被害者も加害者も
先日起きた高校生女子生徒殺害事件のことが大きく報道されています。犯人は同じ高校の男子生徒、振られたか、冷たくされたか知りませんが、そんなことは世の常人の常、何で殺さなきゃいけないの?というのが率直な感想です。私も高校時代「もろフリ」された女性がいて、その後何年かストーカーやってましたが(笑)、全く相手にされなくても、まさか殺そうとは思いませんでしたが・・・。
それにしても、今回の報道でびっくりしたのは、被害者に関して、生前の写真だけではなく、ビデオや肉声までも、これでもかと放送していることです。どこで手に入れたか知りませんが、ただ亡くなった方というわけでなく、殺されたわけですし、あまりにも生々しいですから、私なんかは少し違和感を覚えます。家族が提供したもので、生前をしのびたいのでぜひどうぞというものだったらいいのですが、仮にそうだとしても、その旨番組内で断りを入れてほしいものです。それとも、全く家族に同意を得ていないってことはあるんでしょうか?。いずれにしても、人間殺されるとプライバシーは剥奪されるということになりますね。これは以前から気になっていたことで、全く殺される必要がなかった人ということを強調したいがための報道なんでしょうが、正直行き過ぎを感じることの方が多いように思います。
被害者のプライバシーがなくなるのもそうですが、加害者のプライバシーもなくなります。まあ、そんな言い方をすると、「加害者にプライバシーも何もあったものか」と叱られそうですし、特に今回のような少年犯罪の場合、一体どんな生徒だったのか、どんな生い立ちだったのかということを分析するのは確かに必要なことなのかもしれません。
そして、必ず加害者の人となりを分析するのに使われるのが「卒業文集」やら、「修学旅行文集」やらの文集物です。加害者はこの時こんなことを書いていた、だからすでに精神的におかしいとか、こういう性格だ、などと専門家なる人が分析するわけです。
しかしながら、私はこの文集の類まで世間にさらされることに違和感を感ぜずにはおれません。
正式な定義や、法的扱いはわかりませんし、実際には問題がないのかもしれませんが、本来これら文集はきわめてプライベートなもので、先生と同級生のみに共有する思い出を綴ったものだと私は考えています。文集にした時点で公のものになるとはとても思われません。司法関係者やその道の研究者が、これら文集を使って、加害者の人となりについて調べることはあるかもしれませんが、報道で全国にさらすべきものではないような気がします。無論、本人の許可など取るわけありませんし、要するに、加害者のプライバシーは、どこまで裸にされてもいいということでしょうか。
私は公に事件が発生したのですから、ある程度の情報が漏れるのは仕方がないかもしれないと思っています。しかし、明らかに興味本位や、それこそ、いかにも犯人らしいと想像させることや、何でこんな人が殺されなければいけないのかと想像をかきたてるプライベートな情報を、それが責務だといわんばかりに簡単にさらけ出してしまう報道に問題を感じているのです。
憂しと見し世ぞSE:朝日新聞の良識へトラックバックさせていただきました。
人気blogランキングに登録しています。ぜひ清きクリックを!
↑↑クリック!
| 固定リンク
コメント
トラバサンクスです。
いつもボロクソに貶してる朝日と珍しく波長が合ったので記事にしました。
事件報道(と言えるのか?)の過熱ぶりにはホントにうんざりですが、見る人がいるのも事実で・・・仕方なしですかね(嘆)
投稿: jackyhk | 2005/11/15 19:33
jackyhk様、コメントありがとうございました。こちらから勝手にトラバさせていただいておりました。
朝日は、右の方中心に、なんでもかんでもボロクソにする対象になっていますが、内容によってちゃんと評価されているjackyhk様はタダの批評家ではあらしゃりませんね。それはともかく・・・、確かに、見る人というか、見たい人がいるから報道されるわけで、そっちの方が問題かもしれませんね。見つけ次第問題提起をしていくことしか我々にはできないんでしょうか?
投稿: 彰の介 | 2005/11/15 20:10
なんとも痛ましい事件でした。そして、これでもかこれでもかと出て来る、被害者の生前のビデオ・卒業文集など、興味本位のとりあげ方に見えなくもなく、朝日新聞の匿名報道に良識を感じていました。
でも、未成熟の恋愛感情は、時にこんなに悲惨なことになるのかと・・・一人の人間として、そして人の子の親として、考えるべきこと多いです。
投稿: mia | 2005/11/16 07:24
お久しぶりです。
私もこの事件に限らず、加害者の描いた絵などが公表されて違和感を覚えた一人です。
あらゆるキャラクターを描いて、「攻撃性が見られる」とか、「闇がある」などとテレビで語られると、自分の娘も同じような絵を描くことだってあるわけです。ものすごく嫌な気分になりますね。ある意味、マスコミが犯罪者の更生を妨げることもありますから。
報道って、知る権利を求めてばかりでもいけないし、また一般人が根掘り葉掘り知ってどうなることでもなさそうだな、という線引きが出来るといいなぁと夢のような思いでいっぱいです。
投稿: コングBA | 2005/11/16 08:28
mia様、コングBA様、コメントありがとうございます。
事件があまりに痛ましいゆえに、事件の本質に関する報道ではなく、野次馬的な興味本位でプライベートをあばいてしまうこと、そして、あばくことにそれなりの理屈をつけることには、皆様同様の違和感を感じておられることがわかりました。
そのあたり、やっぱり報道にまかせるのは無理で、我々が一つ一つ拾い上げていく地道な問題提起しか手段はないのでしょうか?
投稿: 彰の介 | 2005/11/16 15:33
お久しぶりです。
PCクラッシュやら、仕事が忙しいやらで2ヶ月ほど、出没したくてもできない状態でした。
日本のマスコミの特性?だとは思いますが、話題になるととにかくつつくというのはいかがなものかと、思いますね。特に被害者サイドを。
社会的更生の障害になるという名目で、少年犯罪の場合、加害者の保護が行き過ぎる点とのバランスを考えれば、被害者サイドは、かなりなリスクを背負うわけですから。
むしろ、事実のみを淡々と報道するという姿勢を基本にすべきだと思います。背景を掘り下げれば視聴率等はついてくるかもしれないですが、どうもそれは違うのではないでしょうか。
あ、長文になってしまった。それではこの辺で失礼します。
投稿: でめ | 2005/11/18 05:59
はじめまして。
全く同感です。これは、かなり前になりますが、「女子高生コンクリート詰め殺人事件」というのがありましたが、あの事件でも、いまだに、被害者の顔写真が使われており、見る度に辛い思いになります。
今回の事件でも、確かに、顔写真だけでなく、ビデオなども流されており、それが逆に悲しみを煽るために用いられているように思いますが、こんなものまで流さなくてもと思います。
また、ご指摘のとおり、加害者の卒業文集は最近では定番となっており、母親を毒殺しようとしたとされる女子高生の卒業文集がそのまま放送されたりしています。
これらが、事件を冷静に、客観的に分析するという視点を失わせ、感情的に伝えて、加害者への処罰意識を高める方向に世論を誘導することに使われていると思います。
いずれにしても、こういう報道に対して、そろそろ、視聴者・読者が「No!」を伝える必要があると思います。
投稿: ビートニクス | 2005/11/18 07:06
でめ様、ビートニクス様、お久しぶりおよび初めてコメントありがとうございます。
結論としては、「報道が何のために報道するか」に尽きると思いますよね。要するに視聴率のための報道が多すぎるんです。報道もダメですが、それを欲している方もダメ。視聴率に跳ね返るって事は、見てるってことですから・・・。以前のコメントでも書いてますが、一つ一つ問題提起しましょう。
投稿: 彰の介 | 2005/11/18 22:29