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2005/10/17

無駄論的美食倶楽部(1)

 私は、日本でも有数の美食家として全く知られていませんが(笑)、ちょっとやっそっとのまずいものくらいは、それほど苦もなく食べてしまうストライクゾーンの広い人間です(大笑)。そんな私が普段から疑問に思っている、おいしいものに関するテレビ番組での表現や、おいしさに関する疑問をあげてみました。

 以前にも書いたのですが、私はかなりのお刺身好きです(お刺身は料理です!)。しかし、テレビの紀行番組などで、お刺身や海産物料理を紹介する時の、リポーターの表現に気に入らないところがあるのでまずは文句言わせてください。
 
 まず第一に、お刺身を食べた時などに使われる
「いや~、身がしまっていておいしいですね」
と言う表現が気になります。もしかしたら、ただ硬いだけ?、あるいは別に感動するほどおいしくないから、つくろい表現?ってな感じが時に伝わってくることがあります。私は函館で、さばきたてのイカを食べて感動したことがありますが(究極のどんぶり)、まさに、このイカは身がしまっていておいしいと言うのがぴったりのものでした。歯ごたえがいつも食べているイカとは全然違い、新鮮で、うまみというか甘みが非常に濃く感じられました(一般的には、身のしまりというのはイカに使う表現ではなく、白身魚に使う表現のような気がしますがお許しを)。まあ、要するに、刺身好きの私としては、惰性的に、地の物や、とれたてに対する慣用句か枕詞のように、「身がしまっている」ということばを使われるのが気に入らないわけですが、やっぱり「硬い」のとは違うって所をちゃんと説明してもらわないと納得いきませんね。

 もう1つ、「磯の香りが口いっぱいに広がりますね」というのも気になります。磯の香りってなんですか?。潮の香り?ですか。私、どちらかというと山育ちなので、時々海辺に行くと漂ってくる海の香りというのでしょうか、潮の香りというのでしょうか、あの香りをかぐと
くさ~」とついいってしまう人間なのです(海辺の方ごめんなさい)。あの臭い匂いが口いっぱいに広がったら、私にとってはたまりません。そうでなくても、なんとなく潮の香りというと、すこし生臭さがあるのではないかと思ってしまいます。貝の仲間を食べると時に生臭さを感じてしまうことがありますが、どうしてもあれを想像してしまうのです。そんな理由で、本当に潮の香りっておいしいものなのか、どなたか教えてください。私だけが思っていることならどうでもいいことなんですが‥・。

 話し変わりまして、ふと気がつくと秋も深まってまいりました。なべがおいしい季節の到来です。それで、なべの王様と言えば「ふぐなべ」(てっちりっていうんでしたっけ?)です。私も一年に一回位はふぐが食べられる身分になりまして、早く食べたいと思うばかりです。しかし、そんなふぐのおいしさについては、以前から疑問に思っていた屁理屈があります。
 
 あのふぐの白身、あれは、俗に淡白な味などと表現されますが、要するに「味はあまりしない」というのが本当のところではないでしょうか。ふぐの刺身にしろ、なべにしろ、私はふぐそのものがおいしいのではないような気がします(だしが出るのは否定しませんが)。ふぐのおいしさ、それは、「ポン酢で食べるからおいしい」と思うのですがどうでしょう。正直、私はだいのポン酢好きでして、ミツカンのまわしものと言われてもおかしくないくらいです。なべを食べ終わった後の最後の雑炊にも、ポン酢をかけるとおいしいんですよね。私はかなりたっぷりかけてしまって、ポン酢雑炊になってしまっています。

 同じような話で、私はだいのうなぎ好きでもあるのですが、あれも、うなぎそのものがおいしいのではなくて、あの甘辛いタレがかかっているからおいしいというのが本当じゃないでしょうか。老舗のうなぎやさんには、何十年、何百年(そんなのあるかどうか知りませんが)と受け継いできた秘伝のタレっていうものがありますよね。あのタレがないとうなぎ料理はきついでしょう。もちろん白焼きってのもありますが、どんぶりや重にしようと思ったら、あのタレ無しでは語れません。いや、あのタレの発見と言うか、タレを使った調理が開発されたからこそ、おいしくうなぎが食べられるようになったのではないでしょう。

 私が食に対して考えていることは、単純に、「おいしければいい」ということです。ふぐが淡白な味なら、それにあった調理(ポン酢をつける)をして、おいしく食べる、うなぎも、秘伝のタレを使って、おいしく食べるってことで、ちゃんと工夫した調理をして食べているってことなんですよね。そう考えると、昨今の素材がすべてと言わんばかりの風潮には、首を傾げたくなることがあります。おいしさなんて、所詮個人の好き嫌いの問題に行き着くわけですから、身がしまっていればいい、磯の香りがすればいいという風潮や表現の乱発には、違和感を覚える今日この頃の屁理屈男でした。

 次回も「おいしさ」の定義について、無駄に論じたいと思います。本日も無駄な屁理屈にお付き合いいただきありがとうございました。

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コメント

お久しぶりです。

私は北海道出身でオホーツク海に近い地方で暮らしていたことがありますが、東京で食べたホタテ貝が生臭くて食べられたものではなかったです。北海道で食べたホタテ貝は、甘くて全然違っていました。ちなみに、ホタテ貝でも、オホーツク産と日本海産と太平洋産には味の違いがあって、オホーツク海のホタテはまさに「身がしまって」美味しいです。ちなみに、これはやはり現地で食べないと、生臭くなるので、本州で食べられないと思います。(^_^;)
時間が経つとどうしてもイキが悪くなるから仕方がないんですよね。

そういえば、私が磯の香りを感じた食べ物は、三陸産の岩のりをみそ汁にまぶして食べた時です。海草類が好きなんで、特にそれを感じただけかもしれませんんが(^^ゞ
とれたてウニを食べた時は、あまり磯の香りは感じませんでした。

投稿: こに | 2005/10/17 07:50

私も食に関してはストライクゾーン広いんですが手を出すのは直球だけ、変化球(凝った料理)は見送ることが多いです。

ふぐと鰻については全面同意、鰻のトモダチである鱧も同様で湯びきは辛子酢味噌がないと食べられませんね。

ともあれバランスの取れた食事を心がけましょう(ってお医者さんに向かってエラソーに、苦笑)

投稿: jackyhk | 2005/10/17 10:39

こに様、お久しぶりです、jackyhk様、コメントありがとうございます。
 ホタテも大好きですが、現地は味が違いますか・・・、急に北海道に行きたくなりました!。ああ、仕事やめた~い!。
 あと、鱧、いいですね。鱧も淡白な味ですし、下ごしらえがめんどくさそうですけど、工夫と手間を惜しまず、おいしくいただいているということですね。

投稿: 彰の介 | 2005/10/17 13:42

TVの食べ歩き旅番組の、感動の無い定番コメントには、飽き飽きしていますので、彰の介さんの今回のお話の前半部分については、全く同感ですが・・・

後半の、ふぐとうなぎについては、これは、残念ながら同意しかねます!!!

ふぐ・・・おいしいです。大変淡白ですけれど、でも、ふぐの味は、しっかりしているはずです。私は、結構魚の刺身は好きですから、お刺身がある程度いっぱいある時は、まずは、しょうゆ等を付けず、一切れはそのままでいただきます。ふぐ美味しいですよ、もちろん、ポン酢に紅葉おろしは最高ですけど・・・
決して、ポン酢の味だけじゃないですよ。試しに今度、ふぐと、ひらめ等を、ポン酢に付けて食べ比べてみて下さい。・・・その味の違いが、ふぐと、ひらめの味です。

うなぎ、たしかにあのうなぎのたれは、とても良く合うと思いますが、でも、うなぎの白焼きもおいしいですよ。スペインに行ったら、あっちのうなぎ料理があって、オイルマリネや、グリルですが、やっぱり美味しかったです。むしろウナギそのものの味がよくわかったかも。そういう意味では、彰の介さんの「たれの味あってこそのウナギの蒲焼き」ですが、食材の味そのものを楽しむことができる調理法は、やはり「あじがある」ものです。

ともに、食材は、新鮮であることが必須ですね。(たしかに、格安のふぐ料理屋では、冷凍のくさふぐ等を使っていることもあるそうで、その場合は、「ポン酢の味頼み」かもしれません・・・)

投稿: mia | 2005/10/21 13:23

mia様、手厳しいコメント(笑)ありがとうございます。
言い訳がましいですが、今回は白身の淡白なおいしさを引き出す手段であるところのポン酢に注目させていただきました。よくよく考えてみると、私は刺身好きなんですが、どちらかといえば淡白な白身よりも、味の主張の強い赤身や、青さかな、あるいは貝類の方がすきって事みたいです。好き嫌いのことなので、このあたりで勘弁してください(笑)。

投稿: 彰の介 | 2005/10/21 23:35

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