本質論と派閥争い(2)
本質的な問題がよくまとまらず、一体どの方向に進めばよいのか・・・、人間誰しも迷い込む道かもしれません。日本の歴史を振り返れば、「幕末」なんていうのは、まさに大海原に船一艘、さてどっちにこぎ出そうかという状況だったのではないでしょうか。ちょっと過去記事をなぞりつつ、屁理屈的本質論?を語っていきましょう。
この、日本の近代化の始まりであるこの「幕末」「明治維新」というのは、一見一本道に進んだと錯覚しますが、実際は、あっちによれ、こっちによれ、まあ、うんの固まりで結果論的に最短距離を進んだという気がしてなりません。その時代についてのわかりにくさは、以前、無駄論的幕末維新という駄文を書いたことがあるのですが、一歩間違えば、派閥争いに終始し、見事にヨーロッパ列強の餌食になっていたかもしれません。
私は歴史家ではないので、素人的意見の展開をすることはお許しいただくとして、「幕末の本質論」とはいったい何だったのでしょうか。
まあ、いろんな言い方はあるのでしょうか、本質中の本質は、「中国(清朝)のように、ヨーロッパ列強に植民化されない」ということにつきるでしょう。そして、その目標のため、いかなる道筋を考えるかです。
さて、この道筋の一つに、「ヨーロッパの進んだ技術をいち早く吸収する」ということがあると思われます。そのためには、外国人と交流しなければなりません。
が、が、が、「攘夷」なるスローガンのおかげで、外国人との交流はけしからんという風潮があり、開国派といわれる人たちが、天誅の餌食になってしまいました。これがよく考えれば実におかしな構図になっていて、開国派というのは、諸外国に対抗する実力をつけることを考えているわけですから、本質論的に中身は攘夷派と同じです。当時日本に、「ここは一回、ヨーロッパの植民地になろう」なんて考えているバカは存在しないはずで、ちょっと本質を考えれば、開国だろうが、鎖国だろうが、攘夷だろうが、そんな議論はただの派閥争いに過ぎないわけです。
それは、攘夷を実行した藩に限って、外国の軍艦や鉄砲を買い、留学生を送ったりしているわけですから、その本質論の見損ないがあったことは明かではないでしょうか。
もう一点の道筋を言えば、「江戸幕府に、諸外国への対抗能力はないこと」もあげられるでしょう。そのためには、幕府を解体する、すなわち「倒幕」が必要になってくるわけです。
その、「倒幕」という本質論に気づいていながら、派閥争い、メンツ争いを繰り返していたのが、薩長両藩ということになりましょうか。そして、本質論を諭したのが、坂本竜馬であることは言うまでもありません(無駄論的坂本竜馬)。
しかしながら、坂本竜馬のすごいところは、本質論の上にもう一つの矛盾した本質論に気づいており、その矛盾を見事に両方成し遂げてしまったところにあります。
もう一つの矛盾、それは、倒幕は必要だが、国内戦争になれば諸外国につけ込まれる可能性があるということです。ご存じの通り、この矛盾に、「大政奉還」という大どんでん返しを演出し武力無しの倒幕に成功してしまうのですから、武力倒幕一辺倒の西郷あたりとは、格が違ったと感じてしまいます。
そして、そんな本質論には気づくことなく、佐幕派、倒幕派、武力倒幕派など、派閥争いをしてきた連中の大きな渦の中に、坂本竜馬は消えていったということになりましょうか・・・。
久しぶりに、意味不明系のネタを書いてしまいました。次回は、今回と同じように、過去記事をなぞりながら、もう少し時代を進めてみましょうか。
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