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2004/08/13

それらしい報道2

 前回それらしい報道で、体裁を整えるという視点から報道というものをみてみました。今回は報道の中身の方向性について一例を提示したいと思います。

 久しぶりに帰省して、自分の机の中を見ていたら、中学3年生の時の夏休みの研究としてやった、新聞の一面記事集が出てきました。一面記事を切り取ってはって、自分の感想を書くと言うもので、我ながら面白いことが書いてあります。ちなみにこの年(昭和61年)は、第三次中曽根内閣が発足し、社会党で土井たか子委員長が誕生した年です。この8月7日の記事はアメリカのシュレーダーさんという人工心臓をつけた人が、取り付け620日にして亡くなったという記事でした。恥ずかしながら、中学3年生の私の感想の一部をそのまま引用させていただきます。人口臓器に対して脳死移植(もちろん当時日本では全く行われていない)を話題にしています。

~略~アメリカの場合、脳死だとすぐ移植に使われてしまう。日本の場合、脳死の基準は何だろうかと話し合われている。たしかに、人間を脳死で死と判断はできないだろうけど、その人がちょっとあげるだけで別の人が助かるのなら・・、と考えてしまう。日本も、そんな遅れを取り戻して欲しいなと考えます。
 文の幼さには勘弁いただくとして、脳死移植に対して、遅れを取り戻して欲しいという言葉に注目して欲しいと思います。このころほとんどの報道ではこの脳死移植に関して「アメリカから20年は遅れている、どうして日本では脳死移植をいち早く行わないのか」という論調だったことを思い出します。だから、中学3年生の私がアメリカの現状や、脳死判定に対する不安を覚えつつも、結局最期には遅れを取り戻せと言った理由は、大人の専門家の言っているそれらしい論調(遅れている20年をいち早く取り戻すこと)に合わせたことに他なりません。とにかくそれが正しく、かっこいい考え方だと思っていました。
 
 ところが、10年ほどの時間が経ち、私も医療の現場に立ち、政府が脳死移植を認めていこうという段にきて、この論調は一変していました。「脳死なんかで死としていいのか?殺される人が出るのではないか?死への考え方がまだ定まらない日本では早急ではないのか?」等です。しかし、10年前に20年遅れていると言っていた報道が早急?とはいったいどうなっているのでしょう。それに今頃問題提起するくらいならば、どうして10年前にはできなかったのでしょう。これは前の報道がいかに中身を深く掘り下げていなかったか、また、後の報道がいかにそれらしい場当たり的な批判かということがよくわかります。
 
 一見報道は批判的なことを言うとそれらしく聞こえるものです。しかし、もっと報道の中身に対する自覚と責任を十分に持ち、ぱっと見のかっこよさだけに気をとられないでほしいと願うばかりです。また報道を聞く側も、中学3年生の私のように、なんとなくそれらしい論調に流されることのないようにしなければならないでしょう。

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コメント

憲法9条に関する私のブログにコメントありがとうございます。

それとは関係ないですが、彰の介さんの記事を見て思ったことについて述べさせて頂きます。
報道の受け手には、それなりの自己判断が要求されると思います。特にインターネットが発達し、またテレビにおいても情報が氾濫している今日では、ニュースの受け手には、自己判断にて情報の氾濫から自己防衛する必要性が非常に大きいと言えると思います。

しかし、情報の受け手が自己判断する以前に、情報の送り手(特に大手マスコミ)は、正確な情報を伝えるべきでしょう。彰の介さんの主張する「自覚と責任」を、報道機関はもっと重視すべきだと感じています。

三菱自動車の一連の不祥事が明らかになった後、三菱製自動車炎上のニュースだけが無造作に増加したことが思い出されます。

投稿: hiro32 | 2004/08/14 00:31

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