平成18年は新憲法元年?
憲法論議が盛んになってきました。憲法改正のための自民・民主の大連立なんていうのもまことしやかに言われていますが、今年平成18年は新憲法元年となるのでしょうか。私自身は、現在の憲法改正論議(9条に関して)にはやや疑問を持っていますので、今回を含め、おりをみてこのブログで取り上げたいと思っています。
新年明けましておめでとうございます。今年も無駄ブログ「彰の介の証言」をよろしくお願いいたします。
年の初めから、お堅い話題で申し訳ありませんが、本年平成18年は、憲法の年になるかもしれないとふんで、最初にこの話題を取り上げてみました。以前憲法改正無理論という駄文を書いたことがあります。読み返すのが恥ずかしい駄文ですが、まとめますと、憲法改正したところで結局は「解釈論」になるだけで、だったら今のままで特に問題ないのでは?いや、改正すれば歯止めがかからなくなるのでは?と考えてみました。
実は、正月、とある番組で自民党の議員と、民主党の議員のやり取りをきいていました。話題が憲法改正に進むと、自民党議員から「改正のための案を出しました」との話があり、民主党議員からは「すっきりした形で改正した方がいいのではないかと考えている」という話があり、番組も「そうですね」で終わってしまい、つまり明日にでも改正か?という雰囲気だったためびっくりしてしまいました。議論が全く深まっていない中、改正することがどんどん進んでしまっているようです。私自身「改憲」自体に反対というわけではありませんが、現在のような無風状態で、自民党案を軸に改憲が行われるとすれば、国民投票で反対票を投じざるを得ないと考えています。各論は折に触れて書くこととして、本日は総論として改憲に対する屁理屈をこねたいと思います。
まず自民党が掲げる「自主憲法の制定」という文言に屁理屈言わせてください。確かに、現在の日本国憲法はアメリカに押し付けられたものかもしれません。ですから、自分達の手で憲法を創り出したいというのはわからなくもないのですが、実際には、創り変えたいというのが本音であって、憲法を改正したいがための方便が「自主」憲法ではないでしょうか。なぜならば、押し付けられようが、何されようが、いい憲法、問題のない憲法であれば、改正する必要はないからです。改正するからには問題があるから改正するのであって、押し付けられたことが問題ではありません。昨今のテレビ番組などを見ていると、「押し付けられた憲法」というのを強調して改正の論拠としている風潮がありますが、全く論拠になりえないというのが私の考えです。
そして、私にとって最もよくわからないのが、「クウェートシンドローム」というべき日本人のトラウマです。湾岸戦争で、多国籍軍による開放後のクウェートが、多国籍軍に参加した各国の国旗をデザインして(Tシャツかなんかだったでしょうか?忘・・)参加各国に賛辞を表したのですが、多額のお金を出しながら、軍隊として参加しなかった(後に掃海艇を派遣)日本の国旗はデザインされていなかったというあの事件です。人的貢献はせず、金を出しただけではクウェート人からは全く評価されなかったとして「日本の恥」とまでいわれましたが、このことが、自衛隊の海外派遣を縛っている9条への恨みへとつながり、「あの恥を繰り返すな」的な発想でイラク戦争における自衛隊の派遣が推し進められ、さらに昨今の憲法改正論議につながっているのは明らかです。
私は相当な被害妄想もちですが(笑)、この「クウェートシンドローム」こそ日本人自身の相当な被害妄想か、あるいは憲法改正論者による確信犯的な宣伝活動ではないかと私は考えています。一体全体、世界の中で、この日本の戦争放棄をうたった9条を全く評価せず、情けない国だなどといっている国はあるのでしょうか?。アメリカは、9条が相互協力の邪魔をしているような発言をしたような気もしますが、日本憎しの中国だって、韓国だって、9条けしからんなんてことを言ったことはないでしょう。この9条を根拠に戦争に参加しなかった日本に対して、バッシングがあったなんて話も、私は全く聞いていません。ただ単に、日本国旗がデザインされていなかっただけのことで、これが、本当にクウェート人による日本人への「怒り」の気持ちを表したものかどうかもわかりません。本当に、日本の自衛隊による国際紛争の解決ということを、世界各国が望んでいるのかということをしっかり確認すべきですし、基本的には、日本の戦争放棄の概念は世界から評価されていると考えられますから、それを根拠に戦争に参加できなかったことに関し、ここまで卑屈になる必要はないと私は考えています。
そんな理由から、自衛隊による国際貢献がどんなに大事なことであったとしても、この「クウェートシンドローム」を根拠とした議論は承服できません。自衛隊が、紛争解決に積極的に使われることのメリット、デメリットを真剣に深く議論すべきで(現在、この議論は皆無です)、妄想を根拠に憲法改正するなんてことがあってはならないでしょう。
ということで、私は改憲論者です(大爆笑)。改憲するには、それ相応の問題点があるから改憲するのであって、改憲が目的で、その根拠を探すような、現在の希薄な改憲論は危険がいっぱいです。後になって後悔できません。もっと議論を深めることが大事であり、改憲目的の改憲には断固反対したい私なのでした。
人気blogランキングに登録しています。ぜひ清きクリックを!
↑↑クリック!
| 固定リンク
コメント
改憲の中身がよければ、賛成でもいいのではないでしょうか?
単純すぎる??
投稿: ひろ | 2006/01/07 01:14
ひろ様、コメントありがとうございます。
おっしゃるとおり、中身が問題です。そう考えると、現在の9条でどれほどのデメリットがあるのか?改正してどれほどのメリットがあるのか?をはっきりさせていかないといけませんよね。今のところは、メリットデメリットに関する議論というより、上に書いたような、改正のための理屈探しが、前面に出ているような気がします。細かくは、別の機会に書きたいと思っています。
投稿: 彰の介 | 2006/01/07 15:18