洗脳的教育を考える
昨今、中韓で反日ブームが起こっています。さすがに穏健中道を自認する?私も、あの過激さには不快感を感じえません。何を怒っているかもわからない部分があり、日本人の私たちはいったいどうしたらいいのでしょう?。ところで、中韓が日本に対して怒っていることの1つに、教科書問題があるようです。中国の反日デモにも、歴史歪曲なんていうプラカードがあったようななかったような・・・。しかし、この教科書問題ついて、ふと考えたことがあります。教科書ってことは子供たちへ教育することが書いてある書物です。ところでこの教育の意味とは何なんでしょう。どうもこの教育という言葉には2つの意味があるような気がしてきました。
例えば、「進化論」について、日本人はなんの抵抗もなく教育されていて、人間はサルから進化したということに関して疑う人は少数でしょう。しかし、キリスト教国では、神が全てを創造したということになっているため(正確な言い回しに間違いがあるかもしれません)、基本的に進化論なんて信じていないというか、受け入れられないという意見が多いようです。最も科学の進んでいるはずのアメリカでさえ、キリスト教の団体(政府が無視できないような大きな圧力団体)が進化論を教育しないよう求めているといいます。
さて、世の中にはいろいろな考え方の人がいるわけですから、私は別に進化論を否定するキリスト教の方を問題にする気はありません。問題にしたいのは、このキリスト教の方々の意見が取り入れられた場合、どういう教科書が作られるかということです。1つ目の可能性として、「進化に関する事項を一切扱わない」というやり方があります。2つ目の可能性として、「進化論なる考え方もあるが、証拠はなくむしろ否定的だ」という言い回しにする方法です。3つ目の可能性として、「万物は神がおつくりになった」とはっきり明記することです。さあ、一体キリスト教の方々はどう教育されるんでしょうか。
私が考えるに、もしキリスト教の方々が、進化論について科学的には無視できないと感じていたとしたら、普通は1つ目か2つ目のやり方になると思います。一つ目のやり方はいわゆる「棚上げ」で、進化論者との間の意見の相違に関する論争を教科書という場では行わないという考え方です。ある意味、自分達の主張の非を明らかにしないという面もあるかもしれません。2つ目の方法だと、事実を教えた上で、自分達の主張を行うということで、うそは教えていないですし、(結論は自分達の考え方の方に持っていこうとしていますが)進化論者の考え方の存在を認める形になっており(「問題点の認知」)それなりに配慮したかたちになっています。ところで、キリスト教の方々が3つ目の方法を取ったとするとどうでしょう。進化は全く無視して自分達の主張のみをしているのですから、さすがに教育とはいえないかもしれません。これは、事実を抹殺して、徹底して信じ込ませる、疑いの余地を与えないという意味では、「洗脳」に近いかもしれません。
こんな洗脳みたいな教育はこの世には存在しない・・・と思ったら大間違いです。これが国益が絡む領土問題や歴史認識問題では、いろんな国でされていることです。例えば竹島の領有に関して、韓国では明らかに洗脳的教育がされていると考えていいでしょう。洗脳というと言葉は悪いですが、自国領であると主張するには、確かにその正当性を徹底的に国民に教育することが必要かもしれません。さらに自国領と主張するには都合の悪い事実(すなわち日本が領有を主張していること)については、徹底して無視するか、別の事実で覆い隠して正当化し(過去に日本が朝鮮半島を併合したことと関連付ける・・・・等)、日本が領有を主張すること自体が極めて悪いことで、断固として戦わなくてはならないとも教育されていると考えていいでしょう。無論、中国も同様です。尖閣諸島の問題も、ガス田の問題も、本来明らかな問題がある(どちらが正しいということでなく問題が存在する)にもかかわらず、徹底した反日教育によって日中の問題は中国に正当性があるということを刷り込んでいます。
私が考えた、教育の2つの側面・・・、1つは一般的な学問としての教育ですが、もう1つが、上であげたような例えばキリスト教としての考え方を、例えば国としての考え方を、洗脳的に徹底させる教育です。残念ながら、この洗脳的教育に対して、真っ当な議論は通じません。洗脳には洗脳で戦うしかありません。「竹島は日本領だが韓国も領有を主張している」なんていう甘っちょろい教育しても、韓国の洗脳教育に対してはなんの解決にもなりません。それこそ竹島のことを教科書で教えている韓国に対して、逆教科書問題をぶち上げるぐらいのことをしなければ本来対抗すらできないでしょう。そのため、日本の中でも、この洗脳的教育の不徹底を問題視する方々も増えているように思われます。ある意味、言ったもん勝ち、やったもん勝ち、やられっぱなしの現状からは、確かにそんな意見が出てきても不思議はないくらいです。
しかし、日本にはこの洗脳的教育をある意味タブー視してきた歴史があると思われます。それは戦前戦中の徹底した洗脳教育が、日本に、そして日本人に何をもたらしたのかということを、日本人自身がよくわかっていて、すでに世代を超えて本能化し、洗脳されるような動きに関しては拒絶反応を示してしまうことが背景にあると考えられます。これは行き過ぎれば、よく右の方が言われる「自虐的史観」とか、「反日的日本人」と言うことになるのでしょう。しかし、私の個人的意見を言えば、確かに日本人の日本人によるこの自虐的あるいは反日的な気運が、この中韓の非を産んでしまったとしても、やっぱり同様の洗脳的教育による対抗は何の国益も生み出さないと感じます。非には非でしか対抗できないと書きながら、矛盾してるじゃないかといわれそうですが、だからといって非に対して黙認しろといっているわけではないのです。非には正論をぶつけるしかないと思います。そしてこの正論は洗脳教育の中では決して生まれてこないでしょう。
本日は尻切れトンボの抽象論で筆をおきます。もし、賛否様々な意見がいただけましたら、さらに考察させていただきます。本日も無駄にお付き合いいただきありがとうございました。
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コメント
>非には正論をぶつけるしかないと思います。そしてこの正論は洗脳教育の中では決して生まれてこないでしょう。
賛成です。まさにその通りだと思います。
投稿: mia | 2005/04/13 06:08
国際法に照らして、裁定を下す機関がないわけではないでしょうが、一番いいのは、当時国同士で、話し合って決着することですな。米国が、中国に対してアクションを起こしたようですが、この結果を受けて決着したとしても、「米国の傀儡」といわれかねませんから、なんともうまい方法はないものだと思います。
投稿: でめ | 2005/04/13 13:01
mia様、でめ様、コメントありがとうございます。
エゴと、教育と、批判と、主張と、いろんなものがごちゃごちゃになってますね。世の中、何かといえばエゴを正当化するのに一生懸命なんですよね・・・。まあ、それが人間ですか・・・。
投稿: 彰の介 | 2005/04/13 23:59