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2006/05/30

君が代の替え歌?

 こんな記事を見つけました(「君が代」替え歌流布 ネット上「慰安婦」主題?)。記事を抜粋しますと、

卒業式、入学式での国歌斉唱が浸透するなか、「君が代」の替え歌がインターネット上などで流布されている。「従軍慰安婦」や「戦後補償裁判」などをモチーフにした内容だが、本来の歌詞とそっくり同じ発音に聞こえる英語の歌詞になっているのが特徴で、はた目には正しく歌っているかどうか見分けがつきにくい。既に国旗掲揚や国歌斉唱に反対するグループの間で、新手のサボタージュの手段として広がっているようだ。
その英語版替え歌というのが紹介されていました。

 Kiss me, girl, your old one.
 Till you’re near, it is years till you’re near.
 Sounds of the dead will she know?
 She wants all told, now retained,for,
 cold caves know the moon’s seeing the mad and dead.

 私にキスしておくれ、少女よ、このおばあちゃんに。
 おまえがそばに来てくれるまで、何年もかかったよ、そばに来てくれるまで。
 死者たちの声を知ってくれるのかい。
 すべてが語られ、今、心にとどめておくことを望んでくれるんだね。
 だって、そうだよね。冷たい洞窟(どうくつ)は知っているんだからね。
 お月さまは、気がふれて死んでいった者たちのことをずっと見てるってことを。

 バカバカしいものをよく作ったものだと感心すると怒られるんでしょうが、要するに、発音が君が代そっくりになるってわけですね。ただし、産経の記事を見ると、慰安婦問題だ、戦後補償だと書いてありますが、残念ながら、訳は難解で、意味不明としか言いようがありません。いろは歌のような遊び心なんていうと、これまた怒られるんでしょうけど、私にはそれ以上のものは何も感じません。ところで、産経にしては、それほど強く批判している印象はありませんが、高橋史朗・明星大教授(教育学)の話として、

「国旗国歌法の制定後、正面から抵抗できなくなった人たちが陰湿な形で展開する屈折した抵抗運動だろう。表向き唱和しつつ心は正反対。面従腹背だ。国会審議中の教基法改正論議で、教員は崇高な使命を自覚することが与野党双方から提案されている。この歌が歌われる教育現場では、論議の趣旨と全く反する教育が行われる恐れすらある」
とまとめています。しかしこのまとめもよく意味がわかりません。こんなお遊びに問題性を捉えて、まるで怯えているような発言をするようでは、逆にいろいろとかんぐりたくもなるものです。

 ところで、日本の国歌である「君が代」の歌詞の意味をわかっている日本人というのは一体どれ位いるのでしょうか。私の記憶が確かなら、私自身は小学校1年生の時、担任の先生に教えられたような気がしますが、それ以外聞いたことがありません。その担任の先生から、

岩にコケが生えるのには相当な時間がかかるでしょう。それぐらい長く、日本が繁栄しますようにという意味です
と説明されたと記憶しています。まあ、その説明の正確さはともかくも、要するに、君が代の「君」についての説明はすっとぼけたわけです。小学生に教えても無駄と考えたのか、誤解を招くと考えたのか、先生なりの解釈をそのまま伝えたのかはわかりません。現在、国歌斉唱が義務化??されている学校などの現場において、この文語調の歌詞(最低小学生には難解)の意味をどう教えているのでしょうか。正直、正確な意味を理解したうえで現在の小学生が歌っているとしたら、それはそれ、びっくりで私も人生考え直さなければなりませんが(笑)、まさか「おばあちゃんにキスしておくれ」な~んて考えながら歌っていたとしたら、それはまた、いろんな意味で”おませ”すぎて、ドッキリでございます。

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2006/05/27

先進的な?社会保険庁?

 またしても、社会保険庁が何かしでかしていたようです(<年金納付不正免除>15都府県で7万3259人)。抜粋しますと、

社会保険庁が国民年金保険料を不正に免除・猶予していた問題で、被保険者本人が免除・猶予の申請書を提出していないのに手続きを行う不正が少なくとも15都府県で7万3259人に上ることが25日、毎日新聞の調査で分かった。不正な手続きが広く行われていた実態が明らかになったことで、社保庁の責任が問われそうだ。国民年金法は保険料の免除・猶予について「(被保険者本人の)申請に基づいて」行う、と規定しているが、不正なケースでは、文書で一方的に通知したり電話による意思確認だけで申請を代行するなどしていた。
年金の納付率を上げるために、納付者数を減らそうという、実にせこい手段をとったようですが、ここ1,2年というレベルではなく、随分昔からやってきた「裏技」のようです。

 しかし、皆さんよく考えてみてください。年金を納付しなくていい人たちに対して、面倒な手続きをせずに納付義務を免除してくれていたのですから、自ら仕事をすることのないお役所とは、とても思えないような「美談?」ではありませんか(大爆笑)。弱者を救うという観点からも、手続きの簡素化という面からも、実に先進的な省庁だとは思いませんか(大爆笑)。今回は、せこい目的で勝手な手続きをしていたということですが、ある意味、「やればできる」とうことを世間に示したともいえるのです。そう考えれば、現在、年金をもらうことも申告制(手続きしなければ年金はもらえない)なわけですが、もらえる年齢になったら、社会保険庁からちゃんと連絡が来て、振込みの手続きなんかをしてくれたりすることもきっとできるはずです・・・。むむむ、期待するだけ無駄か・・(笑)。

 現在、社会保険庁が、なんとかという別の組織名に変更されるようで、これがまた、看板の架け替えだけだと非難されているようです。すでに体質が腐りきっているので、お取り潰ししか道はないという意見も、テレビなどでは聞かれます。しかし、社会保険庁の職員一人一人が、みんな悪人かといえばそんなことはないでしょう。私が社会保険庁の職員だったら、現在のような不祥事を起こすような風土を決して許さなかった!!な~んて、とてもいえません。きっと、保険庁にはびこる風土に慣らされてしまっていただけに違いないのですから。悪いのは、働かない幹部たちであり、年金を付け狙う政治家や業者も同罪と考えていいのではないでしょうか。
 
 やろうと思えば、(方向性は間違っていましたが)上記記事のように、仕事ができる人たちなのです。しかし、残念ながら自民党の改革案は抜け道だらけで、まだ年金を付け狙っているようですから、風土の改善には至らず、正に看板の架け替えに終わっていくのが目に見えています。
 私の褒め殺しのごとく、逆手に捉えて、お役所とは思えないようなサービスを提供してくれる組織に変貌することを、密かに期待したいのですが、世の中、一度吸った甘い汁からはそうそう離れられないということでしょうか・・・。([木村剛のコラム] 臭い年金は元から断たなきゃダメにトッラクバックさせていただきました。)

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2006/05/25

「靖国」

 昨年は、8月15日に向け、「歴史観シリーズ」を時々書いていたのですが、本年は靖国神社のことを書いていこうと考えています。もちろん、三日坊主協会会長の職にある私ですから、一回(三日?)で終わる可能性はいつもながらあるわけですが、まあ、いいか。所詮私ですから、勘弁してください。

 靖国神社については、以前、抽象的な「靖国の英霊」という記事を書いたことがあります。正直言えば、私の言いたいことはここに凝縮されているのですが、少しずつ紐解いていってみようと思います。今日は前書きです。靖国問題などといわれる、この日本国内で最もイデオロギー論の分かれるこの論議は、実際にはいろいろな種類の糸が絡まった複合的な議論のため、実にわかりにくくなってしまっています。しかし、わかりにくい割には、議論上は「右」か「左」か、あるいは「賛成」か「反対」かと言った、ある意味極めて明快な論議しかされないところに不思議なところがあります。

 例えば、靖国神社参拝について、小泉総理と小沢民主党代表に意見の違いはあるのでしょうか。
小沢代表は、小泉総理との対立軸を明確にするため、「靖国神社への総理参拝問題」について小泉総理とのスタンスの違いを明言しています。確か小沢代表は、「A級戦犯は、本来靖国神社に祀られるべきではない人たちです」といった主旨の発言をしています。要するに、靖国神社は戦死者を祀る施設であり、戦犯は刑死しているので戦死者ではないということでしょう。おそらく、中国が、靖国神社へのA級戦犯合祀を問題にしていますから、それに合わせた意見発信であると思われ、暗にA級戦犯の分祀をせまっているものだと考えられます。小泉総理は、A級戦犯の合祀に関して、「罪を憎んで人を憎まず」と発言していますから、合祀に問題はないと考えているのでしょう(当たり前か・・)。

 この二人の対立点は、「A級戦犯の取り扱い」という問題です。小沢代表の意見を、よ~く見直してみてください。この発言は、A級戦犯の扱い方だけを問題にしているのであって、A級戦犯の「」については言及していません。ましてや、仮にA級戦犯が分祀されれば、靖国神社参拝には問題ないとも解釈できますから、靖国神社そのものについて、またその参拝については、全く対立点にはなっていないのです。 
 このA級戦犯の取り扱いという問題は、靖国問題の中でも重要な論点ではあることは確かなのですが、「靖国神社を軍国主義の象徴である」とし、存在そのものが問題とと考え、分祀しようが合祀しようが関係ないと思っている「左」系の人から見れば、随分「右」に偏った議論であり、そういう意味で言えば、意見が対立しているとは言えないレベルなのかも知れません。つまり、参拝賛成だから「右」、反対だから「左」なんていう判断は、全くナンセンスなのです。政治的には「右の中の右」のような存在だった野中広務氏ですが、ことこの靖国問題に関しては「靖国神社は軍国主義の精神的支柱であった」として、考え方はまさに「左」そのものでした。つまり、「左」とか「右」とかが問題ではなく、あくまで、その人その人に、それぞれ許せる論点許せない論点があり、論点をはっきりさせないと、議論が実にややこしいのです。

 政治評論家の三宅久之氏などは、「総理が8月15日なんていうからいけない。”毎日”靖国神社に参拝すれば問題にならない」等と発言し、靖国問題に関して一見明らかに「右」よりです。、しかし一方で、A級戦犯については、無駄に戦争を引き伸ばしたとして、彼らの「罪」については大変厳しく追及しています。佐々淳行氏も同様に、靖国参拝を問題視していませんが、「生きて虜囚の辱めを受けずと発言した東条英機は問題である」とA級戦犯の代表格??である東条英機氏を批判しています。両氏ともに、靖国神社参拝に何の問題もないとする一方、A級戦犯のためだけに(A級戦犯に対して)参拝しているわけではないから賛成という立場なのです。

 しかし、同様にA級戦犯の罪を問題にしながら、「だからこそ参拝には反対」と言う立場の人もいるし、さらに「分祀しろ」と言う人もいるわけです。A級戦犯には罪はないと真逆の意見であっても、諸外国のことを考えて参拝反対とする人もいるし、分祀はすべきと言う人もいるのです。つまり、立場が違っても結論が同じ場合があるし、立場が同じでも結論が違うことがあるわけです。
 
 以前テレビで、コラムニストの勝谷氏が、「靖国神社参拝反対」と言った人にすかさず、「あなたは日本人としてあの東京裁判を認めるのか?」と発言していました。確かに、靖国神社参拝反対ということは、A級戦犯の罪を認めている人であり、したがって東京裁判を無条件で受け入れている人という考えができるかもしれません。しかし、上記のことを考えれば、このような勝谷氏の発言が実にナンセンスであることはわかってもらえるのではないでしょうか。東京裁判を認める人の中にも、靖国参拝賛成、反対両意見が混在していますし、認めない人の中にも、賛成反対それぞれの立場の人がいるのです。勝谷氏が「東京裁判を認めることができないから、靖国神社参拝に何の問題もない(???)」という意見かどうかわかりませんが(素直に解釈するとそういうことになりますが)、そう考えるのは勝谷氏であって、全ての人に当てはまる話ではないのです。型にはめて、右と左で議論するのが一番簡単なのかもしれないのですが、それぞれ、論点をはっきりさせた上で一つ一つ語っていかないと、ややこしくなると考えるのは、そういう意味なのです。

 というわけで、論点を決めて、私の意見を発信していこうと考えているのですが、これがまた論点と論点が複雑に絡み合っているという問題もあり、私の作業がどこまでできるのか、すぐ終わるのか、やめちゃうのか、できないのか、将来が実に不安になってきました。まあ、このエントリーだけでもいいか・・・。

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2006/05/22

警察も怠慢、報道も怠慢?

 最近、小学生など、小さな子供が狙われる事件が頻発しています。遺族の方には大変申し訳ありませんが、正直、そんな事件が多すぎて、どの事件がどうで、どうなったのか、ごちゃごちゃになってわからなくなってしまいました。そんな中、今日この頃は、秋田での小学生男児の殺害事件がニュース・ワイドショーでひっきりなしに報道されています。1ヵ月以上前に事故死したとされた女児と合わせて、連続殺人の疑いが濃くなったのが、報道を加熱させる原因になっているのでしょう。

 「小1男児遺体で発見、首絞められた跡…秋田」というニュースが流れたのは、5月19日です(以下抜粋)。

秋田県藤里町の自営業米山勝弘さん(39)の二男豪憲(ごうけん)君(7)が下校途中の17日午後、行方不明になった事件で、18日午後3時ごろ、自宅から約10キロ離れた同県能代市の米代川沿い市道脇の草むらで死亡しているのが見つかった。首にひもで絞められたような跡があり、県警は殺害された可能性が高いとみて能代署に捜査本部を設置する。県警は司法解剖し、死因を調べている(読売新聞)。
この事件だけでも問題ですが、1ヵ月以上前の4月10日に、女児が行方不明になっており、そちらの方は事故死(水死)とされていたようです(不明の女児、遺体で発見 自宅近くの川、転落か)(これも記事を抜粋)。
秋田県藤里町で行方不明になっていた小学4年畠山彩香ちゃん(9つ)は10日午後1時35分ごろ、同県能代市の藤琴川の浅瀬で遺体で見つかった。能代署によると、目立った外傷はなく、靴を履き、衣服を身に着けていた。水を飲んでおり、能代署は彩香ちゃんが誤って川に転落した可能性が高いとみて死因などを調べている。藤琴川は彩香ちゃんの自宅近くを流れており、幅約40メートル、深いところで2メートル前後。9日は雪解けで普段より水量が増し、流れが速かったという(共同通信)。
この亡くなった二人の子供が、ご近所だったことや、事件の類似性から、4月の彩香ちゃんも、事故ではなく殺されたのではないかとにわかに疑われ始めました。しかし、そもそも殺されたのではないかという疑問は、豪憲君が殺されるまでもなく、彩香ちゃんの親族によって問題提起されていたようです。今日のワイドショーでは、警察が強引に「事故」として処理しようとしていたことが報道されていました。

 この彩香ちゃんの死について疑問を感じていた親族は、ビラを配って情報提供を募っていたようです(娘の真相、「知りませんか?」)。しかし、このビラ配りは、尋常な話ではありません。普通、誰かが行方不明になり、発見されない場合には、こういうビラをつくり情報提供を呼びかけることはあるかもしれません。仮に長期間発見されず、亡くなっている可能性が高いとしても、もしかしてどこかで生きていてくれるかもと、親族であれば当然考えると思うからです。しかし、この事件の場合、残念ながら、彩香ちゃんはすでに遺体として発見されています。何をどう調べても、彩香ちゃんは生きて帰ってくることはないのです。にもかかわらず、事件の情報提供を募っているということは、よっぽど、事故としては納得いかない理由があったはずですし、最低限、そんな気持ちに答えるだけの情報を、警察が親族に提示できていなかったことは明らかです。もちろん、彩香ちゃんは事故死かもしれません。しかし、まともに捜査していたのか?どうかは、そんな親族の対応を見ていると、疑問視せざるを得ません。

 折もおり、私は先日、警察の怠慢という記事を書いたばかりでした。警察にとって、自殺か他殺かどっちがいいかと言われれば、自殺の方が、捜査がそれにて終了ですからいいのではないかと書かせてもらいました。今回は自殺ではなく事故ですが、もちろん同じことであり、事故であれば、事件性無しですから、それにて捜査は終了となり、警察にとっては実に楽チンな話なのです。そんな理由から今回の事件も、簡単に事故として処理してしまっていた可能性は十分に考えられます。それにしても、この彩香ちゃんの死が、もし殺人事件だったとしたら、警察の対応いかんで豪憲君の事件を未然に防げた可能性があります。仮定の話での警察批判は問題があるかもしれませんが、いずれにしても(仮に事故死であったとしても)、警察にとって十分反省すべき案件であると考えます。

 ついでに、報道についても文句を言っておきます。ワイドショーでは、私が意見を言うまでもなく、警察の対応に問題がなかったのかを報道していました。彩香ちゃんの死について、事故死では説明できないことをいろいろ解説してくれていたのですが、以前、事故だとされた時にはほとんど反応していなかったのに、今更事故ではないことをこれでもかと報道するなんて、あまりにも都合が良すぎます。まあもちろん、報道は捜査をするわけではありませんから、警察の怠慢を捜査段階で指摘するのは至難の業かもしれませんが、しかしそれにしても、話題としておいしいものにはとことん食いつくが、おいしくないとなったらさ~っとひいいていくというその対応には、苦言を呈さねばなりません。

 1つ報道のいい加減さを指摘しておきます。ワイドショーの中で、彩香ちゃんの死亡当日の、川の水かさについて、疑問が呈されていました。実は、死亡当日の水かさは、雪解けで深くなっている時と比べると半分程度であり、「おぼれるような深さだったのかどうか疑問」ということを指摘していました。しかし、上の、遺体発見当時の記事を見てください。事件当日は雪解けで普段より水量が増し、流れも速かったとなっています。どっちの話が正しいのかわかりません。しかしこれは、事故となれば、事故らしい表現を持ってきて、事故ではないとなれば、ないらしい証拠を持ってくる、典型的な「それらしい報道」です。我々はこんな情報操作を受けた報道を信じなければならないのですから、おそろしいものです。
 
 報道に対して、「事故であれば、話題としておいしくない」として適当な取材で切り上げることがなければ、今回の事件はなかったかもしれない・・・、などと、期待することは間違いでしょうか・・・。やっぱり、そこまで期待はできませんし、そんな義務を課すのは、余計にねじ曲がった報道になっていってしまうかもしれません。これからも、我々はそれらしい報道にさらされ続けることになるのでしょう。

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2006/05/19

不思議な?不買運動

 映画「ダ・ヴィンチ・コード」が話題になっていますが、その内容からカトリック信者の反感を買っているようです。この反感は、不買運動に発展しているようですが、これがまた、実に不思議な不買運動です・・・。

 内容はこの記事です(ソニー製品の不買運動を カトリック系団体呼び掛け)。内容を抜粋しますと、

米カトリック系団体「ヒューマンライフ・インターナショナル」のアイテナウア代表は、映画「ダ・ヴィンチ・コード」に抗議し、関連会社が映画を配給しているソニーの全製品の不買運動を始めることを明らかにした。「映画はカトリックを敵視している。世界のカトリック信者10億人規模のボイコットにしたい」と話した。キリストが子どもをもうけ、教会はその事実を隠してきたという筋の同映画をめぐっては「うそと中傷に満ちている」などの批判が出ている。代表は「映画を機にソニー製品ボイコットを訴えるのはわれわれが初めてだと思う」としている。
この映画を見ないようにしようとか、本を買わないようにしようとかいう話だったら理解できますが、あえて、配給もとのソニーに的を絞り、電気製品?の不買運動というところが変な話です。私はこの本を読んだわけではありませんが、原作本の内容の企画制作はソニーなんでしょうか?。そもそも、本が売り出されたのは、ずーっと前のような気がしますが、映画になったその時点で、ソニー製品の不買運動??はやっぱりおかしいでしょう。なんか筋が通りません。

 私は個人的にソニーに恨みがあるので(笑、クレイマー彰の介(2))ざまを見ろといいたいところですが、それはともかくも、本来なら、まず叩かれるべきは、原作者であるはずで、その次は映画監督や、映画俳優ということになるでしょうか。しかし、それを差し置いてでも、ソニーを槍玉に挙げたのは、ソニーが日本企業だからとしか考えられません。日本企業なら叩きやすいし、文句は言われないし、宗教団体としてもアクションを起こしたという事実が残ります。宗教的主張をしようとしたら、ちょうどいいところに、叩きやすいものがあったっという感じがひしひしと伝わってくる‥・なんて考えているのは私だけなんでしょうか。

 少し話は違いますが、以前、テレビでポケモンを見ていた人たちが、けいれんを起こすという事件が起こりました。その後、ポケモンのゲームでも同様の事故が起きた?ことがきっかけだったでしょうか(すいません、詳しいことは忘れました)、このような症状を起こすことを、確かイギリスで「Nintendo Epilepsy(ニンテンドーてんかん)」と名づけられたかと思います。まあ、警告の意味と、対策を怠ったことは確かで、擁護する気はありませんが、ニンテンドーのゲーム機やゲームソフトのすべてに問題があるようなネーミングであり、病理の本質ではないわけですから、要するに日本企業叩きがしたかっただけという感じがプンプンして、非常に違和感を覚えたことを思い出しました。まあ、いろいろな場面で、日本企業は、何かと叩かれやすい、そんな気がしてなりません。

 今回の映画が、キリスト教を中傷しているのかどうかは、私にはよくわかりません。何しろ、キリスト教国では、進化論もタブーと言いますし、そのあたりの感覚が、慣習的仏教徒(=ほぼ無宗教)の私には理解できないからです。ただ、教会側も、話の内容に本当に問題があると感じるのであれば、その内容をキリスト教徒に解くべきであり、ソニー製品の不買運動をやったからって何も変わらないと思う、私なのでした。

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2006/05/15

Wikipediaにはまる

 久しぶりの休日に、だらだらとインターネットを眺めていた私です。そこで、見つけたのがWikipediaというフリー百科事典です。はっきり言って、はまりました。

 皆さんはよくご存知なのかもしれませんが、私はこのWikipediaなるものをよく知りませんでした。休日だらだらと眺めていただけなので、その成り立ちの仕組みや、誰が書いているのか?、便利な活用法など全く知りません。しかし、何か調べたい内容を検索にかけると、それに関することが、非常に詳しく説明してあるものもあります。これがまた、書いてある内容がマニアックなものもあり、おそらく書き手もその道のマニアなんでしょう(笑)。

 戦国マニアの私は、早速戦国武将を検索にかけてみていましたが、これがまた実にマニアックです。ただの百科辞典としてありきたりのことを説明してあるだけではなく、実にいろいろな角度から分析がされています。歴史上の人物や出来事は、昔のことゆえに資料が乏しく、定説が真に正しいという保障はないため、いろんな人がいろんな説を出します。それらが非常に中立的に書かれていることがすばらしいんですね。本来は、ある理由で長篠の合戦を調べたかっただけなのですが、これがまた、説明文の中に出てくる人物や事象にはリンクが張ってあって、その事項に飛べるものだから、長篠の合戦につながる事項を次から次へと眺めることとなり、ネットサーフィンじゃなくて、Wikipedia戦国サーフィンになってしまいました。

 何の気なしに、「名古屋弁」なんていうのを調べてみると、信じられないような詳細な文法解説があるのにびっくりしてしまいました。これは学問なのか?ただのマニアなのか?と考えてしまいましたが、まあ一応学問なんでしょうね。とにかく驚くばかりです。
 また、これまた何気なく「日本酒」なんてのも調べてみたのですが、これがまた造り方から何から、実に詳しい解説があります。私の目に留まったのは、日本酒を扱った本や、映画なども紹介されていることで、漫画「おいしんぼ」において、現代の日本酒のあり方や、アルコールの添加に関する批判があり、酒造会社と問題になったことまで書かれています。私の友達に、日本酒マニアがいたのですが、彼はこの「おいしんぼ」の日本酒批判に大変影響されてたため、このことはよく知っていましたが、そんなところがじつにマニア的です。ただ、書いてある内容はこれまた実に中立で、一方的に問題提起がされているわけではありません。

 そんな記事を見つけてしまったおかげで、このあと「おいしんぼ」の項へ飛ぶこととなり、その実に詳細な分析を目の当たりにし、これだったら、忘れかけたあのアニメやこのアニメも書いてあるのかと、結局今度はアニメサーフィンになってしまいました。その後、中日ドラゴンズサーフィンに、将棋サーフィン、競馬サーフィンと趣味の分野のサーフィン三昧、おかげで、あっという間に一日が過ぎてしまうということになってしまいました。

 実は、何かをインターネットで調べようとした時、普通ヤフーなどで検索をかけて関連ページに飛んでいっていたのですが、検索結果が必ずしも自分の意図したものとは限らないことも多く、また検索結果10000件なんて出てくると、全てを調べるのは不可能になります。そんな意味では、正に私が求めていたものがここにあったという感じで感動した次第なのです。

 ちなみに、政治問題となりそうな靖国のこととか、竹島のことも解説があったかと思いますが、これがまた、実に中立的に書かれています。こんな政治問題に限らず、ほとんどの記事で主義主張を行うわけでなく、結論されないのは百科事典という性格上当然ですが、マニアックな内容=いろいろな視点で見ることとであり、実に勉強になるというのが私の感想です。今後もいろんなことでこのWikipediaを活用していくことになりそうです。

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2006/05/05

ハンガー泥棒‥・

 連休ということもあり、実家に帰っています。
しかし、世の中、怪奇現象というものはあるもので、我が家ではここの所ハンガー泥棒にあっておりました‥・。

 季節は春です。木々の黄緑色の新芽というか、葉っぱがまぶしいですね。やっと、暖かい日も増えてきましたが、温かいついでに、風が強いことも多々ありました。
 我が家では、久々に集合した兄弟、姪っ子甥っ子達の大量の洗濯物を外に干していましたが、この風にあおられて?、洗濯物が散乱していることが続きました。

 しかし、不思議なこともあるもので、この風にあおられ、下に散乱してしまった洗濯物に、干す時使っているハンガーが見当たりません。この不思議な現象について、当初、疑いは母に向けられました。洗濯物を干そうというときに、いろいろ用事を思い出して、別のことをしてしまい、ハンガーをかけずに適当に洗濯物をほっておいて、それが風で散乱しているのではないかという、「母ぼけてる説」がまことしやかに流れました。これがまた、母も否定すらしないため、そういうことかとみんなへんに納得してしまっていました。

 しかし、今日はそれほど風もありません。散乱した洗濯物をとってこいという指令が私にくだり、洗濯物を見に行きましたが、これがまたベランダ中に見事に撒き散らしてあります。そして、散乱した洗濯物の中に、確かにハンガーのない物が混じっています。私はそれほどその状況に疑問を抱きませんでしたが‥・。

 その後、我々家族は、衝撃的な現場を目撃することになります。もちろん、ぼけた母が、洗濯物をいい加減に干していたわけではありません(笑)。
 それは‥・、黒い衝撃「カラス」の飛来です。カラス様、頭がいいことはよく存じておりましたが、まさか、ハンガーを盗むために、干してある洗濯物を見事にはずしてハンガーだけもって行くなんて、凄すぎます。カラスは体が黒いせいか、ハンガーは白をより好んでもって行っていました。その現場を見た瞬間、家族中でカラスを追い払ったのは言うまでもありませんが、カラスもそんな見事な技を持っているのなら、洗濯物をまとめて取り込んでおいてくれるくらいのことをしておいてもらいたいですね。

 おそらく、カラスは巣を作る材料にハンガーを集めているのでしょう。できれば、衝撃の現場を映像に収めたいとたくらんでおりますが、そろそろ、巣をつくるためには十分と思われるハンガーが我が家から消えました。またやって来るかどうか?‥‥。

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2006/05/02

車椅子を押すのは誰?(2?)

 前回エントリーからの続きを書くにあたり、ちょっと表題に問題ありということで変更させていただきました。
身内に車椅子が必要なものがおり、新幹線での長距離移動を経験したのですが、その切符を買うまでの顛末が前回エントリーでした。

 今回は、駅から駅までを書こうと思いますが、たんたんと経過を述べましょう。

 まず、車椅子専用のタクシーを使い東京駅へ行きました。そこで最初に知らなかったことというと、車椅子の方専用の待合室があることです。決して広くはありませんが、その存在を今まで意識することはありませんでした。そこには駅の車椅子係につながるインターホンがあり、そこに到着した旨を報告すると、「出発時間がいついつですから、何時ごろお迎えに上がります」という返事でした。
 ただ問題は、この専用待合室があることと、インターホンで報告することを、何も知らされていなかったことです。すべて、介護タクシーの方にやってもらったのですが、個人で来ていたらどうなっていたことやら‥・。

 時間になると、駅の係りの方が迎えに来てくれます。そして、車椅子を押してくれて、車椅子用の裏道へ連れて行ってくれました。要するにエレベーターのあるところですが、東京駅の普通の構内にはエレベーターはなかったでしたっけ?。とにかく完全な裏道で、今まで通ったことのないところでした。エレベーターでホームに上がり、待合室まで係りの方が連れて行ってくれました。

 目的の新幹線に乗ろうとすると、入り口には、車掌さんが我々を待ち受けており、入り口の段差を超えるために車椅子を持ち上げてくれました。そして個室に入るまで見届けてくれました。

 目的の駅に着くと、また車掌さんが手伝ってくれて車外に車椅子を出すのを手伝ってくれました。その到着駅の係りの方もその場に駆けつけてきており、エレベーターから駅の外まで(タクシー乗り場まで)つれていってくれました。

 ざっとこんな感じで、移動時には必ず誰かしら駅の方が手伝ってくれるということが徹底されていました。まあ、ある意味いたれりつくせりという感じで、これをVIP待遇?と書きたかったわけですが、やや不謹慎用語なので反省し、これまた、たんたんと私の本音を屁理屈調で書きましょう。

 確かに、付き添いの人間がいたとしても、いろいろな事情で駅の方の助けが必要な方は多いでしょう。助けではなく、今回の我々のように、初めてだからどうしていいかわからないという場合も案内してもらわないと不安です。しかし、最低限いえることは、今回の我々の場合、身内の車椅子を押すのが駅員である必要性はありません。身内の私がいるのですから、私が押せばいいのです。私もやる気満々で、手荷物を作らないようリュックに荷物をまとめ、両手が使えるようにしていましたから、何の問題もないのです。車椅子を持ち上げるような場面も、ほかに付き添いが2名もいますから、全く問題ありません。初めてだからという理由がなく、もしエレベーターの場所等を熟知しているとしたら、全くお手伝いいただく必要はありませんでした。

 間違いがないように言っておきますが、私は、駅員にやらせるのではなく、身内が全てに責任を持てなんて言いたいのではありません。手伝ってもらわなければならない人が手伝ってもらうことは、もちろん何の問題もありませんし、たとえ理由がなくても、駅員さんにお任せということを全く否定しません。あくまで、選択の問題として、駅では、「お手伝い要りません」という選択肢がなかったということに、屁理屈屋の私としては逆の冷たさを感じてしまうのです。

 何でそんなことを言うかといえば‥・、例えば、私の住んでいるところの近くにちょっとした数メートルの坂があります。以前この坂を、上るに上れず困っている車椅子の方がいました。さて、この困っている方を目の当たりにした私は、この状況に対してどう対応するのがいいのでしょうか。坂を上がろうとされいるのですから、誰かが後から車椅子を押してあげなければなりません。ですから、私の取るべき方法は、その方の身内に連絡を取って押してもらうよう頼むべきでしょうか?、それとも、役所の福祉課に連絡して、困っている人がいるので押してあげてほしいと頼むべきでしょうか?、それとも、福祉団体かボランティアに連絡を取って頼むべきでしょうか?‥・‥。

 そんな馬鹿な話はありません。そこに私がいるのですから私が後から押してあげればいいのです。実際数メートルのことですから、私が本人に断って坂のところだけ押してあげました。何を当たり前のこと‥・と思われるかもしれませんが、であれば、駅では駅員が必ずお手伝いしなければならないというのもおかしな話だとは思いませんか?。そこに私がいるのですから、私が連れて行けばいいのです。駅員の義務という概念があるとすれば、それは、坂で困っている人には役所の福祉課に連絡を取るべきといっているようなものです。手伝いを必要としないものが、お手伝い無しに、すいすいと電車に乗れるということこそ、バリアフリーの真の概念でしょう。それを駅員の仕事、役所の仕事と押し付けることこそ、バリアフリーを妨げる元凶だと感じるのです。
 
 そもそもバリアフリーという概念は、障害者に対して自分でできることは自分でやってくださいということですから、実は冷たい話なのです。エレベーターを設置する、段差をなくすということは、他人に余計な手伝いをさせないということですから、冷たいとは思いませんか。むしろ、みんなで力をあわせて車椅子を持ち上げ、階段を登ったほうが、なんとなくやさしい社会のような錯覚を覚えます。しかし、健常者と同じ生活をする、すなわち、自力で生活をすることができる社会がバリアフリーの真の概念だとすれば、必ず駅員が対応するというのはこのバリアフリーの概念に逆行することのように感じたのです。

 間違いがないようにもう一度確認しますが、だからといって、できるだけ自分のことは自分でやれといっているわけではありません。また、こんな駅のサービスを受けるべきでないともいっているわけではないので、お間違いの無いようにお願いします。むしろ、電車に乗れないと思っていた方々が、どんどん電車に乗れるようになればその方がいいに決まっています。サービスを必要とされる方には、嫌味のように感じられたかもしれませんので、全く他意がないことを強調させていただきます。

 まあ、もちろん、JRといっても一民間会社ですから、そんなものはサービスの一環と言ってしまえばそれまでのことです。もしかすると、電車の運行に支障がないようにするためという現実的な問題があるのかもしれません。いずれにしても、私のこの発想は屁理屈が過ぎたかもしれません。こんな屁理屈屋がいるんだとだけ感じていただければ、それはそれで私としては自己満足できるのですが‥・。

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2006/05/01

障害者はVIP?(1)

 私、彰の介、障害者が公共交通機関をどのように利用するのかということを全く知りませんでした。一応、職業はやぶ医者であり、世間的には公的なお仕事のはずで、これぐらいの知識は持っていなければならなかったはずですが、不勉強で何も知りませんでした。今回、初めて体験したのですが、ちょっとびっくりという感じだったので正直な感想を書きたいと思います。

 身内に車椅子が必要なものがおりまして、今回初めて新幹線での長距離移動となりました。
まず、どうやって切符を買ったらいいのか?ご存知ですか?。そもそも車椅子用の席があるのかないのかも知らなかったのですが、とりあえず、大きい時刻表の本で調べてみました。すると、「車椅子御利用の方へ」という説明があり、2日前までに駅へ連絡を、となっています。たまたまこの時刻表を見たのが、利用2日前だったのですが、当日、あるいは駅に直接行った場合は、どうなるのかはよくわかりません。が、ないがしろにされることはないと思います。たぶん‥・。

 そこで、東京駅に早速電話をしてみました。すると、2人用の個室を取るか、3列席の1席座席がないところがあるので、そこに車椅子をセットするかどちらかの方法があるということと、駅に着いてから席まで係りの方が案内してくれるとのことを説明されました。ただ、結局のところ、近くのみどりの窓口で直接、車椅子利用の旨を話して切符を買ってくれとのことで、直接駅に電話をする必要はなかったようです。この時、切符が特殊なため、手配に30分程度時間がかかると言われました。
 
 そんなわけで、近くの駅のみどりの窓口へ行ってみました。「車椅子1人と、連れ3人、何時の新幹線でどこどこまで」と窓口の方に言ったのですが、その瞬間、窓口の方が明らかにあせり始め(笑←笑っちゃいけないか?)、汗を拭き拭き、「しばらく時間を下さい」といって、右往左往しながらどこかへ電話をかけ始めました。結局、十分ほど待たされ、「東京駅と連絡を取るので、手配ができたら連絡します」とのこと。携帯電話の番号を伝えて、一旦その場から離れました。ちなみにこの瞬間、このみどりの窓口は閉鎖されてしまい(つまりこの車椅子席の連絡を取るためだけに窓口が1つ閉鎖されてしまった‥・)、窓口にお待ちの皆様にはひんしゅくものだったと思いますが、私のせいじゃないですよね?。どうも、利用するのはJR東海、窓口がJR東日本と会社が違うために、その連絡に時間がかかるようなのですが、普通の指定席のように、オンラインでパッパとできるものではないことはよくわかりました。

 窓口を後にした直後、早速携帯が鳴り、手配ができたのかと思いきや大間違い。「ところで、車椅子を利用される御本人の名前は?、車椅子の大きさは?」な~んていう基本的な質問でした。「名前は誰々、大きさは普通」なんて答えて電話を切ると、また数分して電話が鳴りました。今度こそ手配完了かと思いきや、「個室はご利用になりますか?、希望の時間の電車で手配できない時はどうしますか?」な~んていうこれまた最初から聞いとけよといいたくなるような質問でした。
 東京駅に電話をしたときは、手配に30分ほどかかるとのことだったのですが、その基本的な質問以後、ぱたりと携帯に連絡が入らなくなり、あれこれ1時間以上後に手配完了の電話がかかってきました。まあ、別に急いでいたわけでもないので問題はありませんが、随分ややこしい手続きがあるのでしょうか。もう少しマニュアル化されるといいと思いますが‥・。
 まあ、この窓口の方は、車椅子利用に関する対応に慣れていないとは感じたのですが、逆に言うと非常に丁重に対応してくれているなあという感じが伝わってきましたし、いやむしろ、障害者に対する対応に間違いがあってはならないという緊張感とあせりとが伝わってきました。

 ところで、窓口で切符をもらうとき、アレ?っと思ったことがありました。2人用の個室と、ほか2人指定席だったわけですが、普通に利用する時の値段のと比べて、いくら位割り増しなのかと思いきや(身体障害者手帳はもっていないので、きっと高くなると思っていた)4人分まとめて1割位安いんですね。割引の規定がどうなっているのか知らないのですが、付き添いの分まで含めて割り引かれています。これだったら、必要もないのに車椅子にのって、割り引き狙ってるやからもいるんじゃないのかと心配してしまいましたが、そんな悪いこと考えるのは私くらいでしょうか‥・(笑)。車椅子を利用っていうだけで、割り引かれるというところに、なんとなく疑問を感じましたが、まあ、お徳になるのに文句を言う必要はないですかね。

 まあ、そんなことで切符を買うまでの話をさせていただき、実際の道中の話はまた次回にします。値段のこともそうですし、駅員さんのあせりもそうですし、障害者に対する考え方になんとなく違和感を感じました。その後の駅での対応で、その違和感が大いなる疑問へと変わりました。そう、障害者に対する対応が悪いということは決してなく、むしろ過剰ではないかという疑問です。正に「障害者はVIPなのか?」と感じてしまったのです‥・。

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