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2005/08/06

日本人の歴史観の原点(8)

 日本人の歴史観の原点(7)では、正当化史観について、私見を述べさせていただきました。私としては、逆の歴史、つまり韓国と日本の立場が全く逆だったら、日本人として全く受け入れる自信はなく、それゆえに過去の日本の歴史を正当化できないと考えました。正当化史観の問題点はその正当化にあり、日本の非についてはさらっと流したり、ふたをしたり、他人の非をあげたりしながら、うやむやにしてしまうのが私にとって受け入れられないところなのです。さらに、正当化からは相手の反省どころか、さらなる日本批判しか生まれないのではないでしょうか。

 そう言いつつ、私自身、いろんなテクニックを使って、正当化史観側の急先鋒になる自信があります(笑)。
 
 例えばこんなのはどうでしょう。黒船来航以来の日本の国是?(と言っていいのかどうかはわかりませんが)は、「他国に植民地化されないこと」であったと考えられます。その結果、明治維新および、それに伴う大改革が断行されました。国内で旧勢力、新勢力の争いはありましたが、極めて最低限で済ませました(私なんか未だに廃藩置県が無血のうちに行われたのが信じられません)。私はこの「国の独立」を保つための血のにじむような努力と決断とで、何とか日本は植民地化の危機を免れたのだと考えています。

 日本はその後、独立から、「列強と肩を並べること」に目標が移り、そうこうしているうちに肩を並べるどころか、日露戦争で勝利を収め、朝鮮半島を併合するにいたりました。私は(7)において、この日本による植民化を受け入れられないと言いましたが、これを韓国側から見るとどうなのでしょうか。
 
 日本は列強に植民地化されませんでした。しかし、韓国は、日本に植民地化されてしまいました。韓国が日本によるこの植民地化を日本帝国主義のせいと結論するのであれば、そもそも、日本が日本の独立を守るために血のにじむような努力をしたことも否定するのでしょうか。すなわち韓国は、植民地化されないように日本のような血のにじむような努力をしたのでしょうか。まさか「我々は甘んじて日本に植民化されたのだ」というのでしょうか。まあ、甘んじてと言うのなら、今更文句を言わないでほしいと思いますが・・・。

 つまり、当時としては、決して独立を守るために努力をすることは否定できない時代だったと考えられます(当たり前ですが)。にもかかわらず、植民地化されたのであれば、まず、自国が植民地化された理由を十分に検討、あるいは反省すべきではないでしょうか。その上で、日本に物を申すべきでしょう。それをせず、日本の悪いとこばかり言うのは、まさに自国の非を覆い隠し、必死に正当化しているに過ぎません。
 
 ・・・・・・、こんな感じで、私も正当化史観の方の仲間に入れてもらえるでしょうか(笑)。
 しかし、私はやっぱり正当化史観を受け入れられない人間なのです。今まで私のブログを無駄にお読みいただいている方は、おおよそ見当がつくかもしれませんが、上に書いたことは、他国の非をあげつらって、うま~いこと論点をずらしつつ自国の非を覆い隠すテクニックです。というか、韓国正当化史観vs日本正当化史観,の対決ですね。韓国は、日本が悪いことを前面にだして、自国の非を覆い隠す、日本はその覆い隠された非をついて自分の非を隠す、すると韓国はその隠された非をさらについて自己正当化する・・・・という悪循環というか、実りがないというか、お互い様というか、これはちょっとお笑いです。
 私が日本の正当化史観を受け入れられない理由は、日本人として自己正当化することは、他国の正当化に文句が言えないからです。ということは、逆に言えば、私は中韓の正当化も全く受け入れていないのです。ということは、ある意味、上に書いた韓国の独立への努力不足のことも、私自身、実は本気で考えていることでもあるのです。

 私の歴史観が正当化史観と違うところは、「自分の非を認めることが第一義的なこと」だということです。その上で、もし相手がただこの非につけ込むことしかしてこないのであれば、文句を言えばいいのです。
 現実に、日本の正当化史観は、中韓の更なる正当化を生んで、つけ込み行為をさらに増加させる結果になっていないでしょうか。上で書いた悪循環ですね。
 
 また、日本という悪役がいるため、中韓では自国の歴史を正確に振り返ることができていないような気がします(中国はそもそも無理ですが・・)。これは本当に不幸なことではないでしょうか。逆に日本は悪役にされたせいで、自国の非を省みて、正確に歴史を振り返ることができます。これは本当に幸せなことではないでしょうか。日本人はこんな歴史観の原点というか、本能を持ち合わせていたため、戦後60年間、戦争で一人の死者も出していませんし、世界有数の経済大国、社会主義もびっくりの平等国家になれたのではないかと私は考えています。だからこそ、正当化史観でものを語ることは、日本にとって実に不幸なことではないかというのが私の結論なのです。

 ということで、今回は無駄に難解になってしまったかもしれません。「睡眠よりブログ」のせいで、寝ぼけ文章になっているかもしれませんが、ご勘弁の程よろしくお願いいたします。

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コメント

 お早うございます。少し古い記事なのですが、日本国内での「列強に追いつけ」とばかり「努力」していた日本の歴史の一部をまとめましたのでトラックバックさせて頂きます。

投稿: アッテンボロー | 2005/08/06 07:08

アッテンボロー様、コメントありがとうございます。
こちらからもトラバさせていただきました。また、ご覧いただきコメントいただけると幸いです。

投稿: 彰の介 | 2005/08/07 00:09

こんにちは。前にA級戦犯に戦争の罪を全て負わせるべきではないとコメントさせていただいたひろゆきです。彰の介さんの正当化史観、けっこういけてると思いますよ、前半は。歴史は一時期のことではなく、長い期間を見てから判断する必要があるとおもっているからです。太平洋戦争の責任も明治維新から出来事をきちんと検証する必要があると思っています。そもそもA級戦犯なんて歴史的判断ができないアメリカが勝手に決めた人たちなのですから、日本人がきちんと責任者を洗い出す努力をする必要があると思うのですがいかがでしょうか。

さて本題ですが、歴史と歴史観の問題はなやましいですね。きれいごとを言えば、歴史は事実の羅列でそこから各自が自分の歴史観を持てばよい話ではありますが、全ての事実を教科書に載せるわけにはいきませんし、選択には作者の歴史観が入るので現在のような問題になるのでしょう。ただし、自虐的といわれる教科書には本当に事実であったか疑わしい記述があるようですので、そのへんは何とかならないものかと思っています。彰の介さんの自分を正当化しないことが大切なんだという主張は魅かれます。しかし、世界は自分を正当化する人たちであふれています。その人たちの中では正当化しない人は絶対に損をします。竹島は韓国、尖閣列島や沖縄、大陸棚は中国のものですね。ヨーロッパではお互いの正当性をぶつけあったうえで、分かり合えるところは、わかりあうし、だめなところは棚上げにしているようです。もっともそこまでくるのに幾多の血が流れていることも事実だと思いますが。悩ましいですね、この問題。

投稿: ひろゆき | 2005/08/07 00:24

ひろゆき様、コメントありがとうございます。
私はそもそも人間なんて、自分さえよければいいというのが本能ですから、人間の集まりである国家において、自分に都合のいい歴史を作り上げるのは、ある意味ごく自然なのかもしれません。
しかし、私はどうしてもそれが耐えられません。やっぱり、中韓の歴史観は誤ってるんです。誤ってるのに日本も同じ誤りするべきじゃないと思うんですね。一見損してるようだけど、実は幸福なことなのではないか?と考えてみたのですが、ただの理想論なのか?、そうでないのか?。
私自身は、本能の赴くまま、正当性だけを声高に唱えるたところで、結局何の解決にもなりませんし、能のない方法かなあと感じています。

投稿: 彰の介 | 2005/08/07 01:33

中国も韓国も自分の正当性というものが汚れていることに気がつかない若い国なのだと思います。戦前の日本は同じ理由で戦争をしまくり、ついには破滅したと思っています。(太平洋戦争の責任は日本人全体にあるとしたのはこう考えているからです。)とはいうものの、自分は不当だと思い続けるのは不健康な気がします。この辺が難しいところですね。

投稿: ひろゆき | 2005/08/07 02:35

このシリーズを読んでいて、ずっと何かわだかまっていたものを感じていたのが、今日、このコメントのやり取りを読んで、ようやく自分で解決がつきました。

要するに、「正当化史観」の人たちは、戦時日本を「自分」だと思っているから、戦時日本への批判は「自分は不当だと思い続けるのは不健康な気がします」となるのですね・・・

目からうろこでした。

私は、日本という国・民族は連綿と続いてはいるけれど、第2次世界大戦で敗戦して、「新しい国」に生まれ変わったと思っているわけで、だからこそ、「戦時日本」については、客観的な判断をしている、そうすべきである、と考えています。・・・「戦時日本」は自分の前身ではあるけれど、自分じゃない。

これを「自虐史観」と呼ぶ人たちの「自分」がわからなかったのだけれど、ようやくわかりました。

・・・・・でも、「自分」への批判だったら、落ち着いて聞けない、って聞こえる「正当化史観」の人たちの言い分は、やはりちょっと(いや、大いに)おかしいように思えます。

投稿: mia | 2005/08/07 08:44

彰の介さん人のブログで勝手に討論するのは大変失礼とは思うのですが、そのままにしておくと誤解されてしまうのでmiaさんに一言言わせてください。
miaさんこんにちは 残念ながら、あなたの理解は間違っています。日本は戦争に負けた影響と共産主義のプロパガンダを受けたせいで、戦前の日本人にものすごい反感を持つ世代が登場してしまいました。多くの人は社会という修正期間で考え方を広く持つことができるようになったのですが、学校というところとマスコミというところにそのかけらが残ってしまっています。その人たちがうそまでついて日本を悪く言っているのです。私としてはうそまでつくのはひどすぎないか。といった感想を持っています。中国は毎年第2次世界大戦の戦死者が増え続け、すでに激戦を耐え抜いたソ連の戦死者を抜いています。韓国にいたっては日本の一部であったにもかかわらず、日本と戦ったようなことを言っています。そんな国のいうことを信じて、同じ日本人のいうことを信じないという気持ちになぜなるのか理解に苦しむところです。(あなたがということではなく、言いなりになっている人がいるじゃないですか)

もうひとつ、戦時中のことをじぶんとおもっていうのですね。って当たり前じゃないですか。私の親は戦地に行った世代なんです。少なくともあなたのおじいさんは戦争に関係した世代ではないですか?あなたはおじいさん、おばあさんを自分とは切り離してしまうのですか?それに加えて、あなたは日本人として恩恵を確実に受けています。それはあなたが切り離した戦前の人たちのおかげの部分もあるんです。恩恵だけ受け取って、悪い部分をカットするのはどんなものなのでしょうか。遺産拒否の場合は恩恵も拒否するのが正しい立場だと思います。
うーん少し語調がきびしいかな。多少の失礼はご容赦ください。

投稿: ひろゆき | 2005/08/07 12:16

ひろゆき様へ

たぶん、私の文章力がないために、私の真意が十分に伝わっていないと思いますので、とても残念です。
私の言いたかったことは、一言で言えば「戦争はそのとき『国』を動かしていた支配勢力が行ったもので、当時の国民はその『国』の国民であったことによる責任の一端はあっても、責任のすべてを負うことはない。そして、今、私たち日本市民が、戦時日本を動かしていた支配勢力を『自分』と思う必要はない。」ということです。

ここで、「正しい・正しくない」の議論をするつもりは毛頭ございません。

ただ、「戦時日本を『自分』と認識する人がいる」ということは、うかつにも私は今まで気がつかなかったので、大変今日は良くわかってよかった、そう言いたかったのです。本当にありがとうございます。

彰の介さん、お騒がせしてごめんなさい。

投稿: mia | 2005/08/07 15:12

遅ればせながら彰の介でございます。
私の立場は、今まで書いたとおり、自虐史観も正当化史観も認めない立場です。自虐史観が歴史の事実を捻じ曲げているとすれば、正当化史観は歴史の事実をあまりに都合よく解釈していると思います。
ただ、ブログの世界ではあまりに正当化史観が花盛りなので、このブログはちょっと自虐よりになってますが(笑)。
ここではごまかして自分の立場を再掲するに留めますが、また皆様のご意見聞かせてください。私は私の道を行かせていただきます(笑)。

投稿: 彰の介 | 2005/08/07 23:12

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