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2004/11/30

無駄論的「信長の野望」

 今回は、信長の野望の話ですが、「信長」の「野望」じゃなくて、光栄のゲーム「信長の野望」のことです。私がこのゲームに出会ったのは、大学生の時で、まだ初代ファミコンの時代です。友達がやっていたのを横取りして、はまってしまいました。
 元々私は普通の男の子でしたから、小さいころから戦国時代には興味がありました。それなりに小説なども読んしマニアぶっていたのですが、全然マニアとはいえないと感じたのが、このゲームと出会った時でした。このゲーム、ご存知の方いらっしゃるかとは思いますが、誰か好きな戦国大名になって全国統一を目指すという単純なゲームです。そこにはいろんな大名たちだけでなく、家来の武将や、忍者、伝説の人物も出てきます。今のゲームはかなり複雑化してしまったのですが、基本的に各武将は政治力、戦闘力といった基礎データが決められ、個性が現れるようになっています(ゲームのシリーズによって呼び方やパラメーターの数が変わります)。例えば羽柴秀吉なら政治力90、戦闘力70ってな具合です(数字は適当です)。
 私は、一番最初、毛利元就で全国統一にチャレンジしました。戦国マニアぶっていた私なのですが、やり初めからあれっ?て感じ始めました。毛利元就の基礎データが高いのは言うまでもありませんが、見知らぬ武将でもやたらと基礎データが高い人物がいます。まず、小早川隆景。この人政治力は大変高く、戦闘力も並以上です。それから吉川元春、この人はどちらかというと戦闘力のほうが強いですね。清水宗治っていう人も戦闘力が高かったです(最近のシリーズではやや評価が低いかな)。毛利と名のつく人では、毛利隆元って言う人がいますが、これがあまりぱっとしない。中の中から上というところでしょうか。毛利元就でやってて最初に攻めたのが山陰の尼子家なんですが、ここには山中鹿之介というこれまた戦闘力、政治力ともに高い人物が出てきます(最近のシリーズでは政治力が低く設定されています)。さてさて、戦国マニアと思っていた私も今上げた5人すら誰なのか良く分かっていませんでした。この能力の高い人物たちが気になってしょうがない私は、本やら小説やらいろいろ読みまくりました。そしていつの間にか、日本でも毛利研究の第一人者・・・のわけありませんが、やっとマニアの端くれといってもらえるくらいの知識を持つに至ったのです。
 ということで、皆さん上の5人どんな人たちかご存知ですか?。今となっては、戦国マニアの端くれの私にとって基礎中の基礎です。ただ、マニア以外の方はあまり聞いたことない人物なのではないでしょうか。ところで、毛利元就といえば「三本の矢」の話が有名です。子供たち三人に、一本一本の矢は簡単に折れるが、三本まとめると折れないということから、兄弟の結束を訴えた話です。この三兄弟が、(毛利)隆元、(吉川)元春、(小早川)隆景の三人です。苗字が変わってるのがミソで、元就が謀略で吉川家と小早川家をのっとり息子に継がせたんですね。毛利というと関が原の合戦の西軍の総大将(大阪城から動かなかったんですが)の毛利輝元が思い浮かびますが、あの方は隆元の子供、元就の孫に当たります。清水宗治あたりをご存知の方は相当な戦国ファンかと思います。秀吉の中国征伐のとき、備中高松城の水攻めってのが有名なんですが、その高松城の城主が清水宗治です。落城寸前で本能寺の変が起こり、秀吉は和睦を考えるんですが、この高松城の城兵を助ける代わりに城主の切腹を要求し、水攻めで出来た湖上の舟で切腹してはてたんですね。山中鹿之介は、滅亡した尼子家の再興を何とか実現しようと奔走した人物で、三日月に「願わくば我に七難八苦を与え給え」祈った話は有名らしくて、昔の教科書に載ってたらしいです(無駄な知識は無駄なのかにちょっとだけ書いています)。マニアのマニアたるゆえんは、こういう知識をひけらかすことにあるわけで、本当はそれぞれの人物のエピソードをつらづらと書き連ねたいのですが(笑)、紙面の関係上割愛させていただきます。要するに言いたかったことは、ただのゲームから私はマニアになってしまったということです。ゲームといって侮るなかれ、いついかなるきっかけで、物事にはまっていくかは全く予測がつきませんね。
 そんな、マニアの私が、観光で錦帯橋が有名な山口県岩国市を訪れた時のことです。かなり雨が降っていて、雨宿りのつもりで小さな資料館に入りました。「吉川史料館」というところです。お客さんは数人しかいません。雨が上がるまでの時間つぶしに・・・なんて思いながら館内を歩いてたんですが、これがまたとんでもない穴場でした。なんと、上で紹介した吉川元春と山中鹿之介が使っていた兜が展示してあるじゃないですか。山中鹿之介の兜は三日月です!(HP参)。吉川元春が陣中で模写したといわれる太平記や、安国寺恵瓊(この方もマニアじゃないと知らない?かも)が「秀吉は偉い!」と天下人になるのを予言したといわれる手紙(完全に小説の世界です)の実物がおいてあったりと、恐ろしい史料館でした。まあ、マニアでないと、何も面白くないんでしょうが・・・。ちなみに数人しかいない客の一人が、「駅前の史料館はつまらなかったが、ここはなかなかえぐいな~」と興奮気味に話しているのを横耳で聞いて、「こいつもマニアだ」とほくそ笑んでいた私でした。

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2004/11/27

メジャーマイナー論

 前回、無駄論的織田信長様の最期に、織田信長を書くといいつつ、かわいそうな明智光秀の救済を行ったことを明かしました。これは私が唱えている、メジャーマイナー論に関わってきます。それにしても、私は「~論」ってのが好きなのかな?。と言っても、「無駄論」しかないか。この、メジャーマイナー論は、ほんの少しだけ、涙のチンジャオロースで紹介しています。簡単に言うと、多くの人から応援されたり勝って欲しいと思われる人やチームをメジャー、逆にメジャーの引き立て役になったり、負けて欲しいと思われる人をマイナーと呼んでいます。時にマイナーというのは不当に悪役にされたり、報道されたりするので、その救済っていうのがメジャーマイナー論の1つの主旨であり、また、人間というものは常にマイナーへ落とされる可能性があり、その精神論を唱えるのも、メジャーマイナー論です。
 
 具体的な例を1つ。ただいま、女子プロゴルフの賞金王争いが熾烈になっています。女王不動(ふどう)か、新生宮里(みやさと)か、明日のリコー杯の結果にかかっています。この二人の真剣勝負・・・、と言いたいところですが、どうも世間では、どちらかというと宮里藍に逆転で賞金女王になってもらいたいと言う雰囲気が強いように思われます。この、賞金女王になってもらいたいという立場にたった宮里のことをメジャーと呼んで、逆に負けて欲しいと思われている不動の立場をマイナーと呼んでいるわけです。これが如実に現れているのがテレビやら、新聞などの報道です。とても平等にどちらが勝つかなんて感じではありません。逆転賞金女王誕生といわんばかりの雰囲気でニュースで紹介され、新聞に書かれています。一見すると、「そんなに偏った報道ではないのでは?」と思うかもしれませんが、それは気持ちの上で宮里が勝ったらいいなって思いつつ新聞なんかを見れば偏りは感じないかもしれません。おそらく不動ファンの立場から見ると失礼なって感じがするのではないでしょうか。ちなみに私は宮里藍と結婚したいぐらいの宮里ファンなんですが(本気!)、残念ながら私の性分なんでしょうか、このメジャーマイナー論が染み付いている私は、このようなメジャーマイナー化が起きてしまった時点で賞金女王は不動さんになってもらいたいと思ってしまうんですね。そうでなくても、もう少し報道は世間受けではなくて、メジャーマイナー論的な意味で平等に扱えないものかと怒りを覚えるわけです。これは判官びいきではありません。判官びいきは、判官びいきされている人がメジャーですから、ちょっと違います。
 
 こんなメジャーマイナー論的な例はスポーツ等勝負の世界でよくみられます。相撲の世界でいうと、「小錦」、今風に言うとKONISIKI?なんかはマイナーの典型だったでしょう。とにかく彼が勝つと場内にため息が漏れ、負けると割れんばかりの拍手で包まれる。あんな状況でよく戦っていたものだと感心したくなります。しかし、皮肉なことに、彼は大関を陥落し、負けがこむようになったら半メジャー化し、全く逆の状況になりました。つまり、弱い小錦なら受け入れるってことですから世間は厳しいものです。
 
 私の大好きな将棋の世界でもありました。羽生善治が前人未踏の7冠達成目前のとき、羽生君がメジャー化、相手の谷川浩司がマイナー化しました。将棋なんて全く知らない世間の人が、なんかかわいらしい天才が偉業を達成しそうだぐらいのノリで羽生君を応援し、戦っている最中なのにもう7冠達成みたいな報道がされました。谷川浩司って知らない人が多いかもしれませんが、十七世名人の称号を持っているえらい棋士なんです。ちなみに羽生君は永世名人の称号は持っていません。どちらかと言えばメジャーな道を歩んできたはずの谷川浩司が突然世間から仇役にされたときはどんな気持ちだったんでしょうか。自分が負けたほうが世間は喜ぶんですから・・・。
 
 もしかすると、皆さんの中には、「勝負の世界であれば、世間からどう言われようと、どう思われようと、勝てばいいじゃないか」と思われたかもしれません。それはそれでおっしゃるとおりです。そんな逆境の中で負けたとき、世間が冷たくて・・・なんて言い訳にもなりませんし、勝負自体には何も不正やハンディはないのですから。また、応援するのにも、「宮里と結婚したいんだったら、普通に宮里を応援すればいいじゃん」と思われたかもしれません。それもまたおっしゃるとおり。ファンなのに応援しない方がおかしいといわれれば確かにそのとおりです。それを、全く否定するつもりはありません。それはそれ、そんな状況に遭遇すると、いつもの私の屁理屈的な思考が動き出してしまうのです。私は、マイナー落ちした人を応援したいんです。不当な報道に物が言いたいんです。世間の向いてる方向の逆を向きたいんです。なぜって、それは、「そこにマイナー落ちした人がいるから」としか言いようがありません・・・。

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2004/11/26

無駄論的織田信長様

 久しぶりに無駄な歴史のお勉強です。お題は「神様、仏様、織田信長様」です。
さて、織田信長について、いちいち語る必要もないでしょう。それでは今日はこの辺で、さようなら・・・・、じゃなくて、実は前々から思っていた疑問がひとつあるんです。ややこしい疑問なので、少しずつ説明していきます。
 春日局(かすがのつぼね、おふく)をご存知でしょうか。江戸幕府、三代将軍徳川家光の乳母にして、大奥を牛耳り、権勢を振るった人物です。私見てないんですけど、今「大奥」ってドラマやってるんですかね。ところで、この家光の乳母にこのおふくが決まったのは、ちょっとおかしいのでは?って言われていたらしいです。家光のお母様(お江与の方)と、このおふくは相当けんかなどをしたでしょうから、それでとってつけたものかもしれないんですが、

おふくは、家光の母お江与の方から見て仇筋(かたきすじ)に当たる
というのです。仇に当たる人を息子の乳母に人選したのは許せないって言うんですね。どこがどう仇なのか、ややこしいんですが説明しますね。この家光の母、お江与の方のお父様は近江の国の大名だった浅井長政、お母様が織田信長の妹のお市の方。お市の方って美人だったって言われてますよね。つまり、お江与の方からみて織田信長様はおじさんということになります。そんで、おふくの方はというと、お父様が斉藤利三です。この方、織田信長を本能寺の変で殺した、あの明智光秀の一番の家臣なんですね。わかります?これ?、つまり、お江与の方からみて、おじさんである織田信長を殺した明智光秀の家臣の娘がおふくなわけです。だから、仇筋だっていう理屈です。かなりややこしいけど、確かに仇筋であることは間違いありません。
 それで、何が疑問なのかというと、この仇の話、どこかおかしいのです。何がおかしいかというと、このお江与の方のお父様である浅井長政が、ある人物に攻め滅ぼされています。居城の小谷城落城のさなか、浅井長政は自害、お市の方とお江与の方を含む三姉妹が逃げ出し、保護された話は有名です。誰に攻め滅ぼされたか?というと、そう、なにをいわん、おじである織田信長に攻め滅ぼされているではありませんか。つまり、おじさんである織田信長の仇筋だなんて言う前に、父親がそのおじさんに殺されているじゃないかと言いたいわけです。むしろ、おふくは、父の仇を討ってくれた筋じゃないかと思いたいくらいなんですが。これ、違いますか?。
 この疑問に対する私の考察は次の通りです。まず、当時から(現代もですが)明智光秀という人物は「主殺し」「反逆者」として、絶対的な悪者として認知されていたのではないか。また、逆に織田信長は、夢半ばにして倒れたとはいえ、実質的に天下を平定しつつあった絶対的な「戦国の英雄」と認知されていたのではないかということです。したがって、お江与の方にとって、この絶対的「戦国の英雄」にたてついた自分の父親のことよりも、この英雄の血を受け継いでいることの方が重要だったのでしょう。ただ、それはあくまで世間の一般論であり、お江与の方自身が、本当は信長のことをどう思っていたかはわかりません。幸せな家庭を、落城の憂き目に追いやったおじのことを、真から英雄視できたかどうか?。本当の気持ちを聞いてみたいものです。
 織田信長が、戦国の英雄であることは誰も異論がないでしょう。しかし、私的には、この信長を戦国の英雄に仕立て上げた人物は、明智光秀その人だったと思っています。実は、信長という人は本能寺の変で死ぬんですが、歴史を振り返ると、丁度いい時期に死んだのではないかと思うのです。信長は英雄である一方、戦国の習いとして相当にひどいこともしているでしょうし、伝統文化を否定するところもありました。あのまま信長が天下を取っていたら、現代まで続いている、いろいろな文化があの時代に途絶えていたかもしれません。しかし、そんな信長の悪いところは、明智光秀が反逆者のレッテルを貼られることで、すべて背負わされてしまったのではないかと感じます。あの時誰かが信長を殺さなければならなかったのではないかと思うのですが、しかし、その実行者は、歴史上「反逆者」の汚名をきせられることになってしまいます。そんな「ババ」をあえて引いた人物、それが明智光秀だったのかもしれません(ババ論について、ぜひ組織批判はしたけれどを参照してみてください)。
 最低限いえることは、春日局おふくが、父斉藤利三の世間から受けている評価に対して仇を討ったということでしょうか。そして、信長が英雄でいられるのは明智光秀様や斉藤利三様が悪者になったお陰じゃないの?って言うのが無駄論的結論です。それにしてもややこし~お話でした。ここまで読んでくれた方いるのかな?。

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 追加記事:斉藤利三を利光としていましたので、訂正しました。

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2004/11/24

浅い眠りと金縛りの関係?

 美肌について前回書きましたところ、皆様から睡眠が大事というご指摘を受けました。美肌に限らず、睡眠は健康にとって大事な要素のひとつと考えることができるでしょう。
 ところで、私は、眠りが浅いことで有名です(誰に対して有名?)。例えば、6時30分に目覚まし時計をかけておくと、5時30分位に一度目が覚めてしまいます。もちろんうつらうつらと寝に入りますが、6時20分には起きちゃうことがあります。そう、基本的に目覚しがいらないことが多いんですね。ただ、正直言うと、仕事に間に合わないぎりぎりに目覚ましをかけることはなく、少し余裕がありますから、目覚ましを止めてからの、あと5分とかあと10分という時間、布団にもぐってるっていうのが至福の時ですね。もちろん至福のニ度寝は諸刃の刃であることはご想像の通りで、目を覚ましたときにとんでもない時間ということが年に1回か2回あるのも事実ですけど・・・・。
 眠りが浅く、ちょっとした刺激で起きてしまう私なんですが、以前、隣の姉の部屋の目覚ましで起きたことがあります。別に私はまだ起きる時間ではないので、寝に入るんですが、いっこうに姉は目覚ましを止めない。いつまでたってもうるさい目覚ましが鳴っているんです。怒り心頭の私は、壁を相当な勢いで叩き、うるさ~い!と叫んだらしいのですが、当時のことはよく覚えていません(自分の醜態は直ぐ記憶から消えるんですね)。私にとっては、まだ寝たいのにうるさいから注意しただけなんですが、眠気まなこの姉にとっては隣の部屋からの突然の罵声は相当な恐怖体験だったようで、今でもトラウマになってるらしく、「あんたは本当に恐ろしい」と未だに言われてしまいます・・。
 眠りが浅いといえば、昔はよく「金縛り」にあっていました。私の金縛りは霊的なものではないと思っています。たぶんなんですが、頭は起きてるけど、体が寝ている状態か、あるいは全体に寝ぼけてしまっている状態が金縛りじゃないかと考えています。今のところ、見知らぬおばあさんが押さえつけていたとか、南無阿弥陀仏と唱えたら金縛りが解けたなんてことはありません。大学2年のときの話なんですが、住んでたアパートの隣の住人が友達だったので、よく壁をとんとんと鳴らすのを合図に飯を食らいに行きました。ある休日の朝、その友達が、とんとんと壁を鳴らしたんですが、その時私は布団の中で金縛り中で(笑)反応できません。さらに友達が窓を開けて、「お~い、飯行かね~」と叫んでるんですけど、体は全く動かないのです。ちゃ~んと声は聞こえてるんですけど。さらに友達は玄関にやってきて、「ピンポーン、ドンドン、いないの?、ピンポーン」ってやるんですけど、やっぱり体が動かない。やっと友人はあきらめて部屋に戻ったらしいのですが、3~5分でやっと私は金縛りから開放されました。慌てて壁を叩き私が居ることを友人に伝え、窓越しに交わした会話っていうのが

「ごめんごめん、ちょっと金縛りにあってて、返事できなかったよ」
「えっ!、マジ!、大丈夫かよ、この辺り、昔一揆があって、随分処刑されたらしいから・・・、この辺り変なところにお地蔵さんたくさんあるだろう・・・あれ、霊を鎮めるためらしいぞ、なんかとりついたんじゃないのか!」
今のところ五体満足に暮らしているところをみると、別に霊がついたわけではないらしいのですが・・。いや、もしかして、その霊のお陰で今の私があったりして・・・。 
 浅い眠りの話がとんでもない心霊話になってしまいました。最近金縛りはほとんどありませんけどね。そんなわけで、とにかく、深い眠りと、長い睡眠時間を私にください!!。お願いします!!。
 
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2004/11/23

無駄論的美肌への道

 私の顔には、ある種の湿疹があり、毎日しっかり洗顔しないと、せっかくのいい男が台無しになってしまいます(笑)。これがまた、洗顔が問題だけではなく、ストレスがひどいと、この湿疹もひどくなってしまいます。以前、非常にひどいストレスにさらされたため、事態の打開を図るべく決断して思い切った行動に出たことがあるのですが、不思議と決断の翌日から湿疹がきれいに治ってしまいました。まさに、「病は気から、やぶ医者の診察必要なし(私の造語)」です。現在は適度のストレスがあるため、残念ながら湿疹に襲われております。
 ところで、[週刊!尾花広報部長] 燕・・・ついに体験しました!を拝見しました。ツバメの巣、私も食べたいです。死ぬまでには一度食べてみたいものの1つですね。熊の手とかはどうでもいいので、ツバメの巣、食べたいです。とにかく食べたいです。お肌にもよさそうだし・・・、おっと、私の顔の湿疹は治らないか・・・。それに男が言うと気持ち悪いし・・・。
 それでふと思ったのですが、このツバメの巣などコラーゲンたっぷりっていうのがお肌にいいというので、はやっていますよね。これって、本当なんでしょうか?。私素朴な疑問なんですけど、コラーゲンをたくさん食べても、おなかの中で小さな分子に分解されちゃうんじゃないかと思うんですけど。食べたそのもののコラーゲンが本当に吸収されてるんでしょうか?。まあ、そのものでも、分解されたものでもいいですが、たくさんコラーゲンが吸収されたとして、それが目的部位である顔のお肌の、ちょっとしわができてて、コラーゲン繊維の少ないところに自然に移動するんでしょうか。どうでもいい、場所のしわなんかに移動しちゃったりしないんでしょうか。あるいは、コラーゲンを食べるってことはコラーゲン繊維の材料となる分子の補充につながっているということも考えられますね。しかし、材料さえ補充すれば、目的の場所のコラーゲン産生能が高まるんでしょうか。おそらく年齢的なお肌の衰えは、コラーゲン産生能の低下が原因の1つでしょうから、そこへいくら材料を運んでもその辺りの細胞が「コラーゲンなんてもう作りたくねー!」って言ったら終りのような気もするんですが・・・。このあたり、正確な知識をお持ちの方いらっしゃいましたらぜひ教えてください。正直言うと私は怪しいと思っているのですが・・・。
 無駄論的には、高級中華料理の食材である、ツバメの巣やふかひれを、食べることができたという至福の喜び(ストレスの開放)がお肌をつるつるにする、という根拠のない説を提案したいと思いますが、私の肌もが調節していますし、案外見当はずれな説じゃないかも・・・とは言いすぎでしょうか。でも、私は美肌のためにコラーゲンたっぷりの食品を食べるのを否定してるわけじゃないんですよ。私はただ、ツバメの巣が食べたいだけなんです(笑)。あの伝説の美女楊貴妃だって毎日のようにツバメの巣食べてたって言いますし・・・。そう考えると、彼女の最期はツバメの祟りだったかもしれませんね。

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2004/11/21

お刺身は料理です!

 私、今まで内緒にしていましたが、実はお刺身が大好きなんです(笑)。魚の赤身も白身も、貝も、貝柱も、ウニも、魚卵も、海老も、イカもタコも何でも好きですし、牛刺し、馬刺し、鳥刺し、レバ刺し、(豚はないですね)もう、何でも好きです。焼肉もほとんどレア(生焼け)がいいですね。まあ、他人にとられる前に食べちゃえってのが本音ですが・・・。以前究極のどんぶりで、函館で食べたイカの刺身 and イカのキモ(イカゴロ)のおいしさについて書いたこともありました。今でもイカゴロどんぶりをつくっていただける方を募集しております(生唾)。
 ところで、このお刺身好きは、私に限ったことではなく、日本人の文化といってもいいでしょう。ただ、「生食(なましょく)」であり火を使った調理をしませんので、外国から見ると「野蛮」と思われることがあるようです。しかし、私はあるとき気付きました。お刺身という食べ物は、決して生の身や肉をそのまま食べる野蛮なものではなく、立派な料理なんだと(さあ、屁理屈が始まりますよ・・)。
 
 それは、とあるスーパーで「お寿司」を買った時のことです。仕事で遅くなり、スーパーも閉店間際でしたので、生ものであるお寿司コーナーにも「-300円」とか、「半額」とかいうシールが貼られておりまして、一人暮らしの私にとっては時々訪れるご馳走と言いましょうか、ご褒美といいましょうか、要するに浮かれて買わせていただきました(笑)。何しろお刺身好きですから、もちろんお寿司も大好きです。家に帰って早速お寿司を食べようとして、パックを開けた瞬間、とんでもないことに気が付きました。

「が~~~ん!!、醤油がな~い!!」
パックには普通、醤油が付いてるものですが、そのときは入っていませんでした。一人暮らしでろくに料理もしない私は、たまたま家の醤油も切れていることに気付いていなかったのです。皆さん、想像してください。醤油無しで食べるお寿司を。ありえないでしょ。食べれないでしょ。無理でしょ。わたしゃ、コンビニへ醤油買いに走りましたよ。疲れた体で、大好物のご褒美お寿司を目の前にして、コンビニへ走らなければならなかった辛さは忘れられませんね。
 ということで、お刺身というのは最低でも醤油を使い、さらに、わさびや生姜、しそ、その他いろいろな薬味を使って調理する、奥の深い、立派な料理であるということがお分かりいただけたかと思います(強引)。絶対、生のままの、そのままでは食べられないんですから。素人的に言うと、日本の食文化というのは「醤油の文化」なのかもしれません。そして、その最もシンプルでしかもなくてはならない使い方をするのが「お刺身」なのでしょう。皆さんもそんな目で、醤油を眺めてみてはいかがでしょうか。あの黒い液体は偉大ですね。

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2004/11/20

弱腰外交と強腰?外交

 先日、中国の原潜が日本の領海にやってきました。日本政府の対応はいつもの穏便路線でした。私的には穏便路線がベストとは思いませんが、まあ、1つの選択をしたと言うことでしょう。
 この日本政府の対応に対して、「弱腰」と思われた方も多いと思います。法的なことは知りませんが、場合によっては撃沈してもおかしくないことですから。正直、中国にはやられっぱなしな感があり、今回のような一方的に中国に非があることでも、適当な抗議しかできない日中関係って、なんとなく今後が心配になってきます。
 ところで、この領海侵犯に対し、中国側は遺憾の意を表したということなんですが、中国国内では一切報道されていないようです(中国メディア、原潜侵犯「遺憾」表明を一切報じず (読売新聞) - goo ニュース)。まあ、中国ならさもありなんという話で、別に不思議でもありませんが、この記事を見てびっくりしたのが、

対日「弱腰外交」と批判される材料になりかねないものは排除する中国政府の姿勢が反映されている。
という一文です。日本の領海を侵犯してしまったことに対し、遺憾の意を表明することが「弱腰」っていうのが理解できません。この記事が本当だとすると、逆の「強腰?外交」だとどうなっちゃうんでしょう。日本の領海を侵犯しても、「なんか文句あるのか!」って言うんでしょうか。それとも、とことん「しらばっくれろ」ってことなんでしょうか。おっと、間違ってはいけません。中国政府は、弱腰かどうかはともかく、遺憾の意を表明したわけですから、この強腰外交を求めているのは中国政府ではありません。中国国民の強腰派の一部がもとめているってことになりますか。うむむ、この人たちは遺憾の意が弱腰って言うんですから、正しいとか間違っているとかいう議論は全く通用しないことになります。また、そうした人たちの意見を中国政府が無視できないわけですから、これは相当にたちが悪いといわざるを得ません。まだ、政府の方が強腰なら中国国民の自浄作用を期待できるかもしれませんが、その逆なんですから・・・。
 日本はどうしましょう。私はいろんな議論で繰り返していますが、最悪なのは「やられたからやり返す」と言う態度です。そして「中国だってやったじゃないか」って言い訳するパターンです。こういう議論からは何も生まれません(もちろん日本が潜水艦を中国領内に潜航させるなんてことはありえませんが)。正々堂々正しい外交をするしかありません。嫌がらせに対して、嫌がらせで対抗したら、悪循環を起すだけです。そして相手の嫌がらせや間違ったことを逆に正当化してしまうだけのことです。
 強腰は、一見かっこいいですが、ふと気付くと正しい間違っているという議論を無視してしまっていることがあります。強腰を主張するのであれば、常にその正当性を検証していく必要があるでしょう。私は、お互い弱腰っていうのが最も平和的で、最も日本的でいいなと思うんですが(笑)、よその国が日本人的文化を持ち合わせていないのは言うまでもありません・・・・。

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2004/11/19

忙しいは気持ちいい!

 私は職業柄やぶ医者をやっていますが、先月ぐらいから少し忙しい外来が続いています。私の場合、最初に勤めた病院がものすごい忙しい病院でしたから、その後勤めた病院であまり忙しいと思ったことはありません。ちなみに最初勤めた病院がどれほど忙しかったのかを示すエピソードがいくつかありますのでご紹介します。
 エピソード1:それは私が勤めるウン十ウン年前だったらしいのですが、ある科の先生が外来をしていたときの事です。その先生がある患者さんの診察中に、病気とは関係ない会話をしたらしいのです。まあ、診察といっても、少し位近況や、家族のことなどを話すことは別に珍しいことではありません。しかし、その忙しい病院において、しかもその科においては、あまりに忙しいので次から次へとどんどん患者を診ないと評価されないんですね。うんの悪いことにその関係ない会話しているのをその科の鬼部長が通りがかりに聞いてしまったのです。そして、即座にその部長は「何を関係ないことしゃべってるんや!」とその先生に一喝しつつげんこつをくらわし、その瞬間、患者さんの方が「すいませんでした!」と頭を下げて慌てて診察室から出て行った・・・。という伝説なんですが、うそのような本当の話です。
 エピソード2:それは、私が勤めだして一年後、正規の外来を初めてした日のことです。私が「だれだれさーん」と患者を呼ぶと腕まくりをした患者さんが入ってきました。その腕まくりについて、私は、ああそうか、血圧を測れってことなんだなと思い、早速血圧計を腕に巻いて血圧を測定し、「120/80ですね」なんていいながらカルテに記入しました。そして患者さんに話をしようと思って患者さんの方を振り返ってみると・・・・、そこにはすでに患者さんの姿はありませんでした。さっさと血圧はかって、さっさと前回と同じ薬を出してくれればいいってことだったんですね。この忙しい病院での余計な会話は患者さんの方もいらなかったという、患者と医師とが長年にわたり作り上げた伝統がそこにはいきずいていました・・。いいことやら悪いことやら。その後私は、患者さんが、そそくさと診察室から出て行く前に、せめて「同じくすり出しときますからね」と言うように気をつけるようになりましたが・・。
 エピソード3:ある大変人気のある先生の予約外来の予約表(何時の何番の診察予約か)を患者さんから見せてもらってびっくりしました。「8:30の94番・・・・」。一体何時に診てもらえるのでしょうか。
 エピソード4:救急外来はめちゃくちゃ忙しく、救急のくせに数時間待ちなんてのが当たり前でした。その日の救急も恐ろしくカルテが積み上がりました。しかし、待ってる患者さんが一人、また一人といなくなります。「どうしたの?」と看護婦さんに聞くと、「待ってるうちに治っちゃったみたいです・・・」。やぶ医に診察はいりません。
 エピソード5:その病院の当直は忙しくてほとんど寝れません。当直で全く睡眠がとれずに翌日外来をやったことがあります。ある患者さんの診察中に、何度も睡魔に襲われましたが何とかこらえ、診察を終えました。しかし、ふと、カルテを見直してみると読解不能な宇宙文字が並んでいるではないですか(ちゃんと書いたはずだったのに・・)。何を診察したのやら全くわかりません。診察はやり直しになりました・・・。

 忙しいことを言おうと思っていたのに、その病院がいかにおかしな病院かということと、私の失敗の一例を示す結果になってしまいました(笑)。へんなエピソードはまだいくつでもあります(笑)。
 しかし、忙しいという言葉は絶対的なものではありません。そんな忙しい職場を経験したにもかかわらず、別の比較的楽な職場であっても、その職場なりに忙しければやっぱり「忙しい」って言ってしまうんですね。人間の心なんて、本当に弱いものです。しかし、どっちの忙しいがいいかというとどうでしょう。意外にも、私の場合、楽なはずの職場での中途半端な忙しいは苦痛以外の何者でもありませんが、忙しい職場の本物の忙しいは、やり遂げると脳内麻薬のせいなんでしょうか、心地よい疲れとともになんともいえない気持ちよさが体を包み込みます。私の場合、心があまりに弱いため、逃げ道の多い楽な職場では逃げまくってしまいますから、何の喜びも生まれません。しかし、むしろ逃げ道のない忙しい職場の方は麻薬中毒になれるので合っているかもしれません。皆さんはどうでしょう。一緒に麻薬中毒になってみませんか?。
 (この記事は忙しいつながりで「忙しいから・・・」というのは言い訳だった!に無理やりトラックバックさせていただきました。)
 
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2004/11/17

無駄論的日光は偉大なり!

 我が家には、冬咲きの(笑)ハイビスカスがあることを2度ほど報告させていただいています。その他、ヘデラ(アイビー)やらポトスやら、観葉植物がたくさんありますが、改めて、植物の生育にとって日光が不可欠である事を感じましたので報告させていただきます。
 私はワンルームのアパートに住んでいますが、意外に夏涼しく、冬暖かい快適な環境であることを感じています。最大の理由は日光です。約南向きの私の部屋は夏の昼間ほとんど日光が入りません。夏の太陽は高い位置を通りますから、直接日が入らないわけです。実は秋口になるまで気が付かなかったのですが、部屋の中の観葉植物たち、特に部屋の奥の方にあった植物は、夏の間成長を止めてしまっていました。正直育て方が悪いんだろうなと漠然と思っていたのですが、秋になって突然新芽を出し始めたのですから驚きです。そう、日がだんだん低くなって昼間から日光が部屋に差し込むようになってからです。私の部屋は新緑があふれ、まるで春が訪れたかのようになりました。植物たちは本当にけなげに窓の方へ葉を向け、新芽を伸ばしています。形を整えるため、いじめのように鉢を反対向けるのですが、一日か二日で、ちゃんと窓の方を向きます。我が家には亀様という動物もいるのですが、植物も同じ生き物であることを本当に実感しています。それにしても、日光は偉大です。気温がいくら高くても日光がなければダメなんですね。
 元々、日本の家屋は、屋根が建物から突き出し、日光をさえぎることで、夏涼しい環境をつくっていたようです。さらに庭に落葉性の広葉樹があれば、木の葉が日を遮りさらに涼しくしてくれます。冬は、横から日光が入り、木々も葉を落とすことでより日光を得られるという仕組みです。誰が考えたのか知りませんが、先人の知恵には感服するばかりです。私は、仕事的にもあまり日光を感じることがありません。晴れた日には、青空診療ってのもいいかもしれませんね。無理か・・・。

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2004/11/14

ゴルフと煩悩の関係?

 今日久しぶりのゴルフでしたが、それにしても、ゴルフとは難しいものです。いつまでたってもうまくなりません。今日もいい感じで打てたなと思ったのもつかの間、次にはとんでもない方向にボールが飛んでいく・・・。数メートルのパットを決めたと思ったら、数十センチのパットをはずす・・・。うむむ、何でこうなるの?。
 ということで、私のスコアーですが、どうやら私は煩悩の塊のようです。そう、除夜の鐘と同じ数だけたたかしていただきました。日々の精進をせず、いいスコアーが出るわけありませんわね。正解は108でした。
 皆様の予想からいくと・・・・・・・・当選者は、mia様に決定いたしました。web money 2000円分獲得です。おめでとうございます。ますます「彰の介の証言」の応援と医療監修をよろしくお願いいたします。今回残念ながらプレゼント獲得なりませんでした、あざらし様、ふぁんた様もよろしくお願いいたします。
 mia様には後ほどメールでウェブマネーの番号をお伝えします。早めにお使いください。私が間違えて使っちゃうかもしれませんから。

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2004/11/13

皆さんへプレゼント!

 明日、久しぶりにゴルフへ行きます。
そんなことで、カウント稼ぎのためのプレゼント企画を考えてみました。「私のスコアあてクイズ」です。私の18ホールのスコアを予測してコメントにしてみてください。コメントした方が1名の場合はもれなく(笑)、2名以上のときは最も近い方に、2000円分のweb moneyをプレゼントします。正解者多数の場合は、正解者全員にばらまきます!(正直やばい場合は適当にごまかしますから、安心?してください)。
 コメントに、1.お名前 2.私のスコアの予想を書いてください。 
 応募資格:ここへ訪れていただいた方どなたでも結構です(多重応募は不可です)。
 締め切りは、明日私が帰ってきて、コンピューターの電源を入れ、これにて終了のコメントを入れるまでとします。(午後7時位かな?)
 正解発表は、明日のこのページで。賞品の発送方法は正解者の方にメッセージをしますので、メールをください。
 私のスコアのヒント:ちなみに私のベストスコアは100(笑)です。最近は105程度が多いと思います。ここ3ヶ月ほど全くクラブを振っていません。久しぶりのゴルフです。乱れる予感はしますが、時のウンというのもありますからなんとも言えません・・・。

 さあ、皆様からのご応募コメントをどしどしお待ちしています。趣旨はカウント稼ぎなので(笑)、いろんな方に広めていただいても結構です。そんなことで、下のブログランキングのクリックもどうぞよろしく!(あんまり言い過ぎると怒られるかな?)。

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2004/11/12

旬のハイビスカス2

 以前お話しましたが(旬のハイビスカス?)、我が家には冬咲きのハイビスカスがあります(笑)。前回咲いたときは、つぼみがありませんでしたが、つぼみがたくさん出てきました。今回、2つ目のお花が咲きましたのでご紹介させていただきます。DSC00350.JPG
これから、寒くなったらどうなるんでしょう?。部屋に入れたら、また来年の夏は咲かないんだろうな・・・。

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2004/11/11

やぶ医者返上か!

 前々回書いた無駄論的人間進化論に、祇園様からコメントをいただいて、ちょっとした、というと叱られますが、医療に関する問題提起をいただきました。私は、職業柄やぶ医者をやっているのですが、その問題提起に関連して、先日の外来で患者さんから信じられないことを言われてしまったので、ご紹介させていただきます。
 
 その患者さんは、一ヶ月ほど前から微熱と風邪症状があり、私の外来にかかる前に、同じ病院に3回ほどかかられ風邪薬をもらっていました。ちなみに3回とも別の医師(つまり3人の医師)が診察しています。私は、前3回の診察の経過がわかりませんから、いつからどんな症状あったのかっていう話を最初から聞いて、今どんな症状があるのかを聞きました。患者からは、実は人間関係がうまくいってなくて、仕事も大変で、休む暇もなく、そのせいで風邪もよくならないんじゃないか・・などと言われるので、「そうかもしれませんね」なんて、いい加減に返事をしながら話を聞いていました。そして症状として、のどが痛いと言われるので、のどを見て、「ちょっと赤いですね」と言い、咳が出ると言うので、胸と背中と聴診して「別に悪い音はしませんね」なんて答えてました。
 これ、私、なんか特別なことしましたかねー?。別に普通の診察風景でしょ?。でも、聴診した直後に患者さんからとんでもないこと言われちゃったんです。こんな風に・・・。

「先生、診察が丁寧だね。ちゃんと見てくれるし、問診もいろいろ聞いてくれる。先生でよかったよ。今までここで診てもらった先生、忙しいから仕方ないんだろうけど、風邪だといって薬くれるだけだったから・・・」
「えっーーーーーーーーーーー!!!!!」と、つい叫びそうになりましたね。もうびっくりです。褒められてびっくりしたのは初めてかもしれません。残念ながら私、お褒めをいただくようなこと何もしていません。私の前に診察した医師3人、みんながみんな、いい加減な診察をしていたとは思えませんが、どうもおかげさまで相対的に「丁寧に診察する医師」の称号をいただけたようです。これはもう、ありがたいと言うのか、なんというのか・・・、やぶ医者返上というのか・・・。
 いやいや、喜んでいる場合ではありません。これはとんでもないことです。こんなどうでもいいことで医療不信を招いているとしたら、話になりません。こんなことでは現代の医師は昔の祈祷師(きとうし)以下です。祈祷師の足元ほども患者の気持ちを捉えていないのですから。医療に社会から厳しい目が注がれていますが、それはごく当たり前のことだと認識させられました。そして、私自身も問題点がないか再点検し、やぶ医者だと、ばれないよう、気を引き締めがんばりたいと思った次第です。

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2004/11/10

無駄論は無宗教

 私はいわゆる日本人にありがちな無宗教です。まあ、慣習的な仏教徒ではありますが、お願い事するときの神道と、年末のキリスト教への信仰も忘れてはいません。これが本当の多神教???、だったりして(笑)。
 ところで、イラクで大規模な戦闘が再開されました。この戦争の可否についてはここでは書きませんが、そもそも宗教的な要素がこの戦争を泥沼化していることは否定できないでしょう。しかし、何で宗教はいがみ合うのでしょうか。なんとなく宗教=平和のイメージがありますが、大昔から戦争の理由になり大儀になってきました。これが私には全く理解できません。
 日本国憲法には、信教の自由が明記されています。以前、オウム真理教のことを例に出したことがありますが、あの一連のオウム事件の報道の中で、彼らオウム真理教の言い訳に興味深い言葉がありました。彼らは彼らの信仰そのものが批判されると、「我々には信教の自由がある、否定される覚えは無い」と答えていたのです。いやいや、しかしこんな不思議な話はありません。各宗教はそれぞれの宗教が唯一無二の宗教と考えているはずです。だから、他の宗教を認めるわけがありません。つまり、各宗教の中に信教の自由が無いのは言うまでもありません。だから、宗教を信仰するものが「信教の自由」などと言うのは信仰そのものに矛盾します。ここは「我々の信仰は誤っていない」と正々堂々と言うべきで、「信教の自由があるから・・」と言うのは一宗教の使う言葉ではなく、国や裁判所が不当な宗教弾圧に対して使うべき言葉です。
 しかしそう考えると、よっぽど宗教より日本国憲法のほうが度量が広いと思いませんか?。何でも認めますって言うんですから。その懐の広さは、どの宗教を見渡してみても決して存在しません。信教の自由のもとで信仰されている宗教は、日本国憲法以上の大きさにはなりえません。我々は、当たり前のように「信教の自由」って言いますが、それが当たり前でないことは、それこそ中東の国で言ってみればわかります。「俺達には信教の自由が・・」と叫んだところで、「あるわけ無い!」と言われるだけなのは言うまでもありません。この宗教の度量の狭さは何もオウム真理教に限ったことではないでしょう。全ての宗教が内包する矛盾でもあり、宗教同士が対立する原因ではないかと私は考えています。
 ここまでの話は、昔から私が思っていた禁断の屁理屈ですが、こんな屁理屈を、いや、宗教の内包する矛盾を、あのローマ教皇ヨハネパウロ2世は真剣に考えていたようです。無宗教の私は、ただのお飾り的なおじいさんだと思っていましたが、アメリカのイラク侵攻を止めようと活動していたことがNHKの番組で放送されていました(かなり前です。途中しか見てないので番組の題とかわかりません)。イラク侵攻を止め、イスラム教徒との戦いを回避し、真の平和を実現しようとすること、それはキリスト教の象徴であるローマ教皇が、イスラム教という異教を認めることに他なりません。簡単そうでできないことと、あのご老体の偉大さに心打たれたことを思い出します。もちろん、ご老体の活動が無駄になったのはご存知の通りです。
 アメリカのブッシュ大統領はキリスト教系の大圧力団体を支持母体の1つにしていると聞いています。一体全体、あのご老体の気持ちを完全に踏みにじった大統領自身がどんな信仰を持ち、その圧力団体は一体何を求めているのでしょうか。私はこれまた理解できません。信仰の大切さについて否定するつもりは毛頭ありませんが、私自身は対立の起きようの無い慣習的仏教で十分です。むしろ日本国憲法の精神を大事にしたいと考えています。
 ちなみに無駄論は宗旨宗派を問いません。どなたにご参加いただいても大丈夫です。対立のための無駄論ではありません。別の考え方や別の見方をもつこと、広い視野で物事を考えること、それが無駄論の一側面なのですから。

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2004/11/09

無駄論的人間進化論

 以前、進化論について、ぼやいてみたこともありましたが、今回、週刊!木村剛にて、飽食と生活習慣病に関するエントリーがありましたので、人間の進化、淘汰とかけて、同様にぼやいて、いや、ぼけてみたいと思います。
 糖尿病という病気をご存知でしょうか。ある意味、生活習慣病の代名詞であり、「現代版万病の元」と考えられる病気です。この糖尿病に関してのイメージは、生活習慣病という名前から、なんとなく贅沢病とか、ぐうたら病なんかを想像してしまいます。もちろん、そういう面があることは否定出来ませんが、とある先生がこの糖尿病の遺伝的背景について面白いことを言われていました。糖尿病は必要以上に食べすぎることが原因ですから、見つかり次第食事制限となります。制限せず食べ続ければ、血液中の糖の値(血糖値)が高い値で推移し、いろいろと障害を起こしてしまいます。ところで、この糖尿病の特徴は、逆に言うと、「少しの食事で血糖値を保つことが出来る」ということになります。ということは、言い方を変えると糖尿病の方は飢餓に強いんです。このことをそのとある先生は

「氷河時代とか、飢餓状態を生き抜いてきた人類の祖先の名残なんでしょう」
と言われるのです。ふむふむ、なかなか面白い説です。その真偽のほどは分かりませんが、大変興味深い話で、いろいろと考えさせられます。今後、世界大飢饉が起きて、大半の人類が滅亡したとき、生き残っているのは、糖尿病の方だけかもしれません。今の時代の飽食の程度がいかにひどいものかがわかるというものです。
 
 飽食とは全く関係ない話ですが、人類の進化に関して、大変参考になる(?)説を唱えられた、高名な先生がいらっしゃいますので、ちょっと寄り道を。サルから人間が進化してきたことは、日本人なら誰でも当たり前に知っていることです。このサルと人間でもっとも大きな見た目の違いは、体毛がなくなってしまったということです。つまり、進化の過程で体毛を脱ぎ捨ててしまったわけです。そのことに関して、その高名な先生がこんな話をされました。
「私の頭も徐々にはげてまいりました。しかし、なにもはげていることを嘆くことはありません。人間はサルから進化する過程で、毛が生えなくなったんですから、我々はげているものは最も進化した人間なんです。」
私の説ではありません。ある、高名な先生が言われたことです。進化した皆様からのお叱りがないことを祈るばかりです。
 無駄論的な人間の進化についてのお話でした。

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2004/11/08

無駄にブログを再開す!

 久しぶりに、ブログにお目見えさせていただきました。カウンターとか、ブログランキングを、全く気にしないということがこれほど楽なものかと(笑)知ることができました。この間、できずに困っていた研究論文が一段落しまして、ほっと胸をなでおろしているところです。
  ところで、いろいろ騒動はありましたが(笑)、私は今後も自分のスタンスは変えないとおもいます。
 私のスタンス、それは、私の反省も含めながら、「人の批判をする前にまず自分の姿を見てみる」です。過去の私の記事を読んでいただいてる方にはなんとなく理解いただけるのではないかと思います。
 しかし、だからと言って、自分は完璧な人間ではありません。自分はどうしても楽な方へ流れたくなるし、そうでなくても、周りがどんどん楽な方へ流れていってしまえば、その流れに乗ってしまいたいと思ってしまいます。理想は逆方向で、すごい逆流なんだけど、そんな中、一応理想の方向をなんとか向いてみます。さて、すごい逆流の中、自分が傷ついてでも、罵声を浴びてでも、逆方向へ最初の一歩が踏み出せるでしょうか?、踏み出せたとして、逆流の中少しづつでも歩みを進めることができるのでしょうか?そんな大葛藤の中でもがき苦しみ、苦悩します。そして「やっぱり、流れにまかされてみようかな?・・」、と思いっきり妥協したくなった時、その時私は・・・。やっぱり妥協しちゃうんでしょうか?。人生そんなもんってことで・・・(アレアレ・・)。
 そんなことを考えていた今日この頃です。そういえば、わけもわからず、思いつきで「無駄論」と言う言葉を使ってきましたが、無駄論とはまさにこんな、流れに逆らい思い悩むことをも含んでいるのかもしれないと気づきました。実は私にはぴったりの言葉だったのかもしれません(笑)。そう、私的には、私を語る上では、無駄論と言う言葉はなくてはならないものであると、再確認しました(本当?)。
そして本日ここに、「無駄にブログを再開することを宣言いたします!」。

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2004/11/03

弱男は叱られるのが恐ろしい

 こにのつぶやきのこにさんに叱られたので、反省しました。以下、前回の木村さんへのコメントのやり取りで、私の休筆について、こにさんのお叱りコメントの一部です。

仕事が忙しくて書かない。もしくは今回のことで、彰の介さんがヒートアップしてしまったから、頭を冷やすためにしばらく更新をお休みするという話なら納得いくんですが、それを木村さんのせいにするような書き方で休筆宣言されるのはいかがなものかと。何でもかんでも木村さんに責任転嫁されるのだけは、やめた方がいいですよ。木村さんは、彰の介さんに特に攻撃された事実はないんですし。そういう言い方は、彰の介さんの品位を落とすのでやめた方がいいと思います。
このお叱り、ありがたいお言葉でした。反省しました。以下私のコメントの一部です。
確かにおっしゃるとおりです。品位はもともとありませんけど、休筆に関しては木村さんのせいにしています。これは思いっきり反省です。ほんとに忙しいのも事実だし(このところの睡眠時間は3~4時間位かな?、当直も挟んでますし)、頭冷やしたいのも事実なんだけど、あてつけの意味もありました。これははっきり宣言いたします。反省です。
木村さんも、 ブログはマスコミに報いる庶民の一矢だ!で、今回の論争に関してのことだと思うんですけど、今日で終りにしますって言われているので、一批判をした者の結論を書いて私も一応の終了にしたいと思います。
 
 私の結論:今後木村さんのマスコミ批判が、ちょっといきすぎかなと思うことがあっても、それは言いません。「あれほど、オレがマスコミにやられてきたこと教えてやったのに、まだわからないのか!」って、叱られますから。弱男は叱られるのが恐ろしくてたまりません。
以上、終了です。
 
 休筆は返上?、と言いたいところですが、やっぱりきついので、今週は厳しいです。その後はそのときの気分しだいです(笑)。今後も私の屁理屈にお付き合いください。付き合いたくない?、おっしゃるとおり。

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2004/11/02

木村さんへ

 木村さんへ。
今回のブログで、木村さんがいかにマスコミにひどい目にあってきたかは本当によくわかりました。よくわかりましたといいつつ、経験してませんので、擬似的にしかわかりませんが、とにかくそのマスコミへのお怒りもよくわかりました。
 ところで、この記事、結論は何ですか?
マスコミの体質を何とか改善したいのですか?。
それとも、マスコミに今までに受けてきた恨みをはらしたいのですか?

ブログの内容が全くのウソであったとしても、私は「天漢日乗」さんを責めません。
と言われているのでわかりやすくそれを前提でお伺いします。
木村さんは、ガセネタ(と便宜上総称させていただきます)で、マスコミからボコボコにされたんですよね。それと全く同じ手段、すなわちガセネタをつかってでもマスコミに同じ気持ちを経験させたいわけですよね。
これって、マスコミの体質改善につながるのですか?
ガセネタでやられたから、ガセネタでやり返した。木村さんと同じ経験をしたマスコミは、木村さんの気持ちがよくわかり、体質が改善された。
なんて、ありえないと思うのは私だけですか?。
ますます、あのガセネタ野郎にはまたガセネタでぎゃふんと言わしてやろうになりませんか?
一度ガセネタでたたいているのですから、さらにガセネタでたたかれても、もう文句は言えませんよ。
お前もガセネタつかったじゃないか?って言われたら、どう反論するんですか?
「天漢日乗」さんによるマスコミの殴り方など大したものではありません。
つまり、今回のマスコミ批判記事は、自分が受けたボコボコに比べればたいしたことないってことですよね。
このせりふで反論するのですか?
このせりふで反論するとしたら、このせりふの解釈は、
 「マスコミは今まで大量のガセネタを使ってボコボコにしてきたから、ガセネタを使うことは悪いことだが、木村さんがガセネタを使っても、今回が初めてで、しかもたいしたことないことだからマスコミがガセネタ使うのとはわけが違う。」
 「自分が受けたボコボコに比べればたいしたことないから、マスコミさんたちは免疫をつけて木村さんのガセネタに我慢しなさい。」
ってことですね。いずれにしても、木村さんがガセネタを使うことを程度の差を使って免罪したい。
 でも、今まで散々ガセネタを批判してきた木村さんが、どうして今回、ガセネタを使うことを必死に免罪しようとするのですか?でもはっきりいって、程度の差がいくらあっても、ガセネタを使うことの免罪には全くなっていませんよ。言えば言うほど、マスコミと同様に悪いっていう答えになりませんか?。
つまり、今まで木村さんがガセネタでたたかれてきたことが、悪いことであるのと同様、「天漢日乗」さんによるマスコミの殴り方が大したものではなくても、それがガセネタであれば同様に悪いのではありませんか?。そこに程度の差は関係ないでしょう。
暴論であることを承知で言ってのければ、もし、「天漢日乗」さんのブログの内容が全くのウソであったとしても、私は「天漢日乗」さんを責めません。なぜなら、この程度のもっともらしいウソであれば、「ガ島通信」さんが属している新聞が日々平然と垂れ流しているからです。公器であるはずの大マスコミですらこの程度のことは許されているのに、個人的な趣味で書いているブログで許されないとは考えられません。
これは、どうみても暴論です。
この程度のもっともらしいウソは、「ガ島通信」さんが属している新聞が日々平然と垂れ流していますが、それは明らかに悪いことです。公器である大マスコミが悪いのと同様、個人的な趣味で書いているブログも同様に悪いのはいうまでもありません。
本来こう解釈すべき文章ではありませんか。大マスコミが許されてしまっていることをやっかんでどうするのですか?。同様に自分も許してくださいですか?。
 ガ島通信さんは、マスコミ擁護のためにあの文章を書いたのでしょうか。それは、本人に聞かないとわかりませんが、結果として、ガセネタでボコボコにされている木村さんが、自分はガセネタを使おうとしているかも知れないことを警告していると考えられませんか。それを、「オレがガセネタ使うのをお前にとやかく言われる筋合いはない」的な文章になっていたので、私は涙をこらえ切れませんでした。
 
マスコミが「真実」を伝えることなど、もはや私は期待していないのです。
ということが、マスコミに今までに受けてきた恨みをはらすという意味であれば、マスゴミと同様ガセネタでも何でも使って、マスコミをたたいてください。
 もし、マスコミの体質を本気で改善したいのであれば、同じ汚い手使ってどうするの?、別の方法考えなくてはいけないのでは?。と、私は思ったまでです。

追加記事:きっと、同様にけちょんけちょんにされるのでしょう。無視という手もありますね。私はただの弱男です。けちょんけちょんには免疫がないから耐えられません。いい機会ですので(職業上の問題もあり)、しばらく(1W位かな?)休筆します。それでは。

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2004/11/01

報道不信の原点

 前回、 批判のための批判?を書いた影響でしょうか、私のブログ史上最大のクリック数を記録いたしました。誠にありがとうございます。ただ、ブログランキングの方は低下傾向でありまして(笑)、ぜひ、清きクリックをいただけたらありがたいです(強制ではございません、中身のつまらなさの問題と考えております)。
 批判のための批判?では、週刊!木村剛: [BLOG of the Week] これが新潟県中越地震の真実だ!について、マスコミ批判にちょっと疑問を感じたので書いてみましたが、そもそも、私は現在のマスコミの体質については、多くの点で疑問を持っています。私がマスコミといいますか、報道に対して感じた疑問の原点とは何だったのかといいますと、それは一連の「オウム報道」でした。
 オウム真理教に関しては、敢えて説明も要らないと思いますが、あの事件当時、「オウムたたき報道」が盛んに行われました。その報道の特徴は、「オウムは悪者」というのが前提になっており、したがって、悪者はいくらたたいてもいいということ、何をたたいてもいいということ、オウム信者であれば誰をたたいてもいいこと等があげられると思います。その裏には、報道する側の態度だけでなく、全く逆に、報道を受け取る側も同じ態度で臨んでいたと考えられます。「オウムのやつらなんてみんな死刑にすればいい」と極論しても、それほど非難されるものではなかったでしょう。一連のオウム報道では、重要な報道がされたのはいうまでもありませんが、徐々に宗教活動や信者の異質性をたたくようになりました。リポーターが末端信者一人一人を追い回し、絶対答えもしない質問をし無視するところを画像として撮ったり、ヘッドギアがどうだとか、麻原の髪の毛を売ったとか、だんだんどうでもいいところにいってしまいました。要するに、徐々に中身ではなく、「オウムをたたくとみんなが喜ぶ」ってことになって、「オウムをたたく」ことが目的の報道になってしまったのです。そんな中で印象に残っている事例を2つほどあげたいと思います。
 ある時、テレビの生番組にオウムの上裕氏がでてきました。司会の方か誰だったかが、「オウムでは麻原の髪の毛を1万円とか、風呂の水を何万円とか売ってるそうではないですか。ひどい資金集めですね。こんなことが宗教として許されるんですか!」とか何とかいう質問をしました。すかさずああ言えば上裕氏が「仏教だって、戒名つけるのに何十万円と要求するではありませんか、なぜ我々だけが悪いんですか!」といって席を立ち、帰ろうとしました。そのとき居合わせたコメンテイターたちの、ただの一人としてこの上裕氏の反論に答えることができませんでした。なぜ答えられなかったのか、それは、「オウムたたき」が目的の質問だったからでしょう。異質だから、悪そうだから、悪者だからという理由で放たれた質問に深い考察があるわけありません。上っ面の雰囲気で質問してるんですから、反論できる道理は無いわけです。ちなみに、私ならこう言ってましたね。

「上裕さんの言うとおり、仏教は悪いですね。だから、あなた方だけが悪いんじゃなくて、仏教も悪いですよ。あれ?、ということはあなた方も悪い・・。あれあれ、自分から自分の宗教の資金集めを悪いとお認めになるなんて、いやすばらしい!」
でも、これはオウムたたきの答えにはなりません。ついでに、仏教たたきにもなっちゃてますから・・。
 あのオウム報道には、宗教関係の専門家がコメンテイターとして出演していました。その中に、現在、ザ・ワイドにレギュラー出演している有田芳生氏もいました。私は加熱するオウム報道に彼が警鐘を鳴らす役を演じると信じていました。彼は最初統一教会(桜田淳子ら数名の有名人が合同結婚式をして有名になった)が問題になったときに、コメンテイターとしてワイドショーに出てきました。この時、ワイドショーの司会者が有田氏に「なぜ、統一教会に興味をもたれたのですか?」と質問したのですが、彼は「霊感商法などで問題になっている、統一教会ですが、一体そんな怪しい宗教にどんな人間が入信していくのかを調べました。すると、これが実に純粋で普通の人たちばかりなのです。どうしてこんなに純粋な特に若者達が入信するのか、そこに興味を持ったのです。」(昔のことなので正確な答えは覚えていません。意味的にこんな感じです。)と答えました。私は、彼が「宗教には問題があるが、入信している信者一人一人に性格異常などの問題があるわけではない、マインドコントロールに諸悪の根源がありそう?」と言っていると解釈しました。したがって、「オウムたたき報道」が、徐々に末端信者にも及び始めたとき、統一教会と宗教が違うとはいえ、きっとこのことを訴えて、末端信者をたたくことは意味がないと言ってくれると信じていました。しかし、残念ながら、彼は終始「オウムたたき」に相槌を入れるだけで、まさにワイドショーしてしまいました。その後その功績が認められてか、なんとワイドショーのレギュラーをつかんでしまったのですから、正直、がっかりさせられました。この記事を書く前に彼のホームページ有田芳生の今夜もほろ酔いを少しだけ見てみたのですが、新世紀カルトというページで、
私にとっていまではカルト(熱狂集団)に魅かれる若者たちの心情に強い関心がある。なぜ彼らが、という疑問はいまも、そしてこれからも生きているからだ。
と書いてるところを見ると、決して原点は忘れていないようです。だったら、世間受けする相槌だけでなく、自分の主張をして欲しかったな・・・実に残念です。
 ということで、私の考えは、屁理屈の塊で、辟易する方も多いと思いますが、よろしければ、お義理で下のブログランキングのクリックを・・・・・・。いや、失礼いたしました。

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この記事は、週刊!木村剛: [トラックバックランキング] あざらしサラダのジャーナリズム論に無理やりトラックバックさせていただきました。

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