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2004/10/31

批判のための批判?

 新潟の地震に関するマスメディアの対応について、今回の週刊!木村剛にて[BLOG of the Week] これが新潟県中越地震の真実だ!として発表されました。トラバがすごいことになっていましたので、ちょっと傍観していましたが、いろいろ意見を見たあとに、卑怯ながら、あとだし批判をさせていただきます。
 引用されているはてなダイアリー - 天漢日乗さんの記事は、トラバされたときに読んで「アラマー!マスコミがまたやっとるがや!」って思っていました。そして多くの方がこの記事を読んでマスコミたたきを展開されています。しかし、最初にネットde監視、地方議会さんが ???小千谷市民の声???で記事の信憑性について胸騒ぎを覚えられ、650の無味乾燥さんが、マス”ゴミ”の話で、マスコミに責任を持っていくより個人へもっていくべきでは、と意見され、ガンジス川のほとり~ガンジーblogさんが「だまされない人」になるためにで、エピソード的な批判について違和感を感じられ、ガ島通信さんが何を楽しむのか!(怒ってます)で、「中越地震マスゴミ批判祭」を起こそうとしているようにしか見えないと嘆かれ、(批判記事に対して楽しむと言う言葉にもお怒りですが、週刊!木村剛の記事は書きかえられたようです。しかし、書き換えたことの記載が無い!木村さん、早く訂正したこと記事に書いてください!)、憂しと見し世ぞさんも 震災報道を楽しむ?で同様に楽しむと言う言葉に不適切さを指摘され、あざらしサラダさんも◇「勇み足」ではないだろうかで内容が真実だと判断できる情報かどうか疑問を呈されており,愚者の思考さんが ブログvs既存マスメディア?で、Blogをやる人たちとマスメディアの対立を望んでいるかのようと思われ、総計不一致雑記 さんが信じやすく燃えやすいで、もう少し引用は慎重にと結ばれています。
 私は、一トラバであれば問題ないとは思っていましたが、引用しっぱなしで、何の説明も無く、有名ブログでこの記事を書かれたのはやっぱり問題があったと思います。というのは、これ、”マスコミ人”全体に対する人種差別になってますから。個々の問題は糾弾されるべきものばかりで、反省してもらわなきゃいけないですが、一部の事実をもとに”マスコミ人全体”を批判することはできないでしょう。ある一握りの黒人が犯罪を犯したら、「やっぱり黒人は野蛮だ」って言ってるのと同じじゃないですか?。つまり、全てのマスコミの現地での行動の1から100まで全てが見るに堪えないものばかりと言う前提があって、あるいは証拠があって、初めて「マスコミはこんな体質で・・なっとらん!」と言えるのではないでしょうか。そういう意味で、今の段階というか情報の信憑性からは、650の無味乾燥さんのいわれる個人批判とすべきだと思いますし、あざらしさんの言われる勇み足かなとも思いますし、ガ島通信さんのいわれるマスコミ批判のための批判(そんなこと言ってないってことでしたらごめんなさい)かなあと感じます。
 ちなみに、私は以前から書いてますし( それらしい報道等)、今回のトラバでいろんな方が書かれてますが、(今回の地震報道も含めて)聞くに堪えないインタビュー等、報道内容、マスコミ体質には心底おかしいと感じている人間です。ですから、そのマスコミと同じような、それこそそれらしい批判のための批判にはちょっと物申したい今日この頃です。

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 追加記事:いろいろ引用させていただいたブログの皆様に山ほどトラックバックかけさせていただいています。引用内容に問題があればコメントあるいはトラバ削除などしてください。よろしくお願いします。

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2004/10/30

薬よりお茶?の時代

 私は職業がらやぶ医者をやっていますが、私の外来にお太り気味の若い患者が通っています。いわゆる、成人病の塊と言うんでしょうか、高脂血症、高尿酸血症、高血圧、糖尿病に脂肪肝・・・・まだ20代ですがこれからが思いやられる体質です。随分いろんな薬を出してるんですが、いっこうによくなりません。食事は適当、運動しない、ついでに仕事もしていない。正直、あきらめていたのですが・・・。
 2ヶ月前の血液検査が今までに比べてかなりの改善を見せていました。おかしいなあ?(よくなったのにおかしいってのがおかしいんですが)と思っていたら、徐々に、高かった血圧までも下がり始めた。ますますおかしい。思い切って彼に「何かやってるの?」と聞いてみました。彼いわく、「脂肪減らすお茶飲んでるんです」っていうんです。
 いわゆる、茶カテキンの含有量の多い緑茶を飲んでるらしいんです。厚生労働省許可 保険機能食品(特定保健用食品、多量摂取により疾病が治癒したりより健康が増進するものではありません、と注意書きあり)ってやつですね。ふむふむ、最近流行ってます。彼が、本当にこのお茶で改善してきているのかはわかりません。しかし、薬で治せないやぶの私は、「お茶ねえ、まあ、それでよくなってるんだから、今後も飲み続けてよ」と話しました。
 正直言うと、私はあまりビタミンとかミネラルとか(最近はサプリメントって言うんでしたっけ)みのもんた物?とかっていうのは、基本的に効き目よりもその言葉の響きからなんとなくよさそうで購買意欲を高めてるだけことが多いと感じています。患者さんの中には、怪しげな健康食品を持ち込んで「これ飲んでもいいですか?」なんて聞かれる方もいるんですが、基本的に「飲んでもいいですけど、きやすめ程度に考えてください。」と答えることが多いんです。しかし、お茶ごときで数値がよくなっているのを見ると、今後積極的に勧めないといけないかもしれません。恐るべし、保健機能食品です。薬に比べて副作用をあまり考えなくていいですから、薬より前の第一選択となるかもしれません。でも、本当にいい加減な健康食品たくさん溢れてますから、みなさんくれぐれもお気をつけください。

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2004/10/29

ハイエナとモラル

 第4回ブロガー新聞のテーマは「モラル」です。残念ながら、あまりの疲れに記事が更新できず、ブロガー新聞発行前に記事を発表することができませんでした。そこで、ブロガー新聞が出てからトラックバックさせていただくこととしました。ありきたりなことではありますが、「選挙とモラル」について考えてみました。少し、と言うか、かなりモラルからは視点が外れるかも知れませんが、お許しください。
 
 いきなりですが、国会議員は誰の代表か知っていますか?。私の父なんかは、はっきりしていて、「利益代表に決まっている」と、のたまいます。つまり、投票する立場から言えば、自分に利益を運んでくれる人に投票するのであって、間違っても、自分に不利益になる人に投票なんかするわけないという理屈で、まあ、当たり前と言えば当たり前かもしれません。
 
 実は、この国会議員は誰の代表ですか?と言う質問は、私が中学3年の時の社会科の授業で先生が出した質問です。私は真っ先に手を上げ「岐阜県の代表です」と答えました。私は岐阜県出身で、当然岐阜県から選出される国会議員は「岐阜県の代表だ」と考えたわけです。よく考えてみると、この考え方は、父の言うところの利益代表と同じ意味です。つまり、岐阜県の代表である以上、岐阜に不利益なことはしないでしょうし、むしろ岐阜に利益を運んでくれる役目を担っていると考えられるからです。
 
 しかし、この社会科の先生は、私の答えに「NO」と答えました。「岐阜県から選ばれるんだから、岐阜県の代表以外に考えられない」と、しつこく食い下がる私に、「そういわれても、憲法に国民の代表って書いてあるから仕方ないよ」と言われました。当時、私は全くその意味が理解できませんでした。確かに 日本国憲法第四十三条に「両議院は、全国民を代表する選挙された議員でこれを組織する。」と書いてあります。随分経ってからその本当に意味するところを知り、その社会科の先生の偉大さを知ることになりました。
 
 現在、私はこう理解しています。たとえ岐阜県で選挙され選ばれた国会議員であっても、国会議員となった以上は全国民の代表、すなわち、日本国の代表であり、日本国の利益のために活動しなくてはならないということです。ですから、厳密に憲法にのっとって国会議員を選ぶとするならば、自分にとって利益になる人を選ぶのではなく、日本国にとって利益になる人を選ばねばなりません。選ばれた国会議員は、選挙民に利益になることではなく、たとえ選挙民にとって不利益になることであっても、日本国にとって利益になる活動をしなくてはなりません。この中で使っている「自分にとっての利益」と言うのは、現状を有利にする、悪く言えば不当な利益のことであり、「選挙民にとっての不利益」というのは、この不当な利益が得られないと言う意味での不利益です。ですから、現実には不当な不利益にさらされている人たちもいるわけで、そういう人たちにとって、利益代表を送り出すことは許されることでしょうし、不当な利益をすでに得ている集団から利益を取り戻すと言う意味での利益代表も認められるでしょう。
 
 しかし、今ここに述べたことは非現実的な理想論と思われたかもしれません。「地元に高速道路をもってきてみせます!」と訴える人か、「地元に高速道路は無駄ですから決してもってこないようにします!」と訴える人か、どちらに投票するかはあまりにも明らかです。しかし、私は上に書いた理由から、国民の代表たる国会議員が、地元に高速道路を持ってくるなどと訴えることは、憲法違反だと思っています(多くの方は笑われると思いますが・・)。例えば、鈴木宗男氏なんか、公然と、「私が予算をつけた」と地元へお金を落としたことを自慢げに訴えているのですから話になりません。これこそ、(私的には)いつの間にか忘れられてしまった、政治家と選挙に関する、「モラルの消失」ではないかと考えています。
 しかし、といいつつ実をいうと私は鈴木宗男氏の擁護派でもあります。なぜなら、そのつけた予算に対して、ハイエナかハゲワシのごとく群がって、食い尽くしてきたやからが存在するからに他なりません。そんなやからに比べれば鈴木宗男氏のしたことなどは、腹をすかせたハイエナたちにせっせとえさを運んだまでのことで、利益のほとんどない、ボランティア活動に近いものではないでしょうか。その心はおそらく極めて純真なもので、「オレのやったことの一体どこが悪いのか?」と言う気持ちは決してうそではない本音だと思います。つまり「モラルの消失」とは、政治家側ばかりにあるのではなくて、むしろハイエナ側の問題ではないかと考えているわけです。
 
 では、ハイエナやハゲワシとは一体誰なのでしょうか?。越後屋や桔梗屋でしょうか(笑)。大企業や大手ゼネコンでしょうか。私は以前、みんなで現実逃避!と言う記事で国債問題について書きました。国の借金は誰の借金か?という問題に「私やあなた」というのを私なりの答えにしました。これと全く同じことで、ハイエナやハゲワシとは「私やあなた」そう、憲法の言うところの全国民であると考えています。例えば、北海道の熊より車の数が少ない高速道路の建設を非難する一方で、いざ地元に高速道路ができるとか、新幹線が通るとかいう話があった時に「非採算だから反対、国債が増えるから反対」などと言える国民なんて、いったいぜんたい、いるのでしょうか。
 
 一般論として、人間とは弱いもので、他人が不当に利益を受けていたりすると非難したくなるものですが、いざ、全く同じことが自分にふりかかってくると、言い訳してでも利益を守り通したいものです。個人的なことはともかく、団体や地域や国政に関わることで、同じように政治家に不当な利益確保をお願いするような「モラルの消失」に、少しづつでも気づいてくれる人が増えたらなあ、と思うばかりです。また、あえて、「皆さんの目先の利益にはなりませんが、真の利益を運びます。清き一票を!」なんて訴える政治家はいないものなんでしょうか。
 ちなみに私は、一人だけ、変人政治家を知っています。自分の大切な支持団体にもかかわらず、それにあえて改革を断行しようとした人物です。身を削るような支持団体への改革は、未だかつて見たことがありません。最近はあまり人気がなくなってしまいましたが、私は「モラルの消失していない唯一の政治家」として、その部分だけは高く評価しています。そう、その政治家はもちろん、日本国の総理大臣のあのかたであることはいうまでもありません。
 
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2004/10/27

電車内の携帯使用と安全性

 ブロガー新聞3号では、あざらしサラダさんが一日編集長となり、「携帯電話」をテーマに掲げられました。私自身、 医療現場と携帯電話と題し、トラックバックしました。そして今回、あざらしサラダさんのブログ上で、「問題提起」の今後ですが、にて、周辺機器等の誤動作の問題についての分科会?として、このブログのご指名を受けました。正直言うと、私の論調に合わせたコメントやトラバのみをいただいていたので、このまま逃げ切ろうと思っていました(笑)。しかし、例えばブログ上において、電車内の携帯電話の使用がペースメーカーに誤作動を起こす可能性があることについて、私はかなり心配派ですが、ほとんど影響ないから過剰規制という意見が多いように思います。あざらしさんのお考えの提言はできない可能性がありますが、私の責任下において、少しづつ問題を絞って、つめていこうと思います。ただし、私は弱男(よわお)なので、お叱りコメント多数の場合は投げ出す可能性があります。そんな場合、皆様のご理解をいただきたいと思います(笑)。
 今回は、話を電車内の携帯電話とペースメーカーの話に限定したいと思います。まず、言わなければならないこと、それは現在電車内での携帯電話の使用は基本的に禁止されていないということです。あくまで、マナーモードにして、通話は控えて欲しいというマナーを呼びかけているわけで、メールやらiモードやらは全く禁止されていません。このマナーについてはここでは取り上げません。本題の携帯禁止というか電源を切るように呼びかけられているのは、「優先席付近と混雑時」のみです。これにはペースメーカーが関係し問題になってきているわけで、問題はここに絞れます。
 さて、携帯によるペースメーカーの誤作動ですが、電波の医用機器等への影響に関する調査結果-新たな植込み型心臓ペースメーカ等についても22センチの現行指針の妥当性を確認-や、医薬品・医療用具等安全性情報179号が根拠になっているようです。携帯電話のいろんな機種をひっくるめて、22cm離せば問題ないとお墨付きを与えています。しかし、機種によっては2cmほど離せばいいようですし、確かめられた誤作動というのは、症状が現れるようなましてや致命的なものはどうもないようです。
 問題その1:行政が出したこれらの指針は、結果に比べて安全域を置きすぎで、無用な警告だと思いますか?
皆さん、どうでしょう。この結果から、携帯でペースメーカーには影響ありませんと自信を持って言えますか?。たぶん、行政としては、何かあったら困るので、安全域をしっかり置いたのでしょう。私が行政の関係者であれば、同じように安全域を置いたと思います。この結果からは怖くて行政の立場で安全宣言なんて出せないと思います。いきなり安全宣言をするのではなく、誤作動があった以上十分な安全域を持って、徐々に安全域を絞っていくというのは悪いことではないような気がします。今年の洪水も地震もそうですし、いろんな事故など何かあったら「想定外のことが起こった」といって逃げるのが行政ですから、むしろよくここまで条件を絞ったものだと感心している私は変でしょうか?。それともやっぱりこの結果から安全宣言を出すべきだと思いますか?
 問題その2:その1を踏まえ、優先席付近や混雑時の携帯電話電源offについて、過剰な対応だと思いますか?
その1の時点で安全宣言を出すべきという方は、もちろんこのその2でも過剰な対応という考えでしょう。22cm(機種によっては数cm)離せば大丈夫という提言を認めておられる方はどうでしょう。私は被害妄想系の人間なので、自分が加害者になりうることを想像してしまいます。混雑時は十分、数cmに携帯がペースメーカーに接近する可能性があると思いますので私は電源を切ります。優先席付近については、ペースメーカーをつけている人の避難場所と私は考えています。車内の極一画ですから、それぐらいは安全地帯を確保してもいいのでは?と考えています。が、やっぱり、混雑時、優先席付近、十分安全(数十センチの接近なんて想定できない)だからいちいち電源を切る必要はないと思いますか?
 質問その1:いろいろ言い分はあるでしょうが、無理やり現行の混雑時、優先席付近の電源offを強制されたとします。私は、携帯電話のヘビーユーザーとはいえないので、電車に乗ってるくらいの時間、電源切ったところでなんとも思いません。また、携帯を使いたいなら一般席の方へ行けばいいことです。ですから、行政からの安全宣言が出されるまで、私の言うところの避難場所(安全地帯)の確保はあってもいいと思います。しかし、その極一画や一定の時間、電源を切ることに問題があるとすればどんなところにあるのでしょう。
 私はもう1つ気になることがあります。この、電車内での電源offに関して、「マナーの問題を解決するために、人命に関することを持ち出すのはおかしい」という意見があることです。「ペースメーカー患者をだしにして」という表現をされてる方もいたと思います。しかし、これ逆の側面もありませんか?。電車内で通話することがマナー違反とされているわけですが、これをマナーに反していないと言わんがために、「携帯電話は安全なのに、どうして通話がいけないの?」って問題摩り替えていませんか?。と言うのは、安全に関する問題は優先席付近だけのことで他の場所はマナーの問題なんですから。また、以前コメントにも書いたのですが、優先席での携帯通話を注意された人が注意をした人に逆ギレした事件がありました。これに対して、あるブログ上で、これでもかと注意した人をこき下ろしていたのです。そのときに使われていたのが「安全なことぐらいわかってるはずなのになんで注意するのか」っていう言葉だったわけです。そう、無意識的かも知れませんが、それこそマナーの問題を安全をだしにして、逆ギレまでしたマナー違反携帯使用者の擁護に利用していませんか?。携帯通話を正当化するために安全性を問題にしてますよね、これ。違いますか?。
 ということで、とりとめもなく、まとめるつもりがまとまらず、ここまで書いてしまいました。私は私の意見ですが、誤りは直すつもりです。そのうち病院についても書きます。少しづつ携帯を認める病院も出てきてるようですから、それを踏まえて医療関係者として問題提起していきたいと思います。

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2004/10/25

シャレで「FJ」バッシング

 ブログの世界で、既存のメディアに対する批判や不満が渦巻いております。私も自分のブログでそれらしい報道等何度か皮肉ってきました。今回の週刊!木村剛では、日経金融新聞のセンスのなさ:さすが大銀行の御用聞きと題され、ありもしないけどそれらしい?日銀総裁をだしにした木村剛バッシング?に批判しつつ、皮肉っておられます。メディアがたたかれているおりもおり、何でまたこんな記事が・・・と、思わなくもありません。
 しかし、木村さんに嫌われるのを覚悟で言えば(すでに嫌われているといううわさも・・)、それこそ「駆け込み寺」的にこの週刊!木村剛を利用したふうにも見えなくありません。したがって、私はあくまで、1ファンとして同情するためではなく、この日経の記事の中身をじっくり読んだ上で、本当に信用ならないものなのかどうかを考察しました。その結果・・・、

やっぱり誰がどう考えても木村バッシングのためだけの記事ですね(笑)。
日経に同情の余地はありません。木村さんに嫌われる覚悟をしてまで、じっくり読むに値しませんでした(笑)。どうするとこんな記事がかけるんでしょうかね?。いったいぜんたい・・・。
 うむ、むむむ、いやいや、ここで思考停止してはいけません。面白いことを考えましたよ。こんな推理はどうでしょう。
この、「花盗人」なる人物、実は当のK.T氏だったりして・・・。自ら巨大メディア紙に自らの批判記事を書く。それをブログで紹介する。ブログ上で木村ファンがトラバをして日経紙をこき下ろし、木村支持で満ち溢れさせる。あまりの影響に日経紙が訂正、謝罪記事を書く。すると自然に「FJ誌」の大宣伝になる。日経にとってメリットがなさそうだが、裏では日経の編集長あたりにバックマージンが渡る・・・・。
 いやいや、念のため書いときますが、これシャレですよ、シャレ。本気にして木村ファンから卵ぶつけられるとかないません。しかし、我ながら推理小説作家にでもなろうかな?と考えちゃいました。えっ!全然面白くなかった?。つまらない?。まあ、そうかもしれません、事実は小説より奇なりと言いますから・・・。←これもシャレですから・・・。

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無駄論的自然学

 科学者というのは、そこに疑問があると必ず答えがあるはずと思い、それを探求していくものです。自然界の生物を見て、その行動や生態や解剖学的な疑問についても、必ず合目的な理由があるはずだと考えます。そして、生物はその合目的性にそって進化してきたと考えられています。例えば、擬態というのがあります。コノハムシは葉っぱそっくりなついでに虫食いの跡までそっくりです。これは敵に見つからないように、自然の中に溶け込んでしまおうとする目的に沿った進化と考えられています。ハナカマキリってのもいます。蘭の花そっくりのカマキリで、これは敵に見つからないのと、えさとなる蝶などにも見つからないようにしているのでしょう。正直芸術品です。
ということで、この昆虫などの擬態が大好きな私です。この擬態に関してはいちいち専門家が説明してくれなくても、素人でもその合目的な進化が説明できます。しかし、生物がこのように目的に沿って進化しなければならなかったとすると、全ての生物が擬態していなければなりません。ところが擬態どころかわざわざ目立つような色をしたものがいます。ヤドクガエルなんかは、強い毒があり、わざと目立つようにして毒カエルであることをアピールしているらしいのですが、広げた羽がたいへん美しいクジャクなんかは、ただ目立つだけで何の意味もありません。テレビで見てたら、羽広げてメスにアピールしていたオスのクジャクが、トラに襲われて食べられていました。他にも極楽鳥とか、サイチョウとか、あまりにもきれいで目立ちすぎる鳥がいますし、さんご礁の魚なんか、非常にカラフルです。この例えばクジャクが美しいがゆえに襲われやすいという一見矛盾した進化を遂げた理由について、生物学者は次のように説明しています。

「美しく、目立つのにもかかわらず生き抜いてきたということは、逆に非常に強い個体であることの証であり、その子孫を残すことは合目的である。」
私はこの説、絶対うそだと思っています。一方ではコノハムシみたいに葉っぱそっくりにならないと生き残れないのに、目立つというのは致命傷です。こんな説が本当だったら、擬態する方への進化の説明がつきません。擬態までしないと生き残れないなんて魅力にかけるから子孫を残す価値は無いってことになってしまいます。一見正しそうな学者の説を鵜呑みにすると新しい発想が生まれません。以前亀のあくびで、あくびの目的について疑問を呈したこともありますが(というほどのものでもありませんが)、以前からこの説には文句をつけたいと思っていました。しかし、残念ながらそれを覆すような、何か証拠を持っているわけではありません。でも、恥ずかしながら、私も考えてるんです、無駄論的に。私の説聞いてみます?、やめときます?、ちょっと腰抜かすかもしれませんよ。どうして、目立つにも関わらず美しく進化したか?。
「それは美しくなりたかったから・・」
どうです。腰抜けたでしょう(笑)。そのココロは、美しくなってしまった理由が本当に存在するのか?ということです。自然は厳しく、目的の無い進化はしないようにも感じますが、本当にそうでしょうか。自然界に目的の無い遊びは存在しないんでしょうか。そう、美しくなりたいという遊びがあってもいいんではないかというのが私の説です。でもそれだけだと信頼性が無いので、追加の説を。
「生態系に組み込まれることは、進化よりも生存意義が強い」
例えばカエルです。カエルは両生類のままで進化を止めてしまっています。おたまじゃくしはきわめて弱く多くの生物のえさになっています。カエルになっても、鳥やへびのえさとしての存在としかいえないくらいでしょう。しかし、生態系に欠くべからざる「えさ」として組み込まれることによって、その絶滅は許されなくなります。逆にえさとして大繁栄しなければならなくなったともいえるかもしれません。美しくて目立つ生物も、ただ目立つからといって絶滅することはありません。生態系に欠くべからざる存在となればいいわけです。そうすれば、他の動物に負けじと美しく進化していく遊びも許されるという理屈です。
 でもこれはひどい屁理屈的学説です。いくらでも突っ込みどころがあります。こんな説にだまされてはいけませんよ。しかし、私の言いたいこと、それは学者がいってるからといって決して正しいとは限らないということです。だからどんどん疑問をもつべきです。特に子供たちには無駄論的に図鑑を眺めて、「おやっ?」って思ってくれればなあと思った次第です。

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2004/10/23

ブログ人生経過報告

 このところ、寝不足が続いておりました。やぶ医者の不養生でも書いたのですが、風邪気味のくせに、ブログの更新で随分夜更かししています。最近気づいたのですが、ネタを書こうと思っても、9時や 10時だと気持ちが乗ってこないんです。日にち替わってAM.0時すぎると、めらめらとネタが思い浮かんできて、いっきに書く。そしてふと部屋の時計を見上げると2時や3時になっている・・・・。いかんですね、これは。そしてさすがに昨日というか、本日というか、あまりの睡魔に耐えかねて、新たなネタを書くことなく、ぐっすり寝させていただきました。本日も風邪気味は風邪気味ですが、調子はなかなかいいみたいです。やっぱりどんな薬よりも「あったかくしてよく寝る」っていうのが、風邪に対する最良の薬だということを再認識させていただきました。こういうせりふは、あまり医者らしくないかもしれませんが、私は「やぶ医者」ですから・・・、そんな程度です。
 さて、ブログ人生も3ヶ月が過ぎました。今まで、その場その場で思いついたことを書いてきましたが、今後、無駄論というか無駄知識の公開を不定期に、また、時には「やぶ医者の医療裏話」ってのも時々書くかもしれません。これ役に立つ健康ネタでないことは確かです。なにしろ、風邪引いたらあったかくして寝ろっていう具合ですから・・・。まあ、期待せずお待ちください。週刊!木村剛にも、今後ともトラックバックしていこうと思っていますが、今回のBLOG of the Weekははじめてのトラックバックは母ちゃんだったとですでした。以前見て大笑いした覚えがあります。
 最近の週刊!木村剛は、「お笑い!剛道場」になってきているのが気になるところで、私のような「くそまじめなネタ」しか書かない?ものには遠い存在になって来ています(笑)。これからは「お笑い路線」も研究しなければいけないかも・・・・。いやいや、私のまじめな医療ネタはそのままお笑いだったりして・・・。
 ということで、本日は早めに更新できました。でも、夜中にうずうずしてきて、もう一更新してたら・・・、ブログ症候群の一症状ですから、気にしないでください・・・。

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2004/10/22

順境を耐える

 昨日、NHKで放送中の人間講座をたまたま見ました。水曜日の担当は、将棋の棋士、米長邦雄さんです。私は将棋が大好きなんですが、特に米長さんのファンで、サインが部屋に飾ってあります。残念ながら、今は現役を引退されています。この人間講座のなかで、米長さんが実に興味深い話をされました。
 米長さんは、将棋の棋士ですが、現役中、本業の他に「株」も随分やったようです。「株」に関する著書もあります。別に株をやるくらいのことはいいと思うのですが、その株をやめたエピソードを語っておられました(今もやめておられるかどうかはわかりませんが)。時はバブルの絶頂期、米長さんも相当に株で儲かったようです。一晩で、将棋の対局料(棋士のお給料)の何倍ものお金が儲かったようです。そこで、普通ならそのまま株にはまっていくはずですが、米長さんは、「これはおかしい」と感じたといいます。それは、そんなに儲かること自体がおかしいとも感じたでしょうし、勝負師として本業の将棋に対する気持ちに対してもおかしいと感じたのでしょう。そこで米長さんは無理に借金して家を買い、株にお金を使えないようにしてしまいました。そして、カーライルという人の言葉を引用されています。

逆境に耐え得る人間は数多くいよう。されど順境に耐え得る人間は何人いようか。(注:10/22 正確なのに書き換えました)
久しぶりにしびれる言葉に出会いました。まさに自分に追い風が吹き、やることなすことうまくいってるときに、「うむ?なんかおかしい・・」と考えられる人っているんでしょうか。まさに、バブル時代ってそういう時代でしょう。銀行やら、大蔵省やらの日本の天才たちの頭脳をもってしても、この順境には耐えられず、ジュリアナ東京で踊りまくってしまいました。もしかすると、バブル後の「失われた10年」というのは、現実に戻ろうともせず、順境という幻想の中で踊り続けていた時代だったのかもしれません。しかし、実際幻想を持ち続けたのは、政治家や官僚や銀行であり、いち早く現実に引き戻された一般庶民とのギャップが更なる大不況を生んだとも考えられます。
 「経済」なんて、天才ですら踊らされる、いわゆる正解の無い世界かもしれません。そんな中で、週刊!木村剛にて フィナンシャルジャパン本日創刊します!ということで、FJ創刊が宣言されました。ぜひ、木村剛一ファンとして、FJの成功をお祈りします。世の中の玉石混合の情報の中から、本物の玉情報の提供ということですが、順境の中で踊っている人への真の玉情報は、つまらなく世間受けしないものになるかもしれません。しかし、ぜひともただ順境の流れに漂っているだけの情報誌にはならないで欲しいと願っています(社会主義経済である「医療」という世界で生きている経済素人の私が、とやかく言うのは変な話ですね・・・ごめんなさい)。私も人生をもう一度見つめなおし、常に今の自分を見つめることができる人間になりたいと思うのでした。

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2004/10/21

やぶ医者の不養生

 やぶ医者の彰の介です。本日、風邪をひきました。のどが痛いです。
 ちなみに、医者の不養生とはよく言いますが、私の場合、やぶ医者ですが不養生です。本日も、薬を飲もうともしていません。他にも、かなり前から虫歯がありますが、治そうともしていません。生活習慣病もそろそろ出てきてますが、無視しています。まさに不養生です。
 そんな不養生な私が、やぶ医者の私の外来に受診したら、私は私に、きっとこうアドバイスするでしょう。

「やぶ医者につける薬はありませんね。まあ、このまま、不養生を続けたいのなら、それはそれでいいでしょう。でも、でもね、今日ぐらいは風邪ひいてるんだから、夜な夜なブログめぐりはやめて、早く寝てください。明日も仕事なんですから・・・。」
ふと私の部屋の時計を見上げると、AM1時30分近く・・・・。つける薬は本当にありません・・・・。

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2004/10/20

医療現場と携帯電話

 あざらしサラダさんが「ブロガー新聞」(第3号)の「今週のトラックバックテーマ」は・・・ってことで「携帯電話」をあげていらっしゃいます。本当はあまり気にもならなかったのですが、よくよく考えてみると、私彰の介、”やぶ”とはいえ、医療関係者ということを忘れていました。そう、病院にいくと必ず「院内では医療機器やペースメーカーに影響を及ぼす可能性がありますので、携帯電話の電源をお切りください」と書いてあるんですね。
 実際、どれ位の患者さんたちが電源を切ってるかどうかはわかりませんが、私の経験として、外来中や、家族への説明中に患者さんや家族の携帯の着信が「チンチロリ~ン、チンチロリ~ン」(うむむ、いまどきチンチロリンはないかも・・・)と鳴ることは、決して皆無ではありません。よくあるとは言いませんが、チョコチョコあるといえばあります。患者さんの容態が悪くなって、家族親戚で連絡取り合ってるときなんかはよくありますね。しかし、私の経験上、病院内の携帯禁止区域内のロビーなどで、大きな声で携帯で通話し続けている人は見たことありません。また、外来で患者さんの診察中に「チンチロリ~ン、チンチロリ~ン」(だからいまどきないでしょ・・・)と鳴ったこともありますが、当然、その患者さんは直ぐ切りました。中には会話を始める人もいましたが、「今病院だから切るよ、ガチャ」という人でした。まあ、当たり前といえば当たり前ですが、病院内では電源を切っているかはともかく、いわゆるマナーはある程度徹底されているようです。
 ところで、この根拠になってる医療機器やペースメーカーに影響を及ぼす可能性ってのはどうなんでしょう。あざらしさんとこから電波の医用機器等への影響に関する調査結果を引っ張らせていただきました。要するに、医療機器に近づきすぎると、誤作動の可能性があるってことですよね。皆さんご存知かどうかわかりませんが、点滴をするとき、輸液ポンプっていうのを使う場合があります。正確に点滴をある一定量、一定のペースで入れるために使う機械です。手動では誤差が大きすぎますから、大事な薬を使う場合等はこういった機械を使うわけです。シリンジポンプっていう、もっと正確に薬を入れるための機械もあります。一時間当たり0.1ml位の単位で入れる場合に使います。要するにこれらの機器はその性格上極めてデリケートです。一時間当たり1ml、点滴を通して薬を入れるという設定だったのに、0.5mlしか入らなかったら、極端な話その患者さんは死んでしまうかもしれません。たった、数mlです。すずめの涙ほどの誤差が許されません。
 現実には、携帯電話によるこういった医療機器の誤作動で問題が起きたという報告が無いところを見ると、携帯電話が誤作動を起す確率は極めて低いのでしょう。しかし、私はそのデリケートさをよく知ってますから、携帯電話が誤作動を起こす可能性が0%でないのであれば、危険を冒してまで携帯の電源を入れておく勇気はありません。患者を自分の家族に置き換えてみれば、そんなことぐらいで死んでもらっては困るし、また、自分が加害者になりたくもありません。だから、マナーの面も含んでいるとはいえ、病院内での携帯電源offについて、おかしいとは思いません。まあ、現実にほとんどの人はルールを守ってくれていると思います。病院で診察を受ける時間、あるいは誰かのお見舞いに行く時間、携帯の電源を入れておかないと死ぬわけでもないし、留守電やら、メールの確認ぐらいは後からでもできるんですから。
 一方、「電車内の人工ペースメーカーに対する携帯電話の影響」がいろんなブログで話題になっていますが、ペースメーカーにはほとんど影響が無いのに携帯の使用制限をいうのはおかしいというような論調が多いのに驚きました。安全の問題とマナーの問題の混同とか、ペースメーカー患者に恐怖をあおるだけとか、目くじらを立て、マナーを押し付けるのはどうかとか、そういう意見が多いんですね。そういう、意見の方が多いとすると、私が上で書いたような病院内のルールなんてなくした方がいいという方も多いのでしょうか。私は、電車内も病院内も同じだと思っています。確かに、さほど影響は無いのに、ペースメーカー患者に恐怖をあおるだけなのかもしれませんが、でも、避難場所としての優先席付近くらいは確保してあげてもいいと思います。逆にそんなに目くじらを立ててまで、携帯電話の電源を入れておくことに固執する意味がわかりません。何万分の一か、何千万分の一の確率かわかりませんが、私は(あくまで私はですが)、ペースメーカーの誤作動による事故の加害者にはなりたくありません。正直、多くの方の、携帯なんかでペースメーカーに誤作動なんておこりっこないという自信には、感服するばかりです。
 どこかで、議論はし尽くされているのかもしれませんが、私見を述べてみました。ご批判甘んじて受けます。

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2004/10/19

マイナーなの?日本シリーズ

 日本シリーズ第2戦で、我らが中日ドラゴンズはすばらしい勝利をあげてくれました。
 でも、10/18の朝の駅売りのスポーツ紙一面の多くは、松井秀樹の大リーグでの活躍を伝えるものでした。今年の日本シリーズはそんなにマイナーなの?。それともここが東京だから?。一中日ファンの嘆きです。名古屋の中日ファンの皆さん、一歩外に出れば、世間は冷たいよ・・・。
 もっとすごかったのが、第1戦の途中経過を伝えるNHKのニュース。

本日のプロ野球です。中日対西武、1-0で西武がリードしています。ヤクルト対横浜、3-2でヤクルトが勝ちました。
お~い!、日本シリーズと、消化試合を同格にするな!!(怒)。
 日本の中心で生活されている東京の皆さんには、こういうマイナーな気持ち、わかんないかもしれませんね。

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2004/10/18

評論家評論

 プロ野球日本シリーズ第2戦、我、中日ドラゴンズが勝って1勝1敗の五分としました。ということで、第1戦敗戦時の論評を思い出し、週刊!木村剛で「ネットは新聞を殺すのか」のメディア総論が取り上げられていましたので、かなり無理やりトッラクバックしたいと思います。
 今回の日本シリーズにおいて中日かそれとも西武かどちらが有利かについては、評論家的には「十分準備ができた中日の方が、目先の試合で精一杯だった西武より有利」という見解だったようです。まあ、それが正しいかどうかはわかりませんが、とにかく第1戦が行われました。が、これは、中日ファンにとっては実に苦痛な試合でした。まさに西武の完勝でしょう。審判の誤審問題も自ら身を引いての勝利ですし、言うこと無かったと思います。しかしながら、とあるネット上で見た新聞の評論はどうでしょう。

「下馬評では準備万全の中日が有利といわれていたが、始まってみれば、シリーズまで間延びしてしまった中日よりも、直前までぎりぎりの試合を積んできた西武の方が結果的によかった」(正確なのは忘れてしまったので、大体こんな感じです。)
これは、いただけません。というか、どうしてこんな場当たり的な評論を書いてしまうのでしょうか?。これはシリーズが終わったときに書くべき論評です。しかも、4戦全勝か4勝1敗位までの一方的に終わった場合のみに使っていい表現だと思います。この記事を書いた方は、第1戦を見てこのシリーズは西武の楽勝と見たのでしょう。もちろんこの予想は当たるかもしれません。予想が当たることは評論家として、記事書きとしてこの上ない名誉だとは思います。しかし、予想と評論は違います。短期決戦とはいえ、いくらでも流れが変わる日本シリーズです。3連敗後の4連勝もあります。つまり記事を書くことに関して、予想が外れる(全く誤った論評を書いてしまった)というリスクを全く想定していません。その場の雰囲気を記事にしているわけですから、う~ん、どうなんでしょう。プロの記事とは思えないのですが・・・。
 実はこの手の、場当たり的なその場の雰囲気で論評している評論家やコメンテイターと呼ばれる人が結構いるのが気になっていました。上の例はそれほど目くじらを立てる程のものではないかもしれませんが、現実に、第2戦で中日が気持ちよく勝ってくれましたので(笑)、例として挙げさせていただきました。でも、所沢で中日が3連敗すると、私の立場もありませんが・・・・。

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2004/10/15

少子化問題に愚論を1つ

 週刊!木村剛の日本は高齢者天国なのか?:48%対3%で少子化問題が提起されました。そこで、今回は全く解決策にならない、愚論を1つ・・・・。
 少子化といえば、出生率の低さが問題になっています。出生率はややこしいことを抜きにすれば「生涯に一人の女性が産む子供の数」と定義されています。それが1.2とか、1.3とか言われているわけです。ついでに言うと、この数字が低いため、「女はもっと子供をもっと産め!」などといわれることもあり、世の女性達がお怒りになる原因ともなっています。また、もっと女性たちが働きながら子供が産めるような対策などを進めようとされています。そう、問題自体もそうですが、解決策に関しても基本的に女性の問題とされています。
 しかし、保健体育的に言うと(笑)、生まれる子供が少ないという問題は女性だけの問題ではありません。しかし、男性の問題だと言い出すと、「男はもっと子供をつくれ!」ってことになります。だから、奥さん以外の女性に子供を産ませても、「国策ですから・・・・」と言い訳を与えることになります(ちょっと笑えない・・・)。
 というか、女性の問題とか、男性の問題とか言うのはやめて、少子化は「日本の問題」と再認識してみてはどうでしょう。そのためにも、出生率の定義をかえませんか?。例えば、「生涯に日本人一人がもつ子供の数」としてはでどうでしょうか。男も女もありません。現状で考えると、男女が同数として、単純計算すれば、0.65とか、0.7とかになります。単純に考えると、将来人口が今の6割、7割になるかもしれないことを表しています。このほうが、どんどん人口が減っていくことがよくわかりますし、「自分には関係ないよ」と思っている男性に対する問題提起にもなります。
 ということで、今回は言葉だけの愚策を考えてみました。女性の問題と押し付けるのはもうやめましょう。

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2004/10/14

ブロガー新聞のゆくえ

 週刊!木村剛で、立ち上がったブロガー新聞ですが、ブロガー新聞は「一日編集長」を公募します!ってことで、頓挫?ですか?。意地悪のような(笑)、親心のような?、まあ、どうなんでしょう。
 私個人的には、1ブロガーの小さな意見を世に送り出していくという意味でブロガー新聞を捉えていましたので、正直「週刊!木村剛」自体がブロガー新聞として確立しつつあると考えていました。だから、多くの方がブロガー新聞に期待を寄せられたときは、もう少し気楽にいけないものかと鼻息荒すぎです!ブロガー新聞!なんていう記事を書いていたわけです。以来、第一回ブロガー新聞の撃沈にも私はだんまりを決め込んでいたのですが、「一日編集長」を公募します、にはびっくりしました。そしてもっとびっくりなのが、他のブロガーの皆様。そのやる気と行動力にはついていけません(苦笑)。とりあえず、my.Hurusato.org さんの「ブロガー新聞編集タスクフォース」を立ち上げませんか?に注目です。というか、「ブロガー新聞編集タスクフォース」の立ち上げを宣言されてしまったので、あまりバラバラに意見をいうわけにも・・・。
 とりあえず、今の所の雰囲気としては、週刊!木村剛へのトラックバックとその寸評のみで新聞を作っていくのでは「週刊!木村剛」以上にはなりえないので、他のブロガーさんのところで「テーマ別ブロガー新聞支店」をつくるっていう方向なんでしょうか。そうすると、一日編集長ではなくて、あくまで「1ブロガー新聞記者」ですよね。そして各支店ごとの動きを「ブロガー新聞支店キャッチアップ」って形で週刊!木村剛内でまとめたり、さらに意見募集っていうのが現実的なんでしょうか?。もしその方向なら、テーマも無く、宣伝も無い状態ではやっぱり直ぐの立ち上げは無理ですよね。
 ということで、雰囲気といいつつ、私見を述べてみました。ぜんぜん雰囲気読めてなかったら、プロの皆さんにボコボコにされるかも。まあ、聞き流しください。「彰の介には傍観者がよく似合う」ってことで・・。

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2004/10/12

旬のハイビスカス?

 最近、きついネタが多かったので、本日は美しい花で画面を飾ってみました。
 我が家にあるハイビスカス、本日この真夏の暑さに誘われて?、立派な花を咲かせました。DSC00348.JPG
 え~、本当~??。もう、秋ですって!!。いや~、うちのハイビスカス、基本的にに咲くんです(笑)。これ今年最初の花です(笑)。でも、他につぼみはひとつもありません(大笑)。後は、冬を待つだけです(笑)。まあ、実は冬に部屋の中に入れるんで、暖房に反応してしまうらしいです。誰か、ちゃんとした育て方を教えてください。

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組織を批判したけれど

 日本特有なのかどうかわかりませんが、日本の組織を考えるとき、どうしても「和」の精神が関わっているように思うのは私だけでしょうか。週刊!木村剛: 三菱自動車の社員と同じ穴のムジナなのですでは、ガ島通信さんの三菱不祥事に思うことが引用され、鋭く三菱自動車の不祥事について考察されています。それが組織批判だとすれば、私も、 和をもって・・本当に尊いの?で組織批判をさせていただきました。そこで今回、組織の中にいる自分についてちょっと考えをまとめてみました。
 私は、組織というか、仲良しグループというか、その存在が決して悪いものではないと思います。「和」という言葉をキーワードとしてまとまることができれば、非常に効率よく、目標に向かって突き進むことができます。しかし、この「和」が、その組織の利権確保や、失敗の隠蔽に手を染めると全く逆の方に作用してしまいます。三菱自動車全体の組織について考えてみれば、ある意味、「和」が強すぎたと言えるもしれません。つまり、誰かが責任を取るという、ババをもちろん誰も引きたくありません。自分が引きたくないのに他人に押し付けることもできません。だから、みんな仲良く隠蔽しようっていう「和」の精神が働き、そして、だれもババを引こうとしなかったのでしょう。さらにどうしようもなくなって、世間様に謝るときも、みんなで一緒にごめんなさい状態です。みんなで仲良く謝ってるうちは、組織は崩壊しません。組織が崩壊しなければ、隠蔽体質もそのままです。いっこうに前に進んでいないように見えるのも、この「和」の精神がじゃましているからかもしれません。
 「和」を乱すと言うこと、これは普通あまり言い意味で使われません。しかし、組織全体がよどんでしまったとき、「和」を守り通すことは、さらに組織全体を腐らせてしまいます。しかし、責任を取るのと同様、「和」を乱すことは、その組織の中では極めて勇気のいることです。これも1つのババと言えるかも知れません。誰かが、「和」を乱すことにより、組織に風穴を開けてくれれば、組織内に新風が吹いて、いい方向に向かうのかも知れませんが、この風穴を開けた人はきっと組織からは追い出されるでしょう。本来、そんなババだって誰も引きたいものではありません。「白い巨塔」ですね、これは。
 私自身はどうなのか?。 和をもって・・本当に尊いの?で、組織批判をしておいて、じゃあ、そんな組織に風穴を開けられたかと言えばそうではありません。結局傍観者となって、「和」の精神を貫いてしまいました。やっぱり、自分にはババを引く勇気はありません。責任をとるにしろ、風穴を開けるにしろ、誰かがババを引いてくれれば、その組織はいい方向に向かうかもしれませんが、ババを引いた人は組織から追い出される。だんまりを決め込めば、組織は腐るかもしれませんが、誰かがババを引いてくれた時に、組織がいい方向に生まれ変わるかもしれません。まさにだまり勝ちです。じゃあ、自分からババを引けるか?。引けないか?。うむむむ・・。やっぱり私はだんまり派か?な?。
 この「ババ論」どう思います?。ちょっと、文章がまとまらず何かいてあるかわかんないかもしれませんが、ご意見あれば、コメントお願いします。ね。

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 追加記事:トラックバックいただいた方にお返しトラバかけさせていただきました。リンクは最近のトラバのほうからお願いします。スイマセン。

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2004/10/10

つまらない歴史教科書

前回、無駄論(歴史考察)で、中国史のことに少し触れました。私は、理系でしたので高校生からはまともな歴史教育は受けていません。中国史に限れば、少し漢文で触れた程度です。十八史略等から、伯夷、叔斉の話とか、管鮑の交わりとか、鶏鳴狗盗の話とか勉強した覚えはありますが、つまらなかったことしか覚えていません。ですから中国史に限ってみると、相当基本的な、秦の始皇帝とか、万里の長城とか、そんな単語以外はテストのための勉強をしたことがありません。
 しかし、私はあるとき何故か中国史に目覚めてしまいました。それは、以前から(理由は無いんですが)、あの有名な、司馬遷の史記を読んでみたいと思いたったことからでした。史記、史記とは言うけれど、中身は全くわかりません。無駄論的に教育批判してみると、史記については中国史上最初の歴史書とか、紀伝体なんていう言葉は教えられるのですが、中身は教えてもらえません。本屋でたまたま目にした史記の解説本を手にして以来、私は無駄論的中国史にはまってしまったのでありました。
 その本は、最初に書き下し文が書いてあって、訳が書いてあって、解説が書いてある、っていうのが繰り返されてるだけです。つまんないかと思っていたのですが、古代中国の生き生きした人物描写やどろどろした政治描写に感動してしまいました。私は通読した後、史記の時代(神話の時代から漢の武帝の時代まで)だけでは物足りなくなり、その後、陳瞬臣さんの小説十八史略(1~6巻)と中国の歴史(1~7巻)をよなよな3回位は読み返したと思います。中国の歴史はあまりに長すぎるのと、ユニークな人物があまりにも多く出てくるので、私の頭では理解し切れません。だから逆に何度読んでも面白く、何度読んでも感動します。正直私にとってこの小説十八史略と中国の歴史はバイブルといってもいいかもしれません。
 そんな目で、世界史の教科書というのを眺めてみたときに、唖然としました。確かに大量の歴史的事実や人物を詰め込むためには、さらっと並べる位のことしかできないことはわかります。が、それにしてもつまらない。私が座右の銘にしている?「鶏口なるも牛後なる無かれ」で有名な蘇秦(そしん)という人物は張儀(ちょうぎ)とともに、「縦横家(しょうおうか)」とされているだけ。史記に書かれているむしろ小説的なエピソードをこの教科書から想像することは不可能です。そして何より、この無味乾燥な単語の暗記は、歴史に疑問を持つという重要なことを考えさせる余地を与えてくれません。
 歴史とは勝者の歴史であって、敗者の歴史は抹殺されてしまったり、勝者の引き立て役にされたり、悪者にされてしまいます。また、正しいとされている歴史も、根拠が無いものも少なくありません。無駄論的に歴史に触れることは、ただ面白い、楽しいってのもあるんですが、このあたりを深く考えるきっかけになるんじゃないかと思います。私も各時代に無駄な「自説」なるものをたくさんもってます(笑)。疑問を持つこと、疑うことって、人生にとって必要だと思うんですが、どうでしょう。

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Brunnhildeさんのコメントで「楽しもう歴史教科書」を紹介していただきました。皆さんも、飛んでいってみてください。おもしろいです。

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2004/10/09

無駄論(歴史考察)

 今回は、無駄論的な歴史のお勉強です。
 無駄論的なお勉強がお好きな方だけ、お読みください。
 職場に中国からの留学生が何人かいます。この留学生の一人が私の上司に「”弥生”ってなんて読むんですか?」と聞きました。上司曰く、「”やよい”だよ。普通には読めないね」と答えました。さらに留学生「”やよい”って何ですか?」と聞きました。上司曰く「”やよい”?、え~、あ~、”やよい”っていう、名前の人はいるね。あ、そうそう、弥生時代ってのがあるよ」少し苦しめに答えました。さらに留学生、「弥生時代っていつですか?江戸時代?」って聞くと、上司曰く、「弥生時代ってのは原始時代だよ」って答えてしまいました。
 一言突っ込もうと思いましたが、上司だけに突っ込むことはできませんでした。確かに、日本人にとって弥生時代って言うと、原始っぽい印象がありますが、それをよりによって中国人に言ってはいけません。中国には4000年とも8000年とも言われる歴史があるんですから。日本の原始時代(という表現が、適当かどうかは私の上司に聞いてください)に、中国にはもう立派な歴史があったんですから。
 例えば、邪馬台国って言うと日本にとっては伝説の時代に近いですよね。もちろん、日本国内には邪馬台国時代に書かれた歴史書なんて存在しません。その時代の中国ってあの、「三国志」の時代ですよ。英雄豪傑が争ったあの三国志です。中国ではもう4つも5つも王朝が交代した後の時代です。日本との歴史の長さの違いにはびっくりするばかりです。
 しかし、邪馬台国の時代に日本人(というか、倭人というか)がわざわざ中国まで行って挨拶してるんですから、その前最低何百年か前に、つまり紀元前後か、そのもっと前から、日本にだって、立派な歴史があったかもしれません。しかし、当時の日本人は歴史を文字にして残しませんでした。だから、現代から見ると、空白の時代になってしまいました。小学校、中学校の日本の歴史の勉強を思い出すと(理系の私は高校大学で歴史は学んでいません)、弥生時代から古墳の時代あたりの歴史が500年から600年すっ飛んじゃうんですよね。テストのために覚えなきゃいけないことが減ったのは歴史を残してくれなかったお陰ですが、日本人として、日本人のルーツを探ろうと思うと、その歴史を残してくれなかった先人には、はがゆさを覚えます。(古事記、日本書紀を絶対視されてる方からはご批判があるかもしれません)
 逆に中国人の中国人たるゆえんは、司馬遷の「史記」以来、永遠書き連ねてきた歴史書にあるのかもしれません。自分達民族の歴史を、堂々と正確に神話の時代までさかのぼることができます。しかし、いくら立派な歴史があっても、文字にして残していなければ、闇の時代になってしまいます。日本の弥生時代が中国でも原始時代ってことでよかったかもしれません。
 そんなことで、本日は、歴史を勉強する意味の一つを無駄に考察してみました。
 しかしこんな話、歴史マニアじゃないと実につまらん話でしょうね・・。えっ、歴史マニアでもつまらない?。そうかもしれません。私は仕事を忘れて、こんな無駄な考察をくりかえしているのです・・。あほですかね?

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2004/10/08

みんなで現実逃避!

 日本の借金が700兆円だそうです。週刊!木村剛: 日本もやばいんです!――あなたも1500万円の借金漬け?によりますと、一家庭あたり1500万円の借金だそうです。
 ところで、この700兆円って、いったい誰の借金なんですかね。日本の借金って言われてもピンときません。えっ?私の借金??、いやーそんなこといわれても、私は一銭も借金なんかした覚えはありません。あなたでしょ、あなた。あなたの借金ですよ。あなた日本人でしょ。日本の借金ってことは日本人一人一人の借金です。つまり、あなたの借金です。えっ!私??、私も確かに日本人ですけど、私は借金した覚えはありませんよ。だから、私以外の誰かが、きっと返すんですよ。えっ!、あなたも借金なんかした覚えが無い、じゃあ、きっと、あなたと私以外の誰かがきっと返すんだと思いますよ・・・・・・・。
 
 っていうか、だれも自分の借金って、気付いてないでしょ!!それに、自分が返さなきゃいけない立場だなんて、だれも感じてないでしょ!!みんなで、現実逃避してるでしょ!!、やばいよ、そろそろ気付こうよ!!

こりゃ、一家庭あたり、1500万ですから、利息1%として、15万円の振込用紙を毎年、各家庭に送るぐらいのことしないと、現実に目覚めないでしょう。「お利息だけで結構です」とか言いながら・・。みんな他人事だもんね。
 前回、和をもって・・本当に尊いの?で書いたんですが、悪い組織では、自分の負担を軽くするために、みんなで負担を平等に軽くして(和をもって尊しです)、結局弱い立場のやつらのだれかに押し付けるんです。この借金問題も同じですよ。みんな借金なんて払いたくないから、国民総現実逃避。それって後の世代に押し付けてるだけですよ。
 もう1つおかしなこと、じゃあ、誰が悪いって話になると、みんな「国が無駄使いしたから悪い」って言うんです。でも、無駄使いさせたのは誰でしょうか。不況の中で、公共投資がないと死ぬ~って叫んで、無駄使いさせたのは誰でしょうか。現在進行形でばら撒かれているお金に、ハイエナのようにたかっているのは誰でしょうか。それを現実にしている国会議員を選んだのは誰でしょうか。そう、みんな、自分のために借金を作ったはずではないんでしょうか。悪いのは「国」で、後の世代が払えばいいって、そりゃむしのよすぎる話だと思いますよ・・。
 私の結論、700兆円の借金をしたのは私やあなたで、返済するのも私やあなただと思います。それでもやっぱり、族議員や官僚、ゼネコンや銀行だけが悪いと思いますか?。

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2004/10/07

和をもって・・本当に尊いの?

 私自身が自分に非常に甘いので、人様に言えるものではありませんが・・。と断って、お話させていただきます。 
現代人の行動の究極の方程式の1つに「楽して儲けたい」っていう言葉があります。
一見、堕落や誘惑を意味するネガティブな言葉ですが、ネガティブな面ばかりではありません。この方程式の1つの解に、「努力する」っていうポジティブなものもあります。少しの努力や、我慢が、結局のところ楽して儲けるを実現することになるかもしれませんから。現実の社会は厳しいですから、楽して儲けるには至らないこともありますが、「持続的な努力」も、この方程式から導かれた1つの解なのでしょう。
 そんなことで、ある、職場の話。中間管理職が10人弱、あと下っぱがたくさんいる職場です。そこへ明らかに中間管理職がしなければいけない仕事が舞い込みました。極めていやなめんどくさい仕事です。しかも、中間管理職の一人だけが犠牲になる仕事です。さてさて、中間管理職の皆さんの間でどんな話し合いがあったかわかりません。もしかすると話し合いなんか無くて、以心伝心で気持ちがまとまっていたのかもしれません。そしてその仕事は結局、下っぱの一人に押し付けられることになりました。下っぱは、組織社会の中で文句を言うことができません。その下っぱ君は、「出世への道か?」と変に納得してその仕事をしてました。
 この中間管理職の皆さんの心理をこう考えました。「(中間管理職仲間の)一人だけが犠牲になるのはよろしくない。仕事は平等でないといけない。そう、和をもって尊しとなす。この仕事は、下っぱにさせましょう。」そう、誰かに押し付けるなんて和を乱すようなことをせず、全員が納得できる方法を考えたんでしょう。しかし、根本は「楽して儲けたい」です。仕事の余力が十分あるにもかかわらず、「それ、私がやりましょう」という人は一人もいない。もちろん「お前やれよ」とも言えない。そんな状態を見てきた下っぱが、中間管理職になったとき、「それ、私がやりましょう」的な人間になるわけが無い。やっと「仕事しなくていい連合」に入れてもらったとしか思えないでしょう。こういうのを、官僚的組織の仕事しなくなるスパイラルって言うんでしょうか。これ、「楽して儲けたい」から導き出される、集団的自衛権?、いやはや、相当あくどい解の1つでしょう。
 ついでに言うと、週刊!木村剛: まずは既存企業にモラルを![コラム]を読んでて思ったのですが、この既存プロ野球経営企業の集団も、上の例の中管理職の皆様と似ています。近鉄がやばいとなったら、「近鉄君、大変だったんだよね、苦しかったんだよね」って感じで、みんなで慰め合う。「お前、経営努力しないからだろ!」なんて、そんな和を乱すことは言うわけが無い。だって、誰も努力してないし、努力したくもないんだから。ましてや、経営努力して、既存球団に文句言いそうな企業が仲間入りするなんて、ご勘弁願いたいのが本音でしょう。そして、その和には入っていない選手やファンに、つけが押し付けられたって感じでしょうか。今やってる審査なんて、「我々の仲間に入るってことは、どういうことか、わかっているよね?」って言う、確認作業なのかもしれません。これは「楽して儲ける」の最悪の解のひとつでしょう。
 しかし、いい組織っていうのは、私も経験したことあるけど、自分からどんどん仕事こなしていくんです。「それ、私がやりましょう」って、上司の方から言うから、当然、下っぱも自分から動くようになります。本当はこれ、組織全体としては実に楽に仕事がこなされていきますし、お客さんへのサービスの質の向上へつながりますから、「楽して儲ける」の最もポジティブな解といってもいいかもしれません。本当はプロ野球界も、こんなポジティブな解を探ってもらいたいものです。
 最初にお断りした通り、私自身、そんな仕事率先方のいい人間ではないのであしからず。いわゆる、「口ばっか」ってやつです。だから「口ばっか」で、言わせてもらいますと・・、
「自分が楽するために、批判してませんか?」

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2004/10/05

ネットの片隅で無駄を叫ぶ

 私は、今、ブログ中毒というか、ブログ症候群というか、とにかく、ブログにはまってしまっています。はまってしまうことに理由はないかもしれません。しかし、前回の無駄論(序章)で、原因のひとつがはっきりしました。小学校、中学校とどんどん無駄な知織をつけて、友達と活発な無駄論議をすることに慣れ楽しんできた私ですが、高校、大学では無駄知識のぶつけ合いや、無駄な論議に花を咲かせることが出来ませんでした。そう、高校、大学には無駄をそぎ落として生きてきた人が多くて、無駄な知識を持ち合わせていませんでしたし、無駄っぽい議論なんて無駄だからしてもらえませんでした。逆に、自らは無駄学などといってさらに無駄を身につけてしまい、ますます、そのはけ口に困ってしまっていたわけです。(友達がいなかったわけじゃないんですよ、念のため・・。)
 
 そして、ブログに出会ってしまった・・・・。恋ですね。恋・・・・。

 自分の考えを日本中にぶつけることが出来る。自分の経験を伝えることが出来る。そんな私のブログなんかでも読んでいただける。トラバやコメントまでいただける。そして議論できる。こんなうれしいことはありません。こんなすばらしいことはありません。皆さんのおかげです。私は、人間として復活できました。
 しかしそんなこと言うと、この「彰の介の証言」に来ていただいている皆さんは、無駄論的ブロガー?ってことでしょうか。あじゃ、こんな名前付けると、なんか、お叱りのコメント多数いただきそうです。すみません。お叱り多数の場合は、とにかく無駄に謝りたいとおもいます。
 
 無駄論的に私の言いたいこと、それは、無駄を身に着けている人と比べて、どうしても無駄をそぎ落としてきた人には厚みを感じないってことです。厚みってなんだって言われても分かりません。じゃあ私はどうなんだろう。そんな厚みのある人間なんでしょうか?。うむむ、それを確かめたいし、そうでなければ成長したい、その試みが「彰の介の証言」なのかもしれません。できれば暖かい目でこれからも「彰の介の証言」を見守っていただければとおもう次第です。

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2004/10/03

無駄論(序章)

 思いっきり、いろんなところで無駄論を展開すると宣言してしまったので、やむを得ず(笑)、無駄論を展開する決心をしました。今回は序章です。次回は・・、最終章でおわり~かもしれません。まあ、少しずつ、無駄論というか、私の役に立たない?無駄知識をご披露させていただきます。
 私は職業柄医学部にいったんですが、当時は2年までが基礎科目(高校の延長、数学、物理、生物、化学、英語、社会など)、4年までが基礎医学科目(解剖学、生理学、生化学など)、4年目から少しずつ臨床医学というふうでした。
 私にとって2年までの基礎科目は天国でした。高校があまりにも受験対策授業ばっかりでしたから、高校のとき疑問に思っても質問できなかったことを、大学の先生にぶちまけました。そんな過程で、実は高校の先生は本当の中身を知らずに教えていたなあということもわかったし、高校の教科書にはいくつか誤ってる部分があるぞ(最低説明不足)ってことに気付き、目からうろこが一枚二枚とめくれました。絶対に正しいことなんてあるの?っていう疑いの目を持つことを始めたきっかけになりましたね。数学では、高校時代から疑問に思っていたことを自力で公式という形で解くことができました(超自慢!)。化学の先生に質問に行ったとき、「君、本当に医者になるの?、基礎科学やった方がいいんじゃない?」っていわれたとき、これはもう、うれしかったですね。
 で、私がそんな風に楽しんでいるとき、私の同級生たちはというと・・・。これが多くの同級生達はテストのための最低限の勉強をしてましたね。つまり、医学にとって、数学だ物理だって何にも関係ないんですから、そう無駄なことなんですから、捨てちゃってる同級生が少なからずいましたね。そういう意味では随分私は、無駄学やってたってことになりますね。
  しかし、しかしですよ、そんな同級生達もただサボっているだけだったら、卒業するのが目標なだけのどこの大学生とも同じかも知れません。これが、すごいと思ったのは、臨床医学になったら、これがもうその勉強すごいんです。医師国家試験のための勉強になったら、私なんか同級生に全くついていけません。試験対策のプロですよ。試験に出るつぼの書いてある本をそろえ、徹底してそれだけをやって、問題集を繰り返し解く。そうなると受験戦争を戦ってきた同級生達の本領発揮で、大学受験のための塾さえ行かなかった私はもう”参りました”状態でした。これは無駄学のたたりでしょうか。
 さてさて、そんななかで我々は医者になってきたわけですが、別に、無駄を省きテスト対策のプロだった私の同級生ドクターたちが、おかしな医者になっているわけではなく、ごく普通のドクターとして働いています。中には優秀なドクターもたくさんいます。やっぱり無駄学なんて何の役にも立ちません。無駄学やってた私は自らをやぶ医者って呼びたくなるほどです。
 無駄学の敗北、これで、序章はおわりです。実に意味の無い、結論の無い話にお付き合いいただき本当に無駄でしたね。まあ、意味も無く、結論も無いのが無駄論なんですけどね・・。この続きの無駄論も無駄にお待ちください。

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 おしらせ:なんかコメント機能に障害が起こっているようです。復帰しているかどうかわかりません。何度か返事しているのに消えてしまっているのがいくつかあります。皆さんのコメントも消えてしまったかもしれません。そんなことで、ご理解の程、よろしくお願いいたします。

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2004/10/02

中日優勝!!とナベツネの本音?

 私が中日ファンであることは、涙のチンジャオロース 立浪選手に対するひどい質問等で、暴露しています。その中日が昨日実にかっこ悪い形にはなりましたが優勝しました。まずはとりあえず、「バンザ~イ!!バンザ~イ!!バンザ~イ!!」、チンジャオロースの時(この時は優勝逃したんですが)のように涙はありませんでしたが、いやー、とにかくうれしかったです。
 落合監督を最初から高く評価していたのは、日本中でこの私だけだったでしょう(笑)。このブログ上でも、2度ほど落合監督にチューさせていただいています(再笑)。なんと言ってもトレード、フリーエージェント凍結、これがすばらしかった。プロ野球つまんない?かもでも書いたんですが、日本人的には選手の移籍はファンをがっかりさせますね。さらに、これは日本中で私一人だと思うんですが(これは本当かも)2人とも偉人ですがでは、トレード、フリーエージェント好きで、どんどん好きな選手を放出してしまった、星野氏の批判もさせていただきました。これらの私の意見が決して間違っていなかったことを落合監督が証明してくれました。再度チューさせていただきます。
ブっチュー」。
 と、よく読んでみると2人とも偉人ですがでは、意味深な予言が・・・。

オリンピック代表に各チーム2人ずつ出すって言うもの、巨人の策略なんでしょうね。正直言うと、墓穴を掘るのは巨人だと密かに思ってますが・・。
うむむむむ、この予言、当たってしまった。オリンピック期間中、巨人は高橋の穴を全く埋めることができず撃沈しました。巨人ファンからは、「どうして中日は川上がオリンピックに出なかったのか?」とぼやかれたものですが、チーム2人出すっていうのを決めたのはたぶんナベツネさんでしょ。きっと、戦力充実の巨人が最も被害が少ないと考えたんでしょう。だから、ナベツネさんに文句言ってください。
 そう考えると、ナベツネさんにとっては、今年は散々な年だったといえるでしょう。自らが作り上げたといっていい史上最強打線は打つには打ちましたが、チームとしては撃沈しました。巨人もそうですが、レアルマドリードもいまいちですね。金にまかせた選手集めはどこかにひずみを生むようです。これで巨人が来年カブレラでも取ったら、大笑いですが・・。さらに、自分の描いていた1リーグ構想が夢へと消えただけでなく、散々に批判の雨あられを浴びせられました。むむ、ここまでくると、さすがに少し同情したくなりますし、ナベツネさんの本音を聞きたいものです。でもやっぱり、「と、とにかく無礼だ!!」ってとこなんでしょうか?。

 ということで、週刊!木村剛: 読売新聞の社説はこう読む!:ナベツネの本音[BLOG of the Week]へ、いわゆる、無理やりトラックバックさせていただきました。毎度すいません。

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天動説論争(続編)

 天動説論争ネタで多数のトラックバック、コメントいただきまして、誠にありがとうございます。多くの意見に触れるうちに、この論争には2つの視点があると考えました。そんな観点から今までの考えをまとめようと思います。
 
 現在、地動説は小学校で教えないで、たしか中学校で教えるんですね。私の視点は、この、教えていないことが前提で、子を持つ親の立場って感じでしょうか。この論争は、教えていないことを「なぜ知らないのか?」と憂いたのが始まりです。なぜ憂いたのか?というと、それは、地動説が当たり前のことだからではないでしょうか。あまりにも当たり前すぎて、「教えなくても知ってろよ!」って言う気持ちが出てくるのはごく自然かもしれません。しかし、よく考えてみると、地動説というのは決して当たり前のことではありませんし、経験できるもの、観察してわかるものでもありません。まずそういう意味で、知らない子がいても当然??と投げかけてみました。これは、当たり前としている大人たちや研究者への問いかけです。

 しかし、やっぱり当たり前のことですよね(笑)。ちょっと図鑑でも見たらわかりそうなものなのに・・と思うんですけど、それをしていない。これはテストに出ないことだから知る必要が無いと、敢えて見ないのではないかと疑ってみました。これは、テストのためにしか行動しようとしない子供たちへの問いかけでもあり、無駄なことをするなと命令する大人たちへの問いかけでもあります。さらに、無駄についてですが、このちょっと図鑑でも見たら・・というのは、まさに無駄なことです。「勉強に関係ないことはしなくていい」などと理由付けすると、昆虫図鑑も、植物図鑑も、そして、「宇宙のひみつ」も、夜空を見上げることもしなくなってしまいます。多くの無駄の1つである、「宇宙のひみつ」をみることをしないと太陽と地球の関係がわかりません。子供たちに地動説をちゃんと答えて欲しいのであれば、学校で教えていない以上、いろんな無駄を否定しないことが必要だと思いますし、現代の風潮である無駄をさせないこと、ひとつひとつに理由付けしようとすることはむしろ自己矛盾しているのでは?と考えたわけです。
 
 もう1つの視点があります。地動説は極めて基礎的な問題であり、どうして小学生に教えないのか?という、教育者側の視点です。文部省は、「中学で教えることだ」と言っていたと記憶しています。要するに「教えてないから、知らなくてもいい」ということです。実際、地動説や、宇宙の成り立ちを、小学校で教えるべきか、中学校で教えるべきか、私にはわかりません。私見を言うと、やっぱり極めて基礎的なことであり、当然小学校で教えるべきことだと思います。私は無駄が大事だと言ってきました。しかし瀬戸智子の枕草子: 科学的とは何かを読んで、基礎的な知識無しに無駄も何も無いだろうということを思い知らされました(もし指摘がぜんぜん違ったら、ごめんなさい)。基礎を教えないことをゆとりとして、基礎すら知らなくていいよ、というのは確かに話になりません。これでは、日本列島沈没します。

 しかし、それとは別の問題として、今回の天動説論争の論調の中に「詰め込み教育への回帰」が見え隠れしたため、基礎を教えることと、詰め込み教育の間に危険性を感じました。詰め込み教育の中では、「太陽の周りを地球が回っている」という文を丸暗記することになります。「地球が動いている感覚なんて全く無いんだから、太陽が地球の周りを回っている」とごく自然な実体験から誤った答えをするよりも、丸暗記して正解することの方がいい世界です。丸暗記には深みも厚みも全くありません。むしろ天動説の方が思考が入っている分、厚みを感じますし、誤っていると知ったときの発展性を感じます。おそらく毛利衛さんの発言もこのあたりを意味するのではないでしょうか。
 
 基礎は教えないといけません。しかし、正解すればいいというのも考えものです。なぜ私が詰め込み教育を否定するかは、無駄論とも関係するのですが、また次回、屁理屈こねをしたいと思います。今日の文章はまとまらず申し訳ありませんでした。

追加記事:にわか教育パパの世迷い言さんと、やまぶし萬力発電:日本のくらしの智慧を子供達に。さんからトラバいただきました。こちらからお返しトラバさせていただきました。
 
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2004/10/01

鼻息荒すぎです!ブロガー新聞!

 木村教祖が、週刊!木村剛: 「ブロガー新聞」はじめます!:10月からの番組再編で、ブロガー新聞立ち上げを宣言されました。また、来週から週刊!木村剛も拡充されるとのことです。火曜日に「週刊!岡本編集長」、木曜日に「週刊!神部プロデューサー」が始まるとのことで、この記事を読みながら、木村教祖も日刊はつらいから週2日お休みになられるのね・・と思ったら、「ゴーログ」はやっぱり日刊じゃないですか。金曜日も「ゴーログ」+「ブロガー新聞」ですか、いや、教祖、鼻息荒すぎです。
 それにもまして、週刊!木村剛ブロガーの皆さん、ブロガー新聞の立ち上げに鼻息荒すぎです。正直言うと私の発言を引用していただいたりして、私こそ鼻息荒かったのですが、皆さんの鼻息の荒さに押されて、少し冷静になりました。こにのつぶやき:さんもおっしゃってますが、

何も気張った内容だけじゃなく、「読者の声」のように気軽にトラックバック投稿してよいようなので、何かネタがあったら私も投稿してみようかな。
って感じが一番大事じゃないでしょうか。なんか毎回大爆発するかのような雰囲気が漂ってますし、まるで現行マスコミに取って代わる存在かのような感じもありますが・・・、私としてはマスコミが拾いきれないものを取り上げ、マスコミや為政者達がおごり高ぶったときに、
こら~!!、ばかも~ん!!」って言う存在かなと思ってます。漠然とですけどね。
 ということで、ブロガー新聞がどんなものになるか、気長に、気楽に、少しづつ関わっていきたいなと思ってます。

今手持ちのネタでは(笑)、子供たちの未来を憂ていますので、天動説で、いいんじゃない?無駄な知識は無駄なのか?等、天動説論争ネタを自主推薦させていただきます。(いつからこんなに強気になったのか?・・)
(昔の記事編集で、昔の記事を週刊!木村剛にトラバしてしまいました。申し訳ありませんでした。)

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