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2005/05/02

日本人の歴史観の原点(2)

 前回日本人の歴史観の原点(1)で、東京裁判史観に伴う歴史観の一例として、南京大虐殺のことを考えてみました。私の結論をもう一度言いますと、「南京大虐殺はなった」といわれる方々に「当然あった」というほどの根拠は全く持ち合わせていなかったのに、「なかった」ということ自体を悪と考えてしまっていたということです。つまり日本人の自虐的史観の原点の1つがこの東京裁判史観にありそうだということを述べてみたわけです。
 しかし私は、日本人の歴史観の原点が、この東京裁判史観のみとは思っていません。いやむしろ、戦後に形成された根本的な歴史観の上にこの東京裁判史観が乗っかったものだと感じています。この根本的な歴史観の形成は、実に単純で、実に当たり前の結果として形成されたと思うのですが、これがまた全く意識されずに60年の月日が経ってしまったような気がしてなりません。あまりに単純なのですが、この歴史観の欠落があると、中国にも韓国にも何も文句が言えないような気がするので(このあたり詳しくは別の回にに書きます・・・しかしそもそも次回はあるのか・・・)ブログの片隅で述べておこうと思います。

 結論から先に言いましょう。それは「日本は太平洋戦争に負けた」ということです。ね、実に単純というか、当たり前のことですよね。誰がなんと言おうと、日本は戦争に負けました。しかも、僅差判定負けではありません。こてんぱんのけちょんけちょんの大KO負けです。もう一度言いますが、日本はかの戦争に明らかに負けたはずです。
 
 ところが、この戦争に負けたということが確定した、すなわち昭和20年8月15日から、日本にとって、日本人にとって、戦争に負けたことによる不幸な歴史があったでしょうか。むろん、日本人捕虜のシベリア抑留問題等決してなかったわけではありません。しかしおおよそ日本国内の一般市民にとって、何か不幸なことがあったとは思えません(もちろん戦後25年もたって生まれた私が当時のことを語ることにご批判があるかもしれませんが)。例えば占領軍による大略奪があったとか、それこそ大虐殺があったとか、奴隷にされたとか、そんなことは聞いたことがありません。日本語が禁止されアメリカ英語が強制されたとか、神社仏閣が全て壊されてキリスト教に改宗させられたとか、そんなことももちろんありません。それどころか、アメリカからは食料が供給され、衛生状態が改善されました。そしてなんといっても、思想的に「自由」というものが与えられたのです。もと陸軍の軍人だった親戚のおじさんの一言が思い出されます。「まさか、自由なんてものがこの世にあるとは思ってもいなかった・・・・」。そんなふうにおじさんが言うのも当たり前です。軍人として、お国のために死になさいと徹底的に教育されていたのですから・・・。日本は戦争にこてんぱんに負けたことで、連合国というかアメリカから本来搾取される立場になり、奴隷国家となってもおかしくなかったはずでした。まあ、そこまではなくとも、貧乏国家のまま、戦後60年を迎えてもおかしくなかったはずです。ところが、ごく短時間に大復興を遂げるという全く逆の結果となり、最終的には世界でも有数の経済大国、世界で最も経済格差のない平等な国となったのです。これはもちろん戦前戦中の日本とは比ぶべくもありません。
 
 私の言いたいことがわかるでしょうか。日本は戦争にけちょんけちょんに負けたのです。にもかかわらず、負けたことのデメリットよりも、むしろ負けたメリットの方が圧倒的に多かったような気がするのです。このことが無意識的のうちに日本人の心に与えた影響は計り知れません。負けたメリットが多いわけですから、日本人に漠然と、あの戦いが「誤った戦争だった」という認識を植えつける結果につながったのは当然でしょう。これは国内的にも、国外的にも両方の意味を含んでいます。ですから、何も東京裁判で日本が悪いなんていうことを洗脳されるまでもなく(増幅されたことは確かかも知れませんが)、日本人自身が無意識的に感じていたことでしょう。この戦中のデメリットと戦後のメリットの議論を欠落させて、東京裁判史観を云々するというのは基本的に意味のないことのように思われます。

 しかし、日本人にとって、この「誤った戦争」という認識はあまりに無意識的であったため、この戦争を遂行させた責任者に責任を押し付けることなく、この戦争の責任を「日本人全体の責任」として捉えたような気がするのです。このことは結果的にいわゆる自虐的史観につながった原因のひとつと考えていますが、実はこの無意識的な責任論の欠落は大問題なので、また次回に(次回はほんとにあるの?)述べたいと思います。

 今回も、尻切れトンボ的な文章をお読みいただきありがとうございました。

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コメント

父とよく話をするのですが、
ごく短時間に大復興を遂げるという全く逆の結果になったのは、恐らくアジアの共産化、とりわけ中国が共産主義国家になったのが大きいと考えてます。

また朝鮮半島でも東西のイデオロギーの戦争が起き、そして日本も貧しさから共産主義国家になれば、いよいよ海を隔てて米国本国にも共産主義がドミノの様に襲い掛かってくることに対してへの危機感から、日本をアメリカの共産主義に対する防波堤にしようとしたなんて話聞きますし。

マッカーサーは、日本を二度と立ち直れない農業国としようと企ててたみたいですし。

そういう意味でアジアの共産化、とりわけ蒋介石が敗れて中国が共産主義国になったことは日本再生に大きく影響したと思います。後の朝鮮戦争を踏まえて

投稿: shuichi | 2005/05/04 14:36

shuichi様、コメントありがとうございます。
確かに、共産主義勢力の影響から、日本の復興が早まったという側面はあるでしょうね。ただ普通の日本人がそう意識することはなかったでしょう。
むしろ、戦争して苦しみ命を懸けて戦ったから、幸せになったという思いが大きいのかもしれません。その辺りまた次回で・・・・。

投稿: 彰の介 | 2005/05/04 20:16

「負けたことのデメリットよりも、むしろ負けたメリットの方が圧倒的に多かったような気がするのです。」
 私の父は、19歳の時に終戦をむかえました。父は戦時中、ゼロ戦を作る工場に召集され、働いていたため、度々アメリカのB29による空襲を受けていたそうです。父は生前よく私に空襲の恐ろしさを、本当に何度も何度も聞かせてくれました。日本の負けが見えてからのソ連の裏切りや、戦後の在日朝鮮人の横暴などに、心の底から激怒していた父、戦後の生活の苦しさを語ってくれた父は、戦争に負けたことに、けしてメリットなど感じて無かったと思います。
 日本人が自虐的歴史観をすんなり受け入れてしまったのは、国民性にあるのではないかと私は思います。潔いことを美徳とする日本人は、負けを認め、GHQを受け入れました。抵抗もせず武装解除したのです。
もう一つ、戦時中の情報の欠如もあると思います。日本の敗戦が濃厚になっても、一般市民はまさか負けるとは思っていなかのです。
それが、敗戦です。東京裁判の嘘を信じてしまうのは、しかたのない事だったのだと思います。

投稿: chichi | 2005/05/08 03:29

chichi様、コメントありがとうございます。
私も戦後のデメリットがなかったとは思いませんし、終戦直後は相当に生活が苦しかったとは思います。
しかし、例えば、空襲は戦後ありません。情報の欠如もありません。そのあたりはメリットじゃないかな?と思うのですがどうでしょう。
あと、日本人の国民性については全くの同感です。日本人には謝るという文化があります。まあ、近隣の国からは「反省しない国」とは言われますが、実際には徹底した反省が国民にあったことが、現在につながっているのだと思います。またそのあたりは(3)で書きたいと思います。ほんとに書くのかな?。

投稿: 彰の介 | 2005/05/08 09:16

彰の介様
お返事ありがとうございます。
空襲や情報の欠如は確かに戦後はありません。しかし、それは「負けたメリット」ではなく「終戦のメリット」であったと思います。
私は最大の「負けたデメリット」は、戦後の自虐的歴史認識だと思っています。
もちろん、私もつい最近まで、自虐的な歴史認識を信じていました。中国や朝鮮半島に謝罪し続けるのは当然の事と認識していました。そして、自分の国の歴史を、軽蔑していたのです。
確かに負けたことで、現在の民主主義はあります。軍部が政権を握っていた戦時中の日本はとても不幸だと思います。
ただ、だからといって、負けたメリットのほうが多いとは私には思えないのです。

投稿: chichi | 2005/05/08 11:16

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