人の死とする案が出ているようですが、これについては私は異論があります。やはり旧来どおり、移植を前提にした脳死は死としていいと思われますが、本人あるいは家族が移植を望まなかった場合、それは死を意味しないような気がします。脳死の状態が死か生かは、それぞれ個人家族の死生観によると考えるからです。移植されてもよいと意思表示されている方は、脳死=死という死生観であり、移植拒否の方の多くは、脳死は死ではないという死生観をお持ちでしょう。このあたり日本人の死生観として統一できてはいないと思われます。

 問題は、小児の場合、特に幼少で意思表示はできるわけがない時期はどうするかですが、私は、個人的意見として、現在の禁止から一歩踏み出し、小児の場合は親が移植の可否を判断し、日本の小児臓器移植の道を開けるべきと考えています。

 現在、移植という手段がある以上、どんな手段を使ってでも自分の子供の命を助けたいとおもう親心を否定することは無理であると考えます。それが、昨今の海外移植につながっていることは言うまでもありません。その海外移植が今後できなくなるのであれば、日本の医療技術をもってすれば助かる方法があるのにもかかわらず座して死を待つしかありません。したがって、私は小児領域の移植の手段を閉じるべきではないと考えています。

 「自分の子が脳死になったら臓器提供できるのか!!」的な反論をされる方がありますが、これはまったく間違った反論だと感じます。子供が脳死になったら全員臓器移植を強制されるわけではありません。したがって、親の死生観に基づき、これを死と受け止められなければ、はっきりと、移植拒否を明示すればいいのです。多分、私がその立場になれば、(その場にならなければわかりませんが)、想像するに限りなく100%に近い確率で「移植拒否」をすると思います。それでいいではありませんか。臓器移植に賛成しながらおかしいですか。いや、臓器移植に賛成なら、自分の子供の臓器を提供しろという考えこそ大問題だと考えます。
 さらにいえば、自分の子供の臓器を取り出せば別の子供が助かるなどということを考える必要はまったくありません。

 小児の場合、脳死判定に疑問があるなどの事例が出され、脳死移植に反対の意見があるようですが、これも同様に、疑念のある方は、はっきりと移植拒否をされればいいのではないかと思います。お互いの死生観をぶつけあって議論するのではなく、それぞれの死生観を尊重するということではだめでしょうか。

 最もあってはならないのは、先ほども書いた、「移植に賛成すれば別の命が助かるのに・・」的な雰囲気であり、さらに、医師が医師の死生観に基づき、患者家族に移植を求めたり、拒否するよう仕向けたりすることではないでしょうか。医師による興味本位、病院の宣伝のための誘導はもってのはかであるのは言うまでもありません。

 ということで、賛否両論あるかとは思いますが、私の考えを書かせていただきました。上記の通り、私は基本的に現行法よりも一歩進んだ移植法を考えていますが、しかし、移植が強制ではないということを、自分の意思が重要であるということを重ねて強調させてください。上記で、説明不足、あるいは誤解を招く表現があるかもしれませんので、ご指摘受ければ場合により訂正させてください。

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«痴漢裁判のこと