ロス疑惑
「ロス疑惑」、懐かしいですね(世代がばれる・・・)。
今回、三浦和義がロス市警に逮捕されて大ニュースになっているわけですが、どうもこの「ロス疑惑」には昔から不思議に思っていることがあります。
今回の逮捕について、日本、アメリカの違いはあるにしても、「日本で無罪となった人間を逮捕するか?」というアメリカへの非難の声があります。そのこと自体の問題点は置いておいて、一般人の私から言わせると、完全な「白」での無罪ならともかくも、いわゆる「灰色」というか「疑わしきは罰せず」というか、そういう状況での無罪であるだけに、逮捕されてもあまり同情できない面がどうしてもあります。
「灰色だ、疑わしきは罰せず、とか言ってるけど、無罪は無罪でしょうが!!」というご批判があるかもしれません。確かに、無罪である以上、蒸し返して「灰色だ、クロだ」というのは問題があるでしょう。しかし、このロス疑惑に限っていえば、「無罪=白」とは言えず、残念ながら「灰色」と言わざるを得ません。なにしろ、「一美さん殴打事件」で彼は有罪になって、服役していたのですから。
1981年8月31日に起きた「殴打事件」。愛人に妻を殺そうとさせた殺人未遂で、彼は懲役6年の実刑判決が出ています。そして「疑惑の銃弾」事件が起きたのが、1981年11月18日。いくら「一美、一美」と何度も叫んだと言われても、残念ながら3ヶ月前には殺そうとしている人ですから、この灰色具合はいかんともしがたいものがあります。
「殴打事件がいくら有罪だといっても、銃撃事件は無罪なのだから、やっぱり灰色じゃなくて白でしょ!!」とまたしてもしかられそうですが、何も私は銃撃事件の判決に問題があると言っているわけではありません。無罪になったにも関わらず、「灰色だ」と言うことが問題であるのと同様、殴打事件で「有罪」となっている人間を、罪のない人間のように扱うのには無理があると言っているのです。銃撃事件の無罪は、殴打事件の冤罪を意味しません。銃撃事件の「無罪」を強調するのであれば、当然殴打事件の「有罪」も強調されなければならないと思うのです。
ロス疑惑の不思議さ、それは、彼が無罪を勝ち取った瞬間、「有罪」の部分が社会から忘れ去られたことでしょうか。
まあ、戦前の「疑わしきは罰する」が決して復活してもらっては困るわけですが、社会が彼に許した寛容というのも問題ではなかったのかなあと思った次第です。むろん、そのことと、銃撃事件の無罪、今回のアメリカでの裁判の行方とは、関係のない次元の話ですが・・・。
人気blogランキングに登録しています。ぜひ清きクリックを!
↑↑クリック!
BlogPeople「ニュース・一般」ブログランキングにも清きクリックを! ↑↑クリック!
| 固定リンク
コメント