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2004/08/31

ドーピングできる精神力?

 室伏選手の繰上げ金メダルで話題になったドーピングのことなんですけど、素朴な疑問を一つ。
 テレビの報道によれば、ドーピング検査は相当厳しいものらしいじゃないですか。それをかいくぐって、他人の尿を提出するって言うのは相当すごい技ですよね。私なら、私ならですけど、競技よりもいかに偽尿を提出するかの方に気がいってしまって、競技に集中できないような気がします。見つかったらどうしようなんて少しでも思ったら、本当の競技で力出せないと思うんです。そういう意味で考えると、ドーピングして、偽尿を出しつつ、本業の競技でも力を出し切って金メダルなんて、その精神力たるや並じゃ無いと思うんですよね。
 こういう感想は日本人に特有なんでしょうか。ドーピングにいくら魅力があっても、やはり「恥」(使っていること自体も恥だし、見つかったらもっと恥)と考える侍的な日本人に対して、やらなきゃ損的な、外国人(外国人とくくるのは問題だが)。ただ、だんだん「恥」なんて死語になりつつあるし、今後日本人の中に、やらなきゃ損的な選手が出てこないことを祈るばかりです。

追加記事:ドーピングネタでしたので、週刊!木村剛: ドーピング検査と「おーいお茶」の新しい関係におそだしトラックバックさせていただきました。毎度すみません。

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2004/08/28

祝 BLOG of the Week !!

 ブログ開始約一ヶ月の新参者の私ですが、週刊!木村剛[第16回 BLOG of the Week] それらしい報道を選定いただき、さらに座布団10枚を進呈いただいたこと、本当にありがとうございました。感謝感激雨あられ、身震いが止まらず、おしっこもらしそうです。ちょっともれました。
 私がブログを開始した理由、それはまさに木村剛さんでした。私の結構好きな番組ワールドビジネスサテライト(テレビ東京系 夜11時)で、ブログの紹介があり(全部は見ていません。切れ切れにみました。)、木村さんがブログのよさや反響の大きさをを語られていたのがきっかけです。さらに私のプロバイダーがたまたま niftyで、番組もnifty中心で話が進んでいたのも始めやすかった原因です。一時、普通のホームページを立ち上げようとも思ったのですが、なかなかできませんでした。ブログは簡単に始められ、自分の意見が発信でき、今のところ始めてよかったと感じています。さらに、今回木村さんに選んでいただいた「それらしい報道」は、やわらかい言葉で書けていて、おちもうまくついて、私としても気に入っている記事でした。社会系の記事はどちらかと言うと専門用語や横文字を並び連ねて、わかりにくい言い回しをして、ただの素人では読解不能っていうのが「それらしくていい」と言うような風潮があるような気がしてなりません。まあ、たまに硬い記事を書くのはいいとして、できればやさしい、やわらかい書き口で、今後もブログ人生送っていきたいと思います。

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涙のチンジャオロース

 以前コメントいただいたachaさんのいのちと食べ物のおいしそうで健康そうな食事を眺めつつ、大西宏さんのページの「失敗や挫折から学ぶ」と「失敗や挫折の逆恨み」を読んでいて、ある日のことを思い出しました。それは平成6年10月8日です。10月8日でピーンと来る方は相当なプロ野球通でしょうか。この年のプロ野球セ・リーグは、当初巨人が独走しますが、夏場から調子を落とし、中日が怒涛の追い上げを見せます。そして、運命の日、10月8日は史上初の最終戦相星決戦、勝った方が優勝というナゴヤ球場の中日×巨人戦その日だったのです。前回の素人経済学(巨人優勝で好景気説)を読まれた方は、私が決して巨人ファンでないことはわかったいただけていると思います。当時学生で一人暮らしをしていた私はこの日(もう10年前になりますが)、中日の優勝の瞬間を祝おうと、ビールを買い、なぜかつまみに・・よせば良いのにチンジャオロースを手作りしようと思い立ち(未だにどうしてあの時チンジャオロースだったか不明)、味の素のクックドゥのチンジャオロースの素と、その箱に書いてあるつくり方から材料を買い、家路に付きました。慣れない包丁で材料を刻んで、フライパンで作りましたよ、チンジャオロース。これがなかなか上出来、何しろ味の素さんが上手に作ってくれているから、素人でも大丈夫でしたよ。でも、でもですね、出来上がってからびっくりしましたよ、いや材料刻んでるときに気付かなきゃいけなかったんだけど、あのクックドゥのシリーズ、3~4人前できるようになってるのね・・。大皿からあふれんばかりのチンジャオロースができました。まあ、でも愛嬌愛嬌、今日はこれから中日が優勝を決めてくれる・・そう信じて疑っていませんでした。何故かって、ペナントレース前半は巨人の独走で全く面白くなかったのに、最期まで頑張ってペナントを盛り上げたのは他ならぬ中日だったからです。最終戦ぎりぎりまで頑張って、もし負けたとしたら本当にただの引き立て役にすぎないじゃないか、巨人のために、巨人ファンのために頑張ったことになっちゃうじゃないか、そんなことになるはずが無い、勝つに決まっている。そう信じていたのです。そして試合は始まりました。ビール片手に、チンジャオロースをつまみながら、いや、余るといけないんでがつがつ食べながら、試合を見ました。しかし、序盤からエース今中が打たれてしましました。劣勢だけど、何とか頑張ってくれると信じて最後の最後まで見ましたよ。最期の一球まで勝つと信じて見ましたよ。でも、最期のバッターが打ち取られ、巨人の優勝が決まりました。巨人ベンチから長島監督やらがどっと出てきて胴上げしてましたっけ・・。私は悔しさで、あふれ出る涙を抑えることができませんでしたね。久しぶりにぼろぼろ泣いた瞬間でした。本当にただの引き立て役になってしまった中日の選手がかわいそうでしかたありませんでした。そして、ふと気付くと目の前には、約2人前のチンジャオロースが残っていました。でももう、食べる気力は残っていませんでした。随分経ってから、実家でもあの日、中日が負けたときには父も姉もぼろぼろ泣いていたと聞いて、気持ちは同じだったかと思い、そして、名古屋近郊の町では同じようにぼろぼろ泣きながらあの場面を見ていた人たちが大勢いたのだろうなと感じました。
 大西宏さんの言う「挫折や失敗」には、上の話で私が4人前のチンジャオロースをつくってしまった失敗(笑)のことではなくて、あの時の中日の選手のように、いつの間にか自分の存在が引き立て役になってしまう瞬間も含んでいると考えます。人生の中で、日頃引き立てられてばかりいた人や、脚光を浴び続けてきた人は、突然引き立て役になったり、或いは敵役になったり、或いは悪者扱いされたりするときっともろさを見せてしまうでしょう。日頃から少しづつ挫折を味わっておく方が、いざというとき楽かもしれません。私は引き立てられてばかりいた人をメジャー、引き立て役になってしまう人をマイナーと呼んでいますが(メジャーマイナー論)、少しずつこのブログの中で、マイナーの名誉回復と応援をしていきたいと思っています。

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2004/08/24

素人経済学(巨人優勝で好景気説)

 私は理系畑を歩んできたので、文系には縁がありません。素人経済学、そう素人のための経済学ではなくて、素人の私が疑問を投げかける経済学です。つまり、このシリーズ?は、今回で終りかもしれません・・。ということで、今回は(次回はあるのか?)、この10数年、不景気の中で使われてきた極めて忌まわしい経済用語?、「巨人が優勝すると景気がよくなる」を取り上げました。なお、経済評論家に対する論評があったので、週刊!木村剛: オリンピックになぜ私たちは感動するのか?にトラックバックさせていただきました。
 まず、そもそも、評論家たるものが「巨人が優勝すると数千億円の経済効果があるので、不景気の今は巨人に優勝してもらいたいですね」なんて言うっていったいどういう神経してるの。巨人を持ち上げることを言って怒る人は確かに少ないけど、他球団に対して失礼とは思わないんですか。というか、他球団ファン、最低私は、めちゃくちゃ腹立ちますし、負けおしみにも程があると思います。「お宅の球団が優勝したってせいぜい経済効果は数十億円なんだから、この不景気な世の中でくそのやくにもたちやしねー」って言うわけだから、最低の人間としか思えません。少し意訳がすぎましたか?・・。と、最初は素人らしい論評からでした。
 さて、本題。本当に巨人が優勝すると景気がよくなるんでしょうか。確かに、関連グッズや、デパートの売り上げなどは、何百億か、何千億か知りませんが増加するでしょう。・・・・・・・・、それで終りじゃないですか。景気とか、経済とか何も変わらんでしょう。その増えた売り上げは、そのまま購買力として持続するんですか?。売り上げ増に対して設備投資していたとしたら、その後回収できるんですか?。一時の高揚感という意味で「景気がよくなる」と言う言葉を使うならいいと思いますが、あたかも経済力が上がるような言い方は間違っているように思います。
 さあ、この素人の言い回しに対する、ご批判もまた甘んじてお受けします。何しろもし学問的にいかにとんちんかんな意見であったとしても、私は最期にはこう反論しますから。「たかが数千億の話で無礼だ」と。

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苦痛の五輪テレビ観戦

 オリンピックで日本人選手がめちゃくちゃ頑張ってます。あまりに頑張りすぎてて、 柔道、金メダル取りすぎて・・みたいな記事も書いてみました。ただ、オリンピックをテレビで観戦していて苦痛に感じることが結構ありました。特に民放はひどいと思ったのはせっかちな私だけでしょうか。何がって、「このあと室伏選手の登場です」って言ってから、いったいいつになったらハンマー投げ始まるの?。ぜんぜん始まらないじゃない。このあとこのっていったいどこのこのよ。2度も3度もコマーシャル流した挙句に、別の種目が永遠続くんじゃ腹も立ちます。(よ・・・ようやく・・・(汗)で、くぬぎのしっぽさんも同じこと書いてあるのに気付きました。)そして、この記事を書いている今も、「まもなくレスリング決勝」って画面の隅に書いてあるけど、永遠予選のVTRとCMばっかり。CMのために引っ張られるのは水曜スペシャル、川口浩探検隊以来あったことだけど(「その時である!!」と絶叫してCMに入るんだけど、CM明け意外にたいしたことの無い結果が待っている)、最近も「驚きの結果はCMの後」とかいう言葉で継承されてますね。さらには、「CMの後もまだまだ続きます」と言っておきながら、CM明け直ぐにテロップが流れ、エンディングテーマが始まる番組は正直蹴飛ばしてやりたい気持ちです。そんなお陰で、私は民放を見る時、CMに入ると別のチャンネルに変えちゃいます。無論、その代償は大きく、変えた別のチャンネルに見入ってしまい、もっとも肝心な「驚きの結果」を見逃すことがなんと多いことか・・。私は基本的にNHK大好きです・・。
 あと気になるのが、今回のオリンピック、例えばサッカーですけど、マスコミは「メキシコ以来のメダル獲得」っていうのをキャッチフレーズみたいに使ってましたよね。選手が目標として掲げるのは全く問題ないけど、マスコミが勝手に目標つくるのはどんなもんでしょう。木村剛さんが週刊!木村剛: 日向小次郎と星飛雄馬と矢吹ジョーと伊達隼人で、非常に今回の山本ジャパンを残念がって、分析も加えられていますが、そもそも私のような素人から言うと「メキシコ以来のメダル獲得」って言うのは本当に現実味があったんでしょうか?。というか、その真偽が問題じゃなくて、マスコミがマスコミのために、我々視聴者をマスコミにひきつけておくためにつくった言葉じゃないかって思うんです。こんなこと言うと、決して目標として低くなかった、馬鹿にするなと、木村さんはじめ、サッカーファンの方には怒られそうでちょっと怖い気もするんですが、過度な期待をかけたとしたら、しかも、それがマスコミによるマスコミのためのものだとしたら、当の選手達がかわいそうだったと思うのですが、みなさんどうでしょう。

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2004/08/21

柔道、金メダル取りすぎて・・

 過去、日本人が世界のスポーツの舞台で活躍すると行われるのがルール改正。そう、日本人に勝たせてたまるかという気持ちからか露骨に日本人に不利になるようにされてしまうアレです。私が知っているだけでも、水泳の泳法、ノルディックスキー複合の点数、スキージャンプのスキー板、なんかがありましたね。
 そんなこと思うと、今回のオリンピックでの柔道はちょっとメダル独占しすぎたかも、と心配している私は、被害妄想がすぎるのでしょうか。柔道について私はそれほど詳しくありませんが、今回見ていて、「技のかけ逃げ」「指導」がしっかりとられているので、一本をとりにいく日本柔道にはプラスに働いたんでしょう。このへんのルール改正は厳しいでしょう。あるとすると・・、階級を減らす、これありそうじゃないですか?その昔無差別もなくなちゃったし。あと、階級体重が増加する、これもありそう。日本人は基本的に重いクラスは苦手(今回ぜんぜんそんなことなかったけど)と言われているので、それぞれ階級の体重を増やして、重量化するっていう手はありますね。昔一番重いクラスって、95kg超級だったのに、いつの間にか100キログラム超級になってるし、もっと増やされるかも。
 体操もちょっと心配。もう少し、正確さから、大技重視に点数が改正されるのでは?
まあ、どんないじめにあっても、日本人選手にはがんばってもらいたいものです。

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2004/08/19

亀のあくび

 いろんな動物があくびするとこ見たんですが、あくびって、何のためにするんでしょうか。専門書を見たわけじゃないし、どこで言われたか覚えもありませんが、「空気(酸素)を思いっきり吸い込むため」と聞いていました。確かに眠いときにあくびをするわけで、目を覚まそうとしてたくさん空気を吸い込むというのはなんとなくあってるような気もします。しかし、以前から疑問に思っていたのですが、あくびをしたところで、目が覚めたためしなんて無いと思うんです。むしろあくびをしながら、徐々に眠りに落ちていく・・、そんな感じじゃないですか?布団の中であくびして目が冴えるなんてこと無いですよね。
 そんな漠然とした疑問を持っていたのですが、ある時見てしまいました。「亀のあくび」を。以前書いた神頼みされる神で、うちの亀さまのこと紹介したのですが、亀もあくびするんですね。お口をか~と開けて、人間のあくびと見た目はおなじです。でも、人間と違うことがあります。な、なんと、あくび、水の中でしてたんです。これはとんでもない発見です。何がって、水の中ということは「空気を吸い込むため」っていう説は否定されてしまいます。亀は爬虫類ですから、えら呼吸じゃないんですから、水吸い込んで酸素補給しているわけじゃないですよね。
 そんなことで、それらしい説である「空気を吸い込む」というのは、うそというのが私の見解です。もし専門家の方おられたら意見ください。あくびに関しては正しいのか間違っているのか、なんとも言えませんが、この世には正しそうで、根拠の無い説が氾濫しているような気がします。 それらしい報道でも書いたんだけど、いろんなところでそれらしいがはやっています。お気をつけあそばせ。
 
 追加記事:記事書いた後こんなの見つけました(調べてからかけといううわさも)。あくびの伝染どうしてあくびがでるの?、やっぱり、私の意見こそ、あやしい?みなさま、私にもだまされないように。

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2004/08/16

憲法改正無理論

今回は自分でコメントした石臼挽き茶葉の旨み: 憲法9条から憲法9条に関して私の論を展開したいと思います。

さて、そもそも憲法第9条というのは、どういう意味かというと、軍隊持たない、交戦しないというわけですから、究極の平和思想です。すなわち、「鉄砲を撃たれたら、甘んじて撃たれる」という考え方です。そういう意味でいくと、今護憲、護憲、と言っている党といえども、例えば共産党も自衛隊を認めているわけですから、この究極の平和思想を持っているとは考えられません。つまり、真の護憲はすでに絶滅したと言えると思います。国民の中でも、さすがにこの究極の平和思想を持つ人は多くはないでしょう。
 
では多くの日本人が持つ意識といえば、他国を侵略することは絶対にしてはならないということと、もし、攻められるようなことがあれば守ろう、すなわち「鉄砲を撃たれた時だけ、撃ちかえす」という考え方でしょう。
 
そんなことを踏まえた上で、なんで今、憲法改正をしなければならないのでしょうか。理由は、1、自衛隊の存在の根拠が欲しい。2、海外派兵のための根拠が欲しい。この2つが挙げられると思います。とりあえず、2、はまた次の機会として、上で挙げた日本人の意識を元に1、について憲法を変えてみましょう。

まず自衛隊をどう定義しましょうか。これは”自衛のための軍事力”としましょうか。また交戦権に関しては、”自衛のための交戦を認める”としましょう。これなら、一見、誰でも賛成してくれそうですが・・、しかし、かなり問題がありそうです。まず、自衛とは何かを定義しなければ、この条文は成り立ちません。昔はソ連の船舶或いは航空機による侵略が想定されていましたから、自衛ということを深く考える必要はありませんでした。しかし、現代は、ミサイルやテロによる攻撃がありえます。北朝鮮からミサイルが飛んできたら、自衛することができません。そうすると北朝鮮にいって爆撃しないといけませんから、自衛のためには爆撃機もいるし場合によって航空母艦もいるし、或いは日本も北朝鮮を目標としたミサイルが必要になります。さらにミサイルが落ちてからでは遅いという考えに立てば、先制攻撃も自衛手段ということになります。
そうすると、明らかな侵略戦争が、自衛という大儀の元行われるかもしれません。朝鮮半島の安定が日本の自衛のために不可欠であるなんて言い出したらどうしましょう。正直何とでも言えると思います。こんな自衛という言葉を使った改憲は、今の国民の意思からすれば「ざる憲法」といわざるを得ません。百歩譲って、とんでもない侵略戦争を起すことは無いとしても、結局解釈の論争が起きますから、何のために憲法を変えたのかわからないような気がします。
 
私としては、改憲に反対ではありません。場合によっては先制攻撃してもらわないと困ります。しかし、気を付けないと上記のように歯止めがかかりません。歯止めがかからないのであればむしろ今の9条の方がいいと思っています。どなたか明快で、しかし歯止めをかけることができる名文を提案してください。護憲を唱える方、むしろ厳格に歯止めをかけることができる改憲を提案した方が意思に合うのではないでしょうか。

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2004/08/13

それらしい報道2

 前回それらしい報道で、体裁を整えるという視点から報道というものをみてみました。今回は報道の中身の方向性について一例を提示したいと思います。

 久しぶりに帰省して、自分の机の中を見ていたら、中学3年生の時の夏休みの研究としてやった、新聞の一面記事集が出てきました。一面記事を切り取ってはって、自分の感想を書くと言うもので、我ながら面白いことが書いてあります。ちなみにこの年(昭和61年)は、第三次中曽根内閣が発足し、社会党で土井たか子委員長が誕生した年です。この8月7日の記事はアメリカのシュレーダーさんという人工心臓をつけた人が、取り付け620日にして亡くなったという記事でした。恥ずかしながら、中学3年生の私の感想の一部をそのまま引用させていただきます。人口臓器に対して脳死移植(もちろん当時日本では全く行われていない)を話題にしています。

~略~アメリカの場合、脳死だとすぐ移植に使われてしまう。日本の場合、脳死の基準は何だろうかと話し合われている。たしかに、人間を脳死で死と判断はできないだろうけど、その人がちょっとあげるだけで別の人が助かるのなら・・、と考えてしまう。日本も、そんな遅れを取り戻して欲しいなと考えます。
 文の幼さには勘弁いただくとして、脳死移植に対して、遅れを取り戻して欲しいという言葉に注目して欲しいと思います。このころほとんどの報道ではこの脳死移植に関して「アメリカから20年は遅れている、どうして日本では脳死移植をいち早く行わないのか」という論調だったことを思い出します。だから、中学3年生の私がアメリカの現状や、脳死判定に対する不安を覚えつつも、結局最期には遅れを取り戻せと言った理由は、大人の専門家の言っているそれらしい論調(遅れている20年をいち早く取り戻すこと)に合わせたことに他なりません。とにかくそれが正しく、かっこいい考え方だと思っていました。
 
 ところが、10年ほどの時間が経ち、私も医療の現場に立ち、政府が脳死移植を認めていこうという段にきて、この論調は一変していました。「脳死なんかで死としていいのか?殺される人が出るのではないか?死への考え方がまだ定まらない日本では早急ではないのか?」等です。しかし、10年前に20年遅れていると言っていた報道が早急?とはいったいどうなっているのでしょう。それに今頃問題提起するくらいならば、どうして10年前にはできなかったのでしょう。これは前の報道がいかに中身を深く掘り下げていなかったか、また、後の報道がいかにそれらしい場当たり的な批判かということがよくわかります。
 
 一見報道は批判的なことを言うとそれらしく聞こえるものです。しかし、もっと報道の中身に対する自覚と責任を十分に持ち、ぱっと見のかっこよさだけに気をとられないでほしいと願うばかりです。また報道を聞く側も、中学3年生の私のように、なんとなくそれらしい論調に流されることのないようにしなければならないでしょう。

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2004/08/10

それらしい報道

 読売、いとおそろしで、意味不明な読売新聞の社説を紹介したんだけど、報道って、体裁を整えるために事実をちょっと変えてみたり、あってほしいニュースを無理やり探したりするんだと言うお話です。
 
 実例その1、中学生だったころですが、私の通っているのとは違う近くの中学校でいわゆる汚職事件があったんです。学年主任だかの先生が参考書の選定をめぐって便宜を・・てな事件でした。このニュースをテレビで見たときこんな事言ってました。

「全校集会が開かれ、学校長が土下座して全校生徒に謝りました。会場では涙ぐむ生徒もいました。」
時は経ち、高校生になった時、その中学出身の同級生がいたので、ある機会にそのときの様子聞いてみたんですが、その内容にびっくりしました。彼曰く、
「いやー校長が土下座しやがってさー、みんなで、大爆笑したよ。」
あれ、涙ぐんだんじゃないの?。もしかして笑いすぎで泣いちゃったの?。まあ、確かに
「全校集会が開かれ、学校長が土下座して全校生徒に謝りました。その瞬間会場は爆笑の渦に包まれました。」
では、ニュースにできないですね。まあ、いわゆる体裁を整えたって事でしょう。
 
 実例その2、私は職業がらやぶ医者をやってますが、某市民病院で当直をやってたとき、震度4位の地震があったんです。その後、地震でびっくりして腰が痛くなったというおじさんが救急車で運ばれてきました。レントゲン写真を見ると腰椎圧迫骨折の所見がありました。が、別に今回びっくりして骨折したわけでなく、昔から所見自体はあったようです。でも、どこで仕入れたんだか?翌日のその地震に関する新聞記事を見てびっくりしました。
「昨日の地震で○○町の×歳の男性が腰の骨を折る大怪我を負いました。」
どうもその地震でもっとも重い症状を負ったのが昨日診たおじさんだったようです。腰の骨を折ったかどうかわかんないんだけど、地震のニュースとしては誰かが怪我してくれないと体裁が整わないんですね。
 
 そんなこと考えると、白骨温泉のお湯を白く濁らせるぐらいのことは、なにせ、"白骨"なんですから、勘弁してあげたくなります。
 
 追加記事:内容がちょっと違いますし、おそ出しではありますが、週刊!木村剛: マスコミはなぜ重要事実を淡々と伝えないのか? ――UFJのケースで、「こうなると面白い」という軽いノリで書かれた無責任な記事」なる文章がありましたので、おそだしトラックバックさせていただきました。木村さんすみません。

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読売、いとおそろし

サッカーも終わったので、以前書いた神頼みされる神(私としてはなかなかよく書けた文章?)みたいなソフトネタでいってみようと思ったのですが、ブログのぞいていたら、とんでもないネタを発見してしまいました。川瀬のみやこ物語 episode2: いちゃもんで見つけた、読売新聞の社説の話です。意味不明な文章ですが、まるまるコピーさせていただきました。すみません、お許しを。

広島原爆忌の平和宣言で、秋葉忠利市長は「政府は、世界に誇るべき平和憲法を擁護し、国内外で顕著になりつつある戦争並びに核兵器容認の風潮をただすべきだ」と述べた。
 平和宣言で、憲法改正問題に踏み込むのは異例のことだ。護憲を反戦や反核と結びつける主張は、冷戦時代の左翼勢力の思考だ。これでは、世界に誤ったメッセージを伝えてしまう。
川瀬さんは2度読んでわかったと言われるが、私は何度読んでもよくわからない。悪い頭ひねくりかえして、一応出した私の日本語訳(言葉の付け加えあり)は、1.反戦、反核を主張するのはともかく、平和宣言において護憲を唱えた。 2.1.のごとき主張をする秋葉市長は冷戦時代の左翼勢力の思考をもった人物である。3.日本は改憲に向かっており、世界へのメッセージである平和宣言において少数意見たる護憲を唱えるべきでない。こんな感じですか。いや、1.と3.が変にダブってる感じで正しくないですね。あと、1.と2.のつながりが訳していて意味不明です。それに3.はちょっと意訳しすぎましたか?。とにかくわかりません。
まあ、要するに言いたいことは、
 「今時、護憲、護憲となんと無礼なやつだ!」
ってことでしょう。ここまで意味不明に書くんだったら、はっきり主張すればいいのに。露骨な表現では非難浴びるかもしれないから、変に体裁を整えようとしたんでしょうね。
それにしても、こんな社説が出るのにはびっくりです。中身の話はしません。日本の原爆の日の広島の平和宣言において、平和憲法の話をしてはいけないなんていうことは、要するに広島の原爆犠牲者のせいで「核も持てなきゃ、戦争もできやしない」って言ってるのと同じでしょ。私個人的には、改憲に反対というわけじゃないんですが、こういう主張をする人たちと、改憲という言葉において同意見であると思われたくありません。

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2004/08/08

北京五輪やばいぞ3

 とにかく見届けようと思っていた、サッカーアジア杯の決勝ですが、残念ながら国歌斉唱のブーイングはひどかったようです。このままいくと、やっぱり4年後は予想通りやばいかも・・。 ブーイングの中でから始まって、 北京五輪やばいぞ北京五輪やばいぞ2と、一連のシリーズ?でまじめに語り、いろいろな意見を賜り、さらに今回ゆびとまさまから、過大なお褒めの御言葉をいただくに至り、一応やばいぞシリーズ第3段、完結編(予定)でまとめたいと思います。
 今回の決勝戦は、中国(開催国)対日本であり、実は密かに中国人サポーターは紳士的な対応をしてくれるのではないかと期待をしていたのですが、さすがにそれはありませんでした。逆に徹底したブーイングにもかかわらず、日本が極めて奇跡的な勝利を重ね、最終的に中国が3-1というスコアーで負けたということは、これ中国人に対する天の声としか思えません。もしかして、このブーイングがなかったら、バーレーン戦かヨルダン戦で日本は敗退していたでしょう。そして中国が優勝していたかもしれません。あのブーイングが、天の神様を動かし(宗派は不明?)、日本を勝たせてくれたと思うのは私だけでしょうか。4年後までに、この結果を中国人自身がどう考え直すかです。さらにひどいブーイングを浴びせる(北京五輪やばいぞで想定したような)ようなら、逆に日本人は怖くないでしょう。今回のサッカー日本代表がそれを示してくれました。醜いブーイングには本当の力がないことをしめしてくれた今回の優勝は大変大きな意味を持つと思います。
 さて、日本人の対応ですが、とにかく、この醜かった行為と同じことをやろうとしているやからには徹底してNOと言おうではありませんか。それはこのブーイングを正当化させてしまいます。そしてそれはめぐりめぐって日本に負のパワーとして戻ってきてしまうでしょう。またこの騒動を利用した政治活動や日本の総意とは言いがたい挑発行為には反対したいと思います。
 と言うことで、今回も甘んじてご批判受けます。おっと、一番言わなくてはならないことを言い忘れていました。
 「日本、アジア杯優勝おめでとう!!」
追加記事:大西 宏のマーケティング・エッセンス:石原都知事も中国で騒ぐ人たちと一緒だねトラックバックさせていただきました。
 

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2004/08/07

世の中信用しなさすぎか?

 ちょっと前になりますが、住んでいるマンションに警察が来たらしく、何かあったときの連絡先(実家等)を教えて欲しいという書類が郵便受けに入れてありました。書いたら管理人か、警察までご連絡をというものだったと思う。たぶん99%本当の警察がしたことなんだろうけど、そんなこといちいち聞かなくても、大家か、マンションの管理会社に問い合わせすればすむことでしょう。不安を覚えて未定出にさせていただきました。なんか変なところに情報流れたら困るじゃないですか。警察も少し考えてもらいたいものだと思いました。ついでにこのマンションで「定期の下水の掃除に来ました」って言うのも、おそらく本当の業者だったと思うけど、「そんなこと聞いてない」(本当は回覧で予告があったような気はしたけど忘れちゃった!)といって追い返したのはやりすぎだったのかもしれない。顔ぐらい見てあげてもよかったかも?
  週刊!木村剛で、セキュリティーについての話があったので、思い出した話です。実は少年のころ、実家に青年が来て、「恵まれない子のためにこのお掃除セットを買って欲しい」と言われ、雑巾みたいなものを自分のお小遣い2~3000円だして買ったことがあったんです。その後(かなり後になって)、オウム真理教だか統一教会だかの所行だと知ってがっかりした覚えがあります。私にとって世の中が信じられなくなった決定的事件は、「水道の水質調査」と言って訪ねてきた悪徳業者に不覚にも、つかつかとアパートの自室に入られ、浄水器を買わないか?と言われた事でしょう。ちなみにこの悪徳業者、胸には水道局なる文字の入ったプレートをつけているのですから、恐ろしいものです。以来、私の家に訪ねてくる見知らぬ人は警察さえも信用できなくなりました。「近所に引っ越してきた」といって私のアパートに訪ねてきた怪しげなやつもいました。近所のアパートの住人一人一人に(彼は同じアパートに引っ越してきたとは言っていない)「近所に引っ越してきた」なんていう茶髪のチンピラ風の若者がいるわけがないでしょ。あと、こんなやからもいましたよ。インターホンが鳴って、「ふにゃらら(聞き取れず)ですけど、お願いします」「どなたさまですか?」「ふにゃらら(また聞き取れず)です」「えっ?よく聞こえないんですが」「ふにゃらら(もちろん聞き取れず)ですけど、開けてもらえますか」「えっ?ぜんぜん聞こえないんですが?」「ふにゃらら(さっぱり聞き取れません)です、おねがいします、開けてください」「だからどちらさまですか?」なんていうやり取りを7~8回やったら、うちの入り口のドア蹴って去っていきました。実はこのアパートカメラつきインターホンだったんですけど、このころになると顔を見ただけで大体悪徳系かそうじゃないか区別付くようになっていたので、わざと聞き返していたのですが・・。
 と言うことで、私は決して悪徳業者にだまされないと言う自信満々だったのですが、この自信満々が実は危険なんでしょうね。ついこないだ、自動車税の振込み用紙が郵送されてきたんですが、これ、今まで田舎の実家に届いていたのに今回なぜか東京の私のマンションに届きました。今まで知らん振りして両親に自動車税を払わせていたのですが、きっと払いたくない両親が住所教えたんだろうと思い、今までの負い目もあって、さっと払いました。しばらくして実家に電話したときこのことを問いただしたのですが、「住所なんて教えてない」「まさか偽物じゃないやろな?」と言われて顔面蒼白。全く疑っていませんでした。ちなみに偽物ではありませんでしたので、よかったです。しかし、この全く疑わなかったことへの反省を踏まえ、ますます疑心暗鬼、被害妄想への道を進んでいく所存ですのでよろしくお願いいたします。
 しかし、私の住所は何でばれたんだろう・・・・。

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2004/08/05

北京五輪やばいぞ2

私のようなもののブログにコメントいただきましてありがとうございます。このままいくと4年後のオリンピックは相当ひどいものになりそうなので意見を賜ったわけです。そこで、失礼とは思いますが、もう一度問題を投げかけたいと思います。
私の常識を基準とすることをお許しいただけるなら、今回の騒動でもっともひどいのはやっぱりあのブーイングを浴びせている中国人です。歴史がどうであれ、サッカー選手に何か罪があるんでしょうか。bluelarkspurさんのおっしゃるように、「中国の国際大会の主催能力に疑問をもたれる行為」であり、極めて恥ずかしいことです。しかしこういう意見は私のような日本人が言うのではなく、中国人があの中国人たちに言わなくてはならないことでしょう。もし、中国の中にだれもあの行為に疑問を持つ人がいないとするならば、あの国はおしまいです。しかし、仮におしまいだったとして、日本人のあの行為に対する抗議が、世界を動かし、中国に反省を促すことができるのでしょうか。
 しかし、やっぱり日本人が抗議するためには、日本人自身が矛盾無い行動をしていかないといけないでしょう。今回の中国の仕打ちに対して、日本人の反応は2段階2通りあったように思います。1段階はほぼ共通で、「あの行為はひどい」と思うことです。2段階目としては2通りあって、「過去の歴史等々から、仕方ないか・・」と胸に何かもやもやした割り切れないものを感じている人と、「中国こそが誤った歴史観を持ち、国威高揚に利用している」とした人です。後者はブログ上でもたくさんお見受けしました。しかし、もちろん全てではありませんが、そこには日本の過去の歴史を擁護するような匂いがぷんぷんします。すなわち逆に中国を批判することで、過去の日本を清算しようとするものです。maiさんが言う、「日本の中に存在する、そういう問題(靖国問題や教科書問題)を蒸し返したい勢力に、決して荷担しないこと。」には大賛成です。中国人の醜い行為と同じ事してどうするの。これでは日本人もおしまいです。しかし、もやもやした割り切れないものを感じている人がそのままだんまり決め込むのにも反対です。日本人の中の矛盾を抑えつつ、世界に抗議していく事ができれば、少しは解決に近づくのでしょうか。私なりにできること、少しづつ行動していきたいと思います。ご批判甘んじてお受けいたします。
記事投稿する直前、Takeco*Magazine: 草の根で国際問題を考えるを見させていただきました。4年後は気持ちよく迎えたいですよね。

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2004/08/04

北京五輪やばいぞ

 以前 ブーイングの中でで、一つの歴史論だしてみたけど、サッカーアジア杯の日本選手の大活躍(ジーコには意外に批判が多い)によって、さらにサッカーファンやら、にわか評論家?(私も含めて)による、中国への批判が高まってますね。とりあえず、批判はこのブーイングについてに限ってるんだけど、4年後は北京五輪でしょ。このままほっておくと、日本の北京五輪大惨敗に加えて、さらにお互いの国民感情がぶつかり悪化しそうなので、緊急に対策をとらねばならないのでは?と言うのが私の提言です。
 北京五輪の日本人選手は前代未聞のブーイングを浴びるかもしれません。1対1の柔道やレスリング、チーム競技のサッカーや野球も含めてこれらはことごとく今回と同様なブーイングを受ける。もしかしてマラソン選手が沿道で42.195キロ罵声を浴びせられる・・。室伏選手が投擲するとき、或いは体操選手が着地するとき、妨害ブーイングがでる。シンクロで、音楽をかき消す罵声がプールに溢れる・・。今回のブーイング見ていると、決してないわけではないような気がするのは私だけ?。それと、サッカーでもあったし、ソウル五輪でもあったけど、審判の判定が相手国よりになるでしょう。反則も反則にならない状態になっていくでしょう。
 何とかこんな醜い五輪にするのを阻止したいと思いませんか?。このままにしておいたらきっとこれに近い状態になると思うんですよね。でも、実際どうしたらいいのかと言うとよくわかりません。硬軟両方の考え方があると思います。小さな目で見る大きな世界: 反日大国の傍らで生きていくということ博覧強記: 民族感情を引用させていただきます。

特に中国人は相手の言い分に理があるかも知れないと考える訓練はつんでいない。理を主張して、仮に論破したとして、それで問題が解決すると言う人は逆に中国人に対して幻想を抱きすぎているのである。

他民族に対する反感を抱くことは自己の民族意識を鼓舞するためにはもっとも簡単で安直な方法です。
もしかしたら、中国政府も目先の国民の不満をそらすために日本をスケープゴートに使っているのかもしれません。
(折に触れて反日感情が高まる韓国の状況もそうではないかと思われる時がありますし)

 全く同感です。おそらく核心です。日本も中国と同様のブーイングを浴びせたり、政治的に非難するというような硬的な対応だと、輪をかけて反日感情の悪化を起こすでしょう。しかし、この核心の核心たるゆえんは、徹底的に謝り倒して、日本がわるうございました、と言ったら、これもさらに反日行動の理由となってしまうところです。つまり、善良なる中国国民にどう訴えかけようとも、中国政府が反日を(内的にも外的にも)政治利用しようとしている限り、絶対解決されないでしょう。解決策の一つは日本が外交大国になることでしょう。しかし今の日本政府ににわかに外交大国になれと言っても無理でしょうね。そこで我々日本国民一人一人ができることってないんでしょうか。誰かいい意見教えてください。いいオリンピックにしたいですよね。

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2004/08/03

2人とも偉人ですが

 プロ野球がいまいち盛り上がらない原因の一つについて、前にプロ野球つまんない?かもに書いたんだけど、この原因を作った人物が世間で思いっきり言われていますね。もちろんナベツネさんの事です。しかし、「無礼な!」なんて、時代劇用語でしょ。大企業の社長とか会長とか、ドン級の政治家とかいわゆる殿様系のえら~い人たちでも、こんな言葉は今時人前では使いませんよね。

 週刊!木村剛のなかでグレート・マーケティング・マスターへの道: ガッツ伝説を超える男の引用があり、ナベツネさんの暴言集がこれでもかと書いてあるのを見て、改めてそのキャラの「すばらしさ」を再認識させていただきました。オリンピック代表に各チーム2人ずつ出すって言うもの、巨人の策略なんでしょうね。正直言うと、墓穴を掘るのは巨人だと密かに思ってますが・・。しかし、この偉人の他に、もう一人大カリスマ星野仙一という人にも疑問を感じていたのは、日本中で私一人でしょう。はっきり言っていろんな方から怒られそうなので冷や汗ものです。
 
 私は中日ファンなんです。でも大好きな選手のほとんどがトレード出されてしまいました。戦力アップの方法が外からの選手獲得なんですよね。そしてFAでの選手獲得も巨人についで多いのが彼でしょう。確かに阪神時代を合わせれば3回も優勝させているので、凡人でないことは間違いないですが、優勝後は戦力補強してもしても、どんどん小ぶりなチームになっていく。選手をとったチームもとられたチームも、小ぶりになってしまいます。よく見ると球界全体が縮んでしまっているわけです。
 と言うことで、これ以上は怖いので、やめときます。前にも言いましたが、私の理想は現在の選手育成を方針とした落合監督です。本気でチューしたいです。

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2004/08/01

正しい日本語ってあるの?

 私自身が言葉の誤用をしているかも知れないのに、こういうタイトルでものを書いてよいものやら。と言いつつ書いちゃいます。昔「ら抜き言葉」とか、敬語謙譲語の使い方とか、今慣用句の使われ方について、専門家やら政府やらがいろいろ言ってますね。この議論についても、屁理屈こねておきたいと思います。乙武洋匡公式サイトで「正しい日本語と伝わる日本語 」って載っていたので参照させていただきました。
 
 まず標準語、これ正しい日本語ですか?。私的にはこれ正しいんじゃなくて、「基準語」だと思っています。標準語を話せって言うんなら、「方言」の否定になるはずですよね。ところが水平に地域的に広がる方言は、話すな!と言うことにはならない。ところが、言葉は日々変化しますよね、つまり、世代間で言葉に違いが出てくる。この時間的に縦に広がる言葉の違いに対しては専門家やらが目くじら立てて怒るわけです。基本的に若者の言葉に対しての一方通行的な批判です。
 
 最近の高校生あたりは、自分の母親を他人に紹介したりする時「私の母です」じゃなくて、「私のお母さんです」で間違ってないらしいですよ。これなんか私は耐えられませんね。いわゆる世代間の違いですね。しかし、よく考えてみればこの高校生たちが社会の中心になった時、「お母さん」っていって、変だと思う人はあまりいなくなってるわけだから、この時代には問題にならないでしょう。そしてそのころの高校生は母親を紹介するとき「私のママです」って言うようになってたりして、「お母さん」が正しいのに「ママ」なんて、言葉が乱れてる・・、って言うのが新聞に載ったりするのでしょうか。
 
 要するに、どんどん言葉を作り出し、変化させているのが若者。これを耳ざわりが悪いと感じる年寄りが世代間コミュニケーションのために自分たちの使っている言葉を伝授して、できるだけ変化を遅らせようとする。そして徐々に言葉は変化していく。これでいいじゃないですか。でも高齢化とマスコミの発達がこの変化をぎこちないものにしているのかもしれません。そこには本来正しいとか間違っていると言う概念はないのでは?と思うんです。それを言葉の専門家たちが知識をひけらかすような行為をして捻じ曲げてしまっていることに本当の疑問を感じます。

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