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2008/05/26

本質論と派閥争い

 世の中、本質的な議論を装った、派閥争いが横行しています。派閥争いというとちょっと意味が狭いかもしれませんが、一方的な意見の言いっぱなしとでも言いましょうか。表しか見ない、あるいは裏しか見ないとでも言いましょうか。まあ、人間とは所詮そんな生物かもしれないのですが・・・。

 例えばですが・・・、小泉純一郎という人物がいます。さて、彼をどう評価するかですが。
 評価する方は、自民党をぶっ壊した、郵政民営化を成し遂げた、等をあげるのでしょうか。評価しない方は、格差社会を作った、選挙を劇場化した、等をあげるでしょうか。

 私が言いたいのは、この、「評価する方」「評価しない方」というふうに分けてしまうことに問題があるということです。まあ、それを冒頭、「派閥争い」と表したわけですが。
 私個人の意見を言えば、小泉純一郎の人物評は、支持組織(郵政しかり、道路しかり)に大なたを振るった希代の政治家であり、できればさらに任期をのばして、官僚機構にも風穴を開けてほしかったと思っています。正直、私の人生の中で出会った最高の政治家かもしれません。
 が、が、が、イデオロギー的な面は、全く評価していません。ただの左に曲がれないハンドルの持ち主としか言いようがありません。このあたりは全く相容れないところです。

 ですから、政治家としての行動を評価しているからといって、イデオロギー的なことまで黙認はできませんし、イデオロギー的なことが合わないからといって、政治的な面の全てが間違っていたなんて評価はできないわけです。しかし、おうおうにして、「評価派」と「批判派」に分かれて、全評価か、総批判の一辺倒になりますから、それはまさに「派閥」の討論ではありませんか。

 例えば、悪名高き、後期高齢者医療制度。まあ、この制度に問題がないとは言いませんが、これを批判する側の意見を聞いていると、ただの「批判派」による全否定のみです。まあ、全否定するのは結構なのですが、否定するからには、本質論を覆い隠すことは許されません。本質論、すなわち、「老人に医療費を支払わせるわせるとはけしからん!」と言うのであれば、どなたが代わりにお支払いするのか、はっきりさせるべきです。

 実際は、派閥争いの方が大変で、本質論を見失ってしまうこともあります。派閥争いはなくとも、本質論を見抜けないこともあります。本質論を見抜けないから、派閥争いに終始したり、無駄なことを繰り返すこともあります。人間、ふっと我に返ると、本質論を見失っている自分に気がつくこともあります。
 今後も、本質論と派閥争い、気づいたことを書いていきます。

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