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2006/12/03

足元を見る子供たち

 近頃の子供たちの問題といえば、いじめ自殺問題ですが、私としては「体罰禁止」「個人を尊重する」などから冗長してしまった子供の姿のほうが気になります。私自身にまだ子供はおらず、姪っ子甥っ子はいい子ばかりですが(本当?バカオジ)、学級崩壊、親の身勝手などの話をテレビで見ると、これからの日本の未来がなんとなく心配で仕方ありません。といって、体罰肯定派でも、集団主義者でもありませんが、なんとなく地盤の崩れを感じてしまいます。

 体罰といえば、我々は体罰経験最後の世代かもしれません。げんこつ、ケツバットなんていうのはごく当たり前にあり、私語をしていればテニスボールが飛んでくるし、学校に一人くらいいる暴力教師は、それはもうひどい勢いで殴り飛ばすこともありました。子供であった我々にとっては、それが抑止になり、怖い先生の前では静かにしていましたが、頼りない先生が担任だと、確かに学級崩壊寸前ということもありました。ある意味、今と変わらなかった?のかもしれません。

 現在、体罰は厳禁となっています。ただ厳禁というだけならいいのですが、体罰をふるえば、それが新聞で思いっきり叩かれるほどの大事件であり、教師生命にかかわるということを、子供たちは知ってしまっています。その昔我々の時代は、誰かがいたずらなどをすれば、「いったろいったろ!、せ~んせいにいったろ!」な~んて言って、先生というものを絶対権力者として崇めてきたわけですが、今では先生の方が「いったろいったろ!教育委員会にいったろ!」なんていっていじめられそうです。何か悪さをして出席簿で頭でも叩こうものなら「それ体罰だよね」なんていわれるようですし、女の子の手を引っ張ったら、「セクハラ!」と叫ばれるというのですから(某テレビ番組参)、教師が足元を見られているとしか思えません。

 ただでさえも子供というのは、すきあらば悪さをしようと考えます。しかし基本的には悪い事は悪いと認識し、悪いと知りながらも悪さをしてしまい、時に先生から大目玉を食うというのが我々の世代の普通の子供だったように思います。それはそれで、勝手なご都合主義の大人の論理を子供に押し付けられることもあり、反発したくなることもあったわけですが、しかし、現在は、全くの抑止のない状態であるだけでなく、むしろその立場が逆転してしまっているがために、子供たちが悪いことさえ悪いと認識できないのではないかと心配でしょうがありません。武士が農民を切り捨て御免と殺しても罪に問われないような、そんな感覚が子供に根付いてしまっていないのだろうか、そんな私の憂いは考えすぎなのでしょうか。

 これまた、こんな現状の解決策を持ち合わせないのが、私彰の介のダメなところですが、最低限、体罰肯定派でないことは宣言しておきます。なぜなら、私は、子供たちのことを性善説で考えていますので、罰則の強化は真の意味での抑止にならないと考えているからです(昨日の罰則の強化の意味するもの参)。むしろ、子供の世界の手本であるはずの大人の世界が、全くもってすきあらば悪さをしようという子供以下の性悪説に溢れていますから、そちらの方が大問題かもしれません。

 すきあらば悪さをし、しかしそれが悪いということに気付かない、つまり、自分さえよければいいというような子供たちが育たないことを祈るばかりですが、そんな意味で考えると、「真正直に世界史になんて勉強していたら、受験に失敗するぞ!」なんていう教育をしていた学校は、その根本から出直してほしいものです。

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コメント

♪彰の介さん、こんばんは。
ご無沙汰しています。
先日メールにて「密会」のご案内を連絡させて頂きましたので、もしよければご確認下さい。

投稿: あざらしサラダ | 2006/12/09 17:44

あざらし様、ご連絡ありがとうございます。
メールにてお返事させていただきます。
ありがとうございました。

投稿: 彰の介 | 2006/12/10 00:06

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