« 日本人の歴史観の原点(2) | トップページ | 新・旬のハイビスカス »

2005/05/07

記者は遺族の代弁者か?

 尼崎の列車事故報道のことを、今更ではありますが、ちょっとだけ書きたいと思います。
 現在、JR西日本の事故に対する対応のまずさや、事故原因となったかもしれない、その体質に関する非難が日本中に溢れています。ワイドショーやニュースでも、亡くなった方の過去と本来あったはずの未来を紹介しながら遺族の悲惨さを伝えるものが多いように思います。私も時には涙を流してしまいますね。
 そんななか、最近の話題といえば、JR西日本の職員(運転手)があの事故車両に乗り合わせていたにも関わらず、救助作業を放棄して出勤し勤務についていたことと、あの事故が起きたその時に、非番の職員がボーリング大会を開いていたことでしょうか。まあ、正直言ってあまりにも情けない、鼻水のちょちょぎれるようなお話で同情の余地もありません・・・・。
 それにしても、あのテレビの前で記者会見を開き、厳しい質問に答えているJR西日本の幹部たちの気持ちはいかばかりのものなんでしょう。私なんか不謹慎にも、自分があの幹部だったらどうやって答えるだろうなんて想像して、どきどきしながらあの会見の様子を見ています。ちゃんと誠心誠意の回答ができるのだろうか、組織の壁を打ち破って、真実を引き出し、それをちゃんとさらけ出すことができるんだろうか・・・なんて真剣に考えてしまいます。まあ、まさに不謹慎極まりない話ではありますが・・・。
 あの列車事故の原因になったかもしれないJR西日本の企業風土の話や、一秒の遅れも許されない、その安全性を無視した定刻性へのこだわりなどは、いろんなところで語られています。そこで不謹慎な私としては別の角度から疑問に思ったことを書こうと思います。それはあの針のむしろ状態の記者会見のことです。私はもちろんああいう記者会見場なるものに足を運んだことはありません。もっぱらテレビで流される断片的な画像を見るだけです。ですから、テレビで流されている画像のみで全てを語ってはいけないとは思うのですが、それにしても随分記者さんたちの言葉使いは乱暴だなあと感じざるを得ません。
 例えば、ボーリング大会に関して「一体全体何人参加したんや。全員名前出したらどうや?」なんて、まるで暴力団かと思えるような口調でJR西日本の幹部に食いついていた記者さんもいました。その他、具体的なものは正確には覚えていませんが、「多数の人命を奪ったことをどう思っているんだ!」とか、会社の風土をなじる質問とか、本当に反省しているのか?と問い詰める質問など、かなり強い口調で質問が飛んでいます。
 私は、記者さんたちが、真実を引き出そうとして、ごまかそうとしているJR西日本の幹部を問い詰めているとはあまり思えません。どちらかというと、そこに「いじめの対象がいる」から、徹底的にいじめてやろう的に見えてしまいます。それは、質問の内容、質問の仕方(詰問というべきか)、口調その他、怒りに満ち溢れているわけですが、それは本来、遺族や被害者のみが感じるはずのものです。いつの間にか記者さんたちは、遺族の代弁者を気取り、徹底的にいじめているとしか思えないわけです。
 「いじめる位の勢いで質問しなければ、真実が出てこないし、反省もしない」というご意見があれば全く間違いはないと思います。確かに私のような気の小さい記者ばかりだったら、真実が闇に葬り去られてしまうかもしれません。ただ、私が知りたいのは、記者さんがいつ遺族や社会の代表というか代弁者として認められたか?という疑問です。
 というのは、記者さんたちが遺族の代弁者として認められているのであれば、ああいういじめに近い質問を飛ばすのも全く問題ないと思われます。しかし、その場の雰囲気で、いじめに走っているとしたならば、今回の事故の件はともかく、いつかどこかで、また第二の長野サリン事件の河野さん的な報道がされるような気がしてならないからです。
 遺族の方が不快に思われましたら申し訳ありません。ここにお詫びいたします。

追加記事:あざらしサラダさんの☆マスコミ報道への怒り、あきらめ さまざまな声へトラックバックさせていただきました。
さらに、トッラックバックいただいた方には、トラックバックさせていただいております。ご了承ください。

 人気blogランキングに登録しています。ぜひ清きクリックを!
 ↑↑クリック!
 

|

« 日本人の歴史観の原点(2) | トップページ | 新・旬のハイビスカス »

コメント

 わたしも最近、二、三日のTVニュースをまったくおなじ思いで見ています。記者と呼ぶ肩書きだけで、あの無礼が許されるとは思えません。むしろ、メディアはその資格がないのではないか。かれら自身の報道体質は、JR以上の問題を放置しているのではないか。社内に民主主義国の報道機関としての問題を抱えていない新聞社は皆無だと思う。
 たとえば、最近の事例で、国民の記憶にもあたらしいところでは、朝日新聞の虚偽報道事件については、他社からの質問に直接応答する会見は開かれたのでしょうか。開かない朝日と、要求しない他者とは、おなじ、馴れ合いの体質を共有しているとはいえませんか。
 もうすこしおおきな問題では、東西冷戦が終わって、冷戦中の報道姿勢の反省会を開いた報道機関は、なかったと思います。共産主義の思想侵略に迎合した報道機関には、東京裁判を話題にする資格はないと思いませんか。

投稿: 罵愚 | 2005/05/07 03:50

こんにちは!
私の記事に、同様に感ずるところがありましたので、トラックバックさせていただきました。

投稿: memoire | 2005/05/07 14:50

彰の介さん、TBありがとうございます。

今日のテレビで初めて「マスコミの報道姿勢にも問題があるのではないか」と取り上げていました。
(もっとも説明をはぐらしてばかりのJR西日本に原因がある、と言い訳に終始していましたが、笑)
早くそれに気付いて欲しいものですが、興味がそれる方が先なんでしょうね、残念です。

投稿: あざらしサラダ | 2005/05/07 19:31

罵愚様、memoire様、あざらしサラダ様、コメントありがとうございます。
今回のネタは、あまり情報収集をしないで書いたのですが、多くの人が同じ感想を持っていることを知りました。どちらかというと、罵声を浴びせる記者さんたちをよくやったなんて思っている人のほうが多いんじゃないかと思っていたくらいです。
こういう記者の態度への批判なんていうのは未だかつてなかったと思うので、報道関係者もよくよく考えてもらいたいものです。

投稿: 彰の介 | 2005/05/08 09:05

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 記者は遺族の代弁者か?:

» 列車事故報道に思う [こころのデザイン帳]
JR西日本福知山線の列車転覆脱線事故から12日経った。 私は4月から新聞購読を止めてしまったので、事故のニュースは、テレビとインターネットで得る情報しかないのだが、このところのテレビ報道から窺い知る、マスコミ関係者の報道の仕方は、何かおかしい。 この事故で亡くなった人は107人、多数の怪我人も出て、まだ退院できずにいる人もいる。 被害者と、その遺族の方々の悲しみ、憤りは、想像にあまりある。 それを癒す言葉も見つからない。 それをふまえて、敢えて、言いたい。 最初の頃、事故現場に立ってのテ... [続きを読む]

受信: 2005/05/07 14:47

» [社会] 重大事故の検証の11(JR福知山線) [ナグのFF11日記]
 今後も犯人探しではなく事実を積み重ねて(自分なりの)検証を続けていきたい。  マスコミ=特にテレビではジャナーリズムと視聴率稼ぎが混在して、その映像処理は主にワイドショーで大部分が使われ、最後にニュース番組が出がらしのお茶のようにそれも最初に使用していた報道時間は次第に短くなり、いかにも「消費物」のように扱われていく様は悲しいものがある。今回の事故の背景は、自分の後ろに600人近い乗客を背負っていることを忘れ、「オーバーラン」と尼崎駅での遅延を理由に多分、会社から「日勤教育」を申し付けられる恐怖に... [続きを読む]

受信: 2005/05/07 15:53

« 日本人の歴史観の原点(2) | トップページ | 新・旬のハイビスカス »