無駄論的小説的真実
「事実は小説より奇なり」と言います。小説のようなかっこいい話よりも、事実の方がよりドラマチックなこともある、いや、事実だからこそドラマチックであるということなのでしょうか。私は奇なりとまではいかなくても、かっこいい歴史小説が歴史的事実と違うと知ってしまうと興ざめしてしまうタイプです。興ざめの代表は三国志(演義)でしょうか。劉備は義の人なんて信じてましたが、義に生きていたら天下が取れるはずありません。曹操は極悪人と思っていましたが、実際には三国時代最大の英雄だからこそのエピソードばかりでした。小説でなくても、歴史書と呼ばれるものが事実を伝えているとは限りません。時にはその歴史書を編纂した人たちにとって都合よく書き換えられることがよくあるからです。だからこそ、私は「事実が知りたい」という気持ちが強いんですね。
ということで、本日は、「事実は小説より奇なり」をキーワードに、ある人物を無駄論的に考察したいと思います。
私の座右の銘は「鶏口牛後」です。「牛の尻尾になるくらいなら、にわとりの頭になれ」という意味の、この逸話の主「蘇秦」は、彼についての歴史書の記述があまりに小説的ゆえに、空想の人物かもしれないと言われています。と言いつつ、世界史の教科書には張儀とともに「縦横家」として紹介されていますから、空想と言っている人たちがただ、マニアックなだけかもしれませんが・・。この蘇秦を紹介した「史記」や「戦国策」は今から2000年も前に中国で書かれたものですが、例えばこの史記を書いた人物である司馬遷にとっても、さらに何百年も(二王朝)前の人物である蘇秦のことですから、リアルタイムに見ていた人物であるわけがありません。したがって、実在の人物なのか、空想の人物なのかの検証は、司馬遷にとっても難しいでしょうし、ましてや現代人の我々にとっては不可能といえるかもしれません。史記の中に書かれていた、殷王朝(商王朝)は、つい最近まで空想の王朝と言われていました。ところが、その遺跡が発見され、甲骨文字の研究から史記の記述が極めて正確であるということがわかり、史記が再評価されたという事実があります。しかし、それより新しい時代である(蘇秦の時代である)春秋戦国時代の記述が、新しいことを理由に全て正しいとは言えません。ただ、司馬遷が作為を持って誤った記述をしたとは到底考えられませんが・・。
時は中国の戦国時代、戦国の七雄といわれる国が割拠し覇を争っていましたが、徐々に「秦」一国が巨大化しました。そこで、蘇秦は秦以外の六国をまとめ上げて、大国、秦に対抗する案を各国の王に説いたのです。これがいわゆる合従(がっしょう)策です。この、六国合従をまとめ上げる時に、使った言葉が、「秦の国に取り込まれて、尻尾の扱いされてどうするの?」という意味の??「鶏口牛後」 だったわけで、それ以外にも実に言葉巧みに各国の王を解く様子が、克明に史記には記されています。実際、蘇秦が六国合従に成功した後数十年は、秦も他国を攻めることができず戦争がなかったといいます。
このように、六国を代表する宰相となった蘇秦が、全くの空想上の人物とは簡単には考えられませんが、それにしても、話のスケールが大きすぎること、また、その克明に記された口説き文句が、逆にあまりにも克明であるがゆえに(一体誰が聞いて記録しておいたの?)、全体としては、確かに話として出来すぎているという感じはしなくもありません。まさに小説的です。「事実は小説より奇なり」からいくと、出来すぎているから小説なのか?、それとも小説的だからこそ事実なのか?、いやはや、こればっかりは、タイムマシーンがなければなんとも言えませんね。
漢の武帝の時代に活躍した将軍「衛青」の話も実に小説的です。この衛青、母は奴隷で、小さい頃からいじめられ、牧羊なんかをやっていたという、ただの下人ですが、姉がなんと武帝の愛妾となったため、宮廷で働くようになり、さらに姉が非常に寵愛されたため、武帝によって将軍にまで取り立てられたという人物です。この姉が寵愛されるのを快く思わない皇后が、その弟である衛青を拉致監禁したものの、助けられたという逸話もあるようです。ついでに、奴隷時代の北方での牧羊経験がいきて、将軍として、北方民族である匈奴の征伐に功を上げたというのですから、その出自といい、出世といい、手柄といい、逸話といい、何から何まで作ったような話だと感じたのは私だけでしょうか。まさに小説的だとは思いませんか?(詳細はぜひ正書をお読みください)。
しかし、衛青についての記述は、何から何まですべて事実としか言いようがありません。なぜなら、史記で彼の記述を残した司馬遷が、全くの同時代(漢の武帝時代)の人物だからです。同時代にリアルタイムに会った人物に対して誤った記述をしようもありません。架空の人物をでっち上げることも不可能でしょう。これはまさに、「小説的な事実」であり、どんな優秀な小説家をもってしても、この「衛青」という人物について、事実以上の「小説的小説」を書くのは無理なのではないでしょうか。
私は、こんな小説的事実に出会うたびに、出来すぎた小説がつまらなく感じてしまうようになってしまいました。私の歴史的興味を満たしてくれるものの多くが、歴史小説であるということとは矛盾する話ですが、要するに事実が知りたいという強い欲求があるのです。歴史の面白さ、それはきっと答えは見つからないのに、ああでもない、こうでもないと事実を探求するところにあるのかもしれませんね。嘘のような話が、嘘のような本当の話と確信できたとき、たまらない感動が待っている・・・・そんな変な人間がこの私であります(大笑)。
ところで、前回エントリーにも書いたんですが、「弁慶」っていうのは、空想上の人物なんでしょうか?・・・・。義経、弁慶の話もまさに小説ですからね・・・。まあ、弁慶はともかく、次回は日本の歴史で同じような考察をしようと思います。
人気blogランキングに登録しています。ぜひ清きクリックを!
↑↑クリック!
| 固定リンク
コメント