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2005/07/05

日本人の歴史観の原点(5)

 日本人の歴史観の原点として、 (1) (2) (3) (4)および、おまけで無駄論的二百三高地と話を続けてきました。(4)では、敗戦したことおよび、国民が何百万人も死んだことへの責任をA級戦犯に取ってもらわないといけないのでは?ということを書いたのですが、今回はもう少し具体的な、ある意味、極めて単純な私の疑問というのを呈してみたいと思います。

 かの戦争において、日本が劣勢になり始めると、日本軍は極めて人命軽視の作戦を取り始めました。その象徴的な作戦の1つに「神風特別攻撃隊」があります。神風特別攻撃隊については、改めて解説もいらないと思いますが、要するに自爆攻撃であり、出撃は基本的に死を意味するということはいうまでもありません。私はこの神風特別攻撃隊という作戦に関し、大いに疑問を持っています。もちろん、その人命軽視の側面に関しては言うまでもありませんが、仮にこの人命軽視の部分を取り除いても、この作戦は疑問だらけなのです。
 
 一体何が疑問なのかといえば、この自爆攻撃が、「作戦としての体」をなしているのかという疑問です。確かに相手にしてみれば、命を恐れず突撃してくる日本の戦法に対し、震え上がったことは間違いないでしょう。しかし、この攻撃法には、作戦上明らかな欠陥があります。それは、出撃したら間違いなく航空機1機とパイロット1人以上を失ってしまうということです。極めて単純な話として、当時日本は資源小国だったはずです。そんな手持ちの少ない資源の中から、あるいは国民から身包みはがして徴収した金属などから作り上げた貴重な航空機を、たやすく海の藻屑にしてしまうこんなばかげた作戦はありません。これは、ますます資源小国の弱点が露呈してくるにすぎません。
 また、戦争中盤から終盤にかけて、日本が劣勢になっていった1つの原因に、優秀なパイロットを失ってしまったことがあげられるでしょう。当然、素人を連れてきて、明日からパイロットなれって言ったって、簡単に飛行機の操縦ができるはずもありません。それなりに訓練をつんで、やっと操縦ができるようになった人たちを、あっという間にこちらも海の藻屑にしてしまったら、その後の戦いが全くできなくなってしまうのはあまりにも明白です。

 私の考えでは、当時の国力を考え、当時の劣勢だった戦況を何とか挽回しようと本当に真剣に考えていたとするならば、「神風特別攻撃隊」なんていう作戦は上に書いた理由から、人命軽視の部分を考えなくとも、全くナンセンスだと思うのです。しかも、作戦を実行したからには、その損害と戦果とを十分に評価しなければなりませんが、おそらく戦果といえるようなものはほとんどなかったでしょう。仮にあったとしても、当時のアメリカ軍の戦力からすれば、焼け石に水だったに違いありません。そんな無駄な浪費作戦が、終戦まで続けられていたことを考えると、パイロットがどんどん命を落としていっているにもかかわらず、その作戦結果の評価は全くされていなかったのではないのでしょうか。一体これがまともな作戦だったといえるのでしょうか?。

 私はこの特攻作戦に関しては、全く作戦の体をなしていないと考えており、なぜこんな無駄な作戦が実行されたのか、その立案者の責任を問う必要があると考えているのですが、何故か戦後現在に至るまで、この「神風特別攻撃隊」というと、この攻撃隊に志願したパイロットの皆さんの悲劇としてしか評価がされず、この作戦を立案し、特攻を命じた人たちの評価は全くされてきませんでした。私は、こんな作戦を立案したのはとても玄人の軍人とは思えませんし、しかも、命を犠牲に日本を守れと命じておきながら、戦況を回復するに至らず、結局敗戦となったのですから、その非人道的人命軽視の作戦立案の責任は本来戦後追及されて当然だったと思っています。
 
 しかし、特攻隊の生き残りの人たちの話をテレビや本でみてみると、「自分だけ生き残って申し訳ない」とか「死にぞこない」と、作戦を非難するどころか、むしろ自分が生きていることを否定してしまい、自らを卑下してしまっている人たちが多いように思います。また、死を命じられたことに関しても、「当時はお国のために死ねと教育されていた、それが当たり前だった」として、その洗脳的教育の存在を肯定しつつも、洗脳されていた自分を認めるにとどまり、洗脳的教育そのものの批判や、その作戦自体の批判にはほとんど至りません。
 
 その理由の1つとして、日本人の心の中に、「人命軽視の作戦」=「自らの命を捨てて戦う神聖な作戦」と考える本能を持ち合わせていることがあげられるかもしれません。これを武士道というのか?サムライ魂というのか?わかりませんが、日本人の心に深く焼きついてしまっていた?いや、いまでも焼きついている?考え方なのでしょう。作戦を立案した人たちも、それが作戦としていかにおかしなものであったとしても、「命をかけた特攻作戦」が最も神聖でこれ以上の作戦はありえないと漠然と考えていたに違いありませんし、それを命じられたほうも、自分の命と、この神聖な作戦との間に、相当な葛藤があったに違いありません(特攻隊の方に対して軽々しい言い方でご批判があるかもしれません、申し訳ありません)。しかし、そんな本能が焼きついているからといって、この作戦を立案した人たちに対する責任論は、あまりにも甘すぎるかもしれません。どちらかというとこの作戦の立案自体は、確信犯的にただ責任の先延しをしたに過ぎなかったというのが私の見解ですが、それはまたあるかないかわからない(6)の方で、述べたいと思っています。

 私は、いわゆるA級戦犯の方々の責任について、前回、「敗戦」及び「数百万人という日本国民の死」に対する責任はあるだろうということを述べたわけです。具体論として今回、象徴的に、神風特別攻撃隊をあげたのですが、かの戦争において、兵隊さんにしろ、民間人にしろ、この人命軽視の考え方から死に至った国民が実に多いと思います。そして、この「人命軽視の作戦」=「神聖な作戦」というとんでもない勘違いが、責任者の責任論をあやふやにし、自虐的に国民の側の責任と考えてしまう「日本人の歴史観の原点」の1つに違いないと考えています。この人命軽視の作戦や考え方について、死を強制された側からのみ、その悲劇性を訴えることは、かえってそれを命じた方々の責任論を覆い隠してしまうということを再認識し、今一度、あやふやになってしまっている責任論を考え直す必要があるのではないでしょうか。

 本日も素人臭い私の文章にお付き合いいただきありがとうございました。

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コメント

> この「人命軽視の作戦」=「神聖な作戦」というとんでもない勘違いが、責任者の責任論をあやふやにし、自虐的に国民の側の責任と考えてしまう「日本人の歴史観の原点」の1つに違いないと考えています。この人命軽視の作戦や考え方について、死を強制された側からのみ、その悲劇性を訴えることは、かえってそれを命じた方々の責任論を覆い隠してしまうということを再認識し、今一度、あやふやになってしまっている責任論を考え直す必要があるのではないでしょうか。

まさにそのとおりだと思います。これについては、全面的に賛成です。

投稿: mia | 2005/07/05 05:56

mia様、毎度コメントありがとうございます。
あの施設には、死を強制された側の人と、死を命じた側の人が、同居しているんですよね。ちょっと不思議なあの施設です。

投稿: 彰の介 | 2005/07/05 23:23

 今晩は。また伺いました。小学生の時に読んだ記憶なので自信がないのですが、「神風特攻隊」の発案者は大西滝次郎海軍中将ではなかったかと思います。終戦の際に自決して特攻隊の戦死者にわびたと聞きますが、彼以外に責任を取った将官がいたとは寡聞にして知りません。

投稿: アッテンボロー | 2005/07/07 21:48

アッテンボロー様、コメントありがとうございます。
正直言えば、死んだ人にわびる気持ちがあれば、最初からその作戦についてもう少し考えてもらっても良かったような気がします。また、私も不勉強で、発案者の方のことなんてよく知らなかったのですが、いずれにしても、国として認められた作戦のはずですから、OKを出した方々の気持ちというのは、どうだったのでしょうか。

投稿: 彰の介 | 2005/07/08 00:03

神風特攻隊の第一号である関行男大尉は、出撃前に同盟通信特派員の小野田政に
「日本もおしまいだよ。ぼくのような優秀なパイロットを殺すなんて。ぼくなら体当たりせずとも敵母艦の飛行甲板に五十番を命中させる自信がある」
との無念の言葉を残しています。そして冗談めかして、
「ぼくは天皇陛下とか、日本帝国のためとかで行くんじゃない。最愛のKA(家内)のために行くんだ。命令とあれば止むを得ない。ぼくは彼女を護るために死ぬんだ。最愛の者のために死ぬ。どうだすばらしいだろう!」
関大尉は日本の敗戦を感じていたのかもしれません。
神聖な作戦ではなく彼にとっては、大切な人を守るための作戦であったと思えるのです。

その後、ラジオや新聞が二階級特進した関中佐を「軍神」と讃え、一人息子の死を悲しむまもなく「軍神の母」として振舞わなくてはならなくなった関サカエさんは、時々息子を思って放心状態になったそうです。
そして、敗戦で特攻隊員やその遺族を見る世間の目は一変し、住んでいた家に石を投げ込まれ、大家から立ち退きを迫られ、別の家に移ります。結局サカエさんは、三年近く、知人宅の物置部屋にかくまってもらったそうです。
これらの遺族に対するイジメは、A級戦犯の遺族にももちろん向けられました。戦犯の遺族には物を売らない、家を追い出される、学校に行けなかったり、本当に悲しくなります。

欧米人にとって特攻は理解できない恐ろしい存在でした。日本海軍の上層部はそれが狙いで、たとえ負けるにしても、最後まで特攻を続けることで、米英から譲歩を引き出すべきとの考えもあり、広田弘毅と駐日ソ連大使マリクとの終戦交渉などもつぶされ、さらに犠牲は増えてゆきます。
特攻が始まる頃は、すでに、いかに勝つかではなく、少しでも有利に負ける事を考えていたように思えます。
神聖な作戦と思っていたのはもしかしたら、マスコミに踊らされた民間人だけなのかもしれません。


日本を愚かな戦争に導いた責任はもちろんあります。しかし私には、責任者の責任論をあやふやにし、自虐的に国民の側の責任と考えてしまったとは思えないのです。
終戦後、遺族の方々に向けられたイジメを考えると、戦犯=悪であったようですし、その後の署名運動などで戦犯の方々の名誉を回復しようとする動きからは、国民の側の責任とした自虐的な物は感じられないからです。

もしこれから、責任者の責任論を問い直すとしたら、それがはたして「東京裁判」でのA級戦犯とされた方々に対して、で本当に良いのか?と言うことです。そして責任を公平に問うとしたら、再度歴史の検証を行い誰が何をしたかを確認しなければなりません。
その上、責任を問うべき人はすでに亡くなっており、その罪を背負わなくてはならないのは、責任者の子孫であり、60年の年月を考えると、孫や、ひ孫の方々になるのではないでしょうか?
戦後の遺族に対するイジメを考えると、正直、彼らの身が案じられてなりません。

などど私は考えますがいかなものでしょう?

投稿: chichi | 2005/07/10 04:44

 chichi様、コメントありがとうございます。
私としては、chichi様のご意見を参考にしつつ、やはり自論を展開したいと思っています。
 最初の関大尉のお話。要するに、特攻隊員自身が作戦に疑問を持っていたということですよね。だから、その作戦を立案した人に対してどう思っていたのでしょう。「死ぬこと」に対して「大切な人のため」という気持ちは多くの戦争に行かれた人が抱いていた思いだったとは思いますが、その死を強制していた人たちに対する気持ちは押し殺したままだと思うのですがどうでしょう。「日本もおしまいだ」と言う言葉の中に、この押し込まれた気持ちが凝縮しているような気がするのですが、間違ってますでしょうか?。
 また、戦犯等の遺族いじめ問題ですが、それ自体は大きな問題だと思います。が、何も私は、当時の責任者の墓を暴いて弓を引き、その家族の末代までも恨みとおそうと思っているわけではありません。また、当時の責任論が、いじめ問題のために考えないようにするというのもどうかと思います。何しろ、戦争では何百万人という人が死傷したのです。そちらは不問ですか?。このあたりの私の考え方はまた別に書きたいと思います。
 あと、神風特攻隊が有利に負けることにつながるどころか、墓穴を掘ったとしか思えません。やはり、そんなこと考えていたかと思うとますます残念な気持ちになりますが、そう感じる私はおかしいですか?。
 chichi様ご指摘の問題に関しては、私も十分考えに入れながら、注意しながら、(ブログの片隅ながら十分広い視野を持つよう努力しつつ)今後も私の気持ちを書き綴ります。またご意見ください。

投稿: 彰の介 | 2005/07/11 14:09

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