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2004/10/05

ネットの片隅で無駄を叫ぶ

 私は、今、ブログ中毒というか、ブログ症候群というか、とにかく、ブログにはまってしまっています。はまってしまうことに理由はないかもしれません。しかし、前回の無駄論(序章)で、原因のひとつがはっきりしました。小学校、中学校とどんどん無駄な知織をつけて、友達と活発な無駄論議をすることに慣れ楽しんできた私ですが、高校、大学では無駄知識のぶつけ合いや、無駄な論議に花を咲かせることが出来ませんでした。そう、高校、大学には無駄をそぎ落として生きてきた人が多くて、無駄な知識を持ち合わせていませんでしたし、無駄っぽい議論なんて無駄だからしてもらえませんでした。逆に、自らは無駄学などといってさらに無駄を身につけてしまい、ますます、そのはけ口に困ってしまっていたわけです。(友達がいなかったわけじゃないんですよ、念のため・・。)
 
 そして、ブログに出会ってしまった・・・・。恋ですね。恋・・・・。

 自分の考えを日本中にぶつけることが出来る。自分の経験を伝えることが出来る。そんな私のブログなんかでも読んでいただける。トラバやコメントまでいただける。そして議論できる。こんなうれしいことはありません。こんなすばらしいことはありません。皆さんのおかげです。私は、人間として復活できました。
 しかしそんなこと言うと、この「彰の介の証言」に来ていただいている皆さんは、無駄論的ブロガー?ってことでしょうか。あじゃ、こんな名前付けると、なんか、お叱りのコメント多数いただきそうです。すみません。お叱り多数の場合は、とにかく無駄に謝りたいとおもいます。
 
 無駄論的に私の言いたいこと、それは、無駄を身に着けている人と比べて、どうしても無駄をそぎ落としてきた人には厚みを感じないってことです。厚みってなんだって言われても分かりません。じゃあ私はどうなんだろう。そんな厚みのある人間なんでしょうか?。うむむ、それを確かめたいし、そうでなければ成長したい、その試みが「彰の介の証言」なのかもしれません。できれば暖かい目でこれからも「彰の介の証言」を見守っていただければとおもう次第です。

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コメント

彰の介さんは、無駄、無駄、とかなり自虐的に仰っているようにおみうけます。
 >無駄を身に着けている人と比べて、どうしても無駄をそぎ落
 >としてきた人には厚みを感じないってことです。
三十ちょい(プロフィールに偽りなければ)のお若さで、厚みのある人間は出来上がりませんよ。
(同じくプロフィールに偽りなければ)彰の介さんが生まれたとき、私は高校生、
ということは今は・・・、やめときます。私自身まだまだ成長過程にあると思っています。
最後に、私の目下の座右の銘のおはなし、
『neugierig(ノイギーリッヒ)』新しいものを欲するから転じて、「好奇心旺盛な」の意味とご理解下さい。
私は人生において無駄な学問も知識もすべて知的好奇心をみたすための肥やしとして身につけようと心がけています。

投稿: まーどんな | 2004/10/06 01:05

まーどんな様、コメントありがとうございます。
確かに若い?(いやみにとらないでください、っていちいち書くともっといやみ?)私に厚みとか何とかって、ちょっと思い違いしてたかもしれません。いや、自分こそ、無駄学が大好きですから、これからどんどん無駄に肥えて行きたいと思ってます。
これからも、このブログを暖かく見守ってください。

投稿: 彰の介 | 2004/10/07 02:44

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