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2005/06/15

日本人の歴史観の原点(4)

日本人の歴史観の原点として、 (1) (2) (3)と話を続けてきました。本日はその4回目、日本人にとっての戦争責任をもう少し考えてみました。
 
 私は、日本人の歴史観の原点(3)の中で、戦争を遂行した責任者の方々に対して、対外的なことに目をつぶったとしても、国内的には「敗戦の責任」をとってもらわないといけないのではないかということを書きました。これに対して、ひろゆき様からコメントをいただきました。

世論というご主人に押されて現場が外交を誤ったというのが戦争への道のりの実態ではないかと思っています。そうであれば戦争の責任をA級戦犯に押し付けるのは、翌日彰の介さんがまさに指摘している「でもやっぱり、責任は現場が取らされる」ということなのではないでしょうか。
ふむふむ、いわゆるA級戦犯の方々は、世論に沿った外交・戦争を進めたのであって、戦争を進めた張本人として責任を取らされたのはどうなの?というご意見(間違ってたらごめんなさい)ですが、う~ん、やっぱり私の視点とはちょっと違うとしか言いようがありません。
 
 まず、戦争を遂行した責任者の方々(一部当てはまらない方もいるとは思いますが、今後A級戦犯という言葉で代表させていただきます)のご主人様が「世論」だというほどに、A級戦犯の方々がただ世論に流されるだけの自論や信条しか持ち合わせていなかったとは到底考えられません。私は、A級戦犯の方々が、世論の後押しはあったとしても、基本的に自分達の信条の元に日本を戦争に導いたと考えています。しかし、そんな卵かニワトリかの議論はともかく、A級戦犯の方々の「責任」を、世論のせいにするのは不可能だと考えます。なぜなら、仮にA級戦犯の方々が本当に世論に流されただけの政策しかしていなかったというのであれば、それはそれ、その無責任さに対して責任を取ってもらわないといけませんし、自分達の信条の元に戦争を遂行したとすれば、もちろんその責任を取っていただかなければなりません。ところで一体何の責任を取っていただかないといけないのか?といえば、それは「戦争」というA級戦犯の方々の決断の元で、何百万という日本国民が戦場で、そして空襲で死んだことに対しての責任を取っていただかないといけないということです。 
 
 私はごく単純に、何百万という国民が死んでいる現実の中で、A級戦犯の方々が世論に後押しされた事実があったとしても「責任がなかった」とはとても思えないという考えです。また、私の視点において、かの時代における「現場」というのは具体的に言えば戦場であり、焼夷弾降る市街であり、すなわち言ってみれば「現場=国民」だったと考えています。当時、世論を戦争に誘導した何者かの影響があったとしても、アメリカのとても許されないような対日政策があったとしても、ヨーロッパ列強による植民地支配からの開放という大義名分が正しいとしても、日本が手段として「戦争」という解決法を選択した以上、その結果として責任を取らされたのは現場の戦場で散っていった兵隊さんたちであり、焼夷弾に焼かれた銃後の国民であったと考えます。もし、戦場や空襲で何百万という日本国民が死んでいったことに対する責任が、すべて「世論」にあるというのであれば、、世論を形成した張本人は日本国民ですから、その死自体が「自業自得」?という理屈になりますが、皆さんはそれで納得されているのでしょうか。
 
 しかし、よく考えてみると、この「何に対して」「何の」責任が存在するのかがあまりに曖昧なゆえに、また、責任を問う機会もなく、問う必要もなかったために、多くの日本人がこの自業自得の考え方を受け入れてしまっているように思われます。しかし、これはまさに日本人の自虐的史観そのものではありませんか。そんなところへ、”敢えて”、A級戦犯の方々に責任はなかったと言うことは、それはそっくりそのまま、「戦死したのも、焼け死んだのも自業自得、日本国民の責任」と言っているのと同じことになりますから、ますます中身のない自虐的史観に日本中が覆われることになるような気がします。私は(3)の中で、日本人の自虐的史観の原点が責任論のあいまいさから来ていると書いたのが正にこのことであり、逆にA級戦犯の方々の責任論は、日本国民の自虐的史観のお陰でうやむやになってしまったといえると考えられます。
 
 私の結論を言うと・・、多くの国民が死んでいったことへの責任を、当時の為政者たるA級戦犯の方々にとっていただくことこそ、対外的に物が言える”真”の「自虐的史観からの脱却」のスタートになるのではないかということです。今後、(5)~、そのあたりをもう少し考えて行こうと思っていますが、反論もあろうかと思いますので、自分なりに整理もしたいと考えています。何分、過労死寸前の身ですので、忘れた頃にエントリーしますことをお許しください。

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コメント

彰の介様

確かに、A級戦犯の方々には、日本を敗戦に導いた責任はあると思いますが、日本人が彼らの責任を問う前に、「東京裁判」で「平和に対する罪」で裁かれました。
あのナチスでさえ、「戦争責任」では裁かれていないというのにです。
日本政府は「東京裁判」を受け入れています。前回のコメントで「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」について書きましたが、日本政府は「戦犯の名誉回復」にはあたらないとの見解のようです。
これ以上どうA級戦犯とされる方々に責任をとっていただくのでしょうか?

A級戦犯の「戦争責任」を対外的に認めたことから「自虐的歴史認識」は始まっていると思います。「侵略戦争を謝罪」したのは、日本だけです。植民地支配を謝罪した国はありませんし、中国は大戦後の侵略戦争を解放だといっています。
「戦争犯罪」は裁かれるべきだし、謝罪も賠償もおこなうべきですが、A級の罪とされる「戦争責任」を裁けるのは当時の日本人だけだと思うのです。

「すべての責任はA級戦犯にある」との歴史認識で日中国交正常化は成されましたが、その後も日本政府の謝罪外交は続きました。
A級戦犯の方々にこれ以上の責任をたとえ取っていただいたとしても、「自虐的歴史認識」は終わりません。中・韓両国の国民性を考えると、これからも彼らは日本に謝罪を求め続けるでしょう。そして、哀しいことに日本人の大部分は、その一方的な「歴史認識」からくる批判に反論できる知識を持ち合わせていないのです。
私もごく最近まで「南京大虐殺」を疑いもしませんでしたし、「盧溝橋事件」の諸説や「通州事件」など聞いたこともありませんでした。
私は日本の歴史教育に危機感を持っているのですが、彰の介様はどう思われるでしょうか?

投稿: chichi | 2005/06/18 00:24

chichi様、コメントありがとうございます。
個々の問題については、あらためて記事にしたいと思います。ご了承ください。
一言だけ、昨今の中韓の反日行動に対しては、私も苦々しく思うこと多々あり、ブログにしています。ただ、この反日行動に反論するために最も大事なことは何かと言われれば、「通州事件」のような相手のあら探しをすることではなく(事実として認識することを悪いといっているわけではありませんが)、日本のしたこと(国内的にも対外的にも)をしっかり認識することだと思っています(抽象的な言い方で申し訳ありませんが・・)。「お前だってやったじゃないか!」と言ったところで、日本の行為の免罪にはならないと思いませんか?。

投稿: 彰の介 | 2005/06/18 23:35

私は「通州事件」を持ち出して、「お前だってやったじゃないか!」と言いたい訳ではありません。だだ、歴史の中の事件として、知らないこと、また、教えないことに問題があると思っているのです。
「通州事件」は日本の行為の免罪にはならないと私も思います。
当時の軍部独裁の日本を肯定もしません。むしろ、嫌悪を感じています。
ただ、敗戦国である日本だけでなく、中国・韓国も「己の非」は認め、偏った歴史認識を冷静に見つめなおしていただきたいと願っているのです。

投稿: chichi | 2005/06/19 11:17

chichi様、コメントありがとうございます。
こういうと怒られるかもしれませんが、私とchichi様の意見は、基本的に同じだと思います。
確かに中韓は「己の非」をすべて日本のせい、あるいは反日を教育することでうやむやにしています。歴史教育がおかしいのはむしろ中韓かもしれません。
しかし、私は日本人が日本人の非をうやむやにしたまま、中韓の非を批判しているような気がしてなりません。chichi様は、日本人は日本人の非を受け止め、清算済みというお考えですよね。考え方に違いがあるとすればその辺りでしょうか。
私は、本来「中韓の非」は、中国人、韓国人が自ら考えることだと思います。でもあんなブーイングやら、ガス田やらやられたら、やっぱり一言言いたくなって、私もいろいろ書いてしまいました。そこで、もっと中韓に物が言いたいがために、足元を固め、日本人のくせにと文句を言われないように日本の非を清算する作業が、私にとっての「日本人の歴史観の原点シリーズ」なのです。
進む道は違うかもしれませんが、目的地は同じような気がします。違ったらごめんなさい。またご批判ください、よろしくお願いいます。

投稿: 彰の介 | 2005/06/19 22:48

彰の介様

>進む道は違うかもしれませんが、目的地は同じような気がします。

おっしゃる通りだと思いますます。

「日本人の歴史観の原点シリーズ」以外、書き込みしていませんが、他も拝見させていただいております。
お忙しいでしょうが、無理をせずに頑張ってください。

投稿: chichi | 2005/06/20 01:15

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