天動説論争(続編)
天動説論争ネタで多数のトラックバック、コメントいただきまして、誠にありがとうございます。多くの意見に触れるうちに、この論争には2つの視点があると考えました。そんな観点から今までの考えをまとめようと思います。
現在、地動説は小学校で教えないで、たしか中学校で教えるんですね。私の視点は、この、教えていないことが前提で、子を持つ親の立場って感じでしょうか。この論争は、教えていないことを「なぜ知らないのか?」と憂いたのが始まりです。なぜ憂いたのか?というと、それは、地動説が当たり前のことだからではないでしょうか。あまりにも当たり前すぎて、「教えなくても知ってろよ!」って言う気持ちが出てくるのはごく自然かもしれません。しかし、よく考えてみると、地動説というのは決して当たり前のことではありませんし、経験できるもの、観察してわかるものでもありません。まずそういう意味で、知らない子がいても当然??と投げかけてみました。これは、当たり前としている大人たちや研究者への問いかけです。
しかし、やっぱり当たり前のことですよね(笑)。ちょっと図鑑でも見たらわかりそうなものなのに・・と思うんですけど、それをしていない。これはテストに出ないことだから知る必要が無いと、敢えて見ないのではないかと疑ってみました。これは、テストのためにしか行動しようとしない子供たちへの問いかけでもあり、無駄なことをするなと命令する大人たちへの問いかけでもあります。さらに、無駄についてですが、このちょっと図鑑でも見たら・・というのは、まさに無駄なことです。「勉強に関係ないことはしなくていい」などと理由付けすると、昆虫図鑑も、植物図鑑も、そして、「宇宙のひみつ」も、夜空を見上げることもしなくなってしまいます。多くの無駄の1つである、「宇宙のひみつ」をみることをしないと太陽と地球の関係がわかりません。子供たちに地動説をちゃんと答えて欲しいのであれば、学校で教えていない以上、いろんな無駄を否定しないことが必要だと思いますし、現代の風潮である無駄をさせないこと、ひとつひとつに理由付けしようとすることはむしろ自己矛盾しているのでは?と考えたわけです。
もう1つの視点があります。地動説は極めて基礎的な問題であり、どうして小学生に教えないのか?という、教育者側の視点です。文部省は、「中学で教えることだ」と言っていたと記憶しています。要するに「教えてないから、知らなくてもいい」ということです。実際、地動説や、宇宙の成り立ちを、小学校で教えるべきか、中学校で教えるべきか、私にはわかりません。私見を言うと、やっぱり極めて基礎的なことであり、当然小学校で教えるべきことだと思います。私は無駄が大事だと言ってきました。しかし瀬戸智子の枕草子: 科学的とは何かを読んで、基礎的な知識無しに無駄も何も無いだろうということを思い知らされました(もし指摘がぜんぜん違ったら、ごめんなさい)。基礎を教えないことをゆとりとして、基礎すら知らなくていいよ、というのは確かに話になりません。これでは、日本列島沈没します。
しかし、それとは別の問題として、今回の天動説論争の論調の中に「詰め込み教育への回帰」が見え隠れしたため、基礎を教えることと、詰め込み教育の間に危険性を感じました。詰め込み教育の中では、「太陽の周りを地球が回っている」という文を丸暗記することになります。「地球が動いている感覚なんて全く無いんだから、太陽が地球の周りを回っている」とごく自然な実体験から誤った答えをするよりも、丸暗記して正解することの方がいい世界です。丸暗記には深みも厚みも全くありません。むしろ天動説の方が思考が入っている分、厚みを感じますし、誤っていると知ったときの発展性を感じます。おそらく毛利衛さんの発言もこのあたりを意味するのではないでしょうか。
基礎は教えないといけません。しかし、正解すればいいというのも考えものです。なぜ私が詰め込み教育を否定するかは、無駄論とも関係するのですが、また次回、屁理屈こねをしたいと思います。今日の文章はまとまらず申し訳ありませんでした。
追加記事:にわか教育パパの世迷い言さんと、やまぶし萬力発電:日本のくらしの智慧を子供達に。さんからトラバいただきました。こちらからお返しトラバさせていただきました。
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コメント
こんにちは!
天動説、やっぱりワタシは小学生で教えるべきだと思うの。
我が家のボケムスメ、現在中学受験を目指して塾で特訓中ですが、中学受験の世界では、当然のように、天体の動きを3Dの世界で教えています。
「何日の何時の月はどの形?」なんて問題を当然のようにやっている小学生がいる一方で、地球の周りをつきも星も太陽も廻ってるってると思う小学生がいる…ていうか、星がどのように動いているのか、という根本的な疑問すら抱かない子供たち(オトナも?)がいるというのは、あまりに不公平ではないかと。
自然界の不思議に興味を抱かない子供が増えれてしまうのは、これはもはや地球の危機の始まりのように思えます。
中学受験を意識しない限り知りえなかったことのなんと多いことか。教育とは、誰にでも公平に与えられるべきものではなかったのか、と政府に問いたいです。
投稿: 捨て物 | 2004/10/02 16:43