NHK問題の続編です。
前回、新たなNHK問題では、今回問題とされている報道への政治家の関与の真偽はともかく、よく考えてみれば政治家の介入は相当に慎重でないといけないのでは?と感じたことと、NHKの対応があまりにもあっさりしていて、またしても浄化のチャンスを逃そうとしている?ということを考えてみました。
ところで、1月15日の読売新聞に[NHK番組問題]「不可解な『制作現場の自由』論」という社説が載りました。これがまた、読んでみると私的には視点がずれてないか?という疑問に襲われました。ブログ上でも同様な議論がされてるところもあり、私の意見を述べたいと思います。読売の社説は転載不可って書いてあるので、断片だけこのブログに書いてみます。御疑念の方は本物の新聞を見てみてください。(しばらくはここで読めると思います)。
まず、この社説の冒頭は、おそらくこの社説の主旨だといいたいと思われる文章から始められています。
公正な放送のために、NHKの上層部が番組の内容を事前にチェックするのは、当然のことではないか。
そして、放送法三条で
「意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」なども求めている。
ということを掲げたうえで
放送局の編集責任者は、現場が制作する番組の内容がこれに反する場合、政治家に指摘されるまでもなく、是正しなければならない。
と論じています。そして放送内容について、
「女性国際戦犯法廷」では、昭和天皇が「強姦(ごうかん)」の罪などで起訴され、有罪が言い渡された。 このような性格の「法廷」の趣旨に沿った番組が、「制作現場の自由」としてもしそのまま放送されたとすれば、NHKの上層部はあまりに無責任、ということになる。
と述べられ、バランスの取れた報道をするのがNHKの責務と結んでいます。
冒頭の文章に関しては、別に問題はないと思います。つまり、NHKの上層部が、放送内容に関して一切口出しができないなんてありえないでしょう。ただし、その後の論点が、今回告発したプロデューサーの訴えと合致しているかどうかが問題です。このプロデューサーは、ただ、自分のつくろうとした番組を上層部に改変させられたということを訴えていたわけではないでしょう。あくまで、政治的介入に基づいた上層部の改変指令があったことを問題としていたはずです。ところが、この社説では、政治的圧力の有無の話は全く無視されています(全体の事実関係は一部不明としているだけ)。結論から言えば、「放送内容に問題があるのだから、改変されて(して)当然」ということが言いたかったわけで、明らかにこのプロデューサーの政治的圧力に対する訴えからみると問題のすり替えに他なりません。要するに私の言いたいのは「政治的介入によって番組が改編されたかどうかという問題」と、「番組の内容に関する問題」とは全く別問題だということです。私が感じている論点のずれはそこにあるのです。つまり、番組の内容に問題があれば、陰でこそこそ政治家が報道に圧力をかけても正当化されるんでしょうか?。私は全く正当化されないばかりか、そんなことをすれば北朝鮮の報道と同じだと考えているわけです。行き過ぎれば言論弾圧、思想統一につながることですから、私が政治家なら、言論弾圧と取られないように細心の注意を払ったうえで、オープンに議論しなければならないと考えるでしょう。
深読みすれば、番組内容が問題→番組の改変は当然という論調は、暗に、そこに政治的介入があったとしても問題なしというふうにも取れます。この社説で政治介入の問題を逆に無視しているところをみると、むしろ圧力を加えたかもしれない、安倍、中川両氏に対するエールともとれます。そんな私の被害妄想的憂いがまさか当たっていたとしたら、利害が一致すれば、同じ報道機関であるのにもかかわらず、政治介入を許すっていうなんとも恐ろしい話になりますね・・・。
あと、意見対立があれば、多角的に見なければいけないとすれば、この読売の社説もややバランスを欠いているようにも見えなくもないのは私だけでしょうか?
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