度量の大きさと反省の狭間で
先日、「月刊!木村剛 vol. 2」を買ってしまいました。なぜ買ったかといえば・・・、それは、徐々に私が、木村教に洗脳されつつあるからではないかと思っています。今のところこうして、正常に頭が使えていますが、そのうち、「木村教祖の髪の毛と爪の垢のセット1万円」とか、「霊感!木村剛の壺10万円」とかが発売されたとき、それを買わずにいられるかどうか、完全に洗脳されないという自信はありません。
月刊!木村剛でも取り上げられていましたが、7月28日の週刊!木村剛の改革を成就するモノは何か?:ケーキとネギの関係で、
ケーキを作っているときに、善意でネギを持ってきた人がいたとします。そのときに、「俺たちはケーキを作ってんだよ! ボケ!」と突き放すようでは改革は成就しません。改革を成就させるためには、「なるほど、ケーキにネギですか。そういうやり方もあるんですね。ありがとうございます」と心から感謝して、何とかネギを効果的に使えないか、と模索しながら突き進む度量の広さと胆力と行動力が必要です。というお話がありました。本日も、有名人ブログなのにもかかわらず、 「トラックバックしていただけたということ自体に感謝しています」なんていうタイトルを掲げていらっしゃる。そして私のような素人ブログに、毎日の様に付き合わされるはめになっている。たぶん、その度量の大きさと、素人のねぎをも使おうとされる行動力が、私を洗脳しているに違いないと感じているところです。
私は職業柄、やぶ医者をやっていますが、先日、患者を怒らせてしまうことがありました。患者はある慢性の死に至る事もある疾患であったにもかかわらず全く病院に通わず、薬を飲んでいませんでした。患者はその疾患の症状が出たため、以前もらっていた薬を一回飲んだのですが改善せず、病院にやってきました。患者曰く、「この薬は全く効かないから、別のを出してくれ」というので、「その薬は一回飲んだからといって症状を改善させる薬ではない。毎日飲んで症状を出ないようにさせる薬だ。ちゃんと病院に通って毎日薬を飲まなければ意味が無い。」ということを話したら、なぜか患者は怒り心頭になり「俺は苦しいから病院来たのに、なんなんだおめえは!もう2度とこねー!」とか言って、出て行ってしまいました。きっと、自分の言うとおりにしないことと、わかっている事をつつかれたことで怒ってしまったのでしょう。こっちも正しい事を話しているのに聞く耳を持とうとせず、そんな言われ方をしたことにカーッとなって、そんな患者を止めようともしませんせしたし、どうぞさようならという感じでした。
でも、でもですね、後になるといろいろ考えちゃうんですよね。内容的に自分が全く間違っていなかったとしても、やぶ医者として対応が本当に正しかったのかと。患者が怒ったとき、自分の堪忍袋を切ってしまうのではなくて、もっと大きな度量をもって「話せばわかる」とか「誤解されている」とか言ってもう一度診察室のいすに座らせる事はできなかったものかと。また、私の言い方はどうだったのだろう、怒らせるようにきつい調子で言ってなかったか(きつく言わないと死んじゃう内容ではありましたが)、説明のしかたは間違っていなかったろうか、と反省もしました。
度量は大きくと常に思いつつも、そこに付け入られるような、度量以上の行動をされてしまうと怒ってしまう。そして反省。そんな繰り返しなんですよね。コミュニケーションをとる相手が一様でない以上、それでいいんでしょうか。ただ、木村教祖の度量の大きさと行動力、これは参考にしないといけないと思っています。小さなことも、腹立たしい事も、常に吸収して自分の度量を大きくしていく。私もかくありたいと思った次第であります。
そしておなじみの無理やりトラックバック。木村教祖の度量の大きさに、また、洗脳されていくようです。
(ちなみに上の患者はちゃんと治療していきましたからご安心を。)
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