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2006/12/25

高校駅伝も個人情報保護?

 昨日、全国高校駅伝大会が都大路で行われました。私は、NHKで男子の部の中継を見ていたのですが、何か不思議な実況中継でした。細かいことを気にしすぎ?ただ気のせい?かもしれませんが、選手の名前が、画面のテロップにも、実況にもあまり出てこないんですね。もちろん、皆無じゃないですけど、こんなところにも、個人情報保護の流れが反映されているのでしょうか。

 久しぶりに高校駅伝をテレビで見たのですが、いつからか、花の一区はアフリカ?ケニア?からの留学生が先頭集団を形成するようになったのですね。留学生に何の罪もありませんが、高校駅伝も、学校をアピールする格好の場となり、あの高校が出すなら、うちの高校も・・・ってなかんじで、どんどん外人助っ人?が増えたということなのでしょうか。なんとなく、世界史未履修問題と重なりますが、教育現場そのものが、「あいつだけ得されてたまるか!」という方針で運営されていると思うと、メリットよりもデメリットの方を心配せずにはおれません。

 また、各県を代表して出場しているせいなのでしょうが、各中継地点では、ビリのチームがたすきをつなぐまで、ずーっと中継していました。確かに、その昔、私の友人が都道府県対抗駅伝に出るというので、楽しみにテレビ中継を見ていたのですが、ビリの方を走っていたせいで、たすきを渡す頃には、先頭チームの方に画面が移ってしまい、雄姿を見られなかったということがありました。というか、想像するに、そういう「なんでうちの子を写さないんだ!」的な苦情が大変多いのでしょう。
 ただ、正直、高校駅伝の場合、3キロ程度の短区間もありますから、ビリチームがたすきを渡す頃には、先頭はかなり前をにいってしまい、走っている雄姿がほとんど見れないという矛盾もあります。今年はそれほど先頭争いが激しくありませんでしたが、そんな争い場面よりも、たすきを渡す場面の方が優先されているというのも、よく考えれば変な話です。

 私が最も不思議に感じたのは、冒頭に書いた、選手の個人名があまり出てこないということです。もちろん皆無ではありません。「○○君は非常にいい走りをしている」とか、「○○君は調子が悪そう」というのはもちろん解説者や実況から聞かれるのですが、基本的に「○○高校は・・」という主語がやたらと多いのです。走っている選手が誰なのかという、テロップはあまり出てきませんし、前談のたすきの受け渡し場面でも、何位にどの高校がたすきを渡したかということだけで、「2区 誰々→3区 誰々」というような、選手名の表示はありませんでした。上位チームの何区を誰が走るという表は数回見ただけですし、実名は最小限出しただけという感じがしてなりませんでした。

 別に、だからといって悪いわけでも、いいわけでも、なんでもないわけですが、わざとやっているのであれば、なぜそんな方針になったのかを知りたいところです。例えば、チームで走っているということを強調したいのでしょうか?、あるいは、抜かれた選手が傷つかないように配慮でもしているのでしょうか?、それとも、個人情報保護??に気を使っているのでしょうか・・・。わざわざNHKに電話して聞くような内容でもありませんが、どなたかご存知でしたら教えてください。NHKにメールでもしてみるか・・・。

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2006/12/22

税金の無駄遣いは犯罪でしょ?

 昔(今も?)、「あの道路は俺が作ったんだ」とか、「下水道を整備したのは俺の業績だ」なんて自慢げに話している政治家をよく見かけました。別に、その政治家自身が土木工事をして作ったわけでもなければ、自ら資金を提供をしたわけでもないのに、えらそうなことを言うもんだと思ったものです。資金はすべて我々の税金であるのは言うまでもありませんから、税金を自分のお金と混同してしまっているのでしょう。

 社会基盤の整備を自慢する政治家もいますが、逆に、失敗した箱物の建設に責任を感じて、責任をとる政治家を見たことがありません。「あの博物館は俺が作ったんだが、借金だらけになってごめんなさい」(笑)なんていう発言は、もちろん聞いたことがないわけです。聞いたことがないというか、失敗した箱物を、俺が作ったと訴える、馬鹿な政治家がいないのは言うまでもありませんが・・。
 
 政治家が強引に進めた事業であれば、もしかしたら責任が問われることもあるかもしれませんが、官僚主導で行われた場合、責任論なんて、出るはずもありません。個々の役人の責任はもちろんのこと、首長や助役が全責任を負うなんていう話も聞いたことありませんし、国政レベルでも、事務次官や大臣が責任をとるなんてことはもちろん皆無です。

 箱物やら観光関連の物などが、結局、閑古鳥の鳴くただの”箱”になってしまったとき、あるいは、全くいらない道路や橋などを作った場合、それは「税金の無駄遣い」という言葉だけではすみません。これは、国民の税金を私し、国民に被害を与え、その責任を国民に押し付ける行為に他なりません。じゅっぱ一からげに言うことはできませんが、私はやはり、利益誘導目的、無計画性、管理不徹底等が認められた場合、それを犯罪と考えなければならないと思っています。したがって、一つ一つの事業の責任者をはっきりさせる必要があると思いますし、はっきりさせることで、これらの犯罪の抑止につながると考えています。

 責任を持って事業に臨み、成功したら正々堂々と「あの博物館は俺が推し進めた事業だ」と胸を張ればいいではありませんか。無計画に箱物を作って閑古鳥が鳴いたら、何億円という税金を私した罪で磔獄門の刑に処せばいいのです。
 
 といっても、なかなかそんなことは実現しないかもしれません。しかし、政治家による「俺があの道路を作った」的な発想を駆逐することはできるのではないでしょうか。税金はお上にささげた年貢ではありません。そういう意味では国民のお金がいかに使われるのかに、我々はもう少し関心を持たねばならないのではないでしょうか。
 (少し視点は違いますが、以前の記事ハイエナとモラルも参照の程)

 [ゴーログ]  夕張市民は夕張市を告発できないのか?経由、くまさんの自立さんの、この辺でご容赦?!北海道知事という記事の、「行政も企業と同じように 株主代表訴訟や会社法の特別背任容疑のように刑事告発できなくてはいけませんね。」という言葉に強く賛同して、この記事を書かせていただきました。

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2006/12/18

Soft BankのCMは最悪

 Soft Bankの携帯電話のCM、通話料が0円っていうのが問題になりました。それが終わったと思ったら、またしても変なコマーシャルが流れていますね・・・。私は自称コマーシャル評論家ですが(笑)、よくもまあこのての内容のCMを作れるものだと、ちょっと腹立たしい気持ちがしています。

 どんなCMかって、うら若きテニス部?の学生さん?達が、夜電話するする約束をするのですが、一人だけソフトバンクの携帯じゃないから、通話料がかかってしまうことに「ごめんね」と謝り、「○○が悪いわけじゃないから」ってな会話をするあれです。
 
 いやいやいやいやいやいやいや・・・・・、私はどーにもこーにもおかしいとしか言いようがなく、気持ちが悪くて何度か吐きそうになるくらい(笑)の思いをしていますが、皆さんはそうでもありませんか。私は、どうもああいう形で仲間はずれを演出することに違和感ありありなんですね。まあ、大げさに言えば、いじめ現場の描写ということでしょうか。あのうら若き学生さんも、仮面をはずせば、ただの意地悪ねぇちゃんで、「○○が悪いわけじゃないから」という言葉の裏側に、「おめー、いい加減Soft Bankに変えろや!」という言葉が聞こえてきてしまう、被害妄想的私の視点からは、あのCMは、昨今問題になっている、いじめの現場そのものに見えてしまっているというお話です。あれを見るたびに、いや~~な気持ちになってしまう私のほうが異常??でしょうか。

 さらにあのCM、うら若き学生さんが消えて、文字が出てきますが、これがまたびっくりの「友達を大切に」ですよ。

 おいおいおいおいおいおいおい・・・・・、まあ、いかにもSoft Bankですか。NTTじゃあできませんね。世間的には、しゃれってことで通用するんでしょうか。私的には、程度が低いというか、なんというか、何か間違っているとしか思えません。わたしがガンツ先生だったら、

孫君、0点
と宣告するしかありません(古典か?)。孫社長は革命児なんでしょうが、できれば、ハートマーク(現代っ子はこのあたり参照)がもらえるような内容のCMで、自社の優位性を訴えていただきたいと願うばかりです。

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2006/12/16

東京ローカル

 田舎者の戯言といえばそのとおり。東京人は東京が日本の中心であることに何も疑問は持っていないでしょう。しかし、田舎者の私からみれば、時に東京ローカルな話題が全国放送で流され、全国的なニュースにされてしまうことに疑問を感じることがあります。

 例えば先日の京王線で起こった事故なんてどうでしょうか。踏み切りで立ち往生した自動車に電車が衝突、京王線が不通になったっていうニュースが、朝の番組のトップで30分近くの時間を割いてやってるわけです。いやいや、この事故がたいした事故でないとは言いません。不通になったお陰で迷惑被ったかたもたくさんいるでしょう。特に首都圏の公共交通ですから、田舎の事故に比べて、足止めされる人数が半端でないことはよ~く理解できます。
 
 しかし、まさにこういうニュースこそ「東京ローカル」です。東京でニュースを作っている人たちは、おそらく自分の身近で起きた大事件に関して、「東京ローカル」という概念はないのでしょう。東京で起きたことは、全国レベルの出来事だと思って疑っていないところに、田舎者はちょっと疑問を感じるのです。地元名鉄で衝突事故が起きたときも1分程度のニュースにしかならないのですから、「他人事=ローカル」という考え方が、東京には染み付いているような気がしてなりません。

 とある経済番組で、品川駅が取り上げられていました。ただの駅としての機能だけではなく、いろいろなお店が立ち並び、多くのサービスが提供される、過去の駅という概念を取り払った画期的な駅だと放送していました。
 
 しかし、こんなニュースというか話題も東京ローカルくさい話題です。もちろん、品川駅にケチをつけるつもりはありませんし、実際は画期的でないと言いたいわけでもありません。この話題が画期的であるのは、東京の駅だから成り立つことであって、田舎の駅では、いや、東京以外の地方の駅では考えられない話だから、東京ローカルだと言いたいのです。
 
 田舎者として言いたいのですが、東京は人間が多すぎます。品川だけではありません。東京駅、新宿駅、渋谷駅、上野駅・・・、どの駅にしても、その利用客の多さは、半端ではありません。実際の数字は知りませんが、私の体験上、中部の最大の駅であるはず名古屋駅でさえ、東京の各駅に比べれば閑散とした印象があるのです。品川駅の話は、利用客が多いからこそ成り立つビジネスモデルであり、東京の大きな駅なら成り立ちそうな話ですが、一歩田舎に行けば、全く成り立たない話だと感じます。そのあたりの説明がなく、東京ではあたりまえとされてしまうと、報道している人たちに「東京ローカル」的なセンスはないんだなあと、やっかみたくなる私なのです。

 田舎者の遠吠え。またやります。

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2006/12/03

足元を見る子供たち

 近頃の子供たちの問題といえば、いじめ自殺問題ですが、私としては「体罰禁止」「個人を尊重する」などから冗長してしまった子供の姿のほうが気になります。私自身にまだ子供はおらず、姪っ子甥っ子はいい子ばかりですが(本当?バカオジ)、学級崩壊、親の身勝手などの話をテレビで見ると、これからの日本の未来がなんとなく心配で仕方ありません。といって、体罰肯定派でも、集団主義者でもありませんが、なんとなく地盤の崩れを感じてしまいます。

 体罰といえば、我々は体罰経験最後の世代かもしれません。げんこつ、ケツバットなんていうのはごく当たり前にあり、私語をしていればテニスボールが飛んでくるし、学校に一人くらいいる暴力教師は、それはもうひどい勢いで殴り飛ばすこともありました。子供であった我々にとっては、それが抑止になり、怖い先生の前では静かにしていましたが、頼りない先生が担任だと、確かに学級崩壊寸前ということもありました。ある意味、今と変わらなかった?のかもしれません。

 現在、体罰は厳禁となっています。ただ厳禁というだけならいいのですが、体罰をふるえば、それが新聞で思いっきり叩かれるほどの大事件であり、教師生命にかかわるということを、子供たちは知ってしまっています。その昔我々の時代は、誰かがいたずらなどをすれば、「いったろいったろ!、せ~んせいにいったろ!」な~んて言って、先生というものを絶対権力者として崇めてきたわけですが、今では先生の方が「いったろいったろ!教育委員会にいったろ!」なんていっていじめられそうです。何か悪さをして出席簿で頭でも叩こうものなら「それ体罰だよね」なんていわれるようですし、女の子の手を引っ張ったら、「セクハラ!」と叫ばれるというのですから(某テレビ番組参)、教師が足元を見られているとしか思えません。

 ただでさえも子供というのは、すきあらば悪さをしようと考えます。しかし基本的には悪い事は悪いと認識し、悪いと知りながらも悪さをしてしまい、時に先生から大目玉を食うというのが我々の世代の普通の子供だったように思います。それはそれで、勝手なご都合主義の大人の論理を子供に押し付けられることもあり、反発したくなることもあったわけですが、しかし、現在は、全くの抑止のない状態であるだけでなく、むしろその立場が逆転してしまっているがために、子供たちが悪いことさえ悪いと認識できないのではないかと心配でしょうがありません。武士が農民を切り捨て御免と殺しても罪に問われないような、そんな感覚が子供に根付いてしまっていないのだろうか、そんな私の憂いは考えすぎなのでしょうか。

 これまた、こんな現状の解決策を持ち合わせないのが、私彰の介のダメなところですが、最低限、体罰肯定派でないことは宣言しておきます。なぜなら、私は、子供たちのことを性善説で考えていますので、罰則の強化は真の意味での抑止にならないと考えているからです(昨日の罰則の強化の意味するもの参)。むしろ、子供の世界の手本であるはずの大人の世界が、全くもってすきあらば悪さをしようという子供以下の性悪説に溢れていますから、そちらの方が大問題かもしれません。

 すきあらば悪さをし、しかしそれが悪いということに気付かない、つまり、自分さえよければいいというような子供たちが育たないことを祈るばかりですが、そんな意味で考えると、「真正直に世界史になんて勉強していたら、受験に失敗するぞ!」なんていう教育をしていた学校は、その根本から出直してほしいものです。

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2006/12/02

罰則の強化の意味するもの

 飲酒運転や、それに関連する事故が厳しく罰せられる世の中になりました。少年法も改正され、子供だからと凶悪犯罪でも許されるなんてことはなくなりつつあります。死刑と判断されるハードルも低くなり、死刑判決も今後増えてきそうです。いずれにしても、罰則が強化されて、その犯罪抑止効果を期待していると思われるのですが、さてさて、本当に罰則の強化が抑止につながるのか、抑止だけがその意味するところなのかと考えると、いろいろと考えさせられることがあります。

 飲酒運転はさすがに出来なくなりました。公共交通の発達した東京生活ならいざ知らず、少し地方に行けば、車しか移動手段がありませんから、家から少し離れた飲食店にも行くの車ということになります。しかし、それがお酒のおいしいお店だったら困ります。自然、移動手段がないから、お気に入りだったお店から遠のいてしまうなんてこともあるのではないでしょうか。飲酒運転という意味では、抑止効果ばっちりという実例で、それで交通事故が減ればいいという考えもあるでしょうが、道中検問さえなければ車で行ってもいいか・・なんていうことも頭にちらつく方、私以外にも結構いるのではないでしょうか。

 しかし、この飲酒運転の問題の本質を考えれば、この罰則強化というのは本末転倒な話だと思えてなりません。「飲酒運転をすると罰則がきついからやめる」というような考え方は、まさに抑止効果そのものですが、本来は「飲酒運転をすると事故を起こす可能性が高くなり、場合によっては悲惨な死亡事故をも誘発するかもしれない」からこそ飲酒運転をやめるべきなはずです。事故を起こす可能性が増すことはどっかに行ってしまって、罰則だけに目が行ってしまう現実を考えると、所詮程度問題(見つからなければいいかと考える勇気?の度合いの個人差)で、まあいいかと考える人間が結局事故を繰り返すことになるのでしょう。

 誤解を恐れつつ?言えば、罰則の強化は、起きてしまった事故による被害者家族のやりきれない気持ちの代償に過ぎません。それ自体に意味がないとは思えませんし、当然のこととは思いますが、やはり事故を撲滅することが目的であるならば、罰則をちらつかせた抑止効果には所詮限界があると思うのです。
 もちろん、性悪説的に言えば、罰則の強化以外に、事故を減らせる有効な方法があるのかといわれると、残念ながら私に有効な方法を答えることはできませんが、昨今の日本の倫理観の欠如から生まれる数々の問題を考えると、性善説的に問題の本質を訴える必要があるのではないかと考えてしまうのです。実に遠回りで、実に悠長な方法ではありますが、急がば回れです。

飲酒運転は痛ましい事故の加害者となる可能性があります。だからこそ、見つからなければいいなんて考えはやめようではありませんか。

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2006/12/01

寝るのが仕事の当直

 だいぶ更新がお久しぶりになってしまいました。「忙しい」という言葉はあまり使いたくないのですが、この30日ほどで当直が6回あり、その間に「ハニーハネムーン」(大爆笑)をはさんだせいで、更新どころではありませんでした。

 ところで、この「彰の介の証言」も多少模様替えをと考えておりまして、「短文頻更新」要するに、「更新頻度をあげる」というのを第一の目標にしたいと考えています。更新頻度を上げるためには、文量を少なくするか、内容をええかげん(←岐阜弁?)にするかなわけですが、まあ、たぶんその両方なんでしょう・・。駄文という意味では今までどおりといううわさもありますが・・・。

 ということで、今回は、更新頻度を鈍らせた「当直」のお話です。私は職業柄やぶ医者をやっているわけですが、この当直業務というのはなかなか大変なものです。以前のエントリーでも書いたのですが、病院の当直業務に労働基準法は全く当てはめられません(救急外来の裏側(2)なぞを参照してください)。日中の業務をこなして、引き続き当直に入り、次の日も普通に仕事をこなす、つまり32時間労働が当たり前です。当直料が高いかといえば、私が働いているところで2万円程度です。2万円ももらえれば、6回やって12万円!!、うらやましすぎる!!と思われる方、ぜひ私と仕事を変わってください・・。16時間の深夜労働、時給1250円が不眠と緊張感の引き換えであることをお忘れなく。

 しかし、世の中いい世界があるもので、私が働いている3次救急のハードな不眠当直があるかと思えば、いわゆる「寝直(ねちょく)」と呼ばれるほとんど寝ていられる楽な当直も存在します。救急患者の来ない小規模あるいは療養系の病院で、しかし当直は必要なので、大学病院などのバイト先になっていることが多いところです。さて、こんなほとんど寝ていられる当直はおいくらほどのバイト料がもらえるかというと、私の現在の当直から見れば5千円?、1万円?なんて想像されるかもしれませんね。いやいや、実はこういった当直で3万~4万は当たり前といったら皆さんはどう思われるでしょうか。時々救急患者がくる、寝れない系の病院なら5~6万は出してもらえるかもしれません。自前の医者で当直ができない病院は、値段を上げて大学などからきてもらうしかありませんから、「あそこの病院の当直料は安い」なんていわれないような値段設定がされているわけですね。我々から見れば随分不公平な話ですが、そうはいいつ、一時そんな不公平の恩恵にあずかった私としてはなんともいいようがありません・・。
 
 しかし、そんなことよりも問題なのは、救急患者が来ないことを売りにして、当直に来てもらっている病院があるという事実です。中には救急指定になっている病院なのにも関わらず、「満床です」「今日の先生は専門ではありません」なんていって100%救急車を断ることを条件にしている病院が存在しているのです。さらに私がとある情報筋に聞いたところによると、週末の救急業務を安泰にするため、金曜日にとにかく軽症の患者でも入院させて、満床にし、土日の救急車お断りとする病院があるらしいのです。いや~ここまで来ると、あいた口がふさがりませんが。

 私個人としては、いろいろな病院を渡り歩いたおかげで、現在の救急医療の光と影を垣間見てきました。以前、脳出血を起こした妊婦の搬送を20件近くの病院が断ったなんていう話がありました。マスコミはただ病院側を批判しただけですが、インターネットの世界で、医療関係者がその一方的な報道に怒っていたようです(Ohmy Newsのこのあたりの記事がまとまっていますか)。しかし、裏の裏を知っている私からすれば、20件近くの病院がそろいもそろって搬送拒否というのはありえない話で(もちろん真の事実はわかりませんが)、罪はないと弁護するような価値は、私にはとても見出せないお話です。

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