明智光秀にきまっとる!
ココログでいろいろと新コーナーが立ち上がっていますが、なんでも百選 | お題:こいつに天下を獲らせたい! 日本の戦国武将百選なんていうお題があるじゃないですか。すかさずトラックバックさせていただきます。というか、戦国ネタは、 無駄論的織田信長様や、無駄論的「信長の野望」で語らせていただいております。この、織田信長様の記事とほとんどダブるのですが、改めて、明智光秀に天下を獲らそうと考えたしだいです。それにしても、このお題、「天下を獲らせたい」と、過去形でなくて現在形というか未来形なのが気になりますが、もしかしてお題の意味が違ったらごめんなさい。まあいいですよね。
さて、いきなり戦国マニアの方にはまず最初に突っ込まれそうなのが、「明智光秀はちゃんと天下獲ったじゃないか、このエントリーは無効だ!」というご意見。ふむふむ、確かに、三日か、十日か知りませんが、天下獲ったような、獲らなかったような・・・。まあまあ、そこのところは目をつぶってもらって、後世、明智光秀は「主殺し」の代名詞にされた可哀想な人なんですから許してやってください。さらに、多くの戦国武将と比べて、「本当に天下人の器があったんか!」と厳しく問われそうですが、正直言うと無かったでしょうね(笑)。オイオイ、いきなり、お題の否定してどうするのって言われそうですが、とにかく私は明智光秀というマイナーを応援したいのでこれまた勘弁してください(メジャーマイナー論参照)。
私の最も強調したいところは、織田信長が死んだ時期なんですが、極めていい時期に死んだと考えています。歴史上、時代を切り開いた独裁者は大抵、老害で無駄な血を流すものです。豊臣秀吉も日本史上に輝く人物ですが、秀次の関連の人物をすべて殺してしまったり、朝鮮出兵したりと後年は暗い話題ばかりでした。さて、信長なんですが、あのまま天下を獲っていたら・・と考えると、いろいろと老害を出しまくったのではないでしょうか。特に私があやしいと思っているのは、自らが天皇になったのではないか、という疑念です。足利義満も、豊臣秀吉も、徳川家康も、中国の王朝に対して自らを日本国王といってはばからなかったわけですが、といって、天皇家の系統をつぶすなんて事はしませんでした。自らその権威に乗っかって利用しただけですね。というか、やっぱりその権威には勝てなかったわけです。しかし、こと、信長さんはわからんですよ。なにしろ比叡山焼いちゃった人ですから。まあ、それはほんの一例ですが、日本の伝統がぶっつり途絶えて、歴史はがらっと変わっていた可能性があったということです。ですから、私から言わせると、あの時期に誰かが信長を殺さなければいけなかったんです(強引)。あの時期に死んだことで、信長という人物は現在に至っても、戦国の英雄としてカリスマ視される結果となったわけです。あの時期、外部に信長に対抗できる武将はいなかったでしょう。そう考えると内部から、「主殺し」の汚名をかぶっても誰かがしなくてはならなかったのです。それがたまたま、明智光秀だったのではないでしょうか。でも、よく考えてみてください。戦国時代の主殺しってそんなに珍しいことじゃないんじゃないでしょうか。それなのになぜ、明智光秀がその代表にされてしまい、不当に悪者にされてしまったのでしょうか。それは、やっぱり、天下を獲った秀吉の大義名分が、主君の敵討ちだったからに他ならないでしょう。でも秀吉だって大義名分をいつか忘れてしまい、織田政権をのっとってしまったのに悪者扱いはされていないですね。これ全部、明智光秀が悪者ということにして自分のやったことは隠してしまったということではないでしょうか。ついでに、信長も、多くの悪行非道をしでかしてきたわけですが、明智光秀に殺されたことで、また子飼いの秀吉が天下を獲ったことでうやむやになっちゃったんですね。
ということで、私が明智光秀に天下を獲らせたかったというのは、ただ、その不当な評価に対する反発という意味だけです(大笑)。だから、冷静に考えると、天下人の器は無かったような気がします(笑)。それで、私なりに「主殺しの汚名」を受けないですむ為のシナリオを考えてみました。天国の明智光秀さんへの説教です。
まずは、とにかく山崎の合戦は負けちゃいかん(大笑)。せめて、引き分けじゃないと(笑)。そうしたら、毛利と挟み撃ちって話になってたかもしれませんぞ。ついでに言うと、徳川家康も攻めてきただろうから、それにも負けちゃいかん(無理?)。なんとか1年、できれば3年、天下を保たんことには、あんたの主殺しの汚名は免れませんな(きつそー)。1年の間になんとか信長の悪逆非道ぶりや秀吉のこすいところを世間に広めて自分のやったことを正当化しんといかん。その後はたぶん誰かに戦で負けるだろうから(大笑)、それまで生きていてはいかん(笑)。何とか天下を保って3年後に病死するのがベストだな(大笑)。贅沢言っちゃ、あかん。あんたは現代じゃ、主殺しの代名詞だよ。天下人3年勤めて、そんな汚名をぬぐえるならいいじゃないか。そうだろ?。あほらしいお話でした。
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コメント
また弓木です、こんばんは。
ここに足利義満の話題が出てますけど、彼はじっさい皇統を乗っ取ろうとしたんですよ。義満自身「皇孫」でもあり、自分は「太上天皇」になって、息子の義持を皇位につける計画であったらしい。残念ながら(?)義満が急逝したのと、子の義持が父嫌いのアマノジャクで、父の計画を全部ブッ潰したために、これが流れてしまったのです。「義満僭上」という有名な事件です。
光秀については、彼が天下獲りに失敗したのは、ズバリ細川幽斎が裏切ったせいです。光秀は前もって幽斎には協力を求めていたはずだが、どうも幽斎はその機密を、高松攻めの秀吉にリークしちゃっていたらしい。
義満&信長の皇位への野望については、今谷明『武家と天皇』、光秀・幽斎・秀吉の謀略戦については藤田達生『本能寺の変の群像』が、興味深い参考書だと思います。
投稿: 弓木 | 2004/12/15 01:25
弓木様、コメントありがとうございます。
いや~、ちょっと知ったかぶりして書いてしまうと、自分の無知がばれてしまいますね。弓木様、今後も時代考証をお願いいたします。
足利義満っていうと、あの一休さんに出てくる将軍様のイメージが強くて(笑)、いかんですな。細川幽斎のリークはどうかわかりませんが、それにしても光秀の身内を含めて仲間につく大名がほとんどいなかったということが、光秀の器を表していそうですね。
投稿: 彰の介 | 2004/12/15 08:03
足利義満は一応、「太上天皇」については、断ったとの説もありますが、真相は闇の中です。とにもかくにも権力というものは、人間を変える魔のの力がありますからね。
投稿: でめ | 2004/12/15 08:41
でめ様、コメントありがとうございます。
しかし、なんだかんだ、日本の権力者達は天皇という地位を簒奪しなかったのはなぜなんでしょう。中国といういい前例があるのに、なんか不思議ですね。
投稿: 彰の介 | 2004/12/15 22:56
あれ?朝書いたコメントが入力されていない(汗
彰の介さん はじめまして♪ そして こんばんは~♪
えっと 貞ちゃん 実を申しますと(朝も記したつもりなのですが(汗) 山崎の合戦で敗れました明智光秀の家臣の残党の生き残りの子孫なんです。鳥取県智頭町のお寺に行くと家計図が残っているって父が申しておりましたが・・実際に あんな山奥のお寺なんかに 行ってみていないんです!w
なんか 家系的には 理系人間を多く輩出しております。
八墓村って映画が昔ありましたけど 岡山県に逃げ込んだ明智の残党は 殺されたみたいですねぇ~。なんとか生き延びたのが鳥取県山奥派だったみたいです。
そんな経緯から このブログ もう2か月前から けっこう訪問しちゃったりしてます。 二進法の話とかも娘に教えております。(まぁ 地球人の指が二本しかなかったら 地球は二進法の世界だったと思う佐田ちゃんって変人かなぁ?)
あらためて 初めましてです♪ よろしくお願いします♪
やっぱ 明智光秀じゃなくって 明智光秀の残党に決まっとる!w なんてね♪
その父の一生について 今朝トラックバックさせてもらいました。お手の空いた時間に読んでいただけたら とても幸せです。
めりくま~~めりくま~♪
投稿: 貞子ちゃん | 2004/12/24 19:02
貞子様、コメントありがとうございます。トラバの記事も興味深く拝見させていただきました。
しかし、私が歴史ものを書くとその関係者の方が出てこられるのでびっくりしてしまいます。我家系は純然たる百姓の家系で、残党系(笑)の方から見ると敵だったりして・・・。いやいや、失礼いたしました。また、遊びに来てください。(コメント遅くなり申し訳ありませんでした)
投稿: 彰の介 | 2004/12/25 01:06