大臣の存在意義
安倍内閣の改造人事が終わりました。ニュースや特別番組などで随分詳しく放送していましたが、さてはて、閣僚人事なるものにどれほどの意味があるのやら・・・。
私は昔から疑問に思っていたのですが、大臣ってそもそも極めて短期間に変わってしまいますから、どれほどの仕事をしているのでしょうか。先日防衛省の事務次官人事でごたごたがありましたが、(事務方の肩を持つわけではありませんが)いきなりやってきた、何も知らない大臣に、いきなり好き勝手にやられたらたまらないと言う気持ちは、わからなくもありません。
公立の美術館や博物館の館長さんというのは、自治体のいちポスト(あるいは天下りポスト)であり、ど素人の人間がやっていることが希にあります。そのため、生え抜きの学芸員の方がせっかく積み上げたものを、台無しにされることも有るようです。大臣、ことに、自民党における大臣と言うのは、あくまでいちポストであり、適材適所というよりは、ど素人館長のような人事のためのポストと考えた方がいいのではないでしょうか。自民笹川氏いわく、津島派からの大臣選出について、「防衛大臣じゃなくて良かった」、あるいは農水大臣の遠藤氏曰いわく「農水大臣はこない方が良かった」等の発言はあるいみ本音中の本音であり、適材適所ではなく、まさに人事のためのポストということを公言しているに等しいと考えていいでしょう。
ただの顔だけだったら、事務次官が大臣やってもいいのではないか、そんなことも考えたりします。顔に吹き出物ができたくらいで辞任するような(おっと、あの方はもっと別の理由での辞任でした)、そんなどうでもいいポストなら、無いほうがましでしょう。やるからには責任を持ち、陣頭指揮をとって活躍してほしいと思うのですが、そう考えてる大臣さんは一体何人いることでしょうか。現実には、役所の作った答弁書を朗読し、任期を無難に全うするのが何よりと考える大臣が大半なのではないでしょうか。顔ぶれだけ見て、サプライズがないとか、お友達とかいう評価をしているマスコミもマスコミですが、まあ、とにかくお手並み拝見といきましょう。この内閣が終焉するであろう数ヶ月で(笑)何ができるかわかりませんが・・・。
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