神頼みと宗教観(2)
前回に引き続き、「非科学的」なお話です。私の妻が病気で手術することになったのですが、何となくそれを予言するような、警告するような・・・、と勝手に考えている出来事がいくつかありました。
一つは、亡くなった父から譲り受けていた、自動車のお話。とある日に、運転席側の窓ガラスを下げたら、上がらなくなってしまう故障に見舞われました。ボタンを何度操作しても何ともいうことをききません。それが夜だったので、とりあえず、その上がらなくなった窓をあげてもらおうと、近くの修理工場でみてもらったのですが、コレがまたびくともしません。結論的には、ベルトが何かに引っかかっているという話になり、正規の工場でみてもらうと言う話になり、その晩は、開いた窓にゴミ袋を覆って雨風を防ぐという、何ともみすぼらしい状態になってしまいました。
ところが、これがまた、翌日、何気なく窓ガラスをあげるボタンを操作すると何事もなかったかのように、ヒューッと窓が上がるではありませんか。昨日は一体何だったのだろう・・・。
その後、窓を決して下げないようにしていたので何事もなかったのですが、今度は、冷却水減少の警告ランプが頻回につくようになりました。これまた近くの工場で、冷却水を入れてもらったのですが、あっという間にまた警告ランプが点灯しました。さすがに観念して、正規工場に修理を依頼したところ、どこかよくわかりませんが、水漏れしていることが判明しました。正直、故障の連続に、そのまま下取りしてもらって、新車を買おうかなんて話まで出たのですが・・・。
結局その車を修理してもらい、その車を取りに行ったときのこと、なぜか、「数珠」が座席においてあります。「コレなんですか?」と車屋に聞いても、「もともとこの車の中にあったものではないのですか?」といわれるだけです。明らかに私の知らない数珠なので、不思議に思ったのですが、おそらく、運転席のドアの窓を修理したとき、座席下のもの入れの中にでも入っていて埋もれていた、もともと父の使っていた数珠だったでしょう。
雰囲気が伝わらないかもしれませんが、父の使っていたと思われる数珠が突然出てくるというのは、それが数珠なだけに、なーんとなく引っかかるものを感じました。
勝手な想像ではありますが、今から思うと、変な車の故障や、突然のこの数珠の出現は、天国の父が、妻の病気を警告していたような、そんな気がしてなりません。
その後、もう一つ、振り返ってみてもしかしてと思った出来事が、幸福の木の開花です。偶然といえば偶然、考えすぎといえば考えすぎ、しかし、妻の病気が発見されるまさにそのとき、10年に一度とも言われる花が咲いたのです。何となく警告、何となくちゃんと治療すれば大丈夫だよということを、木自身が全エネルギーを使って教えてくれていたのではないのかと、勝手に想像しています。
なーんて、極めて「非科学的」な想像で、全く根拠のない、上記のようなことを書くと、霊感商法の手助けになるからいかんとしかられるのでしょうか。
「おいおい、ただ車が故障して、木に花が咲いただけだろう」と言われればそれまでの話です。それまでですが、上記のような想像をするのは、私の基本的な宗教心に基づく、私自身の勝手な想像であり、もし「非科学的だ」と、わざわざ非難されるようなら、正直大きなお世話だと言いたくなります。
まあ、こういう私の勝手な話題を書くのもご迷惑かと思いますが、もう少し引っ張らせてもらいます。もう一点、私の感じた、「非科学的」事実を書かせていただき、やっと結論にいけるかどうか・・・。
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