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2004/10/25

無駄論的自然学

 科学者というのは、そこに疑問があると必ず答えがあるはずと思い、それを探求していくものです。自然界の生物を見て、その行動や生態や解剖学的な疑問についても、必ず合目的な理由があるはずだと考えます。そして、生物はその合目的性にそって進化してきたと考えられています。例えば、擬態というのがあります。コノハムシは葉っぱそっくりなついでに虫食いの跡までそっくりです。これは敵に見つからないように、自然の中に溶け込んでしまおうとする目的に沿った進化と考えられています。ハナカマキリってのもいます。蘭の花そっくりのカマキリで、これは敵に見つからないのと、えさとなる蝶などにも見つからないようにしているのでしょう。正直芸術品です。
ということで、この昆虫などの擬態が大好きな私です。この擬態に関してはいちいち専門家が説明してくれなくても、素人でもその合目的な進化が説明できます。しかし、生物がこのように目的に沿って進化しなければならなかったとすると、全ての生物が擬態していなければなりません。ところが擬態どころかわざわざ目立つような色をしたものがいます。ヤドクガエルなんかは、強い毒があり、わざと目立つようにして毒カエルであることをアピールしているらしいのですが、広げた羽がたいへん美しいクジャクなんかは、ただ目立つだけで何の意味もありません。テレビで見てたら、羽広げてメスにアピールしていたオスのクジャクが、トラに襲われて食べられていました。他にも極楽鳥とか、サイチョウとか、あまりにもきれいで目立ちすぎる鳥がいますし、さんご礁の魚なんか、非常にカラフルです。この例えばクジャクが美しいがゆえに襲われやすいという一見矛盾した進化を遂げた理由について、生物学者は次のように説明しています。

「美しく、目立つのにもかかわらず生き抜いてきたということは、逆に非常に強い個体であることの証であり、その子孫を残すことは合目的である。」
私はこの説、絶対うそだと思っています。一方ではコノハムシみたいに葉っぱそっくりにならないと生き残れないのに、目立つというのは致命傷です。こんな説が本当だったら、擬態する方への進化の説明がつきません。擬態までしないと生き残れないなんて魅力にかけるから子孫を残す価値は無いってことになってしまいます。一見正しそうな学者の説を鵜呑みにすると新しい発想が生まれません。以前亀のあくびで、あくびの目的について疑問を呈したこともありますが(というほどのものでもありませんが)、以前からこの説には文句をつけたいと思っていました。しかし、残念ながらそれを覆すような、何か証拠を持っているわけではありません。でも、恥ずかしながら、私も考えてるんです、無駄論的に。私の説聞いてみます?、やめときます?、ちょっと腰抜かすかもしれませんよ。どうして、目立つにも関わらず美しく進化したか?。
「それは美しくなりたかったから・・」
どうです。腰抜けたでしょう(笑)。そのココロは、美しくなってしまった理由が本当に存在するのか?ということです。自然は厳しく、目的の無い進化はしないようにも感じますが、本当にそうでしょうか。自然界に目的の無い遊びは存在しないんでしょうか。そう、美しくなりたいという遊びがあってもいいんではないかというのが私の説です。でもそれだけだと信頼性が無いので、追加の説を。
「生態系に組み込まれることは、進化よりも生存意義が強い」
例えばカエルです。カエルは両生類のままで進化を止めてしまっています。おたまじゃくしはきわめて弱く多くの生物のえさになっています。カエルになっても、鳥やへびのえさとしての存在としかいえないくらいでしょう。しかし、生態系に欠くべからざる「えさ」として組み込まれることによって、その絶滅は許されなくなります。逆にえさとして大繁栄しなければならなくなったともいえるかもしれません。美しくて目立つ生物も、ただ目立つからといって絶滅することはありません。生態系に欠くべからざる存在となればいいわけです。そうすれば、他の動物に負けじと美しく進化していく遊びも許されるという理屈です。
 でもこれはひどい屁理屈的学説です。いくらでも突っ込みどころがあります。こんな説にだまされてはいけませんよ。しかし、私の言いたいこと、それは学者がいってるからといって決して正しいとは限らないということです。だからどんどん疑問をもつべきです。特に子供たちには無駄論的に図鑑を眺めて、「おやっ?」って思ってくれればなあと思った次第です。

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コメント

初めまして、弓木といいます。
僕も今の進化説には、いろいろ納得がいかないので、面白く読ませていただきました。
ただクジャクの過剰装飾は、「生存有利」でなく、「繁殖有利」のために進化したものだと、通説的に説明できると思います。いわゆる「性淘汰論」です。つまり生存に不利であっても、それよりも「メスに選ばれて子孫を残す」ことの方が優先してしまうという理屈です。じっさいダーウィンはそれを言いたかったので、彼の考えを「弱肉強食」みたいに捉えるのは、誤解であると思います。
むしろ説明がつかないのは、まさしく「虫の擬態」の方です。別にそんなコトしなくたって生きてる虫はいっぱいいるんだから、あいつら「趣味」でやってるとしか思えない(笑)。
というわけで「虫屋」さんには、反-進化論者がいっぱいいますよ。たとえば池田清彦さんなど、愉快だと思います。
僕自身は歯医者の西原克成さんの「重力進化論」に惹かれてます。これは脊椎動物が対象の論ですが。僕の「弓木的批評」でも「遺伝子いばりすぎ」から3回記事で紹介を書いてますので、よろしければご一読を。

投稿: 弓木暁火 | 2004/10/25 01:09

しつこいようで、すいません。「遺伝子いばりすぎ」はうちの10/7記事でした。続けて8、9日とも「西原進化論」ネタです。いつの間にかインデックスから落ちてたので、補足までに。

投稿: 弓木暁火 | 2004/10/25 01:23

弓木様、コメントありがとうございます。
こういうコメントをお待ちしておりました。まさにブログ冥利に尽きるというものです。
「繁殖有利」に関してですが、ってことはやっぱり自然界にも生存競争以外の私の言う遊びがあるってことでしょうか。つまり、経済力のあるゲス男より、ろくでなしのイケメンの方が選ばれるってことでしょ(笑)。それと、実は私がこの記事書いた後、我ながら擬態の方への進化の説明がつかないと思ってごまかしていたのですが、「擬態こそ趣味」って言うので説明できますね(笑)。いやはや,学者たちまじめな議論もこうしてちゃかされるのですから、やっぱり疑問にもつことは重要なことですね。あと、西原説のところ読ませていただきました。あれも全ては説明できないと思いますが、面白いですね。また生物の疑問をいろいろとブログにします。
今後ともよろしくお願いします。

投稿: 彰の介 | 2004/10/25 13:35

私もうそかどうかは別にして確認することができない以上、進化の説明はある意味、それで納得してくれ、という了解の下で話が進められているように思います。

でも、「それは美しくなりたかったから・・」っていうのは
先ほどの自然淘汰の反論にはなってないように思えます。
美しさも要因のひとつでしょう。

投稿: おまーにゃ | 2004/10/26 07:17

おまーにゃ様、コメントありがとうございます。
私の意図するところは、現在正しいとされていることでも、疑問点はいくらでもありそうだというところにあります。また、無理な理由づけもどうかと思ったしだいです。あまり、突っ込まれると困りますので(笑)、ほどほどで、勘弁してください。

投稿: 彰の介 | 2004/10/26 23:03

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この説好きですね。 自然界に無駄なものがないというのは、ある意味不自然ですし、 何らか「遊び」的要素がなければ、ちょいと歯車が狂っただけで、 完全崩壊です... [続きを読む]

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