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2005/08/30

巨人監督は江川でダメなのか?

 巨人の監督候補に、星野仙一氏の名前が挙がっています。私を含めて、中日ファンが泣いて阪神に送り出したのに、よりによって巨人が・・・・。

 実を言うと、私は監督としての星野監督をあまり評価していない一人です。そんなわけで、中日ファンからは非国民扱いされております(笑)。正直私の場合、明らかに落合監督びいきなのです。
 星野監督の手法は、なんとなく気合と根性という雰囲気が漂っていますが、現実には他球団からの選手獲得による戦力アップがほとんどです。フリーエージェントや生え抜き選手の放出でのトレードによる大物選手獲得が非常に多いのです。いつの間にか生え抜きの大好きだった選手が誰もいなくなった・・・、そんなのが私には耐えられませんでした。

 これがまた、巨人星野監督が誕生したらどうなるんでしょう。私が予想するに、投手力アップのためにまたしても外から輸入すると思われます。日本一の金持ち球団であり、お金には問題ありません。新しい血を入れるために、きっと生え抜きの巨人選手が大量放出されるでしょう。今までのパターンからいくと、戦力充実と、勢いから二年目は優勝できるかもしれません(過去三度の優勝はいずれも就任二年目)。しかし、その後はなぜか戦力ダウンし、生え抜きの放出による戦力補強を繰り返すのですが、なぜか徐々にこじんまりしたチームになってしまう・・・というのが今までのパターンでした。

 これが球界にとっていいことか悪いことかは分かりません。一種のカンフル剤としてはいいかもしれません。巨人ファンは、生え抜きにこだわらず、強ければいいという人が多いですから、2~3年は十分いけると思います。しかし、その後、上に書いた予想通り、常勝軍団になるかどうかはなんともいえません。カンフル剤が切れたとき、抜け殻のようなチームが残り、球界全体が萎縮してしまう結果にならないか?、そんな心配が私にはあります。

 そんなわけで、私は、何で次期巨人監督が江川卓氏でいけないのかと真剣に考えています。まあ、アンチ巨人の私としては、この上ない無責任発言なわけですが・・・。あのオチャラケさが嫌われているのか、チームをまとめるというところに?が付くからなのか、候補に挙がってはいても現実に監督就任とはいかないようです。理論はとしては球界随一だとは思うんですが・・・。
 巨人のフロントは、大物の4番バッターを何人も取ってくるのと、今回の大物監督を招聘するのと、同じだってことに全く気づいていないんでしょうね。今の巨人に本当に星野仙一氏が、必要な人物とは私には思えませんが・・・。

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2005/08/28

アップル再び

 世の中、コンピューターといえば、Windows系が席巻しているわけですが、根強い人気を持っているのがアップルコンピュータのマッキントッシュ(マック)シリーズです。

 私は職業柄やぶ医者をやっているのですが、この医療界というのは画像を扱う関係からマックを使っている人が非常に多く、何を隠そう、この私も最初に購入したコンピューターはマックでした。初心者向けのデスクトップで、10年前になります。
 二台目のコンピューターもマックで、ノートパソコン(Power Book)を購入しました。これはどこに行くにも持ち歩き、長年使い続けたのですが、さすがに5年6年と経つと性能的に厳しくなってきました。

 2年前の引越しを機会に、新しく三台目のコンピューターを購入しました。この時私はアップルを見限って、ソニーのVAIOのモバイルノートを選びました。なぜかといえば、コンピューターを持ってでかけることが多かった私にとって、マックに2㌔を切るような軽いノートがなかったのがネックになったのです。また、別にアップルを見限ったわけではなく、あくまでこの新しいノートは持ち運び用で、自宅には、新しいマックのデスクトップを置こうという、金にものを言わせた(笑)贅沢なことを考えていたのです。

 ところが、所詮私が使う程度のことなら、十分にこのモバイルノートで事足りてしまうということに気が付きました。全くデスクトップを買う必要なんてありません(お金はあるんですけど・・・本当?)。自宅には無線LANを使いそれはもう快適です。そして、新しいマックを置こうとしていたパソコンラックには、古いマックのノートを置いていたのですが、残念ながらほとんど出番はなくなってしまっていました。

 これがまた、このマックの祟りか、怨念か、VAIOの調子が購入2年目を迎えて悪くなりました。電源系統の異常で、バッテリーに充電できたりできなかったりで、時に起動できなくなってしまうのです。ごまかしごまかしなんとか使ってきたのですが、ついに修理の決意をし、明日電器やさんに持っていく予定です。
 
 ということで、このエントリーをもってしばらく「彰の介の証言」をお休みにさせていただきます・・・というつもりだったのですが、実は前エントリーを実験的に、出番のなくなっていた7年目戦士マックのPower Bookでしてみたのです。マックファンの方でないとわからないと思いますが、このマック、OSは「Mac OS 8.6」という二時代前のものです。送信できなかったらどうしようとハラハラしていたのですが、ちゃんとできてるじゃないですか。老兵は去るのみじゃないですね。見事に復活です。まあ、正直使い勝手がかなり悪いのは事実ですが、VAIOが戻ってくるまで、この老兵でエントリーします。

 といいつつ、9月はこのコンピューターの事情と、仕事の都合で、エントリー回数が減るか、ショートエントリーが多くなるような気がしますので、無駄な私の文章を我慢して読んでいただいていた皆様には、ご迷惑をおかけします。
 そんなことで、今年の我が家のハイビスカスは極めて順調に開花を続けていることをご覧いただきつつ、本日のエントリーを締めくくりたいと思います。
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2005/08/26

選挙の真髄

 どうも私が小泉総理びいきということを書いたことで御批判のトラックバックをいくつか頂戴している様です。

 言い訳までに書きますと、私は小泉さんとイデオロギー的には全く合っていません。小泉さんの外交や、平和に関する考え方には一言も二言もいいたいことがあります。ですから別に絶対的な信者ではありません。ああいう、自らの支持団体にさえメスを入れようとする政治家を見たことがないと思ったまでです。
 
 しかし、小泉さんのいう「痛み」に対する考え方は、私の中では確固たるものがあります。小泉さんの政策には、確かに痛みの伴うものもあったでしょう(くわしい政策の内容云々のことは素人の私に評論できないものもあると思いますが)。しかし、この痛みというのは、おもしろがって、いじめでやったものではなくて、いわゆる失われた十年と呼ばれる無策のバブル後政治のしりぬぐいのような気がしてなりません。痛みがないということは、それこそ問題を先送りしているだけということですし、バブル後、痛みを感じないようにするため、いったいどれだけの麻薬的政策が行われ、借金を積み上げる結果になったことかを考えなくてはいけません。評論家の中には、小泉政権になってから、景気が悪くなったとか税収が落ちたとかわけのわからんことを言ってる人がいますが、明らかに問題先送り政治の後遺症が出たとしか考えられません。先送り政治が限界に達したまさにその時、小泉政権が発足した、それだけのことではないでしょうか。

 そこで私が考えていること、それは、選挙するものとして(一票を投じるものとして)、いかなる態度で選挙に望むべきかと言うことです。はっきり言えば、前々から言っているように、選挙民がハイエナになって、お金や仕事をせっせと運んでくれる人を選んでいていいのでしょうか。言い換えれば、苦しい苦しいと言って、麻薬を打ってくれる人を選んでいていいのでしょうか。
 
 そういう言い方をすると、あたかも、土建屋さんに対して言っているもと思われるかもしれませんが、そんなことはありません。我々の生活の根本である、税金や年金のことも同じ事です。
 
 例えば、今回の選挙に関して、郵政民営化の問題よりも、年金問題の方が関心が高いようですが、この年金問題を考えると非常に複雑な事になります。
 この年金問題の本質は「将来安定的に年金がもらえるか?」ということでしょう。ところが国民年金の未払いが半数に及んでいるのはどういうことなんでしょう。自分のお金は払いたくないけど、将来年金はしっかりほしい???、そんなのありですか?。いや、将来年金がもらえなくなるかもしれないから、今払っているのは無駄だと考えるのでしょうか。でも、だったら、「年金廃止論」をぶちまかないといかんでしょう。いやいや、社会保険庁の無駄遣いに腹を立てて未払いということでしょうか。確かに、大大問題であることは間違いありませんし、このあたりにほとんどメスが入っていないのも事実です。しかし、その結果が、数年で10兆円とも言われる財源の消失で、年金存続の危機になっているとしたらとても抗議の未払いとして片付けられませんね。なんかNHK問題みたいな雰囲気になってしまいましたが‥‥。

 まあ、払いもしないのに、年金問題に関心があるもないもないじゃないかと言いたいところをぐっとこらえて(言っちゃった?)、そんなことは横に置いて話を続けます。
 年金問題の与党の案は、段階的な掛け金(っていうのでしょうか)の増額と、支払われる年金の減額です。しかし、このままいくと、いずれ増額と減額の見直し見直し(掛け金は高く、支給は低く)の連続になるでしょう。なぜなら、人口統計の予想が全然間違っているからです‥‥、ではありませんぞ!!。これは、あまりにも掛け金が高くなったら国民が怒るし、支給が減ったら国民が怒るし、要するに国民が何とか我慢してくれそうな金額を設定しておいて、その根拠(人口統計)を後から考えたからに違いありません。未払いが増えたらますますその傾向は強くせざるを得ません。おっとこれは横に置いたんだっけ‥‥。結局財源が足りなくなったら国債発行?ですか、これって、要するに問題先送りじゃないですかね?。

 じゃあ、民主党の訴えてる基礎年金部分は年金目的消費税をあてるっていうのはどうでしょうね。でも民主党はこの全く新たに加えられる消費税の%をはっきり言いませんね。というか、そもそも消費税の増税に皆さんは賛成しますか?。5%でも腹立たしい消費税が8%、10%、15%となっても何ともないですか?。これまたわけのわからん評論家がほえますよ。大改悪だと。いやいや、いざとなったら民主党がこの消費税額をどう決めるかといえば、それはもう、国民が怒らない程度の%にするに決まっています。そうするとやっぱり財源がなくて国債でまかなったりして、これってやっぱり問題先送りという寸法ですね。

 何が言いたいかと言えば、安定的に年金がもらえるようにするには、それ相応の負担をするしか方法はないではありませんか。でも、負担増を声高に叫んだり実行しようとすれば、国民みんなが怒るから、与党野党共に、負担のなさそうな方法を誤魔化しながら訴えることになってしまうのです。誤魔化すから問題が先送りになってしまいます。先送りすれば誰も怒りません。国債がたまるだけです‥‥。
 そして誤魔化しているのは政治家だけが悪い???、うむむ、やっぱり私は痛みはいらないけど飴はほしくてたまらない、国民に一因があると考えているのです。そして、真の政治家は、改革を成し遂げるためには、「痛み」を訴えざるを得ないと思うのですがどうでしょう。

 一つ理想論を考えてみました。今後、莫大に膨れ上がった日本の借金を返していくためには、或いは少子高齢化の中で高福祉を支えていくためには、どう考えても増税を含む高負担が必要と考えています。
 そんなことで、「屁理屈党」の党首、彰の介は、こんなこと言ってます。

我々が政権を執ったら、3年間増税せず、徹底的に歳出の無駄や、甘い汁すっているところに徹底的なメスを入れ、改革を断行します。その上で、解散総選挙を施行し、この改革断行の点数を付けて下さい。もし合格点が得られたのであれば、国民の皆さんに増税を含めたご負担増を受け入れていただきたいと思います。
えっ?、改革はしてもらってもいいけど、やっぱり負担増はダメ???、うむむ、そうですか、屁理屈党の出番は、全くなさそうですね。借金返済が火の車になっても、私は知りませんけど‥‥。

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2005/08/23

またしても、ほりえもん考

 未だに、ほりえもんが自分より年下だということを信じたくない私ですが(笑)、今度は選挙へ出馬ですか・・・。いい意味で、その行動力と決断力には恐れ入りますが、常に話題の中心にいないと気がすまないたちなのかもしれませんね。

 ほりえもんに対しては、世間からは様ような評価がされています。私も、何回かほりえもんについて書いてきました(老人とほりえもん 未来を見通す天才 ほりえもんは嫌われもん!)。正直自分の過去記事を読み返してみると、私のほりえも考は、評論家っぽい記述が多くてつまらないかもしれません(反省!)。

 まず、今回の選挙への出馬に関して、「なぜ亀井さんの刺客になったのか?」「なぜ無所属のままの出馬なのか?」という疑問があります。普通、選挙に出るからには当選するのが目的ですから、わざわざ強敵に当たる必要はありませんし、自民党の公認となって比例という手もありました。ついでにいうと、社長業のほうもそのままですから、退路を断って戦っている感じもありません。見も知らない土地で選挙運動して、本気で当選する気があるのでしょうか?。なんか、自民党から報酬でも出るのではないかと思ってしまいますが・・・。
 
 まあ、ほりえもんの選挙出馬の是非や、その意味については、専門の評論家の皆さんにお願いしましょう。私のような素人が評論するまでもありません。それよりも素人は素人らしく、正直にほりえもんに対する考えを言いましょう。
 
 早速亀井さんと各局の番組の中で論戦を始めていますが、その様子を見ていてびっくりしました。それは、ほりえもん自身に浴びせられる批判的質問に対して、かなり感情的なって答えていたことです。朝の番組では、「そんなくだらない質問、答えなくていいですか?」なんてやってるから、こっちの方がハラハラさせられます。
 そんなことで、少し年上の若年寄(私のこと)から、若年寄らしく一言いいたいと思います。

おい、脂ギッシュ堀江!、お前、まずは口のきき方勉強してから出直して来い!
 これ、若年寄らしくていいですね。論戦の中身じゃなくて、その雰囲気に違和感を感じるってところがいかにも若年寄らしいところです。
 皆さんは、どうお感じでしょうか。言ってることもおかしいし、言い草も気にくわんという感じでしょうか、それとも、中身が大事で雰囲気は関係ない、むしろ好印象という感じでしょうか。私は決してほりえもんが論戦の中で言ってる内容には反対しませんけど(むしろ同意見)、やっぱり雰囲気が憎たらしいですね(笑)。年下のくせに・・・(大笑)。と言いつつ、本当はあのふてぶてしさに、ある意味本気で憧れを感じていたりもします(マジです)。私も他人の目を気にすることなく、あんなふうにふてぶてしくなってみたい・・ものです・・。

 ということで、最近まじめネタが多すぎたので、久しぶりに素人本気ネタで勝負してみました。政治は建前論が多くて、論戦自体つまらないことが多いような気がします。ですから、ほりえもんはほりえもんらしく、ふてぶてしくてもいいから、物が挟まったような物言いではなく、正直な、正面からの論戦を期待したいものです。

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2005/08/20

政治家の真髄

 郵政解散か、自爆テロ解散か、刺客列伝解散か知りませんが、世の中選挙ネタで盛り上がっております。正直こんなに関心の高い選挙を経験したことがありません。結果は想像もつきませんが、9月11日がなんか楽しみになってきました。

 実は私には、「政治家とはこうあるべき」という理想論があります。そのあたり実は以前ハイエナとモラル(ぜひお読みください)というエントリーで述べたことがあります。このエントリーの最後で、

ちなみに私は、一人だけ、変人政治家を知っています。自分の大切な支持団体にもかかわらず、それにあえて改革を断行しようとしいる人物です。身を削るような支持団体への改革は、未だかつて見たことがありません。私は「モラルの消失していない唯一の政治家」として、その部分だけは高く評価しています。そう、その政治家はもちろん、日本国の総理大臣のあのかたであることはいうまでもありません。(一部改)
と、小泉びいきであることをばらしています。残念ながらイデオロギー的には合いませんが・・・。
 
 小泉さんがテレビなどに出始めたのは、小選挙区比例代表の導入をめぐる選挙制度改革に対し、頑強に反対する立場でだったと思うのですが、当時のイメージとしては、なんかただのわがまま政治家くらいにしか感じていませんでした。それが、郵政民営化というのを旗印に総裁選に出始めてから、私は小泉びいきになりました。理由は上のエントリーや引用文にも書いてますが、自らの支持団体に対して、改革をしようとしている政治家なんて見たことがないからです。そもそも国会議員は、利益を代表して選ばれます。ハイエナとモラルの中で、私はそのことを「憲法違反だ」と書いたのですが、残念ながら、そんな理想論とはかけ離れ、ハイエナにせっせとえさを運んでくる政治家が国会議員に選ばれている現実があります。

 そして、政治家が選挙で訴えることといえば、「高速道路を作ります」「新幹線をひっぱってきます」等といった、えさばら撒き話か、「増税反対!」「無駄な公共事業を減らします」というような耳ざわりのいい総論話しか聞いたことがありません。
 しかしよく考えてみれば、本来なら「高速道路を作りますから、増税させてください」と言わなきゃいけないし、「増税はしませんから、将来の社会保障はあきらめてください」と言わなきゃいけないし、「無駄な公共事業で食ってる人は、失業してください」と言わなきゃいけないはずです。
 そんな言わなきゃいけないことを言ったのも小泉さんしかいません。具体性には欠けますが、「痛みの伴う改革」そんな言葉を使ったのも小泉さん以外いないことは明らかです。支持団体であろうとも信念に基づき改革を断行する勇気を持つ、改革に伴う負の部分もはっきり訴える、こんなところに私は、政治家の真髄を見ているような気がします。
 
 そしてもう一人、小泉政権の中からものすごい政治家が現れました。叩かれても叩かれても、全くめげずに小泉改革を進めている、竹中大臣です。あんなにけちょんけちょんに叩かれても、逃げない政治家を、私は見たことがありません。小泉総理が、竹中さんを郵政担当大臣にしたのも、あの叩かれ強さからでしょう。1つの目玉として大臣になった石原さんは、サンドバックにされて、いつの間にか消えてしまいましたが、小泉政権発足当時から、サンドバックにされ続けて、生きているのは奇跡と言う他ありません。
 
 評論家や一部国会議員から、本当にけちょんけちょんに言われている竹中大臣ですが、私は一体どのあたりの政策が間違っているのか、何をしでかして怒られているのかがよくわかりません。バブル崩壊以来の「問題先送り」に決着をつけたのは、竹中さんとしか考えられません。未だに不良債権問題が未解決だったら本当にぞっとします。そもそも竹中さんは学者ですから、逃げようと思えばすぐにでも逃げられたはずです。最初は議員でもありませんでしたし・・・。けちょんけちょんに言われてまで、信念に基づいて行動する、これは政治家以上の行動力だと思います。私なんかにはとてもまねできません。

 改革とは、一見響きのいい言葉ですが、実際は既得権益をめぐる汚い争いです。既得権益を守る側は、それはもう汚い言葉や汚い手を使ってでも、改革にストップをかけようとするはずです。そんな攻撃に耐えながら、改革を断行する勇気、行動力は、政治家の真髄と言えるのではないでしょうか。
 
 選挙で投票する側は、えさを運んでくれる人を応援し、政治家もえさ運びをせっせとする、そんな政治はもうたくさんです。そんな政治は終焉を迎えてほしいのですが、郵政だけを切り口にした自民党が、本当に昔と体質が変わっているのか??、首尾一貫しない主張をしている民主党に、改革を断行できる政治家が本当にいるのか??。このことはじっくりと、選挙日まで悩ませていただきます。
 
 おっと、公正中立の(笑)このブログ、公明党、共産党、社民党、国民新党のことも書かねばなりませんが、もう夜も遅いので(笑)、とにかくがんばってください、とだけ付け加えさせていただきます(笑)。 [ゴーログ]民主党はキャラを立てて対抗することができるのか?へトラックバックさせていただきました。
 
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2005/08/16

指導者にとっての戦後60年

 歴史観シリーズも、8月15日を迎え、一応の区切りをつけたいと思います。
過去の歴史観シリーズも興味のある方はご覧下さい。 
日本人の歴史観の原点(1) 
日本人の歴史観の原点(2) 
日本人の歴史観の原点(3) 
日本人の歴史観の原点(4) 
無駄論的二百三高地
日本人の歴史観の原点(5) 
日本人の歴史観の原点(6) 
批判テクニックを論破する 
日本人の歴史観の原点(7) 
日本人の歴史観の原点(8) 
広島長崎を南京にするな!
 
 いろいろごちゃごちゃ書いてきたのですが、流れと主張をまとめておきます。
 サッカーのアジア杯のブーイング騒動から、昨今の中韓による反日運動、領土問題やガス田問題など、日本人にとっては不快なことが立て続けに起きました。これに対して日本国内では、私の言うところの「正当化史観」が花盛りとなりました。正当化史観では、今まで日本に溢れていた自虐史観を否定します。すなわち、自虐して謝りっぱなしだから、中韓に不快なことをされるんだという主張です。さらに、そもそも歴史を振り返れば、日本の歩んだ歴史に誤りはない、もう謝罪する必要もないし(もう何度も謝ったし)、歴史観がそもそも誤っているのは中韓だという事になっています。今までのシリーズで述べてきたとおり、私はこの正当化史観の全てを否定しません。中韓の勝手な歴史観に対し、おいおいと思うことはいくつもあります。しかし、この主張の最大の問題点は、日本の過ちを覆い隠してしまうことです。いや、むしろ、覆い隠すことが目的の歴史観ではないかというのが私の意見です。そこで、私としては、いろんな見解のある対外的な戦争や植民地支配については大まかにしか取り上げませんでしたが、国内的な日本人指導者における、日本人への罪を通して(それを切り口として)、過去の歴史を日本人として見つめ直そうと考えたのです。日本の罪は、外国を批判したところで消えるものではありません。ましてや、例えば過去の歴史を隠している中国の歴史教育を批判しつつ、日本も同じような教育をしようとするのはいかがなものかと思いますし、決して幸福なことではないと考えました。

 さて、本日は60回目の終戦記念日ですが、そもそも終戦記念日ではなくて、敗戦記念日だという意見もあります。まあ、こういうことをいうと正当化史観の方からまた自虐だといって怒られるのでしょうか(笑)。
 
 日本は、この60年間、戦争をしなかった数少ない国であり、もちろん戦争による戦死者というのを一人も出しませんでした。日本の近代史を振り返ってみると「塞翁が馬」の例えがまさにぴったりで、太平洋戦争では300万人とも言われる死者を出し、焼け野原にされて敗戦となったにもかかわらず、日本は潰れるどころか世界有数の経済大国となり、世界有数の平等な国家となりました。日本人にとっては(個々に問題があったことはご指摘受けましたが)、基本的に幸せな60年間であったといえるのではないでしょうか。
 
 戦争だけに絞れば、戦争に行って死の恐怖を味あわねばならなかった国民は戦後60年いませんでしたし(戦場に行く人も、送る家族も)、他国の人に向かって引き金を引く必要もありませんでしたし、戦争によって、生活が苦しくなることもありませんでした。

 「戦争を二度と起してはいけない」という日本人の誓いは、理由と状況はどうあれ、この60年間守られ続けています。アメリカは、日本に戦争には勝ったものの、その後の戦争で多くの戦死者を出し、数多くの悲劇を生んでいることを考えると、本当に勝てば官軍かと疑問に思うことがあります。先のイラク戦争でも1000人以上の人が死んだといい、あの戦争が真に必要な戦争であったとしても、亡くなった方や、その家族のことを考えると、何か割り切れないものを感じます。

 私は、日本人にとって、この戦後60年が幸せな期間であったと評価しているのですが、もうひとつの視点を持っています。それは日本の指導者にとっての戦後60年です。役職でいうと総理大臣ということになるのでしょうか、まあ、影で権力を操っていた人も含め、戦後の日本を引っ張ってきた指導者にとっての戦後60年は幸せといえたのでしょうか。

 私は、いわゆる「戦争」というのもに関して絞っていうのであれば、戦後の日本の指導者は極めて幸せであったと思います。それは、国民に「戦場へ行け」と一度も命令する必要がなかったからです。もちろん自衛隊の派遣など問題になったことはありますが、積極的に引き金を引きに行くために戦場へ国民が派遣されたことはありません。指導者にとって、正しい正しくないはともかくも、危険な戦場へあるいは相手を殺すための戦場へ国民を動員し、戦死者を出すということは、その責任論からいって、ないにこしたことはないと思うのです。こんな視点は、今まであまりにも当たり前すぎたのか、あまり語られることはありませんでした。
 戦前は「お国のために死ぬ」ということが尊重され、指導者も国民の命を正に鉄砲の弾のごとく扱うことに躊躇していなかったと思われます。しかし、戦後は、多少の国益よりも国民の命が尊重される時代になりました。指導者は、そういう時代になったことに改めて感謝しなくてはならないと思いますし、そんな当たり前のことが、まさか逆戻りすることのないよう、国民は常に監視しなくてはならないと感じます。そのために最も大事なこと、それが、過去の歴史に目をつぶらないこと、覆い隠さないことなのではないかと思っています。

今後日本が、侵略戦争をする可能性はほぼ0だと思いますが、今後、北朝鮮や中国との戦争にならないとも限りません。そうでなくても、今後憲法が改正されれば、国連主導の戦争参加はあるかもしれません。平和のために、国益にならずとも戦争に参加するというのは、いかにも男らしくてかっこいい話ではありますが、一部の国民を死なせてまでしなければいけないことなのかどうかの判断に、私の視点が少しでも判断材料になればと思います。

歴史観シリーズは、何かあればすぐ復活しますが、一旦終了します。拙劣な文章に多数のコメントをいただきありがとうございました。今後も「彰の介の証言」の屁理屈三昧は続きます。屁理屈好きな方は今後もお付き合いいただき、ついでに下のランキングもポチッとクリックしてみてください。

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【追加記事】:微妙に更新時間が8月15日ではなく8月16日になりました。お許しください。
木偶の妄言:敗戦の日に忘れてはならないこと大西 宏のマーケティング・エッセンス:戦後60年にトラックバックさせていただきました。

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2005/08/12

広島長崎を南京にするな!

私は良く知りませんでしたが、最近というか昔からというか、「広島・過ち問題」というのがあるようです。
 
 つい最近のニュースでこんなのがありました(「過ちは…」の原爆慰霊碑削られる 広島、男が出頭)。広島平和記念公園内にある原爆死没者慰霊碑の碑文に、「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」という文字が刻まれているそうですが、この「過ち」というところを、右翼団体構成員が数ヶ所傷つけたんだとか。過ちというのが、まるで日本人が悪いみたいで気に入らないということらしいのですが、何もこれが最初の出来事ではなく、この過ち問題というのは随分昔からあったようです。

 原爆が日本に投下されたことに関して、いろんな議論があります。原爆はその破壊力から、特に兵器の中でも非人道的であり、人類滅亡につながる最悪の発明という印象があります。印象があるというか、実際その通りでしょう。そしてこの兵器が最初に使用されたのが日本の広島であり、投下したのはアメリカでした。

 「過ち」という文言の何が問題かと言えば、こんな非人道的な兵器をアメリカが使ったのに、まるで投下された日本が過ちを犯したみたいだということでしょう。まあ、確かにこの碑文をさらっと読めば、そんな解釈になるでしょうか。
 しかしこの「過ち」と言う文言がけしからんという方々は、原爆を投下したアメリカ批判だけをする方は意外に少なく、いったい日本がどんな過ちを犯したのかという話になると、「中国やアジアへ侵略戦争したから、アメリカに戦争を仕掛けたから、その代償として原爆が落とされた、と言いたいのか!」といってお怒りの方が多く、「日本は侵略戦争はしていないし、自衛戦争だった」という歴史観から「過ちなんぞ犯していない」という論理立てをされています。さらに一歩進んで、まさにこの「過ち」という言葉が、自虐史観そのものだと言って、自虐史観批判をされるんですね。まあ、要するに、こういう方々は、私の大好きな「正当化史観」だと言いたいわけですが、そこまでの拡大解釈は、本来の批判からは随分視点がずれてしまっているような気がします。

 確かに「過ちは繰り返しません」という文言は、自己反省(この碑文を作った日本人自身の自己反省)的な響きが強いのは事実です。そこで、この表現が正しいか正しくないか?、また、侵略戦争か、自衛戦争かの問題はおいておいて、日本として広島長崎の悲劇に関し反省する点が本当にないのかどうかについて、私の意見を述べたいと思います。
 
 私は、歴史観シリーズの中で、当時の指導者の戦争責任について考えてきました。そして、大きな問題として、敗色濃厚となってから、延々と戦争をやめようとしなかったことで、極めて無駄な多くの命が失われていったと考えています。もちろん、その犠牲者の中に、広島長崎の原爆被害者も入るわけです。
 当時の日本のスローガンの1つに「一億玉砕」というのがあるわけですが、もし、当時の指導者の戦争遂行に問題がないというのであれば、もし一億玉砕というスローガンが正しいというのであれば、所詮広島長崎で死んだ人など、一億分の十数万に過ぎないではありませんか。
 
 私は、正直、なんで”原爆が落とされるまで”当時の指導者が戦争を継続したのか全く理解できません。戦後の日本の繁栄を考えれば、原爆が落とされる前に降伏すれば、広島長崎の十数万の人が死ななくて済んだだけの話です。もっといえば、米軍が沖縄に上陸する前に降伏していれば、沖縄の悲劇も起きなかっただけのことです。沖縄で悲劇が起きたから、日本にとっての敗戦のメリットがあったとはとても思えません。

 この戦争継続の理由を、私は「当時の指導者が、敗戦の責任を取りたくなかっただけ」だと考えています。戦争をやめた瞬間に敗戦責任が生じます。戦争を継続する限り、「一億玉砕」と言いつづける限り責任論は生じません。要するに究極の「問題先送り」をしていたのではないでしょうか。
 このことは、日本人として、広島長崎の悲劇を生んだ「過ち」の1つとして考えていいのではないでしょうか。

 ただ、上のように書くと、日本の指導者がどうであろうと、原爆を投下したのはアメリカであって、アメリカが原爆さえ落とさなければ、広島長崎の悲劇はなかったといわれる方がいると思います。確かに、原爆の悲劇だけに絞ればそういうことになります。私自身、日本が戦争をやめなかったから、アメリカが原爆を落としても当然などと、アメリカの行為を正当化するつもりはまったくもってありません。しかし、逆に、アメリカが原爆を落としたからといって、私の指摘した当時の指導者の問題点が許されるわけでもありません。むしろ、散々戦争を引き伸ばした挙句、原爆を落としたら日本が降伏したのですから、アメリカの言う「戦争を早く終結させた効果があり、原爆投下は正当化される」という屁理屈に、残念ながら日本として反論しづらいものがあります。

 確かに、アメリカの「戦争、原爆の正当化」には、日本人として腹立たしいものがあり、当然非難していくべき問題だと思います。しかし、アメリカ批判をすることは、ともすると日本人としての問題点を覆い隠す結果になってしまうのです。いやむしろ、日本の問題点を取り上げたくないために表向きアメリカ批判をするという論法になっていることが実は多く、そんな論法で日本人自身が日本人に対して犯した過ちを忘れ去っていくことに問題を感じます。
 
 また別の視点として、戦後60年も経ち、今更責任論を蒸し返す必要もないとお考えの方もいるかもしれません。私も半分(四分の一位か?)そういう考えも持っており、日本側も、アメリカ側も、責任論で語るのでなく、過去の歴史的事実として、この原爆投下をとらえ、全世界的誓いとして「二度と過ちを犯さない」と決意することは(アメリカはそんなこと考えてないでしょうが、最低日本としては)決して間違ったことではないような気がしますがいかかでしょうか。

 もう1つ、言いたいことがあります。それはこの構図が日本と中国、日本と韓国の構図とそっくりということです。中国南京市では、南京大虐殺記念館なるものがあり、これが広島の原爆ドームをまねたいのか、世界遺産への登録の動きまであるようです。南京大虐殺がでっち上げという話もあり、広島長崎は完全な事実ですから、それをいちがいに比べることはできません。
 しかし、何のための南京大虐殺記念館かといえば、それは日本への憎しみを代々伝えて、日本を悪とすることで、中国を正当化をするための施設です。これと同じことを日本でもしますか?。つまり、広島長崎を、アメリカを悪ということを強調することで、日本を正当化するための象徴としますか?。私は本当の経緯は知りませんが、広島の原爆ドームが、決して憎しみを伝えていくための象徴ではないからこそ、世界遺産に登録されたのだと思っています。これを日本人としての自虐というのなら、ぜひとも同様の発想である中国南京市の南京大虐殺記念館も認めてあげてください。
 私は、過去の日本が正しいか正しくないかの議論ではなく、正しいということを前提とした(あるいは正しいと言いたいがための)議論の中で、広島長崎の犠牲者の方々を利用していることに問題を感じているだけなのです。

 本日もかなりの空回り文章ですが、ここまで読み進めていただきありがとうございました。
8月15日を目標にこの歴史観シリーズを書いてきましたが、そろそろその期日です。このブログもそれで消滅?・・・・か?。

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2005/08/08

ついに旬のハイビスカス!

 世間が郵政解散で大騒ぎの真夏の本日、皆様にはいかがお過ごしでしょうか。
 我が家では、ついに真夏のハイビスカスが咲きました!!。
 真夏のハイビスカスが当たり前と思っているあなた、私の過去記事をご覧下さい(旬のハイビスカス? 旬のハイビスカス2 旬のハイビスカス3 新・旬のハイビスカス)。今まで咲いたのが10月、11月、12月、5月ですからね。セミの声とハイビスカスが同時だったことないですから・・・。
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 今後も次々に咲く予定であります(本当?)。今年は春にばっさり枝を落としたのが正解でした。ただ、やっぱり冬は家の中に入れるので、また冬咲きの本来の姿に戻るかもしれませんが・・・。

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2005/08/06

日本人の歴史観の原点(8)

 日本人の歴史観の原点(7)では、正当化史観について、私見を述べさせていただきました。私としては、逆の歴史、つまり韓国と日本の立場が全く逆だったら、日本人として全く受け入れる自信はなく、それゆえに過去の日本の歴史を正当化できないと考えました。正当化史観の問題点はその正当化にあり、日本の非についてはさらっと流したり、ふたをしたり、他人の非をあげたりしながら、うやむやにしてしまうのが私にとって受け入れられないところなのです。さらに、正当化からは相手の反省どころか、さらなる日本批判しか生まれないのではないでしょうか。

 そう言いつつ、私自身、いろんなテクニックを使って、正当化史観側の急先鋒になる自信があります(笑)。
 
 例えばこんなのはどうでしょう。黒船来航以来の日本の国是?(と言っていいのかどうかはわかりませんが)は、「他国に植民地化されないこと」であったと考えられます。その結果、明治維新および、それに伴う大改革が断行されました。国内で旧勢力、新勢力の争いはありましたが、極めて最低限で済ませました(私なんか未だに廃藩置県が無血のうちに行われたのが信じられません)。私はこの「国の独立」を保つための血のにじむような努力と決断とで、何とか日本は植民地化の危機を免れたのだと考えています。

 日本はその後、独立から、「列強と肩を並べること」に目標が移り、そうこうしているうちに肩を並べるどころか、日露戦争で勝利を収め、朝鮮半島を併合するにいたりました。私は(7)において、この日本による植民化を受け入れられないと言いましたが、これを韓国側から見るとどうなのでしょうか。
 
 日本は列強に植民地化されませんでした。しかし、韓国は、日本に植民地化されてしまいました。韓国が日本によるこの植民地化を日本帝国主義のせいと結論するのであれば、そもそも、日本が日本の独立を守るために血のにじむような努力をしたことも否定するのでしょうか。すなわち韓国は、植民地化されないように日本のような血のにじむような努力をしたのでしょうか。まさか「我々は甘んじて日本に植民化されたのだ」というのでしょうか。まあ、甘んじてと言うのなら、今更文句を言わないでほしいと思いますが・・・。

 つまり、当時としては、決して独立を守るために努力をすることは否定できない時代だったと考えられます(当たり前ですが)。にもかかわらず、植民地化されたのであれば、まず、自国が植民地化された理由を十分に検討、あるいは反省すべきではないでしょうか。その上で、日本に物を申すべきでしょう。それをせず、日本の悪いとこばかり言うのは、まさに自国の非を覆い隠し、必死に正当化しているに過ぎません。
 
 ・・・・・・、こんな感じで、私も正当化史観の方の仲間に入れてもらえるでしょうか(笑)。
 しかし、私はやっぱり正当化史観を受け入れられない人間なのです。今まで私のブログを無駄にお読みいただいている方は、おおよそ見当がつくかもしれませんが、上に書いたことは、他国の非をあげつらって、うま~いこと論点をずらしつつ自国の非を覆い隠すテクニックです。というか、韓国正当化史観vs日本正当化史観,の対決ですね。韓国は、日本が悪いことを前面にだして、自国の非を覆い隠す、日本はその覆い隠された非をついて自分の非を隠す、すると韓国はその隠された非をさらについて自己正当化する・・・・という悪循環というか、実りがないというか、お互い様というか、これはちょっとお笑いです。
 私が日本の正当化史観を受け入れられない理由は、日本人として自己正当化することは、他国の正当化に文句が言えないからです。ということは、逆に言えば、私は中韓の正当化も全く受け入れていないのです。ということは、ある意味、上に書いた韓国の独立への努力不足のことも、私自身、実は本気で考えていることでもあるのです。

 私の歴史観が正当化史観と違うところは、「自分の非を認めることが第一義的なこと」だということです。その上で、もし相手がただこの非につけ込むことしかしてこないのであれば、文句を言えばいいのです。
 現実に、日本の正当化史観は、中韓の更なる正当化を生んで、つけ込み行為をさらに増加させる結果になっていないでしょうか。上で書いた悪循環ですね。
 
 また、日本という悪役がいるため、中韓では自国の歴史を正確に振り返ることができていないような気がします(中国はそもそも無理ですが・・)。これは本当に不幸なことではないでしょうか。逆に日本は悪役にされたせいで、自国の非を省みて、正確に歴史を振り返ることができます。これは本当に幸せなことではないでしょうか。日本人はこんな歴史観の原点というか、本能を持ち合わせていたため、戦後60年間、戦争で一人の死者も出していませんし、世界有数の経済大国、社会主義もびっくりの平等国家になれたのではないかと私は考えています。だからこそ、正当化史観でものを語ることは、日本にとって実に不幸なことではないかというのが私の結論なのです。

 ということで、今回は無駄に難解になってしまったかもしれません。「睡眠よりブログ」のせいで、寝ぼけ文章になっているかもしれませんが、ご勘弁の程よろしくお願いいたします。

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2005/08/03

医療批判にも十分なご注意を

 医療界の裏側をチクリチクリとばらしていって、密かに(←これ強調)現代医療に問題提起をしようと考えている今日この頃のやぶ医者の私ですが(「黒い巨塔シリーズ」として)、その前に、我々医療界の問題点を全て棚上げして、患者としての皆様方が決して陥ってはならないところを押さえておこうと思い立ちました。

 数年前、私は、とある患者さんを外来で診ていました。その患者さんは寒さや冷たい水をさわる等の寒冷刺激で指先が真っ白になってしまうという症状を訴えていました。この症状は、チェーンソーとか使っている人がなることもありますし、ある種の難病に合併することもありますし、全く原疾患がなくこういう症状がでることもありますが、医学用語ではレイノー症状とか、レイノー現象と呼ばれているものです。

 この患者さんはこのレイノー症状だけではなく、いろんな症状を呈していましたので、入院していただきいろいろ調べたりしていたのですが、結局病名ははっきりしませんでした。正直にこの患者さんに病名はよくわからないということも伝えましたし、レイノー症状に対するお薬を使いましょうといって様子をみることで納得いただいていました。
 そんなある日、外来でこの患者さんが不意に私に発した言葉にびっくりしてしまいました。

「先生、私、お祓い(おはらい)とかしてもらった方がいいのでしょうか?」
私は突然のことにびっくりして、
「お、お祓い?、何でまたお祓いなんですか?」
と聞き返したのです。するとこれまた、予想もし得なかった答えが返ってきました。
「だって、レイノーなんでしょう?、れいのう・・、原因不明の・・・」
・・・・・・・・、レイノー、れいのう・・霊能・・・・、お祓い・・・・・。
 
 これ、決して笑い話に使うつもりじゃないんです。私としてはめちゃくちゃ反省した事例なんです。そもそも原因不明だとたやすく言っていたのですが、この患者さんにはものすごい不安感を煽っていたようなのです(大反省)。そこへ、レイノーとくれば、確かに霊能からお祓いという発想も十分理解できます。たまたま、この患者さんが私に相談してくれたから、この患者さんの勘違いを説明訂正することができました。これは私にとっても、この患者さんにとっても本当に幸運なことでした。 
 
 患者さんの不安感や疑問を、医者の側から察しようとする努力がないということは、それは医者にとっての常識や言い分を、一方的に患者さんに押し付けているのと同じことです。ですから、私はこの件以降、不十分とは思いますが、できうる限り患者さんの気持ちを聞き出そうと努力しているつもりです。まあ、所詮やぶ医者の私のことですから、患者さんの心理面でのケアがしっかりできているとは到底思えませんが・・・。

 しかし、そんな私や、現在の医療全体の、患者の心を半ば無視した医療をあえて棚上げにしても皆様に言いたいことがあります。それは、こんな医療の隙間やひびに、一見かっこよく、くさびを打ち込んでいるように見えて、実際にはより患者さんの不安感を煽ることによって、視聴率や販売部数を上げようとするマスコミや、一儲けたくらんでいるやからが多数存在するということです。例えば上の例に出した患者さんが、もし「大病院の医療に期待してはいけない。現代医療は正確な診断もできないし、治療もまともにできない」「西洋医学はもはや限界」等といういかにもそれらしい記事や文章をどこかで見てしまい、さらに不安を煽られたとしたら、きっと病院には2度と足を運ばず、怪しげな霊媒師に通いつめ、取り付いた霊を取り除くために大金を貢ぐ破目になったかもしれません。そんな、それらしい煽り行為には十分注意していただきたいのです。

 もう一度、現代の医療の問題点を、総棚上げにして言います。
 西洋医学は腐っても現代医療の中心であり、東洋医学、カウンセリング、免疫療法、自然療法、民間療法、神頼み、お祓い等・・・は、あくまで補助療法であることを忘れないで下さい。また、西洋医学は決して完成したものではなく、まだまだ発展途上であり、診断や治療に限界があるのはむしろ当然です
 ですから、西洋医学の批判をどれほどしても、西洋医学の限界をどれほど指摘しても、これに取って代わる中心となる医療は残念ながらありません。ちなみに私は、例えば漢方や、場合によってはお祓いまでも決して否定しているわけではありません。しかし、それはどうがんばっても医療の中心にはなりえないのです。

 そんな目で[ゴーログ] 医者を選ぶのも寿命のうち!に紹介されているもぐら叩きのような医療の現実をぜひ読んでほしいと思います。大学病院には確かに腐りかけている部分もありますが(笑)、それらしい表現で「大学病院」とじゅっぱ一からげにしてダメ病院のレッテルを貼ってしまうと、極めて良質な医療を受けるチャンスを失う可能性があることも付け加えさせていただきます。

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