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2006/02/04

推定無罪とは何か?

 ほりえもん、ライブドアに対して、既存メディアがしょうもない報道を続ていることに、私もうんざりしているわけですが、そうは言っても、ほりえもんが逮捕されたことは重大なことです。昨今、この既存メディアによる「ライブドア叩き」に対して、ブログによる「メディア叩き」も盛んなわけですが、このメディア叩きにも問題を感じています。前回のナベツネさんへの謝罪にも書いたとおり(書いた通りと言いつつ、ちょっと説明不足+細工が過ぎて意味不明瞭でしたか・・、コメントも参照を)、メディアのしょうもないところを強調するあまり、彼の逮捕という事実が減じられてしまっています。その理由のひとつとして、ほりえもんを持ち上げてきたこと、ナベツネさんをはじめとした旧勢力を叩いてきたことの言い訳ではないか?と問題提起と自己反省をしたのが前回のエントリーでした。

 まあ、私の駄論が正しいか、間違っているかはともかく、このメディア叩きの中で出てきたのが、「推定無罪」という言葉です。メディア叩きの中の比喩表現、あるいはメディアに対する警告という意味で、この言葉が使われ始めたと思うのですが、徐々にエスカレートして、ここまでお祭り状態でこの言葉(あるいは推定無罪を前提とした議論)が使われると、ちょっと私としては屁理屈をこねたくなります。前回のエントリーとの関連しているのですが、昨今の議論はともすると、「推定無罪」が都合よく解釈されているのではないかと考えてしまいます・・。

 「推定無罪」、すなわち、容疑者などは、無罪だろうということを前提に扱わないといけないということでしょうが、この言葉を、現行のメディアに当てはめたら大変なことになります。

○○さん殺人事件で、A容疑者が殺人・死体遺棄の疑いで逮捕されました。A容疑者は犯行を否認しています。
「推定無罪」を前提にしたら、こんな報道はをしてはいけませんね。これではまるで、Aが○○さんを殺した犯人のようです。「刑の確定まで、犯人と決め付けないようご注意ください」と競輪競馬風に注釈を入れないといけません。いや、推定無罪を本気で実践するなら、
10年前○○さんが殺される事件があったとさ。犯人Aは死刑になりましたとさ。めでたしめでたし。
てな感じで、事件は刑が確定してから、一昔前のことを報道することになってしまうでしょう。しかし、これこそ真の「推定無罪」のはずです。

 それとも、報道が確からしい証拠を取材していれば、容疑者の段階で報道してもいいのでしょうか。例えば、「現場には、Aの指紋が残されていることがわかりました」というような言葉がくっついていればどうでしょう。いやいや、これは全くの逆効果です。Aの指紋が残っていたら、余計にAが犯人のように錯覚してしまいます。むしろ、

Aは犯行時刻、どこにいたのかわかっていませんが、指紋が残っているのかどうかもわかりません。凶器は何で、どこで買ったのかもわかっていませんが、犯行の動機もよくわかっていません。
と報道した方が、推定無罪っぽくていいような気がします。

 これ位にしないと、屁理屈といえども石投げられそうなので本題に移ります。私が思うに、「推定無罪」という言葉は、本来、裁判の原則を言葉にしたものでしょう。すなわち、「疑わしきは罰せず」という方針です。それが拡大して、公権力全体に対する、「疑わしいだけで権力を行使するな=犯罪、犯人と決めつけずに慎重に捜査しろ」という心構えのことだと思われます。

 報道にこの「推定無罪」という言葉を当てはめた場合、上の私の屁理屈のごとく、完全な実践は不可能ですし、そんなあほなことを望んでいる国民もいないと思われます。基本的には、公権力への解釈同様、「慎重に報道しなさい」ということ以上でも以下でもないと思います。したがって、今回のライブドア関連のメディア叩きに当てはめると、過剰な演出や、罪でもないことまで罪にしたがる報道には、「推定無罪」という原則を心して報道しなさい!と指摘できると思いますが、「犯人扱いするな」とか、「刑が確定していないのに・・」という指摘は明らかに筋違いです。逮捕されたのですから、「罪を犯した犯人である」ということが前提の報道をするのは当然のことです(上記、私の屁理屈参照)。過剰な報道を叩くついでに、報道の本質まで叩いていることになりますから、ほりえもんは無罪と訴えたいのか、ただのメディア叩きのためのメディア叩きとしか考えられません。

 というのも、例えば、ヒューザーの小嶋社長に「推定無罪」の報道をすべきという指摘は聞いたことがありません。社長は逮捕すらされてもいませんが、 全国民で犯人扱いをしているのは明らかです。談合事件で逮捕された方々、彼らにも「推定無罪」は当てはめられません。「刑も確定していないのに」税金泥棒呼ばわりしてもいいのでしょうか?。麻原彰晃なんてひどいものです。「犯人扱い」どころか、「推定死刑」ですから・・・。
 
 しかしながら、松本サリン事件で、第一通報者の河野義行さんを犯人扱いしたことを、捜査した警察、報道したメディア、報道を疑わなかった国民、総懺悔したはずではないですか。しかし、この事件の反省をもとに行動している人なんて皆無です。結果論として冤罪であれば、その場では反省するが、基本的に「推定有罪?=怪しいやつは犯人扱い」を実践し、そして、ここにきてほりえもんにだけ「推定無罪」を当てはめようとする・・・、この国民のチグハグさは、一体どういうことなのでしょうか。

 さらに「推定無罪」を強く言うのであれば、報道に公権力の疑惑、それこそ官製談合の疑惑などを追及するなということになります。「まるで談合をしているかのような報道」はしないほうがいいでしょうか?私はどんどんしてもらった方がいいと思いますね。
 同様に、ほりえもんの疑惑も、当然ながら報道されるべきだと思いますし、彼にだけ事件の本質部分に「推定無罪」を当てはめる理由は、どこにもないと思います。

 前回同様、文が言語不明瞭・意味不明瞭になってしまったので、このあたりで筆をおきます。本日の結論は・・・、「所詮人間は、その場の雰囲気で人を批判したり擁護したりする動物か?」・・・、自己反省を含めて・・・。

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