« 2005年9月 | トップページ | 2005年11月 »

2005/10/26

素人経済学(会社乗っ取りの是非)

 私は現在、医療という社会主義経済の中に身をおいていますが、私の父が零細ながら会社を経営していた影響で、医療界の中では珍しい、経済通として知られています(大爆笑)。

 以前はライブドア対フジテレビ、今は楽天対TBSの株の買占め問題(←いかにも素人らしい表現で申し訳ありません)がニュースになっていますが、私にはこの問題イマイチわからないというのが本音です。乗っ取りをかけられた側が、「なんで黙って買い占めたんだ!!この野郎!!」って逆ギレしている姿が、どうにも私には違和感があるんですね。

 あれこれ20年以上前になりますが、私の父が、ど素人のしかも子供の私に、会社乗っ取りの話を解説したことがあります。何がきっかけだったかはよく覚えていませんが、その話の内容はしっかり覚えています。
 
 当時の私は、株とは何かもよくわかっていない頃です。それでも、第一に、会社にとっては、株主がオーナーであり、最もエライということ、したがってたくさん株を持ってる人が一番エライということがわかりました。父の会社は、父が大株主であり(オーナー社長)、父が一番エライ。ただ同じ社長といっても、大きな企業の社長は、大株主ではなく雇われ社長だということも知りました。父はこの大企業の社長と株主の立場をプロ野球に例えました。チームの監督が社長、チームのオーナーが大株主、チームで一番エライのは監督じゃなくてあくまでオーナーであり、チームの成績が悪ければ、株主たるオーナーが社長たる監督を交代させるという解説でした。

 そんな一番エライ人が株主ってとこを理解したうえで、乗っ取りの話となりました。上場している大企業では、ある集団が密かに株を買いしめて、その会社で一番エライ所の大株主になっちゃうこともあるっていうんですね。その会社がほしいと思えば、当然考えられる手法です。トヨタ自動車の乗っ取りを計画した集団は、トヨタ自動車では大きすぎるので、その大株主たる豊田自動織機の乗っ取りを計画し成功、トヨタはひどい目にあったなんて話も聞いたのですが、これはフジテレビを見据えてニッポン放送を狙ったライブドアの話と瓜二つです。

 そこで乗っ取られないための防衛策の話がありました。大企業というのは、株の取引に相当に神経をとがらせていて、買占めが行われていないか常に注意していること、買い占められても問題にならないように、何があっても売らない安定株主の存在や、そのための株の持ち合いが行われていること等を知りました。これはバブル前の話ですので持ち合い解消など現在とは状況が違うかもしれませんが、いずれにしても、昔から乗っ取られないための策が講じられていたということは間違いありません。

 父の話は、株という性格上、乗っ取りはあくまでルールの範囲内のことであり悪いことではない、会社側は、乗っ取られないように常に注意し策を講じなければならないという結論でした。素人的には、最近になって、急に株の買占めが問題になったかのような感がありますが、最低限、私が父からこんな話を聞いたのは20年以上も前のことです。
 そう考えると、フジテレビやTBSのように、いまさら買い占められたことを倫理観に訴えたり、手法を問題視するのは、無策不注意を棚に上げて、逆ギレしているとしか思えないのです。これ違いますかね?。まあ、フジもTBSもメディアですから、「逆ギレで同情を買い、買い占めた方を悪者に仕立てる」という世論戦略も、防衛策の1つと言われればそれまでですが‥・。楽天が撃沈したら、「逆ギレ」も防衛策として確立された??ってことになるんでしょうか。
 
 ということで、買占め乗っ取りを問題視はしていない私ですが、本当の問題は、IT企業と既存メディアがくっついて、どんなすばらしいものを私達に提供してもらえるのかというところです。結果的にこの提携がうまくいかなかったり、たいした物ができなかったりすれば、結果論として買占め乗っ取りの非が強調されることになるかもしれません。

この記事は、[木村剛のコラム] TBSの経営陣が羨ましいへトラックバックさせていただきました。

 人気blogランキングに登録しています。ぜひ清きクリックを!
 ↑↑クリック!

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2005/10/23

靖国の英霊

 靖国神社に祀られている方々は、自分達が「英霊」と呼ばれることをどう思っているのでしょうか。「英霊」と呼ばれていることを快く思わない「英霊」はいないんでしょうか。

 我々は、靖国神社に祀られている方々を、軽々しく「英霊」と呼んでもいいのでしょうか。今こうして幸せに、平和な日本で生きている我々が、「英霊」という言葉を使ってもいいのでしょうか。

 「英霊」と呼んだ瞬間に、「英霊」の死は肯定されます。「英霊」は自分の死を肯定されることに何の疑問もないのでしょうか。誇りに思っていただける「英霊」ばかりなのでしょうか。

 「英霊」にとって靖国神社は居心地のいいところなのでしょうか。まさか、我々が「英霊」と呼んだばかりに、居心地が悪く、逃げ出そうとした「英霊」はいないのでしょうか。いや、全ての「英霊」が「英霊」として扱われないと、困る「英霊」がいますから、逃げ出すことはおそらく許されないでしょうが。

 亡くなられた「英霊」の扱いを、生きている我々が、我々の都合で決定していくことに、少し疑問を感じる今日この頃です。

 人気blogランキングに登録しています。ぜひ清きクリックを!
 ↑↑クリック!

| | コメント (3) | トラックバック (2)

2005/10/20

無駄論的美食倶楽部(2)

 私が美食について語るなんてことは、世も末のような気もしますが、前回に引き続き、おいしいものについて考えてみようと思います。

 前回、無駄論的美食倶楽部(1)で書いたのですが、私にとって食に関する究極の結論は「おいしければいい」ということです(この際、健康については無視しています‥・)。本来、そこにうんちくはいりません。しかし、昨今のグルメブーム(もう死語?)かアニメの影響か、食=素材という雰囲気が抜けません。もちろん、素材が悪ければ、おいしいものはできないのかもしれませんが、素材が良くても、おいしいものができるとは限りません。

 あるラーメン屋の話です。10年近く前なんですが、職場の後輩に、こだわりのラーメン屋があるといわれいっしょに行ってみました。確かにこだわりのラーメン屋です。ラーメンの具材すべてにこだわっています。○○産昆布、○○産丸鳥、○○産の卵、○○産の豚肉、具体的なことは忘れてしまいましたが、看板に書かれている具材の産地や、製法は確かにこだわり抜かれています。ついでに言うと、そのラーメン屋「ポケベル禁止」の立て札もありました。ポケベルとは時代を感じますが、今は携帯電話禁止なんでしょうか。こんなところにもこだわりが感じられますね。
 さて、いっしょに行った後輩からは、このこだわりラーメンについて、はっきりと明言されていたことがあります。

「材料はこだわってますけど、味はたいしたことないですから・・」
怖いもの食いたさで行ってみたのですが、後輩のお言葉どおり、味はたいしたことありませんでした。というか、まずいです。素材は一流でも、まずければ意味がありません。薬膳料理食べに行ってるわけじゃないですからね。こういう意味のない素材感には本当にがっかりさせられます。

 素材にこだわるならまあいいのですが、話題性だけという店にもこまります。某放送局が仕掛けた、汐○ラーメンのことなんですが‥・、話のネタに一度だけ行ってみました。選考に選考を重ねて選ばれた料理人が作ったラーメンですから、きっとおいしいんでしょう、私以外は‥・。いや~、正直あんな臭いラーメンは初めてでしたし、乾燥した味ご飯がでてきたことにもびっくりしてしまいました。話のネタにもう二度と行きませんが、あのお店、今でも行列つくってはやっているのでしょうか。まあ、私が味音痴だったというならいいのですが。

 話し変わって、私は、こと外食でおいしいものを食べるということに関し、一時大いなる勘違いをしていた時期があります。大いなる勘違い、それは、小金が使えるようになった私のおごりから来たのですが、「おいしいものは値段がはる」という勘違いです。確かにおいしいものは値段も高いかもしれませんが、逆に値段が高いからといっておいしいとは限りません。
 
 ある日本料理店で食べた名物の「トロハンバーグ」。マグロのトロでハンバーグ作ってるんですから、高そうでおいしそうでしょう。この店の店主も、ニコニコしながら私に、「これおいしいでしょ、トロだからね!」って言うんですけど、これがゲロマズでした。私はだいのお刺身好きなんですから、そのまま、トロとして食べさせてくれればよかったのに‥・。
 ある旅先の鉄板焼きやで食べた、料理の鉄人(坂井さん)もうなったという薄焼きステーキ。随分お金ははりましたが、別にうなるほどではなかったですね。鉄人の舌は正しいんでしょうから、やっぱり私が味音痴??。

 この鉄板焼きを食べた翌日に、駅前の小さな、小汚い、串揚げやに入りました。でも、この串揚げは大当たりでした。前日の肉と比べれば、値段は1/3~1/4程度ですが、予定本数以上にもっと揚げてくれと言う、私とつれに、店主も呆れ顔でした。おいしいものを、ただ値段に置き換えて考えていた自分に反省した瞬間でした。

 とは言うものの、世に「値段が高いからおいしいもの」というのは存在します。
 「数の子」なんてどうでしょう。私は値段が高いものだからありがたがって食べていますが、私の祖母は決して食べませんでした。何しろ、祖母の時代の数の子は畑の肥料ですから‥・。
 「キャビア」というのもありますね。立食形式の会などで出てたりすると、ついついありがたがってたくさん食べているのですが、よく考えれば塩の味しかしないような‥・。おっと、キャビアは美味じゃなくて珍味でした。
 「魚沼産コシヒカリ」っていうのも、なんとなく高いからおいしいと思って買ったりもしましたが、他のお米と区別がつかんとです!(やっぱり味音痴?)。やわらかめの粘りが好きな私は、今はもっぱら福島県産ミルキークイーンです(やわらかめのご飯が好きな方には絶対おすすめ)。

 おいしいものとは言われていても、値段が安いから過小評価されているものもあります。
 「さんま」は値段が一匹2000円や3000円になっても、食べたい食材ですね。もちろん、一年に一回くらいしか食べれなさそうですけど。アジやサバもおいしいんですが、やっぱりさんまは別格というのが私の見解です。
 「しいたけ」なんてだだくさに食べていますが、あれがマツタケ並の値段だったとしても、こちらも一年に一回くらいは焼きしいたけを一口でパクッとやりたいですね。安くてよかった‥・。
 物価の優等生といえば「卵」。卵が高かったらどうしましょう。やっぱり素材の味をそのまま引き出すとしたら、一年に一度の卵かけご飯の幸せでしょうか。

 ということで、本日のエントリーはわけがわからなくなりました。要するに、おいしさは、うんちくや雰囲気で作られるものではないということです。他人の言動にに左右されず、自分がおいしいと思うものがおいしくて、まずいと思うものがまずい、そういうことだと思います。ついでに言うと、私の言動にも左右されないよう、ご注意ください。

 本日も無駄に読み進めていただきありがとうございました。

 人気blogランキングに登録しています。ぜひ清きクリックを!
 ↑↑クリック!

| | コメント (6) | トラックバック (3)

2005/10/17

無駄論的美食倶楽部(1)

 私は、日本でも有数の美食家として全く知られていませんが(笑)、ちょっとやっそっとのまずいものくらいは、それほど苦もなく食べてしまうストライクゾーンの広い人間です(大笑)。そんな私が普段から疑問に思っている、おいしいものに関するテレビ番組での表現や、おいしさに関する疑問をあげてみました。

 以前にも書いたのですが、私はかなりのお刺身好きです(お刺身は料理です!)。しかし、テレビの紀行番組などで、お刺身や海産物料理を紹介する時の、リポーターの表現に気に入らないところがあるのでまずは文句言わせてください。
 
 まず第一に、お刺身を食べた時などに使われる
「いや~、身がしまっていておいしいですね」
と言う表現が気になります。もしかしたら、ただ硬いだけ?、あるいは別に感動するほどおいしくないから、つくろい表現?ってな感じが時に伝わってくることがあります。私は函館で、さばきたてのイカを食べて感動したことがありますが(究極のどんぶり)、まさに、このイカは身がしまっていておいしいと言うのがぴったりのものでした。歯ごたえがいつも食べているイカとは全然違い、新鮮で、うまみというか甘みが非常に濃く感じられました(一般的には、身のしまりというのはイカに使う表現ではなく、白身魚に使う表現のような気がしますがお許しを)。まあ、要するに、刺身好きの私としては、惰性的に、地の物や、とれたてに対する慣用句か枕詞のように、「身がしまっている」ということばを使われるのが気に入らないわけですが、やっぱり「硬い」のとは違うって所をちゃんと説明してもらわないと納得いきませんね。

 もう1つ、「磯の香りが口いっぱいに広がりますね」というのも気になります。磯の香りってなんですか?。潮の香り?ですか。私、どちらかというと山育ちなので、時々海辺に行くと漂ってくる海の香りというのでしょうか、潮の香りというのでしょうか、あの香りをかぐと
くさ~」とついいってしまう人間なのです(海辺の方ごめんなさい)。あの臭い匂いが口いっぱいに広がったら、私にとってはたまりません。そうでなくても、なんとなく潮の香りというと、すこし生臭さがあるのではないかと思ってしまいます。貝の仲間を食べると時に生臭さを感じてしまうことがありますが、どうしてもあれを想像してしまうのです。そんな理由で、本当に潮の香りっておいしいものなのか、どなたか教えてください。私だけが思っていることならどうでもいいことなんですが‥・。

 話し変わりまして、ふと気がつくと秋も深まってまいりました。なべがおいしい季節の到来です。それで、なべの王様と言えば「ふぐなべ」(てっちりっていうんでしたっけ?)です。私も一年に一回位はふぐが食べられる身分になりまして、早く食べたいと思うばかりです。しかし、そんなふぐのおいしさについては、以前から疑問に思っていた屁理屈があります。
 
 あのふぐの白身、あれは、俗に淡白な味などと表現されますが、要するに「味はあまりしない」というのが本当のところではないでしょうか。ふぐの刺身にしろ、なべにしろ、私はふぐそのものがおいしいのではないような気がします(だしが出るのは否定しませんが)。ふぐのおいしさ、それは、「ポン酢で食べるからおいしい」と思うのですがどうでしょう。正直、私はだいのポン酢好きでして、ミツカンのまわしものと言われてもおかしくないくらいです。なべを食べ終わった後の最後の雑炊にも、ポン酢をかけるとおいしいんですよね。私はかなりたっぷりかけてしまって、ポン酢雑炊になってしまっています。

 同じような話で、私はだいのうなぎ好きでもあるのですが、あれも、うなぎそのものがおいしいのではなくて、あの甘辛いタレがかかっているからおいしいというのが本当じゃないでしょうか。老舗のうなぎやさんには、何十年、何百年(そんなのあるかどうか知りませんが)と受け継いできた秘伝のタレっていうものがありますよね。あのタレがないとうなぎ料理はきついでしょう。もちろん白焼きってのもありますが、どんぶりや重にしようと思ったら、あのタレ無しでは語れません。いや、あのタレの発見と言うか、タレを使った調理が開発されたからこそ、おいしくうなぎが食べられるようになったのではないでしょう。

 私が食に対して考えていることは、単純に、「おいしければいい」ということです。ふぐが淡白な味なら、それにあった調理(ポン酢をつける)をして、おいしく食べる、うなぎも、秘伝のタレを使って、おいしく食べるってことで、ちゃんと工夫した調理をして食べているってことなんですよね。そう考えると、昨今の素材がすべてと言わんばかりの風潮には、首を傾げたくなることがあります。おいしさなんて、所詮個人の好き嫌いの問題に行き着くわけですから、身がしまっていればいい、磯の香りがすればいいという風潮や表現の乱発には、違和感を覚える今日この頃の屁理屈男でした。

 次回も「おいしさ」の定義について、無駄に論じたいと思います。本日も無駄な屁理屈にお付き合いいただきありがとうございました。

 人気blogランキングに登録しています。ぜひ清きクリックを!
 ↑↑クリック!

| | コメント (5) | トラックバック (0)

2005/10/13

信念が先か、当選が先か

 私の地元の代議士である野田聖子氏が随分とバッシングにあっているようです。もちろん、郵政民営化について、党の方針に逆らってまで反対票を投じた人が、あれよあれよという間に信念を覆し、あからさまに、自民党への復党の懇願??をしてるんですから、信念のない政治家と言われても仕方がないかもしれません。

 しかし、こう言ってはなんですが、この程度のことを覆すぐらいの政治家は何も野田さんだけではなく、いくらでもいるでしょう。むしろ、郵政法案に対して基本的に反対なのに、それこそ信念を曲げて賛成票を投じ、今になって、「賛成しといてよかった!」って胸をなでおろしている自民党員もたくさんいるのではないでしょうか。

 ところで、今回の選挙結果(自民大勝)によって、小泉総理を「天才」とよぶ評論家がたくさんいます。私は天才かどうかはわかりませんが、信念を曲げなかったと言うことだけは言えると思います。選挙が終わってから、その結果を持って天才と呼ぶのは簡単ですが、基本的には選挙をしてみるまで結果はわからなかったはずです。そういう意味で解散総選挙は、信念に基づいた「勝負」だったわけで、天才的に全ての先の先まで見通したうえで行ったわけではないでしょう。勝負の結果が、信念どおりの大勝だったというだけで、一歩間違えば、自民党の大敗、自らが党を追い出され、野田首相誕生だったかもしれないのですから‥・。

 そんなことを考えていて思ったことがあります。「信念」というキーワードで、政治家を考えてみると、「政治家は何のために選挙を戦うのか」という疑問が浮かんできました。普通に考えれば、自分の信念を国政の場で発揮したいと思うからこそ、選挙を戦うのでしょう。しかし、現実にはそんな理想的な人は少ないかもしれません。むしろ、信念は二の次で、当選こそが目的という政治家のほうがはるかに多いのではないでしょうか。

 当選しなければ信念を国政の場で発揮できないといわれる方がいるかもしれませんが、これはいわゆるニワトリと卵の関係とはちょっと違うような気がします。当選が目的の場合、集票が最大の目的になりますから、信念は集票のために後から作り上げればいいということになります。したがって、それが票になると思えば、郵政民営化に賛成とも反対とも適当に言っていればいいのです。野田さんだって、今回は当選を果したとはいえ、郵政民営化ごときで今後の政治家人生が終わってしまうのならば、賛成だって反対だってどっちでもいいというのが本音ではないでしょうか。仮にそれが本音ではないとしても、敗北宣言した以上、当選が目的の政治家といわれてもしかたありません。自分の選んだ道です。

 一方、小泉総理は、自民党の勝利のためではなく、自分の政治家としての信念を国民にぶつけた選挙だったと思います。当選のための政治家ではなく、信念を通した政治家である小泉総理への票が、今回の自民党の大勝につながったのではないでしょうか。まあ、今回当選を果した、新人を含めた大勢の先生方に、政治家としての真の信念があるかどうかはわかりませんが・・・。

 そんな中、小泉総理は、自民党の総裁任期が終わるあと一年で、総理の座も終えるといっています。これに対して、無責任とか、やり逃げとかいろいろ評価が分かれるようです。
 私は、小泉総理に逆らえる人が誰もいなくなった現状を考えると、一年でさっさと辞めるというのは賢明な選択だと考えています。最近、政治改革論争(小選挙区導入時)の若かりし小泉総理の映像を見たのですが、当時の小泉総理はこの論争の中で、「小選挙区、比例代表では、総裁や党執行部の権限が絶大化してしまう」ということを理由に批判していたようです。ところがその総理の憂いがまさに現実化し、自らその権限を行使し、さらに大勝の影響で権限がますます絶大化していることに、総理自身の過去の信念との矛盾を感じたのかもしれません。そう考えれば、むしろ「総理総裁を辞めること」は、信念を貫く小泉さんらしいと言えるかもしれません。私は、政治の堕落を防ぐためにも、さっさと辞めることに批判はありません。
 
 小泉総理が、総理でなくなったとき、真の自分の信念を持ち合わせず、ただ小泉総理にくっついていけばよかった政治家の皆さんは、一斉に化けの皮がはがれてしまうでしょう。ずうたいが大きくなった自民党を最も憂い、その対策を考えているのも、小泉総理なのかもしれません。

 人気blogランキングに登録しています。ぜひ清きクリックを!
 ↑↑クリック!

| | コメント (2) | トラックバック (3)

2005/10/11

医療ミス報道について

 あざらしサラダさんから、医療ミス??の記事に関するトラックバックをいただいておりました。私は職業柄やぶ医者をやっていますが、まあ、医療ミスに対してどうこう言う立場にありません。あまり言い過ぎると、自分の立場が怪しくなりますから‥・(笑)。といいつつ、本音を書くのが私、彰の介でございます。

 詳細は、あざらしさんのページを参照してください。短くして転載させていただくと、「見舞いの男性に誤って点滴」という記事で、

入院中の男性患者(28)の見舞いに訪れた知人の男性に、女性看護師が誤って点滴を打つミスがあった。看護師が男性患者の個室に入り、患者の名前を確認したところ、ベッドに寝ていた知人男性が「はい、お願いします」などと答えたため、信じて点滴を打ったという。 看護師が病室に戻ったところ、患者本人がいたためミスが判明した。看護師らは知人男性に謝罪した。
あざらしさんは、この点滴を打たれた男性が故意にやられたとして、病院は謝る必要はなく、報道も、ミスだからといって、批判すればいいわけではないだろうという意見を発信しておられます。

 正直に私の感想を言いますと、あざらしさんのような方が増えると、医療界は本当に助かるというのが本音です。残念ながら、この場合、この点滴を打たれた男性が、全く故意に打たれたとしても、それこそ訴訟狙いであったとしても、基本的には「打ったほうが患者の確認を怠った」と解釈されるのが普通だと思います。したがって、いかなる理由があろうとも、病院や打ってしまった看護士の立場で、毅然と「打たれたあなたが悪い」ということはありえないと思います。ミスはミスなんですね。これが、本当に訴訟になった場合は、当然「故意に打たれるようしむけられた」と主張することになるのでしょうが、そこまでいかなければ、間違えて点滴してしまった以上謝るしかありません。私は今回の病院側の対応は常識的な普通の対応だったと思います。

 問題があるとすれば、あざらしさんご指摘の報道の方かもしれません。こういうことは、私のような医療界の者が本来言うべきではないのかもしれませんが、昨今の医療界への報道は、バッシングと、名医崇拝の両極端に集中してしまっています。もちろん、擁護しようもないような医療ミスに対しては、どんどんバッシングを浴びせてかまわないと思うのですが、残念ながら、我々から見ると、病院関係者が頭を下げる姿を放送するのが目的じゃないかと思うような報道もたくさんあります。今回の報道も、点滴を打たれた男性の非はほとんど問題にされていません。現行マスコミがバッシング目的の報道しかしないのであれば、やはりそこは、当事者では本音が言えないので、第三者が問題を指摘するしかないと思います。マスコミによって問題の本質が変質してしまっているような場合、それこそ、ブログのような媒体で、あざらしさんのように問題提起していただいたり、地道に我々のような同業者が真実を語っていく努力が必要だと思います。そのためには、私も勇気を持って、リークマンになることを宣言しましょう(冷汗)。

 ところで、点滴や注射、あるいは採血を間違って別の人にしないように、各病院でいろんな取り組みがされているようです。ニュースキャスターの森本氏の通っている病院では、患者さんに名前を名乗ってもらうそうです。

「森本さん、お名前は?」
「森本です‥・」
ってな、あほな会話をしながら採血をしているらしいのですが、どんな方法でも完璧はありません。そんな涙ぐましい取り組みをしている中で、今回の記事のような迷惑行為が行われているとしたら、このような取り組みを完全に否定する行為といわざるを得ません。医療ミスをなくそうとすれば、医療提供側だけでなく、当然患者側の協力も必要なはずで、それを乱す行為には、ぜひ皆さんも、目を光らせていただきたいと思うばかりです。

 今回も、医療界の非の部分は棚上げにさせていただきました。以前からの構想である医療界の闇を、「黒い巨塔シリーズ」としてちょこちょこ書いてみたいと思っている今日この頃ですが、私に刺客が放たれているといううわさもあるので、身の安全が確保されてからにさせてください。妄想?。か?。

 人気blogランキングに登録しています。ぜひ清きクリックを!
 ↑↑クリック!

| | コメント (2) | トラックバック (1)

2005/10/07

世にも恐ろしい裏話

 世にも恐ろしい裏話2点を入荷しましたのでここに静かに発表いたします。

 先日私の勤めるとある病院に監査なるものが入りました。その結果「この病院には何も言うことはありません」という大変すばらしい評価だったようです。普通どんなにすばらしい病院でも、文句の一つや二つはつけられるものですが、どうしてしまったのでしょう。
 実は、監査のためにお役人が集中治療室に入った時、そのお役人の携帯電話が着信し、部屋中にベルが鳴り響いたらしいのです。そのため、ある患者さんが「人を殺す気か!!」と怒鳴り散らして大騒ぎになったらしいんですね。どうもその顛末のお陰で病院にいい評価がもらえたようです・・。又聞きですので真偽の程はわかりませんが、世の中こんなものですかね・・。

 とある新米警察官の話です。見るからにあちらの世界の方が乗っていると思われる高級外車の駐禁を切ったら、上司の警察官から怒られたそうです。しかもその怒られ方がすごい。

「お前何考えてるんだ。ちゃんと車を見て切らなきゃダメだ。あいつらとは持ちつ持たれつなんだから
一体何を持ったり持たれたりしてるんでしょうね。なんか、がっかりですよね。まあ、又聞きですので真偽の程はわかりませんが、世の中こんなものですかね‥。

 リークしている私に危害が及びそうになったら、この記事は削除されます。ついでに、このブログもネットの中で消えてしまうかもしれませんが‥・。

 人気blogランキングに登録しています。ぜひ清きクリックを!
 ↑↑クリック!

| | コメント (6) | トラックバック (3)

2005/10/04

平田良介、中日へ

 未だに、高校野球選手の皆さんは、自分より年上だと思っている私ですが(大笑)、よくよく考えてみると、自分の年の半分ぐらいのお子ちゃまばっかりなんですね(不笑)。私と同い年のプロ野球選手はもはや大ベテランといわれ、巨人元木も引退ですか・・。ちょっと寂しさを覚える若年寄の私です。
 
 そんな中、本日、プロ野球高校生ドラフトで、我らが中日ドラゴンズは大阪桐蔭高校の平田良介選手を指名しました。私は正直言って、彼が単独指名となって、あっさりと指名権獲得になったことが不思議でなりませんが、実は、彼の活躍のあるなしが、落合中日の来年からの浮沈を決定するのではないかと、私は大それたことを考えているのです。

 何も、平田選手が早速に4番を打って、大活躍しないと、中日が危ないというのではありません。これは落合監督が真に名伯楽かいなかを決定することだと感じているのです。落合監督というのは、監督として評価の分かれる人で、選手を発掘して育てることにたけているという人もいれば、星野監督時代の遺産を食い潰しているだけという人もいます。私は以前から落合監督を評価している一人ですが、私の評価が正しいことを証明するためにも平田選手には活躍してもらわなければなりません。

 平田選手について、実績は清原かゴジラかという逸材でありながら、中日以外の他球団が一巡目指名しなかったのは、おそらく将来性に疑問符がついたからだと考えています。というのも、素人目に見て、平田選手のバッティングフォームというのは、西武カブレラと元近鉄中村を見るような豪快なスイングをするからです。豪快といえばいいですが、荒削りというか、いちにのさんで振ってるというか、下手をするとただの扇風機と言われることになるかもしれません。もちろん、中日が一位指名宣言しなければ、どこかの球団が一位指名したでしょうし、一巡目誰も指名しなくても、どこかが、はずれ一位に指名したのは間違いありません。しかし、「敢えて競合までしてとる選手ではない」というのが他球団の評価だったのではないでしょうか。

 そんな彼が、長らく和製の4番バッターの欠落している中日には不可欠と判断を下したのは、甲子園での彼の雄姿を見たこの私なんですが(大笑)、落合監督が、彼を「自分を超える逸材」と高評価し、一位指名を決めたと聞いて、私はほくそえんでしまいました。落合監督が、あの扇風機のようなバッターの将来性を見抜き、自分が超一流に育てると決心したと私は考えるのですが、これがやっぱりただの扇風機だったとなると残念ながら落合監督の評価を下げざるを得ません。ついでに、中日の将来も、それこそ星野時代の遺産を食い潰した暁には、暗黒時代へ突入することになるでしょう。

 ということで、私の大予想がいい意味で当たることを期待しますが、悪い方ばかりが当たると中日ファンを止めることになるかも・・。な~んてことはありませんが、素人評論家の意見ですので、あまり真剣にご批判いただくことのない様、軽く流していただけますと幸いです(笑)。

 人気blogランキングに登録しています。ぜひ清きクリックを!
 ↑↑クリック!

| | コメント (0) | トラックバック (3)

« 2005年9月 | トップページ | 2005年11月 »