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2005/06/28

私の実名、30%公開中

 このブログの世界も含めて、ネットの世界では「実名匿名論争」が沸き起こっていましたが、私は今までだんまりを決め込んでいました。本日、私なりの意見を書こうと思ったのですが、やっぱり、「彰の介の証言」らしく適当にごまかして、切り抜けようと思います・・・。
 
 実は、こんなニュース「実名でのネット活用促す 総務省「悪の温床」化防止」を見つけました。お国の方は実名での発言の方へ進めたいようですね。こういうことをお国が言うと、内部告発的な情報をネットで公開されないよう予防線を張っているなんていう、うがった見方もできるのですが、まあ、ここまで匿名のデメリットが取りざたされてしまうと、「ルールの遵守」という理想論では済まされないですかね~?。
 
 基本的に秘密主義の私は、匿名でなければこんなに自分をさらけ出すことなんてできませんでした。また、職場や、組織の批判なんて、とてもできるものではありませんでした。私がそもそもこのブログに手を出したのも、鬱積した言いたいことを、彰の介として発言できるからで、気の小さい本当の私では10分の1も言い出せなかったでしょう。というか、正直言えば、この彰の介に変身したところで、発言やコメントには手心を加えてしまっているのが現実です。本来匿名にすることによって、現実の世界とネットの世界は隔絶しているはずですし、自分でもそれはよく理解しているつもりなのですが、実際、記事を書いたり、コメントを見たり、書いたりしている時、私は現実の世界と交錯して、かなりドキドキしてしまうんですね。ただの小心者といわれればそれまでですが、皆さんにはそんなドキドキ感はないんでしょうか。

 まあ、そんな私の小者ぶりはともかく、この「彰の介の証言」における、現実の私の公開度を考えてみました。
 
 氏名:よく考えれば名前は公開しているも同然ですね(笑)。氏名の30%を公開しているといえるでしょう。
 
 出身住所:県名は公開してますから、15%程度の公開というところでしょうか。
 
 現住所:都道府県名はしょっちゅう公言してますから(出身県じゃないですよ)、これも住所の15%は公開してるといえますよね(笑)。
 
 生年月日:生年は公開してますから、これも生年月日の30%は公開してますね。
 
 職場:住所地の大学病院って言ったら相当絞られますね。まあ、9%の公開というところで手を打ちましょう。

ということで、現実の私の公開度は30+15+15+30+9= なんと99%の公開!!・・・。
何わけのわからない足し算してるんだ!とか、数字の根拠は一体なんや!とかいう小心者の心を痛めつけるコメントはドキドキして過労死しちゃいますから、勘弁してください。

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2005/06/27

無駄論的二百三高地

日本人の歴史観の原点シリーズ((1) (2) (3) (4))を今後続けていこうとする時、どうしても振り返っておかなければいけないのが日露戦争のような気がしてなりません。しかし、日本人にとって日露戦争が相当に大きな出来事であったにもかかわらず、現代あまり語られることのない歴史的事象の1つの様な気もします。近代史で言えば、幕末明治維新や太平洋戦争に関する本や映画、あるいはテレビドラマ等はたくさんあります。ところが日露戦争というとこのエントリーのタイトルに掲げた映画(テレビでもやってましたが)「二百三高地」くらいしか私の頭には思い浮かびません(日本海海戦の映画もありましたっけ?)。本でいうと、司馬遼太郎の「坂の上の雲」でしょうか。というか、他にもあるんでしょうけど、私の日露戦争に関する知識は、この「二百三高地」と「坂の上の雲」、あと最近放送していたNHKの「その時歴史が動いた」の日露戦争に関する部分以外はないので、ご勘弁ください・・・。
 
 ところで、テレビでこの「二百三高地」が放映された頃、私は小学4年~5年生くらいだったと思うのですが、あの戦場戦闘シーンには子供ながらに衝撃を受けたことを思い出します。当時東洋最大といわれていた旅順要塞においてロシア軍は最新兵器であった機関銃で迫る日本軍に一斉掃射するのですが、なんと果敢にも日本軍はそんな機関銃の弾があめあられと飛んでくる中、鉄砲抱えて突撃するではないですか。結果は小学生の私にも明らかな、日本軍兵士の死体の山・・・。しかも、突撃の途中には、有刺鉄線が張り巡らせてあったり、地雷が埋まっていたり、闇雲に突撃すると「ロシア軍の落とし穴」といわれる壕?に落ちて、一斉射撃をくらったり、はっきり言ってとんでもない戦場だと思ってみていました。
 
 でも、そんな戦場シーンを見た小学生の私が戦争の悲惨さを感じたわけではなく、何をやったかと言えば・・・、腕にバットを抱え(鉄砲持ってるつもり)、近くの田んぼにあった大きな畝から畝へと身を小さくしながら進み(機関銃の弾を避けているつもり)、そしてころあいを見計らって?「突撃~」と叫んで走り出し、どぶを飛び越え(落とし穴をさけたつもり)、田んぼ埋め立て用に積んであった土の小山を駆け上がり(二○三高地山頂に着いたつもり)、バット銃を撃って敵を倒し(てるつもり)、そして最後にはバットを大きく左右に振って(日の丸を振ってるつもり)、「占領したぞ~!!」と叫ぶ二百三高地ごっこを何度もやっていましたね・・・・。いやはや恥ずかしい・・・・。でも、ひとりでやってたわけでなく、近所の友達を誘って何度も突撃をかけていたわけですが、誘われた友達が本当に突撃したかったかどうかは、未だにわかりません・・・。私、勝手に中隊長やってましたし・・・・。

 そんな無邪気な少年だった私を強調しつつ、本当はこの日露戦争の概略を無駄論的に語りたいのですが、時間がないのでまた別の機会に・・・。そんなわけでいきなり本題へ。そもそも、当時の日本が、本気で大国ロシアに勝つという勝算があったのでしょうか。映画の中で、児玉大将が「今戦えば、四分六で勝つ可能性がある」というシーンがあったと思うのですが、つまり、勝つ気はあったんですね。しかし、当時の常識からは普通勝利を想定することなんて考えられません。まだ、近代国家に生まれ変わって間もない日本と、当時世界最強とも言われる陸軍を要したロシア。動員兵力は日本がせいぜい20万から25万というところでしょうが、ロシアはウン百万は動かせたでしょう。そしてなんと言っても戦場が中国大陸ですから、日本からは兵隊さんから、武器弾薬食料まで、全てを船で運ばないといけませんが、ロシア側はシベリア鉄道ができればいくらでも物資が運べる地の利もあったでしょう。上で書いたように兵器も世界最新ですし、コサック騎兵なんていうのも有名です。
 
 そう考えると、常識では考えられない勝利を想定していたのは、幕末の混乱を生き抜き、戊辰戦争を戦い、西南戦争の銃弾を潜り抜けてきた、いわゆる元勲といわれる人たちならではの超人的発想としか考えられません。私にとってのはやり言葉で言えば、いわゆる「現場を知る人たち」だからこそ、この発想を現実に変えられたのだろうと考えられます。しかし、結果的には、この超人たちの発想は、明治維新のそのままであったようにも思います。悪い言い方をすれば「命よりも気合」?的な発想でしょうか。そもそもこの現場を知る超人たちは、命を捨てる覚悟で、日本の未来のために維新を生きてきた人たちのはずです。薩摩人などは、「命が惜しいのか?」といわれるのが最大の屈辱だったとも言います。したがって、この日露戦争においても、日本の未来のため、兵士の犠牲はやむを得ずという感覚が無意識的にあったのは間違いありません。 
 
 二○三高地には、日本兵の死体が累々と積み重なったといいます。一歩進めば一人が倒れ、また一歩進めばまた倒れと言う状態だったといいます。何もさえぎるもののない斜面の上から、機関銃で掃射されているのに、無邪気などこかの少年のように(なんて言うのは失礼ですが)突撃していくのですから、死体の山ができるのは当たり前といえば当たり前です。海軍も、連合艦隊が、ロシアバルチック艦隊を破り、俗に完勝と言われていますが、これも捨て身の作戦ゆえ、相当な死傷者が出たようです。そして、超人たちの予想通り、犠牲は出したものの、薄氷ながら、勝利と言う結果になったわけですが、この日本の勝利は、ものすごい数の命と引き換えに得たと言えなくもありません。

 こんな命さえ出せば勝利するという時代は、明治の元勲がこの世からいなくなった時にすでに終焉していたはずです。しかし、それに気付かなかったのか、それともその後の指導者が明治の元勲なみの経験と勘と運があると勘違いしたのか、この日露戦争の勝利は、その後の日中戦争、太平洋戦争における日本の大敗北につながったと考えられます。私は、日本人の歴史観の原点シリーズで、いわゆるA級戦犯の方々の責任論を問うたりもしているわけですが、元をただせば、この明治の元勲達がやりっぱなしで死んでいったのが最大の問題だったのかもしれません・・・。
 
 ということで、今後日露戦争についての無駄論的考察と、日本人の歴史観の原点シリーズを少しずつ、進めたいと思っていますが、いつ更新できるか全くはわかりません・・・。あと、久しぶりにどなたか、私と二百三高地ごっこしませんか?。したい方は、連絡ください。日の丸つき銃剣のオモチャを用意してお待ちしております。まあ、私は突撃する前に、過労死するかもしれませんが・・・。

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2005/06/23

岐阜弁教えたるわ!

 つい先ほどやっていたテレビ番組「マシューTVプラス」で方言対決?やってたのを見てて大爆笑してしまいました。自分の国の訛りをしゃっべちゃダメとか、訛りを標準語に言い換えるとか、っていう対決だったんですけど、難しいっていうか、無理ですよねそんなこと・・・。母親に電話をかけて、標準語で話してくれって言われたって、標準語でしゃべれるわけがない・・・・。
 
 ってことで、私もわが故郷岐阜が急に懐かしくなってしまいました。ということで、以下、私が東京に出てきて、自分の言葉がいかになまっているかを実感したエピソードを、岐阜弁で語らせていただきます。なお、訛りですので、丁寧語ではなく、友達言葉にさせていただきます。また、意味がよくわからない等の苦情は一切受け付けません(笑)。岐阜弁は非常に標準語に近いので(大笑)、解説はいらないと思いますが、もし解説が必要と感じられた方は、その旨コメントください。では、「標準語禁止タイム~!」

 あれは、いつやったかな、大学の3年か4年生の頃やったと思うんやけど、部活の後輩とめし食いに行くことになったんやわ。いつもやったら、そこらへんの喫茶店とか入るんやけど、なんかしらへんけど、たまたま目の前に回転ずしがあったもんで、入ってまったんやわ。そのころ、お金そんなにもっとらへんかったけど、さすがに後輩とめし行ったらこっちがおごらなあかへんやんか。回転ずしがいっくら安いって言ったって、学生の身分やでどきどきしながら食べとったんやわ。自分はイカとかタコとか食べとったんやけど、以心伝心で、後輩も、安ネタばっかり食べとったわ。よーできた後輩やわな。今から考えてみりゃ、ほんと、かねしてなーって感じやわ。そんで、けっこう食べたんやけど、後輩も、そろそろおなかぽんぽんになったかなーと思って、

まぁ、えぇ~え?」
って、聞いたんやけど、けげんそうな顔して「はぁ~?」って言うんやわ。だから、まあいっぺん
まぁ、えぇの?」
って聞いたんやけど、首かしげるだけで、また返事返ってこうへんのやわ。おっかしいなぁ?っと思ったもんで、まぁいっぺん聞き直したったんやわ。 
「だから、まぁ、ええのか!」
ちょっと怒鳴ってまったんやけど、こんだけ聞いても、後輩には通じいへんのやわ。そんでやっとこさ「まぁ、ええ?」って言うのが方言やって気付いたもんで、 
そろそろよろしゅうございますか?」
って聞いたら「ああ、もういいですよ」ってやっと返事が返ってきたんやわ。
 まあ、そんなこと考えると、「まぁ、ええ?」くらいは標準語に登録したらええんやないかと思うんやけど、我慢してこの文章ここまで読んでくれたしゅうはどう思う?。そう思うやろ?。こんだけ、岐阜弁と標準語がそうかわらへんのやで、ちょっとした例外だけ抑えといてもらえばええんやわね。
 そんじゃあ、また、やっとかしたら更新するつもりやで、期待せんと、まっとってね。

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2005/06/21

JR福知山線事故、再考

 JR西日本、福知山線のあの事故以来不通だった区間の運転が、ついに再開されたそうです。私は、あの事故についての報道にけちをつけたり、あの頃の雰囲気で批判をしたことが一度だけありますが(記者は遺族の代弁者か?)、事故そのものについてはあまり語っていません。実を言うと、事故の原因をJR西日本の体質のせいだけにしていいものなのか?、疑問に思うところがあったからです。

 事故の原因が究明されたかどうか、本当のところは知らないのですが、今のところ、オーバーランして遅くなってしまった時間を回復するため、運転手が制限速度を無視してスピードを上げすぎ、カーブを曲がりきれずに脱線したと考えていいのでしょうか。問題の本質は、この遅れることが許されない、制限速度を無視してでも時間を回復することが運転手には暗黙のうちに求められていたことで、そのプレッシャーの強大さが、現場の運転手から、経営陣には全く伝わっておらず、理解されていなかったことでしょう。
 
 しかし、残念ながら、この問題の本質というのは、「事故」が起きたからこそ表面化したものであって、あの事故さえ起こらなければ、全く問題とされることはなかったこと思われます。その理由について、私は二つのことを考えています。
 
 まず第一に、そもそもあのカーブにおいて、走っている電車が、出せる全速力で走れば必ず脱線するということを予見していた人がいるのでしょうか?。素人の私は、全速力で走った位で脱線するような、そんなやわな設計になっているわけないと考えていました。事故直後のJR西日本の会見でも、理論上電車の全速力を出しても、脱線しないはずだということを言っていました。無論、会見自体は、ただの”言い訳”会見だったわけですが、結局のところ、そんな計算はそもそもされていなかったのでしょう。事故が起こってから、その道の専門家なる方が、脱線の可能性を計算して出していましたが、これこそ、事故が起きたからこそ計算し直されたもので、元々知っていたのなら大問題ですが、誰も、専門家も、事故の可能性を予見できていなかったのではないでしょうか。
 
 第二に、上のことの関連し、そもそも、「より速くより正確に」というのは、鉄道利用者なら多くの人がそうあってほしい思っていることで、日本人にとっては極めて基本的なサービスであったはずです。これを「安全を無視した過剰なサービス」であるとして、その過密なダイヤや日勤教育などを、鬼の首を取ったように・・・私も批判してしまいましたが(苦笑)、これも、事故さえ起こらなければ顧客ニーズにこたえるための非常に強い(場合によっては立派な)企業努力とされたでしょうし、事故がおきたから、金儲け主義、非人間的教育とされたと思われます。
 
 鉄道に何を求めますか?と聞かれれば、皆さんならどう答えますか?。自信を持って「安全が一番」と答えられますか?。私なら「時間に正確」がやっぱり一番ですね。それどころか、人身事故での復旧時間を短くしてほしいとか、橋のかかっている川の水かさが増えたり、ちょっと風が吹いた位で不通にしないでほしいとか、はっきりいって、書いてる自分が情けないほど、安全なんか無視して自分の都合のことしか考えていないのが現実です。 
 不謹慎なことを書いてしまいましたが、「安全を無視した過剰なサービス」を批判する場合、やはりそのおおもとが顧客ニーズである以上、ニーズに答える努力と、その過剰な部分とを、しっかり分けて考える必要があるでしょう。
 しかし、この過剰なサービスというのを、事故が起きる前に指摘、批判するのは至難の技だとおもわれます。なぜなら、顧客ニーズにこたえてはいけないと指摘するわけですから、ふつうは企業努力が足りないととられてしまいますし、そもそも事故が起きなければ「過剰」とは気付かないものです。また、安全無視の私のような不心得者からすれば、それはサービスの低下以外の何ものでもないわけですから・・。

 私は、いろんな面で、JR西日本の経営陣や企業風土に関しては、批判されて当然だとは思うのですが、あくまで結果に対しての批判であり、今後を考えれば、「事故の再発防止」と言うのが最も大事だと考えます。
 例えば、あの魔のカーブのように、電車が全速力で突入すれば脱線してしまう可能性があるカーブで、まだATS等の安全装置が取り付けられていないような場所が、日本中探せば一ヶ所や二ヶ所や三ヶ所や四ヶ所くらいあるだろうと思われます。ところが、今のところ、ここは危険!と言う場所が指摘されているのを聞いたことがありません。もちろん、そんな場所が報道されたら、お客さんが乗らなくなってしまうので、「密かに」安全装置を取り付けて始めている・・・というのであれば、まだましですが、うちの路線に限って・・・なんて点検すらしてないところがあるのではないでしょうか。こういうことは国を挙げて、総点検してもらわないといけないでしょう。
 また、異常過密ダイヤで運行しているところや、遅れが生じやすい路線において、安全装置が不十分な場所を徹底的に洗い出して、場合によってはダイヤ改正を行わないといけないと思うのですが、今のところ、再開した福知山線以外は、ゆとりダイヤに戻した、改正したなんて話は皆無ですね。これなどは、まさに、今せっかく顧客ニーズにこたえるダイヤで運行しているのに、安全のためにサービスを低下させるダイヤに変更するなんてことが、いかに難しいかを物語っているような気がします。
 
 でも、事故が起きなきゃわからないではもう済みません。JR西日本の経営陣や企業風土の批判ばかりするのではなくて、過剰なサービスをちゃんと分別し理解して、サービス切り下げの覚悟を乗客の側が決めないと、またあのような悲劇を繰り返すことになるかもしれません。

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2005/06/15

日本人の歴史観の原点(4)

日本人の歴史観の原点として、 (1) (2) (3)と話を続けてきました。本日はその4回目、日本人にとっての戦争責任をもう少し考えてみました。
 
 私は、日本人の歴史観の原点(3)の中で、戦争を遂行した責任者の方々に対して、対外的なことに目をつぶったとしても、国内的には「敗戦の責任」をとってもらわないといけないのではないかということを書きました。これに対して、ひろゆき様からコメントをいただきました。

世論というご主人に押されて現場が外交を誤ったというのが戦争への道のりの実態ではないかと思っています。そうであれば戦争の責任をA級戦犯に押し付けるのは、翌日彰の介さんがまさに指摘している「でもやっぱり、責任は現場が取らされる」ということなのではないでしょうか。
ふむふむ、いわゆるA級戦犯の方々は、世論に沿った外交・戦争を進めたのであって、戦争を進めた張本人として責任を取らされたのはどうなの?というご意見(間違ってたらごめんなさい)ですが、う~ん、やっぱり私の視点とはちょっと違うとしか言いようがありません。
 
 まず、戦争を遂行した責任者の方々(一部当てはまらない方もいるとは思いますが、今後A級戦犯という言葉で代表させていただきます)のご主人様が「世論」だというほどに、A級戦犯の方々がただ世論に流されるだけの自論や信条しか持ち合わせていなかったとは到底考えられません。私は、A級戦犯の方々が、世論の後押しはあったとしても、基本的に自分達の信条の元に日本を戦争に導いたと考えています。しかし、そんな卵かニワトリかの議論はともかく、A級戦犯の方々の「責任」を、世論のせいにするのは不可能だと考えます。なぜなら、仮にA級戦犯の方々が本当に世論に流されただけの政策しかしていなかったというのであれば、それはそれ、その無責任さに対して責任を取ってもらわないといけませんし、自分達の信条の元に戦争を遂行したとすれば、もちろんその責任を取っていただかなければなりません。ところで一体何の責任を取っていただかないといけないのか?といえば、それは「戦争」というA級戦犯の方々の決断の元で、何百万という日本国民が戦場で、そして空襲で死んだことに対しての責任を取っていただかないといけないということです。 
 
 私はごく単純に、何百万という国民が死んでいる現実の中で、A級戦犯の方々が世論に後押しされた事実があったとしても「責任がなかった」とはとても思えないという考えです。また、私の視点において、かの時代における「現場」というのは具体的に言えば戦場であり、焼夷弾降る市街であり、すなわち言ってみれば「現場=国民」だったと考えています。当時、世論を戦争に誘導した何者かの影響があったとしても、アメリカのとても許されないような対日政策があったとしても、ヨーロッパ列強による植民地支配からの開放という大義名分が正しいとしても、日本が手段として「戦争」という解決法を選択した以上、その結果として責任を取らされたのは現場の戦場で散っていった兵隊さんたちであり、焼夷弾に焼かれた銃後の国民であったと考えます。もし、戦場や空襲で何百万という日本国民が死んでいったことに対する責任が、すべて「世論」にあるというのであれば、、世論を形成した張本人は日本国民ですから、その死自体が「自業自得」?という理屈になりますが、皆さんはそれで納得されているのでしょうか。
 
 しかし、よく考えてみると、この「何に対して」「何の」責任が存在するのかがあまりに曖昧なゆえに、また、責任を問う機会もなく、問う必要もなかったために、多くの日本人がこの自業自得の考え方を受け入れてしまっているように思われます。しかし、これはまさに日本人の自虐的史観そのものではありませんか。そんなところへ、”敢えて”、A級戦犯の方々に責任はなかったと言うことは、それはそっくりそのまま、「戦死したのも、焼け死んだのも自業自得、日本国民の責任」と言っているのと同じことになりますから、ますます中身のない自虐的史観に日本中が覆われることになるような気がします。私は(3)の中で、日本人の自虐的史観の原点が責任論のあいまいさから来ていると書いたのが正にこのことであり、逆にA級戦犯の方々の責任論は、日本国民の自虐的史観のお陰でうやむやになってしまったといえると考えられます。
 
 私の結論を言うと・・、多くの国民が死んでいったことへの責任を、当時の為政者たるA級戦犯の方々にとっていただくことこそ、対外的に物が言える”真”の「自虐的史観からの脱却」のスタートになるのではないかということです。今後、(5)~、そのあたりをもう少し考えて行こうと思っていますが、反論もあろうかと思いますので、自分なりに整理もしたいと考えています。何分、過労死寸前の身ですので、忘れた頃にエントリーしますことをお許しください。

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2005/06/10

過労死寸前?

 忙しいという言葉が嫌いな私の現状は、過労死寸前です。
 現在、やぶ医者の無養生で、かぜをひいて咳が止まらず、病院中にばい菌をまき散らしながら仕事をしています。仕事量はいつの間にか数ヶ月前の3倍以上!、ついでに仕事の現場には責任取らないサボり魔が多いせいで、気苦労が耐えません。とにかく今日も疲れました。
 そんな、くたくたの中当直に突入し、少し落ち着いたところで、このブログ打ってるわけですが、でもこれ、当直中だけに、ばれたらやばい?。かも。まあ、患者さんいない時は何やっててもいいんですけど・・・。たぶん。
 ということで、新聞に「若手有望やぶ医師、過労死!」なんてタイトルがでたら、私かもしれません。そんな時はお悔やみのメールでも下さい。天国で読ませていただきます。
 明日、あさっては、病院も休みです。私も久しぶりにゆっくり仕事ができそうです・・・・・。

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2005/06/04

お茶犬にはまった男

 最近、ペットボトルのお茶やジュースを買うと、おまけがついていることがよくあります。
 時には、そのおまけがうっとうしくて本体がほしくても買わないことすらありますが、下の写真の通り、私は伊藤園(お~いお茶)の策略にまんまとはまり、お茶犬コレクターと化してしまいました。DSC00493
(↑画像をクリックして拡大できます。)
一体、何本のペットボトルのお茶を飲んだのでしょう。っていうか、数えたら今の時点で36本・・・・。あほと言えばあほ、たわけと言えばたわけ、お茶くらい湯沸かして飲めという話もありますが、今のところ私にとって唯一といっていいストレス発散になっているという現実も・・・。こんなもの集めてストレス発散になるのかといって突込みが入りそうですが、私はそれくらい寂しい男でございます・・・。

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