車椅子を押すのは誰?(2?)
前回エントリーからの続きを書くにあたり、ちょっと表題に問題ありということで変更させていただきました。
身内に車椅子が必要なものがおり、新幹線での長距離移動を経験したのですが、その切符を買うまでの顛末が前回エントリーでした。
今回は、駅から駅までを書こうと思いますが、たんたんと経過を述べましょう。
まず、車椅子専用のタクシーを使い東京駅へ行きました。そこで最初に知らなかったことというと、車椅子の方専用の待合室があることです。決して広くはありませんが、その存在を今まで意識することはありませんでした。そこには駅の車椅子係につながるインターホンがあり、そこに到着した旨を報告すると、「出発時間がいついつですから、何時ごろお迎えに上がります」という返事でした。
ただ問題は、この専用待合室があることと、インターホンで報告することを、何も知らされていなかったことです。すべて、介護タクシーの方にやってもらったのですが、個人で来ていたらどうなっていたことやら‥・。
時間になると、駅の係りの方が迎えに来てくれます。そして、車椅子を押してくれて、車椅子用の裏道へ連れて行ってくれました。要するにエレベーターのあるところですが、東京駅の普通の構内にはエレベーターはなかったでしたっけ?。とにかく完全な裏道で、今まで通ったことのないところでした。エレベーターでホームに上がり、待合室まで係りの方が連れて行ってくれました。
目的の新幹線に乗ろうとすると、入り口には、車掌さんが我々を待ち受けており、入り口の段差を超えるために車椅子を持ち上げてくれました。そして個室に入るまで見届けてくれました。
目的の駅に着くと、また車掌さんが手伝ってくれて車外に車椅子を出すのを手伝ってくれました。その到着駅の係りの方もその場に駆けつけてきており、エレベーターから駅の外まで(タクシー乗り場まで)つれていってくれました。
ざっとこんな感じで、移動時には必ず誰かしら駅の方が手伝ってくれるということが徹底されていました。まあ、ある意味いたれりつくせりという感じで、これをVIP待遇?と書きたかったわけですが、やや不謹慎用語なので反省し、これまた、たんたんと私の本音を屁理屈調で書きましょう。
確かに、付き添いの人間がいたとしても、いろいろな事情で駅の方の助けが必要な方は多いでしょう。助けではなく、今回の我々のように、初めてだからどうしていいかわからないという場合も案内してもらわないと不安です。しかし、最低限いえることは、今回の我々の場合、身内の車椅子を押すのが駅員である必要性はありません。身内の私がいるのですから、私が押せばいいのです。私もやる気満々で、手荷物を作らないようリュックに荷物をまとめ、両手が使えるようにしていましたから、何の問題もないのです。車椅子を持ち上げるような場面も、ほかに付き添いが2名もいますから、全く問題ありません。初めてだからという理由がなく、もしエレベーターの場所等を熟知しているとしたら、全くお手伝いいただく必要はありませんでした。
間違いがないように言っておきますが、私は、駅員にやらせるのではなく、身内が全てに責任を持てなんて言いたいのではありません。手伝ってもらわなければならない人が手伝ってもらうことは、もちろん何の問題もありませんし、たとえ理由がなくても、駅員さんにお任せということを全く否定しません。あくまで、選択の問題として、駅では、「お手伝い要りません」という選択肢がなかったということに、屁理屈屋の私としては逆の冷たさを感じてしまうのです。
何でそんなことを言うかといえば‥・、例えば、私の住んでいるところの近くにちょっとした数メートルの坂があります。以前この坂を、上るに上れず困っている車椅子の方がいました。さて、この困っている方を目の当たりにした私は、この状況に対してどう対応するのがいいのでしょうか。坂を上がろうとされいるのですから、誰かが後から車椅子を押してあげなければなりません。ですから、私の取るべき方法は、その方の身内に連絡を取って押してもらうよう頼むべきでしょうか?、それとも、役所の福祉課に連絡して、困っている人がいるので押してあげてほしいと頼むべきでしょうか?、それとも、福祉団体かボランティアに連絡を取って頼むべきでしょうか?‥・‥。
そんな馬鹿な話はありません。そこに私がいるのですから私が後から押してあげればいいのです。実際数メートルのことですから、私が本人に断って坂のところだけ押してあげました。何を当たり前のこと‥・と思われるかもしれませんが、であれば、駅では駅員が必ずお手伝いしなければならないというのもおかしな話だとは思いませんか?。そこに私がいるのですから、私が連れて行けばいいのです。駅員の義務という概念があるとすれば、それは、坂で困っている人には役所の福祉課に連絡を取るべきといっているようなものです。手伝いを必要としないものが、お手伝い無しに、すいすいと電車に乗れるということこそ、バリアフリーの真の概念でしょう。それを駅員の仕事、役所の仕事と押し付けることこそ、バリアフリーを妨げる元凶だと感じるのです。
そもそもバリアフリーという概念は、障害者に対して自分でできることは自分でやってくださいということですから、実は冷たい話なのです。エレベーターを設置する、段差をなくすということは、他人に余計な手伝いをさせないということですから、冷たいとは思いませんか。むしろ、みんなで力をあわせて車椅子を持ち上げ、階段を登ったほうが、なんとなくやさしい社会のような錯覚を覚えます。しかし、健常者と同じ生活をする、すなわち、自力で生活をすることができる社会がバリアフリーの真の概念だとすれば、必ず駅員が対応するというのはこのバリアフリーの概念に逆行することのように感じたのです。
間違いがないようにもう一度確認しますが、だからといって、できるだけ自分のことは自分でやれといっているわけではありません。また、こんな駅のサービスを受けるべきでないともいっているわけではないので、お間違いの無いようにお願いします。むしろ、電車に乗れないと思っていた方々が、どんどん電車に乗れるようになればその方がいいに決まっています。サービスを必要とされる方には、嫌味のように感じられたかもしれませんので、全く他意がないことを強調させていただきます。
まあ、もちろん、JRといっても一民間会社ですから、そんなものはサービスの一環と言ってしまえばそれまでのことです。もしかすると、電車の運行に支障がないようにするためという現実的な問題があるのかもしれません。いずれにしても、私のこの発想は屁理屈が過ぎたかもしれません。こんな屁理屈屋がいるんだとだけ感じていただければ、それはそれで私としては自己満足できるのですが‥・。
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コメント
おいらは、彰の介さんのバリアフリー論に賛成です。あまり公にしていませんが、おいら自身、約30年身障者をしています。
身内以外に世話をかけるのは、正直気疲れのほうが先になってしまいます。先方から「手伝おうか?」と声がかかっても、自分で出来る範囲のことであれば、基本的に自分で処理してしまいますし、いたれりつくせりというのはどうも苦手です。スピードとかの面でいけば、人様より時間がかかるので効率的ではないですけど。
投稿: でめ | 2006/05/03 07:01
でめ様、コメントありがとうございます。
私は私自身が障害者というわけではありませんので、ある意味人事のような発言です。そういう意味でご賛同いただけたことは心強い限りです。
現状が決して障害者に優しい社会とは言えないのでしょうが、「選択肢」として自分でできることは自分でというバリアフリー化があってもよさそうですね。
投稿: 彰の介 | 2006/05/03 11:17