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2006/06/22

無駄論的故事成語(1)

 私はある日突然、中国史に目覚め、陳瞬臣さんの本をバイブルとして大事にしています(無駄論(歴史考察) つまらない歴史教科書)。日本人は、中国の歴史書等から、人生訓やたとえ話など、いわゆる故事成語として多くを学んできました。私の場合、中国史を趣味にすることで、いろいろな故事成語の語源やいわれなどを非常に興味深く勉強することができ、大変楽しい思いをしています。しかし、よくよくいわれを見直してみると、現代、我々が使っているのとは意味が違うんじゃないのかと思われるものや、いわれそのものに、屁理屈をこねたくなるものがたくさんあることに気付きました。そんな故事成語をいくつか紹介しながら、私の自己満足にすぎない(笑)、無駄論的屁理屈三昧を綴っていこうと思います。

 最近、そのいわれを知って、現在の使われ方(私だけかも)と意味が全然違うと感じ、ショックを受けた言葉から始めましょう。
 それは、折檻(せっかん)という言葉です。ネット検索で「折檻」と入れれば、幼児折檻死なんていう記事がたくさん出てくるわけですが、私は漠然と、「強いものが弱いものにする激しい暴力」とずーっと理解していました。理解していたというか、幼児折檻死なんていう言葉は、まさに私の理解どおりの使われ方と言っていいような気がします。さてその本当のいわれですが、みらいぽーと-歴史の旅路-というページを参照させていただきます。そのいわれをうつさせていただきますと、

前漢の成帝の時代、外戚の専横に憤りを感じた朱雲が、帝に謁見を求め、諸臣を前にして、
「今、朝廷の大臣は、上は主上を諌めることができず、下は民のために利益をはかってやることができていません。願わくは、宮中の蔵にある斬馬剣(馬を斬るほどの名剣)を賜り、そのように媚びへつらう者を斬って、見せしめにしたいと思います。」
成帝が、誰のことかとたずねると、「 張禹 ( ちょうう ) どののことです。」と答えました。
しかし、張禹は、成帝の師で、 丞相 ( じょうしょう ) だったため、成帝は怒り、
「下っ端の分際で、よくも予の師を侮辱したな。その罪は、死んでもゆるさんぞ。」と言いました。
御史(官吏の不正を糾明する役)が、朱雲を殿上から引きずり下ろそうとしましたが、朱雲は、手すり(檻)にしがみついて離さなかったので、ついに手すりが折れてしまいました(折檻)。
この様子を見ていた左将軍の 辛慶忌 ( しんけいき ) が、宮殿の床に頭を打ちつけて血を流しながら、
「あの者は、前から周囲をはばからずに正しいことを言う者として知られています。彼の言うことを正しいと思われるならば、処刑してはいけません。また、正しくないとしても、お許しになるべきです。」
と言ったので、成帝もその言葉を聞き入れ、朱雲を罪に問うことを止めました。
後に、その手すりを修理することになりましたが、成帝は、「壊れた手すりを集めて繋いでおき、直言の臣の記念としよう。」と言って、手すりを取り替えさせませんでした。
折檻というのは、この故事のごとく、手すりが折れるほど必死になって、強く諌める(いさめる)ことを言うわけで、人間の関係から言えば、下位者から上位者に対する、報復無視の直言ということになりましょうか。この故事からは、私の理解のような、暴力というのは全く関係ありませんし、弱いものいじめでもありません。しかし、例えば、私が、小泉総理に、その政治手法を強く諌めた場合、「彰の介、小泉総理に折檻!!」なんていうふうに使うことはあるのでしょうか?。この折檻という言葉に対して、弱いものいじめの暴力という印象がぬぐえない私の場合、この「小泉総理に折檻」という言い方からは、どうしてもボコボコにされた小泉総理しか想像できないんですね。

 改めて「折檻」という言葉を辞書で調べてみると、「きびしくしかること、責めさいなむこと」となっています。さいなむ=いじめるという意味は書いてあるものの、暴力とは書いてありません。幼児折檻死という使い方をする場合、ただの”いじめ”という意味で使われていたとしたら、私の認識は全く間違っていたといわざるを得ません。このあたり、皆さんの意見を聞いてみたいものです。

 全く根拠のない推論ですが、私のような、この折檻という言葉に対するイメージというのは、「折檻」という漢字によってもたらされているのではないかと考えます。「檻」という言葉は、上のエピソードでは手すりという意味になっていますが、ふつう「おり」と読むでしょうか。鳥の”おり”の”檻”ですね。そんな檻(おり)を折ってしまうほどの、激しい暴力というイメージは皆さんにはありませんか?。私だけですか?。いやいや、どうしても暴力に結び付けたい私のこじつけと言われればそれまでですが、いずれにしても、長い時間の経過で、この折檻という言葉から、「諌める」という下位者から上位者への方向性は、なくなってしまったようです。

 まあ、こんな感じで、どうでもいい考察を無駄に続けようと思います。今回のような成語の使われ方という面では、「傍若無人」「完璧」「合従連衡」、エピソードにケチをつけたいもの(笑)としては「隗より始めよ」「管鮑の交わり」「覆水盆に返らず」等がありますね。気が向いたら、少しずつ無駄な自論を展開していきたいと思います。

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2006/06/19

自虐的W杯サッカー観戦

 うむむ、ワールドカップサッカー、日本代表はクロアチアと引き分けでしたね。これで、日本が決勝トーナメントに進めるかどうかは、かなり微妙になってきました。世間に、にわかサッカー解説者が激増していろいろと解説されていますが(笑)、被害妄想系の私は、私らしく自虐的に解説させていただきましょうか(大笑、私リフティングさえままなりませんが・・)。

 昨日のクロアチア戦、私は、とても90分の観戦には心臓が耐えられない(気が小さいので、笑)と考え、試合開始後、家を出てコンビニに買い物へ出かけました(笑)。コンビニに行く途中、日本サッカーミュージアムの前を通りがかりました(私は現在サッカーミュージアム近くに住んでいます、もうすぐ引っ越しますが・・)。一応、サッカーの聖地?だけに、騒いでいる人がいるのかと思いきや、真っ暗で誰もいません。建物の上階の一部に明かりがついていただけでしたので、誰か残業でもしているのかと漠然と考えていたその時、突然その明かりの中から「ワー、やった!!」という歓声と拍手が沸き起こりました。この時間の、サッカーミュージアムからの歓声だけに、日本のゴールとしか考えられません。私もニコニコしながらコンビニでビールとつまみを買い(一応禁酒中??)、喜び勇んで家に帰り、サッカー中継を再び見はじめましたが・・・。テレビに表示されているスコアーは「0-0」?、あれ?、さっきの歓声はなんだったの?ってことになってしまいました。

 その後、あの歓声がGK川口のPKファインセーブと判明したのですが(たぶん)、それはそれですばらしいものの、点を取ったと信じ込んでいた私にとっては、余計にがっかりでした。その後は、酔いもあって、何とか心臓は観戦に耐えてくれましたが、残念ながらのスコアーレスドロー、日本は窮地に立ちました。

 それでは、自虐的な私の意見を。そもそも、W杯前、「クロアチア、オーストラリアには十分勝てる」という解説しかテレビでは見ませんでした。私はFIFAランキングは上位であっても、相当によく目に見て互角、体格差を考えるとかなり厳しいのではないかという考え方でした。解説者、評論家の中で、日本は厳しいということを言った人を私はもちろん聞いていませんが、唯一、それらしいことを言ったのが、スポーツジャーナリストの二宮清純氏でした。あるテレビ番組で、日本は勝てますかという質問に彼は、

今、日本で、(日本が)負けると言えるような人はいない
という主旨の発言をされました。その場は笑いでごまかされましたが、私はおそらく彼がそんな簡単に決勝トーナメントにはいけないと感じていたのではないかと解釈しました(もちろん本音はわかりませんが)。まあもちろん、試合の前から、負ける負けると言えるはずありません。勝てるかな?って言っただけでも「勝つに決まってるでしょ!」って松木安太郎に怒られますし・・。日本人として、日本代表にがんばってほしいと思っている時に、たぶん負けるなんて言うことはまさに、非国民ということになりますか(笑)。まあ、屁理屈屋の私としては、お調子論的な楽観論には対しては、ずーっと物が言いたかっただけなんですけどね(ご勘弁を)。

 そんなことで、ブラジル戦と決勝トーナメント進出への展望を考えてみました。非国民といわれないように、決勝トーナメント進出を前提として考えてみると、その心は、ずばり「他力本願で何が悪い!」ってとこでしょうか。お昼の番組によると、オーストラリアチームに賭博疑惑が上がってるそうで、失格の可能性もあるとかないとか。もし失格なら、ブラジルに引き分けでも、もしかしたら決勝に進めるかもしれません。失格はないとすると、とにかくブラジルに手を抜いてもらうしかありません。日本戦は主力選手を出さないという話もありますが、はっきり言ってそれでは手を抜いたことにはならないでしょう。2点差3点差つけて勝つとなると、これは大変です。裏で大金積むしか方法はない?かもしれません。そう考えると、このオーストラリアの賭博疑惑に全てをかけるしかありませんね。これを他力本願というのかどうかはよくわかりませんが、事件に発展するよう、とにかくお祈りしましょうか。

 考えてみれば、野球のW杯の日本の決勝トーナメント出場も、他力本願以外の何物でもありませんでした。ついでに言うと、予選で2回も負けている韓国に、トーナメントで勝って決勝進出というおまけ付でした。ウンも実力のうちですから、他力本願も実力のうちです、たぶん・・。

 自虐的といえば、私が本当にうれいているのは、4年後のW杯です。現在のメンバーのほとんどが30歳ちょい手前位で、次回のW杯に出場する選手は少ないでしょう。トルシエ前監督の評価は分かれるところですが、現在のジーコジャパンが、このトルシエの産物をそのまま引き継いでいることは間違いありません。次回のW杯の主力メンバーへの世代交代がうまくいくかどうかが今後の鍵ですが、なかなか厳しいかもと私は考えています。
 次期監督についても、誰になるかわかりませんが、いっそのこと、日本人のプライドを捨てて、宿敵ヒディングでもつれてきてはいかがでしょう。個人的には、グランパスを応援してきたこともあって、ベンゲルがいいのですが、とにかく、世代交代、選手の育成を上手にできる人でないとダメでしょうね。

 そんなことで、サッカーは本職じゃないので、このあたりで引っ込ませていただきます。ジーコジャパン:ブラジル戦で「サプライズ」を起こせ!にTBさせていただきました。

追加記事:早速コメントいただきましたが、ヒディングは次期ロシア監督だそうで・・・。じゃあ、ロシアの次ということで・・・、とも思いましたが、どうせ日本には来ないか。宿敵ですからね。
 
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2006/06/16

禁止より公開はどう?

 日銀の福井総裁が、その役職にもかかわらず、村上ファンドに投資し、微妙な時期に解約を申し出ていたことが、国会で問題になっています(<福井日銀総裁>運用益など明確に答えず、反発も 参院)。いつもながら、さわりだけ抜粋しますと、

村上ファンドに1000万円を投資していた問題で15日、参院予算委員会に参考人として出席した日銀の福井俊彦総裁は「なぜ今年2月に解約したのか」「運用益がどうしてわからないのか」などの疑問に対して明確に答えず、13日の参院財政金融委の説明をほぼ繰り返す内容にとどまった。委員からは「答弁に誠実さが感じられない」と批判の声も出た。
いわゆる、インサイダー取引が世間を騒がせたばかりですが、日銀総裁という立場は、究極の経済情報が集中であろうことは想像に難くないわけで、金融関連の取引そのものがインサイダーじゃないかなんていう批判もあるようです。朝のニュースでも、「瓜田に履を納れず、李下に冠を正さず」と強調している解説員がいました。まあ、正直、まともに質問に答えようとしない日銀総裁の姿は、見苦しい限りですね。

 しかし、インサイダー取引なんていうものは、極めて曖昧な概念だということをつくづく感じます。今回のような日銀関係者はもちろん、大臣やら、国会議員やら、官僚の皆さんなど、相当に厳しく金融関連の取引を制限しないと、ほとんどインサイダーでしょう。儲けた当人が、情報に深く関わっているとは限りません。財務大臣が、インサイダー情報を、独り言でぶつぶつしゃべり(笑)、たまたま聞いていた、別の大臣が大もうけするなんてこともありえます。でもこれ、独り言ですから、インサイダー取引として逮捕するには証拠がないという話になるかもしれませんね。まあ正直、汚く儲けている人間は、山ほどいるんでしょうね。

 そこで、私が提案したいのは、主に政治にたずさわる「エライ人」たちに対する、株等の投資の取引の禁止・・・、ではなくて、エライ人の株の取引やら投資情報をリアルタイムに公開、報告することを義務づけて、ガラス張りにするというのはどうでしょうか。いかなる理由があっても、インサイダー取引としての罪は問わない(インサイダー情報を元にどんどん取引していい)、その代わり、投資情報を公開していないことが発覚すれば、資金没収等の罰を受けるっていう感じです。たとえ日銀総裁であっても、1000万でも2000万でも村上ファンドに投資すればいいですし、村上氏が逮捕されるかもしれないというインサイダー情報をつかめば、ファンドから手を引けばいいのです。ただし、ファンドから手を引いたことをリアルタイムに全国へ報告しなくてはならないという寸法です。そうすれば、日銀総裁が村上ファンドから手を引いたぞというのが日本中に広がりますから、なんかあるぞといううわさとなり、インサイダー情報が国民に共有され、その時点でインサイダー情報ではなくなります。

 要するに、情報公開すれば、立場のある人間が、投資なんて、軽々しくできなくなるということです。経済産業大臣が、ある企業の株を買った、なんていうリアルタイム情報が流れれば、当然株は上昇するでしょうし、その株を売ったなんてことになれば、なにかあるぞと大暴落することになるでしょう。責任ある立場の人間が、そんな無責任な取引をすることはできません。倫理上、道義上禁止すべきなんてことを言っていると、倫理や同義を知らない議員や官僚は山ほどいますから(笑)、今回のようなスモモの木の下で冠をなおすような行為が、後を絶たないでしょうし、インサイダーとバレずに、大儲けしているやからも山ほどいるでしょう。そういった人間を絶滅させるためにも、投資等取引の公開、ぜひやってもらいたいですね。

 な~んて、久しぶりに、実現不可能な妄想を考えてみました。お国のために働いていると思っていた人たちが、自分のために情報を操作していてはお話になりません。福井総裁には、ちゃんとけじめをつけてもらいたいものです。

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2006/06/11

民放への仕返しか?

 今までこの「彰の介の証言」では、いろいろとNHKの問題について言及してきました(NHK問題シリーズ)。結局のところ私は、受信料を払い続けており、NHKの回し者であることも何度も公言してきましたし(笑)、要するに、NHKの番組大好き人間なのであります。そのNHK受信料について、こんな記事が‥・(<NHK受信料>民放から50年以上未収 一部を契約対象に )。記録のために抜粋しますと、

NHKが50年以上にわたって、民放各局から受信料を徴収していなかったことが分かった。放送局内のテレビは放送の監視を目的としているとして、受信契約の対象外にしてきたためだが、NHKは4月から一部を契約対象にすることを決定。在京民放キー局から徴収を始めた。今後、地方放送局や衛星放送(BS)局などにも請求していくという。
民放各局のテレビは、自局の番組だけを見ているとみなして、受信料徴収していなかったのですね。しかも50年ですよ、50年。しかし、受信料不払い急増のため、負担の公平性から民放の事務系部署や、ロビーのテレビを徴収の対象にしたらしいのです。
企業の場合、テレビが置かれた場所や部署ごとに受信契約を結ぶことになっている。全民放局から徴収した場合、受信契約は数千件増加するものとみられる。
まあ、数千件増えたところで、たいした穴埋めにはならないのでしょうが、民放が特別扱いされていたということは全く知りませんでした。そんな特別扱いをしてきたのにもかかわらず、何食わぬ顔をしてNHK批判をしてきた民放に対する仕返しか?(笑)、それとも受信料免除くらいでは、NHKの批判をさせないようにする抑止効果が全くないと判断したからなのか(笑)、そのあたりが、今回の受信料免除の解除の原因だと思われますね。公平な負担云々というのは、ただの言い訳でしょう(笑)。

 さてさて、この件について、民放はどうコメントするんでしょうかね。最も考えられるのが、ノーコメント。触らぬ神に祟りなし、突然受信料を課したNHKを批判すれば、自分達の特別扱いが50年にも及んだことへの批判が出てくるかもしれませんし、今更、受診料の問題を提起する立場になかったことを発表するのも間抜けですし、とにかく余計なことは言わないに限ると思うのが普通でしょう。放送局のテレビ数十台?程度の受信料なら、しれたものです。払ってだんまりを決め込むのが、民放にとって最もいい方法です。

 しかし、今回のニュースについては、免除していたのがNHKの方であって、民放に何の罪もないわけですから、ぜひとも民放自ら、何らかのコメントを発してもらいたいものです。以前の記事、「NHK批判せぬ馬鹿、金払う馬鹿?」のなかで、私は、煽るだけ煽って、責任を回避する、民放の無責任報道に苦言を呈させていただきました。ノーコメントはこの無責任さをさらに増強させるような気もしますので、民放の皆さん、よ~く考えて対応してください。私が全ての番組を見ることはできませんので、どなたか何らかの発言を聞いたり見たりしたら、ご連絡ください。

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2006/06/07

茶番報道?人権報道?

 前回の推定無罪とは何か?(2)でも少し語ったのですが、秋田小学生殺害事件において、今回逮捕された畠山鈴香容疑者というのは、豪憲君殺害直後から、地元で怪しい人物とされていたようです。そのため、取材陣は、彼女の家の前に壁のように陣取り、取材合戦を繰り広げていたようです。そのようなメディアのあり方は、推定無罪という概念からも(正直言うと私自身はそれ以前の問題だと考えていますが)問題ありというのが、前回のエントリーでした。

 取材のあり方は問題だらけなのですが、ある意味「人権」を考えた茶番?というべき事実が報道にはあります。これに関しても、なんとなく茶番?(偽メール実名公表のこと)という記事で、問題提起をしています。そのエントリーでは、永田衆議院議員に偽物のメールを提示した人物を世間に公表すべきかどうかが問題になったとき、報道は永田議員や民主党に、公表しろ公表しろと突っかけるわけですが、実際には、報道各社は、この偽メールを出した人物のことをすでに熟知しており(住所や携帯電話の番号まで知っている)、そんなに公表したいのなら、自分達の情報を元に公表すればいいのではないか?と考えてしまいました。まさに、茶番です(詳しくは前エントリーをどうぞ)。

 今回の問題に当てはめると、報道はすでに畠山容疑者が怪しいことをつかんでいました。しかし、これがまたややこしいことに、おそらく「推定無罪」の概念から、逮捕もされないのに彼女がまるで犯人かのような報道はしてはいけませんから、状況証拠から「おそらく土地勘のある地元の人物の犯行」にとどめていたと考えられます。しかし、いつか逮捕となり、正々堂々犯人だと報道できる時のために、しっかり犯人として取材はしていたわけです。そして彼女の逮捕となったら、一斉に「悪い女」(鬼母?)の画像を解禁しました。このことを、当然とか、まあ妥当な落としどころと考える事もできるかもしれませんが、屁理屈屋の私としては、報道の態度に一貫性がないと言わざるを得ないと思います。

 実は、現在も茶番が続いています。うすうす多くの人が感じているのではないかと思うのですが、彩香ちゃんの死とこの母親たる鈴香容疑者との関係が怪しいということです。これまた、「推定無罪」の概念から、現在の報道では、彩香ちゃんの死は事件事故の両面から捜査されているとしており、(報道側が)彼女が怪しいと思っているなんてことを感じさせないよう、「豪憲君殺害の動機がわからない」なんてやっています。しかし、よ~くワイドショーなんかを見ていると、少しずつ、この母親が、娘にまともな食事を与えていなかったとか、世話をしていなかったとかいう伏線を張りつつあることに気付きますし、豪憲君の元に警察が頻回に聞き取りにきていたなんてことも、曾祖母の話として報道し始めています。まあ正直、推定無罪なんていうどうでもいい概念は取り払って、面白おかしくこの鬼母情報を流したくてしょうがない、もう喉元まで出ていて、少し出ちゃった、というのがみえみえなのです。

 しかし、上のようなことを書いてしまうと、「おいこら!彰の介!、このエントリーこそ、推定無罪から逸脱しているじゃないか?」というご指摘があるかもしれません。「ブログは大手メディアではないから問題ない」なんていう言い訳はしません。しかし、この想像を膨らませるような報道をしているのは現行のメディアであること(この報道の茶番が許せない)と、この茶番が冤罪を作り出しているということに気付かない報道に対する抗議と考えてください。茶番するぐらいなら、一切報道しなければいいのであって、警察からの発表があればそれを淡々と伝えればいいのです。鬼母のイメージを創りあげて、より知ろうとすることをあおる必要も全くありません。こういった問題での国民の知る権利なんて私からすれば、問題になりません。冤罪のリスクを負いながら、リアルタイムで問題の検証を行っていく必然性なんてないのですから。

 うむむ、とは書きつつも、私の考えに一貫性があるのかどうかは問題がありそうです。気付いていけば反省すべきは反省し、コメントしていきたいと思います。

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2006/06/05

推定無罪とは何か?(2)

 秋田の豪憲君殺人事件の容疑者として、こともあろうにその一ヶ月前に事故死したとされた、彩香ちゃんの母親が逮捕されました。逮捕されたことを受けて、ニュース、ワイドショーではいっせいにこの母親のことを報道し始めました。我々一般人は何も知りませんでしたが、地元では、豪憲君事件直後から、この母親が怪しい人物(犯人かもしれない)とされていたようで、報道陣が家の周りをとりまき、注目していたようです。朝のワイドショーではこの報道陣に対する、傲慢な母親の態度を放送していましたが、この母親の態度も傲慢なら、報道陣も節操がないというべきで、こんな報道陣に対し、鳥越俊太郎氏が「推定無罪」という言葉を使い苦言を呈したことは特筆に値すると感じました。

 推定無罪という言葉は、ブログの世界ではホリエモン逮捕の時に盛んに使われました。しかし、真の意味での推定無罪の実践は不可能であり、ある意味、ホリエモンだけに推定無罪を当てはめるのはおかしいということを、「推定無罪とは何か?」で指摘させていただきました。ただ、だから推定無罪なんて考えなくていいと思っているわけではありません。むしろ逆で、現行の報道に対しては心構えとしての「推定無罪」をしっかり実践してもらいたいと常々思っています。

 そんな意味で考えると、インサイダー取引による村上世彰氏の逮捕前の報道は、推定無罪の域を超えたものではなかったでしょうか。捜査段階であるにもかかわらず、逮捕前提の報道がされ、いかに拝金主義か、金の亡者かということが嫌というほど強調されました。お陰で、村上ファンド関連の株価がどっと下がり、全体の株価も乱高下するはめになりました。逮捕前に「インサイダー取引で逮捕」といわんばかりの報道をし、株価を下げたわけですから、これこそ風説の流布のような気がしてなりませんが、実際に逮捕されれば事実の報道で問題ないとされるのでしょうか。まあ、株を毎日のように売り買いしている私の同僚に言わせると、こんなことぐらいはよくあること、むしろ早めに膿が出てよかったと言っており、全く意に介していませんが、最低限、推定無罪の報道の概念には当てはまらないのは明らかです。

 そして、今朝の豪憲君殺害事件の、容疑者逮捕後の報道です。私は、推定無罪の一応の線引きを、「逮捕」においていますから、逮捕後にまるで犯人のように報道されることは、特に問題ないと思っています。もちろん、前回の記事で指摘したとおり、明らかに逸脱した興味本位の報道は慎むべきで、そこは推定無罪であることを念頭に置いた慎重な報道でなければならないと考えています。
 今回の問題は、全国放送で、一般人には報道されていなかったことですが、事件現場の秋田では早くから今回逮捕された容疑者が怪しい人物として報道陣からマークされており、この容疑者宅の前には、壁になるほどのカメラが容疑者を付け狙っていたということです。そう、そこには推定無罪という概念は微塵もありません。怪しいから犯人だということを前提とした取材合戦が繰り広げられていたと考えられます。

 今朝のワイドショーでは、今回の逮捕を受けて、この逮捕前に撮り貯めていた容疑者のテープを一斉に解禁していました。推定無罪の概念から、逆に逮捕されればどんな映像を流してもいいと考えているのでしょうが、そこには犯人を犯人らしくという手法がふんだんに使われており、慎重な報道姿勢ほとんどはありませんでした。しかし、ワイドショーにコメンテイターとしてでていた鳥越俊太郎氏が、全く脈絡のない部分で、この逮捕前の容疑者への報道姿勢に苦言を呈しました。

「推定無罪」という概念から、(逮捕前の取材で)このようなメディアスクラムを組むことは、自粛してきたはずなのですが・・・。
番組が、容疑者を徹底的に叩いている最中に、このような取材のあり方には問題があると指摘したことは、非常にびっくりしましたし、非常に勇気がいることだと思います。おそらく、自分がコメンテイターとして番組に参加している以上、これらの報道に対して責任を感じ、同罪と感じたからこその発言と思われますが、他のコメンテイターも司会者も、何言ってるの?って感じでしたから、極めて特異な発言であったことは確かです。同席した弁護士は「国民の知る権利との関係で難しい問題」などと発言していましたが、本来、推定無罪の上に知る権利があるはずで、次元の違う話だと感じるのは私だけなのでしょうか。

 今まであまり意識をしていませんでしたが、鳥越氏というのは、ただのジャーナリストではないということを認識しました。興味本位の報道が、当たり前のように許されている現代において、一石を投じてくれる存在ではないかと密かに期待をしたいと思っています。

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2006/06/04

盗作にきまっとる!

 最近、非常に気になっていた話題が、日本人画家、和田義彦氏作品が、イタリア人画家、アルベルト・スギ氏(77)の絵と多数酷似しているという話です。正直言うと「盗作にきまっとる!」という話ですが、それにしても、盗作ではないと言いはる画家も画家ですし、そういう画家に賞を与えていた文部科学省もどうかしていますね。

 以前からいろいろと話題になっているこの盗作疑惑ですが、本日の産経の記事はこんな感じです(大詰め 盗作疑惑 和田氏「プロなら違い分かる」/スギ氏「裏切りだ」)。これも記憶のために抜粋しておきます。

芸術選奨文部科学大臣賞を受賞した洋画家、和田義彦氏(66)の作品が、イタリア人画家、アルベルト・スギ氏(77)の絵と多数酷似している問題は、大詰めを迎えている。和田氏は一貫して盗作を否定、スギ氏は「裏切られた。明らかに盗作」と主張し、両者の言い分に大きな隔たりがある。和田氏は作品の酷似は認めているが、「同じモチーフで制作しただけで、プロが見れば作品の違いはわかるはず」と盗作を否定。しかし、スギ氏はホームページ上などで「和田氏の仕事の大部分は私の絵の正確なコピーで、和田氏は法律を犯した。2人の共同作業は一切ない。和田氏は私のアトリエでいつも写真を撮って日本に帰っていった。裏切られた思いだ」と述べている。
 和田氏の所属する美術団体「国画会」は5月31日、和田氏に対して退会勧告を行った。国画会の幹部は「スギ氏へのオマージュ(敬意を込めた作品)だと言っているが、明らかに盗作。釈明の余地もない」としている。一般的にオマージュとして描かれる場合は、その旨が作品に明記されることが多い。和田氏本人の作品として発表している以上、もちろん「模写」にも相当しない。芸術選奨文部大臣賞の歴代の受賞画家は、小倉遊亀(日本画)、加山又造(日本画)、池田満寿夫(版画家)各氏ら活躍した画家たちばかり。受賞取り消しとなれば、賞の歴史に泥を塗るばかりでなく、世界的にも日本の芸術の未成熟ぶりを露呈することになりかねない
 これまた、性善説性悪説ではありませんが、あそこまでそっくりに描くとなると、やばいなあとは思わないんでしょうか?。上記記事のように、スギ氏のオマージュだということを宣言して作品を描き続けるということもできたような気がします。まねすることは決して悪いことではありませんしね。しかし、まねしてないと言い張るのは、あまりにも子供過ぎます。残念ながら、芸術家としては追放ということになるでしょう。腕がなければ、まねとはいえ、あそこまで、作品を描ききることはできないのでしょうから、結果から言えば、本当にバカバカしいの一言です。

 ところで、まねされた側の、スギ氏というのが、どれぐらい有名なのか、有名でないのか私は全く知りません。しかし、テレビなどの話を聞いていると、決して無名というわけではないようです。そう考えると、あそこまでそっくりの絵を描いているにもかかわらず、気付かず賞を出した文部科学省や彼を評価してきた芸術団体は、正直大恥ですね。上記記事も、日本の芸術の未成熟ぶりを露呈しているというようなことが書いてありますが、まさにその通りだと思います。私は、史上希に見る大芸術音痴で(笑)、人を批判する資格は全くないわけですが(笑)、音痴でも、あれが盗作だということくらいはわかります。芸術という分野は、芸術性そのものの曖昧さから、評価をするということは非常に難しい分野だと思いますが、素人にもわかるような盗作を、芸術の専門の皆さんがスルーするようでは、国や民間機関による耐震偽装の見逃しを笑っていられませんね。

 見逃しは日本の文化!なんていわれないように、私も病気の見逃しがないよう、やぶ医者なりに努力いたします。

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2006/06/02

反対のための「対案」は意味がない!

 共謀罪に関する民主党の対応にはあきれてしまいました(共謀罪採決を拒否 民主「再改正検討」に反発
)。抜粋しますと、

民主党は2日午前の国対役員会で、「共謀罪」を新設する組織犯罪処罰法などの改正案をめぐり、与党が民主党案の全面受け入れを表明したことへの対応を協議した。しかし与党が次期国会で再改正を検討しているとされることに反発が強まり、新たな修正案の提出を見送り、衆院法務委員会での採決にも応じない方針を決めた。当面は修正協議自体も拒否する構え。民主党の鳩山由紀夫幹事長は記者団に、今国会での採決は「基本的に無理」との認識を表明。
どうも、与党が、民主党案をのむといったら、民主党がびっくりして慌てふためいて引っ込めてしまったようです。野党案を丸呑みする自民党も問題ですが、形ばかりの対案を出していたのが「もろバレ」した民主党の方が「おばか丸出し」です。

 そもそも、私は何でも反対の野党体質には辟易していました(旧社会党型野党とでも言うのでしょうか)。そこに理論も何もなく、ただ反対ですから、反論に重みがなく、反対することのデメリットが全く無視されていたというか、矛盾すらしている点が多かったと思います。私はそんな日本の野党には自民党を越えられない大きな限界を感じていたのです。

 その点、民主党が前代の前原体制になってから、対案路線を打ち出したことは、個人的に大変評価していました。自民党との対立軸がなくなるとして、対案路線に否定的な考えの方もいるようですが、私からしてみると、対立軸なんてどうでもいいことで、対立点がないものは、無理に対立せず、どんどん法案化すればいいのです(当たり前ですが)。それが二大政党というものであり、個人的にこの二大政党こそ問題だと思っていますが(笑、私の考える理想は四大政党論)、政治が、政権をとりたいという政治家のためのものではない以上、政局という意味の対立軸なんて不要だというのが私の考えなのです。

 しかし、今回の共謀罪に関する対案(そうは言いつつ中身は知りませんが・・)は、ある意味、反対のための対案であり、法案として成立しないことを前提とした対案であったことがはっきりしました。与党が、民主党案をのむということは、民主党の大勝利であり、いかなる理由があろうとも、引っ込める理由などないはずです。それをなんとかかんとか言い訳して引っ込めるのですから話になりません。共謀罪成立を阻止しようとしていたのであれば、それこそ対案などという見栄をはらなければよかったわけで、逆にそのあたりのポリシーのなさには涙がちょちょぎれると言うものです。やっぱり、対案を出しつつも、その実、反対党から脱皮できない民主党には限界を感じざるを得ませんね。

 まあ、野党とはそんなものと考えた方が無難なんでしょうか。もう少し、茶番ではなく、本気で議論をしてもらいたいものだと感じる今日この頃です。

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2006/06/01

確かに私は悪いユーザー

 この「彰の介の証言」では、昭和新山の写真の下にカウンターを設置しています。見た目は実にシンプルですが、すごいカウンターいう無料のアクセス解析つきのカウンターです。現在、皆さんからはこのカウンターがどうやって見えているのかわかりませんが、本日カウントが止まってしまっていることに気付きました。しかし、カウントが止まる前、朝の状態は、もっとびっくりさせられました‥・。

 今朝、このページを自分で開いてみると、カウンターに数字ではなく、文字が表示されていました。あれ?故障か?と思ったのですが、故障どころか、その文字をよく見てみれば「Wrong User」となっているではありませんか!!。新手のいたずらか、ハッカーにでもやられたのか、とんでもない表示です。思わず、自虐的被害妄想の私は、ユーザーとして誤ったことをしてしまったのかと、ついつい真剣に考え込んでしまいましたが、そんなわけはありません。料金払っていなかったかと何度も見直してみましたが、やっぱり「無料」でした。

 このすごいカウンターに、メールで問い合わせをしていますが、今のところ返事はありません。ホームページ上にお知らせもありません。まあ、確かに私は悪いユーザーではありますが、問い合わせのレスポンスは、ぽんぽんとしてもらいたいものです。原因不明とかぬかしよった暁には、カウンターを変更しようかな?。どなたか、いいカウンターを教えていただけるとありがたいです。

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