無駄論を高らかに叫ぶ
無駄論(5月30日までをまとめてあります)。この無駄論というのは、「彰の介の証言」において、実に大事なテーマなわけですが、最も反応のない記事群でもあります(涙)。昨今、高校での必修科目の未履修問題がクローズアップされていますが、まさに、無駄なことはしないという現代の風潮を、最もよく表したものだと感じます。
しかし、私は無駄というものが非常に大事なことだと感じています。無駄こそ人生にとって、最も大事なことだと感じているのですが、今後もこの日本という国は、無駄をそぎ落とした、薄っぺらな人間の量産を続けるのでしょうか。
私の高校時代を振り返ってみると、未履修はなかったと思っています。理系は、受験のために、社会は1科目でいいわけですが、理系の私でも、地理と世界史の2つをとっていました。確かに、受験は地理と決めていましたので、世界史はいい加減な勉強しかしていなかったのは確かです。しかし、今回の一連の未履修問題に対して、とある学校の校長がテレビに向かって正々堂々と、「受験のためには仕方がない、学習指導要領が悪い」と開き直っているのを見ると、正直ぞっとしました。まさに、まじめにルールを守っているような人間は、世間で生き残っていけないぞと教育しているようなものですから。
今朝のテレビ番組でもこの話題を取り上げていましたが、市民に聞いている質問にあきれてしまいました。「社会に出てから役立った教科は何か?」を聞いているのです。1位が国語と英語、だそうで、国語は漢字などが覚えられたから?、英語は外資系企業に就職したから?なんて答えている人を放送していました。これは、話題になった世界史が低い順位だったということで問題提起したかったのでしょうが、「社会に出てから役立った」なんてことを聞くこと自体、学校側のルール無視よりも、学習指導要領に問題があるということがいいたかったのでしょう。役立たないようなものを必修化するほうがおかしいというその考え方は、まさに無駄論の敵としか言いようがありません。もちろん、現代高校の予備校化の問題、世界史の必修化の問題が存在することを否定するつもりはありませんが、目的のためには多少のルールは無視してもよい、無駄な勉強する方がバカという現代の風潮には、辟易して涙がちょちょぎれると言うものです。
高校生の皆さんには声高らかに叫びたい、受験勉強も大事だが、「無駄論も大事」だということを。受験勉強はただの手続きであり、無駄論は人生の肥やしです。無駄を省くことが日常化してしまっている人は、人間としてとても薄っぺらで、他人のことはどうでもよく、自分さえ楽な道に進めればいいということを、機械的に、無意識のまま、考え、行動してしまいがちです。どうぞ、そんな人間にならないよう、無駄なことにもどんどん興味を持ってほしい、「無駄なことは役に立たない、役に立たないことは無駄」だなんて考えないでほしい、そう思っている私、彰の介なのでした。
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コメント
♪こんにちは。
私も昨今の効率重視、無駄を認めようとしない風潮に疑問を持っています。
「無駄」と言うと何か悪いことのようなイメージが優先するので、近頃は「ゆとり」「あそび」またはTBしたエントリーのように「バッファー」と呼ぶなどして、イメージアップを考えています。
投稿: あざらしサラダ | 2006/10/29 08:29
あざらし様、コメント、TBありがとうございます。
無駄という言葉は確かにイメージは悪いですね。しかし、無駄をそぎ落とすということは、ゆとり、あそびがない(適応力がない)、緩衝能力もない(ほんの少しのゆがみが大問題になる)ということを意味するわけですから、人間性についても、企業活動にしても、極めて危険なことなのかもしれませんね。
と、発言していることが、無駄???なんて言われちゃったりして・・。
投稿: 彰の介 | 2006/10/29 11:53