テロと人間と
ロシアの小学校占拠事件ですが、本当にむごい話です。立てこもり事件で、人質に対して飲まず食わずっていうのは聞いたことがないし、子供たちの目の前で、子供を含めて人質を殺すなんて、人間の所業とは思えません。
最近の無差別自爆テロに対して考えることがあります(今回の人質事件も、実行犯たちは生きて帰る気持ちはあまり無かったでしょう。自爆テロみたいなものです。)。いったいなんで自爆するのでしょう。目的が憎しみからの人殺しにあったとしても、政治的なアピールであったとしても、別に自爆する必要はありません。今回学校にはすでに爆弾なんかが運び込んであったというくらいですから、もっとうまく考えれば別に自爆しなくてもいろいろな方法があったはずです(もちろん、テロ肯定派ではありませんのであしからず)。
私的には、この自爆、ある種の「免罪」ではないのかと思っています。つまり、ただ趣味で人殺しをしているわけではない、命を捨ててでもやらねばならないほどの、憎しみや、怒りや、信念があるんだというメッセージです。結果的に自爆までされて一般人が犠牲になるということは、テロをされる側の政治なり国家なりに問題があるのではという感情を抱くことになります。するとテロ自体がいつの間にか免罪されているという仕組みです。(そんなに簡単には免罪されないことが多いかもしれませんが。)
しかし、ここで思うことは、確かに自爆したテロの実行犯は、例えばあの小学校に立てこもった犯人のうち、多くがチェチェン紛争の中で、夫や家族を殺された人であるといい、命を捨ててでもやらねばならないほどの、憎しみや、怒りや、信念があるのかもしれません。しかし、実際には、テロをやらせているそのテロ組織、或いはテロ組織の幹部たちの免罪に利用されているだけではないのかと思うのです。本当に怒りをもっている人間を死に追いやることで、自分たちを正当化する道具に使っているとしか思えないのです。幹部は決して自爆しないのですから。これはまったく逆も成り立ちます。アメリカも、ロシアもですが、一般人が殺されるようなテロは絶対許されないと訴えることで、実際自分たちがやったこと(チェチェン紛争やイラク戦争)に対して、免罪しているように思えます。免罪しているどころか、利権、利益誘導に利用している側面もあるといえるでしょう。
そして、実際死んでいくのは、まったく罪のない子供たちや、憎しみを持たざるを得なかった元一般人であると思うと、残念で仕方ありません。その責任者たちはのうのうと生きているのですから。そう、ビンラディンが、飛行機に乗ってホワイトハウスに突っ込こめば、ひとつの区切りになるかもしれませんが・・・。
追加記事:瀬戸智子の枕草子: 哀しみが憎しみに変わることを知っているを拝見しました。
行き着く先には、全く同感で、おそだしトラックバックさせていただきました。
一部の「どうしても戦争をしたい人間たち」のエゴのために、
私たち、普通の人たちが、犠牲を強いられることに気がついてきます。
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コメント
>実際死んでいくのは、まったく罪のない子供たちや、憎しみを持たざるを得なかった元一般人であると思うと、残念で仕方ありません。
本当にそうですね。
戦争で殺し合うのも、もとはごく一般の市民だった兵士や、本当に一般の市民たちなのだし・・・のうのうと生きている責任者の代理で一般民が傷つき、命を失うのは、もうたくさん。
私たちは、もっと心を開き、賢くならなければならない。
どうして
世の中には
病気のために、たたかいながら
力尽きてしまう命がたくさんあるのに
どうして健康な人の命を奪ったり
殺し合ったりするの
私たちに与えられた智恵と言葉は
憎悪をかき立て広げるためにではなく
憎悪を乗り越え新しい関係をつくるために
あるのだと信じたい
投稿: mia | 2004/09/07 20:29
mia様、コメントありがとうございます。何度あのロシアの事件のニュースを見ても信じられない気持ちでいっぱいです。我々ができることってどんなことなんでしょう。自問自答する毎日ですが・・、答えはあるのでしょうか・・。
投稿: 彰の介 | 2004/09/10 00:42