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2008/03/27

人生の岐路

 うむむ、人生36年、もしかして、今私は人生の岐路に立たされている・・・らしい・・・。
 大事な仕事をやり遂げなければならないにもかかわらず、なぜか気合いが入らず・・・・、いや、現実逃避ばかり・・・。
 いかん、いかん、この峠をこえないと、いや、越えさえすれば人生が開けるのでは・・・。

 何のことはありません、人生に関わる大仕事に取り組むため、しばらくこのブログの更新をお休みするというお知らせです。最近、そうでなくても私自身にいろいろな事件があり、更新は渋っておりました。とりあえず一ヶ月ほどお休みします。何かしらの成果があれば、個人情報の範囲外でお知らせします。

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2008/03/17

裏帳簿

 とある報道番組を見ていると、自治体のお役人による裏金問題を特集していました。裏金が裏金たるゆえん、その動かぬ証拠が「裏帳簿」な訳ですが、事細かに書かれている裏帳簿を見ると、その丁寧さにお役人仕事がにじみ出ています(笑)。

 時代劇でも、裏帳簿が動かぬ証拠となるお話があります。義に硬い侍が、お代官様?あたりの不正に気づき、藩主に訴え出ようとするところを、お代官様一党がその侍を闇討ちする、そんな侍の意志を受け継ぐ友がなんとか仇討ちしようと、その不正をあばこうとする、そんな友たちの行動をご隠居様が助けようとし、矢七か由美かおるあたりが、代官のもっている裏帳簿を盗み出して、(途中略)印籠だして、めでたしめでたし・・・・・。

 しかし、どうも私が不思議に思っていたことは、なんでそんな危険な裏帳簿を、お代官様は後生大事に残しておいたのだろうという疑問です。どうせ不正に手に入れたお金なのですから、闇から闇へ持ち逃げすればいいわけで、わざわざ裏帳簿をつけておく必要があったのでしょうか。ましてや、誰かが不正を暴こうとしていることがわかっているのに、第一級の資料である裏帳簿を、由美かおるに簡単に盗まれるとは、あまりにも納得できない話ではあります(笑)。

 まあ、だからといって、自治体の裏金に関する帳簿を、捨てればいいのにと思っているわけはありません。そもそも、何で裏帳簿をつけなければならないのかというのが私の疑問です。何しろ裏の金なのですから、その証拠となるものを残すべきなのでしょうか?。

 裏帳簿をつける理由、それは、裏金が代々受け継がれているものであり、誰かに持ち逃げされないようにするためかもしれません。入りと、出をはっきりさせておけば、裏の会計担当者によるちょろまかし(ごまかしてお金をいただいちゃうこと)はできません。前任者と、後任者に疑われてしまいます。ただし、仮にちょろまかしが判明したとしても、横領で訴えられるかというと、もちろん訴えられないわけす(当たり前!)。それとも裏には裏の警察官みたいなのがあるのでしょうか?。仕事人みたいな人に、それこそ闇討ちされたりして・・・。

 裏帳簿をつける理由、もしかすると、「それがお役人だから」かもしれません。もう、帳簿をつけないといられない性分なのかもしれません(笑)。裏帳簿の丁寧さは、普通の人間ではまねできません。ある意味、律儀、ある意味、丁寧、ある意味、会計は表も裏もうっかりつける・・・。まあ、表と裏の区別もつかないとなると、相当に重症と言わざるを得ないわけですが・・・。

 残念ながら、大昔から裏金みたいなものは存在したのでしょう。それに疑問を抱かない人たちもいたでしょうが、当然、悪いことをしていることに気づき、胸を痛めていた人たちも大勢いたに違いありません。不正に声を上げなかった事は悪いことではありますが、実際そんな集団の中で声を上げることは、たやすいことではないでしょう。ある意味、きっちり証拠となる裏帳簿を丁寧につけていたことが、ささやかな抵抗であったのかもしれません。

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2008/03/12

責任論だけが問題?

 さんざん、責任者が責任をとらないのが問題だと言うことをこのブログで言い続けてきてなんなのですが・・・、ただ責任論を追求するだけの、昨今の政治的な話題は、それはそれで本質論ではないような気がします。

 石原都知事の、銀行問題。現在都民ではないので関係ないような気もしますが、それにしても、あの、あの、人を罵倒するのが趣味の石原都知事が、言い訳と責任転嫁をくりかえしている姿を見ると、まあ、滑稽以外の何ものでもありません。さんざん責任論には厳しい発言をしてきたのですから、最低限、「銀行の経営に関する指示を与える権限はない」等という発言はすべきではなかったでしょう。

 テレビで編集された画面しか見ていませんので、何とも言えないのですが、都議会をみていると、石原都知事の責任論の事ばかりが質問されています。石原都知事に責任があることは間違いなく、それをとろうとしていないことは確かに問題だとは思うのですが、しかし、現実にはその責任をとったところで、何の解決にもならないような気がします。

 素人の私が言うのも何ですが、問題の本質は、「新銀行東京に、400億円の追加支援を行えば、それで銀行の経営が成り立っていくかどうか」ではないのでしょうか。つまり、追加支援を行っておきながら、やっぱりだめでした、場合によってはさらに追加支援が必要なんて言う話にならないのかどうかを見極めることが大事でしょう。責任論と言う言葉を使えば、「400億円の追加支援が、責任論の先延ばしに過ぎないのではないか」という見極めをしなければならないということです。
 この銀行に現在損失が出ていることは疑いようもない事実ですが、しかし、再生すれば元が取れるという話になれば、一応、一応、都知事や銀行に関わっている人たちのメンツも保たれるというものです。しかし、つぶしてしまったら、その時点で損失確定ですから、責任論から逃れることはできません。したがって、そんな責任論から逃れたいがための、ただの延命策なのか、根本治療になっているのか、さらにその責任を都知事が自覚しているのかどうかということを、我々に聞こえるように議論をしてもらいたいものだと感じているのです。

 日本という国は、伝統的に「問題の先送り大国」ではないかと感じています。なぜ、問題を先送りにするかと言えば、それは責任者が責任を先送りにするためであり、その結果、問題がさらに悪化するのは言うまでもありません。責任の追求は、問題の本質を論議することであり、形だけ、うわべだけの責任論追求は、結局問題の先送りに手を貸しているに過ぎない面もあるのではないでしょうか。

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