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2005/09/27

四大政党論

 以前、民主党の代表選挙に関して苦言を呈したことがありました(民主党に幻滅、代表選挙)。結果がおおはずれになると恥ずかしかったので、詳しくは書かなかったのですが、とにもかくにも、前原さんが代表になってよかったという感じです。

 私は、いったい誰が民主党代表として求められているかを、国民に問うべきだと思いました。すなわち、民主党員、サポーターも含めた選挙にするべきだと思ったのです。また、そのためには、菅さんだけでなく、鳩山さんも小沢さんも別の若手もみんな立候補した方がよかったでしょう。私の予想が確かなら、議員の無記名投票で前原さんがぎりぎりでも選ばれたところを見ると、国民に問う形の選挙した場合、前原さんの圧勝だったと考えます。背後霊のような不気味な小沢さんあたりは、メディアの評価は高いものの、実際代表となって表に出てきてほしいとは思われなかったのではないでしょうか。私は、そんなはっきりした結果を出した上で、老兵には去ってもらい、若手に任せた方が良かったのではないかと考えています。自民党はうまく党を浄化したかんがありますが、今でも民主党は背後霊の皆さん方が党を牛耳っているという印象が拭えません。

 それはともかく、私は現在の政党政治に関して、二大政党化というのを全く評価していません。理由は簡単で、政治にとって最も基本的な要素であるイデオロギーについて、自民党も民主党もどっちがどっちなのか、党内がバラバラでわからないからです。

 今後の政治で大問題となりそうな、憲法問題や、靖国問題、積極的海外派兵問題など、イデオロギー的な問題について、自分の考えが自民党に近いのか、それとも民主党に近いのか、現在の両政党をみても全く分かりません。自民党は基本的に右だと思いますが、上の三問題に関して全て反対を唱えている人もいます。民主党にいたっては右から左まで幅広く取り揃えていて、国会のでの質問でも今日が左で明日が右みたいなことになっています。

 いや、そもそも両政党とも基本的には右だと感じている方もいるでしょう。例えば憲法問題に関して、単純に改憲が右で護憲が左だとすれば、現在の自民、民主両政党の党首は、二人とも改憲論者です。そういう意味では、二大政党の中で、今の憲法を守って欲しいと考えている人には受け皿になる政党がありません。ちなみに私の場合、改憲に反対ではありませんが、それは自衛隊の存在根拠のみの改憲であって、歯止めの無い改憲は全く反対です。正直、自衛隊の根拠の改憲を行うことも、歯止めが効かなくなる可能性が十分ありますが・・(憲法改正無理論)。おそらく、私の考えに近い自民党員、民主党員もいるんでしょうが、現在の自民、民主が私の受け皿にはなり得ないことは明らかです。
 そんな今後の政治課題を考えれば、政党によってイデオロギーくらいははっきりしていてもらわないと、かなりの混乱を来たすような気がします。

 屁理屈好きな私が考えている理想的な政治体制は、四大政党制です。横軸にイデオロギー(右か左か)をとり、縦軸に(ある政策課題に対する)保守か革新か(現状維持か改革か)をとります。俗に今まで右が保守で、左が革新でしたが、現在そんな関係はねじれてしまっていますし、課題によって私の言う保守革新は変わってきます。四大とは、右の保守、左の保守、右の革新、左の革新の四大政党です。そして、その時代によって、イデオロギーが政治課題のときは、右どうし左どうしが、今回の郵政選挙のような政策課題が問題のときは、保守どうし革新どうしが連立を組めばいいと思うのです。二大から四大になってわかりにくい印象がありますが、実は現状よりもずっと分かりやすいと思うのです。

 実は小泉総理が行ったことは、はからずも私の唱える四大政党化と考えることができます。郵政民営化という政策課題が問題になっているときに、自民党から保守勢力を一掃し、右の革新政党を作り上げました。つまり、造反議員は右の保守勢力です。そして、左気味の革新政党である公明党と連立を組んでいる形です。

 そういう意味では、民主党というのは二大政党制にこだわりすぎて、四大政党化した小泉自民党に大敗北したとも考えられます。本来、四分の一より二分の一の方が大きいはずですが、四分の一にしてスリムになった分、自民党はきわめて主張が明確になりましたし、二大を意識するあまり、反対ばかりしていた民主党は、改革の足を引っ張るだけで、何を考えているのか良く分からない党に成り下がっててしまったわけです。

 今後必ず訪れるであろうイデオロギー論争が、現在の政党の枠組みで進められたとすれば、随分右に偏った論議になると思われます。左勢力は(自民党にも民主党にも)いるにもかかわらず、枠組みのせいで埋没してしまっています。これは非常に危険なことです。日本の将来を考えると、今一度政界再編が進み、イデオロギーの明確にされた四大政党へと進んだ方が、わかりやすく真の議論も活発になり、全く無駄な反対のための反対の根絶につながるのではないかと考えています。

 木偶の妄言:選挙制度考へ無理やりトラックバックさせていただきました。

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2005/09/24

クレイマー彰の介(2)

 一月ほど前、私が使っていたソニーのVAIOの調子がいかんともしがたくなり、修理に出したことをお話ししました(アップル再び)。よくある話ではありますが、この修理に絡んで、私、彰の介がクレイマーに豹変したと言うお話です。

 このVAIO、電源系統の異常だったのですが、先日、購入した量販店から電話がかかってきて原因についての話がありました。すると、本体の異常ではなく、電源のアダプターの異常だと言われました。そのため、アダプターの買い換えが必要で、15000円くらいかかるというのです。実は、この量販店の長期保証に入っていたので、”ただ”だと思っていたのですが、アダプターは本体ではないので、保証の対象外と言われてしまいました。

 対象外と言われてしまったのが直接の原因ではあるのですが、考えれば考えるほど、約1年半で壊れたアダプターに納得がいかなくなりました。アダプターが壊れたなんていう話は聞いたことがありません。アダプターに寿命があるなんて言う話も聞いたことがありません。そもそも私の購入したのはモバイルタイプのパソコンですから、電源をつけっぱなしになんてしていません。現在現役復帰したPower Bookも7年目戦士ですが、アダプターに異常なんかありません。デスクトップパソコンであれば一年中電源つけっぱなしのこともあるでしょうが、使い方として良くないと言うことも聞いたことがありません。
 そんなあんなことを考えているうちに、「要するに私は不良品をつかまされたのではないか?」という疑問がふつふつとわいてきたのです。

 そんなことで、量販店を通じてソニーの修理の担当者に電話し、アダプターの交換が必要ならその代金は払うことをはっきりさせ、自分としての退路を断った上で、私の疑問点をぶつけました。私の疑問及び要求は、「不良品でないことの証拠」の提示です。つまり、アダプターの寿命は何年なのかの統計的なデータの開示を要求したわけです。例えば、「平均的寿命は5年ほどで、10%程度のお客様には、2年以内にアダプターの交換をしていただいております」というようなデータがあれば、アダプターとはそういう物なのだと納得できます。しかし、このような短期間の故障がほとんど無いとなると、私が買ったアダプターだけ何で壊れたの?ってことになりますから、そのことに関してソニーとしてどう考えるのかという正式見解が聞きたかったわけです。

 この私の問いかけに対して、ソニーの修理担当の返事は実に納得のいかないものでした。まずそのような統計的データは存在しない、使用状況も様々で、評価することはできないと言うのです(修理工場に出されるものの中で、アダプターに関するものを抽出するだけでいいと思うのですが‥‥、或いは新規でアダプターがどれくらい売れているかというところからの類推も可能だと思います)。そして、アダプターといえども機械であり、故障しないとは言えないとも言われました(だからこちらはその平均期間を聞いているのですけど‥)。不毛な、あーだこーだいうやりとりが続き、結局のところ不良品でないということを全く説明できないことに、納得いかない私は、徐々にマグマがふつふつと噴火を始め、「やっぱり不良品をつかましたことになるのではないか?、不良品つかませて買い換えろとはどういうことか!」など、幾度となく大噴火してしまいました。商品にもいろいろあると言い始めたときには「不良品をつかんだこちらが悪いのか!、当たりはずれがあるというようなことを企業側がいってもいいのか!」とこれまた大噴火させていただきました。

 結局、その日の電話口の担当者は、対応を検討するから後日改めて電話するというのでその電話は切ったのですが、むしろその日のやりとりの方が人間らしくてまだまともでした。後日電話をかけてきた担当者(別人)とのやりとりの方がより腹立たしかったので、私をこうしてブログへかき立てています(笑)。

 対応を検討?、疑問にこたえる?、何もしてませんでした。要するに、建前論を並べ立てて、やり過ごすという作戦に出てきました。どんな質問をしても「統計的データはない」「故障の原因は調査しない」「保証期間は1年間であり、期間外の動作保証はしていない」「当方の結論を文書にはしない」「それに関してはコメントできない」「それ以外言うことはない」と言うことを、ひたすら並べ立てるのです。まさに(相手の担当者にも言ってしまいましたが)お役所対応をしてきたのです。私はこの世の中で融通の利かないお役所対応ほど嫌いなものはありません。はっきり言って前回より後退したその対応に「なぜわざわざ怒らせるような対応をするのか!」とまで言ってしまいました。結局私が知りたかったことには全くの無回答、無対応で通され、最終的には「全く納得いきません」という私に、「これ以上、お話することはございませんので、電話をおかせていただきます」と言って、向こうから電話を切ってしまいました。

 私が考えていたのは、もし私がソニーの社員だったらということです。自分達が作った商品が短期間に壊れたという事実に、「動作保証の期間外ですから壊れても不思議はありません」とは答えたくないですね。自社商品に誇りがないんでしょうか。また、なぜ短期間に壊れたのか、ということをどうして知ろうともしないんでしょうか。不思議な限りです。私は問題提起をしたつもりでしたが、ただのクレイマー扱いされてしまったことが残念でなりません。
 また、客を怒らせてでも、このクレームをやり過ごそうというのは随分思い切った行動だと思うのです。これで間違いなく一人のソニーファンを失ったのですが、まあ、一人ぐらいどうということはないのでしょうか?。クレームつけるような人間には買ってもらわない方がお得ということでしょうか?。天下のソニーも一万人リストラなんてやってますが、何とか再生してほしいと思っていたのが一転、正直潰れればいいと思うようになってしまいました。

 インターネット検索で、いろいろとクレームのページを見ていたのですが、まあ、正直建前論並べて対応しない企業がほとんどのようです。逆に、言いがかりをつけて金銭などを要求するやからも相当に多いのでしょう。そう考えると、世の中、客を客として扱わない大企業よりも、顧客一人一人に真摯に対応してくれる小さな企業の方がいいのではないかと思ってしまいます。とある、有名なギターの製作会社(有名だけど零細企業)のギターは永久保証だそうです。なぜなら、ギターのボディは木でできているため、期間が経つと音色がどんどん変化するからだそうです。こういう商品に誇りを持った企業が増えるといいなあと、クレイマー彰の介は考えた次第です。

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2005/09/23

クレイマー彰の介(1)

 ブログで私の顔を公開するわけにはいきませんが、世間的に私は、おとなしくて物静かな人という印象を持たれるようです。それは、決して間違いではないのですが(笑)、筋の通らないことを言われ続けると、いつか大爆発する典型的な噴火型人間で、うじうじ私をいじめていた人間は突然の豹変にびっくりするようです。そもそも、私は筋の通らないことに対して激怒っているわけで、その後口論になったとしても負けることは決してあり得ません。

 と言いつつ、時にはむげに大爆発することもあります(大笑)。
 一年ほど前のことなんですが、とあるところで、タクシー会社に電話をしてタクシーを呼んだことがあります。ところが、そのタクシーがなかなか来ないんですね。やっと来たと思ったら、なんとそのタクシー、待っている場所で私を見つけることができず(私は透明人間?)、うろうろしながら、結局通り過ぎて行ってしまいました。さんざん待たされたあげく、ろくに探しもせず、止まりもせず、行ってしまったタクシーにむげに激怒った私は、再度タクシー会社に電話をして、それはもうブログでは書けないような言葉で罵倒したあげく(笑)、「また向かわせますから」というタクシー会社のオペレーターの方の言葉を振り払って、「別のタクシー乗るからいい!!」と言って切ってしまいました。

 一週間後、同じ場所でまた同じタクシー会社に電話をしてタクシーを頼んだのですが、これまた、なかなか頼んだ場所にタクシーが来ません。やっとタクシーが来たと思ったら、別のお客さんが乗っています。私の待っていた場所で、そのお客さんが降りたので、てっきり入れ替わりで私が乗るものとばかり思い、運転手さんに「○○ですけど、乗ってもいいですか?」と聞くと、「えっ?○○さん?、ああ、あなた乗るタクシー別の場所で待ってるよ」と言われたのです。私が乗るべきタクシーはすでに到着していて、100m近く離れた別の場所で待っていたのです。その日は精神的に落ち着いていたので、場所間違いに対して激怒ることはありませんでしたが(笑)、その乗り込んだタクシーに乗った瞬間、思いも寄らぬ言葉が耳に飛び込んできました。それは、タクシーの無線機から聞こえた、運転手に対するオペレーターの言葉でした。オペレーターは私がタクシーに乗り込んだことに気づかず、無線機でしゃべっちゃったんですね。

「○○さん、まだ見つかりませんか?。あの人先週、ものすごいクレーム付けた人だから、見つかるまで待機してて下さい。」
‥‥‥、あらまぁ、私どうもそのタクシー会社のクレイマーブラックリストに入っちゃったみたいです(笑)。その日は精神的に落ち着いていたので本当に良かったのですが、下手したら無線機つかんで、
「クレーム付けたとは何事じゃ!!、てめーらの落ち度だろうがぼけ!!」
ってやりかねませんでしたね。危ない危ない。
 しかしまあ、クレイマーの称号を得たのは余り気持ちのいいものではありません。以来、大噴火には十分気を付けて普段から気持ちを落ち着けるようにしております。見た目がおとなしい物静かそうな私ですから、その印象を壊したくもありませんしね(笑)。

 しかしながら、またしても私、彰の介が噴火してしまう出来事が起こりました。筋からいけば、私が噴火するべき事ではないのかも知れないのですが、そのあたりを含めて是非皆さんに聞いてもらおうと思います。(次回記事に続く)

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2005/09/19

方言は第二外国語

 最近の都会の女子高生に方言ブームってのがあるらしいです( “方言ブーム”とです。 響き新鮮、想像する楽しみ)。岐阜の片田舎から東京に出てきて、時として言葉が通じないことに驚いていた私ですが(岐阜弁教えたるわ!)、方言っていうのがネガティブにとらえられず、第二外国語感覚で話そうとする若い人がいることに決して嫌な感じはしませんね。

 若い人が話す言葉に関しては、その耳障りの悪さからか、俗に「言葉の乱れ」と言われ、バッシングを受けることが多いように思います。私も、若年寄になってきて、高校生くらいの若い人の言葉が腹立たしく思うことも多くなりましたし(笑)、敬語の使い方の大間違いに「アホか!」と言いたくなることもあります。
 しかし、私自身のスタンスは、基本的に言葉は変化するものであり、受容しなくてはならないものだと考えています。そもそも文法を盾に「言葉の乱れ」を主張している方々に言いたいのは、何で「方言」には寛容で、若者言葉には目くじらを立てるのかと言うところです。私は、方言を横の広がり(地域差)、若者言葉(逆に言うと年寄りが話す言葉は年寄り言葉?)は世代間の時間的な縦の広がりと捉え、ともに肯定的に考えています(正しい日本語ってあるの?)。そう考えると、今回の若者が方言に興味を持ち、言葉遊びをするというのは、実に立体的な思考で、まさに方言新時代と言えるのかもしれません。

 ただし、やっぱり方言は方言だとも思っています。つまりその地域の人が、その歴史と風土を背負って話すからこそ方言だと思うのです。例えば私の故郷岐阜名古屋近辺では、「えらい」って言葉があります(中国地方のかたも”えらい”を使うと聞いたことがあります。いわゆる京都を中心とした同心円状に同じ方言が分布するっていうやつでしょうか?)。もちろん「偉い」という意味ではありません。これがまた、共通語でこの”えらい”に当たる言葉ってないんですね。あえて言えば、苦しい、疲れた、だるい、いやなかんじがする、・・・そんな意味の複合体とでもいうのでしょうか。関西弁の”しんどい”が意味的に近いと思います。

 たとえば、なんとなく体調が悪い時に、「なんか体がえらい」、胸に違和感を覚えた時に、「胸がえらい」、マラソンを走った後に「あ~えらい」なんて使うわけです。しかし、これがまた、微妙に発音が違いまして、最初の例のように人に説明するようなときははっきり「えらい」と発音すると思いますし、二つ目の例で、独り言のように苦しいなあ、と思えば「あ~えらぁ(あ)」てな感じになりますし、三つ目の例のように、走った直後で息も絶え絶えのときは「えれ~」、さらにとてもの意味の”どえらい”をつけて(どえらいもさらに縮まって)「でれ~えれ~」あるいは「でれ~れ~」ってな発音になります。これはさすがに地域に根付いた人でないと使い分けや発音ができないでしょうし、発音されたときの微妙なニュアンスの違いを読み取ることは厳しいでしょう。まさに私が、方言を第二外国語的?と考えたゆえんがここにあります。
 
 だからと言って、都心の女子高生の方言の使い方が誤っているとか、意味の深さがわかっていないなんていうつもりはもうとうありません。むしろ、そんな言いがかりをつけて若者言葉を否定するようなやからが出てこないか、逆に心配しているところです。上に書いたとおり、方言はその地域の人が話してこその言葉です。ですから、都心の女子高生が方言を使った時点で、それは都心の女子高生によって作り出された新しい言葉と考えるべきで、その言葉の語源が、ある地域の方言だったということに過ぎないのではないでしょうか。

 そんなことで、若年寄の私が、女子高生に気に入られようとして、屁理屈を並べさせていただきました(笑)。それでは恒例になりました??、岐阜弁でお別れのごあいさつを。

わっちのブログ、見てくれやーしてありがとね。またこのブログにおんさい、えか。そんで下のランキングも押さなあかへんよ。そんじゃあ、バイバイキ~ン。

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2005/09/17

民主党に幻滅、代表選挙

 はっきり言って、今回の民主党代表選挙には幻滅しています。
 何で議員さんだけの投票で代表決定するんでしょう。何で全体選挙にしないんでしょう。代表はいればいいってものじゃないですから残念です。やっぱり、民主党には何の期待も持てないかも‥‥。

 自民党のまね、小泉さんのまねというわけ‥‥なんですが、小泉さんがあれだけのパワーを持ち得たのは、自民党総裁選が党員による選挙だったということが大きいでしょう。このブログでは何度も書いていますが、小泉自民党総裁誕生の時、本当は橋本総裁の復活が本命視されていたのです。それが、党員というある意味民主的な?選挙になったおかげで、ほぼ民意?が反映され、橋本さんにNOを突きつける結果になりました。

 ところが、民主党の今回の代表選は、地方議員や党員、或いはサポーターと呼ばれる人たちには投票権はないようです。また、民主党のある意味顔であるところの小沢さんが出てこない。ここは、有力者がこぞって選挙に出て、民意に近い党員サポーターを含めた選挙によって代表選出すべきでしょう。そうすれば、いったい国民がどんなリーダーを求めているか、そして、どんな人は求められていないのかが一発でわかると思いませんか。
 
 そもそも今回の選挙で民主党が負けた理由を代表のせいにしている議員が多い中で、何でこんなにいい加減に代表を決めるのかが全く意味不明です。しかも、急ぎすぎでしょう。確かに党としても早急に特別国会の対策をたてる必要があるのはわかります。しかしこれは急がば回れではないかと考えます。自民党の代表選は、テレビジャックと呼ばれるほどに報道で議論され論戦を繰り広げました。(もちろん、自民党総裁が即日本国総理大臣であり、一野党の党首選とは違うと言われればそれまでですが‥‥。)しかし、今回の民主党の代表選は明日‥‥、管さんのことはある程度知っているとしても、前原さんがどんな考えの持ち主で何を訴えてる人なのか全くわかりません。そんな中、党内の力関係で、たんたんと代表が決まっていったら実につまらないじゃないですか。演出もなければ、民意もつかめずって事になると、今回の選挙でいったい何を学んだのでしょう?。

 たかが代表選されど代表選‥‥。大敗北後の大事なこの時期に、何寝ぼけたことやってるの‥‥というのが、屁理屈男の私の率直な感想です。さてさて、結果はどうなるのでしょう。まあ、河村たかしに、ならんことは確かやわね。

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2005/09/13

民主党の復活はあるのか?

 小泉びいきを宣言していた私ですが、今回の衆議院選挙、さすがにここまでの自民党圧勝、民主党の惨敗は考えていませんでした。世間のマスコミでは自民勝利の原因について「小泉さんの演出力のすばらしさ」などと、とんちんかんな評論をしていますが、当の敗北した民主党の議員ですら、「小泉さんのカリスマにやられた」「劇場型選挙に負けた」「岡田代表が愚直すぎた」などとやってるところをみると、もう民主党は潰れるしかないのではないのかと思ってしまいます。

 結果を見てから言うのはなんですが(素人だから許してください)、私は、今回の民主党の惨敗は選挙戦にあったのではなく、選挙をする前からすでに負けていたと考えています。

 小泉政権誕生以来、何回か国政選挙がありましたが、最近の選挙では、民主躍進、自民敗北、でも自公政権継続という結果でした。これについて、俗に自民党と民主党の「二大政党制への流れ」と評論されてきたのですが、今回の選挙の結果はその評論が全くの的外れだったということを露呈したような気がします。

 そもそも、小泉さんが総裁になったとき、そこから始まっているような気がします。あの総裁選では、橋本元総理が総裁に返り咲くという下馬評が圧倒的でした。ところが、ふたを開けてみれば、小泉さんの圧勝でした。すでにこのときから小泉さんの改革への期待が国民の中に充満していたと考えるべきでしょう。

 その後の政治は、「小泉対抵抗勢力」あるいは「小泉対反小泉」という自民党内での争いになりました。この構図の中で行われた国政選挙で、上に書いたように民主党がじりじり議席を伸ばし得たのは、国民が小泉政権にNOと言ったのではなくて、この自民党内の抗争に原因があったと思われます。
 すなわち、基本的には小泉改革を応援したいが、抵抗勢力に改革が骨抜きにされる現実をみて、まあ、民主党に票を入れておこうかという心理が働いた人が多かったからでしょう。しかし、政権交代までは起きなかったのは、おそらく根強い小泉改革期待論があったからで、しかしそのお陰で、抵抗勢力まで当選するという矛盾を生んでいたと思われます。

 そんな中、今回、郵政という切り口のみではありますが、小泉さんは抵抗勢力をばっさり切ってしまいました。これが、投票心理に働いた影響は絶大でしょう。なにしろこれで、骨抜きの憂いがなくなりますから、「まあ、民主党に」という層は、なだれを打って自民党、小泉票へ鞍替えしたと思われます。しかも、小泉改革を待望していた層も、抵抗勢力の応援には全く成りませんから、これまた全く気兼ねなく投票できたと言う寸法です。

 民主党の失敗、それは、本来自民党の抵抗勢力と争わなければならないのに、反小泉を掲げてしまったことです。政権をとるには、与党との差を示さねばならないと考え、反小泉のための中身のない反対を繰り返したこと、つまり、「反対党に成り下がったこと」が今回の敗北の最大の原因なのではないでしょうか。

 例えば、民主党の言っていた、「郵政民営化法案には反対だが、郵政民営化に反対しているわけではない」って、何のことかさっぱり分かりません。まさに反対のための反対としか思えません。反対のための反対しか出来ない党、それが民主党に貼られたレッテルです。今回の選挙で、小泉さんのやったことがどんなに荒っぽく、問題があったとしても、改革をしようとする党か、それとも前に進もうとしない党か、今どちらの党が必要なかの審判が下ったのが今回の選挙だったのではないのでしょうか。

 にもかかわらず、なぜ民主党が敗北したかと問われ、「小泉劇場にやられた」「岡田代表にカリスマがない」などと答えているようでは、話になりません。評論家やコメンテイターが言うならともかく、民主党員がそんな発言しているようでは、もう終わりです。私から言わせれば、小泉劇場はあくまでプラスアルファの部分でしかなく、そうでなければ、いくら小選挙区制とはいえここまでの敗北にはならなかったのではないでしょうか。

 はっきり言って民主党は名誉ある「二代目 社会党」でも襲名されてはいかがでしょう。万年野党宣言すればいいのです。本気で政権をとる気構えがあるのなら、民主党こそ時の雰囲気でものを語ることをやめるべきです。
 民主党の復活はあるのか?。私は、もちろん今のままの民主党では全く見込みがなく、小泉なき後の自民党がこけることでしか、つまり相対的な効果でしか復活できないと考えています。とりあえずは、次期代表選が問題になりそうですが、私は次期代表には「岡田克也」しかいないと思っています。愚直な人間に筋の通らない反対論を訴えさせたからいけないのです。愚直な人間に正論を訴えさせれば、必ず復活するというのが私の屁理屈的結論です。
 でも、もうありえないんですよね。岡田代表って言うのは・・・。それこそ劇場的に涙の岡田代表留任の場でも創ればいいのにと思ったりもするのですが、そう考える私はアホ?ですか。民主党で気概のある方が、まかり間違って、このブログを見られたら、ぜひ御一考お願いします。

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追加記事:ガ島通信さんの自民圧勝の総選挙を振り返ってへトラックバックさせていただきました。

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2005/09/11

早朝投票しました!

 衆議院選挙に朝も早くから行って来ました(笑)。
7時から投票開始と言うことで、7時に行ったのですが、もう行列してましたぞ!。
一番乗りというわけには行きませんでしたが、投票箱の空確認、施錠という最初の儀式は見せていただきました(一度見てみたかったんです)。

 そんなことで、まだ睡眠中の皆さん、早く行かないと投票用紙が売り切れ必死です(笑)。
 寝る間も惜しんで、投票へ行きましょう。
 (投票証拠写真はありませんけど、勘弁して下さい)

ガ島通信さんの衆議院選挙 投票「祭」を提起したい(ブログ世論可視化企画)、あざらしサラダさんの♪ガ島通信さんの(衆院選 投票「祭」)に参加@「投票バトン」へ、トラックバックしております。

 
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2005/09/07

選挙とブログ

 私なんかには理屈がよくわからないのですが、選挙期間中、ブログで選挙について書いてはいけないらしいですね。正直、井戸端会議みたいな、おしゃべり感覚でこのブログを書き続けている私にとっては、「世間話もダメですか」という感じです。

 そもそも、ブログが「インターネット上の個人的な日記のようなもの」と解説されることもあるのに、選挙になったら、急に「公的な公開された文書」なんて堅苦しいくくりを受けるのが、違和感を覚える最大の理由です。というか、ブログは「チラシ」か「ポスター」の類なんでしょうか。屁理屈的に語れば、例えば私にとってこの「彰の介の証言」を、チラシのように配った覚えはありませんし、ポスターのように目立つところに貼った覚えもありません(売名トラバをしたことがないといえば嘘になりますが‥‥笑)。あくまでも、ひっそりと、インターネットの片隅の、誰が来るとも知れない井戸端で、独り言をブツブツと唱えているだけなのです‥‥。そんな独り言まで取り締まられる覚えはないと思うのですが‥‥。

 選挙について考えてみると、最も大事なのは政策論争でしょう。この政策論争について、既存メディアから一方的な(公的なというか公正なというか)情報のみが発信され、それぞれ受け手が良し悪しを判断して下さいというのには、以前からつまらなさを感じていました。その点、私が最初に書いたように、井戸端会議的に人が集まって、「あの党はどうよ」とか、「あの候補者はどうよ」と語れるブログはむしろ最適だと考えています。まあ、別に井戸端に集まらなくても、通りすがりに、いろんな人の意見を聞いてみるだけでのもかなりの魅力があります。魅力というか、本来選挙において、各党や候補者の訴えていることを、いろんな人の意見を参考にしながら吟味することは最も大切な事のはずです。そんな小さな議論や意見発信を「選挙運動」と捉えられるほどに、一つ一つのブログが公共性を持ち合わせているとはとても思えませんね。

 既存メディアとブログの違いについては、以前、「公共性」と「コントロール不能な情報発信」というくくりでとらえ、両者は併存すべきと考えました(「メディアとインターネットの融合」の意味って?)。今回の選挙のことで考えてみると、あらためてブログに公共性を感じているところにおかしなところがあります。

 ブログの中には確かに訪れる人の多い、とても井戸端とは言えないブログもあるでしょう。しかし、インターネット上に公開している以上、ブログとブログの間に基本的に差はありません。立地条件のいいブログなんてないはずです。あくまで横並びの平等な関係がブログの特徴です。しかも、そんなブログが5つや6つあるだけではありません。数百万とも言われる数のブログが開設されているというのですから、どんな大ブログといえども、相対的にどんどんその地位は小さくなってしまっています。
 
 例えば、大新聞がブログを開設して、意見発信をしたとしても、現状のブログの世界では、大量の素人論客の前に、一意見としての扱いしか受けないと思いませんか?(言い過ぎ?)。
 一素人ブロガーのつぶやきに公共性を求めるのもどうかしていますが、大ブログといえども、公共性を持たねばならないほどに肥大化した地位を確立しているブログは存在し得ない(今後ますますブログの開設が増えれば余計に)と私は考えていますが、皆様いかがでしょうか。

 いずれにしても、ルールづくりは必要かも知れません。そのあたりはなにも語らず逃げますが、私はただ、いろんな方と井戸端会議がしただけなのです。(この記事は[ゴーログ]週刊誌の現状を黙認するのなら、ブログも認めろ?! へトラックバックさせていただきました。)

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追加記事:コンピューター事情のため、更新が全然できていません。今月は相当に更新が減ると思いますが、このブログを見捨てないで下さい。何卒、ご愛顧の程お願いいたします。

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