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2006/10/01

お経と君が代

 日本人は無宗教といわれますが、私もいわゆる慣習的仏教、慣習的神道であって、標準的日本人であると確信しています(屁理屈が多いという意味では標準的とは言えないかも・・)。ついでに言うと、12月25日だけは慣習的キリスト教になるというところも、標準的日本人と言っていいのではないでしょうか。ただ、これら慣習的宗教のうち、どれが一番のよりどころかと言われれば、やはり私にとっては仏教でして、「お経」を読め(お経は”あげる”というべきでしょうか)と言われれば、本を見れば節つきで読むことができてしまうのです。ちなみに、友達などの結婚式に呼ばれ、その形式がチャペルでのキリスト教風(笑)の結婚式だったとしたら、ささやかな抵抗として、私は賛美歌を歌わない主義なのです・・・。

 「お経」を読むことができるのは、小学生の頃、年末になると近くのお寺でお経を教えてくれていたからです。お経そのものは大半が漢字の羅列で、振り仮名は振ってあるものの、「(ふし)」?があるため、素人がぱっと見ただけでは読むことはできません。外国人からみると、お経は音楽だそうで、そういわれてみれば、節を合わせて合唱しているということになりましょうか。実は、小学生の頃というのは頭が柔らかいもので、(お経の本を見れば私はお経を読むことができると言いましたが)正直言えば半分位暗記してしまっています。まあ、お葬式でお経が読めなくて恥をかくということはほとんどありませんが、知っていて悪いものではないでしょう。

 ただ、俗に、日本の仏教は「葬式仏教」と言われ、人が死んだり、何周忌というときのいわゆる法事の時にしか出番がありません。人々の心の支えになっているか?、あるいは社会に貢献しているか?等、本来のそうした宗教的役割を果しているかといわれれば、何の役にも立っていないとしか思えません。
 そんな中で、私が最も不思議に感じているのが、「お経」の存在です。何しろ、私は、お寺でそのお経を習ったにもかかわらず、そしてそのお経を暗記しているにもかかわらず、お経の意味、つまり、「仏教の教え」を何一つ知らないのです。お寺の坊さんは、お経の読み方は教えても、その中身に何が書いてあるのかを解説することは全くありません。お経そのものも、漢字の音読みの連続ですから、それをいくら眺めてみても、声に出して読んでみても、さっぱり意味はわかりません。ちなみに、我が家の宗派である「浄土真宗」における、最も大事な言葉である「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」という言葉さえ、その意味を知りませんでした。知りませんでしたというか、もちろんその言葉の意味の解説をお坊さん含めて誰からも聞いたことはありませんし、先日インターネットで調べて、初めてその意味を知ったくらいなのです・・・。

 実は、「南無阿弥陀仏」、阿弥陀さんが南に無い?ってなんのこっちゃ??というのが、私の20年来の疑問だったわけですが(笑)、なんとこの「南無阿弥陀仏」というのは、サンスクリット語の読みを漢字の音であてた言葉だということがわかりました。つまり、漢字を眺めていても意味なんてわかりっこないわけです。しかも意味は難解で、宗祖親鸞の言葉によると「まかせなさい。必ず救うぞという仏の呼び声」」ということらしいのですが、Wikipediaのこのページをみても要するによくわかりません(涙)。
 南無阿弥陀仏の例からすると、お経に書いてある、その他の漢字の羅列も、サンスクリット語の音ということになりましょうか。そうすると、それこそ声に出して読んだところで、仏教の教えが理解できるものではないということがはっきりしました。
 
 この仏教の教えを何一つとして解説することなく、理解不能な「お経」を読むという行為に、一体どんな意味があるのか?というのが、私の疑問なわけですが、世の中にはこの私のような疑問に対して、「そういうことを疑問に思うこと自体が問題」とする考え方が根強く存在し、むしろ私のような人間が不敬扱いされてしまいます。私的にはごく普通の疑問のつもりなのですが、これこそ「屁理屈をこねるな!」と批判される代表的な事例ですね。もし私が寺の住職であれば、「葬式仏教」とやゆされる現行仏教を打破するべく、一つ一つの仏教の教えを檀家の人たちに広めようと考えるでしょう。まあ、そういう、うっとうしいことをすれば、ひとり、またひとりと、檀家が減っていくことうけあいかもしれませんが(大笑)・・・。

 こじつけの屁理屈を語らせてもらえば、今いろいろと話題になっている「君が代」の問題もなんとなく同類のにおいがします。ちなみに私にとって、君が代は国歌として認識されていますし、歌うことになんの躊躇もありません。しかし、なぜ、日本の国歌が君が代なのか?、その歌詞の意味はなんなのか?(正直歌詞を理解している国民は少数なのでは?)、学校の卒業式等で(強制的に)なぜ歌わなくてはならないのか?、と、いろいろと疑問が湧いてきます。問題なのは、それらの疑問の中身というよりは、これらの疑問を持った時、これら疑問を持ったこと自体を「不敬」とされてしまうことでしょう。「不敬だから不敬だ!」「当たり前のことに屁理屈をたれるな!」といわれる方もおられるでしょうが、もしそこに本当に意味が存在するのであれば、そんな迷える子羊に道しるべを示していただいてもいいような気がしますが・・。

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コメント

>南無阿弥陀仏の例からすると、お経に書いてある、そ>の他の漢字の羅列も、サンスクリット語の音というこ>とになりましょうか。

 いえいえ、日本で読まれているお経、すなわち漢訳仏典は、全てがサンスクリット語(梵語)の音訳というわけではありません。大半は漢語、すなわち中国語に翻訳されたもので、高校程度の漢文の知識があれば意味の分かるものです。(もちろん専門用語の知識や、白文に返り点などを付ける技術が必要ですが)漢文は古代から日本では知識人に必須の教養でしたから仏教についての研究が日本でも出来たわけですね。
 で、「南無阿弥陀仏」の例、すなわち、ナモ・アミターバー(もしくはアミターユス)は、確かに音訳ですね。ナモ(ナマス)は礼拝・尊敬の意(今でもナマステとインドでは挨拶しますね。テは貴方の意)アミターバーの、アは否定の接頭語、ミーターは量るの意味(メーターと同源)、バーが命(ユスが光)で、無量の命、とか、無限の光、という意味になります。(サンスクリットも、現代の知識人に必須の教養(笑)である西欧語と同じインド・ヨーロッパ語族ですから理解しやすいのではないでしょうか。)
 しかし、お経で音訳されているのは、一部の固有名詞や、あえて翻訳を避けた重要な言葉くらいで、たいていは漢訳されています。
 この、「南無阿弥陀仏」も、南無は帰命(帰依)、阿弥陀は無量寿(無碍光)、佛(ブッダ)は如来、と漢訳され「帰命無量寿如来」とか「帰命無碍光如来」となるわけです。
 浄土真宗ならば「正信偈」をご存知かもしれませんが、この冒頭の「きーみょーむーりょーじゅーにょーらーい」というのが、まさに「南無阿弥陀仏」の意訳にあたるわけです。
 お経というのは、白文を呉音(呉の時代の中国語の発音)で読み下してますから音だけでは分かりにくいですが、字を見れば若干の漢文の知識があれば理解できます。昔は小僧さんが、とにかく音から覚えていたものが、漢語の勉強が進むにつれて意味が分かってきて興味とともにさらに探求が進む、農民も寺に説教を聴きに行くと、日々自分たちが声に出していることの意味を知り、知識や信仰を深めていくことができる、という構図があったわけです。娯楽が多い現代では、いろいろ困難になってきたということでしょうか。
 仏典は、哲学的なものもありますが、基本は釈迦がしゃべったことを思い出して書き留めた、という体裁を取っていますので、物語調になっています。たとえば浄土真宗の重要経典(三部経)のひとつ観無量寿経はオイディプス王の話に似た王舎城の悲劇という物語がベースに語られたりしています。ひまな時にでも眺めて見てはいかがでしょうか。むかし読んでいたお経も漢文だと思えば、意味がとれる部分も多いと思います。原典からの現代語訳でしたら岩波文庫の中村元訳がいいと思います。
 お話の本筋とは外れたことなのですが、ちょっと気になったので、突然長々と失礼致しました。

投稿: ゑ | 2006/10/01 11:00

訂正です。

Namo-Amit-abha = Namas + a + mita + -abha

Namo-Amit-ayus = Namas + a + mita + -ayus

ですから、abha(アーバー)が光、ayus(アーユス)が命、ですね。サンスクリット、すこしはやっておけばよかった(笑)。大学の教養の時、勉強会があったんですけどね。メンバーは英語学とかドイツ文学、言語学とか志望の人が中心みたいでした。医学や理学の人もいたみたいだけど。他の語学で精一杯だった私には到底・・・。誘われたんですけどね。半端な知識ですみません。

投稿: | 2006/10/01 14:55

 ゑ様、コメントありがとうございます。
 南無阿弥陀仏がサンスクリット語の音で、きみょうむりょうじゅにょうらいが、その中国語意訳なんてびっくりしました。いやー、何も知りませんでしたけど、お坊さんは何で何も教えてくれないんでしょうか?。
 まあ、それはともかく、私の漢文の知識ではあのお経を読むことは無理だと思います(笑)。やっぱり本を読むしかありませんか・・・。
 またいろいろと教えてください。

投稿: 彰の介 | 2006/10/01 21:52

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