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2004/12/30

お年玉プレゼント!

 プレゼント企画第二弾、今年一年(7月からですが)当ブログ「彰の介の証言」をご愛読いただいた皆様へ感謝の念を込めまして、「クイズに答えてお年玉プレゼント」を企画いたしました。
 下記クイズの正解者の中から、な、なんと2名様ウェブマネー2000円分をプレゼントします(メールにて番号を通知します)。ぜひご参加ください。
 
 応募資格:たまたまこのページを見た方なら誰でもO.Kです(二重応募は禁止です)。
 応募方法:このエントリーにクイズの答えをコメントしてください。メールアドレスの記入をお忘れなく。ついでにこのブログの感想なんかも付け加えていただくとうれしいです。
 応募期間:このブログは12月30日から1月3日までお休みいたします。その間にご応募ください。1月3日の午後7時ごろだと思いますが、私がこのブログを見たときに応募終了のコメントを入れますので、そこで応募は終了です。
 抽選方法:応募者が2名以下の場合は、答えが間違っていても、もれなくプレゼントいたします(笑)。正解者が2名以上の場合には、厳正なるあみだくじを当方にて施行し、当選者を決定いたします。
 正解発表:後日ブログ上のエントリーとして正解及び当選者を発表します。

さて、それではクイズです。私、彰の介の職業は次のうちどれでしょう。
a.やぶ医者  b.歯科医師  c.獣医
ちょっと、難しすぎるでしょうか(笑)。ヒントは、プロフィールページを参照してください。それでは、皆様の多数のご応募をお待ちしております。皆様、よいお年をお迎えください。
(あと、ご応募後に、ぜひとも、下のブログランキングの方もポチッとクリックお願いします。)

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2004/12/28

箱根駅伝問題

 正月の風物詩といえば「箱根駅伝」です。正式には東京箱根間往復大学駅伝競走というんだったと思います。駅伝競走も数ありますが、この箱根ほど面白く、ドラマのあるレースはありませんね。
 この、箱根駅伝の面白さはどこから来るんでしょうか。やはりその距離にあるでしょう。各区間(5区間の往復)20km前後の距離があり、エース区間といってもそれほどの距離差はありません。また、その距離の長さゆえ、強い選手がブレーキになったり、途中で足を痛めて歩き出したり、中継所近くで意識が遠のいてしまう選手が出るなど多くのドラマがあります。その過酷さが我々に感動を生むんですね。しかし、この箱根駅伝、実は多くの問題を抱えているということをご存知でしょうか。私の知る問題点を挙げてみましょう。
 まず、その知名度と、人気からは想像もできませんが、箱根駅伝はただの「ローカル大会」だということをご存知でしょうか。主催は関東学生陸上連盟であり、関東近辺の大学しか出場資格がないんです。中部、関西、九州などの大学は出たくても出られません。大学駅伝といえば出雲と伊勢路と箱根とが三大大会といわれ、最初の二つの大会が箱根の前哨戦で最期の箱根駅伝が本番みたいな印象もうけますが、実際は、前二大会が全国規模のいわば日本一の大学を決める大会であり、箱根駅伝は一地方大会なのです。しかし、最近ではまさにこの前哨戦、本番の構図がはっきりしてきました。それは、陸上長距離の有望選手が箱根に出場できる関東の大学にこぞって入学するからです。ですから、駅伝に関する限り東高西低は明らかで、出雲と伊勢路で関西勢が活躍することはほとんどありません。
 しかし、これだけの面白いレースなのに、どうして全国へ開放しないんでしょうか。それはもちろん、今まで関東学連でやってきたという誇りがあるのも事実でしょう。しかし真実の程はわかりませんが、おそらくこれだけ全国区になった大きな大会であり、よその地方に出場枠を取られるのが嫌という気持ちがあるのでしょうし、また関東の各大学にとっても選手というか学生を集めるいい口実を失うことになるのが嫌なんでしょう。おそらくそのあたりの利権構造を壊されたくないという思惑が問題なんだと思われます。
 しかし、そんな批判は、私が考えるまでもなく、インターネットで調べるとこんな記事が、本年一月書かれていたようです(箱根駅伝批判(1) 箱根駅伝批判(2) 箱根駅伝批判(3))。これらの記事を読むと、私が考えていた、出場枠に関する問題も同様に論じられていますが、その他にも、「箱根症候群」としてその過酷さゆへの選手の故障問題、箱根が終わると選手生命も終わってしまうという燃え尽き問題等を挙げています。また、私は冒頭で、ブレーキや故障など、それがドラマであり感動だなんて無責任に書きましたが、そうなった選手の多くが、リベンジどころか立ち直り不能になるというんです。そう考えると我々は、テレビの箱根駅伝の中継をかなり煽られながら見させられているということになりますね。また、テレビの方は視聴率のために大学生選手を箱根で使い捨てているともいえそうです。
 これらの問題を考えると、さすがにこの箱根駅伝も構造改革したほうがいいのではないでしょうか。伝統を一旦切り捨てて、全国の大学への開放と距離短縮(区間数の増加)が必要ではないでしょうか。それによって、有望選手の拡散と、出場選手の増加がおきれば、無理な過当競争の減少と練習及び本番での負担減少につながると思います。まあ、正直どの世界でも、この伝統を捨てるということと、利権を放棄することほど難しいものはないとは思うんですが・・。この「箱根症候群」に関しては順天堂の沢木先生(現陸連強化委員でしたっけ)が警鐘を鳴らしているというんですから、ぜひ身内から改革をして、将来につながる選手育成のための箱根駅伝の実現をしてもらいたいものです。いずれ、箱根駅伝優勝旗が文字通り「箱根越え」する日が来るのを待ちたいと思うしだいです。

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2004/12/26

無駄論的血液型論争

 最近、テレビ番組で血液型をテーマにした番組が多く放送されています。A型は几帳面だとか、O型は社交性があるとか、そんな性格分類をテーマにしているようです。一方で、血液型で人の性格を固定して差別するのはよくない等こういった放送に対して苦言を呈する人も多いようです。最近の番組では、「あくまで傾向です」とか、「今回の調査ではこうなりました」とか注釈が入ってますね。
 さて、私は、職業柄やぶ医者をやっていまが、無論、やぶ医者とはいえ科学者の端くれであり、こんな科学的根拠のないものは全く信じておりません・・・・。と、言いたいところなのですが、あまりにも私の行動は、言われている血液型の性格分類にぴったりなので、信じざるを得ないというのが本音です(笑)。もしかすると、血液型によるある程度の傾向というものはあるのではないでしょうか。科学的根拠がないというのはよく科学者が言う言葉ですが、関係ないと証明しているわけではないですから、逆に関係ないと決め付けるのは科学的根拠にかけるというものです。やはり大規模な統計調査をしないとわからんでしょうね。まあ、そうは言っても、性格なんて複雑なものですから、もちろん「傾向」に留めるべきで、「A型は~だ。」などと決めつけるのはやっぱりダメでしょうね。
 そんなことで、私の血液型を伏したまま、私の行動パターンをお話します。私の血液型の類推をしてみてください。たぶんあまりに簡単なので、笑っちゃうと思います。
 昔の給食を思い出してみました。食パン2枚にジャムが1つ。一枚目の食パンを食べるとき、ジャムはきっちり半分だけ使ってました。一枚目を食べ終わるときは牛乳も半分なくなっている。全体が同量づつなくなっていかないといやなんですね。まあ、普段の食事も同じで、おかずが半分になったときは、ご飯も半分で、お味噌汁も半分になってますけど・・・。
 みんなで入った焼肉屋の風景を考えて見ましょう。まず、誰かが「カルビ5人前と、ロース5人前と、タン5人前と・・・」なんて言い出そうものなら、「おいおい、そんなに食べれるか?、余ったらやばいし、追加すればいいんだから、2人前づつくらいで頼もうよ」なんていうでしょうね。さて、肉が運ばれ、さあ、焼き肉開始。そんな時誰かが、適当に運ばれた順で焼き始めたら、「おいおい、いきなりカルビ焼くなよ。最初はタンにきまっとるやろ」って言うでしょう。そして、私が焼くからといって、焼き係にならせてもらいます(笑)。焼けたら私がお肉をタレのお皿までお運びいたします(笑)。もし4人で食べに行ったとしたら、4枚づつか8枚づつなど、人数分しか焼きません(笑)。私は適当に何枚も焼いて、誰も食べなくてお肉が黒焦げになってしまうのが許せないのです。網は、焦げ付いたらこまめに変えてもらいます。これ、当然です。
 旅行に行くときを考えてみました。行き当たりばったりで失敗するのはいやなので、計画は綿密です。電車で行くとしたら、時刻表でこの電車に乗って、次にこの電車に乗ってって感じで乗り継ぎがうまくいくように計画します。車だとすると、あらかじめ道はちゃんと調べます。最近こそナビがありますから、道を調べることもなくなりましたが。食事の場所もある程度計画しています。旅先々で、いろんなおいしそうなものをちょこちょこ食べ歩くのは楽しいものですが、例えば夕食はあそこの店って決めてるわけですから、そこにいくまでにおなかいっぱいにならないように、ちょこ食いは制限することが多いですね。これが旅行してる仲間には相当に不評です。
 どうでしょう。だいたい私の血液型がわかったでしょうか。つい最近の血液型番組で、「キレやすい血液型」ってのもやってました。私は、そう簡単にはキレません。なんか腹立たしいことがあっても何も言わず「ためる」タイプです。しかし、堪忍袋の緒が切れると「大爆発」するタイプですね。これが他の血液型の人にいわせると、突然何を怒りだしたのかわからないとか、そんなに怒っているんだったら、我慢せず早めに言ってほしかったいう話になるらしいですね。自分としては、以心伝心で、我慢していることや気に入らないことをされているってことをアピールしているつもりなんですね。でも、全然伝わっていない。口に出して言わないから当たり前なんですけどね。私は被害妄想系の人間ですが、これも血液型に関係してるかもしれません。人が自分のことをどう思っているかが異常に気になりますし、そんなに悪く思われていないのに、自分の中で勝手に悪い方へ増幅して自分を追い詰めちゃうんですね。今まで、このブログを見てて頂いた方には、そういえばあったなあ、なんて思い当たるふしがあるのではないでしょうか。
 ということで、私は巷で言われている典型的な?型の人間です。私としては、細かいことは気にしない、おおらかで社交性のある、または、他人はどうあれ、わが道を突き進むっていう性格に生まれたかったなと思います(笑)。もしかして骨髄移植して血液型が変わったら、性格変わるのかな?。うむむ、こんなこと書くと、お前本当にやぶ医者か?って怒られそうですが・・・。皆さんは血液型による性格分類をどんな目で見ているのでしょうか。
 
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2004/12/25

旬のハイビスカス3

 今週は異常に忙しい週で更新どころか、コメントのお返事もママならない状況でした。そんなことで、再開のクリスマスに、真冬といえばハイビスカス?、我が家のハイビスカスの三度目のお披露目です(旬のハイビスカス?旬のハイビスカス2)。現在、二輪咲いております。冬のハイビスカス?と、夏のハイビスカスの大きな違いは、花の大きさが小ぶりなことと、いやに花持ちがいいことです。夏はせいぜい咲いていても2日で、ポロッと落ちてしまいますが、冬咲きは3~4日咲き続けています。
DSC00359
 花芽もまだまだたくさん付いています。このまま、真冬に咲き続けるんでしょうか?。そろそろ、花芽は落ちちゃうんでしょうか。そう思うと、部屋の中に置こうかな?と思ったりもするんですけど、そうすると、またこのハイビスカスたち、季節を間違えるだろうし(そもそもは冬に暖かい部屋に入れたことで冬咲きになっちゃったという経緯が・・・)、正直言うと置き場所ないし・・・、困っちゃいました。やっぱり、中途半端な暖冬がいかんのでしょうかね。そこらじゅうで桜が咲いてるらしいですし、偕楽園の梅も咲いたそうですし、まあ、ハイビスカスの一つや二つ、咲いてもいいか・・・・。花も飼い主に似るというし・・・。偏屈・・・・。あまのじゃく・・・・。ああ、ハイビスカスが屁理屈言い始めたらどうしよう?。

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2004/12/21

NHKはどこへ

 12月19日放送のNHKに言いたいを、残念ながら見ることはできませんでした。NHKの不祥事に伴う支払い拒否問題に関しては、私として3回ほど、ブログにしてきました(NHK受信料支払い拒否のこと民放もただじゃないNHKは不要?必要?)。そんないきさつもあって、今回の番組の中で一体、どんな反省が、対策が、出されるのかと思っていたのですが・・・、どうもブログ上の番組に対する記事を流し読みすると、残念ながら火に油を注いだ感がありますね。ますます、支払い拒否が増えそうだというので、極めて残念でなりません。
 あくまで、ブログの流し読みなので、推測に過ぎませんが、この番組が反省というよりも、「NHKの言い訳番組」になってしまったようですね。まあ、正直言うと、いかなる反省番組を流そうが、土下座をしようが、結局は非難ごうごうになることは目に見えていました。だから、よっぽどのことを提案するんだろうと思ってある意味期待していた私は、ちょっと、NHKの会長はじめ、そのお役所体質をなめていたのかもしれません。
 それにしても、会長は、この支払い拒否の問題をどう思っているのでしょうか。まさか、たった十数万件の支払い拒否ぐらいでは、収入にそれほど影響しないなんて思っているのではないでしょうね?。私は今まで、テレビを見るほうの立場から、支払い拒否の意味を考えてきました。普通に私の記事を読まれれば、それはNHK擁護にも思われたかもしれません。しかし、NHK側の立場で考えた時、話は全然変わってきます。支払い拒否は制度の根幹を揺るがすものであり、相当な覚悟でことに臨まなければ、NHKはつぶれてしまいます。したがって、今回の番組は、その支払い拒否を超えるほどの問題意識をもっているのかどうかが問われていたと思います。そのためには、いかに自らの身を削るような対策が打ち出せるかにかかっていたとは思うんですが、会長自ら保身に走るようではうむうむ、必死に視聴者側の意識改革を試みようとした私は一体なんだったのでしょう。
 そうは言っても、私の「支払い拒否は筋違い」という気持ちは変わりません。しかし、なんとか、NHKのお役所根性ヤローたちに意識改革を迫らなければ私の立場もなくなってしまいます。そんなことで、対策を考え中ではありますが、とりあえず、あざらしさんの提唱する「紅白歌合戦視聴拒否」に参加を表明したいと思います。これは、もちろん私が見なかったからといって、視聴率が下がるわけではありませんが、参加することには相当な意味を感じます。すなわち、番組を作っている現場の中からの改革が期待できそうだからです。まあ、どこまでの影響があるのかわかりませんが、良質な番組を作っている現場から、腐っているお役所体質を突き崩して欲しいものです。
 さて、今朝の民放の情報番組等がこのNHK問題を取り上げていたのですが(全てを見たわけではありませんが)、これがまた、全くの「ひとごと報道」であり、ここぞとばかりの「批判報道」だったのにはちょっとおかしいのでは?と思いました。NHKは公共放送だから起きた問題で、まさか自分達民放が批判されているという意識はないんでしょうし、もちろんテレビ視聴者も、民放を批判しているつもりはないでしょう。しかし、こういうときこそ「人のふりみて我ふりなおせ」だと思うんですが・・。民放もただじゃないで述べたとおり、民放こそ国民に支えられた放送です。民放だからどんなお金の使い方をしてもよく、民放だからどんな番組を作ってもいいなんて思っていると、近い将来何らかの問題を引き起こしそうで、危ういなーなんて考えてる私は、心配が過ぎるんでしょうか。
 また、お役所体質という言葉を私は連発しているのですが、本物のお役所のお役所体質は許されるんでしょうか。これはもちろん許されるわけはないですね。本当はこっちの方が問題だとは思うんですが、いずれ問題提起する時が来るでしょう。
 最期にNHKに一言、「腐るな!NHK!、生き返れ!NHK!」
 皆さんにも一言、「NHKは皆様の受信料で支えられております(大爆笑)」

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2004/12/18

亀様仏様!(宝くじを買った方へ)

 本日は宝くじ発売最終日ですが、買うのを忘れてしまいました。といいつつ、実は以前、宝くじに関しては、やや否定的な屁理屈をこねたことがあります(宝くじ論争)。宝くじは積極的納税ではありますが、考えようによっては、当たればいいんです。そして、宝くじを当てるためにはなんと言っても神頼みです。いかに神様に気に入られるか、それが問題です。そして、我部屋には、神からの使い「亀様」がおられます(神頼みされる神)。大変ありがたい神のお使い様でありまして、大事に育てております。本邦初公開、我が家の亀様であらしゃります。はい、合掌。DSC00356 
 

 



 

 最近運がないなあとお感じのあなた、宝くじを買って一攫千金を夢見るあなた、ぜひ画像をクリックして大きくしてご覧ください。あまりにもありがたすぎて、お隠れになられております。毎日拝めば、きっといいことがあること間違い無しです。私もサマージャンボ宝くじで、300円の当たりくじを出しました。運気をさらにアップするためのお賽銭も常時受け付けております。それでは、皆様のご多幸をお祈りいたします。

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2004/12/16

経済制裁反対は非国民?

 どうも世論は北朝鮮に対して経済制裁をしようという雰囲気で満ち溢れています。ということで、今まで北朝鮮問題には触れてこなかったので、私の意見を恐る恐る述べたいと思います。
 それにしても、北朝鮮は何で他人の遺骨をわたしたんでしょうか。ばれたらどうしようとは思わんのでしょうか。本当によくわからん国です。最初こそ、金正日自身が謝罪して、事実関係を認めるという超ウルトラCを出しましたが(あの時あそこまですると予想したのは日本中に誰もいなかったでしょう)、その後は、気持ちを逆なでするものばかりですね。そこで、経済制裁をしようということに世論が傾き、75%の国民が賛成しているということです。
 私は経済制裁に賛成か、反対か、どちらかと聞かれれば、個人的には賛成だが、国として実行するには現状では問題があると考えています。早速、この記事のタイトルどおり、お前は非国民か!といわれそうですが、まあとりあえず、その問題ってところを聞いていただきたいと思います。
 北朝鮮へ経済制裁をした場合、北朝鮮は死ぬほどのダメージを食うと専門家がテレビ等で話しています。もしそれが正しいとすると、死ぬほどのダメージを食う北朝鮮は、経済制裁されても何もせずにただ見ているだけなんでしょうか。日本にとって最高のシナリオは、経済制裁のダメージから、現政権の求心力が急速に弱まり、反対勢力により一気に体制が変わるってことでしょう。これいいですね。日本は痛くも痒くもない大成功のシナリオです。しかし、最悪のシナリオも考えなくてはなりません。このままでは国がつぶれると判断した金正日が日本に攻撃を仕掛けてくるかもしれないというシナリオです。ミサイルを打つか、核爆弾を打つか、テロを仕掛けるか、それはわかりません。とにかく程度はともかく日本人に犠牲者がでるかもしれないという事態がおこり得るということです。
 ところが、この最悪のシナリオを唱えることに自体に実は問題があります。自民党の安倍晋三さんのテレビでの発言です。安倍さんは、そもそも経済制裁をしたからといって、北朝鮮が日本に戦争を仕掛けるなんてことはないと言っています。理由は、戦争を仕掛けた瞬間に、アメリカから攻撃を受け、政権を保てなくなることを金正日自身がよく知っているからだといいます。そして、仕掛けられるはずのない戦争をあたかも起こるかのように言い、経済制裁をしないようにする動きはまさに北朝鮮のためにしていることだと言うのです。このあたりテレビだったので、正確な言い回しを忘れてしまったことはお断りします。しかし、聞いていた私は、最悪のシナリオなどを唱えて経済制裁の危険性を言うような人間は、まるで北朝鮮の回し者=非国民といわんばかりで、びっくりしてしまいました。つまり、私は上で最悪のシナリオを唱え、その危険性についても語ってしまいましたから、もうすでに非国民です。戯言を言うやつは非国民、非国民の言うことはもちろん戯言。そして戯言を聞くやつも非国民。そんな理屈でしょうか。
 北の暴発の起きる確率はおそらく低いとは思われます。しかし、安倍さんが言うように、0%というのはどうなんでしょうか。なにしろ他人の遺骨を渡してバレないと思ってた国ですよ。むしろこんな国が次にどんな事態が起きるかなんていちいち考えて行動するとは思えませんね。切羽詰ったとき、国民の士気高揚のために「東京を火の海にする」という選択肢が選ばれる可能性はないんでしょうか。細菌兵器でも使って日本を混乱させてやろうなんて指令は出ないんでしょうか。確率はわかりません。1%なのか、0.1%なのか、もっと低いのか・・・、しかし私は決して0%とは考えられません。太平洋戦争の原因も経済制裁だったという専門家もいます。ですから、そうそうたやすく経済制裁というのは反対だといっているのです。なんとなく経済制裁というと非暴力ですし、自分の命が危うくなるかもというイメージは抱きにくいものです。ですから、国からリスクの説明があり、国民にそのリスクに対する覚悟が世論として形成されたときに行うべきではないのでしょうか。とても現時点で、そのリスクを正確に理解している人が多数とは思えません。私が経済制裁に反対というのはこのステップが踏まれていないという意味です。個人的には、私自身が殺されてでも経済制裁は行うべきという覚悟を固めつつあるところです。もちろん、自分が危険にさらされてまで経済制裁をしないで欲しいという意見があってもしかるべきで、非国民とは思いませんが・・・。
 ところで、北の暴発などという最悪のシナリオを唱える人間は非国民だから、暴発率0%だという理屈が正しいか正しくないかは皆さんがご判断ください。個人的には、政治家の立場で経済制裁行うべしと思うのなら、「リスクをとってでもやりましょう」と国民に覚悟することを訴えるべきだと思いますけどね。拉致被害者の家族会の方は、拉致された家族が殺されるかもしれないというリスクをとると表明しています。同じように、国民の側も、リスクをしっかり理解したうえで覚悟するべきであり、経済制裁すれば、ぐうの音もでず謝ってくるなんて甘く考えるのは危ないのではと思ったしだいです。

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2004/12/14

明智光秀にきまっとる!

 ココログでいろいろと新コーナーが立ち上がっていますが、なんでも百選 | お題:こいつに天下を獲らせたい! 日本の戦国武将百選なんていうお題があるじゃないですか。すかさずトラックバックさせていただきます。というか、戦国ネタは、 無駄論的織田信長様や、無駄論的「信長の野望」で語らせていただいております。この、織田信長様の記事とほとんどダブるのですが、改めて、明智光秀に天下を獲らそうと考えたしだいです。それにしても、このお題、「天下を獲らせたい」と、過去形でなくて現在形というか未来形なのが気になりますが、もしかしてお題の意味が違ったらごめんなさい。まあいいですよね。
 さて、いきなり戦国マニアの方にはまず最初に突っ込まれそうなのが、「明智光秀はちゃんと天下獲ったじゃないか、このエントリーは無効だ!」というご意見。ふむふむ、確かに、三日か、十日か知りませんが、天下獲ったような、獲らなかったような・・・。まあまあ、そこのところは目をつぶってもらって、後世、明智光秀は「主殺し」の代名詞にされた可哀想な人なんですから許してやってください。さらに、多くの戦国武将と比べて、「本当に天下人の器があったんか!」と厳しく問われそうですが、正直言うと無かったでしょうね(笑)。オイオイ、いきなり、お題の否定してどうするのって言われそうですが、とにかく私は明智光秀というマイナーを応援したいのでこれまた勘弁してください(メジャーマイナー論参照)。
 私の最も強調したいところは、織田信長が死んだ時期なんですが、極めていい時期に死んだと考えています。歴史上、時代を切り開いた独裁者は大抵、老害で無駄な血を流すものです。豊臣秀吉も日本史上に輝く人物ですが、秀次の関連の人物をすべて殺してしまったり、朝鮮出兵したりと後年は暗い話題ばかりでした。さて、信長なんですが、あのまま天下を獲っていたら・・と考えると、いろいろと老害を出しまくったのではないでしょうか。特に私があやしいと思っているのは、自らが天皇になったのではないか、という疑念です。足利義満も、豊臣秀吉も、徳川家康も、中国の王朝に対して自らを日本国王といってはばからなかったわけですが、といって、天皇家の系統をつぶすなんて事はしませんでした。自らその権威に乗っかって利用しただけですね。というか、やっぱりその権威には勝てなかったわけです。しかし、こと、信長さんはわからんですよ。なにしろ比叡山焼いちゃった人ですから。まあ、それはほんの一例ですが、日本の伝統がぶっつり途絶えて、歴史はがらっと変わっていた可能性があったということです。ですから、私から言わせると、あの時期に誰かが信長を殺さなければいけなかったんです(強引)。あの時期に死んだことで、信長という人物は現在に至っても、戦国の英雄としてカリスマ視される結果となったわけです。あの時期、外部に信長に対抗できる武将はいなかったでしょう。そう考えると内部から、「主殺し」の汚名をかぶっても誰かがしなくてはならなかったのです。それがたまたま、明智光秀だったのではないでしょうか。でも、よく考えてみてください。戦国時代の主殺しってそんなに珍しいことじゃないんじゃないでしょうか。それなのになぜ、明智光秀がその代表にされてしまい、不当に悪者にされてしまったのでしょうか。それは、やっぱり、天下を獲った秀吉の大義名分が、主君の敵討ちだったからに他ならないでしょう。でも秀吉だって大義名分をいつか忘れてしまい、織田政権をのっとってしまったのに悪者扱いはされていないですね。これ全部、明智光秀が悪者ということにして自分のやったことは隠してしまったということではないでしょうか。ついでに、信長も、多くの悪行非道をしでかしてきたわけですが、明智光秀に殺されたことで、また子飼いの秀吉が天下を獲ったことでうやむやになっちゃったんですね。
 ということで、私が明智光秀に天下を獲らせたかったというのは、ただ、その不当な評価に対する反発という意味だけです(大笑)。だから、冷静に考えると、天下人の器は無かったような気がします(笑)。それで、私なりに「主殺しの汚名」を受けないですむ為のシナリオを考えてみました。天国の明智光秀さんへの説教です。

まずは、とにかく山崎の合戦は負けちゃいかん(大笑)。せめて、引き分けじゃないと(笑)。そうしたら、毛利と挟み撃ちって話になってたかもしれませんぞ。ついでに言うと、徳川家康も攻めてきただろうから、それにも負けちゃいかん(無理?)。なんとか1年、できれば3年、天下を保たんことには、あんたの主殺しの汚名は免れませんな(きつそー)。1年の間になんとか信長の悪逆非道ぶりや秀吉のこすいところを世間に広めて自分のやったことを正当化しんといかん。その後はたぶん誰かに戦で負けるだろうから(大笑)、それまで生きていてはいかん(笑)。何とか天下を保って3年後に病死するのがベストだな(大笑)。贅沢言っちゃ、あかん。あんたは現代じゃ、主殺しの代名詞だよ。天下人3年勤めて、そんな汚名をぬぐえるならいいじゃないか。そうだろ?。
 あほらしいお話でした。

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2004/12/12

NHKは不要?必要?

 NHKの不祥事に絡む、受信料支払い拒否問題について、 NHK受信料支払い拒否のこと及び民放もただじゃない(NHK問題続編)で考えてきました。私の見方は、かなり屁理屈めいており(笑)私らしかったかもしれません。しかし、肝心のNHK体質改善についての考察はありませんでした。その点、あざらしサラダさんの【NHK受信料支払い拒否について考える(2)】なんかは、しっかり問題提起されております。私の屁理屈とはくらぶべくもありません。といいつつ、今回も、「支払い拒否」ということが一体どういうことを意味しているのかという点につき再度考察してみました。
 そもそも、世間には「NHKなんか見ないのに何で受信料を払わなければならないのか?」という大命題があります。NHKを見ている人が、その対価を感じて払っているのであれば問題ありません。私は、それなりに対価があると感じていたので、過去のブログでそう発言していました。でも、これは本当に本心なんだろうか?と思い、極端なことを考えてみました。例えば、NHKがなかったとします。そして今お試し期間で、現在の放送が流されていたとします。今後も視聴したい方は月々1300円程お支払いくださいといわれて、あのNHKを視聴料払ってまで見るだろうか?という問題です。正直言って、良質な番組が多いことは事実ですが、敢えてお金を払ってまで見ないかもしれません。いや、見ないでしょう。それは、時々見たい番組はありますが、全てではありませんし、基本的に堅苦しいし、全然興味ないのも結構あるし・・・、やっぱり、あえて契約してまでは見ないでしょうね。おそらく、多くの方が同じ気持ちだと思います。さて、ここからいつもの屁理屈を始めます。
 そこで、「NHKを見る人だけ、受信料を払えばいい」という考えの方も多いと思います。要するにNHKの有料放送化ですね。別の言い方をすれば、現在のNHKそのものが不要であるというNHK不要論ということになりましょうか。そんなことを考えている時に私は、はたと気付いたことがあります。どうして、私はNHKに1300円ほどの対価を感じないんでしょうか。また堅苦しさ(民放のような明るさというか、おちゃらけた感じがない、まじめな報道番組が多すぎ等)を感じたのでしょうか。また、どうして、NHKは一部の人しか見ないような番組を作るんでしょうか。全くとは言いませんが、NHKには視聴率という概念がないのでしょうか・・・・・・・・。いやいやいや、これはまったく反対だと気付きました。NHKは視聴率に左右されるような番組作りをしてはいけないんです。民放はスポンサーのために、基本的に視聴率の稼げる番組作りしかしません。というか、スポンサーが付かないので、視聴率を取れない番組は作れないんですね。逆にNHKは、スポンサーがありませんから視聴率に関係なく、良質の番組を作ることができます。NHKの最高傑作(と私が勝手に決め付けている)「映像の世紀」というシリーズがありました。ものすごい番組でしたが、さて、視聴率がよかったかどうか?(データは持ち合わせていませけど)、傑作だからといって、20%、30%稼げたということはなかったでしょう。言いたいのは「視聴率のいい番組のみがいい番組」とは限らないということです。NHKが視聴率だけを考えていたら「映像の世紀」のような極めて良質な番組は生み出されなかったはずです。無論あんな番組は、民放からは生み出されるはずがありません。つまり、NHKの有料放送化のような、「スポンサー(視聴者)のニーズに合わせる」という仕組みでは、ああいう誰のためともいえない文化としての番組は作れない理屈です。
 もう1つ、NHKは文化・スポーツ等を主催、後援しています。しかしこれがまた民放と比べると随分人気のない(視聴率が取れそうにない)ものにも手を出しています。例えば、私は将棋が好きですが、将棋番組はNHKとテレビ東京系の2つしか放送していません。将棋のプロ棋士や将棋ファンにとっては、NHK杯という棋戦を主催しているNHKはありがたい存在だと思いますが、国民の大多数であるところの非将棋ファンにとって、何のメリットもありません。しかし、将棋という文化に対する貢献は計り知れません。これも視聴率が全てで、スポンサーニーズであれば決してできないことでしょう。
 結論として、受信料を取っているNHKは、公共放送として、視聴率に左右されない良質な番組を作ることが課せられた使命だということに気付いたわけです。逆に言うと、NHKなんて全然見ないという人のために、何とか見てもらおうという努力も必要ありません。淡々と良質な番組を作り出せばいいんです。 現実には、NHKも相当に視聴率は気にしてると思います。紅白の視聴率で会長の首がうんぬんされてますし、最近はバラエティ番組やお笑い番組も増えました。民放も必要な場合、視聴率無視で公共的番組を流すこともありますし、決してスポンサーニーズオンリーではありません。私は、ここまでで書いたようなNHKの役割を考えてみると、民放だけにテレビ番組を任せることは、番組の質の低下や、スポンサーによる報道の操作が起こる可能性があり、大変危険だと感じます。また、文化事業のことも考えるとやっぱり現在の規模の公共放送は必要だと考えています。
 しかし、これが、税金でまかなわれる国営放送であれば、残念ながらお役所仕事ですから、番組の質の低下が起きると思います。受信料方式でも、半お役所であることは確かで、今回の不祥事に限らず、多くのお金の無駄使いや不明瞭な会計処理があるでしょう。今回の対応はあまりにもお役所過ぎました。しかし、番組を作るということに関しては、上で書いたとおり、腐った組織とは思えません。それはやはり「受信料でまかなわれている」ということが番組作りにはいいプレッシャーになっているのでしょう。視聴率は無視できると散々言ったことに矛盾しますが、視聴者への責任を感じずにはいられないはずですから。私は現在の受信料方式に改良の余地があるとは思いますが、基本的に継続すべきだと考えます。
 さて、今回の不祥事に対してですが、私は、金銭に関するお役所性を排除、監視する外部組織をつくるしかないと思っています。ついでに、番組の質に関する組織も必要です(それらがあるのかないのか、知りません)。正直言えば、そんなのはNHKよりも本物のお役所の方が先だと思っていますが・・・。今回の問題は、私的にはNHKのお役所体質が問題の全てだと思っています。
 そこで、支払い拒否に関してですが、私は番組の質の低下は起きても、お役所体質の改善にはつながらないと思い始めました。体質改善の方法論は、現在のところは他者に譲ります(逃)。それは、支払わないことの正当性がなかなか見当たらないからです。NHKは見るけどお金払わないという方は、前回の 民放もただじゃない(NHK問題続編)で書いたとおり、ただの便乗未払いで、ポリシーのかけらもありません(ガ島通信:シマゲジとエビジョンイルでコメントしたんですが、後にまとめ払いするって言うんでしたら理屈が通りますし、もっとも筋が通った抗議かもしれません)。じゃあ、NHK見ない方はどうかというと、上に書いた公共性から、見ないということは言い訳になりません。私にとっても見ない番組はたくさんあるわけですが、だからといって料金下げろとは言えない訳ですから。ただ「NHK不要論」の方は確かに支払い拒否となるかもしれません。しかし、NHKは見ないからというだけで、NHKは不要というのは理由になりません。ぜひ、私が上で書いた、NHKの役割やメリットについて批判していただき、そんなメリットはない、だからいらないんだということを主張していただきたいと思います。その上で、支払いを拒否されてはいかがでしょう。
 
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2004/12/10

民放もただじゃない(NHK問題続編)

 前々回、NHK受診料支払い拒否のことで、受信料のことについて問題提起してみました。私としては、支払い拒否ということがなんか引っかかったわけです。私なりにこの2日間?いろいろ考えてみました。その結果であるところの私の考察を書きたいと思います。いろんなところで何度も言っていますが、免責のためもう一度、「正しいか、間違っているかはわからない」ということを前提とさせていただきます。
 復習しますと、私はこの件で3者を登場させました。一人目がNHK、二人目が支払い拒否者、三人目が支払っている人です。私は三人目であり、NHKへの体質改善を求める以上、支払ったうえで文句を言うという立場だと表明しました。この場合、筋は通りますが、NHKへのインパクトは弱いかも・・・、ということを問題としました。支払い拒否に関しては、極めてNHKに対するお灸効果は高いが、支払っている人に対しての負担の押し付け?払ってる人はばか?ということを問題としました。私もこう問題提起をしながら、何かがおかしい?何かがおかしい?と感じ、考え続けていました。そのおかしいところがやっと少しづつわかってきました。
 気付いたことを述べますと、多くの方が、NHKをはじめとして、電波で流れてくる情報や番組を、基本的にただだと感じていることです。電波には実物感がありません。それにアンテナを立てれば自然に受信できてしまいます。だから、ただだと感じるんですね。ついでに言うと、NHKは受信料を取りますが、民放は取りません。だから、余計にそもそもテレビなんてものはただという概念ができてしまったのでしょう。いや、概念ができたというより、意識もしていなかったといったほうがいいでしょうか。だから、そもそもただのものに、受診料というものを払っていること自体が疑問であったところへ、あの不祥事ですから、支払い拒否が起きたと考えられるのではないでしょうか。つまり、もともと払わなくていいただものに対して払っていたのですから、支払い拒否自体が罪にも問題にもならないという感覚です。この場合の罪というのは厳密な法的な意味での罪をいっているわけではありません。あくまで感覚的なことと考えてもらって結構です。
 実際にはどうでしょう。本当にこれらテレビからの情報や番組というのはただなんでしょうか。これはNHKのことを考えるよりも、民放のことを考えた方がいいかもしれません。民放の受診料はただです。じゃあ、民放の番組制作費は誰が出しているのでしょうか。それはもちろんコマーシャルを出している企業ということになります。じゃあ、企業はボランティアで、社員の給料削って提供しているのでしょうか。それならえらいと思いますが、実際には、商品の売り上げから出してるわけでしょ。ということは、商品の価格には宣伝費が上乗せされて含まれてるってことにはなりませんか。つまり、CMは商品が売れるように宣伝しているだけでなく、「民放の番組づくりのためのカンパ集め」になっているわけです。これは、民放を見ない人でも、テレビを見ない人でも、どんな人でも、何か商品を買ったとき「民放の番組制作費」を払わされてるということになります。もっと言うと、民放だけではありません。新聞はどうでしょう。新聞だって大量の広告があります。そのための費用が宣伝された商品に上乗せされているということは、新聞見ない人でも、いつの間にか新聞の制作費の一部を支払ってることになります。これは言い出したら、ラジオもそうですし、週刊誌のたぐいもそうですし、広告のあるものすべてです。ついでに言うと、このブログというか、ネットもそうでしょう。我々は、経済活動の中で知らない間にメディアに対して制作費を払い、その分安く、必要な情報や知りたい情報を得るための手助けをしていると考えられないでしょうか。(私は経済学の専門ではありませんので、実際間接的にいくら支払われているのかということはわかりません)
 もし、私の考え方に間違いがないとすると、NHKというのは知らない間ではなく、あからさまに受信料と言う形で番組制作費を得ているというだけではないでしょうか。別に特別なものではないでしょう。わけのわからない週刊誌の制作のためのお金も知らないところで取られてるんでから。ということで、要するに私の言いたかったことは、

「NHK、民放含めてテレビの情報や番組は決してただではない。NHKとその他のメディアは集金方法が違うだけで、メディア全体を国民が支えている」
ということです。私が抱いていた違和感はここにあったのです。読売新聞問題を考えてみてください。読売けしからんと思った人が、購読中止をしました。決して、「支払い拒否」ではありません。わかります?。新聞はとったまま、新聞からいろんな情報を得た上で、「金なんか払えるか!」といった人はいなかったでしょう。もし、NHKに対してお灸をすえるつもりであれば、読売のときと同様にNHKに対する不買運動ともいえる「視聴拒否」をすべきです。「支払い拒否」、すなわち、ただではないテレビの情報は得るけど、支払いはしないというのは、本来変な話じゃないですか。これはただの便乗未払いですね。一応、放送法上、NHKが見られる受信機があれば、契約を結ぶってことになってますから、テレビのアンテナ線を抜いて(ただNHKを見ないというだけでは通りません)、堂々と、受信料を払わなければいいわけです。ですから、今後もNHKを含めて、テレビを見るつもりの私は、その対価である受信料を払いつつ、不祥事に対して文句を言わせてもらいますし、今回の不祥事でNHKの存在意義を問題にされている方は視聴拒否運動をされてはいかがでしょう。
 私のこの屁理屈に問題があるとしたら、NHKの公共性を無視していることにあるでしょう。つまり、極めて公共性が高いメディアであり、その不祥事はNHKだけの問題ではなく、国民の問題であるということです。だから、私の屁理屈上は通らないはずの「支払い拒否」をしてまでも、それを正当化してまでも、体質を改善させるべきではないか?という議論です。これは程度問題のような気がしますし、正しいのか間違っているのか私には判断できないという要素がここに含まれているような気がします。ただ、公共性を言うのであれば、支払い拒否でお灸をすえる行為は、公共性とは逆のつぶす方向ですから、矛盾しているような気がしないでもありませんが、よくわかりませんね(逃)。
 長々と書いてしまいましたが、所詮私は、便乗未払いの汚名が嫌なだけなんですけどね。さらっと流してはもらえんでもんでしょうか・・・。もう遅い?。

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2004/12/07

ありがたいトラックバック

 トラックバックのことになると、残念ながら黙ってはおれません(笑)。このトラックバックの話題は1~2ヶ月の一度位、ブログのどこかで話題にされているような気がします。今回トラックバックスパムについてということで問題提起がされておりましたので、私も別の視点から一言述べたいと思います。
 以前週刊!木村剛の「トラックバック分類学」とは何か?というエントリーで、私のトラックバックもいろいろが紹介されました。おさらいすると、リンクのはられていないトラバを「一方通行トラックバック」、関連記事にあっちにもこっちにもトラックバックするのを「やたらめったらトラックバック」、全然関係ないトラックバックを「無関係トラックバック」、有名ブログに対する無関係トラックバックを「売名トラックバック」と呼んだわけです(その他オリジナル参照してください)。私はどちらかというと否定的な意味でこの記事を書いたのですが、意外にも、多くの方は、「ブログの最も大事な機能がトラックバックであり、基本的に無関係トラックバックでもO.K」というご意見でした。そして、あくまでトラックバックの管理は運営しているブロガーにあるわけですから、嫌だったら削除すればいいわけで、それは個々のブロガーの考え方次第、というご意見が多かったと思います。私は今のところ、無関係トラバの数もしれていますし、実害というものは何もないので、トラックバックは削除無しの「オールカマー(GII)」の方針です。
 しかし、悪質なトラックバックがあるもので、商品サイトへの誘導だったり、ランキングサイトへのクリックになってたりと、私が想定していたものとは比べ物にならないようなひどい行為が存在することを今回知るにいたりました。これは、先ほど多くの方のご意見として紹介した、「ブログの最も大事な機能がトラックバック」ということを根本的に覆してしまう行為とも言えます。ですから「個人的な無関係トラバくらいなら目をつぶっていたが、ここまでやられるとゆるさまじ!」といわれるブロガーさんたちも多いですね。そんな折も折ですから、こういったトラックバックスパムの取り締まりや追放運動に関しては、有力ブロガーさんにお任せします。
 へねくれものの、偏屈若年寄の、やぶ医者の私は、取り締まりや追放運動ではなくて、逆に本来のトラックバックのあり方を真に追求していきたいですね。私のトッラックバック分類には重要なカテゴリーが抜けていました。「空と海と大地とヒトと ~自然科学系」 さんに、私のトラックバック分類をBlognicationブログニケーション(blog communication)万歳!で紹介していただいたのですが、記事読んでみると、ちゃんとリンクもはっていただいているのに、私に対するトラバを無関係トラバ?でしょうかなんて書いてあります。いえいえ、とんでもない、ブログの片隅で無駄に記事を書いている私にしてみれば本当に「ありがたいトラックバック」だと思い、そうコメントさせていただきました。そう、私のトラバ分類には真のコミュニケーションのための本来の使い方をしているトラックバックに対するカテゴリーがなかったんですね。こういう真の使い方をしているトラックバックっていろんな意味で本当に強いと思うんです。だから、どうでしょう皆さん、スパム乱れ飛ぶご時世ですし、トラックバックとコメントをフルに使って、真のコミュニケーションツールとしてもっともっと、真のトラックバックを前面に出そうじゃないですか。要するに、トラバの良い点を「ありがたいトラックバック」でもっともっと引き出して、悪質業者のスパムに対抗しようっていうわけです。初めてコメントやトラバを受けたときの感動をもう一度思い出しましょうよ。あの感動のちからって並じゃないと思うんですよね。そんな感動を忘れて、スパムばかりに気がいってしまい、せっかくのトラックバックの機能の本質を見失ってしまったら、あまりにももったいないと思いませんか。だから何するかって言われると、「どんどん真のトラバと真のコメントをしましょう」としか言えないところに私の力不足を感じるのですが・・・。ダメですかね?。やっぱりやぶですかね、私・・・。
 まあ、へねくれものの私の意見を真に受ける必要はありませんし、これがスパムに対する解決策には全くなってないといわれればその通りだと思います。ただ今後も私は、99.99%の善良なるブロガーの皆さんとのコミュニケーションを、もっともっと楽しみたいと願うばかりです。

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2004/12/06

NHK受信料支払い拒否のこと

 NHKの経費不正流用事件で、逮捕者が出ています。人様から当たり前のように「受信料」という形で金をまき上げておきながら、それを番組のためではなく、個人的に懐へ入れていたらしいのですから話になりません。ニュースでも多数の苦情が寄せられていることが報道されています。
 そんななか、今回の不祥事を理由に、受信料の支払いを拒否している人が続出しているとの事です(そもそものNHK受信料の法的な問題については本家ホームページや、NHK受信料問題というアンケートページがありましたので参照してみてください)。NHKがひどいことをしているわけですし、説明も納得いかないものが多く、ある意味、受信料支払い拒否者が出ても当たり前といえます。ブログを含め、支払い拒否をすすめるページも散見されます。しかし、こんな動きには、個人的には違和感を覚えますので、いろんな方の意見を聞いてみようと思いました。
 
 私の問題提起には3者が関わってきます。一人目は、NHKのこんちくしょう、二人目が、受信料支払い拒否者、三人目が普通に受信料支払っている人です。
 まず、NHKには何も言い訳する権利はありません。あるとすれば今後消えてなくなる事は前提とされていないことでしょうか。
 さて、支払い拒否者ですが、彼らは、お金を払わないことで、NHKにお灸をすえています。こういう活動をする人がいないと、NHKがまた何をしでかすかわかりませんから、それなりに活動意義があるといえましょう。
 しかし、この行為は、普通に支払っている人たちから見るといただけません。支払い拒否が正当化されるということは、受信料を払うこと自体が「正直者はばかを見る」っていう話になってしまいます。声を出して文句言ったもん勝ちですね。そんなに文句があるのなら払わなきゃいいっていう人もいると思うんですけど、みんながお金を出さなければNHKがつぶれるって事になります。今、NHKのあり方に関して、いろんな意見をお持ちの方もいるとは思いますが、NHKをつぶすっていう議論までは行き着いていません。あくまで、存続が前提での支払い拒否は、普通に払っている人への負担増(場合により料金値上げの可能性もあるし、テレビ番組の質の低下という意味での負担増という側面もあります)を押し付けていることになってしまいます。ただ、だからといって、とにかく支払いなさいという雰囲気が漂うと、NHKは「何もいわれないんだったらまあいいか・・・。」ってまた不祥事を起しかねません。やっぱり最も効果的な問題意識の植え付けは、支払い拒否であることも確かなんですね。
 
 この、支払い拒否問題は、あくまで今回の不祥事に関係しての話ですが、そもそもNHKには「受診料未払い」の問題があります。NHK受信料問題を読んでみますと、月100億円、年間1200億円にも及ぶ受信料未払いがもともとあるようです。NHKの予算を調べてみると、6700億っていいますから、15%にもなります。この未払い者がいなければ、ちゃんと払っている人はもっと安い受診料で済むはずですし、もっと質のいい番組がみられるはずです(たぶん)。
 
 そう考えると、今回の受診料支払い拒否が「便乗未払い」だとしたら問題だとは思いませんか。でも、問題提起には欠かせない行動ですよね。皆さんはどう思われているのでしょうか。
 
 病院でも同じようなことがありますね。患者さんの中には外来などがやたらと混んでいてあまりに待たされると、怒って怒鳴りこむ人がいます。「一体いつまで待たせるんだ!!」ってね。スタッフはそんな患者さんが怖いから順番を前にしてしまいます。根本的には、患者さんを待たせる病院が悪いわけですが、文句を言うことによってその人だけが順番を前にしてもらって得をすることになります。何も言わず、いらいらしながらも黙って待ってる人は余計に(文句言った人の分まで)待たされるはめになります。一体全体、誰が悪くて、誰が正しくて、誰が損しているでしょうか。どなたか教えてください。

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2004/12/05

無駄論的算数はむずかしい~

 数学の問題といえば、私も出題しております。ということで、以下の記事を週刊!木村剛 :今日は数学の問題を出します!に、超おそだしトラックバックさせていただきました。(以上2月12日追加分)

 今回は、無駄論的算数のお勉強です。数字アレルギーのハクション大魔王のような方も、このページを開けてしまった以上、最期までお付き合いください(強制)。私個人は数学大好き人間で、大学時代に公式を作ってしまったほどですが(無駄論(序章))、テストの点はたいしたことありませんでした・・・。さて、私の甥っ子、姪っ子達が小学校に通う年頃になりましたが、その親であるところの私の姉が、この子らの算数教育に四苦八苦しているというお話です。

「10円玉が10個あるといくらでしょう?」
いきなり、難しい問題です(笑)。さすがにハクション大魔王のような方でも、この問題には「100円!」と即答できるでしょう。でも、これが子らにはこの「10円玉が10個で100円」という理屈がなかなか理解しがたいもののようです。それは、姉の10円玉を使った教え方を聞けばよくわかります。
「こうでしょ。10円、20円、30円、40円、50円、60円、70円、80円、90円、100円、ほら100円でしょ、何がわからないの?」
うむむむむ、確かにこれ以上の教え方はありません。10円が10個で100円というのは、いかにも10を10回たすという、算数らしい計算をしているようですが、実は、これ、暗記の問題なんです。ハクション大魔王でも即答できるのは、この問題に慣れているからに他なりません。つまりどんなに難しいクイズでも、一度答えを知ってしまえば簡単に答えられるのと同じ原理です。上の、10円、20円、・・・っていうのをもう一度眺めてください。90円の後はなんで100円(突然数字が3桁になる)なんでしょう。$0円(ドルじゅうえん)でもいいじゃないですか。そして、その次が#0円(シャープじゅうえん)でもいいはずです。要するにこれは理屈でなく、9の次は10と覚えるしかないわけです。だから、子らが最初理解できないのも不思議じゃないと思うんですよね。こんなことぐらいは直ぐ慣れちゃうことですし、慣れればいい問題なんです。しかしながら、「また、彰の介が変な屁理屈をこねとるぞ、10円が10個で100円なんて当たり前じゃないか?、そんなこともわからない子は相当に頭が悪いに違いない」とおっしゃる方に、問題を1つ用意してみました。上の問題のように、我々の普段の生活の中では主に10進法という表記法が使われています。つまり0~9までの10個の数字を用いて、9の次は10へ位が上がるという表記法です。では、2進法をご存知でしょうか。コンピューターなんかで使われている、0と1しかない世界です。1の次は位が上がって10になるわけです。10進法でいうところの0~10を2進法で表してみると、0、1、10、11、100、101、110、111、1000、1001、
1010、ということになります。さてそれでは問題です。即答してみてください。
この2進法の世界で、「10円玉が10個あったらいくらでしょう?」
・・・・、どうでしょう、即答できたでしょうか。正解はCMの後で・・・じゃなくて、この記事の最後に。
 話題変わって・・、子らにとって時間の問題も難しいらしいです。上の、10円玉問題が解決したうえで、次に「1時間20分は何十分?」と聞かれると、「120分」と答えてしまうらしいのです。逆も同じで、
120分は1時間20分と答えてしまうようです。これはある意味当たり前です。一方で10円玉10個で100円と教えているのですから、1時間20分は120分というのはむしろ理屈に合っています。ところが子らも、1時間が60分であることを知っているんですね。それを踏まえた上で「2時間は何分?」と聞けば「120分」と答えます。ところが引き続き「120分は何時間何分?」と聞くと、やっぱり「1時間20分」と答えてしまうんですね。算数を教えるって事は本当に難しいですね。一度固まってしまった概念からはなかなか抜け出せないようです。これも慣れるしかないのでしょうか。
 さて、先ほどの、2進法の世界で、「10円玉が10個あったらいくらでしょう?」の答えはいかがでしょう。即答できなかった方がほとんどではないでしょうか。それどころか、全然わからない方、あるいは問題の意味すらわからない?方も中にはいらっしゃるのではないでしょうか。子供たちの身になってください。大人の感覚で当たり前!と押し付けるのもいいですが、実は当たり前じゃないんですね。それでは、私の姉流に答えをお教えしましょう。
「こうでしょ、10円、100円、ほら100円でしょ、何がわからないの?・・・・」
姉流でわかる方は、本物の天才です。いや~、算数ってむずかしい~!!

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2004/12/03

ココログのばっきゃろ~!

 ついに、ココログベーシックを、ココログプラスにしてしまいました。私も7月にココログ初めて4ヶ月ちょっとですが、投稿記事数が85になりました(このエントリーで86個目です)。そんなわけで、別にこのままベーシックでもできるとは思いますが、かっこよく過去記事集というか、「彰の介の証言」の目次を作ろうと思い立ち、ココログプラスに増強しました。月450円の出費は、小金持ちの私には痛くも痒くもありませんが、本日のおデザは自粛いたしました(笑)。明日も、あさっても、自粛する予定です(笑)。実は相当根がけちでして・・・。そんなことで、近日、「彰の介の証言 道しるべ」という過去の証言集へのリンクページを公開いたします。昔の幼い私の文章に出会えると思います。えっ!、今の文章もたいしたことない?。そんなことはないでしょう、の錯覚ですよ、きっと・・・。耳?の・・・。
 ところで、ココログも一周年なんだそうで、トラックバック野郎で、「ココログとわたし」募集&プレゼントキャンペーン!ってのをやっています。お題は「ココログと私」、優秀な投稿にはプレゼントがあるそうです。プレゼントのために、私も「ココログへの想い」を書いてみましょう。
 まず第一に、「睡眠時間を返して欲しい」ですね。今もこの記事を書きながら時計を見上げるともう直ぐ1時だし、でも、目は冴えてるし、書く気満々だし、記事書かないと気になって寝れないし、何とかならないでしょうか。
 第二に、私の愚文にトッラックバックやコメントをしていただける方がたくさんいるんですが、うれしすぎて困るんですけど、これまた何とかならないでしょうか。お陰で、やたらと記事を書く気力が充満してしまって、ココログを通して充実した毎日を送ってしまうんですが・・・。
 第三に、私は職業柄やぶ医者をやっていますが、診療中も、ココログ記事のネタ探しで集中できないことがあるんです。もしかして、ココログは現在の医療の質を下げる手助けをしていませんか?。こないだも当直してた救急外来に、建設現場で怪我した人が運ばれてきました。この患者さん、単身赴任で、家族は遠くに住んでました。遠くの家族に電話で「~さんが、怪我をされまして・・・」と連絡したら、家族は、けげんそうな声で、「どうして会社じゃなくて、病院から連絡がくるんだ!こっちから連絡取るから、また電話する」って切っちゃうんですよ。これ、わかります?「オレオレ詐欺」と勘違いされてたみたいなんですね。別に、入院するからお金振り込んでくれって言った覚えないんですけど・・・。まあ、その後、随分態度がやさしくなって恐縮した電話がかかってきましたが・・・・。そんで、何が言いたかったかっていうと、この話、ブログネタになるかなって診療中に考えちゃったわけです。そう思ったら、どう書こうと思って、頭の中がいっぱいになっちゃったんですよ。患者さんのこと忘れて・・・。まあ、怪我は外科の先生が見てくれるので、内科系の私はお手伝いだけだったからいいといえばいいか。うむむ、ほんとにいいのかな?。・・・あっ!、そういえば、せっかくのネタ一個つかっちゃった。残念!。
 ということで、私は大変肉体的にも精神的にも疲れてしまっています。それもこれも、「ココログ」のせいであることはいうまでもありません。そこで、一言叫びたい。

ココログのばっきゃろ~!
ニフティの方へ、プレゼントはいらないので、慰謝料として「ココログプラス」の料金、ただにならんもんでしょうか。お金はあるんですけど、おデザが食べれなくなってしまうので・・・(クドイ)、ご考慮お願いします。無理か・・・。無理だったらプレゼントは、やぶ医者なもんで、ぜひ寺門さんの本をください。
 
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2004/12/02

年賀状は手書きで

モノログ横丁:メールと電話、手書きの使い分けへのトラックバックです。手書きのよさを考えてみました。
 最近、手書きってものをほとんどしていませんね。なにかっていうとコンピューターを使って美しい活字にしてしまいますし、手紙なんてほとんど書きません。私は職業柄やぶ医者をやっていますが、カルテは今でも確かに手書きです。だけど、美しく書こうとは全く思いませんし、多くは英語の単語だし・・・。皆さん、英語って言うとなんかかっこよく聞こえるかもしれませんが、単語ですよ、単語。それに、アルファベットの方が、ひらがなや漢字よりも速くかけるんですよ。カルテを書くのもスピードが大事なんです( 忙しいは気持ちいい!を参照してください)。
 そんな中で、私が唯一手書きで書いてるのが年賀状ですね。これだけは(毎年20枚くらいですけど)何とか手書きを続けています。そんなことでちょっとつくってみました。
DSC00355.JPG
 背景の絵柄は印刷です。年号もワープロ文字です。賀春、新年うんぬんっていうのを筆風サインペンで、印を赤ボールペンで手書きしてみました。書にうるさい人が見るとやばいのがばれるので、書心のある方はアップ禁止です(マジ!)。それなりにみれるでしょ。今年というか来年というか、このバージョンでいくかどうかはわかりませんが、思いを込めて、一枚一枚緊張しながら書くってのもいいんじゃないですかね。年賀状がただのメールになったら、やばいでしょう。スイッチポンで、一斉メールじゃあ気持ちも何もありません。こんな時代だからこそ、一年に一度、アナログで汗をかいてもいいんじゃないのかな?。
 ただ、残念ながら、このご時世、手書きで書いてもあまり評価はされないんですね。なぜかって?、それは手書きで書いても、大抵、印刷と思われていますから・・・・。残念!。

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 追加記事:だんだん自分の字がかなりへたくそに見えてまいりました。おはずかしい!!。
 
 おしらせ:コメントをコメント順に上から並べるように変更します。
バックナンバーを月別に変更します。

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