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2004/11/01

報道不信の原点

 前回、 批判のための批判?を書いた影響でしょうか、私のブログ史上最大のクリック数を記録いたしました。誠にありがとうございます。ただ、ブログランキングの方は低下傾向でありまして(笑)、ぜひ、清きクリックをいただけたらありがたいです(強制ではございません、中身のつまらなさの問題と考えております)。
 批判のための批判?では、週刊!木村剛: [BLOG of the Week] これが新潟県中越地震の真実だ!について、マスコミ批判にちょっと疑問を感じたので書いてみましたが、そもそも、私は現在のマスコミの体質については、多くの点で疑問を持っています。私がマスコミといいますか、報道に対して感じた疑問の原点とは何だったのかといいますと、それは一連の「オウム報道」でした。
 オウム真理教に関しては、敢えて説明も要らないと思いますが、あの事件当時、「オウムたたき報道」が盛んに行われました。その報道の特徴は、「オウムは悪者」というのが前提になっており、したがって、悪者はいくらたたいてもいいということ、何をたたいてもいいということ、オウム信者であれば誰をたたいてもいいこと等があげられると思います。その裏には、報道する側の態度だけでなく、全く逆に、報道を受け取る側も同じ態度で臨んでいたと考えられます。「オウムのやつらなんてみんな死刑にすればいい」と極論しても、それほど非難されるものではなかったでしょう。一連のオウム報道では、重要な報道がされたのはいうまでもありませんが、徐々に宗教活動や信者の異質性をたたくようになりました。リポーターが末端信者一人一人を追い回し、絶対答えもしない質問をし無視するところを画像として撮ったり、ヘッドギアがどうだとか、麻原の髪の毛を売ったとか、だんだんどうでもいいところにいってしまいました。要するに、徐々に中身ではなく、「オウムをたたくとみんなが喜ぶ」ってことになって、「オウムをたたく」ことが目的の報道になってしまったのです。そんな中で印象に残っている事例を2つほどあげたいと思います。
 ある時、テレビの生番組にオウムの上裕氏がでてきました。司会の方か誰だったかが、「オウムでは麻原の髪の毛を1万円とか、風呂の水を何万円とか売ってるそうではないですか。ひどい資金集めですね。こんなことが宗教として許されるんですか!」とか何とかいう質問をしました。すかさずああ言えば上裕氏が「仏教だって、戒名つけるのに何十万円と要求するではありませんか、なぜ我々だけが悪いんですか!」といって席を立ち、帰ろうとしました。そのとき居合わせたコメンテイターたちの、ただの一人としてこの上裕氏の反論に答えることができませんでした。なぜ答えられなかったのか、それは、「オウムたたき」が目的の質問だったからでしょう。異質だから、悪そうだから、悪者だからという理由で放たれた質問に深い考察があるわけありません。上っ面の雰囲気で質問してるんですから、反論できる道理は無いわけです。ちなみに、私ならこう言ってましたね。

「上裕さんの言うとおり、仏教は悪いですね。だから、あなた方だけが悪いんじゃなくて、仏教も悪いですよ。あれ?、ということはあなた方も悪い・・。あれあれ、自分から自分の宗教の資金集めを悪いとお認めになるなんて、いやすばらしい!」
でも、これはオウムたたきの答えにはなりません。ついでに、仏教たたきにもなっちゃてますから・・。
 あのオウム報道には、宗教関係の専門家がコメンテイターとして出演していました。その中に、現在、ザ・ワイドにレギュラー出演している有田芳生氏もいました。私は加熱するオウム報道に彼が警鐘を鳴らす役を演じると信じていました。彼は最初統一教会(桜田淳子ら数名の有名人が合同結婚式をして有名になった)が問題になったときに、コメンテイターとしてワイドショーに出てきました。この時、ワイドショーの司会者が有田氏に「なぜ、統一教会に興味をもたれたのですか?」と質問したのですが、彼は「霊感商法などで問題になっている、統一教会ですが、一体そんな怪しい宗教にどんな人間が入信していくのかを調べました。すると、これが実に純粋で普通の人たちばかりなのです。どうしてこんなに純粋な特に若者達が入信するのか、そこに興味を持ったのです。」(昔のことなので正確な答えは覚えていません。意味的にこんな感じです。)と答えました。私は、彼が「宗教には問題があるが、入信している信者一人一人に性格異常などの問題があるわけではない、マインドコントロールに諸悪の根源がありそう?」と言っていると解釈しました。したがって、「オウムたたき報道」が、徐々に末端信者にも及び始めたとき、統一教会と宗教が違うとはいえ、きっとこのことを訴えて、末端信者をたたくことは意味がないと言ってくれると信じていました。しかし、残念ながら、彼は終始「オウムたたき」に相槌を入れるだけで、まさにワイドショーしてしまいました。その後その功績が認められてか、なんとワイドショーのレギュラーをつかんでしまったのですから、正直、がっかりさせられました。この記事を書く前に彼のホームページ有田芳生の今夜もほろ酔いを少しだけ見てみたのですが、新世紀カルトというページで、
私にとっていまではカルト(熱狂集団)に魅かれる若者たちの心情に強い関心がある。なぜ彼らが、という疑問はいまも、そしてこれからも生きているからだ。
と書いてるところを見ると、決して原点は忘れていないようです。だったら、世間受けする相槌だけでなく、自分の主張をして欲しかったな・・・実に残念です。
 ということで、私の考えは、屁理屈の塊で、辟易する方も多いと思いますが、よろしければ、お義理で下のブログランキングのクリックを・・・・・・。いや、失礼いたしました。

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コメント

彰之介さん、こんにちは!
オウム報道について、私が一番疑問に思っているのは、彰之介さんの書かれたこともそうですが、最初に松本でサリンを撒いた犯人にされた、河野さんに関してです。
あのとき、こぞって河野さん対する思いこみの記事を発信したテレビ、新聞、そして、取材に同調して彼を犯人に仕立てた近所の人たちは、ちゃんと、河野さんに謝罪したのでしょうか。
被害者であり、第一発見者でありながら、河野さんは、大変な苦しみに遭いました。
名誉回復までに、家族共々、つらい思いをされました。
まだインターネットのない時代だから、あれでも、まだマシだったのです。
今だったらどうか。
ひとたび疑いを掛けられたら、マスコミに追いかけ回されるのは勿論のこと、規制マスコミだけでなく、シロウトブログも、負けずに、叩くでしょうね。
間違いとわかっても、すでに、いろいろなことが発信されたあとです。
考えるとオソロシイ。
だから、マスメディアの報道、情報発信は、慎重にしてほしいと思っています。
これは、著名人のブログでも、同じだと思います。
そこに、付き合う人たちは、ネット上の仮の名前であっても、自分も同じ責任が伴うことを銘記すべきだと思います。

投稿: memoire | 2004/11/01 11:37

彰の介さんでしたね。
お名前間違えました。
大変失礼しました。お詫びします。

投稿: memoire | 2004/11/01 15:57

memoire様、コメントありがとうございます。
当時の報道を見れば、誰でも、河野さんが犯人だって、思いますよね。でも、決めつけ報道は改善されたのでしょうか。正直、変わってないような気がします。悪者は、悪者として決めつけられますよね。
みんな、たたきたいんですよ、いじめたいんですよ。そのねたを待っている。
ああ、いやな世の中です。

投稿: 彰の介 | 2004/11/02 00:56

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