方言は第二外国語
最近の都会の女子高生に方言ブームってのがあるらしいです( “方言ブーム”とです。 響き新鮮、想像する楽しみ)。岐阜の片田舎から東京に出てきて、時として言葉が通じないことに驚いていた私ですが(岐阜弁教えたるわ!)、方言っていうのがネガティブにとらえられず、第二外国語感覚で話そうとする若い人がいることに決して嫌な感じはしませんね。
若い人が話す言葉に関しては、その耳障りの悪さからか、俗に「言葉の乱れ」と言われ、バッシングを受けることが多いように思います。私も、若年寄になってきて、高校生くらいの若い人の言葉が腹立たしく思うことも多くなりましたし(笑)、敬語の使い方の大間違いに「アホか!」と言いたくなることもあります。
しかし、私自身のスタンスは、基本的に言葉は変化するものであり、受容しなくてはならないものだと考えています。そもそも文法を盾に「言葉の乱れ」を主張している方々に言いたいのは、何で「方言」には寛容で、若者言葉には目くじらを立てるのかと言うところです。私は、方言を横の広がり(地域差)、若者言葉(逆に言うと年寄りが話す言葉は年寄り言葉?)は世代間の時間的な縦の広がりと捉え、ともに肯定的に考えています(正しい日本語ってあるの?)。そう考えると、今回の若者が方言に興味を持ち、言葉遊びをするというのは、実に立体的な思考で、まさに方言新時代と言えるのかもしれません。
ただし、やっぱり方言は方言だとも思っています。つまりその地域の人が、その歴史と風土を背負って話すからこそ方言だと思うのです。例えば私の故郷岐阜名古屋近辺では、「えらい」って言葉があります(中国地方のかたも”えらい”を使うと聞いたことがあります。いわゆる京都を中心とした同心円状に同じ方言が分布するっていうやつでしょうか?)。もちろん「偉い」という意味ではありません。これがまた、共通語でこの”えらい”に当たる言葉ってないんですね。あえて言えば、苦しい、疲れた、だるい、いやなかんじがする、・・・そんな意味の複合体とでもいうのでしょうか。関西弁の”しんどい”が意味的に近いと思います。
たとえば、なんとなく体調が悪い時に、「なんか体がえらい」、胸に違和感を覚えた時に、「胸がえらい」、マラソンを走った後に「あ~えらい」なんて使うわけです。しかし、これがまた、微妙に発音が違いまして、最初の例のように人に説明するようなときははっきり「えらい」と発音すると思いますし、二つ目の例で、独り言のように苦しいなあ、と思えば「あ~えらぁ(あ)」てな感じになりますし、三つ目の例のように、走った直後で息も絶え絶えのときは「えれ~」、さらにとてもの意味の”どえらい”をつけて(どえらいもさらに縮まって)「でれ~えれ~」あるいは「でれ~れ~」ってな発音になります。これはさすがに地域に根付いた人でないと使い分けや発音ができないでしょうし、発音されたときの微妙なニュアンスの違いを読み取ることは厳しいでしょう。まさに私が、方言を第二外国語的?と考えたゆえんがここにあります。
だからと言って、都心の女子高生の方言の使い方が誤っているとか、意味の深さがわかっていないなんていうつもりはもうとうありません。むしろ、そんな言いがかりをつけて若者言葉を否定するようなやからが出てこないか、逆に心配しているところです。上に書いたとおり、方言はその地域の人が話してこその言葉です。ですから、都心の女子高生が方言を使った時点で、それは都心の女子高生によって作り出された新しい言葉と考えるべきで、その言葉の語源が、ある地域の方言だったということに過ぎないのではないでしょうか。
そんなことで、若年寄の私が、女子高生に気に入られようとして、屁理屈を並べさせていただきました(笑)。それでは恒例になりました??、岐阜弁でお別れのごあいさつを。
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