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2005/08/16

指導者にとっての戦後60年

 歴史観シリーズも、8月15日を迎え、一応の区切りをつけたいと思います。
過去の歴史観シリーズも興味のある方はご覧下さい。 
日本人の歴史観の原点(1) 
日本人の歴史観の原点(2) 
日本人の歴史観の原点(3) 
日本人の歴史観の原点(4) 
無駄論的二百三高地
日本人の歴史観の原点(5) 
日本人の歴史観の原点(6) 
批判テクニックを論破する 
日本人の歴史観の原点(7) 
日本人の歴史観の原点(8) 
広島長崎を南京にするな!
 
 いろいろごちゃごちゃ書いてきたのですが、流れと主張をまとめておきます。
 サッカーのアジア杯のブーイング騒動から、昨今の中韓による反日運動、領土問題やガス田問題など、日本人にとっては不快なことが立て続けに起きました。これに対して日本国内では、私の言うところの「正当化史観」が花盛りとなりました。正当化史観では、今まで日本に溢れていた自虐史観を否定します。すなわち、自虐して謝りっぱなしだから、中韓に不快なことをされるんだという主張です。さらに、そもそも歴史を振り返れば、日本の歩んだ歴史に誤りはない、もう謝罪する必要もないし(もう何度も謝ったし)、歴史観がそもそも誤っているのは中韓だという事になっています。今までのシリーズで述べてきたとおり、私はこの正当化史観の全てを否定しません。中韓の勝手な歴史観に対し、おいおいと思うことはいくつもあります。しかし、この主張の最大の問題点は、日本の過ちを覆い隠してしまうことです。いや、むしろ、覆い隠すことが目的の歴史観ではないかというのが私の意見です。そこで、私としては、いろんな見解のある対外的な戦争や植民地支配については大まかにしか取り上げませんでしたが、国内的な日本人指導者における、日本人への罪を通して(それを切り口として)、過去の歴史を日本人として見つめ直そうと考えたのです。日本の罪は、外国を批判したところで消えるものではありません。ましてや、例えば過去の歴史を隠している中国の歴史教育を批判しつつ、日本も同じような教育をしようとするのはいかがなものかと思いますし、決して幸福なことではないと考えました。

 さて、本日は60回目の終戦記念日ですが、そもそも終戦記念日ではなくて、敗戦記念日だという意見もあります。まあ、こういうことをいうと正当化史観の方からまた自虐だといって怒られるのでしょうか(笑)。
 
 日本は、この60年間、戦争をしなかった数少ない国であり、もちろん戦争による戦死者というのを一人も出しませんでした。日本の近代史を振り返ってみると「塞翁が馬」の例えがまさにぴったりで、太平洋戦争では300万人とも言われる死者を出し、焼け野原にされて敗戦となったにもかかわらず、日本は潰れるどころか世界有数の経済大国となり、世界有数の平等な国家となりました。日本人にとっては(個々に問題があったことはご指摘受けましたが)、基本的に幸せな60年間であったといえるのではないでしょうか。
 
 戦争だけに絞れば、戦争に行って死の恐怖を味あわねばならなかった国民は戦後60年いませんでしたし(戦場に行く人も、送る家族も)、他国の人に向かって引き金を引く必要もありませんでしたし、戦争によって、生活が苦しくなることもありませんでした。

 「戦争を二度と起してはいけない」という日本人の誓いは、理由と状況はどうあれ、この60年間守られ続けています。アメリカは、日本に戦争には勝ったものの、その後の戦争で多くの戦死者を出し、数多くの悲劇を生んでいることを考えると、本当に勝てば官軍かと疑問に思うことがあります。先のイラク戦争でも1000人以上の人が死んだといい、あの戦争が真に必要な戦争であったとしても、亡くなった方や、その家族のことを考えると、何か割り切れないものを感じます。

 私は、日本人にとって、この戦後60年が幸せな期間であったと評価しているのですが、もうひとつの視点を持っています。それは日本の指導者にとっての戦後60年です。役職でいうと総理大臣ということになるのでしょうか、まあ、影で権力を操っていた人も含め、戦後の日本を引っ張ってきた指導者にとっての戦後60年は幸せといえたのでしょうか。

 私は、いわゆる「戦争」というのもに関して絞っていうのであれば、戦後の日本の指導者は極めて幸せであったと思います。それは、国民に「戦場へ行け」と一度も命令する必要がなかったからです。もちろん自衛隊の派遣など問題になったことはありますが、積極的に引き金を引きに行くために戦場へ国民が派遣されたことはありません。指導者にとって、正しい正しくないはともかくも、危険な戦場へあるいは相手を殺すための戦場へ国民を動員し、戦死者を出すということは、その責任論からいって、ないにこしたことはないと思うのです。こんな視点は、今まであまりにも当たり前すぎたのか、あまり語られることはありませんでした。
 戦前は「お国のために死ぬ」ということが尊重され、指導者も国民の命を正に鉄砲の弾のごとく扱うことに躊躇していなかったと思われます。しかし、戦後は、多少の国益よりも国民の命が尊重される時代になりました。指導者は、そういう時代になったことに改めて感謝しなくてはならないと思いますし、そんな当たり前のことが、まさか逆戻りすることのないよう、国民は常に監視しなくてはならないと感じます。そのために最も大事なこと、それが、過去の歴史に目をつぶらないこと、覆い隠さないことなのではないかと思っています。

今後日本が、侵略戦争をする可能性はほぼ0だと思いますが、今後、北朝鮮や中国との戦争にならないとも限りません。そうでなくても、今後憲法が改正されれば、国連主導の戦争参加はあるかもしれません。平和のために、国益にならずとも戦争に参加するというのは、いかにも男らしくてかっこいい話ではありますが、一部の国民を死なせてまでしなければいけないことなのかどうかの判断に、私の視点が少しでも判断材料になればと思います。

歴史観シリーズは、何かあればすぐ復活しますが、一旦終了します。拙劣な文章に多数のコメントをいただきありがとうございました。今後も「彰の介の証言」の屁理屈三昧は続きます。屁理屈好きな方は今後もお付き合いいただき、ついでに下のランキングもポチッとクリックしてみてください。

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【追加記事】:微妙に更新時間が8月15日ではなく8月16日になりました。お許しください。
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コメント

彰の介様
お疲れ様でした。
歴史観シリーズ終了ですね。
これからも「彰の介の証言」楽しみにしております。頑張ってください。

投稿: chichi | 2005/08/16 01:44

>そんな当たり前のことが、まさか逆戻りすることのないよう、国民は常に監視しなくてはならないと感じます。そのために最も大事なこと、それが、過去の歴史に目をつぶらないこと、覆い隠さないことなのではないかと思っています。

まさに、そのとおりだと思います。まったく同感です。

投稿: mia | 2005/08/16 05:09

TBありがとうございました。

歴史観シリーズ、一気読みしました。なるほど「正当化史観」ですか、的を射た表現ですね。

「みんな悪いことをした、俺だけじゃない」「良いこともした。だから正しいのだ」……カエサルの言葉に「人間ならば誰にでも現実の全てが見えるわけではない。多くの人は、見たいと欲する現実しか見ていない」というものがあります。この言葉は「現実」を「歴史」に変えても通用しそうな言葉ですね。

さきほど、ウェブサーフィンをして知ったのですが、「自虐史観」と対を成す言葉に「自慰史観」というのがあるそうです。ちょっと笑ってしまいました。マスコミには載せづらい言葉なので、人口に膾炙しないのでしょうね。

まあ、僕もオナニー野郎なので(笑)、自慰は否定しませんが、それは隠れてこそっとやるもんじゃないか、と。

スミマセン。最後は下ネタ落ちにしてしまいました。

投稿: 仁@木偶の妄言 | 2005/08/16 21:37

 chichi様、mia様、木偶様、コメントありがとうございます。
 この後、偏った見方の歴史観が日本に溢れるようなことがあれば、また、私の屁理屈が炸裂するでしょう(笑)。
 私の屁理屈の出番がないことを祈るばかりです。
 以前アッテンボロー様からも、自慰史観という言葉を教えていただきました。自分にとって都合のいいことだけ主張すればいいのなら、どれだけ楽かなあと思いますが、私の場合、そんな都合のいい主張の穴が気になってしょうがないんですね。
 なんて話してる私の屁理屈こそ穴だらけといううわさもありますが・・・・(自虐的思考・・・)。

投稿: 彰の介 | 2005/08/16 21:40

 「自虐的思考」というとおかしくなるのではないでしょうか。章の介さんの場合は過ちを繰り返すまいと言う「自省的思考」という方がピッタリくるかと思うのですが。自省出来ない自慰史観の持ち主達とは全く対照的だと思います。

投稿: アッテンボロー | 2005/08/19 01:16

アッテンボロー様、コメントありがとうございます。
自省的思考ですか。確かにそんな感じですね。私の場合は、基本的に自分に対して被害妄想が入っていますから(笑)、自分で自分を自虐といっても別になんとも思いませんけどね。
またよろしくお願いします。

投稿: 彰の介 | 2005/08/19 20:01

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