« 正しい慣用句は正しいのか? | トップページ | 「責任」ってなんだろう? »

2006/08/02

無駄論的故事成語(3)

 無駄論的故事成語(1)無駄論的故事成語(2)、では、「折檻」「傍若無人」と言う言葉を取り上げましたが、今回は、本来の意味を知った時、思わずたじろいでしまった言葉「辟易(へきえき)」です。

 私はこのブログの中で、何回かこの「辟易」という言葉を使いました。「へきえき」という言葉は、聞いたことはあっても、漢字は全く知らないという状態でしたが、ワープロ機能で、一発で変換されるため、「辟易」と書くんだなあと、意味も考えず漠然と思っていました。例えば、「こんなマスコミの報道ぶりには辟易している」なんて使っていたかと思うのですが、要するに、うんざりするという意味です。皆さんも、この言葉を使うときはうんざりするという意味で使われるかと思うのですが、違いますか?。

 そこは私も偉いもので、辟易という漢字が気になり、卓上の国語漢和辞典で意味を引いてみました。すると驚いたことに、そこに書かれていた意味は「おそれたじろぐこと、しりごみすること」となっているではありませんか。ぜんぜんうんざりとは違います。こりゃ、恥ずかしい間違いをしたと思っていたところに、前回のエントリーでもお世話になっている、みらいぽーとさんの故事成語のページに、「辟易」という言葉を発見してしまったため、その故事の由来を知ることになりました。リンクして、辟易のページを抜粋させていただきます。出典は、史記の項羽本紀で、追い詰められた項羽のエピソードのようです。

漢の包囲を突破した 項羽 ( こうう ) でしたが、従う者わずか28騎となっていました。これに対して追跡してきた漢軍は数千、脱出できないことを悟った項羽は、「わしは挙兵してから8年、70数回の戦を経験した。その間、我が当面する敵は破られ、我が撃つところは服従し、いまだ敗北したことがない。最後に苦しむのは天が我を滅ぼすのであって、戦いに敗れるのではない。今日は、それを諸君に理解させよう。」と言うと、軍を4つに分け、四面を囲む漢軍に向かわせました。 このとき 楊喜 ( ようき ) は、漢軍の騎兵隊の将として項羽を追っていましたが、それを見た項羽は、目を怒らして彼を怒鳴りつけました。すると楊喜は、自分も乗っていた馬も縮み上がってしまい、おろおろと数里も後ずさりしてしまいました。(辟易すること数里なり)
 わずか数十騎の項羽の形相に恐れおののいてたじろいでいる様子を辟易と表現するようで、ここでも意味は、相手の勢いに圧倒され、恐れおののいて後ずさりすることとしています。私は、マスコミの報道振りに恐れおののいていたわけではないので、辟易という言葉に関してとんでもない勘違いというか、間違いを犯していたと思いこんでいました。

 ところが、とある新聞記事を読んでいたところ、私と同じ意味で辟易を使っている文章を発見してしまったのです。それは、「巨人に、黒田や小笠原のFA獲得話があり、辟易する」という内容の記事で、この文を書いた方も、うんざりという意味で使っていることは明らかです。そんなことで、インターネット上の辞書で、改めてこの「辟易」を調べてみました。すると、大辞林(第二版)に載せている意味として、

「(1)閉口すること、うんざりすること、(2)相手の勢いに押されて、しりごみすること。」
となっていました。(1)で、私が使っている意味がちゃんと載っていました。しかも、本来の意味であるしりごみすることの実例として、「山徒是を見て其勢にや―しけん/太平記 8」と、太平記を持ち出して使用例を載せているのです。つまり、しりごみするという意味は、すでに古典の世界の意味になってしまったと考えられます。にもかかわらず、辞書によっては、そんな古い意味しか載せていないのですから、不親切にも程があるというもので、誤った使い方だと勘違いした私に謝罪すべきでしょう(笑)。

 しかし、しりごみすることと、うんざりすることは、意味として全く違います。言葉の歴史の中で徐々に意味が変化し、元の意味が消えてしまったのでしょうが、やはり辞書というのは、その由来を知っているがために、戸惑っている様子が見て取れます。そんなことを考えると、何度もエントリーで書いていることですが、「正しい日本語ってなんだろう?」という疑問が、ふつふつとわいてくる、私、彰の介なのでした。

 人気blogランキングに登録しています。ぜひ清きクリックを!
 ↑↑クリック!

|

« 正しい慣用句は正しいのか? | トップページ | 「責任」ってなんだろう? »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 無駄論的故事成語(3):

« 正しい慣用句は正しいのか? | トップページ | 「責任」ってなんだろう? »