« 中日優勝に水を差すな! | トップページ | 無駄論を高らかに叫ぶ »

2006/10/26

表と裏の倫理観

 昨今のニュースを見ていると、現代日本の欠如した倫理観が垣間見えます。正直者が馬鹿を見て、うまくやっていく人は、少々のルール違反くらいでは、違和感を感じないかのようです。安倍さんの教育改革が、どれほどのものかわかりませんが、小さなことからこつこつと、正直に生きること、努力することの大切さを教育し、当たり前の倫理観を育ててもらいたいものです。しかし、倫理観の欠如を批判する際の倫理観というものも存在するような気がします。いわゆる「程度問題」なわけですが、批判というのは走り出したら止められないものなのでしょうか。

 このところ、飲酒運転が大変厳しく取り締まられるようになりました。正直言えば、私もちょっとくらいはいいか?というのが当たり前でしたが、さすがに最近では、ほんの数百メートルといっても飲酒運転はできません。事故でも起こせば「やぶ医者、飲酒運転!!」という見出しが躍ることになりますからね・・。
 しかし、そんな中で、飲酒運転で事故を起こした場合、その場を立ち去るひき逃げ行為が横行しているといいます。飲酒運転で現行犯逮捕されるより、後で見つかって飲酒はしていなかったと言い張る方がいいんでしょうか?。また、アルコールの検知器の検査を拒否する人も多いようで、こちらは明らかに、酒酔い運転として罰せられるより、検査拒否の方が罰則点数が低いらしいのです。だからといって拒否する方も拒否する方だと思うのですが、お徳となればそちらに走るわけですから、一体日本の倫理観はどこへ行ってしまったのでしょうか。

 それにしても、ひき逃げするような人間は絶対許せません。福岡で起きた飲酒運転による幼児3人死亡の事故を考えると、私は理解に苦しむことがたくさんあります。飲酒運転はともかくも、ぶつかってしまった前の車が、ガードレールを突き破って、橋の下の海に落ちてしまったのです。自分の状態がどうのこうのではなくて、海に落ちた車の中に乗っていた人が、やばいぞ!!死ぬかも!!とは思わなかったのでしょうか。そちらはほっておいて、飲酒運転にならないように、大量の水を飲んだり、友達に身代わりになってもらうよう頼んだりしていたというのですから、どういう神経しているのか理解できません。人が死ぬかもしれないということよりも、自分の罪を減ずる努力をするその倫理観というのは、一体どんな教育から生まれたのでしょうか。

 かといって、過失に対して正直に罪を認めて謝ればいいかというと、今の日本の社会ででは、そうとばかりは言えません。罪を認めなければ認めないなりにバッシングを受けますが(当たり前)、一方、罪を認めれば、罪が確定した分、世間から執拗な吊るし上げを食いますし、公には賠償が大きくなるという側面もあります。言ってみれば、大人に「怒らないから、正直に言いなさい」なんていわれて、正直にガラスを割ってしまったことを告白した子供が、「やっぱりおまえか!」なんて言われて、ボコボコに殴られるみたいな話が結構あるということです。

 この執拗な吊るし上げというのも、ある程度必要なのでしょうが、やはりどこかで線を引かないとバッシングが目的のバッシングになってしまうような気がしてなりません。いじめ苦自殺の報道でいえば、いじめの原因となった担任の先生に対して、報道を通して吊る仕上げをすることはある程度仕方がないかもしれませんが、ただ叩けばいい、吊るし上げればいいという報道ではなく、どこかに線を引いて、抑えないといけないという危機感を持ってほしいと思うのです。当事者間のやり取りに、報道が首を突っ込み、世間から吊るし上げを食うように誘導する必要があったかどうか?、そのやり方に行き過ぎがなかったかどうか?を、常に危機感として感じておくべきだと思うのです。
 
 こういう私のような発言は、一方で「甘い!」というご批判を受けるかもしれません。一人の人間が亡くなっている状況では、どんな非難を受けても当然という考えはあるでしょう。しかし、第三者的立場からいえば、ただ叩くという行為自体が、いじめと同じ背景だということにも気付かなければなりません。それこそ、この担任が、世間の吊るし上げに絶望し、自殺しちゃったなんてことになったときに、「死んで当然、ざまあみろ!」なんていう倫理観を、日本人の多くが持っていたとしたら、この日本からいじめなんてなくなることは、決してないだろうと確信できるというものです。

 人気blogランキングに登録しています。ぜひ清きクリックを!
 ↑↑クリック!

追加記事:コメントさせていただいた、まーどんな ぶろぐさんと、[ゴーログ] 誰が一番いじめっこ?へトラックバックさせていただきました。

|

« 中日優勝に水を差すな! | トップページ | 無駄論を高らかに叫ぶ »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 表と裏の倫理観:

» 自殺も亦確かに一便法である [秋岸清涼]
芥川龍之介が「侏儒の言葉」に、こう記している。 「自殺も亦確かに一便法である。しかし人生の競技場に踏み止まりたいと思うものは創痍を恐れずに闘わなければならぬ。」 もちろん、彼が35歳にして闘うのをやめたことを前提にして読むと、受け取り方も変わるかもしれないが、何はともあれこう記したとき、彼はまだ闘っていた。この一節を含む「人生 ― 石黒定一君に ―」という段はこう始まる。 「もし游泳を学ばないものに泳げと命ずるものがあれば、何人も無理だと思うであろう。もし又ランニングを学ばないもの... [続きを読む]

受信: 2006/11/14 11:30

» 飲酒運転は消えるのか? [生活のキーワード]
最近めっきりお酒を飲む量が減ってきた。というよりもお酒を飲む機会が減ったのが主たる原因だと思うが。 [続きを読む]

受信: 2006/11/17 15:32

« 中日優勝に水を差すな! | トップページ | 無駄論を高らかに叫ぶ »