無駄論的「信長の野望」
今回は、信長の野望の話ですが、「信長」の「野望」じゃなくて、光栄のゲーム「信長の野望」のことです。私がこのゲームに出会ったのは、大学生の時で、まだ初代ファミコンの時代です。友達がやっていたのを横取りして、はまってしまいました。
元々私は普通の男の子でしたから、小さいころから戦国時代には興味がありました。それなりに小説なども読んしマニアぶっていたのですが、全然マニアとはいえないと感じたのが、このゲームと出会った時でした。このゲーム、ご存知の方いらっしゃるかとは思いますが、誰か好きな戦国大名になって全国統一を目指すという単純なゲームです。そこにはいろんな大名たちだけでなく、家来の武将や、忍者、伝説の人物も出てきます。今のゲームはかなり複雑化してしまったのですが、基本的に各武将は政治力、戦闘力といった基礎データが決められ、個性が現れるようになっています(ゲームのシリーズによって呼び方やパラメーターの数が変わります)。例えば羽柴秀吉なら政治力90、戦闘力70ってな具合です(数字は適当です)。
私は、一番最初、毛利元就で全国統一にチャレンジしました。戦国マニアぶっていた私なのですが、やり初めからあれっ?て感じ始めました。毛利元就の基礎データが高いのは言うまでもありませんが、見知らぬ武将でもやたらと基礎データが高い人物がいます。まず、小早川隆景。この人政治力は大変高く、戦闘力も並以上です。それから吉川元春、この人はどちらかというと戦闘力のほうが強いですね。清水宗治っていう人も戦闘力が高かったです(最近のシリーズではやや評価が低いかな)。毛利と名のつく人では、毛利隆元って言う人がいますが、これがあまりぱっとしない。中の中から上というところでしょうか。毛利元就でやってて最初に攻めたのが山陰の尼子家なんですが、ここには山中鹿之介というこれまた戦闘力、政治力ともに高い人物が出てきます(最近のシリーズでは政治力が低く設定されています)。さてさて、戦国マニアと思っていた私も今上げた5人すら誰なのか良く分かっていませんでした。この能力の高い人物たちが気になってしょうがない私は、本やら小説やらいろいろ読みまくりました。そしていつの間にか、日本でも毛利研究の第一人者・・・のわけありませんが、やっとマニアの端くれといってもらえるくらいの知識を持つに至ったのです。
ということで、皆さん上の5人どんな人たちかご存知ですか?。今となっては、戦国マニアの端くれの私にとって基礎中の基礎です。ただ、マニア以外の方はあまり聞いたことない人物なのではないでしょうか。ところで、毛利元就といえば「三本の矢」の話が有名です。子供たち三人に、一本一本の矢は簡単に折れるが、三本まとめると折れないということから、兄弟の結束を訴えた話です。この三兄弟が、(毛利)隆元、(吉川)元春、(小早川)隆景の三人です。苗字が変わってるのがミソで、元就が謀略で吉川家と小早川家をのっとり息子に継がせたんですね。毛利というと関が原の合戦の西軍の総大将(大阪城から動かなかったんですが)の毛利輝元が思い浮かびますが、あの方は隆元の子供、元就の孫に当たります。清水宗治あたりをご存知の方は相当な戦国ファンかと思います。秀吉の中国征伐のとき、備中高松城の水攻めってのが有名なんですが、その高松城の城主が清水宗治です。落城寸前で本能寺の変が起こり、秀吉は和睦を考えるんですが、この高松城の城兵を助ける代わりに城主の切腹を要求し、水攻めで出来た湖上の舟で切腹してはてたんですね。山中鹿之介は、滅亡した尼子家の再興を何とか実現しようと奔走した人物で、三日月に「願わくば我に七難八苦を与え給え」祈った話は有名らしくて、昔の教科書に載ってたらしいです(無駄な知識は無駄なのかにちょっとだけ書いています)。マニアのマニアたるゆえんは、こういう知識をひけらかすことにあるわけで、本当はそれぞれの人物のエピソードをつらづらと書き連ねたいのですが(笑)、紙面の関係上割愛させていただきます。要するに言いたかったことは、ただのゲームから私はマニアになってしまったということです。ゲームといって侮るなかれ、いついかなるきっかけで、物事にはまっていくかは全く予測がつきませんね。
そんな、マニアの私が、観光で錦帯橋が有名な山口県岩国市を訪れた時のことです。かなり雨が降っていて、雨宿りのつもりで小さな資料館に入りました。「吉川史料館」というところです。お客さんは数人しかいません。雨が上がるまでの時間つぶしに・・・なんて思いながら館内を歩いてたんですが、これがまたとんでもない穴場でした。なんと、上で紹介した吉川元春と山中鹿之介が使っていた兜が展示してあるじゃないですか。山中鹿之介の兜は三日月です!(HP参)。吉川元春が陣中で模写したといわれる太平記や、安国寺恵瓊(この方もマニアじゃないと知らない?かも)が「秀吉は偉い!」と天下人になるのを予言したといわれる手紙(完全に小説の世界です)の実物がおいてあったりと、恐ろしい史料館でした。まあ、マニアでないと、何も面白くないんでしょうが・・・。ちなみに数人しかいない客の一人が、「駅前の史料館はつまらなかったが、ここはなかなかえぐいな~」と興奮気味に話しているのを横耳で聞いて、「こいつもマニアだ」とほくそ笑んでいた私でした。
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コメント
ヒストリカリー・オタッキーな話題を楽しませていただいています。まったくどうでもよい余談ですが、知り合いにキッカワ家に嫁いだ人がいるんですよ。跡取りは今でも学習院出、件の資料館の管理が嫁の仕事となり(住まいは東京なのに)、結婚してから学芸員の勉強をしていました。税金対策だって彼女こぼしていましたっけ…。一応ナイショばなしのつもりです。
投稿: まーどんな | 2004/11/30 01:11
私の友人のやっていた「信長の野望」の信長は、一回も他国へ攻め入らず、領内の治世を安定させ、天寿を全うした・・・(爆)。
投稿: mia | 2004/11/30 06:17
まーどんなです。
前述のコメントは文末で触れましたように
>一応ナイショばなしのつもりです。
このコメントと一緒に破棄して下さって構いません。
投稿: まーどんな | 2004/11/30 08:44
まーどんな様、mia様、コメントありがとうございます。
まーどんな様、コメントはむしろ消した方がよろしいんでしょうか。できれば残したいんですが・・・。またコメントください。
mia様、その御友人は真の平和主義者だったのですね。私もそうありたいと思います・・・、でもゲームですけどね・・・。
投稿: 彰の介 | 2004/11/30 14:44
一旦書き込んだコメントの管理は彰の介さんにご一任します。
私としては、マナーに反することを書いたつもりはありません。判断はお任せします。強いて言うなら学校名ですが、これも「お殿様の家って今でも一族学習院っていうのがまだあるんだ…」が言いたかっただけですから。まあ、良しなに。。。
投稿: まーどんな | 2004/11/30 17:56
まーどんな様、コメントありがとうございます。
御知り合いにキッカワ家の方がいるとは本当にびっくりです。お殿様に嫁ぐというのも大変なことなんですね・・・。私には無縁の世界です。たぶんですけど。
投稿: 彰の介 | 2004/11/30 18:40
こんにちは!
私も「信長の野望」好きでした。
私は、某コバルト小説の影響で、専ら上杉でやっていましたが(笑)
確かに戦国武将の半分以上は知らない人物で、大河ドラマとか見て知識の補完をしていました(苦笑)
それが、「三国志」(ゲーム)になると、学生時代にハマって読みあさったせいか、あらかた武将名がわかるんですから不思議です。(笑)(でも、今はもう大半忘れた)
人間好きなことへの知識欲は旺盛なんですよねえ。
ちなみに、三国志好きが高じて高校生の頃に岩波文庫の史記列伝読んでいました(^_^;)
投稿: こに | 2004/11/30 20:53
こに様、コメントありがとうございます。
こに様は上杉派ですか。結構上杉派と武田派に分かれるんですよね。私は武田かな?、川中島で合戦しますか?、いやいや、私平和主義でした・・。
あと、三国志もやってました。三国志含めて私も中国史ファンです。潜水艦はいただけませんが・・・。
投稿: 彰の介 | 2004/11/30 21:29