無駄論的坂本竜馬
無駄論的幕末維新では、幕末は複雑だって話と、「尊王攘夷」というスローガンについて考えてみました。本日は、日本の歴史上の人物でも、極めて人気の高い人物、坂本竜馬がもっと長生きしていたら・・・なんてことを考えてみました。
そもそも、坂本竜馬のようなどちらかというと歴史の裏舞台を歩み、明治政府のできる直前で歴史から抹殺された人物を、歴史の表舞台に引っぱり上げた歴史家の皆さんには敬意を払いたいと思います。ただ正直言えば、坂本竜馬と一緒に殺された中岡慎太郎が、坂本竜馬と同等かそれ以上と言ってもいい働きをしているのに、あまり有名でないことを考えると、私のメジャーマイナー論的には、中岡慎太郎がちょっとかわいそうというのが本音です(笑)。
まあ、それはともかく、例えば坂本竜馬といえば薩長連合を成し遂げた中心人物ということで歴史家に取り上げられています。しかし、よく考えてみれば中心人物というのはちょっと言い過ぎかもしれません。中心なのはあくまで薩摩と長州なわけで、人物で言えば西郷と、桂ということになるでしょう。つまり歴史的に「薩摩と長州は紆余曲折があったが、最終的には倒幕で意見が一致し、西郷と桂の決断で、薩長連合が成立した」とだけ記述されてもよかったはずです。
しかし、あえて「坂本竜馬の仲介で薩長連合が成立した」(坂本がいなかったら薩長連合は成立しなかった)とし、むしろなかなか合意に達しなかった西郷と桂をやゆするように歴史が記述されたということに行き過ぎの感が無きにしもあらずと感じるわけです。もしかしたら、坂本竜馬がいなくても、仲介の中心人物である中岡慎太郎が西郷と桂の目の前で切腹し、両者へ反省を促すことで、薩長連合が成立したかもしれないのですから・・・・、そうしたら、もう少し中岡も歴史の表に出てきた?かも・・・(ここまでくるとめちゃくちゃ?、無理やりでも中岡をメジャーにしたい私でした)。私は、どちらかというと、坂本竜馬がここまで歴史の表舞台に引き上げられた理由というのは、その働きもさることながら、自由奔放な人間性や行動力、そしてその的確に日本の未来を見据えていた考え方にあるのではないかと思っています。
しかしそうは言っても、もしあの当時の日本に坂本竜馬がいなかったら・・・ということを考えると、それはまた恐ろしいことです。坂本竜馬の働きかけで成立したことといえば、上で書いた「薩長連合」と「大政奉還」等ですが、この重要な事件が起こらなければ明治維新なんて話になりません。
またもし坂本竜馬がもっと生きていればなされていたであろうことは、「徳川慶喜を代表とする新政府の樹立」であったと考えられます。その意味するところは、混沌とした幕末の中で、力のある藩が主導権争いに明け暮れるのではなく、目標を「倒幕」の一点に絞らせること、さらに徳川自ら政権を返上させることによって、内乱無き新政府の成立を目指したということになるでしょう。
坂本竜馬が、とにかく内乱を避けようと思ったのは、主に西欧列強による日本の植民地化の危険を回避するためでしょうが、その先には、民衆による身分制度のない西洋型の民主主義社会を見据えていたことにあるのではないでしょうか。そのためには、内乱で勝った者が大きな権力を握り、主導権をもつようではいけないと考えていたのではないかと思います。確かに戊辰戦争は西欧列強に植民地化されるほどの大きな内乱にはならなかったのは事実ですが、内乱に勝った薩長が最終的に主導権を握り、その藩閥軍閥政治がその後の日本をやや特異な方向へ運んでしまったのは、坂本竜馬の憂いが現実化したとも考えられます。
歴史に「たらレバ」はありませんが、無駄論的に、坂本竜馬が暗殺されなかったらということを考えてみました。ただの作り話なので、無用なご批判は勘弁してください。
おそらく、坂本の考えていた通り、武力倒幕にはならず、「徳川慶喜を代表とする新政府」が作られたでしょう。一見徳川を立てた形になりますが、実際にはそれは踏み台となるだけで、日本の基礎が固まった時点で、アメリカのような民衆選挙による大統領制へと進んだ気がします。そうすれば日本の真の民主化は、戦争に負けてアメリカに与えられるまでもなく、50年は早まったのではないでしょうか。坂本竜馬の不戦平等主義からはそんな世界が透けて見えてくるような気がします。
また、日本は日清戦争と日露戦争を経て、朝鮮半島等を併合しました。私は、坂本竜馬が生きていたら、おそらくアジア人同士の争いや征服など決して許さなかったと思います。私が想像するに、坂本竜馬であれば、アジアが連合して西洋列強に対抗しようという運動を高めていったでしょう。このアジア連合というのは、全くの小国であった日本にしてみれば、本来当然考えるべき方針であったと思います。
しかし、当時の明治政府の構想に、そんなちっぽけな考え方はありませんでした。日本も西洋列強と肩を並べる一勢力となるのが目標であり、西洋列強と同じアジアの併呑の方針をとったわけです。まあ、これは成功したからよかったものの、日清戦争で勝利できず、清国と痛み分けにでもなっていれば、それこそ西洋列強の思う壺で、弱体化した日本が列強の餌食になっていったかも知れません。そのあたりのリスクをどう考えていたのか、私には当時の明治政府の楽観的な方針が全く理解できませんが、結果的には日本の圧勝でした。結局アジアの中で(有色人種の中でと表現される方もおられるようですが)日本のみが西洋列強の仲間入りを果したわけで、その当時の日本にとってはよかったのでしょう。しかし第二次世界大戦を経た現代において、中国や朝鮮韓国の日本への嫌悪感を生んでいる元凶がこのアジア侵略なわけで、あの時、坂本竜馬が薩長連合のように「アジア連合」を成し遂げてくれていたら・・・ブーイング騒動も竹島問題も何もなく、「AC アジア共同体」なんてのができたかもしれません。
そんなことで、私は、坂本竜馬の死はちょっと早すぎたと感じています。ちょっと早すぎたというか、日本にとっては、数百年に一度出るかで出ないかの極めて重要な人物を失ったような気がしてなりません。その死の大きさは、当時でなく現代になってしみじみと考えさせられるわけで、本当は坂本竜馬が作り上げた現代という世界に生まれたかったなあと感じる今日この頃です。
本日も、内容のたいしたことのない無駄な坂本論にお付き合いいただきありがとうございました。明治についてはもう少し語るかもしれませんし、もうちょっと時代を進めるかもしれません。その辺り期待せず無駄にお待ちください。
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コメント
>しかし、あえて「坂本竜馬の仲介で薩長連合が成立した」(坂本がいなかったら薩長連合は成立しなかった)とし、むしろなかなか合意に達しなかった西郷と桂をやゆするように歴史が記述された・・・・
確かに、それは面白いとらえ方ですね。うーん、今日もとても興味深かったです。
>あの時、坂本竜馬が薩長連合のように「アジア連合」を成し遂げてくれていたら・・・ブーイング騒動も竹島問題も何もなく、「AC アジア共同体」なんてのができたかもしれません。
同感ですね。そうだったら、きっと良かったのに・・・・
投稿: mia | 2005/03/24 06:02
確かに竜馬が生きていれば、戊辰戦争等の内戦的要素はなくなって、不満をそらす国外への戦争はなかったかもしれませんね。ただ、韓国に関してだけ述べるなら、秀吉時代のことも持ち出してきそうな危険もありますがね。
やばいことがあるので、ほかに目を向けさせる手法は、この先永遠になくならない伝家の宝刀?でしょうね。
どこの国でも、マスコミ受けねらいの政策を語る政治家のなんと多いですね。
投稿: でめ | 2005/03/24 12:27
mia様、でめ様、コメントありがとうございます。
結果はどうあれ、竜馬の暗殺のなかった時代というのを体験したいものです。
タイムマシーンがあれば、竜馬の弟子になるんだけどな~。でも危ないか・・・、天誅されちゃいますかね?。
投稿: 彰の介 | 2005/03/24 23:25
そういえば、どっかで坂本龍馬暗殺の黒幕は実は薩長だったという話を読んだことがあります。
確かに竜馬があのまま生きていて、彼の構想通りに明治維新に進んでいたら、薩長閥の明治政府ができなかったかもしれないと思うと、政権交代を目指す薩長からは煙たい存在として消されたとしても納得がいきます。
それが真実というよりも、そういう謀殺説に納得できるものがあるというところに竜馬の特異性がありますよね。
信長にしろ、竜馬にしろ、ローマのカエサルにしろ、社会を大きく変革するような人間は、その変革を促しながらもそれを良く思わない勢力から反動という圧力で、途中で倒れる運命にあるのでしょうか。
投稿: こに | 2005/03/27 20:42
こに様、お久しぶりです。
実を言うと無駄論的私の説では、坂本竜馬暗殺の黒幕は西郷さんなんですね。ついでに言うと、個人的な西郷さんに対する評価も低いんです。あまり言い過ぎると怒られるのでこのあたりで・・。また遊びに来てください。
投稿: 彰の介 | 2005/03/28 10:44