無駄論的故事成語(4)
無駄論的故事成語(1)、無駄論的故事成語(2)、無駄論的故事成語(3)で、「折檻(せっかん)」「傍若無人(ぼうじゃくぶじん)」「辟易(へきえき)」という言葉について屁理屈をたれさせていただきました。
結局のところ、故事成語の成り立ちと、現在使われている意味がちょっと違うのではないかという問題提起ですが、文部省やら国語学者が鬼の首を取ったように「正しい日本語」という言葉を振りかざすので、それに対する素人の悪あがきというのが本当のところです。
本日取り上げる故事成語は、「完璧(かんぺき)」です。完璧のぺきを壁(かべ)という字に間違えてる人が多いらしいのですが、正しくは宝物の玉の意味?の璧という字です。私は、「完ぺき」とひらがなで書くので決して間違えません(笑)。完璧の意味は説明しようもなく、完璧な様子、状態??としか言いようがありませんが、一応辞書で引いてみると、「欠点や不足が全くなく、非常に立派なさま(こと)。完全無欠。」等と書いてあります。
この「完璧」という言葉の故事なんですが、2つの話が関わってきます。1つは「和氏の璧(かしのへき)」という話です。いかにも中国の故事らしい話なので、ぜひこのあたりのページを見てみてください。おじいさんが、宝物の玉(ぎょく)の原石を見つけたので、王様に献上したら偽物と言われ左足切断の刑、次の代の王様に献上したらまた偽物と言われ右足切断の刑、次の代の王様になってやっと本気にしてもらえて、原石を磨いてみたら、この世に二つとないお宝だったという話ですね。このお宝の玉のことを「和氏の璧」というわけです。これがまた、中国の戦国時代においては、このお宝がお城にも匹敵するぐらいの価値があったらしく、この「和氏の璧」と15のお城を交換しようと持ちかけたのが、「完璧」の由来となっている話です。ちなみに主人公は「刎頚の交わり」で有名な、藺相如(りんしょうじょ)です。話は長いので、またこのあたりのページを参考にしていただきたいのですが、別のページを参考にかいつまんで書かせていただくと、
中国の戦国時代、趙の国に「和氏の璧」と呼ばれる立派な「璧」があり、それを秦の国王昭王(しょうおう)が欲しくなり、「秦の15の城と交換したい」と申し出た。藺相如が秦の国へ使いに行ったが、城と交換する気配がなかったため、藺相如は璧を命懸けで持ち帰った。このお宝の璧を無傷で持ち帰ったこと「完璧而帰(璧をまっとうして帰る)」ということから、「完璧」という言葉ができたと言うわけですね。
さて、早速屁理屈を始めましょう。まず第一に、この「完璧」という言葉の意味として「傷のない玉」を載せている辞書があるのですが、上記故事を知っていれば、傷のない玉のことを完璧というのは明らかな間違いでしょう。和氏の璧に傷はなかったのでしょうが、「璧をまっとうする」ことと傷のない玉には何の関係もありません。「完全な璧」と勘違いしているのかもしれませんが、全くもっていい加減な辞書もあったものです。
また、正しい慣用句は正しいのか?というエントリーでも書いたのですが、「後で後悔する」という言葉は、頭痛が痛いと同じ理屈で誤った日本語とされているらしいのですが、そう考えると、「仕事を完璧にこなす」なんていう使い方は全くの誤りということになります。「完璧」自体が仕事をまっとうするという意味を含んでいますから、明らかな重ね表現です。まあ、正直こういうのを言いがかりというわけですが、要するに私は、「後で後悔する」が間違っているという文部省の方もとんでもない、いいがかりだと言いたいわけです。
さらに言うと、完璧のぺきの字は、壁(かべ)ではないと冒頭に書いたわけですが、現在使われている「完璧」という言葉は、「完璧な守備」とか、「完璧な防御」というような場合にも普通に使われています。この場合、むしろ「璧(へき)」を使うより、後には何も通さない完全な「壁(かべ)」というイメージを持って、完璧という言葉を使っているのではないでしょうか。そう考えると、イメージ的には「完壁?」の方がふさわしい場合があるのではないか?、璧を壁と間違えてしまうのは、そんなイメージがあるからではないか?というのが、素人の私の無駄論的な仮説なのです。
現在、「完璧」という言葉は、「完全という言葉の強調」程度の意味で、いろいろな使われ方をしていると思います。ですから、辞書に対してとんでもない誤りとは書いたものの、「傷のない完璧な玉」なんていう表現も許されるかもしれませんね。もう、語源とは関係なく、「完璧」という言葉は”完璧”に日本語に入り込んでしまったわけですから、語源を持ち出し、誤った日本語なんていわないようお偉方にはよ~く勉強してもらいたいものです。
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